「私にとって、メッシは史上最高の選手だ」
「異なる意見を持つ人がいるのは分かるが、自分が見てきた限り、彼に並ぶ選手はいない。丸1年間、彼と一緒にプレーできたのは幸運だったが、その1年は短すぎると感じた。」
「リオネル・メッシがいるから、アルゼンチンは私の心の中で特別な存在だ。子どもの頃から応援してきた。」
出典:Goal.com 日本語版 2026年10月23日
SOCCERPEDIA / 選手ページ / アルゼンチンのサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日
リオネル・メッシ(Lionel Andrés Messi Cuccittini、1987年6月24日生)は、アルゼンチン・ロサリオ出身のサッカー選手。ポジションはFW(フォワード)、2023年からインテル・マイアミに所属、背番号は10。アルゼンチンでは2005年から通算208試合126得点を記録している。クラブでは公式戦通算1005試合821得点(2003-04 シーズン以降)。クラブ・代表で通算52個のタイトルを獲得、個人賞は105回(アルゼンチン年間最優秀選手賞 16回、ラ・リーガ 最優秀選手 9回)。
リオネル・アンドレス・メッシ・クッシッティーニ(, , 1987年6月24日 - )は、アルゼンチン・ロサリオ出身のサッカー選手。メジャーリーグサッカー・インテル・マイアミCF所属。アルゼンチン代表。ポジションはFW。
サッカー関係者から史上最高のサッカー選手と称されている。サッカー史上最多得点関与数記録保持者(1337G/A)。キャリア通算で史上最多となる46のタイトルを獲得した。
FCバルセロナにおいて、10度のラ・リーガ、4度のUEFAチャンピオンズリーグ(以下CLと表記)を含むクラブ歴代最多となる34のタイトル獲得に貢献し、クラブ歴代通算最多得点記録(672ゴール)、ラ・リーガ歴代通算最多得点記録(474ゴール)、ラ・リーガ歴代通算最多アシスト記録(192)、CL歴代最多ハットトリック記録(8)を保持している。また、歴代最多8度のバロンドールと歴代最多6度のヨーロッパ・ゴールデンシューを獲得し、CL得点王にも6度輝いている。
アルゼンチン代表において、最多出場記録、最多得点記録、最多アシスト記録を保持している。ユース世代においては、2005 FIFAワールドユース選手権に出場して優勝し、自身もゴールデンボール賞(MVP)とゴールデンシューズ賞(得点王)を受賞、2008年の北京オリンピックにも出場し、金メダルを獲得した。2014 FIFAワールドカップではアルゼンチンの準優勝に貢献し、大会MVPにあたるゴールデンボールを受賞した。コパ・アメリカ2021では得点王、アシスト王、MVPの"個人賞3冠"を達成し、アルゼンチンを28年ぶりのコパ・アメリカ優勝に導いた。2022 FIFAワールドカップではアルゼンチンを36年ぶりの優勝に導き、史上初となる2度目のゴールデンボールを受賞した。コパ・アメリカ2024ではアルゼンチンの2連覇に貢献し、通算最多出場試合数の記録保持者となった。また、FIFAワールドカップにおける通算最多出場試合数、最多出場時間数、最多アシスト数の記録保持者であり、ワールドカップ南米予選でも通算21得点を挙げ、同予選の歴代最多得点者となっている。
2012年、公式戦69試合に出場し91得点を記録した。これにより、1972年にゲルト・ミュラーが作った公式戦年間最多得点記録(85ゴール)を40年ぶりに塗り替えた。さらに、この年にまたがる2011-12シーズンのラ・リーガでシーズン37試合に出場して50得点を記録し、1976-77シーズンにリーガ1のディナモ・ブカレストでドゥドゥ・ゲオルゲスクが記録した47得点を抜き、欧州リーグにおけるシーズン最多得点記録を樹立した。この記録はギネス世界記録にも認定されている。
2009年から2014年までの6年間のうち5年間世界で最高年収のサッカー選手であり、2019年と2022年にフォーブスによるスポーツ選手長者番付で1位に選出された。2017年、FCバルセロナと当時スポーツ史上最高額となる4年総額705億円の契約を結んだ。フォーブスの2026年の調査によると、年収は1億4000万ドル(約224億円)、純資産は11億ドル(約1760億円)であり、世界長者番付のリストに名を連ねた。『TIME』誌の「世界で最も影響力のある100人」にも、2011年・2012年・2023年の3度選出されるなど、世界で最も有名なアスリートの1人である。2023年から2026年にアメリカの世論調査会社SSRSが実施した世論調査によると、アメリカで最も人気のあるプロスポーツ選手に複数回選出された。2025年、アメリカで文民最高位の勲章である大統領自由勲章を授与された。2006年から、アディダスとスポンサー契約を結んでおり、会社の主要なパートナーとしての地位を確立している。
アルゼンチンのロサリオで、父ホルヘ・メッシ、母セリア・クッシッティーニの3人目の子供として生まれた。
ホルヘはニューウェルズ・オールドボーイズの下部組織でサッカー選手になる夢を追ったが、その後、夜学に通い技術者となり、アルゼンチン有数の鉄鋼会社の工場にて管理職となった。 父方の祖先のアンジェロ・メッシは1883年にアルゼンチンに移住したアドリア海沿岸アンコーナ出身のイタリア移民、母方の祖先はカタルーニャにルーツをもつスペイン人である。
4歳の時に父親がコーチを務めるクラブで本格的にサッカーを始め、1995年に地元のクラブであるニューウェルズ・オールドボーイズに加入する。当時敵なしで「La Maquina del '87」と称えられたニューウェルズのユースチームの一員であったメッシはプレーしていた6年間の間に約500ゴールを記録した。
10歳の頃成長ホルモンの分泌異常の症状(成長ホルモン分泌不全性低身長症)が発覚、成長ホルモン投与などの治療を受けなければ身体が発達しないと診断された。
2年程はホルヘの会社の医療保険で治療費をまかなうことができたが、アルゼンチン経済の逼迫によりそれが打ち切られると、毎月1000ドル以上に及ぶ支払いは困難となった。ニューウェルズは当初治療費の工面に同意するが実際に支払われることはほとんど無かった。
メッシの憧れの選手であったパブロ・アイマールが所属するリーベル・プレートでトライアルを受けたものの、入団は叶わなかった。そんな折、ホルヘの元に一本の電話が入った。FCバルセロナと強いコネクションを持つ著名な代理人ホセ・マリア・ミンゲージャであった。アルゼンチンの天才少年のビデオを手に入れた彼はそれをFCバルセロナに送っていた。
13歳の時にFCバルセロナの加入テストに合格した。当時の監督カルロス・レシャックは彼のプレーを一目見ただけでその小さな身体に驚くべき才能と将来性が宿っていることを悟り、すぐさま合格を決めたが、当時ヨーロッパのクラブがメッシのような若い年齢の選手と契約することは珍しいことだったため、会長がなかなか契約を前に進めなかったため交渉は難航した。どうしても契約を逃したくなかったレシャックは、自身の権限の下でFCバルセロナはメッシと契約すると約束した。この時、レシャックは契約書の代わりになるものを持っていなかったために紙ナプキンにこの契約を書き留めた。その後FCバルセロナは家族揃ってのバルセロナへの移住を条件に治療費を全額負担することを約束し、家族もこれを快諾した。
2001年2月、メッシは家族と共にバルセロナへ渡りカンプ・ノウ近くのアパートで暮らし始めた。
2001年3月1日、正式契約を結びスペインでの生活を本格的に始めることとなったが、スペインでの最初の1年間はニューウェルズとの移籍交渉が難航していたため、親善試合とカタルーニャリーグにしか出場出来なかった。サッカー外では、メッシは内向的な性格であまり喋らなかったため、チームメイトと馴染むのに苦労した。さらに母が兄弟と妹のマリア・ソルと共に故郷に帰り父と2人で生活している時、メッシはホームシックにも苦しんでおり、スペイン在住となってからでもアルゼンチン時代の幼なじみや友人知人とはこまめに連絡を取り合っていた。
バルセロナ加入テストの時は身長143cm、体重35kgだったが、ホルモン治療のかいもあり、5年後には身長170cm、体重67kgまで成長した。
2002年2月、スペインサッカー連盟(RFEF)への選手登録が認められ、すべての公式大会に出場できるようになった。セスク・ファブレガスやジェラール・ピケらとも親交を深めた。14歳で成長ホルモン治療を終えると、クラブ史上屈指のユースチームと評された「ベビー・ドリームチーム」の中心選手となった。2002-03シーズンにはカデーテAの得点王となり、チームのリーグ、スペインのカップ戦、コパ・カタルーニャの3冠達成に貢献した。
同シーズンのコパ・カタルーニャ決勝では、直前のリーグ戦で頬骨を骨折していたため保護用マスクを着用して出場した。しかし、マスクがプレーの妨げになると自ら外し、その後2得点を挙げてエスパニョールに4-1で勝利した。この試合は「マスクの決勝」として知られるようになった。シーズン終了後にアーセナルから獲得の打診を受けたが、バルセロナに残留した。
2003-04シーズン、複数の育成年代のチームで相次いでデビューした。フベニールBではシーズン前に行われた4つの国際大会で大会最優秀選手に選出され、公式戦1試合に出場した後、フベニールAへ昇格した。フベニールAではリーグ戦11試合で18得点を記録した。
2003年11月16日、FCポルトとの親善試合で75分から途中出場し、16歳でトップチームデビューを果たした。そのプレーは技術スタッフから高く評価され、その後はバルセロナBの練習に毎日参加し、週に一度トップチームでも練習するようになった。トップチームでの初練習後、ロナウジーニョは当時16歳だったメッシについて、将来自分を上回る選手になるとの見方をチームメイトに示した。ロナウジーニョはメッシを「弟」と呼び、その親交はメッシがトップチームへ適応するうえで大きな助けとなった。
実戦経験を積むため、フベニールAと並行してバルセロナCでもプレーし、テルセーラ・ディビシオンで降格圏にいたチームの残留に貢献した。また、コパ・デル・レイ・フベニールでは8分間でハットトリックを達成した。
2004年2月4日、2012年までとなる初のプロ契約を締結し、当初の契約解除金は3000万ユーロに設定された。翌月にはセグンダ・ディビシオンBに所属するバルセロナBでデビューし、契約解除金は自動的に8000万ユーロへ引き上げられた。同シーズンはバルセロナBでは得点を記録しなかった。年齢や体格で上回る相手に対応するため、筋肉量や全身の強化にも取り組んだ。シーズン終盤に再び育成年代のチームでもプレーし、フベニールBのリーグ優勝に貢献した。
17歳となった2004年10月16日、第7節エスパニョール戦にてプリメーラ・ディビシオン公式戦プロデビューを果たす。
2005年5月1日の第34節アルバセテ・バロンピエ戦で初得点。17歳と10ヶ月7日で決めたこの得点は、後にメッシ自身のアシストからボージャン・クルキッチが17歳と51日で記録するまでクラブ史上最年少得点だった。このシーズンはレギュラー定着とはならなかったが、その才能をのぞかせ、リーガ制覇を経験した。
バルセロナと2014年まで契約期間を延長し、スペインの市民権を得て臨んだ2005-06シーズン、リュドヴィク・ジュリとの右ウィングのポジション争い時において、ジュリを上回る活躍を披露。ワールドユースも含めた質の高いプレーが人々に認知され、イタリアのスポーツ紙Tuttosportが選ぶゴールデンボーイ賞(U-21欧州最優秀選手賞)にクリスティアーノ・ロナウドやウェイン・ルーニーを抑えて選出された。UEFAチャンピオンズリーグのチェルシーFC戦第1戦をはじめ、相手左サイドをしばしば混乱に陥れるビッグプレーを見せたが、チェルシー戦の第2戦中に右足の筋肉を故障し、その後のシーズンを棒に振った。リーガでは17試合、チャンピオンズリーグでは6試合の出場に終わったが、チームはリーガ、チャンピオンズリーグの二冠を達成した。
故障による欠場が目立ったものの、右サイドから切れ込むドリブルが冴え渡り数々の印象的なプレイを披露する。バルセロナ最大のライバルであるレアル・マドリードとのエル・クラシコでは自身初のハットトリックを達成(試合結果は3-3)し、スペイン国王杯準決勝第1戦、ホームでのヘタフェ戦においては、センターサークル付近から5人をかわして得点を決めた。後者はアルゼンチンサッカー界の英雄ディエゴ・マラドーナの1986 FIFAワールドカップにおける伝説の5人抜きゴールとほぼ同じコースを辿った、同じ13回のタッチでのゴールであり、当時のリーガ最少失点チーム相手に繰り出した「マラドーナ2世」と呼ばれる彼の「後継者」たる所以を見せ付けたスーパープレーだった。第37節のエスパニョール戦では、マラドーナばりの「神の手」ゴールも記録した。チームはリーガ3連覇とチャンピオンズリーグ2連覇のどちらも達成できずに終わったが自身はリーグ、カップ合計で36試合に出場し17得点と奮闘した。
ジュリがローマに移籍したものの、プレミアリーグのアーセナルからフランス代表のエースストライカー、ティエリ・アンリがチームに加入し、サミュエル・エトー、ロナウジーニョにメッシと、4人のワールドクラスのFWを揃えた陣容は「ファンタスティック4」と呼ばれその圧倒的な攻撃力が期待されたが、アンリがチームのスタイルに合うまでに時間を擁し、エトーが負傷、ロナウジーニョが不調と、思うように攻撃陣が機能しない序盤戦、単独での突破から貴重なゴールを幾度となく決めチームを支え、欧州最優秀選手を選出するバロンドールではカカ、クリスティアーノ・ロナウドに次ぐ3位に選出された。
ACミランに移籍したロナウジーニョに代わって背番号10番を背負ってチームを牽引。これまで孤立しがちだった右サイドにダニエウ・アウヴェスという心強い相棒が加わったこともあって、前線のエトー、アンリと共にゴールを量産。初めて年間通して故障らしい故障もなく過ごし、チームはUEFAチャンピオンズリーグなどで優勝して三冠を達成。メッシは大会を通じて9得点を挙げ得点王となった。2008-09シーズンの総計38得点は、チーム得点王。リーガ第21節、ラシン・サンタンデール戦(エル・サルディネーロ)では、バルセロナのリーガ通算5000ゴール目を決めた。ラシン・サンタンデールは、リーガ初年度第1節(1929年2月12日、エル・サルディネーロ)でマヌエル・パレーラがバルセロナのリーガ初得点を記録した相手でもある。
第1戦は敗北したが第2戦のセビージャ戦ではハットトリックを達成し4-0で勝利し、シーズン最初のタイトルとなるスーペルコパ・デ・エスパーニャを獲得した。2010年11月29日に行われたクラシコでは、メッシがプレーメーカー的な役割に徹してバルセロナがジョゼ・モウリーニョ率いるレアル・マドリードに5-0の歴史的大勝を果たした。2011年1月10日、バルセロナの同僚でありワールドカップ優勝メンバーでもあるアンドレス・イニエスタとシャビ・エルナンデスを抑え、2年連続でバロンドールを受賞した。2年連続でバロンドールを受賞したのは史上6人目であり、複数回バロンドールを受賞するのは史上9人目の快挙である。バロンドールがFIFA最優秀選手賞と統合され、FIFAバロンドールとなってからは最初の受賞者となった。2011年2月5日、アトレティコマドリード戦で再びハットトリックを達成し、バルセロナのリーグ16連勝というリーガ記録の更新に貢献した。シーズン終盤、バルセロナは18日間で4つのクラシコを戦った。4月16日のリーグ戦はメッシのPKゴールで引き分けに終わった。マドリードで行われたチャンピオンズリーグ準決勝の第1戦で2ゴールをマークし、2点目に関してはレアルマドリードの3選手を抜き去るドリブルで、大会史上最高のゴールの一つと評価されている。第2戦は引き分けでバルセロナにチャンピオンズリーグ決勝進出をもたらし、5月28日、2年前に続きマンチェスターユナイテッドとの決勝でもゴールを決めて、ウェンブリーでマン・オブ・ザ・マッチを獲得する活躍を見せた。シーズンを通して12ゴールを記録して3年連続でCL得点王となった。シーズンを通してリーグ戦31ゴール18アシストを記録しアシスト王になり、チームのリーガ3連覇に貢献。公式戦では53ゴールを挙げてバルセロナの歴代単独トップスコアラーとなり、公式戦50ゴール以上を記録したスペインサッカー界初の選手となった
2010年のクラブでの活躍により、バロンドールとFIFA世界最優秀選手賞を統合した第1回FIFAバロンドールを受賞した。チャンピオンズリーグではルート・ファン・ニステルローイと並び大会史上最多タイとなる12得点を挙げ、3季連続の得点王を獲得。バルセロナの2シーズンぶりの優勝に貢献した。2011年8月25日には新たに設立されたUEFA欧州最優秀選手賞の初代受賞者に選出された。
開幕当初から度重なる負傷に悩まされ、11月10日のベティス戦では左足大腿の肉離れを起こし、1ヶ月半以上の離脱を強いられることとなった。2014年3月16日のオサスナ戦ではハットトリックを達成して親善試合&公式戦含めて通算371得点を記録、これによってパウリーノ・アルカンタラの記録を87年ぶりに更新しバルセロナ歴代最多得点者となった。続く3月23日のレアル・マドリード戦でもハットトリックを達成してエル・クラシコでの通算得点を21とし、アルフレッド・ディ・ステファノを抜いてクラシコ単独最多得点者となった。
新監督ルイス・エンリケの下ほぼ怪我なくシーズンをスタートさせ、年末にかけて記録更新を連発。2014年9月27日のグラナダ戦では2得点を決め、クラブ、代表合わせて公式戦通算400ゴールを達成した。11月22日のセビージャ戦ではハットトリックを達成してリーガ通算253得点を記録しテルモ・サラを抜いてリーガ最多得点記録者となった。11月25日のチャンピオンズリーグGS、APOEL戦では2試合連続、CLでは5度目のハットトリックによってラウル・ゴンサレスの71得点を抜いてCL累計74得点を記録し、CL歴代最多得点者となった。12月7日のエスパニョールとのダービーマッチでは再びハットトリックを達成して、エスパニョール相手としては通算12得点目、セサル・ロドリゲスの記録を更新しバルセロナダービの史上最多得点者となった。また親善試合と公式戦含めてクラブ通算400ゴールを達成した。2015年初め、バルセロナはまたもや不本意なシーズンに終わると思われ、メディアによってメッシがクラブを去るのではないかという臆測が再び広がっていた。転機となったのは、1月11日のアトレティコ・マドリード戦での3対1での勝利。「MSN」と呼ばれるメッシ、ルイス・スアレス、ネイマールのトリデンテがそれぞれ得点し、シーズン成功への幕開けとなった。シーズン後半からはルイス・スアレスの影響もあり、今までの中央の起用からかつてのように右ウィングで起用されることが多くなった。メッシの58ゴールを含め、シーズン終了時点で「MSNトリオ」はスペインサッカー界全人未踏のシーズン公式戦122ゴールを記録した
2015年3月8日のラージョ・バジェカーノ戦では公式戦32回目(リーガでは24回目)のハットトリックを達成し、テルモ・サラが保持していたスペインサッカー界、およびC.ロナウドが保持していたリーガでのハットトリック最多記録を更新した。また11分間でのハットトリック達成は自身最速記録となった。2月15日のレバンテ戦ではリーガ通算106アシスト目およびハットトリックを達成した。リーガではシーズンを通して18アシストを記録、通算2度目のアシスト王を獲得するとともにルイス・フィーゴが保持していたリーガ通算アシスト記録も更新した。4月18日のバレンシア戦ではバルセロナでの公式戦通算400ゴールを達成した。チャンピオンズリーグ準決勝ではかつての恩師、ジョゼップ・グアルディオラ率いる、バイエルン・ミュンヘンと対戦し、2ゴールを挙げ、前日にクリスティアーノ・ロナウドに抜かれたCL通算得点を77点とし、再びトップに立ち、決勝進出に貢献した。リーグ戦では5月17日のアトレティコ・マドリード戦、コパ・デル・レイでは決勝のアスレティック・ビルバオ戦でいずれも先制点を決め、 チャンピオンズリーグ決勝のユヴェントス戦では決勝点につながるシュートを打ちチームの史上初の2度目三冠達成に大きく貢献した。チャンピオンズリーグではネイマール、クリスティアーノ・ロナウドと並びCL得点王に輝いた。特にコパ・デル・レイ決勝のハーフウェイライン付近でボールを受けて、4人の選手を抜き、キーパーをフェイントでかわし、ニアポストの狭いスペースに決めた先制ゴールはキャリアで最も素晴らしいゴールの一つと評価されている。
10月19日のチャンピオンズリーグ、マンチェスター・シティ戦ではチャンピオンズリーグ単独最多の7度目のハットトリックを達成した。11月6日のリーグ11節セビージャ戦ではクラブ通算500ゴールを達成した。2017年3月19日のバレンシア戦では2ゴールを決め、8シーズン連続リーグ戦25ゴール、および公式戦40ゴール越えを達成した。4月23日、レアル・マドリードとのエル・クラシコでは決勝点を含む2ゴールを決めてクラブでの公式戦通算500ゴールを達成した。
2017年7月5日、バルセロナと当時スポーツ史上最高額となる4年総額705億円の契約を結んだ。これにより税控除後の年俸は4000万ユーロになるとのことである。
2017年10月1日、ラス・パルマス戦に出場し、公式戦594試合出場を果たした。これによりカルレス・プジョルの記録を上回って、クラブ歴代3位の出場回数となった。10月18日、UEFAチャンピオンズリーグ・グループステージのオリンピアコス戦で欧州カップ戦通算100ゴールを達成した。11月1日にリーガのセビージャ戦に出場し公式戦600試合出場を果たした。2018年3月14日に行われたUEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦第2戦のチェルシー戦では2ゴールを決め欧州CL通算100ゴールを史上最速(123試合)で達成した。2018年5月にキャプテンであったアンドレス・イニエスタが退団したことで、メッシは次のシーズンにチームの新キャプテンに選ばれた。
2018年8月12日、スペールコパでセビージャを2-1で下し、バルセロナのキャプテンになってから初めてタイトルを獲得した。 これによりバルセロナでの自身のタイトル獲得数が33個になり並んでいたイニエスタを抜き単独でチーム歴代最多記録となった。チャンピオンズリーググループステージ第1節PSV戦でハットトリック (直接FK1本を含む) を達成した。10月20日、メッシはセビージャ戦でゴールとアシストをそれぞれ決めていたが26分に右腕から激しく転倒し負傷退場を余儀なくされた。検査の結果、橈骨の骨折と診断され3週間の欠場を余儀なくされた。12月16日、アウェイのレバンテUD戦で2アシストと2018年50ゴール目と同時に自身通算43回目であるハットトリックを決めた。2019年1月13日、リーガ出場435試合目のホームのエイバル戦でリーガ400ゴール目を挙げチームも3-0で勝利した。そしてメッシは欧州5大リーグにおいて1つのリーグだけで400ゴールを決めた最初の選手となった。2019年1月17日、国王杯5回戦第2戦のレバンテ戦でデンベレの2ゴールをアシストし自身もゴールを決めチームの準々決勝進出に貢献した。レバンテ戦で決めたこのゴールは国王杯での通算49ゴール目でありバルセロナにおける国王杯でのゴール数でラディスラオ・クバラと並んで歴代2位に浮上した。1月30日、国王杯準々決勝第2戦のセビージャ戦では国王杯通算50ゴール目を決めクバラのゴール記録を抜きバルセロナにおける国王杯得点数で歴代単独2位に浮上した。2月2日、リーガのバレンシア戦でチームの2点目をPKで決めた。このPKでのゴールによってクリスティアーノ・ロナウド、ウーゴ・サンチェスに続いてリーガにおいてPKで50ゴールを決めた3人目の選手となった。2月23日、アウェイのセビージャ戦でキャリア通算650ゴールを決めるとともに通算50回目のハットトリックを達成した。3月17日、アウェイのレアル・ベティス戦で相手サポータからの喝采を浴びたループゴールを含むキャリア通算51回目のハットトリックを達成した。4月16日、チャンピオンズリーグ準々決勝第2戦のマンチェスター・ユナイテッド戦で2ゴールを挙げチームの準決勝進出に貢献した。4月27日、レバンテ戦では途中出場から決勝点となるゴールを挙げその試合での勝利により自身10回目となるリーガ優勝が確定した。2019年5月2日、チャンピオンズリーグ準決勝第1戦のリヴァプール戦でクラブ通算600ゴールとなるFKゴールを含む2ゴールを決めた。しかしその後の第2戦で4-0の大敗を喫しチャンピオンズリーグで2年連続の逆転負けを味わうこととなった。5月19日、ホームで行われたリーガ最終節となるエイバル戦でチームは2-2のドローに終わったが自身は2ゴールを決めリーガ通算34試合36ゴールの成績でテルモ・サラと並ぶ史上最多6度目のリーガ得点王になり同じく史上最多6度目のピチーチを受賞することが決定した。
2020年8月25日、「スアレスに対するフロントの態度など、クラブに対して不信感が増したメッシが、バルセロナに退団の意思を表明するブロファックス を送った」と報道され、間もなくクラブも事実を認めた。このニュースは全世界に衝撃を持って伝えられた。メッシ側は、「2021年6月まで契約が残っているものの、現在の契約には契約解除金が無効となり、フリー移籍できるようになるという条項が含まれており、行使できる期限は過ぎているが、新型コロナウイルスの影響でリーグが中断された時期があったため、まだ有効である」と主張した。これに対して、バルセロナ側は「契約の有効期限は過ぎており、メッシが退団するのには、7億ユーロの契約解除金が払われたときのみ」だと主張し、両者の言い分が食い違った。8月30日、ラ・リーガが声明を発表し「メッシとバルセロナとの契約は現在も有効であり、契約に定められた違約金が支払われない場合は、移籍証明書は発行しない」として、バルセロナ側を支持した。メッシは、8月30日に行われた新型コロナウイルス検査を無断欠席し、翌31日の練習にも姿を見せなかった。9月4日、メッシの父で、代理人のホルヘ・メッシは、ラ・リーガの声明に対し、「根拠が不明で、解釈が間違いである」と声明を発表。すぐに、ラ・リーガ側も反論するなど、事態は泥沼化の様相を呈したかと思われたが、その夜、メッシは、「Goal.com」のインタビューで、バルセロナに残留することを発表した。インタビューの中メッシは、「1年を通してジョゼップ・マリア・バルトメウ会長に、退団の意思を告げていた」こと、「会長は、シーズン終了後に退団か残留かをメッシ自身が決められると言っていたが、その言葉は守られなかった」こと、「会長に、7億ユーロの契約解除金を払うだけが退団する唯一の方法だと言われた」こと、「移籍する唯一の方法がバルセロナと裁判で戦うことだったが、愛するクラブを相手取って法廷に立つなんて、絶対に考えられない」ことなど、残留を決めた理由、バルセロナへの思いなどを語った。9月7日、残留発表後初めて練習場に姿を見せた。
2020年12月23日、レアル・バリャドリード戦で決めた得点がクラブ通算644得点目となり、ペレが記録した同一クラブでの世界最多得点記録を更新した。2021年1月17日、スーペルコパ決勝のアスレティック・ビルバオ戦で延長後半アディショナルタイムにボールに関係のないところで相手MFアシエル・ビジャリブレを後ろから殴り倒し、バルセロナで初めて一発レッドで退場処分となった。2月1日、エル・ムンド紙はメッシとバルセロナの間で2017年に結ばれた契約書のコピーの一部を公開し、 4年間の年俸総額が5億5500万ユーロ(約705億円)に上ると報じられた。 1月にバルセロナの負債額が11億7300万ユーロ(約1466億2500万円)に膨れ上がっており、短期的な債務は7億3000万ユーロ(約912億5000万円)に達していることが大きく報じられており、このリークは「バルサを破滅させるメッシの豪勢な契約」の見出しで大々的に報じられた。3月10日、チャンピオンズリーグ・ベスト16のパリ・サンジェルマン戦第2戦で、欧州CL通算120点目を決め、クリスティーアーノ・ロナウドより1試合少ない149試合目で達成した。しかし、チームは2戦合計2-5で敗れ敗退、クリスティアーノ・ロナウドのユヴェントスもポルトに敗れ、2人が準々決勝で不在となるのは2004-05シーズン以来、16シーズンぶりとなった。
2023年6月7日、インテル・マイアミCFはメッシとの契約合意を発表した。7月15日、正式に2年半契約での加入が発表された。背番号は10番を着用する。リーグ戦では6試合出場で1得点2アシストと大きなインパクトはなかったが、加入直後に行われたリーグスカップでは7試合で10得点4アシストを記録し、得点王と大会最優秀選手に選出された。決勝ではナッシュビルSCと1-1で引き分けた後、PK戦を制し、クラブ史上初のタイトル獲得に貢献した。。このシーズンのクラブの年間MVPに選出された。
10月30日にはワールドカップ優勝に大きく貢献したことが高く評価され、8回目のバロンドールを受賞した。12月には『タイム誌』の「年間最優秀アスリート」に、サッカー選手として初めて選出された。メッシの加入は、インテル・マイアミのみならず、アメリカ合衆国におけるMLSへの関心にも大きな影響を与えた。この現象はメディアから「メッシマニア」と呼ばれ、インテル・マイアミの試合では完売が相次いだ。『タイム誌』は、メッシの加入後に観客動員、チケット価格、グッズ販売、視聴数が急増し、メッシがアメリカのサッカーに大きな刺激を与えたと評した。
2023年9月時点で、インテル・マイアミの観客動員が前年より36パーセント増加した。また、メッシがインテル・マイアミでデビューした日には、配信サービス「MLS Season Pass」に11万75件の新規登録があり、2023年シーズン開幕日の登録数を280パーセント上回った。メッシの背番号10のユニフォームは、発売から45分以内に同シーズンの他の全選手を上回り、MLS公式ストア史上最も売れたユニフォームとなった。。メッシの加入はMLSの国内観客動員記録の更新と、国外におけるリーグの知名度向上に寄与した。
2024年シーズン、公式戦12試合出場時点で12得点13アシストという記録的な活躍で、カルロス・ベラが保持していた開幕からの25得点に直接関与した歴代最速記録(18試合)を塗り替えた。2024年5月4日のニューヨーク・レッドブルズ戦では、1試合5アシストというMLS新記録を樹立し、1得点と合わせて1試合6得点関与もリーグ新記録となった。。10月2日のコロンバス・クルー戦では2得点を挙げ、3-2での勝利とクラブ史上初のサポーターズ・シールド獲得に貢献した。。 最終節では途中出場から10分間でハットトリックを決め勝利に貢献、シーズンをリーグ戦19試合20得点16アシストで終え、クラブはMLSの当時のシーズン最多記録となる勝ち点74を記録した。クラブは初めてMLSカップ・プレーオフに進出したが、第1ラウンドでアトランタ・ユナイテッドFCに敗れた。シーズン終了後、MLS最優秀選手賞を受賞した。
2025年シーズンの第22節、1人だけでドリブルで相手守備陣4人を切り裂きスーパーゴールを決めた。レギュラーシーズン28試合に出場し、ともにリーグ最多の29得点、19アシストをマーク。加えてMLSカップ・プレーオフでは6試合6得点9アシストを記録し、単一ポストシーズンの最多得点関与記録を更新した。。MLSカップ決勝では2アシストを記録し、バンクーバー・ホワイトキャップスを3-1で破ってクラブ史上初のリーグ優勝に貢献した。試合後にはMLSカップ最優秀選手に選出された。シーズン終了後には2年連続でMLS最優秀選手賞を受賞し、同賞を連続受賞したリーグ史上初の選手となった。 また、MLS史上初めて同一シーズンの異なる10試合で複数ゴールを決めた。2026年3月18日、CONCACAFチャンピオンズカップのナッシュビルSC戦で、クラブと代表を合わせた公式戦通算900得点目を記録した。男子のトップレベルのサッカーにおいて、クリスティアーノ・ロナウドに次いで通算900得点へ到達した2人目の選手となった。。
2005年6-7月にオランダで開催されたFIFAワールドユース選手権にアルゼンチン代表として参加し、エースとしてチームを牽引した。決勝のナイジェリア戦では自身がドリブルを仕掛け獲得したPKから先制点を、セルヒオ・アグエロが獲得したPKから同点にされた後の勝ち越しゴールを決め、優勝に大きく貢献。大会を通じて6得点、得点王と最優秀選手を獲得する大活躍を見せた。この活躍がフル代表監督ホセ・ペケルマンの目に止まり、同年8月17日のハンガリー戦でフル代表デビューを果たした。この試合では63分に途中出場したものの、そのわずか40秒後に相手選手に肘打ちを入れレッドカードを受け、涙を流しながら退場というほろ苦いデビューであった。
2006年夏にドイツで開催された2006 FIFAワールドカップでは怪我の回復が危惧されたが、プレイ可能な状態にまで回復し、代表に選出された。レギュラーとしての出場ではなかったが、グループステージのセルビア・モンテネグロ戦にて、W杯でのアルゼンチン代表の最年少出場、最年少アシスト、最年少得点を記録する活躍をみせ、死のグループとも形容されたグループCの突破に貢献した。しかし、チームは準々決勝で開催国ドイツに敗れた。
2007年夏に母国アルゼンチンで開催されたFIFA U-20ワールドカップには出場資格を持っていたものの、既にフル代表に定着していた自身は辞退、フル代表が臨むコパ・アメリカ2007へ出場した。レギュラーを徐々に手繰り寄せていた彼は、準々決勝のペルー戦、準決勝のメキシコ戦で得点を決めるなどチームの決勝進出に貢献。しかし、決勝のブラジル戦で敗れ、準優勝に終わった。
2008年夏に北京で開催された北京オリンピックではグループリーグ1試合目のコートジボワール戦で大会初得点を挙げチームの2得点目をアシストした。準々決勝のオランダ戦では1得点を挙げ1-1の同点で延長戦に突入したが決勝点である2得点目をアシストしアルゼンチンが勝利した。準決勝ではブラジルと対戦、3-0でアルゼンチンが圧勝して決勝へ勝ち進んだ。決勝ではナイジェリア戦では唯一の得点をアシストした。最終的に1-0でアルゼンチンが勝利し金メダルを獲得した。
2010年夏に南アフリカで開催された2010 FIFAワールドカップでは大会最大の注目選手として臨み、マラドーナと同じトップ下でプレー。グループリーグ第3戦のギリシャ戦では初めてキャプテンを務め、大会選定のマン・オブ・ザ・マッチに選出される活躍を見せた。チームはベスト4の座を懸けたドイツ戦で完敗し、自身も30本のシュートを打つも無得点に終わる。
コパ・アメリカ2011では準々決勝で敗退し、自身も無得点に終わった。大会後に新たにアルゼンチン代表の監督に就任したアレハンドロ・サベーラからチームの新キャプテンに任命され、9月3日のベネズエラ戦ではキャプテンとしてプレーした。2012年2月29日のスイスとの親善試合で、代表では初めてとなるハットトリックを達成した。
2013年6月14日にグアテマラとの親善試合においてハットトリックを決め、これによって代表通算得点を35得点としディエゴ・マラドーナの代表通算34得点を抜き、アルゼンチン代表の得点数でエルナン・クレスポと並んで歴代2位タイに浮上した。
2014 FIFAワールドカップ大会前、メッシはバルセロナで怪我に悩まされていたシーズンを送っていたため、コンディションが懸念されていた。しかし大会が始まるとその不安は払拭された。グループリーグ初戦であるボスニア・ヘルツェゴビナ戦ではフリーキックからセアド・コラシナツのオウンゴールを誘い、ドリブルで次々相手を抜き、追加点となる2点目を決め8年ぶりのW杯での得点を挙げた<。グループリーグ2戦目のイラン戦では、ロスタイムにゴールから約23mの位置からミドルシュートを放ち、決勝弾となる得点を挙げた。グループリーグ最終戦のナイジェリア戦では、キーパーが弾いたこぼれ球を、弾丸シュートでゴールに押し込み先制点を挙げ、逆転弾となるFKゴールを決めた。トーナメント戦に入りベスト16のスイス戦では、4人抜きのドリブルをして決定機を作り、延長後半にはディマリアの決勝弾をアシストした。メッシはここまでの4試合全てでマンオブザマッチを獲得している。準々決勝のベルギー戦では、決勝弾の起点となった。アルゼンチンにとって1990年以来の準決勝となったオランダ戦では、ドリブルやパスからいくつもの決定機を作るもPK戦に突入し、チーム最初のPKキッカーとしてPKを成功させた。そしてチームもPK戦を4-2で制し決勝進出となった。決勝のドイツ戦ではゴールへの起点となっていたが、ゴールは入ることはなく、延長の113分にマリオ・ゲッツェが決勝弾を挙げ、アルゼンチンは準優勝に終わったがメッシは得点王ランキングで3位に位置する4得点と1アシストを挙げ、最も決定機を作り出し、最もドリブルを成功させた選手 として大会最優秀選手のゴールデンボール賞を受賞した。
コパ・アメリカ2015では決勝で敗れ準優勝。同大会最優秀選手の受賞が決まっていたものの受賞を辞退。同賞は空席となった。
9月4日のボリビアとの親善試合では途中出場で2得点を決め、南米のチーム全てに得点した史上4人目の選手となった。
開幕前に負傷し臨んだコパ・アメリカ・センテナリオでは、2016年6月10日に行なわれたグループリーグ第2戦のパナマ戦で61分から途中出場しハットトリックを達成。6月18日、準々決勝のベネズエラ戦では先発に復帰し、1得点2アシストの活躍で勝利に貢献。続く6月22日の準決勝アメリカ戦では直接フリーキックを決めて代表通算55得点とし、アルゼンチン代表最多得点記録を更新した。チームは3年連続で国際大会の決勝に進出するものの、因縁の再戦が実現したチリ戦では延長戦の末スコアレスドローで2大会連続でPK戦にもつれこむ。PK戦では自身もPKを失敗して2-4で敗れ、3年連続で決勝で敗退しタイトルを逃した。
コパ・アメリカ・センテナリオ大会の終了後、代表引退を示唆するコメントを残した が、8月12日、母国への愛情を理由に引退表明を撤回。引退騒動後最初の試合となったワールドカップ地区予選のウルグアイ戦では決勝点を挙げた。
アルゼンチンがワールドカップ出場圏外の6位で迎えた同予選最終節のエクアドル戦では、同点ゴール、逆転ゴールを含むハットトリックの活躍で全3得点を挙げ、アルゼンチンをワールドカップ出場に導いた。さらにこの試合で南米予選21ゴールを記録し、南米予選最多得点記録を樹立した。メッシがチームのワールドカップ予選敗退の危機を救った後の2018年3月アルゼンチン代表は親善試合でスペイン代表と対戦した。メッシは怪我を負っていたため試合には出場しなかった。その結果アルゼンチン代表はスペイン代表に1-6で敗れた。この点差は代表歴代ワーストタイの最大差敗戦である。
2018 FIFAワールドカップではグループリーグの第1戦アイスランド戦で自身がPKを外してしまいチームは1-1の同点に終わる。第2戦のクロアチア戦では0-3でアルゼンチン代表が敗北した。この状況について監督であるホルヘ・サンパオリはアルゼンチン代表について「メッシの輝きを曇らせているのがアルゼンチン代表の現実だ」と語っている。クロアチアのミッドフィールダーのルカ・モドリッチも、「メッシは信じられない選手だけど、彼がすべてを1人でできるわけがない」と述べている。グループリーグ最終戦のナイジェリア戦では バネガからのロングパスを2回のタッチでボールをコントロールし、右足でゴールした。この得点によりアルゼンチン人ではディエゴ・マラドーナ、ガブリエル・バティストゥータ以来3人目のワールドカップ3大会での得点を達成し10代、20代、30代それぞれの世代で得点したワールドカップ史上初の選手となった。決勝トーナメント1回戦のフランス戦ではガブリエル・メルカドとセルヒオ・アグエロへのアシストをして2アシストを記録した。これによりワールドカップで4大会連続アシストをしたワールドカップ史上初の選手となった。しかしアルゼンチンは3-4でフランスに敗れ、ベスト16で敗退した。
2019年3月22日の国際親善試合のベネズエラ戦で代表復帰したものの、1-3で敗れた。コパ・アメリカ2019の代表メンバーに選ばれた。開幕から低調なスタートを切ったが自身はパラグアイ戦でPKを決めそれ以降チームの組織力が上がりグループステージ最後の試合であるカタール戦、準々決勝のベネズエラ戦ではそれぞれ無失点に抑え2点を決め勝利を収めた。しかし準決勝のブラジル戦では0-2の完封負け、試合後は協会、メディアなどと共に審判の曖昧なジャッジを批判した。続く3位決定戦のチリ戦では、アグエロへのアシストや共存不可能と言われていたディバラへチャンスメークを見せていたものの前半31分の場面で、ガリー・メデルと小競り合いを起こして一発退場となった。試合にはアルゼンチンが勝利しアルゼンチンは3位で大会を終えたが、メッシは抗議の気持ちを示すために試合後の表彰式に参加せずメダルを受け取らなかった、この一連の行動は多方面から批判を浴びることになった。南米サッカー連盟はこの一連の不適切発言と問題行動に対して、2019年8月2日、5万ドル(約550万円)の罰金と3か月の出場停止処分を科した。
ブラジルで開催されたコパ・アメリカ2021グループリーグ開幕戦のチリ戦で、フリーキックから得点を決めた。このゴールにより、クリスティアーノ・ロナウドが持つキャリア通算フリーキック得点数56を超え、現役サッカー選手で最も多くのフリーキックゴールを記録した。6月28日、グループリーグ第4戦のボリビア戦に4-1で勝利したメッシは、ハビエル・マスチェラーノが持つアルゼンチン代表最多出場記録を超える148試合目の出場を果たした。7月10日、アルゼンチンは決勝で開催国のブラジルを1-0で破り、アルゼンチン代表は1993年以来初、メッシはA代表初タイトルを手にした。7試合で4ゴール5アシストを記録しアルゼンチンが決めた12ゴールのうち9ゴールに直接関与、ブラジルのネイマールとともに大会最優秀選手に選ばれた。またルイス・フェルナンド・ディアス・マルランダと共に大会得点王、そしてアシスト王にも輝き個人タイトル3冠も果たした
2021年9月9日、2022 FIFAワールドカップ予選のボリビア戦でハットトリックを達成し、ペレを上回る79点目を挙げ南米の選手として代表最多得点者となった。
2022年6月1日、ウェンブリー・スタジアムで行われたCONMEBOL-UEFAチャンピオンズカップ第3回大会のフィナリッシマ2022で、アルゼンチンはイタリアに3-0で勝利し、メッシは2アシストを挙げこの試合の最優秀選手に選出、A代表では2個目のトロフィーを獲得した。6月5日、エストニア戦で自身としてはチャンピオンズリーグ2011-12シーズンのレヴァークーゼン戦以来2度目の1試合5ゴールを記録。代表通算86点目に到達し、通算得点数においてフェレンツ・プスカシュを抜き世界歴代4位となった。また、キャリアを通じてゴールとアシストの合計が「1100」に到達した史上初の選手となった。
2022 FIFAワールドカップのグループステージ初戦、サウジアラビア戦に出場してW杯史上5人目となる5大会連続出場を果たすと、PKで先制して大会初ゴールを決める。しかしその後チームは逆転され大金星を献上した。メキシコ戦では同じく5大会連続出場のGKギジェルモ・オチョアから均衡を破る先制点を挙げると、エンソ・フェルナンデスへのアシストを記録、W杯史上初となる5大会連続でアシストを挙げた選手となった。その後のポーランド戦で勝利を収め決勝トーナメント進出を果たし、W杯決勝トーナメントに最も多く進出した選手(5回)となった。決勝トーナメント ラウンド16のオーストラリア戦で出場を果たすとキャリア通算1000試合目に到達、フリーキックから均衡を破る先制点を挙げた。準々決勝のオランダ戦ではナウエル・モリーナへの絶妙なパスで得点をアシストすると、PKで追加点を決めた。その後後半終了直前に追いつかれPK戦に突入するが1番手として決め勝利に貢献した。準決勝であるクロアチア戦では随所で特徴を発揮し、大会最高のパフォーマンスを見せていたヨシュコ・グヴァルディオールら相手ディフェンダー陣をドリブルで翻弄してチームの2点目をアシストするなど存在感を大きく示した。またPKを決めてW杯通算11得点目に到達、並んでいたガブリエル・バティストゥータの得点数を抜いてアルゼンチン代表のW杯最多得点記録を更新し(最終的に13得点)、これでW杯初ゴールと最後のゴールの間隔は16年180日となり歴代最長記録となった。クロアチア代表のズラトコ・ダリッチ監督は「彼は世界最高の選手。危険だったし、質も高かった。真のメッシだった」と語った。決勝ではW杯の出場数が通算26試合目に到達、ローター・マテウスのW杯歴代最多出場記録、パオロ・マルディーニの出場最多時間記録(2216分)を更新した。決勝でも3点全てに絡む活躍(内2得点)で、アルゼンチンにとっては36年ぶり、自身にとっては初となる悲願のワールドカップ優勝を果たした。上記にある通り、今大会でメッシは様々なW杯の記録を更新している。W杯1大会で決勝トーナメントの各ラウンドで得点するという前人未踏の偉業を達成、試合において最も活躍した選手に贈られるマン・オブ・ザ・マッチ(MOM)の通算受賞回数が大会史上最多11回を記録、7試合全てでフル出場で7得点3アシストを記録、W杯での得点とアシスト数を合計した数が通算21得点に到達し、得点関与数の歴代最多記録を更新、勝利数もミロスラフ・クローゼに並び最多(17勝)に到達、キャプテンとしてのW杯歴代最多出場記録21試合、決勝トーナメントにおける歴代最多アシスト記録6アシストに到達、得点関与した試合が14試合とこれも歴代最多記録となっている。得点とアシスト数を合計した得点関与数が10と今大会トップ、アシスト王(3アシスト)、マン・オブ・ザ・マッチ受賞数が今大会最多(5回)、シルバーブーツ(得点ランキング2位)である功績が認められW杯史上初となる2度目の大会MVPも受賞した。優勝翌日のアルゼンチンの朝刊はどの新聞も一面にメッシの写真を掲載し「ありがとう」「永遠の栄光だ」などといった見出しで活躍を讃えた。
2023年3月下旬、W杯優勝後初のアルゼンチンでの代表ウィークでは凱旋試合ということもあり熱狂的に迎えられた。試合前に街で家族と食事をとっていたところ、レストランの周囲には人だかりが出来上がり、群衆はチャントを歌い、メッシの名を呼んだ。またAFA(アルゼンチンサッカー協会)はメッシに敬意を表して代表の拠点であり協会本部の名称を「リオネル・アンドレス・メッシ」とすることを発表した。またCONMEBOLはリベルタドーレス杯の組み合わせ抽選会の前に等身大の銅像を贈呈した。銅像は南米サッカー連盟の博物館で同じくW杯で優勝した南米の代表的な選手であるペレ、ディエゴ・マラドーナの像に並んで設置された。
3月23日、親善試合のパナマ戦でフリーキックで得点を挙げた。この得点で史上二人目となるキャリア通算800得点を達成した。3月28日、キュラソー戦で前半のみで代表8度目となるハットトリックを記録、南米人としては史上初となる代表通算100得点を達成した。
コパ・アメリカ2024では、史上最多出場記録を樹立した。決勝で先発出場したが、後半66分に負傷で交代を余儀なくされ、ベンチで涙を流した。チームは延長戦の末に勝利し、2連覇を果たした。また、史上最多優勝記録を樹立した。
2026 FIFAワールドカップ・南米予選の第10節ではボリビアと対戦し、ハットトリックと2アシストを決め6-0の勝利に貢献した。
2026 FIFAワールドカップで6日目の1次リーグJ組の対アルジェリア戦に出場し、史上初の6大会連続出場を果たした。この出場でW杯通算27試合出場となり、自身の歴代最多出場記録を更新。さらにアルゼンチン史上初となる同国代表通算200試合出場の節目にも到達。試合では自身初となるワールドカップでのハットトリックを記録し、38歳357日でのハットトリックは2018年大会でクリスティアーノ・ロナウドが記録した33歳130日を抜いて最年長記録となった。これによってアルゼンチン代表における「史上最年少得点記録」と「史上最年長得点記録」を同時に保持している状態になった。W杯本大会の通算得点も16に伸ばし、歴代得点ランキングでミロスラフ・クローゼと並ぶ最多記録タイとなった。1次リーグJ組2節目のオーストリア戦でも2得点を決めて、2-0の勝利に貢献した。また、上記のアルゼンチン代表史上最年長得点記録およびW杯本大会の通算得点を更新しただけでなく、W杯通算出場数「28」、W杯通算勝利数「18」、W杯通算出場時間「2489分」はいずれもW杯史上最多記録となった。1次リーグJ組3節目のヨルダン戦では途中出場ながら直接フリーキックで得点し、W杯通算得点を19得点にし、最多記録を更新した。また2022年カタール大会の決勝トーナメント1回戦から7試合連続得点を達成したことで、ジュスト・フォンテーヌとジャイルジーニョに並んでいたW杯連続試合得点の最長記録を56年ぶりに更新した。なおアルゼンチン代表はこの試合を勝利したことでブラジル、ドイツ(西ドイツ時代含む)に続くW杯通算50勝に到達した。決勝トーナメント1回戦カボベルデ戦でも先制点を決めると、CKから相手のオウンゴールを誘って勝利した。準決勝のイングランド戦でも右サイドから好機を演出し、エンソ・フェルナンデスとラウタロ・マルティネスの得点をアシストするなど、決勝進出に貢献した。
瞬発力と敏捷性、卓越したボールコントロールを生かした突破力やキープ力は他の追随を許さない。加えて、シュートセンスも世界トップクラスである。また、極めて高いパスセンスや展開力も兼ね備えておりアシストも量産する。オフ・ザ・ボールの動きも秀逸で相手DFのマークを外すことも得意である。
WGとしても、STとしても、CFとしても対応できる世界最高のドリブラーであり、パサーであり、チャンスメーカーであり、フィニッシャーでもある多才な選手である。幼少期の好きなポジションは、アルゼンチンではエンガンチェと呼ばれるトップ下の役割だったが、バルセロナのユースでは左ウイングまたは左フォワードとしてキャリアをスタートさせた。バルセロナのファーストチームのデビュー戦で、フランク・ライカールト監督によって右ウイングを持ち場とされ、サイドを深くえぐってからのセンタリングや、ドリブルで内側へ切り込んでからのシュートを武器としていた。グアルディオラ監督の采配により0トップ布陣の中央へ移動しシステム上はストライカー(=9番)だが、9番が本来いるべきポジションを無視して中盤やサイドへ流れて相手を引きつけチームメートが攻め上がるためのスペースを巧みに作り出し、メッシの武器であるドリブルやアタッカー陣と連動して相手DFに全く的を絞らせない流動的な攻撃を実現するために、センターフォワードよりも下がった位置で動き回る「ファルソ・ヌエベ(偽の9番)」の役割を会得。2014-15シーズン途中からはルイス・スアレスの加入もあり、新しく監督に就任したルイス・エンリケがキャリア初期を象徴する右ウイングにポジションを移したが、試合中は右サイドに張ったポジショニングではなくやや中央に寄った位置でプレーし、ネイマールやスアレスらと強力なコンビネーションを見せ、メディアやファンからはMSNや南米トリデンテという呼び名でこのトリオは親しまれていた。2017-18シーズンに新監督として就任したエルネスト・バルベルデが基本フォーメーションを4-4-2に変更して以降、メッシは2トップの右CFで起用されている。
決して恵まれた身長とは言えないがバランス感覚に秀でており激しい当たりを受けても簡単に倒れず、そのため自分より大きなDFにも対応が可能である。こぼれ球の処理にも秀でている。プレースキッカーとしても優れており、直接FKからの得点も彼の武器である。
タイミングの取り方が他の選手に比べ細かい。たとえば、ふつうの選手が「タン、タン、タン」と一拍のリズムで動くところを、メッシは0.5拍で「タ・タン、タ・タン、タ・タン」と刻むように進む。この細かいリズムにより、メッシは相手が1歩を踏み出している途中のタイミングでサッと逆に切り替えしたり、シュートを打つため、マーカーは付いていけない。このリズム感も、メッシの武器である。このようなリズムを生む要素はいくつかある。一つは、歩幅の短さ。二つ目は、ドリブルタッチの細かさ。そしてもう一つ特徴的なのは、ドリブルをする際に、ボールタッチと歩みが同じ動きの中で行われていることである。
どんなボールが来ても確実に自分の足元(大概は左足側)にトラップすることができ、そのトラップによりドリブルなどの次の動作に移りやすくなる。メッシが止めるボールの位置は相手が触れられない場所にあってパス、ドリブル、シュートどの選択肢も行動可能な状態となるため相手は迂闊にボールを取りに行けばかわされることが見えているので、相手はその選択肢を全て考えながら守備をしないといけなくなりメッシの次の動作を待つしかなくなる状態となる。
視野を広く保ち、味方と相手の選手の位置や距離感などが常に分かっている。そのため自分の次の行動につなげる情報が豊富に揃い、さらにトラップテクニックを有することで、プレーの幅が増えている。また、味方だけでなく、相手選手についても全体を通して見えており、相手選手がどのように自分に向かって来るのかも分かる。このように視野を広く保ち状況判断がしっかりとしているため、数プレー先のことを考えながらプレーすることができる。メッシはその視野を生かし、味方の動きを利用し、パスを出すフェイントをしたり、味方が作ったコースにドリブルで侵入したりする。
2008-09シーズンから2018-19シーズン現在まで11シーズン連続でFKゴールを決めておりデビュー以来FKゴール数は年々増加している。そのメッシのFKについてスペイン紙マルカは「メッシはプラスチックの壁との練習で技を磨き、前よりも素晴らしい蹴り方を生み出した。以前までのメッシは、右足の外側で全体重のバランスを支えており、それが安定感と正確性を失わせていた。しかし、今の彼は軸足の角度を50度に保っている。これによって蹴る前に右足全体がしっかりと地面に接地し、キックが安定するようになった。また、ボールをより巧く叩けるように、肩と胸をアーチ状に曲げている。さらに身体の捻りも初期の頃と比べると変化しており、動作がよりコンパクトになっている」と重要なのは軸足だと分析している。FCバルセロナのユース組織ラ・マシア時代はビクトル・バスケスやファンホ・クラウジらがキッカーを務め、メッシはキッカーの候補にも挙がらなかった。しかし、アルゼンチン代表での練習中にフリーキックが決まらず苛立っていたメッシに当時代表監督だったディエゴ・マラドーナが声をかけ「足をそんなに速くボールから離してはいけない。それでは自分の意志をボールに伝えられない」とアドバイスをして練習を行ったことで飛躍的にフリーキックを向上させた。
メッシ自身は自らのプレーがラ・マシアで培われたバルセロナのスタイルに起因するところが大きいとし、直感を重視して本能的にプレーしていると述べている。
その正確無比なプレーはしばしば「プレイステーションの中の選手のようだ」と喩えられることがある。
近年では、加齢のため走行距離が少なく試合中の多くの時間を歩いてプレーしており、90分間で6〜7 kmしか走っていない(平均的な選手の走行距離は1011キロ程度である)。しかし、前述にある瞬発力・俊敏性の高さを活かし歩いている状態から一瞬でトップギアに切り替えることが可能であり、これによってマークしているDFを置き去りにすることや油断した相手DF陣がボールコントロールをミスした際に即座にプレッシングしボールを奪い取ることもある。メッシは2014年の試合で時速34.47キロ (km/h, 概ね10 m/s) のスピードを記録。メッシは自身のエネルギーを攻撃に集中させることで瞬時に爆発的なスピードを出せるようにしている。
かつてバルセロナを指揮したペップ・グアルディオラはメッシは試合中意図的に歩いているとの持論を語る。彼はメッシが試合中に歩いている映像を見ながら「彼は今、観察しながら歩いているんだ」と述べ 、「試合から消えているわけじゃなく、ちゃんと関わっている。頭を動かしているだろう。右へ、左へ、左へ、右へと。これから何が起きるのか、完璧に把握しているんだ」と解説した。
一次情報の発言のみ収録。1回の会見につき主要な発言を最大3つ引用し、他は解説で要約しています。
「私にとって、メッシは史上最高の選手だ」
「異なる意見を持つ人がいるのは分かるが、自分が見てきた限り、彼に並ぶ選手はいない。丸1年間、彼と一緒にプレーできたのは幸運だったが、その1年は短すぎると感じた。」
「リオネル・メッシがいるから、アルゼンチンは私の心の中で特別な存在だ。子どもの頃から応援してきた。」
出典:Goal.com 日本語版 2026年10月23日
「バルセロナではすべてを勝ち取ったし、その勝ち方も素晴らしかった。僕たちはプレーすることを楽しんでいた。」
「僕はクラブでも街でも素晴らしい瞬間をたくさん過ごしたし、3人の子どもたちもそこで生まれた。だから、あの街とクラブに特別な愛情を抱くのは自然なことだ。」
「自分の目標や夢のために常に戦った偉大なアスリートとして覚えてもらいたい。うまくいくこともいかないこともあったけど、目の前にあるものすべてに勝とうとすることをやめたことはなかった。」
出典:Goal.com 2026年10月22日
「例えばメッシは、起きていることを総合的に把握している。何をするかより先に、考えと先を見越した理解がある。」
出典:Goal.com 日本語版 2026年10月23日
「本当のところ、この賞が持つ重みを考えると、そしてピッチの上で私がしていることだけでなくピッチの外でのことも評価されたという点で、この栄誉を受けられることは私にとって大きな誇りです。」
「とても嬉しく、心から感謝しています。」
出典:Goal.com 2026年10月17日
「彼は世界を驚かせ続けています。正直、39歳の彼があんなことをしているなんて信じられません。」
「彼は毎日、私たちがもっと良くなるよう後押ししてくれます。彼がここにいてくれることは大きな喜びです。」
「彼は1000ゴールに到達すると信じています。彼は挑戦が好きで、自分に課題を課す男ですし、すでにほかのすべてを成し遂げたのだから、今回も例外ではないでしょう。」
出典:Goal.com 2026年10月18日
「メッシは二度と見ることのできない存在だ。」
「練習中に何回ボールを失ったか?ゼロだ。」
「メッシもネイマールも、ボールを預けて、返せる位置にいてほしいと思っている。」
出典:MARCA 2026年10月16日
「しかし、チームの得点王としてリオネル・メッシの名前が画面に出た時、私たちは皆笑い出した。63ゴール、そのうちチャンピオンズリーグで14ゴールだった。」
「あのシーズンに63ゴール?あまりに誇張された数字で、私たちは信じられずに顔を見合わせ、そして笑い始めた。」
「その得点数の写真まで撮ったよ。本当にクレイジーに思えたからね。」
出典:Goal.com 2026年10月16日
「ここはメッシを大切にし、守ってくれるクラブです。」
「チームメイトは常に彼へ愛情を示しています。彼らは彼のために全力を尽くし、持てるものをすべて出し切ります。」
「彼は毎日私たちをより良くなるよう後押しし、挑戦を促してくれます。」
出典:Goal.com 2026年10月15日
「私は一度メッシに言ったことがある。君のプレーを見るために、バルセロナの試合日程を待ちながら14年間を過ごしてきたと。」
出典:Goal.com 2026年10月9日
「レオは毎日ある種のメンタリティを伝えてくれる人だ。彼はチームメイトにも私たち全員にも、あらゆる面で100%を出すことを求める。」
「彼は生まれながらの競争者だ。毎回のトレーニングでそれが見て取れるし、本当に素晴らしい。」
「彼はここにもレガシーを残しつつあり、クラブは彼が来た瞬間から変わった。彼は私たちに、日々向上し、あらゆる面で準備するよう促してくれる。」
出典:Goal.com 2026年10月9日
「(別れの試合は)信じられないほど感情のこもったものだった」
「レオは、ある種のメンタリティーを毎日示してくれる存在だ。あらゆる面で、チームメートにも、僕たち全員にも100%を求める」
出典:Goal.com 日本語版 2026年10月9日
「偶像と同じピッチに立てることを願ってここに来たが、そこにいたのは最初の瞬間からチームの一員だと感じさせてくれる人だった。」
「あなたはいつも優しい言葉やアドバイス、ハグをくれた。あるいは、僕が必要としているときに安心させてくれた。」
「今日は、あなたのいない次の合宿を想像するのが難しい。ピッチに出ても、前線で10番をつけたあなたの姿が見えないなんて。」
出典:Goal.com 2026年10月7日
「もちろん、できる限り力になろうとしてきたし、彼もそれを分かっている。そのことはいつも話していて、彼が何よりも望んだものを手にする手助けができたのは、私のキャリアで最も大きな名誉の一つだった。」
「彼は史上最高の選手だからね。」
「彼が抜ける穴は大きい。でも、ここには本物の個性を持った若い選手たちがいる。」
出典:Goal.com 2026年10月7日
「素晴らしい締めくくりだった。この試合はボーナスのようなもので、最後はワールドカップだと思っていたからね。」
「代表で何年も一緒に過ごしてきたし、彼とともにこの時間を楽しめたのは素晴らしいことだった。」
「最後のゴールを彼のパスで決められたことは、一生大切にするよ。」
出典:Goal.com 2026年10月7日
「試合後、私は彼にあいさつしただけだ。何かを聞けるような状況ではなかった。」
「とても感情的な日だったし、同時に悲しくもあった。なぜなら、彼はもうこのユニフォームを着てプレーすることはないからだ。」
出典:Goal.com 日本語版 2026年10月7日
「決勝で何か変なことが起きたと言う人もいるが、本当のところ、そんなことは何もなかった。私たちは全力を尽くした。」
「チームメイトの一人ひとりが、このユニフォームのためにピッチで全てを出し切ったことは疑わないでほしい。」
「強いチームをつくるには、団結したチームをつくらなければならない。代表チームの失敗を望む人たちがいるのだから、彼らを満足させてはならない。」
出典:Goal.com 2026年10月7日
「レオ、これほど長い年月にわたって自国のために戦い、永遠に語り継がれる物語を築いた。アルゼンチンとともに成し遂げたことすべてに敬意を表する。」
出典:Goal.com 日本語版 2026年10月7日
「アルゼンチン代表とともに歩んだ伝説の旅路。信じられないキャリアのあらゆる章に、おめでとう。」
出典:Goal.com 日本語版 2026年10月7日
「メッシをマークする必要はない。僕たちはこの試合を楽しむつもりだ。」
「メッシ、あなたは神だ。僕にとって彼は世界最高の選手だ、本当にそう思っている。」
出典:Goal.com 2026年10月6日
「私は誰も崇拝しないし、リオネル・メッシも崇拝していない。」
「私はサッカーに情熱を持っていて、良い選手がどれほど見事にプレーするかを観察するのが好きだ。偉大な選手と対戦したときも、ユニフォームを頼んだことはない。」
「私はそのために来た、彼が何をするのか見るためだ。彼は選手として、そして長年サッカーのために多くを成し遂げた人物として、この瞬間を楽しむべきだ。」
出典:Goal.com 2026年10月6日
「彼はあまり多くを話さなかったのを覚えている。まだとても若かったが、それでもいつだって並外れていた。」
「それを理解するのに時間はかからなかった。最初のトレーニングセッションから、彼の違いは見て取れた。」
出典:Goal.com 日本語版 2026年10月6日
「私ならメッシに与える」
「ふさわしい最後の締めくくり」
出典:Goal.com 日本語版 2026年10月6日
「私たちはメッシをマークしない。この試合をただ楽しむよ。」
「彼を見て、メッシ、あなたはレジェンドだ、と言うつもりだ。」
「このお祝いが完璧なものになるよう、全力を尽くす。」
出典:Goal.com 2026年10月6日
「止められない。蹴りを入れることすらできないほどなんだ。」
「もちろんラミンが獲る可能性もあるが、その前にメッシだ。」
「あのちびっ子もそれに値する、39歳だぞ、みんな。」
出典:MARCA 2026年10月6日
「フットボールを愛する人々は、長い間君のプレーを楽しんできた……」
「君に感謝しているのはアルゼンチンだけではない。フットボールのために君が成し遂げてきたすべてのことに対し、世界中が感謝しているんだ」
「僕にフットボールをさらに好きにさせてくれてありがとう。君と対戦できたことは光栄であり、共に歴史を刻めたことはそれ以上に大きな名誉だった。」
出典:Goal.com 日本語版 2026年10月6日
「兄弟よ、初日からキミの物語の一部になれたことは、本当に大きな喜びだった! キミのおかげで僕らは笑顔になり、心からサッカーを楽しむことができたよ!」
「僕らだけにしか」
出典:FOOTBALL ZONE 2026年10月7日
「私たちはアルゼンチンに観光に来たのではない。プレーし、戦うために来たんだ。」
「私はゴールキーパーで、仕事はボールを止めることだ。最後の1分にPKが与えられても、メッシが蹴るなら止めようとする。」
「私にとってレオは伝説だ、本物の伝説だ。」
出典:Goal.com 2026年10月5日
「メッシの別れは感動的なものになるだろう。」
「私は選手としても指導者としても数多くのスター選手を見てきたが、リオネルが成し遂げたことを達成した者は他に思い浮かばない。」
「アルビセレステでの彼のキャリアが終わってしまうのは残念だ。」
出典:Goal.com 2026年10月5日
「今はレオが去るという事実を受け止め、これまで歩んできたのと同じ道を進み続けなければならない」
出典:Goal.com 日本語版 2026年10月4日
「彼がもうそこにいなくなるなら、今は郷愁しか残らない」
「彼は信じられない模範だ。真っ先に来て、最後に帰る。」
「もしモヌメンタルが5つあったとしても、すべて満員になっていただろう」
出典:Goal.com 日本語版 2026年10月4日
「できる限り手助けしようとしたし、彼もそれを分かっている。彼が最も望んでいたものを手にする助けになれたのは、僕のキャリアで最大級の名誉の一つだった。」
「彼が去れば大きな穴が空くけど、ここには本物の個性を持った選手たちがいる。」
「自分もその一部だと感じているし、火曜日は楽しんで彼の笑顔を見たい。一緒にいられる残り少ない時間を大切にしたい。」
出典:Goal.com 2026年10月4日
「あれで39歳。全盛期の彼相手では、僕は何も出来なかっただろう」
出典:Yahoo!ニュース 2026年9月26日
「最後の一戦…一生の思い出となるユニフォーム。」
出典:FOOTBALL ZONE 2026年9月22日
「彼は今でも最高の選手だ。ワールドカップでそれを証明したし、MLSでも証明し続けている。」
出典:Gulf News 2026年9月17日
「代表を去るという決断は、心の奥深くまでこたえるほどつらい。それでも、もうその時が来たのだと自分でも分かっている。」
出典:The Athletic 2026年9月15日
「メッシだ。疑いの余地などない。」
出典:Yahoo!ニュース 2026年9月16日
「文字通り、最初に目にしたのはレオだった。目の前に立っていて、僕は言葉が出なくなった。」
「自己紹介しようとしたけど、何を言ったか覚えていない。彼はただ笑って、落ち着いてロッカールームに入りなよと言ってくれた。」
「僕らは二匹の子犬みたいだった。あのことは一生感謝している。」
出典:Yahoo! Sports 2026年9月9日
「この決断にいっそう確信を持った」
「痛みを伴う決断で、今も心の奥で痛んでいる。でも、今がその時だと理解している」
出典:FOOTBALL ZONE 2026年10月4日
「マイアミに行くという決断をした。」
出典:Mundo Deportivo/SPORT(合同インタビュー) 2023年6月7日
数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。
| クラブ | シーズン | 年齢 | ディビジョン | リーグ | 国内カップ1 | 大陸大会2 | その他3 | シーズン通算 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 2003-04 | 16 | テルセーラ・ディビシオン | 10 | 5 | — | — | — | — | — | — | 10 | 5 | |
| 2003-04 | 16 | セグンダ・ディビシオンB | 5 | 0 | — | — | — | — | — | — | 5 | 0 | |
| 2004-05 | 17 | セグンダ・ディビシオンB | 17 | 6 | — | — | — | — | — | — | 17 | 6 | |
| 通算 | 22 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 22 | 6 | |||
| 2004-05 | 17 | ラ・リーガ | 7 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | — | — | 9 | 1 | |
| 2005-06 | 18 | ラ・リーガ | 17 | 6 | 2 | 1 | 6 | 1 | 0 | 0 | 25 | 8 | |
| 2006-07 | 19 | ラ・リーガ | 26 | 14 | 2 | 2 | 5 | 1 | 3 | 0 | 36 | 17 | |
| 2007-08 | 20 | ラ・リーガ | 28 | 10 | 3 | 0 | 9 | 6 | — | — | 40 | 16 | |
| 2008-09 | 21 | ラ・リーガ | 31 | 23 | 8 | 6 | 12 | 9 | — | — | 51 | 38 | |
| 2009-10 | 22 | ラ・リーガ | 35 | 34 | 3 | 1 | 11 | 8 | 4 | 4 | 53 | 47 | |
| 2010-11 | 23 | ラ・リーガ | 33 | 31 | 7 | 7 | 13 | 12 | 2 | 3 | 55 | 53 | |
| 2011-12 | 24 | ラ・リーガ | 37 | 50 | 7 | 3 | 11 | 14 | 5 | 6 | 60 | 73 | |
| 2012-13 | 25 | ラ・リーガ | 32 | 46 | 5 | 4 | 11 | 8 | 2 | 2 | 50 | 60 | |
| 2013-14 | 26 | ラ・リーガ | 31 | 28 | 6 | 5 | 7 | 8 | 2 | 0 | 46 | 41 | |
| 2014-15 | 27 | ラ・リーガ | 38 | 43 | 6 | 5 | 13 | 10 | — | — | 57 | 58 | |
| 2015-16 | 28 | ラ・リーガ | 33 | 26 | 5 | 5 | 7 | 6 | 4 | 4 | 49 | 41 | |
| 2016-17 | 29 | ラ・リーガ | 34 | 37 | 7 | 5 | 9 | 11 | 2 | 1 | 52 | 54 | |
| 2017-18 | 30 | ラ・リーガ | 36 | 34 | 6 | 4 | 10 | 6 | 2 | 1 | 54 | 45 | |
| 2018-19 | 31 | ラ・リーガ | 34 | 36 | 5 | 3 | 10 | 12 | 1 | 0 | 50 | 51 | |
| 2019-20 | 32 | ラ・リーガ | 33 | 25 | 2 | 2 | 8 | 3 | 1 | 1 | 44 | 31 | |
| 2020-21 | 33 | ラ・リーガ | 35 | 30 | 5 | 3 | 6 | 5 | 1 | 0 | 47 | 38 | |
| 通算 | 520 | 474 | 80 | 56 | 149 | 120 | 29 | 22 | 778 | 672 | |||
| 2021-22 | 34 | リーグ・アン | 26 | 6 | 1 | 0 | 7 | 5 | — | — | 34 | 11 | |
| 2022-23 | 35 | リーグ・アン | 32 | 16 | 1 | 0 | 7 | 4 | 1 | 1 | 41 | 21 | |
| 通算 | 58 | 22 | 2 | 0 | 14 | 9 | 1 | 1 | 75 | 32 | |||
| 2023 | 35 | メジャーリーグサッカー | 6 | 1 | 1 | 0 | — | — | 7 | 10 | 14 | 11 | |
| 2024 | 36 | メジャーリーグサッカー | 19 | 20 | — | — | 3 | 2 | 3 | 1 | 25 | 23 | |
| 2025 | 37 | メジャーリーグサッカー | 28 | 29 | — | — | 7 | 5 | 14 | 9 | 49 | 43 | |
| 2026 | 38 | メジャーリーグサッカー | 27 | 25 | — | — | 2 | 1 | 3 | 3 | 32 | 29 | |
| 通算 | 80 | 75 | 1 | 0 | 12 | 8 | 26 | 22 | 120 | 106 | |||
| キャリア通算 | 690 | 582 | 83 | 56 | 175 | 137 | 56 | 45 | 1005 | 821 | |||
1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 3. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
アルゼンチン としての年別成績です。親善試合を含みます。
| 年 | 年齢 | 出場 | 得点 | 得点グラフ |
|---|---|---|---|---|
| 2005 | 17 | 5 | 0 | |
| 2006 | 18 | 7 | 2 | |
| 2007 | 19 | 14 | 6 | |
| 2008 | 20 | 8 | 2 | |
| 2009 | 21 | 10 | 3 | |
| 2010 | 22 | 10 | 2 | |
| 2011 | 23 | 13 | 4 | |
| 2012 | 24 | 9 | 12 | |
| 2013 | 25 | 7 | 6 | |
| 2014 | 26 | 14 | 8 | |
| 2015 | 27 | 8 | 4 | |
| 2016 | 28 | 11 | 8 | |
| 2017 | 29 | 7 | 4 | |
| 2018 | 30 | 5 | 4 | |
| 2019 | 31 | 10 | 5 | |
| 2020 | 32 | 4 | 1 | |
| 2021 | 33 | 16 | 9 | |
| 2022 | 34 | 14 | 18 | |
| 2023 | 35 | 8 | 8 | |
| 2024 | 36 | 11 | 6 | |
| 2025 | 37 | 5 | 3 | |
| 2026 | 38 | 12 | 11 | |
| 通算 | 208 | 126 | ||
年代別代表(アルゼンチン U-20、アルゼンチン・オリンピック)の出場は「経歴」の表に記載しています。年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1992〜1995 | 4 | グランドリ |
| 1995〜2000 | 7 | |
| 2000〜2003 | 12 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 期間 | 年齢 | チーム | 出場 | 得点 |
|---|---|---|---|---|
| 2003〜2004 | 15 | — | — | |
| 2004〜2005 | 16 | — | — | |
| 2004〜2021 | 16 | 376 | 386 | |
| 2021〜2023 | 33 | 58 | 22 | |
| 2023〜 | 35 | 86 | 82 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は国内リーグ戦の合計で、カップ戦・大陸大会を含む内訳は「個人成績」の表にあります。
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 2004〜2005 | 16 | |
| 2005〜2026 | 17 | |
| 2008 | 20 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 2003 | 15 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 2004 | 16 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 2004 | 16 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 2021-08 | 34 | フリー移籍 | — | |||
| 2023-07 | 36 | フリー移籍 | — |
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
日本語版 Wikipedia(経歴)・API-Football(移籍データ)。移籍の有無と移籍先は日本語版 Wikipedia の情報欄、日付・形態・移籍金は API-Football の掲載値。億円換算は ECB レート(2026-10-21 時点)
報道・公開資料に載った年俸を、その媒体・日付とともに掲載しています(当サイトの推定ではありません)。基本給・ボーナス・肖像権収入の扱いは情報源により異なります。出典が確認できない値は掲載しません。
| 時期 | 年齢 | 所属 | 年俸 (報道値) | 備考 | 出典 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2013 | 25 | 31.1億円 US$20.3M(競技収入) | 総収入 63.3億円(US$41M) うちスポンサー等 32.2億円(US$21M) | Forbes(2013年版) | |
| 2014 | 26 | 64億円 US$41.7M(競技収入) | 総収入 99.2億円(US$65M) うちスポンサー等 35.3億円(US$23M) | Forbes(2014年版) | |
| 2015 | 27 | 79.5億円 US$51.8M(競技収入) | 総収入 113.2億円(US$74M) うちスポンサー等 33.7億円(US$22M) | Forbes(2015年版) | |
| 2016 | 28 | 81.9億円 US$53.4M(競技収入) | 総収入 124.8億円(US$81M) うちスポンサー等 42.9億円(US$28M) | Forbes(2016年版) | |
| 2017 | 29 | 81.3億円 US$53.0M(競技収入) | 総収入 122.7億円(US$80M) うちスポンサー等 41.4億円(US$27M) | Forbes(2017年版) | |
| 2018 | 30 | 128.8億円 US$84.0M(競技収入) | 総収入 170.2億円(US$111M) うちスポンサー等 41.4億円(US$27M) | Forbes(2018年版) | |
| 2019 | 31 | 141.1億円 US$92.0M(競技収入) | 総収入 194.8億円(US$127M) うちスポンサー等 53.7億円(US$35M) | Forbes(2019年版) | |
| 2020 | 32 | 110.4億円 US$72.0M(競技収入) | 総収入 159.5億円(US$104M) うちスポンサー等 49.1億円(US$32M) | Forbes(2020年版) | |
| 2021 | 33 | 148.8億円 US$97.0M(競技収入) | 総収入 199.4億円(US$130M) うちスポンサー等 50.6億円(US$33M) | Forbes(2021年版) | |
| 2022 | 34 | 115億円 US$75.0M(競技収入) | 総収入 199.4億円(US$130M) うちスポンサー等 84.4億円(US$55M) | Forbes(2022年版) | |
| 2023 | 35 | 99.7億円 US$65.0M(競技収入) | 総収入 199.4億円(US$130M) うちスポンサー等 99.7億円(US$65M) | Forbes(2023年版) | |
| 2024 | 36 | 99.7億円 US$65.0M(競技収入) | 総収入 207.1億円(US$135M) うちスポンサー等 107.4億円(US$70M) | Forbes(2024年版) | |
| 2025 | 37 | 92億円 US$60.0M(競技収入) | 総収入 207.1億円(US$135M) うちスポンサー等 115億円(US$75M) | Forbes(2025年版) | |
| 2026 | 38 | 43.5億円 US$28,333,333(保証報酬) | 基本給 38.3億円(US$25,000,000) 他の報道値: 107.4億円(Forbes(2026年版)) | MLS選手会 Salary Guide(2026) | |
| 2026-27 | 39 | 44.8億円 $28.34m(週給$545k×52週で年額換算(ドル建ての報道値))/1ドル=158円で換算 | The National(世界の高額年俸 20 人) 2026年8月13日 |
年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
所属履歴と出場記録から機械的に算出しています。個人の交友関係についての評価は含みません。
同じクラブ・同じシーズンに両者とも出場記録がある選手を、シーズン数の多い順に並べています。取得元(API-Football)のシーズン名簿は 2010-11 シーズン以降しか無いため、それ以前に一緒にプレーしたシーズンは数に入りません。
| 選手 | クラブ | 期間 | シーズン | |
|---|---|---|---|---|
| セルヒオ・ブスケツ | 2010〜2025 | 14 | ||
| ジョルディ・アルバ | 2012〜2025 | 12 | ||
| セルジ・ロベルト | 2010〜2020 | 11 | ||
| アンドレス・イニエスタ | 2010〜2018 | 9 | ||
| ハファエウ・アルカンタラ・ド・ナシメント | 2011〜2021 | 9 | ||
| ホルヘ・サンパオリ | 2014〜2020 | 7 | ||
| ネイマール | 2013〜2022 | 7 | ||
| アドリアーノ・レイテ・リベイロ | 2010〜2015 | 6 | ||
| ダニ・アウヴェス | 2010〜2015 | 6 | ||
| マルク・バルトラ | 2010〜2015 | 6 | ||
| ペドロ・ロドリゲス・レデスマ | 2010〜2015 | 6 | ||
| カルレス・アレニャ | 2016〜2020 | 5 | ||
| マルティン・モントヤ | 2010〜2014 | 5 | ||
| セルジ・サンペール | 2014〜2018 | 5 | ||
| シャビ・エルナンデス | 2010〜2014 | 5 | ||
| カルレス・プジョル | 2010〜2013 | 4 | ||
| ホセ・マヌエル・ピント・コロラド | 2010〜2013 | 4 | ||
| ネルソン・セメド | 2017〜2020 | 4 | ||
| ウスマン・デンベレ | 2017〜2020 | 4 | ||
| フィリペ・コウチーニョ | 2017〜2020 | 4 |
本人の在籍期間と監督の在任期間の重なりから算出しています。取得元(API-Football)に在任期間の登録がある監督だけが対象で、古い年代の監督は登録が無いため出ていません。
| 監督 | クラブ・代表 | 在任 |
|---|---|---|
| ウド・ラテック | — | |
| セサル・ルイス・メノッティ | — | |
| ペップ・グアルディオラ | 2008年7月〜2012年6月 | |
| ヘラルド・マルティーノ | 2013年7月〜2014年5月 | |
| ヘラルド・マルティーノ | 2014年8月〜2016年7月 | |
| リオネル・スカローニ | 2018年8月〜 | |
| ヘラルド・マルティーノ | 2023年6月〜2024年11月 |
日本語名を確認できない監督 7 人は掲載していません。
英語の記録名しか確認できないもの(5件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
代表チームで獲得したメダルです(金6・銀5・銅2)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。
| FIFAワールドカップ | 金 2022 カタール銀 2014 ブラジル銀 2026 カナダ・メキシコ・アメリカ |
|---|---|
| コパ・アメリカ | 金 2021 ブラジル金 2024 アメリカ銀 2007 ベネズエラ銀 2015 チリ銀 2016 アメリカ銅 2019 ブラジル |
| フィナリッシマ | 金 2022 イングランド |
| オリンピック | 金 2008 北京 |
| FIFA U-20ワールドカップ | 金 2005 オランダ |
| 南米U-20選手権 | 銅 2005 コロンビア |
出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「リオネル・メッシ」(版 111206273)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
※ 出典は媒体名・日付・URL を文字で記載しています(外部サイトへのリンクは行いません)。出典が確認できない数値はページに載せません。
掲載写真は Wikidata API および Wikimedia Commons API を通じて、ライセンス(CC BY-SA / パブリックドメイン等)と作者表示の要件を確認したうえで掲載します。