ジャンルイジ・ブッフォン

SOCCERPEDIA / 選手ページ / イタリアのサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日


概要

イタリアジャンルイジ・ブッフォン(Gianluigi Buffon、1978年1月28日生)は、イタリア出身の元サッカー選手。ポジションはGK(ゴールキーパー)。イタリアでは1997年から通算176試合0得点を記録している。クラブでは公式戦通算975試合0得点(1995-96 シーズン以降)。クラブ・代表で通算110個のタイトルを獲得、個人賞は91回(UEFAチーム・オブ・ザ・イヤー 5回、FIFA FIFProワールドイレブン 3回)。

ジャンルイジ・ブッフォン(、1978年1月28日 - )は、イタリア・カッラーラ出身の元サッカー選手。元イタリア代表。ポジションはゴールキーパー。

クラブ経歴

パルマAC

1991年にパルマACのエルメス・フルゴーニGK育成コーチ兼スカウトに見いだされ、同チームの下部組織に加入した。

1995-96シーズンでは、下部組織加入からわずか4年でネヴィオ・スカラ監督によって、パルマのトップチームに昇格。その時まだ17歳だった。1995年11月19日、ファビオ・カペッロ監督率いるACミラン戦でセリエAデビュー(17歳9ヶ月)。その試合でこの年のバロンドールを受賞するジョージ・ウェアの至近距離からのシュートを顔面でセーブするなどスーパーセーブを連発し、0-0の引き分けに貢献した。このシーズンは9試合に出場した。

1996-97シーズンでは、正GKとしての地位を確固たる物とし、、リリアン・テュラム、ファビオ・カンナヴァーロと共に強固な守備陣を形成。チームはセリエA2位につけた。

1998-99シーズンでは、堅守を武器にチームはコッパ・イタリア優勝、UEFAカップ優勝、イタリア・スーパーカップ優勝を達成した。

2000-01シーズンでは、このシーズンにおいて自身初となるセリエA全試合出場を果たした。

ユヴェントス

2001年7月2日、GKとしては当時の史上最高額の移籍金となる5230万ユーロでマルチェロ・リッピ監督率いるユヴェントスFCに加入。当初はGKにこれほど多額の移籍金を支払ったユヴェントスに懐疑的な見方をする専門家が多かったが、「サッカーをよく理解していない者の戯言」とブッフォンは反論し、その年のスクデット獲得に貢献をした。

2002-03シーズンでは、セリエA連覇を達成。UEFAチャンピオンズリーグでは、準決勝第2戦のレアル・マドリード戦でルイス・フィーゴのPKを止めるなど活躍し、決勝進出した。しかし、オールド・トラッフォードで行われたミランとの決勝戦でPK戦の末に敗れて準優勝に終わった。なお、このシーズンはUEFAチャンピオンズリーグのMVP(GKとしては史上唯一)と最優秀GKに選出された。

2004年3月にFIFAが100周年を迎えるにあたって、元ブラジル代表ペレが選出したFIFA100(偉大なサッカー選手125人)に選出された。

2005-06シーズンでは、8月14日に行われたミランとの親善試合でカカと激突し、右肩を脱臼。長期の戦線離脱を余儀なくされ、ユヴェントスはその代役としてクリスティアン・アッビアーティをミランから獲得。一旦、同年12月1日のコッパ・イタリア、ACFフィオレンティーナ戦で復帰するが、カペッロ監督のまだ十分に回復していないとの判断により、その後の試合には出場せず。1月15日のレッジーナ・カルチョ戦で再度復帰。以降は正GKの座を奪還した。

2006年6月-7月に、カルチョ・スキャンダルでイタリアサッカー界が揺れる中、ブッフォン自身にも違法なサッカー賭博に関与したのではないかとの容疑が掛かり、パルマ地検とトリノ地検から事情聴取を受ける(後に無実であることが判明)。

2006年8月、所属チームであるユヴェントスの八百長行為によりチームがセリエBへ降格することが決定し、カンナヴァーロやジャンルカ・ザンブロッタなど多くのチームメイトが移籍していく中、アレッサンドロ・デル・ピエロやパベル・ネドベドらと同じくユヴェントスに残留する意向であることを代理人を通じてラジオで発表した。

2006年11月、2006 FIFAワールドカップでの活躍によりバロンドール受賞が噂されたが、投票の結果2位に終わり、イタリア代表のチームメイトであるカンナヴァーロにその栄誉を譲った。

2006-07シーズンでは、チーム最多となる38試合に出場し、ユヴェントスをセリエB優勝に導いた。シーズン中からUEFAチャンピオンズリーグ出場のため、他チームへ移籍するのではないかと噂されたが、シーズン終了後にユヴェントスとの契約を2012年まで延長した。

2007-08シーズンでは、2008年3月14日にユヴェントスとの契約を2013年まで延長した。

2009-10シーズンでは、シーズン開幕から好調を維持していたが、2009年12月12日に左膝半月板の手術を行った。

2010-11シーズン2010 FIFAワールドカップのイタリア代表メンバー23人に選ばれたが、連覇を狙ったこの大会でグループリーグ初戦のパラグアイ戦で負傷退場。その後、椎間板ヘルニアのため手術を受けた。11月に練習に復帰し、12月にはベンチ入りも果たしたが暫くはマルコ・ストラーリの控えとして過ごした。2011年1月14日のコッパ・イタリア5回戦のカルチョ・カターニア戦で実戦復帰。その後1月16日のASバーリ戦でリーグ戦初出場を果たした。このシーズンは、本来のプレーには程遠く移籍後最少の16試合の出場に留まり、チームも7位に沈んでUEFAチャンピオンズリーグはおろかUEFAヨーロッパリーグの出場権すら獲得できなかった。

2011-12シーズン久々にシーズン開幕から好調を維持し、セリエAでチーム2番目となる35試合に出場した。チームはセリエA最小失点(20失点)で2002-03シーズン以来9年ぶりの優勝(38戦無敗)に貢献した。また、個人的にもサッカー統計組織「国際サッカー歴史統計連盟(IFFHS)」が21世紀のベストGKランキングを発表し、1位に選ばれた。

2015-16シーズン、2016年3月20日のトリノFCとのトリノダービーで1993-94シーズンに元イタリア代表GKセバスティアーノ・ロッシが記録した929分のセリエAにおける無失点記録を更新する「974分」の無失点記録を達成。5月11日、クラブとの契約を2018年まで延長した。

2016-17シーズン、10月にゴールキーパーとしては初のゴールデンフットアワードを受賞し、2017年1月には11度目のセリエA最優秀ゴールキーパー賞、またセリエAベストイレブンに選ばれた。2016年11月6日、キエーヴォ・ヴェローナ戦でセリエA通算600試合出場を果たした。2017年3月19日のUCサンプドリア戦ではユヴェントスにおいて史上最多出場記録となる3万9706分を記録した。チャンピオンズリーグ準決勝ASモナコとの第1戦の試合でチャンピオンズリーグ100試合出場を達成。またモナコの決定機を数回防ぎ、チャンピオンズリーグ史上初の6試合連続無失点試合を達成した。チームはセリエAとコッパ・イタリアと史上初の3年連続国内二冠を達成し、チャンピオンズリーグでも自身3度目となる決勝へ進出した。しかし、カーディフでのレアル・マドリードとの決勝ではクリスティアーノ・ロナウドに2ゴールを決められるなど4失点を喫し1-4で敗れ、またしても初のチャンピオンズリーグのタイトルを逃した。2016-17シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは12試合に出場して9試合でクリーンシートを達成し、UEFAチャンピオンズリーグ最優秀GKに選出された。このシーズンの活躍を評価され、FIFA最優秀GKに選出され、さらにゴールキーパーとしては初となるセリエA最優秀選手賞を受賞した。

2016年11月にはJリーグのサガン鳥栖が、退団予定のあった林彰洋の後釜を獲るべくオファーを送ったが、重要な戦力であるとしてユヴェントス側が放出を拒んだ。

2017-18シーズン、2018年2月9日、ACFフィオレンティーナ戦でユヴェントスでのリーグ戦500試合出場を達成した。4月11日、UEFAチャンピオンズリーグ準々決勝のレアル・マドリード戦第2戦では、2戦合計で3-3のスコアの中、試合終盤にPKの判定を不服とし審判に猛抗議して退場処分となった。このPKによるゴールが試合を決め、チームは2戦合計3-4で敗れた。試合後には主審に対して「心があるべき場所にゴミ箱がある」などと侮辱し、欧州サッカー連盟は主催大会3試合の出場停止処分を科すと発表した。5月9日、コッパ・イタリア決勝のミラン戦で通算300試合目のクリーンシートを達成した。

2018年5月17日、会見を開きシーズン終了後にユヴェントスを退団すると発表した。セリエAで前人未踏の7連覇を成し遂げ、最終節で退団のセレモニーが行われた。

パリ・サンジェルマン

2018年7月6日、パリ・サンジェルマンFCと1年契約を締結した。初のイタリア国外でのプレーとなる。契約には1年の契約延長オプションが含まれている。リーグ・アンの開幕戦SMカーン戦で先発出場、カーンを無失点に抑えパリ・サンジェルマンでデビューを果たした。

2019年2月12日に行われたCLラウンド16・第1戦のマンチェスター・ユナイテッドFC戦に先発出場。チームはアウェイのオールド・トラッフォードでの試合となったが0-2で勝利を収めた。ブッフォンは、この試合を無失点で終え、CL通算50回目のクリーンシートを達成。エドウィン・ファン・デル・サール、イケル・カシージャスに次ぐ歴代3人目となる偉業を成し遂げた。

クラブから契約延長のオファーがあったものの、2019年6月5日、契約延長をせずに退団することを発表した。

ユヴェントス復帰

2019年7月3日、古巣ユヴェントスに1年契約で復帰した。背番号はパルマ時代と同じ77番。

2019年9月28日、SPAL戦に出場し、クラブでの公式戦出場記録が903試合となり、クラブキャリアにおけるイタリア人歴代最多出場記録を更新した。10月30日、ジェノアCFC戦でユヴェントスでのリーグ戦出場記録を513試合とし、アレッサンドロ・デル・ピエロの持つユヴェントスのリーグ戦最多出場記録に並んだ。2020年6月29日、クラブとの契約を2021年まで延長した。

2020年7月4日、同数で並んでいたパオロ・マルディーニのセリエA最多出場記録を超え、648試合出場を達成した。12月19日、パルマ戦でチームメイトのマノロ・ポルタノーヴァに向けて、冒涜的な言葉を発したとして、2021年2月18日に神への冒涜行為で5000ユーロの罰金処分を受け、さらに3月30日に1試合の出場停止処分を受けた。2月22日、FCクロトーネ戦でセリエA654試合目の出場を果たし、ギャレス・バリーの持つ5大リーグ最多出場記録を更新した。5月11日、シーズン終了後にユヴェントスを退団すると発表した。5月12日、サッスオーロ戦でドメニコ・ベラルディのPKをストップし、これはセリエA最年長PKセーブ記録となった。

パルマ復帰

2021年6月17日、パルマ・カルチョ1913に20年ぶりに復帰することが発表された。契約期間は2023年6月までの2年間。第21節のベネヴェント戦で、GKとして史上初の通算500試合無失点を達成した。

代表経歴

代表経歴

1997年10月29日にモスクワで行われた1998 FIFAワールドカップ欧州予選プレーオフ・ロシア戦の第1戦でデビュー(ジャンルカ・パリュウカの負傷による途中出場)。ちなみに18歳11ヶ月での代表デビューはイタリア代表のGK史上2番目の若さである。

1998 FIFAワールドカップでは、20歳で最終メンバーに選出されるも出場機会はなく、チームは準々決勝でフランスに敗れた。

2002 FIFAワールドカップでは、正GKとしてプレーするも、ベスト16で韓国に敗退。4試合出場5失点。

EURO2004では、正GKとしてプレーし3試合2失点(うちPKで1失点)という結果だったものの、チームはグループリーグ敗退。

2006 FIFAワールドカップでは、自身のサッカー賭博疑惑による試合への影響が心配されたが、本大会では数多くのスーパーセーブを披露し、7試合を通じて2点しかゴールを許さず(1点はクリスティアン・ザッカルドのオウンゴール、1点はジネディーヌ・ジダンのPKからの失点であり、試合の流れの中でゴールを割られることはなかった。また、ファビオ・カンナバーロも活躍し、後にバロンドールを二人で争うこととなる)、さらに、W杯史上4番目の長さとなる460分連続無失点という記録を達成し、イタリアを優勝に導き、最優秀ゴールキーパーとしてレフ・ヤシン賞を受賞した。

EURO2008では、調子の上がらないチームの中、グループリーグ第2節のルーマニア戦でアドリアン・ムトゥのPKを止めるなど活躍を見せたが、チームは準々決勝でスペインにPK戦の末、敗れた。また、大会直前にファビオ・カンナバーロが負傷離脱したため、ルーマニア戦を除く3試合をキャプテンとして臨んだ。4試合出場4失点。

2009年11月14日に行われたオランダとの親善試合で、イタリア代表史上4人目(GKとしては2人目)となる100試合出場を達成。

2010 FIFAワールドカップでは、グループリーグ第1節のパラグアイ戦で椎間板ヘルニアにより前半のみの出場で交代。その後の試合は欠場し、イタリアも1勝もできないままグループリーグ最下位で大会を終えた。1試合出場1失点。

2011年11月15日に行われたウルグアイとの親善試合で、ディノ・ゾフの持つイタリア代表GKの出場記録、112試合に肩を並べた。

EURO2012では、脱カテナチオを図った新生イタリア代表のキャプテンとしてゴールマウスを守り、決勝に進出。グループリーグ初戦で対戦したスペインと優勝を争うが、豊富な運動量が要求されるシステムに対し選手達の疲労はピークに達しており、チームは為す術もなく敗退。準優勝に終わった。自身は決勝こそ4ゴールを許したものの安定したセービングを披露。初戦のスペイン戦ではフェルナンド・トーレスのドリブル突破に対し自ら飛び出してボールを奪うなど足元の技術の高さも見せつけた。

2014 FIFAワールドカップでは、アントニオ・カルバハル、ローター・マテウスに次いで史上3人目となるワールドカップ5大会連続メンバー入りを果たした。コスタリカ戦とウルグアイ戦に出場するも、どちらの試合も1失点ずつを喫して敗戦を喫し、イタリアは2大会連続のグループリーグ敗退となった。

EURO2016が最後の国際大会になると述べたが、代表でのプレーを2018 FIFAワールドカップまで延長する意向を示した。EURO2016でもキャプテンとしてプレー、ドイツ戦ではマリオ・ゴメスとの1対1を止め、このプレーがUEFAセーブ・オブ・ザ・シーズンにノミネートされた。

2016年11月15日、ドイツ戦でヨーロッパにおける代表出場最多記録を持つイケル・カシージャスに並ぶ代表167試合目の出場を果たし、2017年9月2日に2018 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選のスペイン代表戦で代表170試合目の出場を果たした。

2018 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選ではスウェーデンにプレーオフで敗れて2017年11月13日に代表引退を表明した。その後、2018年3月のアルゼンチンとの親善試合ではルイジ・ディ・ビアジョ暫定監督の求めに応じ代表復帰した。

個人成績

数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。

クラブ

クラブシーズン年齢ディビジョンリーグ国内カップ1リーグカップ2大陸大会3その他4シーズン通算
出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点
イタリアパルマ1995-9617セリエA9000——000090
1996-9718セリエA27000——10——280
1997-9819セリエA32060——80——460
1998-9920セリエA34060——110——510
1999-2000—セリエA32000——9020430
2000-0122セリエA34020——70——430
通算1680140——360202200
イタリアユヴェントス2001-0223セリエA34010——100——450
2002-0324セリエA32000——15010480
2003-0425セリエA32000——6010390
2004-0526セリエA37000——110——480
2005-0627セリエA18020——4000240
2006-0728セリエB37030——————400
2007-0829セリエA34010——————350
2008-0930セリエA23020——50——300
2009-1031セリエA27010——70——350
2010-1132セリエA16010——00——170
2011-1233セリエA35000——————350
2012-1334セリエA32010——10010440
2013-1435セリエA33000——14010480
2014-1536セリエA33000——13010470
2015-1637セリエA35000——8010440
2016-1738セリエA30000——12010430
2017-1839セリエA21030——9010340
通算5090150——1240806560
フランスパリ・サンジェルマン2018-1940リーグ・アン17010105010250
イタリアユヴェントス2019-2041セリエA9050——1000150
2020-2142セリエA8050——1000140
通算170100——2000290
イタリアパルマ2021-2243セリエB26000——————260
2022-2344セリエB17010————10190
通算43010————10450
キャリア通算75404101016701209750

1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. リーグカップ(EFLカップ、JリーグYBCルヴァンカップなど) 3. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 4. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

代表

イタリア としての年別成績です。親善試合を含みます。

年年齢出場得点得点グラフ
19971810
19981930
19992080
20002140
20012270
200223120
20032470
200425120
20052630
200627150
20072880
20082990
200930110
20103120
201132100
201233110
201334150
20143580
20153680
201637130
20173880
20183910
通算1760

年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

所属チーム

ユース

期間年齢チーム
1991〜199512イタリアパルマ

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

クラブ

期間年齢チーム出場得点
1995〜200116イタリアパルマ——
2001〜201822イタリアユヴェントス2350
2018〜201939フランスパリ・サンジェルマン170
2019〜202140イタリアユヴェントス170
2021〜202342イタリアパルマ260

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は国内リーグ戦の合計で、カップ戦・大陸大会を含む内訳は「個人成績」の表にあります。

代表

期間年齢チーム
1993〜199414イタリア U-16
1994〜199515イタリア U-18
199516イタリアイタリア U-17
1995〜199716イタリアイタリア U-21
199718イタリアイタリア U-23
1997〜201818イタリアイタリア

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
2001-0723イタリアパルマイタリアユヴェントス完全移籍87.2億円
€ 49.2M
2018-0740イタリアユヴェントスフランスパリ・サンジェルマンフリー移籍—
2019-0741フランスパリ・サンジェルマンイタリアユヴェントスフリー移籍—
2021-0743イタリアユヴェントスイタリアパルマフリー移籍—

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)・API-Football(移籍データ)。移籍の有無と移籍先は日本語版 Wikipedia の情報欄、日付・形態・移籍金は API-Football の掲載値。億円換算は ECB レート(2026-10-21 時点)

人物相関

所属履歴と出場記録から機械的に算出しています。個人の交友関係についての評価は含みません。

共にプレーした選手

同じクラブ・同じシーズンに両者とも出場記録がある選手を、シーズン数の多い順に並べています。取得元(API-Football)のシーズン名簿は 2010-11 シーズン以降しか無いため、それ以前に一緒にプレーしたシーズンは数に入りません。

選手クラブ期間シーズン 
アンドレア・バルツァッリイタリアユヴェントス2010〜20178
アレックス・サンドロ・ロボ・シウバイタリアユヴェントス2015〜20205
ダニエレ・ルガーニイタリアユヴェントス2015〜20205
パウロ・ディバライタリアユヴェントス2015〜20205
アンドレア・ピルロイタリアユヴェントス2011〜20144
ポール・ポグバイタリアユヴェントス2012〜20154
アドリアン・ラビオイタリアユヴェントス2018〜20203
カルロ・ピンソーリョイタリアユヴェントス2017〜20203
ドウグラス・コスタイタリアユヴェントス2017〜20203
フェデリコ・ベルナルデスキイタリアユヴェントス2017〜20203
ヴラディミル・ヴァイスイタリアユヴェントス2013〜20153
ロドリゴ・ベンタンクールイタリアユヴェントス2017〜20203
ヴォイチェフ・シュチェスニーイタリアユヴェントス2017〜20203
アルバロ・モラタイタリアユヴェントス2014〜20203
アンジェ=ヨアン・ボニーイタリアパルマ2021〜20222
アレッサンドロ・チルカーティイタリアパルマ2021〜20222
アレッサンドロ・デル・ピエロイタリアユヴェントス2010〜20112
アドリアン・ベルナベイタリアパルマ2021〜20222
クリスティアーノ・ロナウドイタリアユヴェントス2019〜20202
ダニ・アウヴェスフランスパリ・サンジェルマン2016〜20182

指導を受けた監督

本人の在籍期間と監督の在任期間の重なりから算出しています。取得元(API-Football)に在任期間の登録がある監督だけが対象で、古い年代の監督は登録が無いため出ていません。

監督クラブ・代表在任
マルチェロ・リッピイタリアイタリア代表2008年7月〜2010年6月
トーマス・トゥヘルフランスパリ・サンジェルマン2018年7月〜2020年12月
マウリツィオ・サッリイタリアユヴェントス2019年6月〜2020年8月
エンツォ・マレスカイタリアパルマ2021年5月〜2021年11月
マッシミリアーノ・アッレグリイタリアユヴェントス2021年5月〜2024年5月
ルチアーノ・スパレッティイタリアイタリア代表2023年9月〜

日本語名を確認できない監督 9 人は掲載していません。

タイトル

クラブ

パルマ

ユヴェントス

パリ・サンジェルマン

その他

イタリア代表

個人

英語の記録名しか確認できないもの(103件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

獲得メダル

代表チームで獲得したメダルです(金2・銀1・銅1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。

FIFAワールドカップ金 2006
UEFA欧州選手権銀 2012
FIFAコンフェデレーションズカップ銅 2013
UEFA U-21欧州選手権金 1996

出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「ジャンルイジ・ブッフォン」(版 110759704)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. API-Football(移籍データ)、2026年10月22日 取得 https://www.api-football.com/
  2. API-Football(選手・監督データ)、2026年10月25日 取得 https://www.api-football.com/
  3. Wikidata、2026年10月25日 取得 https://www.wikidata.org/
  4. Wikipedia(日本語版)「ジャンルイジ・ブッフォン」、版 ID 110759704、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%83%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3
  5. Wikipedia(英語版)、版 ID 1378184897、2026年10月14日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Gianluigi_Buffon

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