概要
オットマー・ヒッツフェルト(Ottmar Hitzfeld、1949年1月12日生)は、ドイツ出身のサッカー監督。クラブ・代表で通算40個のタイトルを獲得。
オットマー・ヒッツフェルト(Ottmar Hitzfeld、1949年1月12日 - )は、ドイツ・バーデン=ヴュルテンベルク州レラッハ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
クラブ経歴
経歴
現役時代はアマチュア、及びプロ選手としてスイスや西ドイツでプレー。現役時代のポジションはFW。スイスで大学にも通い、数学教師のライセンスを持っている。選手生活を退いた後に指導者としての道をスイスでスタート。 SCツーク、FCアーラウや グラスホッパー・チューリヒの監督としてスイス・カップやスイス・スーパーリーグで優勝を果たした。1991年にドイツ・ブンデスリーガで低迷していたボルシア・ドルトムントの監督に就任。対戦相手を徹底的に分析するとともに戦術に長け、ドイツ・ブンデスリーガ優勝2回、UEFAチャンピオンズリーグ優勝1回を果たした。
ボルシア・ドルトムントでの実績が評価され、1998年にFCバイエルン・ミュンヘンの監督に就任。リーグ優勝4回、ドイツカップ優勝2回、UEFAチャンピオンズリーグ優勝1回、さらにトヨタカップを制覇するなど、同クラブの黄金時代に貢献した。その間、国外のクラブから度々監督就任の声が挙がったが、ドイツ語による選手との意志の疎通を信条としてその都度オファーを断った。
2004年にバイエルン・ミュンヘン監督を辞任。同年のEURO2004終了後に解任されたルディ・フェラードイツ代表監督の後任にも挙がったが、本人は固辞した。
他にもレアル・マドリードなど数多くのビッグクラブから監督就任のオファーがあったがそれを全て断り、ドイツ有料テレビ「PREMIERE」でサッカー・コメンテーターとして活躍。
しかしバイエルン・ミュンヘンのGMウリ・ヘーネスの説得もあり、2007年1月31日、不調にあえぐバイエルン・ミュンヘン監督に再就任した。
ドイツ出身だがスイスでの生活が長い。現在も住居はスイスのエンゲルベルクにあり、妻はスイス人。家ではスイス方言(スイスドイツ語)を話している。そのためスイス人であるとよく間違えられ、ドイツでも当初は「スイス人監督がドイツにやってきた」と報道された。1991年にボルシア・ドルトムントの監督に就任した際、スイス方言のサッカー用語しか知らず、標準ドイツ語のサッカー用語を学びなおさなくてはならなかった。
現在でもスイス国際放送のインタビューなどでは全てスイス方言で答えており、多くのスイス人はヒッツフェルトのことを「ドイツに出稼ぎに行っている自分達の国の監督」と考えている。スイスサッカー協会も長年何度もスイス代表監督として打診するもののなかなか実現できずにいたが、2008年のEURO2008終了後から2年間就任することが契約された。2010 FIFAワールドカップでは優勝したスペイン代表を倒す番狂わせを演出したがグループリーグで敗退した。その後契約を2014年まで延長。
監督成績
在任別・通算
英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1378163010)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。
| 在任期間 | 年齢 | チーム | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| — | — | 32 | 17 | 9 | 6 | 53.1% | |
| — | — | 162 | 85 | 37 | 40 | 52.5% | |
| — | — | 142 | 73 | 36 | 33 | 51.4% | |
| 1991.07〜1997.06 | 42 | 272 | 144 | 63 | 65 | 52.9% | |
| 1998.07〜2004.06 | 49 | 319 | 193 | 73 | 53 | 60.5% | |
| 2007.02〜2008.06 | 58 | 76 | 45 | 20 | 11 | 59.2% | |
| 2008.07〜2014.07 | 59 | 64 | 33 | 18 | 13 | 51.6% | |
| 通算 | 1067 | 590 | 256 | 221 | 55.3% | ||
所属チーム
代表(選手時代)
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1972 | 22 | |
| 1972 | 22 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
タイトル
クラブ
ドルトムント(監督)
- ブンデスリーガ:2回(1994-95, 1995-96)
- UEFAチャンピオンズリーグ:1回(1996-97)
- UEFAカップ準優勝:1回(1993)
バイエルン(監督)
- ブンデスリーガ:5回(1998-99, 1999-2000, 2000-01, 2002-03, 2007-08)
- DFBポカール:3回(1999-2000, 2002-03, 2007-08)
- UEFAチャンピオンズリーグ:2回(2000-01, 1998-99)
- インターコンチネンタルカップ:1回(2001)
- IFFHS世界最優秀クラブ監督:2回(1997, 2001)
英語の記録名しか確認できないもの(16件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「オットマー・ヒッツフェルト」(版 102985160)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
出典
- Wikidata、2026年10月26日 取得 https://www.wikidata.org/
- Wikipedia(日本語版)「オットマー・ヒッツフェルト」、版 ID 102985160、2026年10月11日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%92%E3%83%83%E3%83%84%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%88
- Wikipedia(英語版)、版 ID 1378163010、2026年10月11日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Ottmar_Hitzfeld
※ 出典は媒体名・日付・URL を文字で記載しています(外部サイトへのリンクは行いません)。出典が確認できない数値はページに載せません。
関連項目
- 西ドイツ アマチュア
- 西ドイツ B
- ブンデスリーガ
- UEFAチャンピオンズリーグ
- UEFAカップ準優勝
- DFBポカール
- インターコンチネンタルカップ
- IFFHS世界最優秀クラブ監督
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