「試合中、キミがボールを持ったとき、パスを前に出せた場面で、何度か後ろにパスを出してしまっていた。そういうクセをつけないように。」
「コーチを怒らせないように。そして、私を怒らせないでくれ」
出典:Yahoo!ニュース 2026年10月16日
SOCCERPEDIA / 選手・監督ページ / イタリアのサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日
ファビオ・カペッロ(Fabio Capello、1946年6月18日生)は、サン・カンツィアン・ディゾンツォ出身の元サッカー選手。ポジションはMF。イタリアでは1972年から通算32試合8得点を記録している。Wikidata に登録されている受賞は1種・1件。登録漏れがあるため実際の受賞回数より少ない場合がある。
ファビオ・カペッロ(Fabio Capello, 1946年6月18日 - )は、イタリア・フリウリ=ヴェネツィア・ジュリア州サン・カンツィアン・ディゾンツォ出身の元サッカー選手、元サッカー指導者、現サッカー解説者。現役時代のポジションは、ミッドフィールダー。
現役時にはASローマ、ユヴェントス、ACミランに在籍し、イタリア代表としても活躍した。
引退後は古巣のミラン、ローマ、ユヴェントスで監督を務め、それぞれをリーグ優勝に導いた。また、2度にわたってスペインのレアル・マドリードの指揮官に就任し、在任2シーズンで2度のリーグ制覇を達成した。その後、イングランド代表、ロシア代表監督を歴任。
父親は小学校の教師で、サッカー選手でもあった家に生まれた。叔父のマリオ・トルトゥールもサンプドリアなどでプレーしたサッカー選手であった。ピエリスというクラブのユースでサッカーを始め、注目される存在となっていった。以前のイタリア代表監督で、当時ACミランのスカウトであったジュゼッペ・ヴィアーニからもスカウトを受けたが、SPAL 1907へ入団することとなった。
1964年にSPAL 1907で選手キャリアをスタート。1967年にASローマへ移籍すると、1969年のコッパ・イタリア制覇に貢献し、自身初となるタイトルを獲得をした。ローマでは84試合で18得点を挙げるなど、チームの中心であった。この活躍により強豪ユヴェントスへ移籍、ここでは若いチームの中にあって、リーダー的役割を担い3度のリーグ優勝を果たした。1976年まで7シーズン在籍、10番でプレーした。カップウィナーズカップ決勝のリーズ戦では、ホームの第1戦で1得点を決め2-2、アウェイでは1-1、合計スコアは3-3ながら、ホームでの失点が1多く、タイトルを獲得出来なかった。1971-72シーズン、リーグ戦では自己最多の9得点を挙げ、リーグ優勝を果たした。1972-73シーズン、リーグ優勝を果たしたが、UEFAチャンピオンズリーグ決勝に進出したが、アヤックスに敗れて準優勝に終わった。1973-74シーズン、アヤックスの代理で出場したインターコンチネンタルカップではCAインデペンディエンテに敗れ、リーグも2位に終わった。1974-75シーズンのリーグ優勝を最後にユヴェントスを離れ、1976-77シーズンからACミランへ移籍した。ミランでの最後の2シーズンは怪我の影響で、控え選手となったが、1978-79シーズンに自身4度目となるスクデットを獲得。1979-80シーズンを最後に、34歳で現役を引退した。
イタリア代表として1972年5月13日にベルギー戦で代表デビュー。1974 FIFAワールドカップ西ドイツ大会を始め32試合出場8得点を記録した。彼の選手生活におけるハイライトの一つは、1973年11月14日にウェンブリー・スタジアムで行われたイングランドとの試合である。カペッロのゴールでイタリアはイングランドを1-0で下し、イングランドからウエンブリーでの初勝利を記録した。
2017年6月11日、中国サッカー・スーパーリーグ・江蘇蘇寧足球倶楽部の監督就任が発表された。2018年3月28日に退任、同時に監督業からの引退を発表、その後はサッカー解説者として活動している。
2007年、UEFA EURO 2008の予選から敗退した責任で前任のスティーブ・マクラーレンが解雇された後、12月15日に正式に監督就任が決定した。2008年1月7日からの4年半の契約となった。
迎えた2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選では圧倒的な強さで予選を突破し本大会出場を決めた。しかし2010 FIFAワールドカップ本大会では初戦から低調なパフォーマンスに始まり、グループリーグをかろうじて突破したものの決勝トーナメント1回戦のドイツ戦では、フランク・ランパードのゴールが認められない誤審もあり4-1で大敗した。大会後は解任の噂もあったがUEFA EURO 2012出場を目指して続投が決まった。
2012年2月8日、イングランドサッカー協会は、ジョン・テリーのアントン・ファーディナンドへの人種差別発言疑惑への影響で、自分に相談せずに、テリーをキャプテンから外したことに異を唱え、EURO2012を前にして代表監督を辞任した。
引退後はイタリアのテレビ局でサッカー解説者を務めていた。1986-1987シーズンにはACミランのユースを指導していたが、終盤にシーズン終了までの5試合で臨時監督を務め、UEFAカップ出場権をかけたプレーオフでUCサンプドリアを破って、出場権獲得に成功した。翌シーズンからアリゴ・サッキにバトンをつないだ。それから4年後の1991年、サッキの後任として再びACミランの監督に就任する。
数多くのスーパースターを抱え「グランデ・ミラン」(偉大なミラン)や「リ・インヴィンチービリ」(無敵)と呼ばれた当時のミランをまとめ上げ、セリエAでは1991-92シーズンの無敗優勝、1992-93、1993-94とリーグ3連覇を果たし、1995-96年度にも優勝、5年間で4度のスクデットを獲得した、またUEFAチャンピオンズリーグでは1992-93シーズンから1994-95シーズンまで3季連続で決勝に進出させ、特に1993-94シーズンにはヨハン・クライフ率いるバルセロナを決勝で4-0という大差で下し優勝するなど、監督としての地位と評価を確立した。1995-96シーズンにリーグ優勝を最後に勇退した。
1996-97シーズンからパルマの監督に就任することで合意していたが、翻意してレアル・マドリードの監督に就任。就任初年度でチームにリーグ優勝をもたらすも、わずか1年で解任された。成績不振に喘いでいたACミランの監督に再度就任するもチームを立て直すことが出来ず、1シーズンで退任した。
1999年にASローマの監督に就任。2000年1月にペルージャから中田英寿を、同年5月にフィオレンティーナからバティストゥータなど獲得。トッティなど多くのスター選手のもと、2000-01シーズンに、ローマに18年ぶりのリーグ優勝をもたらした。その後、2度の2位という実績を残す。
2004-05シーズンからはユヴェントスへ電撃移籍。ここでも手腕を発揮し、就任初年度にリーグ優勝を達成した。その後、2年連続でセリエA優勝を達成するも、2005-06シーズンのカルチョ・スキャンダルによるチームのセリエB降格と同時に監督の座を退いた。
2006年からレアル・マドリードの監督に復帰。序盤はもたついたものの、終盤にはチームを立て直し、奇跡の逆転劇の末、銀河系軍団と呼ばれながらも迷走していたレアル・マドリードに4シーズンぶりのリーガタイトルをもたす。このシーズン中、一度は辞任を決断したが、カルデロン会長に留意され、プレドラグ・ミヤトヴィッチスポーツディレクターにチームのことについて干渉させないことを条件に残留した。シーズン終了後、勝利することを第一とするカペッロのサッカーは、見て楽しくないという、ファンたちの求めているスペクタクルな内容ではないとし、カルデロン会長は一度目の解任時と同様の理由で解任した。レアル・マドリードを就任初年度に優勝させ、直後にクラブを去るのはこれで2度目となった。。
一次情報の発言のみ収録。1回の会見につき主要な発言を最大3つ引用し、他は解説で要約しています。
「試合中、キミがボールを持ったとき、パスを前に出せた場面で、何度か後ろにパスを出してしまっていた。そういうクセをつけないように。」
「コーチを怒らせないように。そして、私を怒らせないでくれ」
出典:Yahoo!ニュース 2026年10月16日
数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。
| クラブ | シーズン | 年齢 | ディビジョン | シーズン通算 | |
|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | ||||
| スパル | 1963-64 | 17 | 0 | — | — |
| 1964-65 | 18 | 0 | — | — | |
| 1965-66 | 19 | 1 | — | — | |
| 1966-67 | 20 | 2 | — | — | |
| 通算 | — | — | |||
| ローマ | 1967-68 | 21 | 1 | — | — |
| 1968-69 | 22 | 6 | — | — | |
| 1969-70 | 23 | 4 | — | — | |
| 通算 | — | — | |||
| 1970-71 | 24 | 5 | — | — | |
| 1971-72 | 25 | 9 | — | — | |
| 1972-73 | 26 | 3 | — | — | |
| 1973-74 | 27 | 4 | — | — | |
| 1974-75 | 28 | 3 | — | — | |
| 1975-76 | 29 | 3 | — | — | |
| 通算 | — | — | |||
| 1976-77 | 30 | 1 | — | — | |
| 1977-78 | 31 | 3 | — | — | |
| 1978-79 | 32 | 0 | — | — | |
| 1979-80 | 33 | 0 | — | — | |
| 通算 | — | — | |||
| キャリア通算 | — | — | |||
年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
イタリア としての年別成績です。親善試合を含みます。
| 年 | 年齢 | 出場 | 得点 | 得点グラフ |
|---|---|---|---|---|
| 1972 | 25 | 6 | 1 | |
| 1973 | 26 | 8 | 3 | |
| 1974 | 27 | 6 | 1 | |
| 1975 | 28 | 4 | 1 | |
| 1976 | 29 | 8 | 2 | |
| 通算 | 32 | 8 | ||
年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1368992172)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。
| 在任期間 | 年齢 | チーム | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1987.04〜1987.07 | 40 | 7 | 3 | 3 | 1 | 42.9% | |
| 1991.06〜1996.05 | 44 | 249 | 142 | 77 | 30 | 57.0% | |
| 1996.05〜1997.06 | 49 | 48 | 31 | 12 | 5 | 64.6% | |
| 1997.06〜1998.05 | 50 | 44 | 16 | 14 | 14 | 36.4% | |
| 1999.06〜2004.05 | 52 | 241 | 118 | 73 | 50 | 49.0% | |
| 2004.05〜2006.07 | 58 | 105 | 68 | 24 | 13 | 64.8% | |
| 2006.07〜2007.06 | 60 | 50 | 28 | 12 | 10 | 56.0% | |
| 2007.12〜2012.02 | 61 | 42 | 28 | 8 | 6 | 66.7% | |
| 2012.07〜2015.07 | 66 | 33 | 17 | 11 | 5 | 51.5% | |
| 2017.06〜2018.03 | 70 | 24 | 8 | 7 | 9 | 33.3% | |
| 通算 | 843 | 459 | 241 | 143 | 54.4% | ||
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1964〜1967 | 17 | |
| 1967〜1969 | 20 | |
| 1969〜1976 | 22 | |
| 1976〜1979 | 29 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1972〜1976 | 25 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 在任 | 年齢 | チーム | 役職 |
|---|---|---|---|
| 1987〜1987 | 40 | 監督 | |
| 1991〜1996 | 44 | 監督 | |
| 1996〜1997 | 49 | 監督 | |
| 1997〜1998 | 50 | 監督 | |
| 1999〜2004 | 52 | 監督 | |
| 2004〜2006 | 57 | 監督 | |
| 2006〜2007 | 59 | 監督 | |
| 2008〜2012 | 61 | 監督 | |
| 2012〜2015 | 65 | 監督 | |
| 2017〜2018 | 70 | 監督 |
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
Wikidata に登録されている受賞を、受賞年とともにまとめています。当サイトが独自に集計した数ではなく、登録されている分の件数です(登録漏れがあるため、実際の受賞回数より少ない場合があります)。
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「ファビオ・カペッロ」(版 109260286)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
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