「第4審判が主審を呼んで私を退場にしたが、私は本当に何も言っていない。」
「次からはベンチに座って動かないようにしないといけない。動くたびに退場になるのだから。」
「25年やってきて初めて、今は試合について明確な答えを出せる状態にない。」
出典:Goal.com 2026年10月25日
SOCCERPEDIA / 監督ページ / イタリアのサッカー監督 / 最終更新:2026年9月1日
マッシミリアーノ・アッレグリ(Massimiliano Allegri、1967年8月11日生)は、イタリア出身のサッカー監督。2026からSSCナポリの監督を務めている。これまでに8クラブを指揮した。クラブ・代表で通算17個のタイトルを獲得、個人賞は16回。
マッシミリアーノ・アッレグリ(Massimiliano Allegri, 1967年8月11日 - )は、イタリア・リヴォルノ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。
現役時代はミッドフィールダーで、1988-89シーズンにピサでセリエAでの初出場を果たした。1992-93シーズンのリーグ第2節、9月13日のACミラン戦でセリエA初得点を挙げると、同シーズンのセリエAで12ゴールを記録する活躍を見せたが、チームはセリエBに降格した。1993-94シーズンからセリエAのカリアリに移籍して3シーズンプレーした。その後はセリエBやセリエCなど様々なクラブを渡り歩き、2003年に現役引退。
2008-09シーズン、セリエAでの監督経験がないまま、セリエAのカリアリの監督に就任。開幕後の5連敗で解任も噂されたが、FWロベルト・アクアフレスカ、ジェダ・ネヴェス、MFアンドレア・コッス、ダニエレ・コンティ、DFパオロ・ビアンコ、GKフェデリコ・マルケッティらの才能を存分に発揮させ、9位という好成績を収めた。この功績を評価され、年間最優秀監督に贈られる「パンキーナ・ドーロ賞」(金のベンチ)を受賞した(2010年2月)。コッスやマルケッティはイタリア代表に選出されるほどの活躍を見せている。2010年4月13日、成績不振で解任となった。
2010-11シーズンからACミランの監督に就任し、セリエA優勝を果たした。2011-12シーズンは優勝候補筆頭に挙げられたものの、ユヴェントスFCに逆転優勝を許し2位に終わった。2012-13シーズンはズラタン・イブラヒモビッチやチアゴ・シウバら主力が移籍するものの、ステファン・エル・シャーラウィらの若手を起用し、UEFAチャンピオンズリーグ出場圏内の3位に留まった。2013-14シーズンは不調が続き、2014年1月13日、成績不振により解任された。
2014年7月、突然辞任 (後にイタリア代表監督に就任) したアントニオ・コンテの後任としてユヴェントスFCの監督に就任。ミラン最終年の成績不振やミラン在籍時代の発言によって、就任当初は批判や反発が強かったが、4試合を残して4連覇となるセリエA優勝を達成、さらにユヴェントスにとって20年ぶり10回目となるコッパ・イタリアを制覇。UEFAチャンピオンズリーグでは準決勝で前回覇者のレアル・マドリードと対戦。2試合合計3-2で下しユヴェントスを12年ぶりの決勝に導いたが決勝でFCバルセロナに一時1-1の同点にするも1-3で敗北した。このシーズンのパンキーナ・ドーロ賞を受賞している。
2015-16シーズン前にはカルロス・テベス、アンドレア・ピルロ、アルトゥーロ・ビダルといった主力を放出する一方、パウロ・ディバラ、マリオ・マンジュキッチ、サミ・ケディラ、アレックス・サンドロ、フアン・クアドラードといった新戦力を獲得し大幅な血の入れ替えを敢行した。SSラツィオとのスーペルコッパ・イタリアーナは制覇したものの、主力の怪我や新戦力が噛みあわなかったことから、クラブ史上初の開幕からの2連敗や開幕からの10試合で3勝3分4敗という不振ぶりであった。しかし、怪我人の復帰や新戦力がフィットしてきたこともあり、2015年10月31日のトリノFCとのトリノダービーからのクラブ新記録の15連勝で首位に浮上。その後1度の引き分けを挟むと9連勝。3試合を残して4月25日に優勝を決め、セリエA史上4チーム目となる5連覇に導いた。UEFAチャンピオンズリーグでは、6回連続となる決勝トーナメント進出を果たすも、ベスト16で強豪バイエルン・ミュンヘンと対戦。ホームアウェー共に2-2、180分で合計4-4のスコアとなり延長戦にもつれこんだ。しかし、延長戦で2点を決められベスト16で敗退した。2016年5月7日にユヴェントスFCと2018年までの契約延長を発表。年俸は550万ユーロとセリエAの中で最も高額な年俸の監督となった
2016-17シーズン前半戦は首位を走るものの、低調な内容の試合が多かったが、後半戦でゴンサロ・イグアイン、パウロ・ディバラ、マリオ・マンジュキッチ、フアン・クアドラードの4人のアタッカーを並べる「4-2-3-1」のフォーメーションが機能。そのまま首位を走り、2017年5月21日、セリエA史上初となるリーグ六連覇を達成。コッパ・イタリアでは決勝に勝ち進み、2017年5月17日のSSラツィオ戦で2-0の勝利。史上初となるコッパ・イタリア三連覇と3年連続の国内二冠を達成した。UEFAチャンピオンズリーグ 2016-17では準々決勝でFCバルセロナを二試合合計3-0で破るなどし自身2度目の決勝進出。決勝ではレアル・マドリードとの対戦になったが、1-4で敗戦し三冠達成はならなかった。2016-17シーズン後、2020年まで契約を延長。その後国内リーグは連覇を続けたもの、チャンピオンズリーグに関しては結果を残すことで出来ず、特にクリスティアーノ・ロナウドを加えた2018-19シーズンも準々決勝で敗退するなど、手腕を疑問視される形となり、2019年5月17日に同シーズンで退任することが発表された。
2021年5月28日、2年間の休息を経て前所属であるユヴェントスFCの監督に就任することが発表された。
2022年5月12日、ユヴェントスはコッパ・イタリア決勝でインテル・ミラノと対戦し、延長戦の末に2-4で敗れた。リーグ戦ではスクデット争いから脱落し、イタリア杯の2連覇も逃したことでユヴェントスは2010-11シーズン以来の無冠となった。
2023年1月12日にはナポリと対戦するも、1-5の大敗を喫した。ユヴェントスがセリエAで5失点をするのは1993年のペスカーラ戦以来であり、奇しくも30年前のその試合で先制点を決めたのは、ペスカーラの選手としてプレーしていたアッレグリ自身であった。
2024年2月25日、フロジノーネとホームで対戦して3-2の勝利を飾った。これにより、アッレグリはセリエA史上初めて通算獲得勝点「1000」達成。セリエA史上最も多くの勝点を獲得した。 5月15日、コッパ・イタリア決勝でアタランタに1-0で勝利し3シーズンぶりのタイトルを獲得し、アッレグリは同大会において最も優勝回数の多い監督になった。しかし、試合中の行動(審判への侮辱やスタジアムの照明破壊、ユヴェントスのスポーツディレクターに対する無礼な態度など)が問題視されスポーツ裁判所から2試合の資格停止と罰金処分が言い渡された。さらに、17日にユヴェントスは『コッパ・イタリア決勝戦の最中とその後にユヴェントスの価値観や、ユヴェントスを代表する者が守るべき行動と相容れない行為があったとクラブが判断した』との声明を出すとともに解任された。
2025-26シーズンより、ACミラン監督に11年ぶりに復帰した。開幕節でいきなりクレモネーゼに敗れたものの、その後は24戦無敗と順調に勝ち点を積み上げ、インテルやナポリらとスクデット争いを演じていた。しかし、終盤戦は10試合で3勝1分6敗と急失速。現地時間24日に行われた最終節でカリアリに敗れたことでヨーロッパリーグ(EL)出場圏の5位に転落。土壇場でCL出場権を逃し、2026年5月25日に解任が発表された。
2004年より指導者としてキャリアをスタート。2005年からセリエC1のグロッセートの監督となるも2006-07シーズンに途中解任。2007年8月、サッスオーロの監督に招聘され、優勝を果たしてセリエB昇格に成功。
一次情報の発言のみ収録。1回の会見につき主要な発言を最大3つ引用し、他は解説で要約しています。
「第4審判が主審を呼んで私を退場にしたが、私は本当に何も言っていない。」
「次からはベンチに座って動かないようにしないといけない。動くたびに退場になるのだから。」
「25年やってきて初めて、今は試合について明確な答えを出せる状態にない。」
出典:Goal.com 2026年10月25日
「我々が最も改善すべきなのは、ボールを持っていない時の試合の進め方だ。その点で向上し、より強く、より粘り強くなれることを示さなければならない。」
「我々自身については、特に守備を改善する必要がある。失点が多すぎるので、引き締めなければならない。」
「ガスペリーニは素晴らしい仕事をしているし、チームには質と情熱がそろっている。」
出典:Goal.com 2026年10月23日
「シュート1本で結果を出せればいい。失点が多すぎる」
出典:Goal.com 日本語版 2026年10月19日
「少しリラックスしていて、もう少し形式ばらない人だ。僕が見る限り、選手との個人的なつながりをより大切にしている。」
出典:The Guardian Football 2026年10月19日
「2019年から、アッレグリの『キャリアとは呼べない歩み』が問われている。7年間、そして今が8年目だが、彼は1位か2位に相当する戦力を維持するために現代で求められるような仕事ができず、いつも3位に終わっている。」
出典:Goal.com 日本語版 2026年10月18日
「彼が私を悩ませたか?いや、誤解があっただけで、それだけのことだ。」
「試合結果が世論を左右するのは理解している。つまり、最も大切なのは常に結果だということだ。」
「フロジノーネ戦は皆が美しくて楽しいと言ったが、我々は8本のカウンターを浴びた。うまく突かれていたら、良い試合だったと語るために我々がここに来ることはなかっただろう。」
出典:Goal.com 2026年10月16日
「守備の仕方を知っていることが、ほとんど恥のように扱われるようになってしまった。それは必ずしも自陣ゴールの近くで守ることを意味しない。」
「強いチームの特徴は、崩れたり間延びしたりしないことだ。後半、我々は全員が個人で試合を解決しようとした。」
「試合中にミスは起こりうる。大事なのはその後も完全に落ち着いてチームとして戦い続けることだが、今夜はある時点で我々はチームとして戦うのをやめてしまった。」
出典:Goal.com 2026年10月14日
「彼は素晴らしい人物であり、選手のマネジメントが並外れて上手い。あれほどの格の選手たちをどう扱えばよいか、彼は完璧に心得ていた。」
出典:Goal.com 2026年10月14日
「代表でプレーすれば勝ち、得点し、高い評価を受けている。ただ、彼は非凡な選手だ。」
「選手は、その人間が何者で、シーズンを通して何をするかで評価されるべきだ。その選手は議論の対象ではない。」
「立ち上がりの意欲と激しさは良かった。技術面では、枠に飛ばなかった決定機が6、7回あり、フラッシュ・フロジノーネ相手にフィニッシュを決められなければ襲いかかられる。」
出典:Goal.com 2026年10月11日
「まず、彼は私と話をしてくれる」
「私と話し、何を改善できるのか、何がよかったのかを教えてくれる監督だ。ピッチ上でも、より自由にプレイさせてくれる。」
出典:Yahoo!ニュース 2026年10月11日
英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1375844094)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。
| 在任期間 | 年齢 | チーム | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2003.07〜2004.06 | 35 | 38 | 10 | 13 | 15 | 26.3% | |
| 2004.07〜2005.05 | 36 | 40 | 13 | 15 | 12 | 32.5% | |
| 2005.07〜2005.10 | 37 | 20 | 6 | 9 | 5 | 30.0% | |
| 2006.04〜2006.10 | 38 | 10 | 1 | 6 | 3 | 10.0% | |
| 2007.07〜2008.05 | 39 | 42 | 23 | 6 | 13 | 54.8% | |
| 2008.05〜2010.04 | 40 | 74 | 27 | 15 | 32 | 36.5% | |
| 2010.06〜2014.01 | 42 | 178 | 91 | 49 | 38 | 51.1% | |
| 2014.07〜2019.05 | 46 | 271 | 191 | 43 | 37 | 70.5% | |
| 2021.07〜2024.05 | 53 | 149 | 80 | 34 | 35 | 53.7% | |
| 2025.05〜2026.05 | 57 | 42 | 22 | 10 | 10 | 52.4% | |
| 2026.07〜現在 | 58 | 6 | 2 | 1 | 3 | 33.3% | |
| 通算 | 870 | 466 | 201 | 203 | 53.6% | ||
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1984〜1985 | 16 | クオイオペッリ |
| 1985〜1988 | 17 | |
| 1988〜1989 | 20 | |
| 1989〜1990 | 21 | |
| 1990〜1991 | 22 | |
| 1991〜1993 | 23 | |
| 1993〜1995 | 25 | |
| 1995〜1997 | 27 | |
| 1997〜1998 | 29 | |
| 1998 | 30 | |
| 1998〜2000 | 30 | |
| 2000〜2001 | 32 | |
| 2001〜2003 | 33 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 在任 | 年齢 | チーム | 役職 |
|---|---|---|---|
| 2003〜2004 | 35 | アリアネーゼ | 監督 |
| 2004〜2005 | 36 | 監督 | |
| 2005〜2006 | 37 | 監督 | |
| 2007〜2008 | 39 | 監督 | |
| 2008〜2010 | 40 | 監督 | |
| 2010〜2014 | 42 | 監督 | |
| 2014〜2019 | 46 | 監督 | |
| 2021〜2024 | 53 | 監督 | |
| 2025〜2026 | 57 | 監督 | |
| 2026〜 | 58 | 監督 |
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1985 | 17 | クオイオペッリ | リヴォルノ | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
| 1988 | 20 | リヴォルノ | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | |
| 1989 | 21 | リヴォルノ | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | |
| 1990 | 22 | リヴォルノ | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | |
| 1991 | 23 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 1993 | 25 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 1995 | 27 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 1997 | 29 | パドヴァ | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | |
| 1998 | 30 | パドヴァ | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | |
| 1998 | 30 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 2000 | 32 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 2001 | 33 | アリアネーゼ | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
報道・公開資料に載った年俸を、その媒体・日付とともに掲載しています(当サイトの推定ではありません)。基本給・ボーナス・肖像権収入の扱いは情報源により異なります。出典が確認できない値は掲載しません。
| 時期 | 年齢 | 所属 | 年俸 (報道値) | 備考 | 出典 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2026-27 | 58 | 15.5億円 €8.4m(SalaryLeaks監督ページの年俸(Gross per year、2026/29の3年契約)。ボーナス最大€1.8M/年は除く。Fabrizio RomanoとNicolò Schiraの報道が出典と明記)/1ユーロ=185円で換算 | SalaryLeaks 2026年7月4日 |
年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
英語の記録名しか確認できないもの(9件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「マッシミリアーノ・アッレグリ」(版 110946326)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
※ 出典は媒体名・日付・URL を文字で記載しています(外部サイトへのリンクは行いません)。出典が確認できない数値はページに載せません。
掲載写真は Wikidata API および Wikimedia Commons API を通じて、ライセンス(CC BY-SA / パブリックドメイン等)と作者表示の要件を確認したうえで掲載します。