クラウディオ・ラニエリ

SOCCERPEDIA / 監督ページ / イタリアのサッカー監督 / 最終更新:2026年9月1日


概要

イタリアクラウディオ・ラニエリ(Claudio Ranieri、1951年10月20日生)は、イタリア出身のサッカー監督。これまでに20クラブを指揮した。クラブ・代表で通算14個のタイトルを獲得、個人賞は20回(プレミアリーグ月間最優秀監督 5回)。

クラウディオ・ラニエリ(Claudio Ranieri、1951年10月20日 - )は、イタリア・ローマ出身の元サッカー選手および指導者。現役時代のポジションはディフェンダー。

クラブ経歴

選手経歴

1973年にASローマでプロデビュー。しかし、出場機会に恵まれず、2シーズンで6試合に出場したのみで移籍。その後はカタンザーロ、カターニア、パレルモと渡り歩き、主にDFとしてプレー。1985-86シーズンを最後に引退した。

代表経歴

ギリシャ代表

2014年のワールドカップ終了後にギリシャ代表監督に就任するが、成績不振により同年11月に解任。公式戦の戦績は4試合で3敗1分け。UEFA EURO 2016予選は最下位に低迷していた。

イタリア代表

イタリア代表のテクニカルディレクターに就任。再任したロベルト・マンチーニ監督をサポートし、低迷しているイタリア代表の再建を担う。

監督経歴

キャリア初期

1986年より監督としてのキャリアを開始。イタリア下部のチームを率いた後、1988年にカリアリの監督に就任した。同クラブをセリエC1からセリエAまで引き上げる。この実績が認められ、1991年にはナポリの監督に就任。就任2年目に成績不振で解任されたが、衰えの見えていたディエゴ・マラドーナに代わり、若手だったジャンフランコ・ゾラの才能を見出した。1993年よりフィオレンティーナの指揮官に就任すると、セリエAへの昇格に成功。1996年にはコッパ・イタリア優勝に導いた。

バレンシア (第1期)

1997年にはスペインに新天地を求め、バレンシアの監督に就任。カウンターアタックによる攻撃スタイルを確立し、2シーズンの間にバレンシアを上位争いに食い込むチームへと成長させた。また、人材の育成や獲得にも手腕を発揮。下部組織出身のガイスカ・メンディエタやミゲル・アンヘル・アングロを育て、レアル・マドリードからサンティアゴ・カニサレスを獲得し正GKに据えた。

アトレティコ・マドリード

1999年、アトレティコ・マドリードの監督に就任。しかし、勝ち点を伸ばすことができず、17位まで低迷した翌年3月に解任された。

チェルシー

アトレティコ・マドリードの監督を経て、2000年にイングランドのチェルシーFCの監督に就任。ナポリ監督時代の教え子ゾラを中軸に据えつつ、フランク・ランパードやウィリアム・ギャラスを獲得し、未来のキャプテンであるジョン・テリーを抜擢する一方で、ベテランのデニス・ワイズを放出するなどチームの改革に成功した。2003年夏にロマン・アブラモヴィッチが新オーナーになると、1億5,000万ユーロを投じる空前の大型補強が行われる。期待が高まる中で迎えた2003-04シーズンは、無敗で優勝したアーセナルに次ぐ国内リーグ2位、UEFAチャンピオンズリーグではアーセナルを破ってのベスト4と一定の結果を出したが、求められていたタイトル獲得はならず。ラニエリはシーズン終了と同時に解任され、ジョゼ・モウリーニョがその後釜に座ることになった。

バレンシア (第2期)

2004年夏、バレンシアの監督に復帰。開幕前にマルコ・ディ・ヴァイオ、ステファノ・フィオーレ、エミリアーノ・モレッティといったイタリア人の戦力を集め話題になる。しかし、成績は振るわずシーズン途中の2005年2月に解任された。

パルマ

2年の空白期間を経て、2007年2月にパルマFCの監督に就任。冬の移籍市場で加入したジュゼッペ・ロッシの大活躍にも助けられ、就任時に18位だったチームを立て直し、最終的に12位まで順位を上げてセリエA残留に成功した。

ユヴェントス

パルマとは契約を延長せず、翌2007-08シーズンよりセリエAに復帰するユヴェントスの指揮官に3年契約で迎えられる。昇格直後のチームを率いてリーグ戦を3位で終え、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。

就任2年目の2008-09シーズンは、チャンピオンズリーグのグループステージでレアル・マドリードに連勝したものの、決勝トーナメント一回戦でチェルシーFCに敗北。国内リーグでも勝ちきれない試合が続き、2009年5月18日に解任された。

ローマ(第1期)

2009年9月2日、開幕直後に辞任したルチアーノ・スパレッティの後任として、古巣であり出身地のクラブでもあるASローマの監督に就任。実利優先の堅実なサッカーを導入し、チームを上昇気流に乗せることに成功。優勝したインテルと勝ち点2差の2位でシーズンを終え、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を得た。しかし、翌シーズンは一転して不振に陥り、シーズン途中の2011年2月20日に辞任した。

インテル

2011年9月22日、ジャン・ピエロ・ガスペリーニの後を受けてインテルの監督に就任した。契約期間は2013年6月30日までの2年間。長友佑都、スナイデルなどの活躍により7連勝を挙げるなど一時は好調だったが、2012年1月末から9戦勝ちなし、UEFAチャンピオンズリーグもベスト16で敗退と低迷。ユヴェントスに0-2で敗れた後、解任された。

ASモナコ

2012年5月、リーグ・ドゥのASモナコの監督に就任。2012-13シーズンは1部昇格に導き、大量補強をした2013-14シーズンは2位に導きチャンピオンズリーグ出場権を得るものの、2014年5月に解任。

レスター・シティ

シーズン開幕前に電撃解任されたナイジェル・ピアソンの後を受け、2015-16シーズンから指揮をとった。ラニエリは監督就任すると真っ先に守備を整備し、シンプルなフォーメーション 442の堅守速攻へと舵を切り、先発メンバーを固定し、基本と堅守を徹底し難しい戦術などは切り捨てた。プレミアリーグ新となる11戦連続ゴールを記録し、叩き上げのFW ジェイミー・ヴァーディを活かすカウンター、岡崎慎司のオフ・ザ・ボールの戦術などで手堅く勝ち点を積み重ね常勝していった。

ヴァーディはチームでの活躍を評価されナショナルチーム初招集を受けた。ダニー・ドリンクウォーターとエンゴロ・カンテはこのシーズンのPFA年間最優秀選手賞を受賞した。リヤド・マフレズなどの進境著しい選手を率い、残留争いを演じていた前シーズンとは一転、シーズン前半から首位争いを演じた。シーズンを折り返した後も2位につけていた優勝争いの常連、マンチェスター・シティを敵地エティハド・スタジアムで破り首位を守るなど好調を維持。2016年5月2日に優勝が確定、レスター・シティにクラブ創設133年目にして初のトップリーグタイトルをもたらすとともに、自身も長年欧州各国の強豪チームの監督を務めたにもかかわらず無縁だったリーグタイトルを、初めて手にすることになった。

翌シーズンは、UEFAチャンピオンズリーグではグループステージを首位突破したものの、リーグ戦では降格圏に低迷。2017年2月23日、成績不振による解任が発表された。

ナント

2017年6月12日、FCナントの監督に就任。シーズン終盤までは好調だったが、その後は勝ち星を得られず、最終試合を前に今シーズン限りでの退任を発表した。

フラム

2018年11月14日、フラムFCの監督に就任した。しかし、シーズン通じての悪い流れを変えることは出来ず、2019年2月28日に解任された。

ローマ(第2期)

2019年3月8日、解任されたエウゼビオ・ディ・フランチェスコの後任として、ASローマの監督に就任2018-19シーズン終了まで監督を務めた。

サンプドリア

2019年10月12日、UCサンプドリアの監督に就任。2020-21シーズン終了後に退任した。

ワトフォード

2021年10月4日、ワトフォードFCの監督に就任した。シーズン途中に就任したが不振に陥り、ノリッジ・シティ戦に0-3で敗れた後、2022年1月25日、解任が発表された。

カリアリ(第2期)

2022年12月23日、解任されたファビオ・リベラー二の後任としてセリエBのカリアリ監督に就任、当時セリエC1だった1988年以来32シーズン振りの復帰であった。契約期間は2025年6月まで。

就任当初リーグ14位と低迷していたチームを立て直し、5位でセリエA昇格プレーオフに進出。決勝でSSCバーリに勝利し、1年で再昇格に導いた。

ローマ(第3期)

2024年11月16日、廃業の身であったが低迷していた古巣ローマの立て直しを請われ、解任されたイヴァン・ユリッチの後任として監督に就任した。以降はリーグ戦を16勝6分4敗という驚異的なV字回復で好転させ、UEFAヨーロッパリーグの出場権も手にした。

シーズン終了後にはクラブの上級管理職に就任しシニアアドバイザーを務めたが、組織内の相違により僅か1年で辞任した。

発言集

一次情報の発言のみ収録。1回の会見につき主要な発言を最大3つ引用し、他は解説で要約しています。

2026-27シーズン(1件)
2026年10月11日本人コメントクラウディオ・ラニエリ(本人)/公式インタビュー
ラニエリが2015年にトゥットスポルトの取材で振り返った発言。1999年のコパ・デル・レイ決勝でアトレティコに3-0で勝って優勝した後、そのアトレティコを率いることになった経緯を語っている。移籍の理由として自身の性急さと、バレンシアの投資姿勢への不満を挙げた。大物を補強すれば優勝を争えると訴えたが受け入れられなかったという。ただ、自分が去った後のバレンシアが欧州の決勝まで進んだことで、自身の見立てが誤っていたと認めている。
「一つには、私が短気な人間だからだった。アトレティコは強力なチームを作りたいと言って私を説得し、一方バレンシアは大きな投資はできないと私に伝えていた。」
「私は『レアル・マドリードとバルセロナにリーグでもカップでも勝った。大物を1、2人補強すれば優勝を争える』と主張した。」
「だが私が間違っていた。あのチームはその後、2度のチャンピオンズリーグ決勝に進んだのだから!」

出典:Goal.com 2026年10月11日

監督成績

在任別・通算

英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1378159169)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。

在任期間年齢チーム試合勝分敗勝率
1986.05〜1987.0634イタリアヴィゴル・ラメーツィア・カルチョ30218170.0%
1987.06〜1988.0135イタリアカンパニア24571220.8%
1988.05〜1988.0636イタリアカンパニア40130.0%
1988.06〜1991.0536イタリアカリアリ12348482739.0%
1991.05〜1992.1139イタリアナポリ5525161445.5%
1993.06〜1997.0641イタリアフィオレンティーナ17476584043.7%
1997.09〜1999.0645スペインバレンシア9651182753.1%
1999.06〜2000.0347スペインアトレティコ・M399111923.1%
2000.09〜2004.0548イングランドチェルシー199107464653.8%
2004.06〜2005.0252スペインバレンシア361591241.7%
2007.02〜2007.0555イタリアパルマ1876538.9%
2007.06〜2009.0555イタリアユヴェントス9346301749.5%
2009.09〜2011.0257イタリアASローマ8447162156.0%
2011.09〜2012.0359イタリアインテル351751348.6%
2012.05〜2014.0560フランスモナコ8851261158.0%
2014.07〜2014.1162ギリシャギリシャ代表40130.0%
2015.07〜2017.0263イギリスレスター・シティ8136222344.4%
2017.06〜2018.0665フランスナント4115101636.6%
2018.11〜2019.0267イングランドフルアム17331117.6%
2019.03〜2019.0567イタリアASローマ1264250.0%
2019.10〜2021.0667イタリアUCサンプドリア7227133237.5%
2021.10〜2022.0169イングランドワトフォード14211114.3%
2023.01〜2024.0571イタリアカリアリ6522222133.8%
2024.11〜2025.0673イタリアASローマ36227761.1%
通算143965838739445.7%

所属チーム

クラブ(選手時代)

期間年齢チーム
1973〜197421イタリアローマ
1974〜198222イタリアカタンザーロ
1982〜198430イタリアカターニア
1984〜198632イタリアパレルモ

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

監督

在任年齢チーム役職
1986〜198734イタリアラメーツィア監督
1987〜198835イタリアカンパニア州監督
1988〜198836イタリアカンパニア監督
1988〜199136イタリアカリアリ監督
1991〜199339イタリアナポリ監督
1993〜199741イタリアフィオレンティーナ監督
1997〜199945スペインバレンシア監督
1999〜200047スペインアトレティコ・マドリード監督
2000〜200448イングランドチェルシー監督
2004〜200552スペインバレンシア監督
2007〜200755イタリアパルマ監督
2007〜200955イタリアユヴェントス監督
2009〜201157イタリアローマ監督
2011〜201259イタリアインテル監督
2012〜201460フランスモナコ監督
2014〜201462ギリシャギリシャ監督
2015〜201763イギリスレスター監督
2017〜201865フランスナント監督
2018〜201966イングランドフラム監督
2019〜201967イタリアローマ監督
2019〜202167イタリアサンプドリア監督
2021〜202269イングランドワトフォード監督
2022〜202470イタリアカリアリ監督
2024〜202572イタリアローマ監督

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
197422ローマカタンザーロ移籍—形態・移籍金は未確認
198230カタンザーロイタリアカターニア移籍—形態・移籍金は未確認
198432イタリアカターニアイタリアパレルモ移籍—形態・移籍金は未確認

※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認

タイトル

クラブ

フィオレンティーナ(監督)

バレンシア(監督)

チェルシー(監督)

ASローマ(監督)

レスター・シティ(監督)

個人

英語の記録名しか確認できないもの(15件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「クラウディオ・ラニエリ」(版 110449067)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. Goal.com、2026年10月11日、2026年10月11日 取得 https://www.goal.com/en/originals/valencia-two-time-champions-league-finalists-fighting-relegation-la-liga/blta58e47029565cf08
  2. Wikidata、2026年10月25日 取得 https://www.wikidata.org/
  3. Wikipedia(日本語版)「クラウディオ・ラニエリ」、版 ID 110449067、2026年10月11日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%82%A8%E3%83%AA
  4. Wikipedia(英語版)、版 ID 1378159169、2026年10月11日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Claudio_Ranieri

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