ジャンルカ・ヴィアリ

SOCCERPEDIA / 選手・監督ページ / イタリアのサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日


概要

イタリアジャンルカ・ヴィアリ(Gianluca Vialli、1964年7月9日 - 2023年1月6日)は、クレモナ出身の元サッカー選手。ポジションはFW。イタリアでは1985年から通算59試合16得点を記録している。クラブでは公式戦通算674試合259得点(1980-81 シーズン以降)。クラブ・代表で通算25個のタイトルを獲得、個人賞は9回。

ジャンルカ・ヴィアッリ(Gianluca Vialli, 1964年7月9日 - 2023年1月6日)は、イタリア・クレモナ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。元イタリア代表。現役時代のポジションはFW。

クラブ経歴

クレモネーゼ

裕福な家庭に5人兄弟の末っ子として誕生した。16歳の時、サッカー選手になる夢を叶えるため、学業を放棄し、クレモネーゼのユースへ入団した。1980-81シーズンにセリエCの舞台にデビューした。1982-83シーズンからは、子供の頃のアイドルだった、エミリアーノ・モンドニコ監督の下でプレーし、FWとして徐々に成長を遂げた。1983-84シーズン、セリエBの舞台で10得点を挙げ、チームは翌シーズンのセリエA昇格を決めると、以前から獲得に興味を示していたユヴェントスが獲得を申し入れたが、既にサンプドリアと口頭合意していた。

サンプドリア

1984-85シーズン、サンプドリアに移籍、これまでウイングでプレーしていたものの、センターフォワードとして起用されることも増え、特にロベルト・マンチーニとは良いコンビネーションを見せた。このシーズンのコッパ・イタリア決勝第2戦では、ACミランを破る得点を決め、初タイトルを獲得した。1985-86シーズン終了後、ACミランのシルヴィオ・ベルルスコーニが獲得のオファーを出したが、検討の末に残留した。1986-87シーズン、リーグ戦だけで12ゴールを記録した。1987-88シーズン、コッパ・イタリア決勝第1戦でゴールを決め、第2戦でトリノを破って優勝を果たした。

1988-89シーズンのコッパ・イタリアでは、決勝第2戦のナポリ戦でも1得点を決めるなど、大会合計13得点を挙げて3度目の優勝を果たした。1989-90シーズン、UEFAカップウィナーズカップ決勝では、2得点を決めて優勝を果たした。1990-91シーズンのリーグ戦においては19ゴールを挙げ得点王となり、スクデット獲得に貢献した。

1991-92シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグの前身、UEFAチャンピオンズカップの決勝に進出するが、数度訪れた決定機を逃し、負傷によりレナート・ブーゾと交代、バルセロナに0-1敗れ準優勝に終わった。サンプドリアでは、公式戦321試合で141得点を記録した。

ユヴェントス

1992年より当時世界最高額でユヴェントスへ移籍(更にエウジェニオ・コリーニ、ミケーレ・セレナらユヴェントスから4選手の譲渡が含まれていた。)、1992-93シーズンのUEFAカップでは、5得点を挙げて優勝に貢献したが、ユヴェントスでの4シーズンのうち、最初の2年間は度重なる怪我での離脱もあり、リーグ戦42試合10得点と活躍出来なかった。しかし、マルチェロ・リッピ監督就任後の2シーズン、エースストライカーとして活躍した。1994-95シーズン、1994年10月23日のクレモネーゼ戦では、ベストゴールの一つとされるのバイシクルシュートを決めるなど、17ゴールを挙げて自身2度目のスクデットを獲得。コッパイタリアでも優勝に貢献した。

1995-96シーズン、UEFAチャンピオンズリーグ、準決勝のナント戦では、第1戦で1ゴール、2戦では1ゴール1アシスト(パウロ・ソウザのゴールをアシスト、試合には敗れたが、このゴールにより合計でナントを上回り。ユベントスは決勝に進出した。)と目覚ましい活躍を見せた。決勝では、アヤックスをPK戦の末に破り、キャプテンとして優勝を果たした。シーズン後半、既にユヴェントスからは、契約延長をしないことを告げられ、退団が決定していた。

チェルシー

1996-97シーズン、ルート・フリットが監督を務めていた、プレミアリーグのチェルシーに移籍、この年のFAカップ獲得に貢献。1997-98シーズンには、UEFAカップウィナーズカップを制した。1998-99シーズンはチェルシーのプレイングマネージャーに就任した。EFLカップでは3試合で6得点を決めるなど、プレイングマネージャーとして、このシーズン20試合で10得点を挙げたが、プレーヤーとしてのキャリアに終止符を打った。

代表経歴

代表歴

イタリア代表としては1985年11月16日のポーランド戦で初出場。1986年のワールドカップメキシコ大会では、途中出場で4試合に出場したが無得点、1988年ヨーロッパ選手権では、4試合全てに先発起用され、グループリーグのスペイン戦で1得点を挙げた。1987年1月24日のマルタ戦で代表初ゴールを挙げた。

1990年のワールドカップイタリア大会では、脹脛に負傷を抱え、またゴシップを報じられる中でのプレーとなった。イタリアの7試合のうち3試合に先発で出場、グループリーグ初戦オーストリア戦ではクロスでサルヴァトーレ・スキラッチの決勝点をアシスト。第2戦のアメリカ戦では、PKを外した。準決勝のアルゼンチン戦ではシュートのこぼれ球からスキラッチの得点が生まれたが、自身は無得点に終わるなど、スキラッチやロベルト・バッジョらの台頭もあって大きな活躍の機会はなかった。

1992年12月19日、ワールドカップ予選のマルタ戦に出場してゴールを挙げたが、アリゴ・サッキ監督と衝突、その後、サッキから2度の召集を受けたが、復帰を拒否した。後に「召集を拒否したのは誤った判断であった」と後悔を口にした。

監督経歴

引退後

サンプドリア時代の友人であるマンチーニ率いるイタリア代表のコーディネーターを務め、ユーロ2020では優勝を果たした。2019年に膵臓がんの治療のため代表チームのコーデイネーターからは離れていたが、2023年1月6日に死去した。58歳没。

個人成績

数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。

クラブ

クラブシーズン年齢ディビジョンリーグ国内カップ1リーグカップ2大陸大会3その他4シーズン通算
出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点
イタリアクレモネーゼ1980-8116セリエC1*2000——————20
1981-8217セリエB31510——————325
1982-8318セリエB35820——————378
1983-8419セリエB371052——————4212
通算1052382——————11325
サンプドリア1984-8520セリエA283136——————419
1985-8621セリエA28672——40——398
1986-8722セリエA281254——————3316
1987-8823セリエA3010133——————4313
1988-8924セリエA30141413——75115233
1989-9025セリエA221022——87103319
1990-9126セリエA261973——41103823
1991-9227セリエA311163——116104920
通算223856736——341941328141
イタリアユヴェントス1992-9328セリエA32672——105——4913
1993-9429セリエA10400——20——124
1994-9530セリエA301773——92——4622
1995-9631セリエA301100——72113814
通算10238145——2891114553
イングランドチェルシー1996-9732プレミアリーグ2895210————3411
1997-9833プレミアリーグ2111123086103419
1998-9934プレミアリーグ91323651002010
通算58219676137108840
キャリア通算488167984976753562674259

1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. リーグカップ(EFLカップ、JリーグYBCルヴァンカップなど) 3. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 4. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

代表

イタリア としての年別成績です。親善試合を含みます。

年年齢出場得点得点グラフ
19852010
198621100
198722105
198823115
198924101
19902530
19912683
19922762
通算5916

年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

監督成績

在任別・通算

英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1365448487)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。

在任期間年齢チーム試合勝分敗勝率
通算19596495049.2%

所属チーム

ユース

期間年齢チーム
1973〜19788ピッツィゲットーネ
1978〜198013イタリアクレモネーゼ

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

クラブ

期間年齢チーム
1980〜198415イタリアクレモネーゼ
1984〜199219イタリアサンプドリア
1992〜199627イタリアユヴェントス
1996〜199931イングランドチェルシー

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

代表

期間年齢チーム
1983〜198618イタリアイタリア U-21
1985〜199220イタリアイタリア

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

監督

在任年齢チーム役職
1998〜200033イングランドチェルシー監督
2001〜200236イングランドワトフォード監督

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
198419イタリアクレモネーゼサンプドリア移籍—形態・移籍金は未確認
199227サンプドリアイタリアユヴェントス移籍—形態・移籍金は未確認
199631イタリアユヴェントスイングランドチェルシー移籍—形態・移籍金は未確認

※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認

人物相関

所属履歴と出場記録から機械的に算出しています。個人の交友関係についての評価は含みません。

指導を受けた監督

本人の在籍期間と監督の在任期間の重なりから算出しています。取得元(API-Football)に在任期間の登録がある監督だけが対象で、古い年代の監督は登録が無いため出ていません。

監督クラブ・代表在任
マルチェロ・リッピイタリアユヴェントス1994年7月〜1999年2月

タイトル

クラブ

UCサンプドリア(選手)

ユヴェントス(選手)

チェルシー(選手)

その他

チェルシー(監督)

個人

英語の記録名しか確認できないもの(9件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

獲得メダル

代表チームで獲得したメダルです(金1・銀1・銅1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。

UEFA欧州選手権金 2020
FIFAワールドカップ銀 1986銅 1990

出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「ジャンルカ・ヴィアッリ」(版 105542207)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. Wikidata、2026年10月26日 取得 https://www.wikidata.org/
  2. Wikipedia(日本語版)「ジャンルカ・ヴィアッリ」、版 ID 105542207、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%AA
  3. Wikipedia(英語版)、版 ID 1365448487、2026年10月14日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Gianluca_Vialli

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