概要
アントニオ・コンテ(Antonio Conte、1969年7月31日生)は、イタリア出身の元サッカー選手。ポジションはMF(ミッドフィールダー)。イタリアでは1994年から通算20試合2得点を記録している。クラブでは公式戦通算512試合46得点(1985-86 シーズン以降)。クラブ・代表で通算31個のタイトルを獲得、個人賞は30回(プレミアリーグ月間最優秀監督 3回)。
アントニオ・コンテ(Antonio Conte, 1969年7月31日 - )は、イタリア・レッチェ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。元イタリア代表。
クラブ経歴
クラブ経歴
父親はアマチュアのサッカー選手で、レッチェでレンタカーショップを経営していた。また、父親は、ユヴェンティア・レッチェというサッカークラブのオーナーでもあり、そこでサッカーを始めた。13歳の時、活躍がUSレッチェの目に留まり、レッチェの下部組織に入団した。この頃のチームメートには、フランチェスコ・モリエーロやジャンルカ・ペトラーキらが居た。1986年4月6日のピサ戦でプロデビューを果たした。チームは低迷し、セリエB降格が決定した。1988-89シーズン、チームはようやくセリエAに複帰、このシーズン、カルロ・マッツォーネ監督から多くの試合で起用された。1989-90シーズン、レギュラーに定着して28試合に出場し、1989年11月5日のナポリ戦で初得点を決めた。1990年頃には、既にビッククラブから関心を持たれる選手へと成長していた。
1991-92シーズン、ジョバンニ・トラパットーニが獲得を希望して、ユヴェントスFCに移籍した。しかし、移籍初年度は、リーグ戦15試合の出場に留まった。翌1992-93シーズンにレギュラーの座を得て、公式戦47試合に出場し、UEFAカップ優勝を果たした。1994-95シーズンは、怪我がありながらも、公式戦32試合に出場し、リーグ優勝とコッパ・イタリア優勝を果たした。1995-96シーズン、9月13日、チャンピオンズリーグのボルシア・ドルトムントとの対戦で初めてキャプテンを務めた。決勝のアヤックス戦で先発、優勝を果たしたが、負傷により、ウラジミール・ユーゴヴィッチとの途中交代を強いられた。ジャンルカ・ヴィアリ退団後は、アレッサンドロ・デル・ピエロに受け継がれるまで、チームのキャプテンを務めていた。1996-97シーズン、代表戦での負傷により、インターコンチネンタルカップ、チャンピオンズリーグ決勝に出場出来なかった。1997-98シーズン、怪我も癒え、年間44試合で6得点、リーグ制覇も果たした。その後、2001-02シーズンと2002-03シーズンにはリーグ2連覇に貢献。2003-04シーズン、4月4日のインテル戦でキャリア最後の出場を果たした。クラブからは契約延長のオファーを受けたが、35歳での引退を選択した。
代表経歴
代表経歴
イタリア代表では、通算20試合に出場した。1994年5月27日、アリゴ・サッキ監督により、ワールドカップに向けたフィンランドとのテストマッチに起用され、代表デビュー。アメリカW杯では、準々決勝のスペイン戦、準決勝のブルガリア戦で起用された。しかし、決勝のブラジル戦では起用されなかった。
1996年のユーロは、UEFAチャンピオンズリーグ決勝のアヤックス戦での怪我により、代表入りを逃した。その後、1996年10月9日のワールドカップ予選、ジョージア戦で怪我を負い、長期離脱した。ディノ・ゾフ監督体制でも多くの試合に召集され、1999年3月27日、EURO予選のデンマーク戦で代表初得点を決めた。2000年のユーロでは、3試合に出場した。グループリーグ初戦のトルコ戦では、オーバーヘッドでゴールを奪った。しかし、準々決勝のルーマニア戦で、ゲオルゲ・ハジから悪質なタックルを受けて負傷、決勝を含む以降の試合には出場出来ず、この試合が代表チームでの最後の試合となった。
イタリア代表
2014年8月14日、イタリア代表の監督に就任した。自身初のナショナルチームの監督就任である。UEFA EURO 2016出場に導くものの、2016年3月、イタリアサッカー協会は、UEFA EURO 2016終了後にアントニオ・コンテ監督が退任すると発表。同大会ではラウンドオブ16でスペインに勝利し同チームの大会3連覇を阻止し、イタリア代表をベスト8に導いた。
監督経歴
指導者経歴
引退後は指導者の道へ進み、2006-07シーズンはセリエBのアレッツォで監督を務めたが、成績不振により辞任した。2007年末には、セリエBのASバーリ監督に就任。2008-09シーズンにはチームをセリエA昇格に導き、古巣ユヴェントスの監督就任が噂されたが、バーリとの契約を延長した。しかし、直後に契約解除となる。その後、開幕4試合で解任されたアンジェロ・グレグッチの後任としてアタランタBCの監督に就任。しかし、就任早々にクラブの主将だったクリスティアーノ・ドニと対立。就任後13試合で勝ち点13に終わり、コンテ自身から辞任を申し出た。
その後2010年5月にセリエBのACシエナの監督に就任。2トップに加え、両ウイングを配した「4-2-4」システムを用い、シエナをわずか1年でセリエA復帰に貢献した。しかし、主審への抗議や先輩への侮辱ともいえる発言をし退席や2万ユーロの罰金が話題になっている。
ユヴェントス
2011年5月、解任されたルイジ・デルネーリの後任として古巣のユヴェントスFCの監督就任が決定。就任当初は懐疑的な声が上がったものの、「闘将」とよばれた現役時代と同様にチームをタッチライン際で鼓舞する姿を見せ、2002-03シーズン以来(カルチョポリで剥奪されたタイトルを含めると2005-06以来)のセリエA優勝、しかも23勝15分という無敗での優勝に導いた。2012年5月、2013年までの契約を2015年まで延長した。
ACシエナ時代に八百長を知りながら告発しなかった罪に問われ、裁定の結果10か月の資格停止処分を受けた(その後処分は4ヶ月に短縮)。復帰するとハンデをものともせず、2012-13シーズンも優勝し、さらに2013-14シーズンのセリエAも優勝し3連覇を達成し、さらに勝点102という欧州記録を達成した。
2014年7月15日、ユヴェントスの監督を退任したことがクラブの公式サイトで発表された。
2016年4月4日、2015-16シーズンは10位に低迷したチェルシーFCの監督就任が決定。契約期間は3年間。
序盤戦は強豪であるリバプールとアーセナルに完敗し解任報道も出たが、その後3バックを導入しクラブ新記録となる13連勝を記録した。また、プレミアリーグ史上初となる月間最優秀監督賞を3ヶ月連続で受賞した。後半戦はややペースダウンしたものの、首位をキープし、2017年5月12日のアウェーでのウエストブロミッチ戦で1-0で勝利し、チェルシーFCの2年ぶりの優勝を決めた。
しかし、翌2017-18シーズンは5位で終了。FAカップこそ優勝したものの、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を逃した責任を取らされ、2018年7月14日に解任された。
インテル・ミラノ
2019年5月31日、インテルナツィオナーレ・ミラノの監督に就任したことが発表された。契約は3年。 2020-21シーズン、インテルはユヴェントスの連覇を9で止め、10年ぶりのスクデットを達成した。しかし、シーズン終了後に経営陣との対立が表面化し、5月25日に監督を辞任することが発表された。
2021年11月2日、解任されたヌーノ・エスピーリト・サントの後任としてトッテナム・ホットスパーFCの監督に就任。2023年夏までの契約で延長オプションが付帯する。就任1年目の2021-22シーズンは、就任時にプレミアリーグ9位と低迷していた同クラブの4位フィニッシュを成功させ、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。
2023年3月18日、サウサンプトンFC戦で2点リードを守り切れず3-3の引き分けに終わると、試合後のインタビューで選手・フロントに対して不満を爆発させた。3月26日、クラブと双方合意のもとで契約を解除し、トッテナムの監督を退任した。
ナポリ
2024年6月5日、SSCナポリの監督に就任した。契約期間は2027年6月までの3年となる。采配初年から結果を出し、前年の10位から巻き返してセリエA優勝を果たした。
翌2025-26シーズンはリーグ2位の好成績だったものの、残り1年の契約を解除して退団した。
発言集
一次情報の発言のみ収録。1回の会見につき主要な発言を最大3つ引用し、他は解説で要約しています。
2026-27シーズン(3件)
2026年10月23日本人コメントアントニオ・コンテ(本人)
「最近のイタリア国内外の報道を受け、私の立場を明確にしておくのが適切だと考えます。私の名前は複数のクラブと結びつけられていますが、現時点で交渉が最終段階に達しているものはありません。」
「ナポリの技術スタッフの先頭に立った素晴らしく成功した期間を経て、指導者としてどのように、いつ復帰するかを考える時間を自分に与えるつもりです。これは慎重に考え抜いた決断になり、状況が適切だと判断したときに下します。」
「これらの報道には根拠がありません。現時点でそのような評価を可能にする具体的な根拠は存在しないからです。」
出典:Goal.com 2026年10月23日
2026年10月16日本人コメントアントニオ・コンテ(本人)/公式インタビュー
「歴史を見失ってしまったクラブは数多くある。私はそうしたクラブの一つに行って、その歴史を掘り起こし、再び輝かせたいと思っている。」
出典:dメニューニュース 2026年10月16日
2026年10月12日本人コメントアントニオ・コンテ(本人)/公式インタビュー
「今のイングランドではロケットランチャーを使って移籍市場で戦っているが、他の国はどこもまだピストルを使っている。」
「歴史が自ずと語るクラブ、つまりタイトルやリーグ優勝、勝利に満ちた歴史を持つクラブに行くなら、その歴史に敬意を示す方法は一つしかない。今それらの目標を達成できていないのであれば、クラブを再び争える位置に戻す野心を持つことだ。」
「歴史とのつながりをある程度失ってしまったクラブはたくさんある。私はそうしたクラブの一つに行って、その歴史を蘇らせ、再び輝かせたい。」
出典:Goal.com 2026年10月12日
個人成績
数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。
クラブ
1. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 2. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
代表
イタリア としての年別成績です。親善試合を含みます。
年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
監督成績
在任別・通算
英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1380443963)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。
所属チーム
クラブ
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
代表
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
監督
移籍金・年俸・市場価値の推移
移籍履歴
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
人物相関
所属履歴と出場記録から機械的に算出しています。個人の交友関係についての評価は含みません。
指導を受けた監督
本人の在籍期間と監督の在任期間の重なりから算出しています。取得元(API-Football)に在任期間の登録がある監督だけが対象で、古い年代の監督は登録が無いため出ていません。
タイトル
クラブ
ユヴェントス(選手)
- セリエA:5回(1994-95, 1996-97, 1997-98, 2001-02, 2002-03)
- コッパ・イタリア:1回(1994-95)
- スーペルコッパ・イタリアーナ:3回(1995, 1997, 2003)
- UEFAチャンピオンズリーグ:4回(1995-96, 1996-97, 1997-98, 2002-03)
- UEFAカップ:2回(1992-93, 1994-95)
イタリア代表(選手)
- FIFAワールドカップ準優勝:1回(1994)
- UEFA欧州選手権準優勝:1回(2000)
バーリ(監督)
ユヴェントス(監督)
- セリエA:3回(2011-12, 2012-13, 2013-14)
- スーペルコッパ・イタリアーナ:2回(2012, 2013)
チェルシー(監督)
- プレミアリーグ:1回(2016-17)
- FAカップ:2回(2017-18, 2016-17)
インテル(監督)
ナポリ(監督)
- セリエA:1回(2024-25)
- スーペルコッパ・イタリアーナ:1回(2025-26)
個人
- プレミアリーグ月間最優秀監督:3回(2016, 2016, 2016)
- プレミアリーグ年間最優秀監督:1回(2016-17)
- LMA 年間最優秀監督:1回(2016-17)
- イタリアサッカー殿堂:1回(2021)
英語の記録名しか確認できないもの(16件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
獲得メダル
代表チームで獲得したメダルです(銀2)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。
出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「アントニオ・コンテ」(版 110632287)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
出典
- Goal.com、2026年10月12日、2026年10月13日 取得 https://www.goal.com/en/lists/the-decision-is-now-close-conte-awaits-manchester-united-s-signal/blt6aecef40de03dda9
- Goal.com、2026年10月23日、2026年10月24日 取得 https://www.goal.com/en/news/conte-responds-to-manchester-united-coaching-reports-settling-his-stance-on-the-controversial-conditions/blt286cf74d583616f0
- Wikidata、2026年10月25日 取得 https://www.wikidata.org/
- Wikipedia(日本語版)「アントニオ・コンテ」、版 ID 110632287、2026年10月11日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%86
- Wikipedia(英語版)、版 ID 1380443963、2026年10月18日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Antonio_Conte
- dメニューニュース、2026年10月16日、2026年10月24日 取得 https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/theworldmagazine/sports/theworldmagazine-510015
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