カカ

SOCCERPEDIA / 選手ページ / ブラジルのサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日


概要

ブラジルカカ(Kaká、1982年4月22日生)は、ブラジル出身の元サッカー選手。ポジションはMF(ミッドフィールダー)。ブラジルでは2002年から通算92試合29得点を記録している。クラブでは公式戦通算654試合208得点(2001 シーズン以降)。クラブ・代表で通算12個のタイトルを獲得、個人賞は44回(UEFAチーム・オブ・ザ・イヤー 3回、セリエA 年間最優秀外国人選手 3回)。

カカこと、リカルド・イゼクソン・ドゥス・サントゥズ・レイチ(、1982年4月22日 - )は、ブラジル・ブラジリア出身の元サッカー選手、現代理人(スポーツエージェント)。元ブラジル代表。現役時代のポジションはミッドフィールダー。

ACミランでのプレーメーカーとしての全盛期は、創造的なパス、スピード、決定力、中盤からのドリブルを武器とし、世界最高の選手の一人と考えられており、専門家からも同世代の中で最も偉大な選手の一人とみなされている。クラブレベルでも代表でも成功を収め、FIFAワールドカップとUEFAチャンピオンズリーグとバロンドールの3つを獲得した9人の選手の内の一人である。

2001年に18歳でサンパウロFCでプロデビューを果たし、サンパウロでの活躍により2003年にセリエAのACミランに加入した。イタリアでの最初のシーズンにリーグ優勝に貢献し、2004-05シーズンのUEFAチャンピオンズリーグではミランは決勝で敗れたものの、カカは最多アシストを記録して最優秀ミッドフィールダーに選出された。2006-07シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでも優勝し、カカは大会得点王となった。このシーズンの活躍により、FIFA最優秀選手賞とバロンドール、UEFA年間最優秀選手を受賞した。ミランに6年間在籍した後、2009年に当時としては2番目に高額な6700万ユーロという移籍金でレアル・マドリードに移籍した。しかし、スペインでは怪我に悩まされ、身体能力が急激に低下した後に、2013年に1シーズンだけミランに復帰して、その後メジャーリーグサッカーの新規参入クラブのオーランド・シティSCに加入した。加入当初は古巣のサンパウロFCにレンタル移籍したが、2015年よりオーランド・シティに復帰し、2017年に現役を引退した。

2002年にブラジル代表としてデビューすると、その年のFIFAワールドカップに出場し優勝を果たした。2006年のFIFAワールドカップではロナウド、アドリアーノ、ロナウジーニョとカルテット・マジコを形成し、2010年のFIFAワールドカップにも出場したが、この2大会のワールドカップでの成績は振るわなかった。2005年と2009年のFIFAコンフェデレーションズカップの優勝メンバーでもあり、2009年大会では大会MVPに選ばれた。

2006年から2009年にかけてFIFProワールドイレブンとUEFAチーム・オブ・ザ・イヤーに3回ずつ選ばれた。2010年にはACミランの殿堂入りを果たした。現役時代には世界でもっとも有名なアスリートの一人であり、Twitterで1000万人のフォロワーを獲得した初めてのスポーツ選手だった。競技外でも慈善活動で知られ、2004年に国際連合世界食糧計画の最年少大使に選ばれた。ピッチ内外での活躍により、タイム誌の選ぶ世界で最も影響力のある100人に2008年と2009年に選ばれている。

クラブ経歴

クラブ ― 誕生からサンパウロFC時代まで

ブラジルの首都ブラジリアで生まれ、生後すぐにクイアバに移り、7歳の時にサンパウロへ移る。父がサンパウロFCのクラブ会員だったことから、9歳でサンパウロFCのクラブ会員用のチームに加入。当時から技術面では優れたものを持っていたが、他の子たちに比べて線が細く、補欠に甘んじていた。その後、クラブでのトレーニングによってビルドアップに成功し、弱点を克服した。

17歳の頃、クラブの深刻な財政難からトルコのクラブ、もしくはCSKAモスクワに売却されそうになった。だが本人は、「あの時に移籍していても今のように素晴らしいキャリアを築くのは難しかっただろう」と語っている。18歳の時、プールで遊んでいた際に頭部を強打して頸椎を損傷する重傷を負い、あわや下半身不随寸前の怪我だったものの、極度の近視となった以外は幸いにも運動能力にはほとんど影響は見られなかった。カカはこれを神のおかげであるとし、十分の一税を行った。なお、本人は「あの事故を契機に人生観が変わった」と語っている。また、事故から4か月後には2001年2月のボダフォゴ戦でサンパウロのトップチームデビューを果たした。途中出場ながら2得点を決める活躍を見せると、以降サンパウロのトップチームに定着する。

クラブ ― ACミラン時代

2003年、880万ユーロ(約12億円)の移籍金でACミランへ移籍。サンパウロでは背番号8番を、2002 FIFAワールドカップでは23番をそれぞれ着けていたが、ミランでは既にジェンナーロ・ガットゥーゾとマッシモ・アンブロジーニがそれぞれの背番号を着けていたため、自身の誕生日の日付にちなんで22番を背負うことになった。入団時のメディカルチェックでは特にずば抜けていた加速値と絶対スピードの項目をはじめ、それまでの選手とはかけ離れて高い数値を記録。ミランラボの担当者は「こんな数字は見たことがなかった」と証言した。移籍初年度である2003-04シーズンの開幕戦から驚異的な活躍でスタメンの座を確立し、同シーズンはセリエAで30試合に出場、チームのスクデット(リーグ優勝)、UEFAスーパーカップ獲得に大きく貢献した。

2004-05シーズンはアンドリー・シェフチェンコの後ろの位置でプレーし、36試合で7得点を決めた。この年、UEFAチャンピオンズリーグでは決勝でリヴァプールFCにPK戦で敗れたものの、カカは投票による大会最優秀ミッドフィールダーに選ばれた。イスタンブールの悲劇ともいわれるリヴァプールFC戦の敗北について、「たとえこの先何度優勝できたとしてもあの敗北を忘れることは出来ない」と語っている。また、2004年には国際連合世界食糧計画における最年少大使となった。

ACミランとは当初2009年6月までの契約であったが、2005-06シーズン終了後にはACミランの八百長疑惑によりクラブのセリエB降格の危機が報じられ、カカの元にも複数のクラブから移籍のオファーが舞い込んだ。プレミアリーグのチェルシーFCから7000万ポンド(約152億6000万円)という超破格のオファーが来たが、ミランは受け入れなかった。このとき本人も「ACミランが降格しないなら、クラブに忠誠を誓う」と発言。その後2006年7月15日にミランは降格を免れる判決を下された。

2006-07シーズンは、UEFAチャンピオンズリーグにて10得点を決めブラジル人としてはリバウド以来の得点王となり、チャンピオンズリーグ優勝の原動力となった。また、FIFAクラブワールドカップ2007では1得点3アシストの大活躍を見せ、UEFA年間最優秀選手に輝くと共に、欧州代表として初となるFIFAクラブワールドカップ優勝に導いた。これらの活躍を評価され、2007年はバロンドール、FIFA年間最優秀選手賞、FIFPro年間最優秀選手賞、英誌ワールドサッカー選出世界年間最優秀選手賞をいずれも初受賞した。また、同年にはレアル・マドリードから8000万ユーロ(約140億円)の移籍金と手取り1400万ユーロ(約20億円)のオファーがあったが、本人は「レアルは僕が欲しいなら、ベルルスコーニ会長の首を縦に振らせればいい」と言い、パオロ・マルディーニ引退後にキャプテンを継ぎたいと語った。そして、2008年には2013年までACミランとの契約を延長した。

2009年1月、プレミアリーグのマンチェスター・シティFCがカカ獲得にサッカー界史上最高額の1億ユーロ(約120億円)以上ともいわれる移籍金をミランに提示したことによる移籍騒動が勃発。カカにも年俸1500万ユーロ(約20億円)を提示 し、ミランもカカの移籍を容認したものの、本人は残留を希望し、同月19日、ミランに残留することが決まった。また、多くのサポーターは移籍に大反対し、中にはカカの自宅周辺などに集結したサポーターもおり、カカは窓からユニホームを掲げ、笑顔で応えた。この残留により翌日の練習で監督のカルロ・アンチェロッティは、「今冬の補強はカカがこのミランというクラブに残留したことだ」と語った。

クラブ ― レアル・マドリード時代

2009年6月9日、フロレンティーノ・ペレスが会長に復帰したレアル・マドリードの最初の新加入選手として移籍金6800万ユーロ(約92億円)の6年契約で移籍。なお、この移籍金は2001年にジネディーヌ・ジダンが同じくレアル・マドリードに移籍したときの7696万ユーロ(約103億円)に次いで当時史上2番目に高額な移籍金となった。紆余曲折の末の移籍であり、カカ本人はこの移籍について会見で「(裏口ではなく)玄関から去る」と語った。また、レシフェで行われた会見では、あくまで最高の形はミランへの残留であったとしながらも、移籍は財政難に苦しむミランのことを思えばこそであり、移籍をするのであればレアル・マドリードしかないと語った。

入団発表では5万人のサポーターがエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウに集まった。レアル・マドリードでは当初、かつてジネディーヌ・ジダンが着けていた背番号5番を着けることが噂され、ジダン自身もカカが5番を背負うことに好意的な発言をしたものの、最終的には本人の希望で8番を背負うことになった。親善試合のトロントFC戦でレアル・マドリードでのデビューを飾り、同じく親善試合のボルシア・ドルトムント戦で初得点を決め、更に9月23日、ビジャレアルCF戦でペナルティーキックからレアル・マドリードでの公式戦初得点を記録した。しかし、恥骨炎の影響もあってか以前のような活躍は出来ておらず、その年のリーガワースト移籍ランキングで10位に選ばれ、更に2010 FIFAワールドカップ後には半月板の手術を行い、4か月程度の離脱が発表された。

翌年1月3日のヘタフェCF戦で238日ぶりに招集を受け、後半77分にカリム・ベンゼマとの交代でピッチに立った。翌週のビジャレアル戦でも71分から途中出場すると、復帰後初得点を挙げ、4月23日のバレンシア戦では2ゴール2アシストを挙げた。しかし、度重なる負傷の影響と新加入のメスト・エジルの台頭などもあってレギュラーの座を奪うまでには至らず、シーズン終了後には移籍報道が加熱し、スペイン紙アスが行ったアンケートでは、78%が「カカを放出すべき」と答えた。しかし、カカ自身は一貫してレアル・マドリード残留を明言した。2013年冬のメルカートにミランは再びカカの獲得に乗り出した。カカ自身も復帰を希望しており、移籍騒動が起きたもののサラリー面で復帰はほぼ不可能となった。その後、カカは「1年はレアルでいいシーズンを過ごしたい」と改めて残留を強調した。引退後の2018年にカカ本人がレアル時代を振り返り、負傷の影響によるコンディション不良に加え、当時監督であったジョゼ・モウリーニョから信用を得られなかったことを明かした(その後、プライベートでモウリーニョと会い、現在はわだかまりはないことも強調している)。

クラブ ― ACミランへの復帰

2012-13シーズン後、レアル・マドリードはイスコやガレス・ベイルといった攻撃的なMFを相次いで獲得した。これまで十分な出場機会がなかったことや、2014年にブラジルで開催されるワールドカップにむけた出場アピールの機会を求めて、移籍を志願。

2013年9月2日、古巣のACミランへの復帰が決定。大幅に減俸した2年契約である。

クラブ ― オーランド・シティSC時代

ミランが欧州カップ戦の出場権を逃したため、2014年6月30日に契約解除オプションを行使して退団、7月1日に2015年からメジャーリーグサッカーに新設されるオーランド・シティSCへの加入と古巣サンパウロFCへ半年間へのレンタル移籍が発表された。契約期間は3年間。2015年1月よりオーランド・シティに合流、チームではキャプテンに任命され、若い選手が多い中でチームの顔として個人レベルでは随所で活躍を披露したが、チームとしては2015シーズンは7位、2016シーズンは8位、2017シーズンも下位に低迷して3シーズン連続でプレーオフ進出を逃すなど低迷した。また2015年7月の対レアル・ソルトレイク戦ではキャリア初のレッドカードによる退場処分も経験した。チームの成績とは裏腹にカカ自身の年俸はチーム最高給であったことからオーランド側は契約延長を提示せず、2016年にはカカ自身も2017年12月の契約満了に伴う退団の意向を示しており、2017年10月11日にクラブ公式サイトにてシーズン終了後の退団が発表された。同年12月17日、現役引退を表明した。

現役引退後

現役引退後は、2018年よりスポーツマネジメント会社「ベスト・オブ・ユー・スポーツ」に所属、選手の代理人業務を開始した。また2022年5月には、ブラジルサッカー連盟のA級ライセンスを取得したことも明かしている。

代表経歴

代表

2002年のボリビアとの試合で代表戦初出場を果たす。2002 FIFAワールドカップのメンバーにも選ばれ、出場機会はコスタリカ戦での25分のみと少ないながらも優勝を経験した。翌年のCONCACAFゴールドカップではU-23ブラジル代表のキャプテンを務め、3得点を挙げて準優勝に貢献した。FIFAコンフェデレーションズカップ2005でブラジルは優勝し、アルゼンチンとの決勝で得点も決めた。

2006 FIFAワールドカップではロナウジーニョ、ロナウド、アドリアーノと共にカルテット・マジコ(「魔法の4人」)を形成し世界中で話題となったが、チームは上手く機能せず、個々の選手がバラバラに活躍するのみで優勝候補筆頭といわれた前評判を見せられぬまま、準々決勝でフランスに敗れベスト8で敗退した。

FIFAコンフェデレーションズカップ2009では背番号10を背負い、ブラジルの優勝に貢献すると共に大会最優秀選手(ゴールデンボール)に輝いた。

2010 FIFAワールドカップでは、前回大会のカルテット・マジコから唯一代表に選出され、この大会でも背番号10を背負って臨んだ。しかし、結果は前回大会と同じベスト8でオランダに逆転負けを喫し、カカは3アシストでドイツ代表のメスト・エジル、バスティアン・シュヴァインシュタイガー、トーマス・ミュラーに並び最多アシストとなるも無得点に終わった。南アフリカW杯以降は代表に招集されず、コパ・アメリカ2011でもプレーすることはなかった。親善試合の11月10日のガボン戦、同14日のエジプト戦で南アフリカW杯以来となる代表招集を受けたが、ふくらはぎの負傷により代表復帰は見送られた。

2012年10月におよそ1年ぶりに代表に招集されると、10月11日のイラクとの親善試合で約2年ぶりとなる出場を果たし、1ゴール1アシストの活躍をみせた。

オーランド・シティ移籍後もメジャーリーグサッカー所属の選手としては初となる代表召集を受け、負傷もあったりした中で断続的に召集されており、2016年5月には同年6月に開催されたコパ・アメリカ・センテナリオに負傷したドウグラス・コスタの代わりとして追加召集を受けたが、6月にカカ自身も負傷したため、大会出場は叶わなかった。

人物像

人物

2005年12月、長年の遠距離恋愛を経て5つ下のブラジル人女性カロリーネ・セリコと母国ブラジルにて結婚した。彼女の母親はディオールのブラジル支社の幹部。2008年6月10日に長男ルーカスが、2011年4月23日に長女イザベラが誕生した。完璧とも言えるカップルであったが、2014年11月に離婚、9年間の夫婦生活に終止符を打った。離婚理由についてはブラジルを拠点とするカロリーネ夫人とカカのオーランド・シティ移籍によるすれ違い生活と報じられている。しかし、離婚から2ヶ月後の2015年1月に一転してカロリーネ夫人がSNS上で復縁を発表するなど、再婚に向けた動きも見られたが結局、2015年8月に再び破局を発表している。

その後、2016年頃から13歳年下のブラジル人モデル、カロリーナ・ディアスとの交際が報じられ、2019年11月に再婚した。2020年にはカカにとっては第三子となる女児が誕生。

実弟のロドリゴも2005年にACミランへ入団、ジゴンの名で選手登録されている。ジゴンは2007年夏にレンタル終了でミランに復帰し、兄と共にプレーしていた。また、呂比須ワグナーとは仲がよく、オフの時はゴルフに行く。カカにとってのアイドルは、ブラジル代表やサンパウロFC、パリ・サンジェルマンなどでプレーしたライー。

キリスト教の福音主義の一派「」(本部サン・パウロ)の信者である。愛読書は聖書、好きな音楽はゴスペル、座右の銘は聖書の言葉の「神に忠実なれ」。無人島に3つ物を持っていくとすればサッカーボール、聖書、iPodを持っていきたいと語っている。FIFAクラブワールドカップ2007決勝戦のボカ・ジュニアーズ戦などの試合でゴールを決めた後に「私はイエスのもの」という意味の「I BELONG TO JESUS」という文字が書かれたシャツを見せた他、The Prizeというクリスチャンのサッカー選手の話を集めたDVDに出演 した際に、「SEXは結婚してからの祝福」と発言し、結婚するまで童貞だった事も告白している。ブラジルのゲイ雑誌が彼のそっくりさんのヌードを掲載すると知った際には、「その企画に何らかの形で「カカ」の名前が載った場合、名誉毀損で雑誌を告訴する」と強く主張した。

前述の事故の影響で近視になったカカは、試合中はコンタクトレンズを使用し、普段は度の強いメガネをしていたが、2007年6月に極秘でレーシック手術を受けた模様。

用具等はアディダス社と契約している。アルマーニの広告モデルを務めたこともある。また、エレクトロニック・アーツのゲームソフト、FIFA11のカバーにも選ばれた。

個人成績

数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。

クラブ

クラブシーズン年齢ディビジョンリーグ国内カップ1大陸大会2その他3シーズン通算
出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点
ブラジルサンパウロ200118カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA271271501645517
200219カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA22996——1784823
200320カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA10250——75227
通算592321750401712547
イタリアミラン2003-0421セリエA301040104104514
2004-0522セリエA3671013210519
2005-0623セリエA351420125——4919
2006-0724セリエA318201510——4818
2007-0825セリエA30150082324119
2008-0926セリエA31161040——3616
通算1937010062235227095
スペインレアル・マドリード2009-1027ラ・リーガ2581071——339
2010-1128ラ・リーガ1473030——207
2011-1229ラ・リーガ275408310408
2012-1330ラ・リーガ1932161——275
通算85231012451012029
イタリアミラン2013-1431セリエA3071062——379
アメリカオーランド・シティ201532メジャーリーグサッカー28921————3010
201633メジャーリーグサッカー24900————249
201734メジャーリーグサッカー23610————246
通算752431————7825
ブラジルサンパウロ201431カンピオナート・ブラジレイロ・セリエA1920051——243
キャリア通算461149449102314619654208

1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 3. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

代表

ブラジル としての年別成績です。親善試合を含みます。

年年齢出場得点得点グラフ
20021951
200320105
20042183
200522133
200623115
200724125
20082531
200926133
20102771
20122932
20133020
20143120
20153220
20163310
通算9229

年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

所属チーム

ユース

期間年齢チーム
1994〜200011ブラジルサンパウロFC

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

クラブ

期間年齢チーム出場得点
2001〜200318ブラジルサンパウロ——
2003〜200920イタリアミラン——
2009〜201326スペインレアル・マドリード6015
2013〜201430イタリアミラン307
2014〜201731アメリカオーランド・シティ5218
201431ブラジルサンパウロ192

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は国内リーグ戦の合計で、カップ戦・大陸大会を含む内訳は「個人成績」の表にあります。

代表

期間年齢チーム
200118ブラジルブラジル U-20
2002〜201619ブラジルブラジル
200421ブラジルブラジル U-23

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
2003-0721ブラジルサンパウロイタリアミラン完全移籍15.1億円
€ 8.5M
2009-0727イタリアミランスペインレアル・マドリード完全移籍115.2億円
€ 65M
2013-0931スペインレアル・マドリードイタリアミランフリー移籍—
2014-0732イタリアミランアメリカオーランド・シティフリー移籍—
2014-0732アメリカオーランド・シティブラジルサンパウロ期限付き移籍—

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)・API-Football(移籍データ)。移籍の有無と移籍先は日本語版 Wikipedia の情報欄、日付・形態・移籍金は API-Football の掲載値。億円換算は ECB レート(2026-10-21 時点)

人物相関

所属履歴と出場記録から機械的に算出しています。個人の交友関係についての評価は含みません。

共にプレーした選手

同じクラブ・同じシーズンに両者とも出場記録がある選手を、シーズン数の多い順に並べています。取得元(API-Football)のシーズン名簿は 2010-11 シーズン以降しか無いため、それ以前に一緒にプレーしたシーズンは数に入りません。

選手クラブ期間シーズン 
サイル・ラリンアメリカオーランド・シティ2015〜20173
クリスティアーノ・ロナウドスペインレアル・マドリード2010〜20123
ダビド・マテオスアメリカオーランド・シティ2010〜20163
イケル・カシージャススペインレアル・マドリード2010〜20123
カリム・ベンゼマスペインレアル・マドリード2010〜20123
マルセロ・ヴィエイラ・ダ・シウヴァ・ジュニオルスペインレアル・マドリード2010〜20123
ナチョ・フェルナンデス・イグレシアススペインレアル・マドリード2010〜20123
ぺぺスペインレアル・マドリード2010〜20123
ラウール・アルビオルスペインレアル・マドリード2010〜20123
セルヒオ・ラモススペインレアル・マドリード2010〜20123
シャビ・アロンソスペインレアル・マドリード2010〜20123
アンヘル・ディ・マリアスペインレアル・マドリード2010〜20123
アルバロ・アルベロアスペインレアル・マドリード2010〜20123
アルバロ・モラタスペインレアル・マドリード2010〜20123
ファビオ・コエントランスペインレアル・マドリード2011〜20122
ヘセ・ロドリゲススペインレアル・マドリード2011〜20122
アンドレア・ペターニャイタリアACミラン20131
アレシャンドレ・ロドリゲス・ダ・シウヴァブラジルサンパウロ20141
カルロス・エンリケ・ジョゼ・フランシスコ・ヴェナンシオ・カジミーロスペインレアル・マドリード20121
クリスティアン・アッビアーティイタリアACミラン20131

指導を受けた監督

本人の在籍期間と監督の在任期間の重なりから算出しています。取得元(API-Football)に在任期間の登録がある監督だけが対象で、古い年代の監督は登録が無いため出ていません。

監督クラブ・代表在任
カルロス・アルベルト・パレイラブラジルブラジル代表2003年1月〜2006年7月
マッシミリアーノ・アッレグリイタリアACミラン2010年7月〜2014年1月
ジョゼ・モウリーニョスペインレアル・マドリード2010年7月〜2013年6月
ルイス・フェリペ・スコラーリブラジルブラジル代表2012年11月〜2014年7月

日本語名を確認できない監督 6 人は掲載していません。

タイトル

クラブ

ACミラン

レアル・マドリード

ブラジル代表

個人

英語の記録名しか確認できないもの(22件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

獲得メダル

代表チームで獲得したメダルです(金3・銀1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。

FIFAワールドカップ金 2002 日韓
FIFAコンフェデレーションズカップ金 2005 ドイツ金 2009 南アフリカ
CONCACAFゴールドカップ銀 2003 アメリカ・メキシコ

出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「カカ (サッカー選手)」(版 109938992)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. API-Football(移籍データ)、2026年10月22日 取得 https://www.api-football.com/
  2. API-Football(選手・監督データ)、2026年10月25日 取得 https://www.api-football.com/
  3. RSSSF、2026年9月13日 取得 https://rsssf.org/miscellaneous/onze-awards.html
  4. Wikidata、2026年10月25日 取得 https://www.wikidata.org/
  5. Wikipedia(日本語版)「カカ (サッカー選手)」、版 ID 109938992、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%AB_%28%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E9%81%B8%E6%89%8B%29
  6. Wikipedia(英語版)、版 ID 1379900175、2026年10月22日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Kak%C3%A1

※ 出典は媒体名・日付・URL を文字で記載しています(外部サイトへのリンクは行いません)。出典が確認できない数値はページに載せません。

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