「一つには、私が短気な人間だからだった。アトレティコは強力なチームを作りたいと言って私を説得し、一方バレンシアは大きな投資はできないと私に伝えていた。」
「私は『レアル・マドリードとバルセロナにリーグでもカップでも勝った。大物を1、2人補強すれば優勝を争える』と主張した。」
「だが私が間違っていた。あのチームはその後、2度のチャンピオンズリーグ決勝に進んだのだから!」
出典:Goal.com 2026年10月11日
SOCCERPEDIA / 監督ページ / イタリアのサッカー監督 / 最終更新:2026年9月1日
クラウディオ・ラニエリ(Claudio Ranieri、1951年10月20日生)は、イタリア出身のサッカー監督。これまでに20クラブを指揮した。クラブ・代表で通算14個のタイトルを獲得、個人賞は20回(プレミアリーグ月間最優秀監督 5回)。
クラウディオ・ラニエリ(Claudio Ranieri、1951年10月20日 - )は、イタリア・ローマ出身の元サッカー選手および指導者。現役時代のポジションはディフェンダー。
1973年にASローマでプロデビュー。しかし、出場機会に恵まれず、2シーズンで6試合に出場したのみで移籍。その後はカタンザーロ、カターニア、パレルモと渡り歩き、主にDFとしてプレー。1985-86シーズンを最後に引退した。
2014年のワールドカップ終了後にギリシャ代表監督に就任するが、成績不振により同年11月に解任。公式戦の戦績は4試合で3敗1分け。UEFA EURO 2016予選は最下位に低迷していた。
イタリア代表のテクニカルディレクターに就任。再任したロベルト・マンチーニ監督をサポートし、低迷しているイタリア代表の再建を担う。
1986年より監督としてのキャリアを開始。イタリア下部のチームを率いた後、1988年にカリアリの監督に就任した。同クラブをセリエC1からセリエAまで引き上げる。この実績が認められ、1991年にはナポリの監督に就任。就任2年目に成績不振で解任されたが、衰えの見えていたディエゴ・マラドーナに代わり、若手だったジャンフランコ・ゾラの才能を見出した。1993年よりフィオレンティーナの指揮官に就任すると、セリエAへの昇格に成功。1996年にはコッパ・イタリア優勝に導いた。
1997年にはスペインに新天地を求め、バレンシアの監督に就任。カウンターアタックによる攻撃スタイルを確立し、2シーズンの間にバレンシアを上位争いに食い込むチームへと成長させた。また、人材の育成や獲得にも手腕を発揮。下部組織出身のガイスカ・メンディエタやミゲル・アンヘル・アングロを育て、レアル・マドリードからサンティアゴ・カニサレスを獲得し正GKに据えた。
1999年、アトレティコ・マドリードの監督に就任。しかし、勝ち点を伸ばすことができず、17位まで低迷した翌年3月に解任された。
アトレティコ・マドリードの監督を経て、2000年にイングランドのチェルシーFCの監督に就任。ナポリ監督時代の教え子ゾラを中軸に据えつつ、フランク・ランパードやウィリアム・ギャラスを獲得し、未来のキャプテンであるジョン・テリーを抜擢する一方で、ベテランのデニス・ワイズを放出するなどチームの改革に成功した。2003年夏にロマン・アブラモヴィッチが新オーナーになると、1億5,000万ユーロを投じる空前の大型補強が行われる。期待が高まる中で迎えた2003-04シーズンは、無敗で優勝したアーセナルに次ぐ国内リーグ2位、UEFAチャンピオンズリーグではアーセナルを破ってのベスト4と一定の結果を出したが、求められていたタイトル獲得はならず。ラニエリはシーズン終了と同時に解任され、ジョゼ・モウリーニョがその後釜に座ることになった。
2004年夏、バレンシアの監督に復帰。開幕前にマルコ・ディ・ヴァイオ、ステファノ・フィオーレ、エミリアーノ・モレッティといったイタリア人の戦力を集め話題になる。しかし、成績は振るわずシーズン途中の2005年2月に解任された。
2年の空白期間を経て、2007年2月にパルマFCの監督に就任。冬の移籍市場で加入したジュゼッペ・ロッシの大活躍にも助けられ、就任時に18位だったチームを立て直し、最終的に12位まで順位を上げてセリエA残留に成功した。
パルマとは契約を延長せず、翌2007-08シーズンよりセリエAに復帰するユヴェントスの指揮官に3年契約で迎えられる。昇格直後のチームを率いてリーグ戦を3位で終え、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。
就任2年目の2008-09シーズンは、チャンピオンズリーグのグループステージでレアル・マドリードに連勝したものの、決勝トーナメント一回戦でチェルシーFCに敗北。国内リーグでも勝ちきれない試合が続き、2009年5月18日に解任された。
2009年9月2日、開幕直後に辞任したルチアーノ・スパレッティの後任として、古巣であり出身地のクラブでもあるASローマの監督に就任。実利優先の堅実なサッカーを導入し、チームを上昇気流に乗せることに成功。優勝したインテルと勝ち点2差の2位でシーズンを終え、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を得た。しかし、翌シーズンは一転して不振に陥り、シーズン途中の2011年2月20日に辞任した。
2011年9月22日、ジャン・ピエロ・ガスペリーニの後を受けてインテルの監督に就任した。契約期間は2013年6月30日までの2年間。長友佑都、スナイデルなどの活躍により7連勝を挙げるなど一時は好調だったが、2012年1月末から9戦勝ちなし、UEFAチャンピオンズリーグもベスト16で敗退と低迷。ユヴェントスに0-2で敗れた後、解任された。
2012年5月、リーグ・ドゥのASモナコの監督に就任。2012-13シーズンは1部昇格に導き、大量補強をした2013-14シーズンは2位に導きチャンピオンズリーグ出場権を得るものの、2014年5月に解任。
シーズン開幕前に電撃解任されたナイジェル・ピアソンの後を受け、2015-16シーズンから指揮をとった。ラニエリは監督就任すると真っ先に守備を整備し、シンプルなフォーメーション 442の堅守速攻へと舵を切り、先発メンバーを固定し、基本と堅守を徹底し難しい戦術などは切り捨てた。プレミアリーグ新となる11戦連続ゴールを記録し、叩き上げのFW ジェイミー・ヴァーディを活かすカウンター、岡崎慎司のオフ・ザ・ボールの戦術などで手堅く勝ち点を積み重ね常勝していった。
ヴァーディはチームでの活躍を評価されナショナルチーム初招集を受けた。ダニー・ドリンクウォーターとエンゴロ・カンテはこのシーズンのPFA年間最優秀選手賞を受賞した。リヤド・マフレズなどの進境著しい選手を率い、残留争いを演じていた前シーズンとは一転、シーズン前半から首位争いを演じた。シーズンを折り返した後も2位につけていた優勝争いの常連、マンチェスター・シティを敵地エティハド・スタジアムで破り首位を守るなど好調を維持。2016年5月2日に優勝が確定、レスター・シティにクラブ創設133年目にして初のトップリーグタイトルをもたらすとともに、自身も長年欧州各国の強豪チームの監督を務めたにもかかわらず無縁だったリーグタイトルを、初めて手にすることになった。
翌シーズンは、UEFAチャンピオンズリーグではグループステージを首位突破したものの、リーグ戦では降格圏に低迷。2017年2月23日、成績不振による解任が発表された。
2017年6月12日、FCナントの監督に就任。シーズン終盤までは好調だったが、その後は勝ち星を得られず、最終試合を前に今シーズン限りでの退任を発表した。
2018年11月14日、フラムFCの監督に就任した。しかし、シーズン通じての悪い流れを変えることは出来ず、2019年2月28日に解任された。
2019年3月8日、解任されたエウゼビオ・ディ・フランチェスコの後任として、ASローマの監督に就任2018-19シーズン終了まで監督を務めた。
2019年10月12日、UCサンプドリアの監督に就任。2020-21シーズン終了後に退任した。
2021年10月4日、ワトフォードFCの監督に就任した。シーズン途中に就任したが不振に陥り、ノリッジ・シティ戦に0-3で敗れた後、2022年1月25日、解任が発表された。
2022年12月23日、解任されたファビオ・リベラー二の後任としてセリエBのカリアリ監督に就任、当時セリエC1だった1988年以来32シーズン振りの復帰であった。契約期間は2025年6月まで。
就任当初リーグ14位と低迷していたチームを立て直し、5位でセリエA昇格プレーオフに進出。決勝でSSCバーリに勝利し、1年で再昇格に導いた。
2024年11月16日、廃業の身であったが低迷していた古巣ローマの立て直しを請われ、解任されたイヴァン・ユリッチの後任として監督に就任した。以降はリーグ戦を16勝6分4敗という驚異的なV字回復で好転させ、UEFAヨーロッパリーグの出場権も手にした。
シーズン終了後にはクラブの上級管理職に就任しシニアアドバイザーを務めたが、組織内の相違により僅か1年で辞任した。
一次情報の発言のみ収録。1回の会見につき主要な発言を最大3つ引用し、他は解説で要約しています。
「一つには、私が短気な人間だからだった。アトレティコは強力なチームを作りたいと言って私を説得し、一方バレンシアは大きな投資はできないと私に伝えていた。」
「私は『レアル・マドリードとバルセロナにリーグでもカップでも勝った。大物を1、2人補強すれば優勝を争える』と主張した。」
「だが私が間違っていた。あのチームはその後、2度のチャンピオンズリーグ決勝に進んだのだから!」
出典:Goal.com 2026年10月11日
英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1378159169)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。
| 在任期間 | 年齢 | チーム | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1986.05〜1987.06 | 34 | 30 | 21 | 8 | 1 | 70.0% | |
| 1987.06〜1988.01 | 35 | 24 | 5 | 7 | 12 | 20.8% | |
| 1988.05〜1988.06 | 36 | 4 | 0 | 1 | 3 | 0.0% | |
| 1988.06〜1991.05 | 36 | 123 | 48 | 48 | 27 | 39.0% | |
| 1991.05〜1992.11 | 39 | 55 | 25 | 16 | 14 | 45.5% | |
| 1993.06〜1997.06 | 41 | 174 | 76 | 58 | 40 | 43.7% | |
| 1997.09〜1999.06 | 45 | 96 | 51 | 18 | 27 | 53.1% | |
| 1999.06〜2000.03 | 47 | 39 | 9 | 11 | 19 | 23.1% | |
| 2000.09〜2004.05 | 48 | 199 | 107 | 46 | 46 | 53.8% | |
| 2004.06〜2005.02 | 52 | 36 | 15 | 9 | 12 | 41.7% | |
| 2007.02〜2007.05 | 55 | 18 | 7 | 6 | 5 | 38.9% | |
| 2007.06〜2009.05 | 55 | 93 | 46 | 30 | 17 | 49.5% | |
| 2009.09〜2011.02 | 57 | 84 | 47 | 16 | 21 | 56.0% | |
| 2011.09〜2012.03 | 59 | 35 | 17 | 5 | 13 | 48.6% | |
| 2012.05〜2014.05 | 60 | 88 | 51 | 26 | 11 | 58.0% | |
| 2014.07〜2014.11 | 62 | 4 | 0 | 1 | 3 | 0.0% | |
| 2015.07〜2017.02 | 63 | 81 | 36 | 22 | 23 | 44.4% | |
| 2017.06〜2018.06 | 65 | 41 | 15 | 10 | 16 | 36.6% | |
| 2018.11〜2019.02 | 67 | 17 | 3 | 3 | 11 | 17.6% | |
| 2019.03〜2019.05 | 67 | 12 | 6 | 4 | 2 | 50.0% | |
| 2019.10〜2021.06 | 67 | 72 | 27 | 13 | 32 | 37.5% | |
| 2021.10〜2022.01 | 69 | 14 | 2 | 1 | 11 | 14.3% | |
| 2023.01〜2024.05 | 71 | 65 | 22 | 22 | 21 | 33.8% | |
| 2024.11〜2025.06 | 73 | 36 | 22 | 7 | 7 | 61.1% | |
| 通算 | 1439 | 658 | 387 | 394 | 45.7% | ||
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1973〜1974 | 21 | |
| 1974〜1982 | 22 | |
| 1982〜1984 | 30 | |
| 1984〜1986 | 32 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 在任 | 年齢 | チーム | 役職 |
|---|---|---|---|
| 1986〜1987 | 34 | 監督 | |
| 1987〜1988 | 35 | 監督 | |
| 1988〜1988 | 36 | 監督 | |
| 1988〜1991 | 36 | 監督 | |
| 1991〜1993 | 39 | 監督 | |
| 1993〜1997 | 41 | 監督 | |
| 1997〜1999 | 45 | 監督 | |
| 1999〜2000 | 47 | 監督 | |
| 2000〜2004 | 48 | 監督 | |
| 2004〜2005 | 52 | 監督 | |
| 2007〜2007 | 55 | 監督 | |
| 2007〜2009 | 55 | 監督 | |
| 2009〜2011 | 57 | 監督 | |
| 2011〜2012 | 59 | 監督 | |
| 2012〜2014 | 60 | 監督 | |
| 2014〜2014 | 62 | 監督 | |
| 2015〜2017 | 63 | 監督 | |
| 2017〜2018 | 65 | 監督 | |
| 2018〜2019 | 66 | 監督 | |
| 2019〜2019 | 67 | 監督 | |
| 2019〜2021 | 67 | 監督 | |
| 2021〜2022 | 69 | 監督 | |
| 2022〜2024 | 70 | 監督 | |
| 2024〜2025 | 72 | 監督 |
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1974 | 22 | ローマ | カタンザーロ | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
| 1982 | 30 | カタンザーロ | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | |
| 1984 | 32 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
英語の記録名しか確認できないもの(15件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「クラウディオ・ラニエリ」(版 110449067)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
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