概要
パベル・ネドベド(Pavel Nedvěd、1972年8月30日生)は、ヘプ出身の元サッカー選手。ポジションはMF。チェコでは1994年から通算91試合18得点を記録している。クラブでは公式戦通算669試合147得点(|1991-92 シーズン以降)。クラブ・代表で通算19個のタイトルを獲得、個人賞は32回(UEFAチーム・オブ・ザ・イヤー 3回、ESM チーム・オブ・ザ・イヤー 2回)。
パベル・ネドベド(, ; 1972年8月30日 - )は、チェコ出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。
オフェンシブなポジションでの出場が多い。日本語表記はパヴェル・ネドヴェド、ネドビェド、ネドヴィェドと書かれる場合もある。セリエAのラツィオ、ユヴェントスなどに所属していた。
クラブ経歴
生い立ち
チェコスロバキアの首都プラハで生まれスカルナで育った。父バツラフは、当時チェコスロバキア2部リーグに所属していたヘプのサッカー選手で、クラブの練習が終わると息子のパベルにサッカーを教えていた。
スパルタ・プラハ
14歳となった1986年からスコダ・プルゼンという地元のクラブに加入。デュクラ・プラハというクラブを経てスパルタ・プラハに加入。当初はチームに馴染めず、監督のカロル・ドビアシュからも低い評価を受けていたが、周囲の視線を気にせず着実に力をつけたネドベドは2シーズン目には主力としてリーグ連覇に貢献。更に1994年6月のアイルランド戦で代表デビューを果たし、EURO '96にも出場。チームの顔は同僚のカレル・ポボルスキーだったが、着実なプレーで欧州におけるネドベドの評価を高めた。
ラツィオ
EURO '96での活躍が認められ、1996-97シーズンからセリエAのラツィオに移籍。当時のラツィオは優勝を狙うべく、毎年活発な選手補強を行っていた。1997-98シーズンにはリーグ戦11得点を挙げた。1998-99シーズン、UEFAカップウィナーズカップ決勝のマジョルカ戦では決勝点を挙げてチームにタイトルをもたらした。1999-2000シーズンにはリーグ優勝に貢献した。2000年末頃にはマンチェスター・ユナイテッドが獲得を試みていたが、エリクソン監督がオファーを拒否した。
2000-01シーズン終了後、クラブ側は長期の契約延長をネドベドに提示し、彼もこれを受け入れ合意に至ったが、会長のセルジョ・クラニョッティがオーナーを務める大手食品会社チリオの業績悪化の影響で、チームは急きょ資金調達と高額な年俸を支払っている主力選手の放出を余儀なくされた。ネドベドも例外ではなく、休暇から戻ってきたネドベドは急転直下、ユヴェントスへの移籍を言い渡された。この一連の流れはチームの顔であったアレッサンドロ・ネスタを手放す程の主力組の大放出劇であった。
ユヴェントス
2001-02シーズン序盤ユーベは低迷しており、ネドベド自体もフィットしていないと評され、優勝争いからも脱落すると思われた。しかし、シーズン終盤を迎えるとこのシーズン最強と評されたインテルを抜き去ってスクデットを獲得。決してネドベドの貢献が大きかったとは言えないが、この勢いをベースにした手ごたえは翌シーズンに発揮されることになった。
2002-03シーズン、ユーベの大黒柱と化したネドベドは、故障者が続出して危機的なチーム状況の中ほとんどの試合にフル出場し、シーズン終盤には「バロンドール間違いなし」と批評家から評価を受ける程の活躍ぶりを見せた。チームも2年連続のスクデットを獲得した。そのシーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは、ユヴェントスは決勝に進むも、ネドベドは準決勝のレアル・マドリード戦でイエローカードをもらい累積2枚目となったため、決勝には出場することが出来なかった。なお、ユヴェントスはPK戦の末にACミランに敗れ優勝を逃した。
2006-07シーズン、ユーベは不正疑惑の為にセリエB降格の処分が下され、主力だったカンナヴァロ、テュラムらが次々とユヴェントスを去り、自らにも多くのクラブからオファーがきた。シーズン終了前は引退も口にしていたネドベドだったがデル・ピエロ、ブッフォンに続き、「世話になったクラブに恩返しをしようと思う」と現役続行と残留を表明、チームを1シーズンで再昇格させる原動力となる活躍を見せた。
2007-08シーズン、新加入のチアゴにレギュラーの座を脅かされていたが、35歳という年齢ながらレギュラーを死守した。
2009年2月25日、2008-09シーズンをもって現役を引退することを発表した。
ユヴェントスでスポーツディレクターを務めていたが、2015年10月、ユヴェントスの副会長に選ばれた。
代表経歴
代表経歴
2002年日韓W杯欧州予選では、カレル・ポボルスキー、ヤン・コレル、ロシツキー、ヤンクロフスキらチェコ代表史上最高と言われるタレントらと共にプレーオフまで進出するが、闘将マルク・ヴィルモッツを擁するベルギー代表にホーム、アウェイと立て続けに敗れ、W杯出場のチャンスを逃す。
EURO2004はチェコ代表のベスト4に貢献したが、準決勝のギリシャ戦で足を負傷し交代、チェコ代表はその後延長戦で敗れた。
EURO後、「代表とクラブの両方を掛け持ちできなくなった。代表で怪我をすればクラブに迷惑がかかる。」とコメントし一度代表を引退していた。ネドベドのいないチェコは2006年ドイツW杯最終予選でオランダに1位通過を許し、プレーオフに回ることになった。母国のワールドカップ出場のためネドベドはプレーオフ2試合限定で代表に復帰すると宣言。ノルウェーとのプレーオフを制し、チェコはスロヴァキアとの分裂後初のW杯本大会出場権を獲得。その後、代表引退をワールドカップ敗退後まで延長し、5月15日、本選出場メンバーに選出。グループリーグ3試合全てにフル出場を果たしたが、FWのヤン・コレルの怪我やミラン・バロシュの不調、さらに快勝したアメリカ戦以外の2試合は共に前半の早い段階で退場者を出し数的不利になったこともあり決勝トーナメント進出は果たせずに敗退した。
2006年8月15日、翌日に行われる国際親善試合、セルビア戦を最後に代表引退を発表した。前半終了間際で交代をしたときは目に涙を浮かべながらベンチに下がった。
個人成績
数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。
クラブ
| クラブ | シーズン | 年齢 | ディビジョン | リーグ | 国内カップ1 | 大陸大会2 | その他3 | シーズン通算 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| |1991-92 | — | チェコスロバキア1部リーグ | 19 | 3 | — | — | — | — | — | — | 19 | 3 | |
| |1992-93 | — | チェコスロバキア1部リーグ | 17 | 0 | — | — | 5 | 0 | — | — | 22 | 0 | |
| |1993-94 | — | チェコ1部リーグ | 23 | 3 | — | — | 4 | 0 | — | — | 27 | 3 | |
| |1994-95 | — | チェコ1部リーグ | 27 | 6 | — | — | 2 | 0 | — | — | 29 | 6 | |
| |1995-96 | — | チェコ1部リーグ | 30 | 14 | — | — | 8 | 4 | — | — | 38 | 19 | |
| 通算 | 97 | 23 | — | — | 19 | 5 | 0 | 0 | 116 | 28 | |||
| |1996-97 | — | セリエA | 32 | 7 | 3 | 1 | 3 | 2 | — | — | 38 | 10 | |
| |1997-98 | — | セリエA | 26 | 11 | 6 | 2 | 11 | 2 | — | — | 43 | 15 | |
| |1998-99 | — | セリエA | 21 | 1 | 4 | 0 | 8 | 4 | 1 | 1 | 34 | 6 | |
| |1999-2000 | — | セリエA | 28 | 5 | 6 | 1 | 12 | 1 | 1 | 0 | 47 | 7 | |
| |2000-01 | — | セリエA | 31 | 9 | 3 | 1 | 10 | 3 | 1 | 0 | 45 | 13 | |
| 通算 | 138 | 33 | 22 | 5 | 44 | 12 | 3 | 1 | 207 | 51 | |||
| |2001-02 | — | セリエA | 32 | 4 | 4 | 0 | 7 | 0 | — | — | 38 | 10 | |
| |2002-03 | — | セリエA | 29 | 9 | 1 | 0 | 15 | 5 | 1 | 0 | 43 | 14 | |
| |2003-04 | — | セリエA | 30 | 6 | 4 | 0 | 6 | 2 | 1 | 0 | 34 | 6 | |
| |2004-05 | — | セリエA | 27 | 7 | 1 | 0 | 10 | 3 | — | — | 47 | 7 | |
| |2005-06 | — | セリエA | 33 | 5 | 4 | 0 | 8 | 2 | 1 | 0 | 45 | 13 | |
| |2006-07 | — | セリエB | 33 | 11 | 3 | 1 | — | — | — | — | 36 | 12 | |
| |2007-08 | — | セリエA | 31 | 2 | 2 | 1 | — | — | — | — | 33 | 3 | |
| |2008-09 | — | セリエA | 32 | 7 | 3 | 0 | 9 | 0 | — | — | 44 | 7 | |
| 通算 | 247 | 51 | 22 | 2 | 55 | 12 | 3 | 0 | 327 | 65 | |||
| キャリア通算 | 501 | 110 | 44 | 7 | 118 | 29 | 6 | 1 | 669 | 147 | |||
1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 3. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
代表
チェコ としての年別成績です。親善試合を含みます。
| 年 | 年齢 | 出場 | 得点 | 得点グラフ |
|---|---|---|---|---|
| 1994 | 21 | 1 | 0 | |
| 1995 | 22 | 4 | 0 | |
| 1996 | 23 | 12 | 2 | |
| 1997 | 24 | 10 | 2 | |
| 1998 | 25 | 3 | 1 | |
| 1999 | 26 | 9 | 2 | |
| 2000 | 27 | 10 | 4 | |
| 2001 | 28 | 11 | 4 | |
| 2002 | 29 | 6 | 0 | |
| 2003 | 30 | 8 | 2 | |
| 2004 | 31 | 9 | 0 | |
| 2005 | 32 | 2 | 0 | |
| 2006 | 33 | 6 | 1 | |
| 通算 | 91 | 18 | ||
年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
所属チーム
ユース
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1977〜1985 | 4 | TJスカルナー |
| 1985〜1986 | 12 | RHチェブ |
| 1986〜1990 | 13 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
クラブ
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
代表
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1992〜1993 | 19 | |
| 1994〜2006 | 21 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
移籍金・年俸・市場価値の推移
移籍履歴
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1991 | 18 | シュコダ・プルゼニ | 期限付き移籍 | — | 期間・移籍金は未確認 | |
| 1992 | 19 | シュコダ・プルゼニ | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | |
| 1996 | 23 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 2001 | 28 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
人物相関
所属履歴と出場記録から機械的に算出しています。個人の交友関係についての評価は含みません。
指導を受けた監督
本人の在籍期間と監督の在任期間の重なりから算出しています。取得元(API-Football)に在任期間の登録がある監督だけが対象で、古い年代の監督は登録が無いため出ていません。
| 監督 | クラブ・代表 | 在任 |
|---|---|---|
| マルチェロ・リッピ | 2001年7月〜2004年6月 | |
| クラウディオ・ラニエリ | 2007年7月〜2009年5月 |
タイトル
クラブ
スパルタ・プラハ
- チェコスロバキア1部リーグ:1回(1992-93)
ラツィオ
- セリエA:1回(1999-2000)
- コッパ・イタリア:2回(1997-98, 1999-2000)
- スーペルコッパ・イタリアーナ:2回(1998, 2000)
- UEFAカップウィナーズカップ:1回(1998-99)
- UEFAスーパーカップ:1回(1999)
- UEFAカップ準優勝:1回(1997-98)
ユヴェントス
- セリエA:2回(2001-02, 2002-03)
- スーペルコッパ・イタリアーナ:2回(2002, 2003)
- セリエB:1回(2006-07)
- UEFAチャンピオンズリーグ準優勝:1回(2002-03)
チェコ代表
- UEFA欧州選手権準優勝:1回(1996)
個人
- ESM チーム・オブ・ザ・イヤー:2回(2000-01, 2002-03)
- セリエA 年間最優秀選手:1回(2003)
- セリエA 年間最優秀外国人選手:1回(2003)
- グエリン・ドーロ:1回(2003)
- バロンドール:1回(2003)
- RSSSF 年間最優秀選手:1回(2003)
- UEFAチーム・オブ・ザ・イヤー:3回(2003, 2004, 2005)
- UEFA欧州選手権 大会ベストイレブン:1回(2004)
- ゴールデンフット賞:1回(2004)
- FIFA 100(偉大な選手100人):1回(2004)
- ユヴェントス 歴代ベストイレブン:1回(2017)
- IFFHSレジェンド
英語の記録名しか確認できないもの(11件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
獲得メダル
代表チームで獲得したメダルです(銀1・銅1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。
| UEFA欧州選手権 | 銀 1996 イングランド |
|---|---|
| FIFAコンフェデレーションズカップ | 銅 1997 サウジアラビア |
出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「パベル・ネドベド」(版 110017485)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
出典
- Wikidata、2026年10月25日 取得 https://www.wikidata.org/
- Wikipedia(日本語版)「パベル・ネドベド」、版 ID 110017485、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8D%E3%83%89%E3%83%99%E3%83%89
- Wikipedia(英語版)、版 ID 1374582175、2026年10月21日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Pavel_Nedv%C4%9Bd
※ 出典は媒体名・日付・URL を文字で記載しています(外部サイトへのリンクは行いません)。出典が確認できない数値はページに載せません。
関連項目
- デュクラ・プラハ
- スパルタ・プラハ
- ラツィオ
- ユヴェントス
- シュコダ・プルゼニ
- チェコ
- チェコスロバキア U-21
- チェコスロバキア1部リーグ
- セリエA
- コッパ・イタリア
- スーペルコッパ・イタリアーナ
- UEFAカップウィナーズカップ
- UEFAスーパーカップ
- UEFAカップ準優勝
- セリエB
- UEFAチャンピオンズリーグ準優勝
- UEFA欧州選手権準優勝
- UEFA欧州選手権
- FIFAコンフェデレーションズカップ
- UEFAチーム・オブ・ザ・イヤー
掲載写真は Wikidata API および Wikimedia Commons API を通じて、ライセンス(CC BY-SA / パブリックドメイン等)と作者表示の要件を確認したうえで掲載します。