「スパレッティ? 何をしたいのか分からない。」
出典:Goal.com 日本語版 2026年10月23日
SOCCERPEDIA / 監督ページ / イタリアのサッカー監督 / 最終更新:2026年9月1日
ルチアーノ・スパレッティ(Luciano Spalletti、1959年3月7日生)は、イタリア出身のサッカー監督。2025からユヴェントスの監督を務めている。これまでに10クラブ・1の代表を指揮した。クラブ・代表で通算11個のタイトルを獲得、個人賞は13回。
ルチアーノ・スパッレッティ(Luciano Spalletti,1959年3月7日 - )は、イタリア出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。
現役サッカー選手時代は3部リーグに当たるセリエCでプレーしていた。ポジションは守備的MFで主に相手のエースを追いかけまわす役割をしていた。
引退後、所属クラブであったエンポリFCで指導者の道を歩み始め、下部組織のコーチなどを経て、1995-96シーズンに昇格する形で監督に就任した。その後、UCサンプドリア、ヴェネツィアの監督を歴任するが、いずれもセリエB降格の憂き目に遭っており、続くウディネーゼでも降格の危機に瀕したことから「降格請負人」という有り難くない異名を持ってしまった。
監督としての評価を確固たるものにしたのは、2002年の2回目のウディネーゼの監督就任以降である。2004-05シーズン、ウディネーゼは3位でシーズンを終え、クラブ史上初のUEFAチャンピオンズリーグ出場権を手にしたが、スパッレッティ自身はそのシーズンで監督を辞した。その後、監督交代を繰り返して同シーズン7位に沈んだASローマの監督に就任した。
ASローマでは、トップ下の攻撃的MFとして地位を固めていたフランチェスコ・トッティをセンター・フォワード(CF)にコンバートし、代わりにシモーネ・ペッロッタにトップ下を任せた。さらにダニエレ・デ・ロッシやアルベルト・アクイラーニといった若手を積極的に起用、チームの再建を成功させた。生粋のストライカーを起用せず細かなパス回しとMFの走り込みを組み合わせた攻撃サッカーは、0トップと呼ばれ、セリエAで最も美しいサッカーと言われた。そしてその新戦術はFCバルセロナなど現在の強豪クラブにも大きな影響を与えている。
2005-06シーズンには、セリエA新記録となる11連勝を成し遂げた。2006-07、2007-08シーズンと2年連続でローマをセリエA2位、チャンピオンズリーグベスト8の好成績に導くが、2008-09シーズンは怪我人の続出や新戦力の不発などで6位に後退。「(チャンピオンズリーグ出場圏内の)4位以内に入れなかったら辞任する」との考えを示しており、ユヴェントスFCへの監督就任の噂もされたが、選手やフロントの強い支持もあり残留を表明した。しかし新たに迎えた2009-10シーズンでは開幕から2連敗。その責任を取り辞任した。選手補強に対するセンシ会長や、一部選手への試合スタイルへの非難などを、辞任後に発言していることから、チームとの確執はシーズン前からあったと見られている。しかしながら、悲願のリーグ優勝はならなかったものの、ローマのティフォージに常に支持され、それは辞任後も変わっていない。
2009年12月からロシアサッカー・プレミアリーグのFCゼニト・サンクトペテルブルクの監督に就任。個に依存していたチームに戦術を植え付け、連動性に優れた組織的完成度の高い集団へと生まれ変えた。結果にこだわる「イタリア式」も取り入れ、イタリア式をよく知るアレッサンドロ・ロジーナ、ウディネーゼ時代の教え子アレクサンダル・ルコヴィッチ(2010年8月加入)を獲得した。2008年夏のUEFAスーパーカップ制覇を機に下降線を辿っていたゼニトに早速効果が表れ、ロシア・カップ制覇に導くと、過去2年優勝争いにすら絡めなかったリーグ戦でも好調をキープし、3年ぶり3度目となるリーグ制覇へと導いた。しかし2014年になると不振が続き、3月9日に行われたFCトム・トムスク戦を引き分けで終えロコモティフ・モスクワに単独首位浮上を許すと3月11日に解任が発表された。
2016年1月13日、成績不振により解任されたリュディ・ガルシアの後任として、約7年ぶりに古巣ASローマの監督に復帰した。2015-16シーズンはチームを3位に導き、チャンピオンズリーグプレーオフへの出場権を勝ち取った。2016-17シーズンのチャンピオンズリーグではプレーオフで敗退、ヨーロッパリーグに回るもベスト16で敗退。リーグ戦ではクラブ最多勝ち点となる勝ち点87でチームを2位に導き、チャンピオンズリーグ出場権に導いた。2016-17シーズン終了後、ローマからの退団を発表した。
2017年6月6日、インテルナツィオナーレ・ミラノの監督に就任し、リーグ戦では4位に終わったが、チームを7期ぶりのCL出場権に導いた。2019年5月30日、インテルの監督を退任した。
2021年5月29日、SSCナポリの監督に就任した。翌2022-23シーズンにチームを33年振りのセリエA優勝に導き、自身も母国のトップリーグ初制覇を成し遂げた。しかし来季の指揮は降板し、今シーズン限りで退任。
2023年8月18日、電撃辞任したロベルト・マンチーニの後任としてイタリア代表監督に9月1日付で就任することが発表された。
UEFA EURO 2024では、グループステージを1勝1分1敗でなんとか勝ち上がるも、決勝トーナメント一回戦スイス戦では、ほとんどチャンスを作れずに0-2で敗戦しベスト16に終わり、采配に対して不満の声が挙がった。
2025年6月6日、FIFAワールドカップ26欧州予選初戦でノルウェー代表に敗北。次節、同9日のモルドバ代表戦を最後に解任が決定した。
鋭い戦術眼でゲーム展開を読み、その時々の状況に対して的確な指示を出し、勝利を目指すことのできる戦術家である。ASローマ時代に、生粋のセンターフォワードを置かない戦術「ゼロトップ」システムを考案した第一人者でもある。
ウディネーゼや第一期ローマ時代のダビド・ピサーロ、インテル時代のボルハ・バレロを始めレジスタを重視する傾向が強い。就任時に在籍している選手をレジスタとして起用させることも多く、第二期ローマ時代にはミラレム・ピャニッチを、インテル時代にはマルセロ・ブロゾビッチをレジスタとして開花させた。
一次情報の発言のみ収録。1回の会見につき主要な発言を最大3つ引用し、他は解説で要約しています。
「スパレッティ? 何をしたいのか分からない。」
出典:Goal.com 日本語版 2026年10月23日
「今日は良い内容だったし、テンポも良かった。ただ、あってはならない2失点を喫してしまったのは残念だ。」
「相手は今日ギアを上げてきたが、我々にはまだ何かが足りない。試合に勝てなければ、私は満足できない。」
「今夜の選手たちの姿勢には満足している。先制された後に試合へ戻るのは難しかったが、選手たちは諦めずに挑戦を受け止めた。」
出典:Goal.com 2026年10月22日
「彼のことはよく知っているし、チームに対する挑発だったと確信している。選手たちが彼の味方なのは明らかだと思う。」
出典:Goal.com 日本語版 2026年10月21日
「間違いなく弱いユヴェントスだった。試合を支配することもできず、試合をどう組み立てるかという発想もないチームだった。」
「スピードもアイデアも走る意欲も、懸命に働く意志もなかった。競り合いで弱さを見せ、うまくいかないときに頭を垂れる。」
「私自身もこの内容には驚いたので、慎重に考える必要がある。選手たちへの話し方は変えていないのだから、チームとの関係を自分で見直すべきかもしれない。」
出典:Goal.com 2026年10月19日
「前半は私たちはすべてにおいて少し遅かった。相手に組織を整える時間を与えすぎた。」
「全体として、私たちは本来の力を下回る内容だった。今日見せたものと比べて、水準を上げなければならない。」
「後半は多くの面で改善したが、それでも技術的なミスが多すぎ、決断力に欠けるプレーも多すぎた。」
出典:Goal.com 2026年10月15日
「何も起きていない。彼らはいいサッカーをするが時間稼ぎもうまいと言ったら、彼は時間稼ぎとはどういう意味だと言い、我々は二人とも退場にされた。」
「前半はマッケニーを左に動かし、ニコ・ゴンサレスを中央に入れた。コロ・ムアニがセンターフォワードで、ニコ・ゴンサレスがその支援役だった。」
「彼らがいつもこのようにプレーするなら、我々はもっと多くの試合に勝てると確信している。」
出典:Goal.com 2026年10月12日
「抱擁で終われたはずだし、こうなってしまったのは残念だ。ただ、昨日のスパレッティは不安を感じているように見えた。」
「ハーフタイムに起きたことも見ていて気持ちのいいものではなかった。結局のところ、抱擁で終われたはずだ。」
「だが第6節でユヴェントスがカリアリで勝てないかもしれないと不安になるのなら、我々が正しい道を進んでいる証拠だ。」
出典:Goal.com 2026年10月12日
「抱き合って終わることもできた。こうなってしまって残念だが、昨日のスパレッティは不安を感じているようだった」
「だが、第6節でユヴェントスがカリアリで勝てないのではないかと心配しているなら、それは我々が正しい方向に進んでいる証拠だ」
出典:Goal.com 日本語版 2026年10月12日
「こうした状況では、シンプルなマネジメントを行うことになる。というのも、長い休養期間としっかりした休息を与えることで、その後に連戦で試されるいくつかの要素を回復させる必要があるからだ。」
「こういう特徴を見せる選手がいる。強い意志を持ち、自分の未来を自分で決めにいこうとする人間の目つきだ。」
出典:GOAL 2026年10月10日
「サラーは、彼を指導するすべての監督にバロンドールを与えてくれる。はっきり言っておくが、違いを生むのはいつも選手のレベルだ。」
「彼はゲームに美しさをもたらし、輝かせる。彼の動き一つひとつが天才的な仕事だ。」
「ユヴェントスでは、メンタリティを指導することになる。それはサッカーの歴史そのものだ。」
出典:africasoccer 2026年10月4日
英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1378162637)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。
| 在任期間 | 年齢 | チーム | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1994.04〜1994.06 | 35 | 8 | 2 | 3 | 3 | 25.0% | |
| 1995.07〜1998.06 | 36 | — | 128 | 57 | 37 | 34 | 44.5% |
| 1998.07〜1998.12 | 39 | 23 | 8 | 5 | 10 | 34.8% | |
| 1999.02〜1999.06 | 39 | — | 15 | 6 | 3 | 6 | 40.0% |
| 1999.07〜1999.10 | 40 | 10 | 2 | 3 | 5 | 20.0% | |
| 1999.11〜2000.02 | 40 | — | 13 | 4 | 3 | 6 | 30.8% |
| 2001.03〜2001.06 | 41 | 11 | 2 | 4 | 5 | 18.2% | |
| 2001.12〜2002.06 | 42 | 20 | 8 | 5 | 7 | 40.0% | |
| 2002.07〜2005.06 | 43 | 122 | 53 | 32 | 37 | 43.4% | |
| 2005.06〜2009.09 | 46 | 224 | 122 | 53 | 49 | 54.5% | |
| 2009.12〜2014.03 | 50 | 184 | 105 | 47 | 32 | 57.1% | |
| 2016.01〜2017.05 | 56 | 75 | 50 | 11 | 14 | 66.7% | |
| 2017.06〜2019.05 | 58 | 90 | 45 | 26 | 19 | 50.0% | |
| 2021.05〜2023.07 | 62 | 96 | 62 | 16 | 18 | 64.6% | |
| 2023.09〜2025.06 | 64 | 24 | 12 | 6 | 6 | 50.0% | |
| 2025.10〜現在 | 66 | 44 | 24 | 12 | 8 | 54.5% | |
| 通算 | 1087 | 562 | 266 | 259 | 51.7% | ||
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1985〜1986 | 25 | |
| 1986〜1990 | 26 | |
| 1990〜1991 | 30 | |
| 1991〜1993 | 31 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 在任 | 年齢 | チーム | 役職 |
|---|---|---|---|
| 1995〜1998 | 35 | 監督 | |
| 1998〜1999 | 38 | 監督 | |
| 1999〜2000 | 39 | 監督 | |
| 2001〜2001 | 41 | 監督 | |
| 2001〜2002 | 41 | 監督 | |
| 2002〜2005 | 42 | 監督 | |
| 2005〜2009 | 45 | 監督 | |
| 2010〜2014 | 50 | 監督 | |
| 2016〜2017 | 56 | 監督 | |
| 2017〜2019 | 57 | 監督 | |
| 2021〜2023 | 61 | 監督 | |
| 2023〜2025 | 63 | 監督 | |
| 2025〜 | 65 | 監督 |
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1986 | 26 | エンテッラ | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | |
| 1990 | 30 | ヴィアレッジョ | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | |
| 1991 | 31 | ヴィアレッジョ | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
英語の記録名しか確認できないもの(11件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「ルチアーノ・スパレッティ」(版 109684888)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
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