「人々がバルセロナを称賛しても私には影響しないし、私の関心事でもない。」
「我々はまだ序盤の段階にいる。監督が選手を知り、パフォーマンスを分析して取り組むべき方向性を定め、選手たちも監督の考えを知っていく時期だ。」
「あなたは賢いが、私は愚かではない!」
出典:Goal.com 2026年10月24日
SOCCERPEDIA / 監督ページ / ポルトガルのサッカー監督 / 最終更新:2026年9月1日
ジョゼ・モウリーニョ(José Mário dos Santos Mourinho Félix、1963年1月26日生)は、ポルトガル・セトゥーバル出身のサッカー監督。2026からレアル・マドリードの監督を務めている。これまでに10クラブを指揮した。クラブ・代表で通算43個のタイトルを獲得、個人賞は46回(IFFHS世界最優秀クラブ監督 4回、プレミアリーグ月間最優秀監督 4回)。
ジョゼ・モウリーニョ(José Mourinho)こと、ジョゼ・マリオ・ドス・サントス・モウリーニョ・フェリックス OIH(José Mário dos Santos Mourinho Félix、1963年1月26日 - )は、ポルトガル・セトゥーバル出身の元アマチュアサッカー選手、元体育教師、元通訳、現サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。現在はレアル・マドリード監督。
監督として唯一UEFAチーム・オブ・ザ・イヤーに4度選ばれている。また過去に7人しか達成していない、異なる2つのチームを欧州王者に導いた監督のうちの1人であり、監督としてイングランド、イタリア、スペインのリーグ戦と国内カップ戦(プレミアリーグ、セリエA、プリメーラ・ディビシオン)優勝を成し遂げるなど、数々の偉業を達成させた希代の名将としても知られる。また、UEFAチャンピオンズリーグ、UEFAヨーロッパリーグ、UEFAヨーロッパカンファレンスリーグの3つの国際タイトル全てを獲得した唯一の監督である(2023年時点)。
父親のフェリックス・モウリーニョは元ポルトガル代表のゴールキーパーで、1980年にポルトガル2部でサッカー選手としてのキャリアをスタートさせ、1987年まで2部の各クラブを渡り歩いた。
2000-01シーズンにポルトガルの古豪ベンフィカの監督に就任した。不調だったクラブを建て直し、ライバルのスポルティングCPを3-0で破るなど順調なスタートを切った。しかし、会長交代劇などの内紛によりそのスポルティングCP戦までの8試合の指揮を執った後、自ら退任した。なお、このシーズンのベンフィカは6位でクラブ史上最低の順位だった。
2001-02シーズン、リーグ中位のウニオン・レイリアの監督に就任。19試合で9勝7分3敗という好成績で、辞任した時点では4位であった。
シーズン途中の2002年1月、当時不調に喘いでいた名門FCポルトに引き抜かれる。彼は残りの試合を15戦11勝2分2敗で乗り切り、低迷していた名門の順位を最終的に3位まで上昇させた。ポルト監督就任時、彼は不遜にも「(中位に甘んじる)このクラブを来年チャンピオンにしてみせる」と宣言し、メディアの冷笑を買ったが、彼はそれ以上の偉業を翌年以降成し遂げることとなる。
2002-03シーズン、モウリーニョに率いられたポルトは快進撃を続け、スーペル・リーガ、ポルトガルカップのタイトルを獲得。さらにUEFAカップ決勝でもセルティックFCを延長の末に下し、三冠を達成。指導者として国際的に注目され始めた。
2003-04シーズンには、圧倒的な強さでリーグ二連覇を成し遂げる。ポルトガルカップは決勝でベンフィカに延長の末敗れたが、UEFAチャンピオンズリーグでは、決勝でASモナコを3-0で下し制覇。ポルトを17年ぶりのヨーロッパチャンピオンに導き、より一層評価を上げた。
2004年、イングランドプレミアリーグのチェルシーFCの監督に就任すると、最初のシーズンに最多勝点記録95で50年振りにリーグを制し、フットボールリーグカップも優勝した。2シーズン目となった2005-06シーズンもチェルシーはリーグを制し、2006-07シーズンはリーグは2位に終わったものの、FAカップとリーグカップの2冠を達成した。クラブオーナーのロマン・アブラモヴィッチとの不和が報道される中、2007年9月に退任した。
2006-07シーズンはFAカップ、リーグカップのカップ・ダブルを達成するが、24人前後という少数精鋭で戦うチームであった為、怪我人の対応に後手を踏んだ。2006年10月14日に行われたレディング戦で頭蓋骨の陥没骨折という大怪我を負った守護神のペトル・チェフを筆頭に、主将のジョン・テリーや同じイングランド代表の主力だったアシュリー・コールといったDF陣を中心とした実に10人近くの主力が相次ぐ故障に倒れ冬の移籍市場でDFの補強を要求するモウリーニョと、補強をしようとしない経営陣との対立が表面化。「このチームにスターは存在しない。一致団結したチームこそスターだ」というモウリーニョ・イズムは崩れ、「報道を忘れる必要がある」と否定する姿勢を見せず、同シーズン限りでチームの監督を辞するのではという憶測が流れた。モウリーニョ自身は「2010年の契約満了まで自分から辞める事はない」と明言。だが、クラブオーナーであるロマン・アブラモヴィッチの態度は不明瞭であり解任の噂が絶えなかった。結局史上5チーム目の3連覇が懸かっていたリーグ戦では、テリーが欠場した(18節~25節)試合は4勝3分け1敗で、総失点24のうち10失点がこの時期に奪われたのもあり、優勝したマンチェスター・ユナイテッドに6ポイント差を付けられて2位に終わった。そして、2007年9月15日に行われたプレミアリーグのブラックバーン・ローバーズ戦や、2007年9月18日に行われたUEFAチャンピオンズリーグで、ノルウェー・エリテセリエンの王者・ローゼンボリ戦といった勝ちを計算出来た筈の2試合をいずれも引き分けたのが決定打となり、2007年9月20日、チェルシーとの契約解除が公式ホームページ上で発表された。モウリーニョとクラブ側双方合意の上でのものだったが、事実上の解任であった。後任には、アヴラム・グラントが就任。このシーズン、クラブ史上初めてUEFAチャンピオンズリーグ決勝に進出を果たすも、サポーターから「モウリーニョの遺産」と揶揄されていた。
チェルシーを退団してフリーの身となった際、各国クラブから監督就任の打診を受けているが、モウリーニョが要求する高額な年俸がネックになっているとされ、いずれも噂の域を出なかった。
そんな中、2007年11月にイングランド代表のEURO2008予選敗退を受け解任されたスティーブ・マクラーレンの後任最有力候補であると報道された。しかし、この件については、モウリーニョとFA幹部との三者会談の後、代理人を介して「素晴らしい仕事だとは思うが、熟考の末、イングランド代表監督候補になっても身を引くことにした。」と声明を発表し、代表監督就任を辞退している(なお、イングランド代表監督の後任にはファビオ・カペッロが就任した)。
その後も引く手数多の状態が続いていたが、2008年6月2日、解任されたロベルト・マンチーニ監督の後任としてイタリア・セリエAのインテル監督就任が発表された。2008-09シーズンは就任3ヶ月でスーペルコッパ・イタリアーナを制すると、リーグでも優勝を果たし二冠を達成した。一方でチャンピオンズリーグではマンチーニ時代から3年連続となるベスト16止まりであった。しかし、翌2009-10シーズンはチェルシー、CSKAモスクワ、バルセロナ、そしてかつての師であるルイス・ファン・ハール率いるバイエルン・ミュンヘン等の各国の強豪(しかもCSKA以外の3チームはこの年の各国リーグ王者)を破り45年ぶりのチャンピオンズリーグ優勝を果たした。2つの異なるクラブを率いて欧州チャンピオンとなったのは、2020年までではエルンスト・ハッペル、オットマー・ヒッツフェルト、ユップ・ハインケス、カルロ・アンチェロッティ、モウリーニョの5人のみである。そして同年のセリエA、コッパ・イタリアも制し、イタリア史上初の三冠に導いた。この実績が評価され、2010年のFIFA最優秀監督賞を受賞することになる。しかし、この三冠を達成した優勝記者会見でインテル監督を辞任すると発言し、2010年5月28日にモラッティとペレス両会長の直接会談により、レアル・マドリードがインテルに違約金を支払う形で残り2年の契約が解除された。
2010年5月31日、レアル・マドリードの監督就任が発表された。契約期間は4年。就任初年度は序盤から好調を維持してリーグ戦首位にたったものの、監督就任後初となるエル・クラシコで5-0の大敗を喫して2位に転落した。驚異的なペースで勝ち点を積み重ねるFCバルセロナに及ばずリーグ戦2位に終わった。それでもUEFAチャンピオンズリーグでは6年連続でベスト16止まりだったチームをベスト4にまで進出させ、コパ・デル・レイでは決勝でFCバルセロナを1-0で破り、18年ぶりの優勝を果たしてバルセロナのトレブルを阻止した。
2011-12シーズンは、ほぼ毎試合圧倒的な攻撃力で大差をつけるゲームを披露してリーグ戦を独走。2012年2月26日のラーヨ・バジェカーノ戦に勝利し、プリメーラ・ディビシオン通算50勝を、史上最速となる62試合で達成した。終盤にはライバルのFCバルセロナに猛追されたものの、アウェーでの直接対決で勝利して突き放し、優勝を成し遂げた。この結果、欧州3大リーグ(プレミアリーグ、セリエA、プリメーラ・ディビシオン)優勝を成し遂げた史上初の監督となり、欧州の4カ国の1部リーグ優勝を果たした2人目(1人目はジョバンニ・トラパットーニ)、異なる4カ国でリーグタイトルを制した4人目の監督(トミスラフ・イヴィッチ、エルンスト・ハッペル、トラパットーニに続く)となった。
2012-13シーズンは、スーペルコパ・デ・エスパーニャでバルセロナを破りスペインスーパーカップを制覇。チャンピオンズリーグでは3年連続で準決勝に進出するもボルシア・ドルトムントに敗退。リーグ戦では序盤戦での取りこぼしが響き連覇を逃すと、コパ・デル・レイ決勝でもアトレティコ・マドリードに敗れ2年ぶりの優勝を逃すなど、リーグとカップ戦では無冠に終わった。シーズン終了後の2013年5月20日、クラブ側との合意で契約を解消し、マドリードを退団した。
2013年6月3日、4年契約を結びチェルシーに復帰したことが発表された。同年夏の移籍市場ではマーク・シュワルツァー、アンドレ・シュールレ、インテル時代の教え子サミュエル・エトオらを獲得した。2013-14シーズンのプレミアリーグでは上位チーム相手には勝負強さを見せつけたものの、下位チーム相手の取りこぼしが祟り、3位に終わった。モウリーニョ自身がそれまで持っていたホームスタンフォード・ブリッジでの無敗記録も、2014年4月20日のサンダーランド戦に敗れたことで77試合で止まった。リーグカップでは準々決勝でそのサンダーランドに、FAカップでは5回戦でマンチェスター・シティに敗れた。UEFAヨーロッパリーグ王者として臨んだUEFAスーパーカップでは、ジョゼップ・グアルディオラ率いるUEFAチャンピオンズリーグ王者のバイエルン・ミュンヘンと対戦し、延長戦の末敗れた。UEFAチャンピオンズリーグでは、準決勝で前年レアル時代に国王杯決勝で敗れたディエゴ・シメオネ率いるアトレティコ・マドリードと対戦。第1戦はスコアレスドローに終わり、ロンドンでの第2戦は36分に古巣対決でもあるフェルナンド・トーレスのゴールで先制したがその8分後にアドリアン・ロペスに同点弾を叩き込まれ2試合合計でアウェーゴールの関係上逆転されて前半を折り返すと、後半ジエゴ・コスタにPKを沈められた後前掛かりになった所をアルダ・トゥランに突かれ勝負あり。2戦合計1-3で敗れ、リベンジを果たせなかった。FAコミュニティ・シールドにはチェルシーは出場していないので、2001-02シーズンのウニオン・レイリア時代以来12シーズンぶり、ポルトやチェルシーのようなビッグクラブを率いるようになった2003年以来では初めての無冠に終わった。
復帰2年目の2014-15シーズンはロメル・ルカクやフェルナンド・トーレスやダヴィド・ルイスを放出したものの、前年度のCLファイナリストであるアトレティコ・マドリードからジエゴ・コスタとフィリペ・ルイスを獲得し、レンタル移籍していたベルギー代表GKティボ・クルトゥワが復帰した。さらにFCバルセロナからスペイン代表MFセスク・ファブレガスを、ガラタサライSKからかつての教え子であるコートジボワール代表FWディディエ・ドログバを、クイーンズ・パーク・レンジャーズFCからフランス代表FWロイク・レミーを獲得し、チームの層をより厚くした。キャピタル・ワン・カップを制し、さらに独走状態でチェルシーの5シーズンぶり5度目のリーグ優勝に貢献し、二冠を達成した。
2015-16シーズンはスペイン代表FWペドロ・ロドリゲスやコロンビア代表FWラダメル・ファルカオらを獲得したものの、その一方で補強リストに載せていたジョン・ストーンズの獲得に失敗。開幕前にウェイトオーバーを申告したジエゴ・コスタやアザールら主力の不振に主将のテリーの衰え等で、開幕から11試合で6敗と絶不調に陥り、第16節の時点で4勝3分9敗の16位と大苦戦。また開幕戦にあたるスウォンジー・シティ戦で2-2のスコアで迎えた試合終盤にドクターのエバ・カルネイロがアザールの負傷で駆け付けた際にカルネイロに怒りをぶちまけ試合後に「ドクターだろうと用具係だろうと、ベンチにいる以上はフットボールを理解しなければならない、馬鹿正直だった。」と非難した。チャンピオンズリーグではグループGを首位通過するも、12月18日、成績不振を理由に解任された。
2016年5月27日、マンチェスター・ユナイテッドはジョゼ・モウリーニョと2016-17シーズンから2019年6月30日までとなる3年契約、さらに4年目の2020年6月30日までとなる契約更新のオプションがついた条件を締結すると発表。移籍市場ではユヴェントスからポール・ポグバ、ボルシア・ドルトムントからヘンリク・ムヒタリアン、ビジャレアルCFからエリック・バイリー、パリ・サンジェルマンFCからズラタン・イブラヒモヴィッチを獲得し大金を注ぎ込んだ。8月7日、FAコミュニティ・シールドで昨シーズンリーグ王者のレスター・シティFCを破り、マンチェスター・ユナイテッドで初タイトルを獲得。守備面ではプレミアリーグ2位の29失点と堅守を披露したものの、攻撃面ではPSGからフリーで獲得したイブラヒモヴィッチに依存し、得点力不足を露呈。そのため90分では勝ち切ることができず、プレミアリーグではクラブ新記録の25戦連続無敗を達成する一方で引き分けがリーグ最多の15試合となって勝ち点を伸ばせずに6位でフィニッシュ。しかし一発勝負であったり、2試合180分を戦えば勝てるようになり、EFLカップで優勝。さらにはヨーロッパリーグも決勝まで順当に勝ち進んで決勝もアヤックスに2-0で完封勝利し、クラブ初のEL優勝を達成。同時に、CLとELの両方を複数チームで制した史上初の監督となった。
しかし、2018-19シーズンには不振に陥り、リヴァプールに1-3で敗れたことが引き金となり2018年12月18日にマンチェスター・ユナイテッドの監督を解任された。
2019年11月20日、トッテナム・ホットスパーFCの監督に就任することが発表された。契約は2022-23シーズン終了まで。2019年11月23日、就任から3日後にアウェーでのウェストハム・ユナイテッドとの試合で白星を挙げ、好調なスタートを切った。なお、トッテナムにとってアウェイでの勝利は同年5月8日のチャンピオンズリーグ2018-19シーズン準決勝のアヤックス戦以来、リーグ戦に限れば1月20日のフラム戦以来のことであった。就任後初のCLかつホーム戦となるグループ5節オリンピアコス戦では2点を先取されるも、29分という早い時間の交代で流れを引き寄せ、4点を奪って逆転勝利した。年始頃からエースのケインを含む複数の主力選手が相次いで負傷離脱する不運に見舞われ、2020年3月10日のRBライプツィヒ戦に敗れた時点で監督キャリア最長の6戦連続勝利なしを記録するなど苦境に陥ったが、ここで新型コロナウィルス感染拡大によりリーグ戦が中断し、6月のリーグ戦再開をほぼフルメンバーで迎えた。7月6日の33節エヴァートン戦に勝利し、プレミアリーグの歴史では5人目となる通算200勝を達成した。リーグ戦通算326試合での同記録達成は元マンチェスター・ユナイテッド監督のアレックス・ファーガソンが記録した322試合に次いで2番目の早さである。7月15日の第36節ニューカッスル戦にアウェイで3-1と勝利し、監督キャリアでの同クラブとのアウェイ戦8試合目にして初めての勝利を挙げた。リーグ戦の再開後、9試合を5勝3分1敗とし、最終節で6位に滑り込み来季のUEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得した。リーグカップには就任前に敗退しており、FAカップではラウンド16でノリッジ・シティにPK戦で敗れ、CLではラウンド16でRBライプツィヒに0-4で敗れて就任初年度は無冠に終わった。
2020-21シーズンを前にピエール・エミール・ホイビュルクやマット・ドハーティなど総勢7人の大型補強を行い開幕を迎えた。プレミアリーグ開幕節のエヴァートンFC戦に敗れ、キャリアを通じての同リーグ開幕戦11試合目にして初めての黒星を記録した。しかしその後は1週間4試合ペースの過密日程を8試合無敗で乗り切るなど持ち直し、10月4日にはマンチェスター・ユナイテッドをアウェイで6-1で破った。11月のリーグ戦4試合ではマンチェスター・シティを破るなど3勝1分の好成績でチームを首位争いに導き、同月の最優秀監督賞を受賞した。しかし年末頃からは失速し、カラバオカップでは決勝に進出したものの2月のFAカップ5次ラウンドでエヴァートンに敗れ、3月にはELのラウンド16でディナモ・ザグレブに逆転敗退を喫し、またリーグ後半戦ではビッグ6との直接対決で全敗するなどして32節終了時点で7位と低迷した。2021年4月19日、数日後にカラバオカップ決勝を控えていたにもかかわらず、モウリーニョ及び彼のコーチ陣は解任された。ポルト就任以降、彼が無冠で去ったクラブはトッテナムが初めてであった。
2021年5月4日、2021-22シーズンよりASローマの監督に就任することが発表された。2021-22シーズンはリーグ戦を6位で終え、UEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得した。UEFAヨーロッパカンファレンスリーグでは決勝でフェイエノールトを破り優勝を果たし、現在開催されている欧州3カップを全て制した初めての監督となった。
2022-23シーズンはリーグ戦を6位で終え、UEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得した。2022年5月31日、UEFAヨーロッパリーグでは決勝でPK戦の末、セビージャに敗れ、準優勝となった。
2023-24シーズンはセリエA開幕6戦でわずか1勝と低迷した。その後、復調するも怪我人の多発や戦力不足、資金難による補強不足などから再び不調に陥り、リーグ戦20試合で8勝5分け7敗勝ち点29の9位と低迷した。第20節のミラン戦に敗戦後、2024年1月16日にASローマの監督を成績不振の理由から電撃解任された。
2024年6月2日、トルコ1部リーグに所属しているフェネルバフチェSKの監督に就任した。初年度となる2024-25シーズンのリーグ戦では、ガラタサライの後塵を拝して2位でフィニッシュとなった。
翌2025-26シーズン、チャンピオンズリーグに3次予選から参加した中、プレーオフに進出したが、ベンフィカとのプレーオフではホームでの第1戦を0-0で引き分けると、28日に行われた第2戦を0-1で落とし、敗退が決定した。その翌日の8月29日、フェネルバフチェの監督を解任された。
フェネルバフチェ解任から間もない2025年9月19日、2027年末までの2年契約で、解任の引き金となったベンフィカの監督に25年ぶりに就任することが発表された。
2025-2026シーズンのレアル・マドリードは、監督のシャビ・アロンソ解任から始まった一連のチームの分裂と2年連続の無冠という事態を受けて、会長のフロレンティーノ・ペレスはチームの秩序を回復させることが出来る監督として第一次政権時に規律を重んじ、チームを引き締めた実績を持つモウリーニョの再招聘に動く。再びビッグクラブを率いることを望んでいたモウリーニョも快諾し、シーズン終了後の2026年5月末には次期監督就任が内定したと報じられたが、それ以前にペレスが自身への信任を問うべく会長選挙の実施を宣言していた。無投票での再選が確実視されたが、予想に反して対抗馬が現れたことで20年ぶりの会長選挙の投票実施が決定したため、モウリーニョの招聘も一時停止された。2026年6月7日の会長選挙にてモウリーニョ招聘を公約に掲げたペレスが再選、6月11日にモウリーニョの13年ぶりの監督復帰が発表された。契約期間は3年間でレアル・マドリードはベンフィカに対して引き抜きに伴う違約金1500万ユーロ(当時のレートで約28億円)を支払ったと報じられている。
引退後、リスボン工科大学でスポーツ科学を学び、イギリスではコーチングコースに参加した。リスボンにおいて体育教師として働きながら、ユースチームの指導者やスカウト、コーチとしてしばらくの間働いた。
1992年にボビー・ロブソンがスポルティングCPの監督に就任した際に通訳としてスタッフ入りし、1993年にはアシスタント・コーチとなった。以降厚い信頼を受けてロブソンとともにFCポルト、バルセロナといったクラブで通訳(バルセロナではアシスタントコーチ)を務める。ロブソンがバルセロナを去った後、監督に就いたルイ・ファン・ハールのアシスタントコーチも経験した。この時期のバルセロナには、後に監督としてのライバルとなるジョゼップ・グアルディオラも選手として所属していた。
対戦相手によって様々なフォーメーションを使いこなすが、サイドを広く使い攻撃的といわれる4-3-3を最も好んでいる。基本的に4-3-3を適用しているが、チェルシー時代は中盤を省略して素早く前線にボールを送るカウンター寄りの戦術がよく見られたために、彼の意思に反して「守備的なチーム」と言われていた。また、このカウンター戦術は彼の好みではなかったということで、インテル就任時に「トライアングルを作ってパスを回すサッカーをしたい」とも語った。選手を固定せず 自身のフォーメーションに合わない場合は変更に躊躇のない信念の強さを持っている。一試合を通して彼の経験からハードワークをする選手、チームの為に隙を与えない徹底的に攻守に貢献しようと実行する選手を好む(例えば中盤の全選手に攻撃色の強い選手を並べる様な事はしない為、中盤にはマケレレやマティッチ、カンビアッソやケディラといった守備色の強い選手を起用している)。特にオフ・ザ・ボール(ボールを持っていない時)の選手の動きに重点を置いている。マスコミやメディアを利用したり相手チームの輪を乱すものを挑発するなどして試合を円滑に進めるためには手段を選ばないところにも注目である。ポルト大学のビトール・フラデ教授が1980年代初期に提唱した戦術的ピリオダイゼーション理論(PTP理論)を取り入れており、綿密な分析を基に周到な戦術を駆使することで知られる。選手起用においては、シーズンを通しての出場時間数や怪我の有無といった一般的な判断材料から、試合時間別の成績とプレーの精度、体脂肪のベスト数値などの細かいデータを参考としている。ただし結果が出るのは2年目までで2016年現在、2回率いたチェルシーやレアルで3年目に物事が瓦解したのも、当面の戦いに勝つ事に集中しがちで長期的なプランを描くのは二の次である。また、本人は否定するものの、グアルディオラやマウリシオ・ポチェッティーノとは違い、ユースから上がってきた若手の育成や登用には消極的でもある。
一次情報の発言のみ収録。1回の会見につき主要な発言を最大3つ引用し、他は解説で要約しています。
「人々がバルセロナを称賛しても私には影響しないし、私の関心事でもない。」
「我々はまだ序盤の段階にいる。監督が選手を知り、パフォーマンスを分析して取り組むべき方向性を定め、選手たちも監督の考えを知っていく時期だ。」
「あなたは賢いが、私は愚かではない!」
出典:Goal.com 2026年10月24日
「モウリーニョには大きな敬意を持っている。長年にわたってこのレベルのチームを率いているということは、彼の質の高さの表れであり、指導したすべてのクラブでそれを証明してきた。」
「彼は同じ職業の仲間であり、素晴らしい相手だ。」
出典:Goal.com 2026年10月24日
「いや、正直言って、彼が話すのは好きだよ。僕はこういうタイプの監督が好きなんだ。」
「そう、こういうタイプの監督が好きだし、モウリーニョを相手として迎えるのも好きだ。彼のことはとても尊敬しているから、彼の発言は全然気にならない。」
出典:Goal.com 2026年10月24日
「バレンシア時代に彼とは何度も対戦した。クラシコは非常に熱気に満ちた試合だったが、それはすべてのクラシコに当てはまる。」
出典:Goal.com 日本語版 2026年10月23日
「日曜に何が起きるかは話さないし、土曜に彼がまたこのポジションでプレーするかどうかも答えない。ただ、フェデは良いパフォーマンスを見せたとは言っておく。」
「フェデを右サイドバックで起用するのは私にとって心苦しいことだ。このポジションを本職とする2人の選手を外すことになるからだ。」
「そんなことはしたことがない。私は自分の教え子について語ったことはない。」
出典:Goal.com 2026年10月22日
「誰も外せない選手などいない。外せない選手がいるという考え方は好きではない。」
「我々にはまだやるべきことがたくさんある。ここに来て3、4か月だが、すでに望む水準に達しているなどということはあり得ない。」
「それについて語るのはまだ早すぎる。今の目標は突破を決めることで、その次の目標はプレーオフを避けることだ。」
出典:Goal.com 2026年10月20日
「彼には、すべての監督が持っているわけではない印象的なオーラがある。彼が話すときは、当然ながらロッカールームの全員が耳を傾け、彼に敬意を払っている。」
出典:Goal.com 2026年10月20日
「私はチームにとって最善だと信じる決断を下すためにここにいる。いつかはAIやチームが行う調査が決断を左右し、監督の役割はピッチ上の仕事に限られる日が来ると思うが、今のところ決断を下すのは監督だ。」
「私は選手たちのレベルを高めなければならず、新戦力の獲得を要求することが自分の権利だとは考えていない。私は少数精鋭の編成で仕事をするほうがいい。」
「君たちのような記者と付き合うのは、私にとって幸運でもあり不運でもあるという逆説だ。君たちは仕事をより難しくしているのだから。」
出典:Goal.com 2026年10月17日
「前半は監督の責任で、後半は選手の責任だ。サッカーは90分間の戦略的なゲームだ。」
「しかし、彼らのあの強度で90分間プレーし続けるのは不可能だ。私は必要だと考えた交代を行ったが、前半は本当にやられた。」
「ヴィニは失ってはいけないボールを失った。だが、そういうものだ。」
出典:Goal.com 2026年10月15日
「いや。優れた攻撃的選手がこれほど大勢いるのだから、それを実現するのは非常に難しいと思う」
「レアル・マドリーの監督という役割を演じなければならないようなものだ。ジョゼ・モウリーニョが、明確な構造を持ち、組織されたチームを作る監督であることは、これまでのキャリアを通じて分かっている。」
「まだシーズン序盤なのに、彼は辛うじて持ちこたえているように感じる。あるいは、チームが終了間際のゴールや逆転でしのいでいる」
出典:Goal.com 日本語版 2026年10月15日
「試合の2時間前に、4試合の出場停止になると選手が知らされるのは普通なことか。その決定を今、あるいは明朝に発表することはできなかったのか。」
「ポルトガル語には『猫は隠れているが尻尾は見えている』という言い方がある。今や猫はもう隠れていないと私には思える。」
「あの11人で試合を始めていたら、相手に5点取られていただろう。あれほどの強度のチームに耐え抜くのは不可能だった。」
出典:Goal.com 2026年10月15日
「VARがルールを知らなかったのか、それとも意図的に介入しなかったのか」
「1週間で6回の記者会見だ。私は君たちにうんざりしているし、君たちも私にうんざりしているだろう」
「記者会見を開くべきですらない」
出典:フットボールチャンネル 2026年10月12日
「過剰かって?ばかげた話だよ。」
「私にとって選手は1日24時間選手だ。そして私生活で彼がやる重要なことや否定的なことは、必ず影響を及ぼす。」
「レアル・マドリードの選手としてふさわしい振る舞いをしない選手は、ベンチにも入れないと断言する。ブーイングする機会も与えない。」
出典:Goal.com 2026年10月9日
「残念ながら、サッカー選手は自転車に乗ってはいけない。クラブに内緒でやるのであってもだ。」
「契約のことは気にしない。私が見ているのは、その選手が自分の仕事にどれだけ真剣に向き合っているかだ。」
「転べば3試合欠場するかもしれないし、もっと悪ければ脚を折る。打撲だけで済んでも、その打撲のせいで最高の状態でいられなくなる。」
出典:Goal.com 2026年10月5日
「ジョゼ・モウリーニョは今も世界最高の監督の一人であり続けている。そして現在は世界最高のクラブで指揮を執っているんだ」
「しかし、バルセロナがあのような状態なのが残念だね。彼はインテルを退団してマドリーに加わったときのように、またも凄まじいバルサと出くわしている。」
「モウリーニョこそが、レアル・マドリーの進む道を変えられる唯一の監督なんだよ」
出典:Goal.com 日本語版 2026年10月5日
「負けたから文句を言っているんだ。もし逆の立場だったら、これほど審判の判定が取り沙汰されることはなかっただろうね」
「癇癪? 僕にはそう見えるね。」
出典:マイナビニュース 2026年9月28日
「残念ながら、フットボールの選手はスキーもできないし自転車にも乗れない。クラブに隠れてやっている選手もいるだろうが……」
「私にとって、それは契約の問題ではない。自分が重視するのは、選手の仕事への取り組み方だ。」
出典:Goal.com 日本語版 2026年10月4日
「記者会見は省いてもいいくらいだ。この試合の物語はここにあるのだから。」
「あれは明らかなレッドカードが2つだった。もし正義が貫かれていれば、11対9で50分間戦うことになっていたはずで、どんな試合になっていたか想像できるだろう。」
「我々を静かにさせて、他のみんなと同じ条件で戦わせてくれるなら、まだ先は長い。」
出典:Sky Sports Football 2026年9月22日
「いや、誰も不可侵ではない。」
「交代をしたのは、まさに我々が試合のコントロールを失いつつあったからだ。10番の位置でプレーしていたアルダも、強度が落ちていた。」
出典:CaughtOffside 2026年9月16日
「プライベートな会話を明かすのは適切ではないと思うが、彼が僕に来てほしいという思いと、チームに何をもたらせるかについて話してくれた。対応はとてもよかった。」
「彼は本当に偉大な監督だ。これまで指揮を執った場所で、素晴らしい時期を過ごしながらそれを証明してきた。」
出典:フットボールチャンネル 2026年9月15日
「最高の状態ではない。それは我々全員が分かっているし、本人が一番分かっている」
「彼はチームのためによく働いた。もちろん、左サイドでの何度かのプレーで試合を決めることもできた。」
「監督は彼の味方だ」
出典:フットボールチャンネル 2026年9月8日
「ベティスにおめでとうと言いたい。彼らは引き分け狙いで戦い、見事に“大当たり”を引き当てたのだからね」
「もし引き分けに終わっていたとしても、我々の方が多くのことを成し遂げていたのだから悔しさは残っただろう。ましてや負けとなれば、どんな気分か想像するのは難しくないはずだ」
「私のベンチの目の前で『死んだ』かのように振る舞っていたあの選手……救急車が来るのかと思ったが、結局救急車は来なかったね」
出典:サッカーキング 2026年9月5日
英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1380928647)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。
| 在任期間 | 年齢 | チーム | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2000.09〜2000.12 | 37 | 11 | 6 | 3 | 2 | 54.5% | |
| 2001.07〜2002.01 | 38 | 20 | 9 | 7 | 4 | 45.0% | |
| 2002.01〜2004.06 | 38 | 127 | 91 | 21 | 15 | 71.7% | |
| 2004.06〜2007.09 | 41 | 185 | 124 | 40 | 21 | 67.0% | |
| 2008.06〜2010.05 | 45 | 108 | 67 | 26 | 15 | 62.0% | |
| 2010.05〜2013.06 | 47 | 178 | 128 | 28 | 22 | 71.9% | |
| 2013.06〜2015.12 | 50 | 136 | 80 | 29 | 27 | 58.8% | |
| 2016.05〜2018.12 | 53 | 144 | 84 | 32 | 28 | 58.3% | |
| 2019.11〜2021.04 | 56 | 86 | 44 | 19 | 23 | 51.2% | |
| 2021.07〜2024.01 | 58 | 138 | 68 | 31 | 39 | 49.3% | |
| 2024.06〜2025.08 | 61 | 62 | 37 | 14 | 11 | 59.7% | |
| 2025.09〜2026.06 | 62 | 45 | 27 | 10 | 8 | 60.0% | |
| 2026.07〜現在 | 63 | 8 | 6 | 0 | 2 | 75.0% | |
| 通算 | 1248 | 771 | 259 | 218 | 61.8% | ||
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1980〜1982 | 16 | |
| 1982〜1983 | 18 | |
| 1983〜1985 | 19 | |
| 1985〜1987 | 21 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 在任 | 年齢 | チーム | 役職 |
|---|---|---|---|
| 2000〜2000 | 36 | 監督 | |
| 2001〜2002 | 37 | 監督 | |
| 2002〜2004 | 38 | 監督 | |
| 2004〜2007 | 40 | 監督 | |
| 2008〜2010 | 44 | 監督 | |
| 2010〜2013 | 46 | 監督 | |
| 2013〜2015 | 49 | 監督 | |
| 2016〜2018 | 52 | 監督 | |
| 2019〜2021 | 55 | 監督 | |
| 2021〜2024 | 57 | 監督 | |
| 2024〜2025 | 60 | 監督 | |
| 2025〜2026 | 61 | 監督 | |
| 2026〜 | 62 | 監督 |
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1982 | 19 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 1983 | 20 | セジンブラ | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | |
| 1985 | 22 | セジンブラ | コメルシオ・エ・インドゥストリア | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
英語の記録名しか確認できないもの(32件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「ジョゼ・モウリーニョ」(版 109934080)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
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