「0-0で終わっていたら、双方がフェアな結果だと言っただろう。フラムは良いチームで、多くのチャンスを作っている。」
「相手は我々のゴール前で大きな問題を与えたわけではないが、我々が見つけられなかった質の高い瞬間を見つけた。」
「前線に本当の鋭さがなかった。それは残念だ。」
出典:The Guardian Football 2026年10月24日
SOCCERPEDIA / 選手・監督ページ / イングランドのサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日
フランク・ランパード(Frank Lampard、1978年6月20日生)は、イングランド・ロンドン出身の元サッカー選手。ポジションはMF(ミッドフィールダー)、所属はコヴェントリー。イングランドでは1999年から通算106試合29得点を記録している。クラブでは公式戦通算915試合274得点(1995-96 シーズン以降)。クラブ・代表で通算20個のタイトルを獲得、個人賞は38回(プレミアリーグ月間最優秀選手 4回、PFA チーム・オブ・ザ・イヤー 3回)。
フランク・ランパード(Frank James Lampard Jr. , 1978年6月20日 - )は、イングランド・ロンドン出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。元イングランド代表。現役時代のポジションはミッドフィールダー。愛称はランプス。
主に4-2-3-1のダブルボランチの一角ながら高い得点能力を誇り、チェルシーFCにおける歴代最多得点記録の保持者である。13シーズン所属したチェルシーでは、3度のプレミアリーグ優勝、クラブ初のUEFAチャンピオンズリーグ優勝に中心選手として大きく貢献した。
1978年6月20日、フランク・ランパード・シニアの息子として生まれる。裕福な家庭に育ち、学業も優秀であった。一般に0.1%しかいないと言われる150を超えるIQの持ち主である。またクリケットでも地元の代表チームに選抜されている。パブリックスクールであるブレントウッド・スクールを卒業。
1995年にウェストハムでプロ生活を始める。その後スウォンジー・シティにレンタル移籍する。復帰後はあまり活躍できずにいたが徐々に頭角を現し、1998-99シーズンは全試合に出場する。1999年にイングランド代表に招集され着実に成長していく。しかし、ウェストハムでは数シーズンに渡って経験を積むが、伯父のハリー・レドナップが監督、父親のフランク・ランパード・シニアがコーチであったために、調子が悪い時には批判の対象となっていた。ファンから愛されず、またレドナップ、フランク・シニアが不明確な理由でクラブから解雇されてしまい、自身の環境転換の為に2001年夏に移籍金1100万ポンドでチェルシーへ移籍。
2005年にはバロンドール、FIFA最優秀選手賞共にロナウジーニョに次ぐ第2位の得票数を獲得。
イングランド代表GKのディビッド・ジェームスが保持していたプレミアリーグの連続試合出場記録を更新。2005年12月28日、マンチェスター・シティ戦でウイルス性疾患のため欠場するまで、164試合連続出場という記録を残した。
モウリーニョ監督の「国内選手にクラブを引っ張ってほしい」との方針から、チェルシーでは副キャプテンを務める。2006-07シーズンは故障がちなジョン・テリーに代わって、多くの試合でキャプテンマークを巻いた。
2008年5月21日にルジニキ・スタジアムで行われたマンチェスター・ユナイテッドとのUEFAチャンピオンズリーグ2007-08決勝では、45分に同点ゴールを決めた。しかし、チームはPK戦で敗れ、初優勝を逃した。2008年のシーズンオフにはモウリーニョ率いるインテルへの移籍が噂されたが、最終的にはチェルシー残留を選んで5年契約を結び、チェルシーでキャリアを終える意向を明らかにした。
2010年3月27日のアストン・ヴィラ戦で4得点を記録し、チェルシーでのプレミアリーグ通算100得点を達成した。2009-10シーズンはMFのプレミアリーグ史上最多得点となる22得点を挙げ、5年連続でシーズン20得点を記録。チェルシーの4シーズンぶりのプレミアリーグ制覇に貢献した。
2012年4月9日に行われたフラム戦で1得点を挙げ、このゴールでプレミアリーグ通算150得点を記録。これはプレミアリーグのミッドフィールダーでは史上初の記録である。また、2月26日に行われたボルトン戦の得点でプレミアリーグ連続2桁得点記録を9に伸ばしている。2012年4月18日にスタンフォード・ブリッジで行われたUEFAチャンピオンズリーグ準決勝FCバルセロナ戦第1戦では、ラミレスへのパスを通しこれがディディエ・ドログバの決勝点の起点となった。4月24日の第2戦では、2-0とリードされた前半ロスタイムにマスチェラーノのプレスを弾き飛ばしラミレスへ絶妙なアシストを決め、決勝進出へ大きく貢献した。5月19日にアリアンツ・アレーナで行われたUEFAチャンピオンズリーグ2011-12決勝では、出場停止のジョン・テリーに代わりキャプテンマークを巻いた。PK戦の末にバイエルン・ミュンヘンを破り、悲願のビッグイヤーを掲げた。自身もPK戦では3人目のキッカーを務め、成功させている。
2013年2月2日のニューカッスル戦でプレミアリーグ10季連続2桁得点を達成。3月17日のウェストハム戦では、チェルシーでの通算200得点目を記録。さらに5月11日のアストン・ヴィラ戦で2得点を決め、チェルシー歴代最多得点記録となる通算203得点を達成した。このシーズンはUEFAヨーロッパリーグ優勝を果たした。
2014年4月2日のパリSG戦でチャンピオンズリーグ出場100試合を達成、4月5日、ストーク戦でチェルシーでの250ゴールを達成した。2014年6月、2013-14シーズン限りで13年間所属したチェルシーを退団する事を発表。
2014年7月24日、2015年からメジャーリーグサッカーに創設されるニューヨーク・シティFCへの加入が決定。
8月5日にマンチェスター・シティFCへシーズン開幕までの間、レンタル移籍することが発表された。
2014年9月13日、エミレーツ・スタジアムでのアーセナル戦に先発し、移籍後初出場。前半のみでの途中交代となった。9月21日に行われたチェルシー戦では途中出場し、貴重な同点ゴールをあげたが、古巣への敬意から喜びの表情は見せなかった。
2014年12月31日、マヌエル・ペレグリーニ監督の希望より、ニューヨークシティFCと本人とのシーズン終了までのレンタル延長が合意した。2015年1月8日、ニューヨーク・シティと契約を交わした上で、レンタルの形でマンチェスター・シティに加わったとされていたが、プレミアリーグの出した声明により、ランパードはニューヨーク・シティと契約を交わしていなかったことが明らかになった。夏の移籍市場で正式にニューヨークシティFCの移籍が決定した。
2015年3月15日、バーンリー戦でプレミアリーグ600試合出場を達成、5月24日、リーグ最終節のサウサンプトンFC戦ではキャプテンとしてプレーしプレミアリーグ177点目となるゴールを決め77分までプレーした。シティではトータル38試合8ゴールの成績を残した。2015年6月、大英帝国勲章OBEを受ける。
2016年7月31日のコロラド・ラピッズ戦でニューヨーク・シティの選手として初めてとなるハットトリックを成し遂げた。2016年11月14日、2016年シーズンの契約満了をもって、ニューヨーク・シティを退団することを発表。
2017年2月2日、自身のFacebookで現役を引退することを発表した。ラストシーズンは19試合に出場し13ゴール3アシストを決めた。
1999年10月10日のベルギー戦でデビューを果たす。デビュー後しばらくは目立った活躍をすることはできず、2002年の日韓ワールドカップではメンバー選考から外れた。しかし、チェルシーの躍進と共に自身もコンスタントに出場機会を得るようになると、EURO 2004ではレギュラーとして出場し、準々決勝で敗退するが、自身は3得点を挙げ、大会ベスト11にも選出された。
2006年ドイツワールドカップ予選では5得点を挙げ、イングランドの本大会出場に貢献。
2010年南アフリカワールドカップ決勝トーナメント1回戦の対ドイツ戦では、1点リードされて迎えた前半38分に放ったシュートがクロスバーに当たりゴールラインを越えたがゴールと認められず、1-4でイングランドは敗戦。「幻の同点ゴール」と言われ、科学的な判定の導入を求めた。イングランドは1966年イングランドワールドカップ決勝戦で起こった「疑惑のゴール」とは逆の「誤審」を味わうこととなり、英メディアの憤激を呼び起こした他、たまたま開催中だった2010年サミットの合間に共にテレビ観戦していたアンゲラ・メルケル独首相がデーヴィッド・キャメロン英首相に謝罪する一幕もあった。2014年8月26日、代表引退を表明した。ランパードは、「代表引退を決めた。ワールドカップ以降、深く考えてきたし、すごくタフな決断だった。国を代表することはいつも、すごく誇らしいことだったし、振り返れば、イングランドのシャツを着ている時はいつでも楽しかった」とコメントしている。
2018年5月31日、ダービー・カウンティFCの監督に就任した。9月25日、EFLカップ3回戦で現役時代に指導を受けたモウリーニョ監督率いるマンチェスター・ユナイテッドと対戦し、PK戦の末勝利した。10月31日、EFLカップ4回戦で古巣のチェルシーに敗れた。このシーズン、リーグ戦を6位で終えて昇格プレーオフに進出した。リーズ・ユナイテッドとの昇格プレーオフ準決勝では、第1戦は0-1で敗れたものの第2戦を4-2で勝利し決勝に進出した。決勝のアストン・ヴィラ戦は1-2で敗れ、プレミアリーグ昇格を逃した。シーズン終了後の6月25日、ダービーはチェルシーとランパード監督が交渉を行う許可をした。
2019年7月4日、古巣であるチェルシーFCの監督に就任した。2019-20シーズン、リーグ戦では第4位にチームを導き、来季のチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。しかし、2020-21シーズンは、カイ・ハフェルツやティモ・ヴェルナーなどを、総額2億4700万ユーロを費やし獲得しながらも、金額に見合う活躍をしているとは言えず、チームもリーグ戦19節消化時点で9位に沈むなど、成績不振に陥り、サポーターからランパードの解任を求める声が高まっていた。またマンチェスター・ユナイテッドFCの復活やエヴァートンFCやアストン・ヴィラFCなどの躍進にも押され、更にアントニオ・リュディガーやエンゴロ・カンテ、オリヴィエ・ジルーらとの確執も取り沙汰されていた。そして2021年1月24日のFAカップのルートン・タウンFC戦に勝利した翌日に、オーナーのロマン・アブラモヴィッチが、ランパードの解任を決断した。
1年間仕事から遠ざかっていたランパードは、2022年1月31日、プレミアリーグのエヴァートンFCの監督に就任した。エヴァートンFCは成績不振によりラファエル・ベニテスを解任、ランパード就任時には16位と、プレミア創設以来の降格危機に晒されていた。2021-22シーズン最終戦であり残留を掛けた試合となるクリスタル・パレスFC戦において、前半で0-2と厳しい状況に追い込まれるも、後半より攻撃的なフォーメーションをとって、逆転に成功。チームに勝利をもたらし、残留を決めた。ランパードはその夜を「キャリア最高の夜の1つ」と表現した。
しかし、翌 2022-23年シーズン、クラブは再び降格争いに巻き込まれ、11試合で1勝しかできず、1月にはリーグで19位となった。エヴァートンFCのオーナーのファルハド・モシリは、インタビューでこの状況にも関わらずクラブでのランパードの地位が安定していることを示唆した。しかし2023年1月23日、ウエストハムに2-0で敗戦した後、解任された。
2023年4月6日、シーズン終了までの暫定監督として、約2年ぶりにチェルシーFCに復帰した。低迷に喘ぐチェルシーではすでにトーマス・トゥヘル、グレアム・ポッターを解任しており、チームの立て直しが期待されていた。就任後しばらくは1つも勝ち点を上げることができず、ほぼ唯一となるトロフィー獲得の希望であったチャンピオンズリーグ準々決勝(レアル・マドリード戦)の2試合を含む6連敗を喫した。またチームの順位も12位まで落とした。その後のボーンマス戦で再任後初勝利をあげ、連敗を阻止したものの、その後はチームを勝利に導くことはできず、2023年5月29日のシーズン最終戦をもって予定通り暫定監督を退任した。
2022-23シーズン、エヴァートンFC、チェルシーFCと指揮を執ったプレミアリーグの29試合では、4勝8分け17敗と厳しい1年を送ったランパードだが、今後も監督を続けていく意欲を示している。
2024-25シーズン途中の11月末、解任されたマーク・ロビンズの後任としてEFLチャンピオンシップ(イングランド2部)のコヴェントリー・シティFCの監督に就任。就任時に17位だったチームを立て直し、リーグ戦を5位で終えた。その結果、昇格プレーオフに進出したものの、準決勝で4位のサンダーランドAFCに敗れ、プレミアリーグ昇格とはならなかった。なお、チームには日本代表経験を持つ坂元達裕が所属している。
フルシーズンで指揮を執った2025-26シーズンには、コヴェントリー・シティをEFLチャンピオンシップ優勝に導き、クラブにとって59年ぶりとなるチャンピオンシップ制覇と、25年ぶりとなるプレミアリーグ昇格を達成した。この功績によりEFLチャンピオンシップの今季最優秀監督に選出された。当時の契約は残り1年となっており、チェルシーFCを含む他クラブへの移籍が噂されたものの、クラブは2026年6月30日にランパードとの契約を2029年まで延長したことを発表した。
一次情報の発言のみ収録。1回の会見につき主要な発言を最大3つ引用し、他は解説で要約しています。
「0-0で終わっていたら、双方がフェアな結果だと言っただろう。フラムは良いチームで、多くのチャンスを作っている。」
「相手は我々のゴール前で大きな問題を与えたわけではないが、我々が見つけられなかった質の高い瞬間を見つけた。」
「前線に本当の鋭さがなかった。それは残念だ。」
出典:The Guardian Football 2026年10月24日
「私は、それがとても気に入っている。私とスタッフは、彼の仕事への姿勢に本当に感銘を受けているんだ。」
「その裏に、人々が思い込むようなドラマがあるわけではないんだ。」
「彼らの結果は、内容と釣り合っていない。とても良いスタイルを持っていて、ボール保持を好むチームだ。」
出典:BBC 2026年10月22日
「内容には非常に誇りを持っている。最後のゴールのせいで、3-1という結果は終わってみると後味が悪い。」
「この結果が我々に響くことはない。内容を見たので、今夜の敗戦についても前向きに語れる。」
「我々は大きく前進してきた。フルハムは違った課題と期待を持ち込んでくるだろう。」
出典:BBC 2026年10月19日
「タツのことはよく知っている」
「タツのことはよく知っているし、選手としても人としても大好きだ。何度も言っているが、一緒に仕事ができて本当にうれしい選手だよ。」
出典:Yahoo!ニュース 2026年10月18日
「これは大きなことで、我々はそれを謙虚に、良い形で生かさなければならない。我々は興奮すべきだし、選手たちが急速に成長しているのが私の目にも見える。」
「我々はほぼすべての試合で相対的に格下の立場になるだろう。だからあらゆる面で最大限を尽くし、限界まで出し切らなければならない。」
「彼には少し特別な何かがあると思う。」
出典:BBC Sport Football 2026年10月12日
「アピールが進行中なのに、何が言えるでしょう。私はこの件の外にいて、完全に部外者です。」
「マンチェスター・シティには小さな縁があります。1年間そこで素晴らしい時間を過ごし、皆がとても良くしてくれましたから。」
「処分の有無や重さについて語るのは私の役割でも仕事でもありません。私にはその質問には答えられません。」
出典:Coventry Telegraph 2026年10月9日
「地に足をつけていく必要がある。まだ1勝しただけだし、このリーグの厳しさはすでに身をもって感じているからね」
「マンチェスター・シティやアーセナルといった、前評判では最も厳しい部類に入る2試合を戦ってきたが、それは関係ないことだ。4試合を終えて勝ち点ゼロという状況は痛手だった。」
「ここが出発点だとわかっているから、この経験を活かせるはずだ。どんな状況であれ、勝利は常に安堵をもたらすものだ。」
出典:マイナビニュース 2026年9月20日
「これは私が成し遂げたことの中でも、間違いなく最高の部類に入る」
「15カ月前、私たちはミニバンでやって来た」
出典:note 2026年10月16日
数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。
| クラブ | シーズン | 年齢 | ディビジョン | リーグ | 国内カップ1 | リーグカップ2 | 大陸大会3 | その他4 | シーズン通算 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 1995-96 | 17 | プレミアリーグ | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | — | — | — | — | 2 | 0 | |
| 1996-97 | 18 | プレミアリーグ | 13 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | — | — | — | — | 16 | 0 | |
| 1997-98 | 19 | プレミアリーグ | 31 | 5 | 6 | 1 | 5 | 4 | — | — | — | — | 42 | 10 | |
| 1998-99 | 20 | プレミアリーグ | 38 | 5 | 1 | 0 | 2 | 1 | — | — | — | — | 41 | 6 | |
| 1999-2000 | — | プレミアリーグ | 34 | 7 | 1 | 0 | 4 | 3 | 10 | 4 | — | — | 49 | 14 | |
| 2000-01 | 22 | プレミアリーグ | 30 | 7 | 4 | 1 | 3 | 1 | — | — | — | — | 37 | 9 | |
| 通算 | 148 | 24 | 13 | 2 | 16 | 9 | 10 | 4 | — | — | 187 | 39 | |||
| スウォンジー・シティ | 1995-96 | 17 | 2部リーグ | 9 | 1 | — | — | — | — | — | — | 2 | 0 | 11 | 1 |
| 2001-02 | 23 | プレミアリーグ | 37 | 5 | 8 | 1 | 4 | 0 | 4 | 1 | — | — | 53 | 7 | |
| 2002-03 | 24 | プレミアリーグ | 38 | 6 | 5 | 1 | 3 | 0 | 2 | 1 | — | — | 48 | 8 | |
| 2003-04 | 25 | プレミアリーグ | 38 | 10 | 4 | 1 | 2 | 0 | 14 | 4 | — | — | 58 | 15 | |
| 2004-05 | 26 | プレミアリーグ | 38 | 13 | 2 | 0 | 6 | 2 | 12 | 4 | — | — | 58 | 19 | |
| 2005-06 | 27 | プレミアリーグ | 35 | 16 | 5 | 2 | 1 | 0 | 8 | 2 | 1 | 0 | 50 | 20 | |
| 2006-07 | 28 | プレミアリーグ | 37 | 11 | 7 | 6 | 6 | 3 | 11 | 1 | 1 | 0 | 62 | 21 | |
| 2007-08 | 29 | プレミアリーグ | 24 | 10 | 1 | 2 | 3 | 4 | 11 | 4 | 1 | 0 | 40 | 20 | |
| 2008-09 | 30 | プレミアリーグ | 37 | 12 | 7 | 3 | 2 | 2 | 11 | 3 | — | — | 57 | 20 | |
| 2009-10 | 31 | プレミアリーグ | 36 | 22 | 6 | 3 | 1 | 0 | 7 | 1 | 1 | 1 | 51 | 27 | |
| 2010-11 | 32 | プレミアリーグ | 24 | 10 | 3 | 3 | 0 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 32 | 13 | |
| 2011-12 | 33 | プレミアリーグ | 30 | 11 | 5 | 2 | 2 | 0 | 12 | 3 | — | — | 49 | 16 | |
| 2012-13 | 34 | プレミアリーグ | 29 | 15 | 4 | 2 | 3 | 0 | 10 | 0 | 4 | 0 | 50 | 17 | |
| 2013-14 | 35 | プレミアリーグ | 26 | 6 | 1 | 0 | 1 | 1 | 11 | 1 | 1 | 0 | 40 | 8 | |
| 通算 | 429 | 147 | 58 | 26 | 34 | 12 | 117 | 25 | 10 | 1 | 648 | 211 | |||
| 2014-15 | 36 | プレミアリーグ | 32 | 6 | 2 | 0 | 1 | 2 | 3 | 0 | — | — | 38 | 8 | |
| 2015 | 36 | メジャーリーグサッカー | 10 | 3 | — | — | — | — | — | — | — | — | 10 | 3 | |
| 2016 | 37 | メジャーリーグサッカー | 19 | 12 | 0 | 0 | — | — | — | — | 2 | 0 | 21 | 12 | |
| 通算 | 29 | 15 | 0 | 0 | — | — | — | — | 2 | 0 | 31 | 15 | |||
| キャリア通算 | 647 | 193 | 73 | 28 | 51 | 23 | 130 | 29 | 14 | 1 | 915 | 274 | |||
1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. リーグカップ(EFLカップ、JリーグYBCルヴァンカップなど) 3. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 4. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
イングランド としての年別成績です。親善試合を含みます。
| 年 | 年齢 | 出場 | 得点 | 得点グラフ |
|---|---|---|---|---|
| 1999 | 20 | 1 | 0 | |
| 2000 | 21 | 0 | 0 | |
| 2001 | 22 | 3 | 0 | |
| 2002 | 23 | 3 | 0 | |
| 2003 | 24 | 9 | 1 | |
| 2004 | 25 | 13 | 6 | |
| 2005 | 26 | 9 | 3 | |
| 2006 | 27 | 13 | 2 | |
| 2007 | 28 | 9 | 2 | |
| 2008 | 29 | 6 | 0 | |
| 2009 | 30 | 10 | 6 | |
| 2010 | 31 | 7 | 0 | |
| 2011 | 32 | 7 | 3 | |
| 2012 | 33 | 3 | 3 | |
| 2013 | 34 | 10 | 3 | |
| 2014 | 35 | 3 | 0 | |
| 通算 | 106 | 29 | ||
年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1994〜1995 | 15 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1995〜2001 | 16 | |
| 1995〜1996 | 16 | |
| 2001〜2014 | 22 | |
| 2014〜2015 | 35 | |
| 2015〜2016 | 36 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1997〜2000 | 18 | イングランド U-18 |
| 1997〜2000 | 18 | |
| 1998 | 19 | |
| 1999〜2014 | 20 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 在任 | 年齢 | チーム | 役職 |
|---|---|---|---|
| 2018〜2019 | 39 | 監督 | |
| 2019〜2021 | 40 | 監督 | |
| 2022〜2023 | 43 | 監督 | |
| 2023〜2023 | 44 | 監督 | |
| 2024〜 | 45 | 監督 |
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1995 | 16 | スウォンジー・シティ | 期限付き移籍 | — | 期間・移籍金は未確認 | |
| 2001 | 22 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 2014 | 35 | フリー移籍 | — | |||
| 2015 | 36 | フリー移籍 | — |
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
英語版 Wikipedia(クラブのシーズン記事)。移籍金・形態は英語版 Wikipedia の各クラブのシーズン記事の移籍の表による。億円換算は ECB レート(2026-10-21 時点)
所属履歴と出場記録から機械的に算出しています。個人の交友関係についての評価は含みません。
同じクラブ・同じシーズンに両者とも出場記録がある選手を、シーズン数の多い順に並べています。取得元(API-Football)のシーズン名簿は 2010-11 シーズン以降しか無いため、それ以前に一緒にプレーしたシーズンは数に入りません。
| 選手 | クラブ | 期間 | シーズン | |
|---|---|---|---|---|
| ダヴィド・ルイス・モレイラ・マリーニョ | 2010〜2013 | 4 | ||
| フェルナンド・トーレス | 2010〜2013 | 4 | ||
| ジョン・ミケル・オビ | 2010〜2013 | 4 | ||
| ペトル・チェフ | 2010〜2013 | 4 | ||
| ラミレス・サントス・ド・ナシメント | 2010〜2013 | 4 | ||
| ダニエル・スタリッジ | 2010〜2012 | 3 | ||
| ガリー・ケーヒル | 2011〜2013 | 3 | ||
| セサル・アスピリクエタ | 2012〜2013 | 2 | ||
| ダビド・シルバ | 2014〜2015 | 2 | ||
| ディディエ・ドログバ | 2010〜2011 | 2 | ||
| エディン・ジェコ | 2014〜2015 | 2 | ||
| フェルナンド・ルイス・ローザ | 2014〜2015 | 2 | ||
| ヘスス・ナバス | 2014〜2015 | 2 | ||
| ホセ・アンヘル・ポソ | 2014〜2015 | 2 | ||
| ケヴィン・デ・ブライネ | 2013〜2015 | 2 | ||
| マルティン・デミチェリス | 2014〜2015 | 2 | ||
| ロメル・ルカク | 2011〜2013 | 2 | ||
| サミル・ナスリ | 2014〜2015 | 2 | ||
| ヴァンサン・コンパニ | 2014〜2015 | 2 | ||
| ヤヤ・トゥーレ | 2014〜2015 | 2 |
本人の在籍期間と監督の在任期間の重なりから算出しています。取得元(API-Football)に在任期間の登録がある監督だけが対象で、古い年代の監督は登録が無いため出ていません。
| 監督 | クラブ・代表 | 在任 |
|---|---|---|
| ラファエル・ベニテス | 2012年11月〜2013年5月 | |
| マヌエル・ペジェグリーニ | 2013年6月〜2016年6月 | |
| ジョゼ・モウリーニョ | 2013年6月〜2015年12月 | |
| トーマス・トゥヘル | 2025年1月〜 |
日本語名を確認できない監督 8 人は掲載していません。
英語の記録名しか確認できないもの(21件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
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