ディノ・ゾフ

SOCCERPEDIA / 選手・監督ページ / イタリアのサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日


概要

イタリアディノ・ゾフ(Dino Zoff、1942年2月28日生)は、マリアーノ・デル・フリウーリ出身の元サッカー選手。ポジションはGK。イタリアでは1968年から通算112試合0得点を記録している。クラブ・代表で通算53個のタイトルを獲得。

ディノ・ゾフ(Dino Zoff, 1942年2月28日 - )は、イタリア出身の元サッカー選手、サッカー指導者。元イタリア代表。ポジションはゴールキーパー。イタリアサッカー史を代表するGK。ユヴェントス在籍時の1973-74シーズンに1974年FIFAワールドカップ・西ドイツ大会のハイチ戦で得点を許すまで1143分間連続無失点記録を樹立している。1973年のバロンドールでは、ヨハン・クライフの次点となり、受賞はならなかった。

クラブ経歴

経歴

マリアーノ・デル・フリウーリの農家の家に生まれ、両親からは自己犠牲の精神の重要性を叩き込まれるなど、厳しいしつけを受けた。ティーンネージャーの頃は、修理工として働きながら、マリアネーゼのユースチームでプレーした。14歳の頃には既に有名チームからも注目され、ユヴェントスやインテルのトライアウトを受けたが、痩せていて背も低かったことから不合格となった。その後、祖母が考案した食事法の成果も出て、182cm75kgまで成長した。1961年、ウディネーゼに誘われて入団した。1961年9月24日にフィオレンティーナ戦でデビューを果たしたが、このシーズンチームは低迷し、セリエBへと降格が決まった。

1963年、マントヴァへ移籍。セカンドGKとして考えられたいたが、正GKとしてプレーする予定の選手の怪我により、正GKとしてプレーすることになった。マントヴァでの4シーズンのうち、3シーズンをセリエAでプレーし、通算134試合に出場、許したゴールは116であった。

1967年、ACミランへの移籍が決まりかけていたが、大金を積んだナポリが獲得した。1967-68シーズンは優勝争いの末に2位に入った。1970-71シーズン、リーグ戦30試合に出場、許したゴールは18点であった。また、リーグ戦で590分クリーンシートを記録した。しかし、ナポリではリーグ優勝を果たせなかった。

1972-73シーズン、ユヴェントスに移籍、すぐにチームを代表する一人となり、以降11シーズン在籍、公式戦通算479試合に出場し、許したゴールは355ゴールであった。在籍時にセリエA優勝5回、コッパ・イタリア、UEFAカップウィナーズカップなどの栄冠を手にしている。チャンピオンズカップでは、1972年はアヤックスに、1983年はハンブルガーに敗れていずれも準優勝に終わった。1971-72シーズンには、当時のセリエA最長無失点記録となる、903分無失点を記録(1993-94シーズンにセバスティアーノ・ロッシが929分を記録し更新、更にその後、ジャンルイジ・ブッフォンが974分まで記録を更新した。)。1981-82シーズン、リーグ戦30試合で失点は僅か14であった。1983年に41歳で現役を引退した。セリエA通算出場570試合は2005年にパオロ・マルディーニが塗り替えるまで最多だった。

代表経歴

代表経歴

イタリア代表では、1968年4月20日、欧州選手権出場権をかけて行われた、ブルガリアとの第2戦でデビュー。同年の1968年大会でベストイレブンに選ばれる活躍で、優勝に貢献した。1970年のワールドカップ・メキシコ大会では、ライバルのエンリコ・アルベルトージが正GKを務めたため出場機会を得られなかった。

1974年のワールドカップ・西ドイツ大会、1978年のワールドカップ・アルゼンチン大会ではそれぞれ正GKを務めた。1977年にジャチント・ファケッティ引退後は代表のキャプテンを務めた。1980年の欧州選手権では、4位ながらも、大会ベストイレブンに選出された。

1982年、ワールドカップ・スペイン大会でも代表キャプテンを務め、チームの優勝に寄与し、大会最優秀GKに選出された。この大会の2次リーグで対戦したブラジル戦では、オスカーの決定的なヘディングシュートをセーブして3-2で勝利、チームの準決勝進出に寄与した。決勝で西ドイツを下して優勝を果たした。また、40歳での大会優勝は最年長記録となった。1983年5月29日、スウェーデンとの対戦が代表での最後の試合となった。

監督経歴

引退後

引退後すぐにユヴェントスのGKコーチを1年務めた。その後はイタリア五輪代表監督を務め、1989年から古巣ユヴェントスの監督として、UEFAカップとコッパ・イタリアで優勝した。1990年からはラツィオで監督を務め、1992-93シーズン、チームをUEFAカップ出場へと導いた。1994年からは同クラブの会長に就任。1998年にイタリア代表監督に就任すると、EURO2000でフランスに敗れたものの準優勝に導いた。その後再びラツィオの監督に復帰したが、2001年9月に成績不振で解任された。2005年1月から6月まではフィオレンティーナの監督を務め、チームをセリエA残留に導いたが、シーズン終了後に監督業からの引退を表明した。

1999年、 ワールドサッカー誌の20世紀の偉大なサッカー選手100人で47位に選出された。2020年にはバロンドール・ドリームチームの投票によって、歴代GK部門の5位に選出された。

個人成績

数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。

クラブ

クラブシーズン年齢ディビジョンリーグ大陸大会1その他2シーズン通算
出場得点出場得点出場得点出場得点
イタリアウディネーゼ1961-621900————40—
1962-632010————360—
通算0————410—
イタリアマントヴァ1963-642100————270—
1964-652210————330—
1965-662310————390—
1966-672410————350—
通算0————1340—
イタリアナポリ1967-68252040——360—
1968-69265030——380—
1969-70273060——390—
1970-7128110————410—
1971-722911020——360—
通算0150——1900—
イタリアユヴェントス1972-733011090——500—
1973-7431902010420—
1974-7532100100——500—
1975-76334040——380—
1976-773450120——470—
1977-78354070——410—
1978-79369020——410—
1979-80374080——420—
1980-8138804030450—
1981-82394040——380—
1982-83406090——450—
通算0710404790—
キャリア通算0860408440—

1. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 2. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

代表

イタリア としての年別成績です。親善試合を含みます。

年年齢出場得点得点グラフ
19682550
19692640
19702720
19712860
19722950
19733080
19743180
19753270
197633100
19773460
197835120
19793640
198037120
19813870
198239130
19834030
通算1120

年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

監督成績

在任別・通算

英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1374423100)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。

在任期間年齢チーム試合勝分敗勝率
——イタリアユヴェントス10453341751.0%
——イタリアラツィオ15457583937.0%
——イタリアラツィオ1695256.2%
——イタリアイタリア代表22107545.5%
——イタリアラツィオ32178753.1%
——イタリアフィオレンティーナ2057825.0%
通算3481511197843.4%

所属チーム

クラブ

期間年齢チーム
1961〜196318イタリアウディネーゼ
1963〜196720イタリアマントヴァ
1967〜197224イタリアナポリ
1972〜198329イタリアユヴェントス

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

代表

期間年齢チーム
1963〜196420イタリアイタリア U-21
1968〜198325イタリアイタリア

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

監督

在任年齢チーム役職
1986〜198843イタリアオリンピックイタリア代表監督
1988〜199045イタリアユヴェントス監督
1990〜199447イタリアラツィオ監督
1996〜199753イタリアラツィオ監督
1998〜200055イタリアイタリア代表監督
2001〜200158イタリアラツィオ監督
2005〜200562イタリアフィオレンティーナ監督

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
196321イタリアウディネーゼイタリアマントヴァ移籍—形態・移籍金は未確認
196725イタリアマントヴァイタリアナポリ移籍—形態・移籍金は未確認
197230イタリアナポリイタリアユヴェントス移籍—形態・移籍金は未確認

※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認

タイトル

クラブ

ユヴェントス(選手)

イタリア代表(選手)

ユヴェントス(監督)

イタリア代表(監督)

選手

監督

英語の記録名しか確認できないもの(26件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

獲得メダル

代表チームで獲得したメダルです(金2・銀1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。

FIFAワールドカップ金 1982銀 1970
UEFA欧州選手権金 1968

出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。

英語の記録名しか確認できないもの(1件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「ディノ・ゾフ」(版 105573639)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. Wikidata、2026年10月26日 取得 https://www.wikidata.org/
  2. Wikipedia(日本語版)「ディノ・ゾフ」、版 ID 105573639、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%82%BE%E3%83%95
  3. Wikipedia(英語版)、版 ID 1374423100、2026年10月14日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Dino_Zoff

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