概要
ディノ・ゾフ(Dino Zoff、1942年2月28日生)は、マリアーノ・デル・フリウーリ出身の元サッカー選手。ポジションはGK。イタリアでは1968年から通算112試合0得点を記録している。クラブ・代表で通算53個のタイトルを獲得。
ディノ・ゾフ(Dino Zoff, 1942年2月28日 - )は、イタリア出身の元サッカー選手、サッカー指導者。元イタリア代表。ポジションはゴールキーパー。イタリアサッカー史を代表するGK。ユヴェントス在籍時の1973-74シーズンに1974年FIFAワールドカップ・西ドイツ大会のハイチ戦で得点を許すまで1143分間連続無失点記録を樹立している。1973年のバロンドールでは、ヨハン・クライフの次点となり、受賞はならなかった。
クラブ経歴
経歴
マリアーノ・デル・フリウーリの農家の家に生まれ、両親からは自己犠牲の精神の重要性を叩き込まれるなど、厳しいしつけを受けた。ティーンネージャーの頃は、修理工として働きながら、マリアネーゼのユースチームでプレーした。14歳の頃には既に有名チームからも注目され、ユヴェントスやインテルのトライアウトを受けたが、痩せていて背も低かったことから不合格となった。その後、祖母が考案した食事法の成果も出て、182cm75kgまで成長した。1961年、ウディネーゼに誘われて入団した。1961年9月24日にフィオレンティーナ戦でデビューを果たしたが、このシーズンチームは低迷し、セリエBへと降格が決まった。
1963年、マントヴァへ移籍。セカンドGKとして考えられたいたが、正GKとしてプレーする予定の選手の怪我により、正GKとしてプレーすることになった。マントヴァでの4シーズンのうち、3シーズンをセリエAでプレーし、通算134試合に出場、許したゴールは116であった。
1967年、ACミランへの移籍が決まりかけていたが、大金を積んだナポリが獲得した。1967-68シーズンは優勝争いの末に2位に入った。1970-71シーズン、リーグ戦30試合に出場、許したゴールは18点であった。また、リーグ戦で590分クリーンシートを記録した。しかし、ナポリではリーグ優勝を果たせなかった。
1972-73シーズン、ユヴェントスに移籍、すぐにチームを代表する一人となり、以降11シーズン在籍、公式戦通算479試合に出場し、許したゴールは355ゴールであった。在籍時にセリエA優勝5回、コッパ・イタリア、UEFAカップウィナーズカップなどの栄冠を手にしている。チャンピオンズカップでは、1972年はアヤックスに、1983年はハンブルガーに敗れていずれも準優勝に終わった。1971-72シーズンには、当時のセリエA最長無失点記録となる、903分無失点を記録(1993-94シーズンにセバスティアーノ・ロッシが929分を記録し更新、更にその後、ジャンルイジ・ブッフォンが974分まで記録を更新した。)。1981-82シーズン、リーグ戦30試合で失点は僅か14であった。1983年に41歳で現役を引退した。セリエA通算出場570試合は2005年にパオロ・マルディーニが塗り替えるまで最多だった。
代表経歴
代表経歴
イタリア代表では、1968年4月20日、欧州選手権出場権をかけて行われた、ブルガリアとの第2戦でデビュー。同年の1968年大会でベストイレブンに選ばれる活躍で、優勝に貢献した。1970年のワールドカップ・メキシコ大会では、ライバルのエンリコ・アルベルトージが正GKを務めたため出場機会を得られなかった。
1974年のワールドカップ・西ドイツ大会、1978年のワールドカップ・アルゼンチン大会ではそれぞれ正GKを務めた。1977年にジャチント・ファケッティ引退後は代表のキャプテンを務めた。1980年の欧州選手権では、4位ながらも、大会ベストイレブンに選出された。
1982年、ワールドカップ・スペイン大会でも代表キャプテンを務め、チームの優勝に寄与し、大会最優秀GKに選出された。この大会の2次リーグで対戦したブラジル戦では、オスカーの決定的なヘディングシュートをセーブして3-2で勝利、チームの準決勝進出に寄与した。決勝で西ドイツを下して優勝を果たした。また、40歳での大会優勝は最年長記録となった。1983年5月29日、スウェーデンとの対戦が代表での最後の試合となった。
監督経歴
引退後
引退後すぐにユヴェントスのGKコーチを1年務めた。その後はイタリア五輪代表監督を務め、1989年から古巣ユヴェントスの監督として、UEFAカップとコッパ・イタリアで優勝した。1990年からはラツィオで監督を務め、1992-93シーズン、チームをUEFAカップ出場へと導いた。1994年からは同クラブの会長に就任。1998年にイタリア代表監督に就任すると、EURO2000でフランスに敗れたものの準優勝に導いた。その後再びラツィオの監督に復帰したが、2001年9月に成績不振で解任された。2005年1月から6月まではフィオレンティーナの監督を務め、チームをセリエA残留に導いたが、シーズン終了後に監督業からの引退を表明した。
1999年、 ワールドサッカー誌の20世紀の偉大なサッカー選手100人で47位に選出された。2020年にはバロンドール・ドリームチームの投票によって、歴代GK部門の5位に選出された。
個人成績
数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。
クラブ
| クラブ | シーズン | 年齢 | ディビジョン | リーグ | 大陸大会1 | その他2 | シーズン通算 | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 1961-62 | 19 | 0 | 0 | — | — | — | — | 4 | 0 | — | |
| 1962-63 | 20 | 1 | 0 | — | — | — | — | 36 | 0 | — | |
| 通算 | 0 | — | — | — | — | 41 | 0 | — | |||
| 1963-64 | 21 | 0 | 0 | — | — | — | — | 27 | 0 | — | |
| 1964-65 | 22 | 1 | 0 | — | — | — | — | 33 | 0 | — | |
| 1965-66 | 23 | 1 | 0 | — | — | — | — | 39 | 0 | — | |
| 1966-67 | 24 | 1 | 0 | — | — | — | — | 35 | 0 | — | |
| 通算 | 0 | — | — | — | — | 134 | 0 | — | |||
| 1967-68 | 25 | 2 | 0 | 4 | 0 | — | — | 36 | 0 | — | |
| 1968-69 | 26 | 5 | 0 | 3 | 0 | — | — | 38 | 0 | — | |
| 1969-70 | 27 | 3 | 0 | 6 | 0 | — | — | 39 | 0 | — | |
| 1970-71 | 28 | 11 | 0 | — | — | — | — | 41 | 0 | — | |
| 1971-72 | 29 | 11 | 0 | 2 | 0 | — | — | 36 | 0 | — | |
| 通算 | 0 | 15 | 0 | — | — | 190 | 0 | — | |||
| 1972-73 | 30 | 11 | 0 | 9 | 0 | — | — | 50 | 0 | — | |
| 1973-74 | 31 | 9 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 42 | 0 | — | |
| 1974-75 | 32 | 10 | 0 | 10 | 0 | — | — | 50 | 0 | — | |
| 1975-76 | 33 | 4 | 0 | 4 | 0 | — | — | 38 | 0 | — | |
| 1976-77 | 34 | 5 | 0 | 12 | 0 | — | — | 47 | 0 | — | |
| 1977-78 | 35 | 4 | 0 | 7 | 0 | — | — | 41 | 0 | — | |
| 1978-79 | 36 | 9 | 0 | 2 | 0 | — | — | 41 | 0 | — | |
| 1979-80 | 37 | 4 | 0 | 8 | 0 | — | — | 42 | 0 | — | |
| 1980-81 | 38 | 8 | 0 | 4 | 0 | 3 | 0 | 45 | 0 | — | |
| 1981-82 | 39 | 4 | 0 | 4 | 0 | — | — | 38 | 0 | — | |
| 1982-83 | 40 | 6 | 0 | 9 | 0 | — | — | 45 | 0 | — | |
| 通算 | 0 | 71 | 0 | 4 | 0 | 479 | 0 | — | |||
| キャリア通算 | 0 | 86 | 0 | 4 | 0 | 844 | 0 | — | |||
1. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 2. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
代表
イタリア としての年別成績です。親善試合を含みます。
| 年 | 年齢 | 出場 | 得点 | 得点グラフ |
|---|---|---|---|---|
| 1968 | 25 | 5 | 0 | |
| 1969 | 26 | 4 | 0 | |
| 1970 | 27 | 2 | 0 | |
| 1971 | 28 | 6 | 0 | |
| 1972 | 29 | 5 | 0 | |
| 1973 | 30 | 8 | 0 | |
| 1974 | 31 | 8 | 0 | |
| 1975 | 32 | 7 | 0 | |
| 1976 | 33 | 10 | 0 | |
| 1977 | 34 | 6 | 0 | |
| 1978 | 35 | 12 | 0 | |
| 1979 | 36 | 4 | 0 | |
| 1980 | 37 | 12 | 0 | |
| 1981 | 38 | 7 | 0 | |
| 1982 | 39 | 13 | 0 | |
| 1983 | 40 | 3 | 0 | |
| 通算 | 112 | 0 | ||
年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
監督成績
在任別・通算
英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1374423100)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。
| 在任期間 | 年齢 | チーム | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| — | — | 104 | 53 | 34 | 17 | 51.0% | |
| — | — | 154 | 57 | 58 | 39 | 37.0% | |
| — | — | 16 | 9 | 5 | 2 | 56.2% | |
| — | — | 22 | 10 | 7 | 5 | 45.5% | |
| — | — | 32 | 17 | 8 | 7 | 53.1% | |
| — | — | 20 | 5 | 7 | 8 | 25.0% | |
| 通算 | 348 | 151 | 119 | 78 | 43.4% | ||
所属チーム
クラブ
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
代表
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1963〜1964 | 20 | |
| 1968〜1983 | 25 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
監督
| 在任 | 年齢 | チーム | 役職 |
|---|---|---|---|
| 1986〜1988 | 43 | 監督 | |
| 1988〜1990 | 45 | 監督 | |
| 1990〜1994 | 47 | 監督 | |
| 1996〜1997 | 53 | 監督 | |
| 1998〜2000 | 55 | 監督 | |
| 2001〜2001 | 58 | 監督 | |
| 2005〜2005 | 62 | 監督 |
移籍金・年俸・市場価値の推移
移籍履歴
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1963 | 21 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 1967 | 25 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 1972 | 30 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
タイトル
クラブ
ユヴェントス(選手)
- セリエA:6回(1972-73, 1974-75, 1976-77, 1977-78, 1980-81, 1981-82)
- コッパ・イタリア:2回(1978-79, 1982-83)
- UEFAカップ:1回(1976-77)
- インターコンチネンタルカップ:1回(1973)
- 欧州チャンピオンズカップ:2回(1972-73, 1982-83)
イタリア代表(選手)
- FIFAワールドカップ:2回(1982, 1970)
- UEFA欧州選手権:1回(1968)
ユヴェントス(監督)
- コッパ・イタリア:1回(1989-90)
- UEFAカップ:1回(1989-90)
イタリア代表(監督)
- UEFA欧州選手権:1回(2000)
選手
- UEFA欧州選手権 大会ベストイレブン:2回(1968, 1980)
- バロンドール:1回(1973)
- FIFA 100(偉大な選手100人)
- IFFHSレジェンド
監督
- FIFAワールドカップ:1回(1982)
英語の記録名しか確認できないもの(26件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
獲得メダル
代表チームで獲得したメダルです(金2・銀1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。
| FIFAワールドカップ | 金 1982銀 1970 |
|---|---|
| UEFA欧州選手権 | 金 1968 |
出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。
英語の記録名しか確認できないもの(1件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「ディノ・ゾフ」(版 105573639)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
出典
- Wikidata、2026年10月26日 取得 https://www.wikidata.org/
- Wikipedia(日本語版)「ディノ・ゾフ」、版 ID 105573639、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%82%BE%E3%83%95
- Wikipedia(英語版)、版 ID 1374423100、2026年10月14日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Dino_Zoff
※ 出典は媒体名・日付・URL を文字で記載しています(外部サイトへのリンクは行いません)。出典が確認できない数値はページに載せません。
関連項目
- ウディネーゼ
- マントヴァ
- ナポリ
- ユヴェントス
- オリンピックイタリア代表
- ラツィオ
- イタリア代表
- フィオレンティーナ
- イタリア
- イタリア U-21
- セリエA
- コッパ・イタリア
- UEFAカップ
- インターコンチネンタルカップ
- 欧州チャンピオンズカップ
- FIFAワールドカップ
- UEFA欧州選手権
- UEFA欧州選手権 大会ベストイレブン
- バロンドール
- FIFA 100(偉大な選手100人)
掲載写真は Wikidata API および Wikimedia Commons API を通じて、ライセンス(CC BY-SA / パブリックドメイン等)と作者表示の要件を確認したうえで掲載します。