ヘンリク・ムヒタリアン

SOCCERPEDIA / 選手ページ / アルメニアのサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日


概要

アルメニアヘンリク・ムヒタリアン(Henrikh Mkhitaryan、1989年1月21日生)は、Armenia出身のサッカー選手。ポジションはMF(ミッドフィールダー)、2022年からインテル・ミラノに所属、背番号は22。アルメニアでは2007年から通算95試合32得点を記録している。クラブでは公式戦通算808試合199得点(2006 シーズン以降)。クラブ・代表で通算28個のタイトルを獲得、個人賞は29回。

ヘンリク・ハムレティ・ムヒタリアン(, 1989年1月21日 - )は、アルメニア・ソビエト社会主義共和国 (現アルメニア)・エレバン出身のサッカー選手。セリエA・インテルナツィオナーレ・ミラノ所属。元アルメニア代表。ポジションはMF。

日本のメディアでは『ヘンリク・ミキタリアン』と紹介するスポーツメディアもあり、キッカーの日本語版サイトなどでは同様の紹介がなされている。

クラブ経歴

生い立ち

1989年1月22日にアルメニア・ソビエト社会主義共和国 (現アルメニア)の首都エレバンで生まれる。かつてFCアララト・エレバンで活躍し、アルメニア代表でのプレー経験があるを父に持つが、ムヒタリアンが7歳の時にハムレットは脳腫瘍のために33歳で逝去している。また、母マリナ (Marina)は、アルメニアサッカー連盟の代表チーム部門でスタッフを務め、姉モニカ (Monica)はUEFAの本部で働いている。

ムヒタリアンが生まれてから数ヶ月後、父がリーグ・ドゥ (フランス2部)のでプレーすることに伴い幼少期をフランスで過ごすことになる。1995年にエレバンへ帰国した後は、地元の学校を卒業し、サンクトペテルブルク・エレバン校で経済学を学ぶ。その後、弁護士の勉強を計画している。ジネディーヌ・ジダンがアイドルであり、ジダンのプレーにインスピレーションを受けている。母国語であるアルメニア語の他、フランス語、ポルトガル語、ロシア語、ウクライナ語、英語、ドイツ語、イタリア語の8ヶ国語を操る。

ピュニク・エレバン

1995年にフランスから帰国した後は、生まれ故郷のFCピュニク・エレバンの下部組織に入団する。15歳の若さで給与を受け取る等、周囲の期待は大きく、サンパウロFC (ブラジル1部)への数ヶ月の練習参加を経て、ピュニク・エレバンのトップチームに昇格を果たし、2006年の17歳の時にプロデビューを飾った。以来、在籍3年半でリーグ戦70試合30得点含む公式戦89試合35得点を記録し、アルメニア・プレミアリーグ3連覇 (2006、2007、2008)、アルメニア・スーパーカップ2回 (2007、2009)獲得に貢献しており、最後のシーズンとなった2009年シーズンでの得点力に、アルメニア代表と同クラブの双方を率いる監督から、より大きなリーグでの飛躍を期待された。そして、同シーズンのプレーによって、シーズン途中で移籍することになった。

メタルルフ・ドネツク

2009年6月20日にメタルルフ・ドネツクと3年契約を締結する。7月16日にUEFAヨーロッパリーグ 2009-10のFCパルチザン・ミンスク (ベラルーシ1部)戦 (3-0)で公式戦初出場及び初得点、19日のFCドニプロ戦 (0-0)でウクライナ・プレミアリーグ初出場、26日のFCカルパティ・リヴィウ戦 (2-2)でリーグ初得点を挙げ、以降、リーグ戦29試合9得点を含む公式戦38試合14得点を記録した。

翌2010-11シーズンは、2010年7月14日にクラブ史上最年少の21歳で主将に就任し、重要な役割を担うことになったが、8月30日のドニプロ戦 (2-1)が最後の試合となった。メタルルフでの2季目で8試合3得点を挙げ、リーグ戦通算37試合12得点を含む公式戦46試合17得点とした。

シャフタール・ドネツク ― 2010-11シーズン

2010年8月30日、メタルルフと同じくドネツクを本拠地とするFCシャフタール・ドネツクと5年契約を締結する。移籍金は一部で600万ユーロとも伝えられているが、シャフタールの公式サイト上で750万ユーロと発表された。9月10日の戦 (0-1)で初出場、本拠地での最初の試合となった19日のSCタフリヤ・シンフェロポリ戦 (4-1)で初得点、それから3日後のウクライナ・カップでの戦 (6-0)で2得点目を記録。25日のFCメタリスト・ハルキウ戦 (2-1)では決勝点を挙げた。28日のUEFAチャンピオンズリーグ 2010-11でのSCブラガ戦 (3-0)が、UEFAチャンピオンズリーグ初試合だった。2011年5月26日のFCディナモ・キーウとのカップ戦決勝において、ジャジソンに代わって81分から出場し、優勝に貢献。同シーズンは、トップ下のジャジソンの存在に加え、センターハーフを務めるフェルナンジーニョの負傷離脱から、トップ下やセンターハーフの控えとして起用され、リーグ戦とカップ戦優勝を経験した。

シャフタール・ドネツク ― 2011-12シーズン

2011-12シーズンはリーグ戦とカップ戦の2冠を2シーズン連続で達成した。シーズン途中に家庭の事情でジャジソンが移籍すると、ミルチェア・ルチェスク監督の施行する4-2-3-1のフォーメーションにおいて、1トップを務めるルイス・アドリアーノのトップ下に専念しており、2011年7月11日のオボロン・キエフ戦 (4-0)でのシーズン初得点を皮切りに、3月4日のドニプロ戦 (1-1)での同点ゴール、4月11日のFCメタルルフ・ザポリージャとの国内カップ戦 (1-0)での決勝点といった重要な場面でも得点を挙げ、リーグ戦28試合10得点を含む公式戦36試合11得点を記録する活躍から、クラブの公式サイト上で行われたファンのオンライン投票で総投票数の約38%の支持を集めてチームの年間最優秀選手賞を受賞した。

シャフタール・ドネツク ― 2012-13シーズン

2012-13シーズン、古巣メタルルフとのウクライナ・スーパーカップを2-0で制すと、昨季に引き続きトップ下のレギュラーとして起用されたムヒタリアンは、開幕戦のFCアルセナル・キエフ戦 (6-0)で2得点2アシストを決める好調なスタートを切っており、8月10日のFCチョルノモレツ・オデッサ戦 (5-1)ではハットトリックを達成して6試合10得点という得点力を見せ、サイドのウィリアンやアレックス・テイシェイラらと共に開幕戦から10月までの12試合で12連勝と勢いにのるチームの攻撃を牽引。UEFAチャンピオンズリーグ 2012-13においては、9月19日のデンマーク・スーペルリーガ王者FCノアシェラン (2-0)相手にCL初得点を含む2得点を挙げてマン・オブ・ザ・マッチ、そして同大会の週間最優秀チームにも選出された。2013年3月16日のオデッサ戦でリーグ通算100試合を達成した。

2013年5月11日のSCタフリヤ・シンフェロポリ戦 (5-0)でリーグ戦23得点目、24得点目を挙げ、クラブ史上となる1シーズンでの最多得点記録を樹立した。最終的に攻撃的ミッドフィルダーながら25得点で得点王に輝き、その技術と献身性は称賛された。

ボルシア・ドルトムント ― 2013-14シーズン

シャフタールでの活躍が認められ、リヴァプールFC等が獲得に動き、その内の1つドイツ・ブンデスリーガ (ドイツ1部)のボルシア・ドルトムントから2013年6月25日に移籍金2500万ユーロが提示された。当初、シャフタールの最高経営責任者は3000万ユーロを望んでいたが、その一方で移籍を想定してSCインテルナシオナルから移籍金1500万ユーロでフレッジを獲得しており、そして、7月5日には、ドルトムントのメディカルチェックを受け、8日に4年契約で同クラブへの移籍が決定した。背番号は前シーズンにマリオ・ゲッツェが着ていた10番になった。なお、推定移籍金2500万ユーロと報じられているが、移籍が決定した翌日にシャフタールの公式サイト上において移籍金は2750万ユーロと記載され、これはシャフタール史上最高額だった。

2013年7月10日、2013-14シーズン前に行われたザンクト・ヤコブ・パルクでのFCバーゼルとの親善試合 (3-1)で初出場を飾ると、マルコ・ロイスへのアシストと自身初得点を記録する好調なスタートを切ったが、別の親善試合において負傷したことでDFLスーパーカップは欠場している。3週間の負傷離脱を経て、8月18日にヴェストファーレンシュタディオンで行われたリーグ戦第2節のアイントラハト・ブラウンシュヴァイク戦が公式戦初出場、9月1日のアイントラハト・フランクフルト戦で公式戦初得点を含む2得点を挙げた。UEFAチャンピオンズリーグ 2013-14の敵地でのアーセナルFC戦 (1-2)においても得点し、最終的にリーグ戦9得点10アシストでシーズンを終了して一定の数字を記録してリーグ戦とDFBポカール準優勝に貢献する。しかし、レアル・マドリードとのチャンピオンズリーグ準々決勝第2戦 (2-0)においては、ロイスからのパスをゴール目前に貰うも、決定機を外してしまい、チームは2試合合計2-3で敗退した。

ボルシア・ドルトムント ― 2014-15シーズン

2014-15シーズン最初の公式戦であるバイエルン・ミュンヘンとのスーパーカップ (2-0)において、シーズン初得点を挙げて優勝を成し遂げる。最高のスタートを切ったものの、9月と12月に負傷で約1ヶ月離脱したことや、かつてクラブで活躍した香川真司の復帰に伴う不慣れなサイドハーフでの起用も影響し、リーグ戦で得点に絡めない状況が続き、チーム低迷の一因と見られ、移籍金の高さも相まって批判された。12月の負傷から復帰後暫くは途中出場が続いていたが、2月18日に先発復帰したシャルケ04とのルールダービー (3-0)でシーズン初得点を挙げると、4月18日のSCパーダーボルン07戦 (3-0)で1得点1アシスト、5月9日のヘルタ・ベルリン戦 (2-0)では全得点に絡む2アシストを決めた。

ボルシア・ドルトムント ― 2015-16シーズン

2015-16シーズンはトーマス・トゥヘルが監督になり、システムも4-3-3にかわって右ウイングとしてプレーした。とりわけ、チームの総得点のうち半数以上を4人で叩き出し、クラブ史上2番目に多い勝ち点78を獲得する原動力となったオーバメヤン、マルコ・ロイス、香川真司とのカルテットはファンタスティック4と称された。

マンチェスター・ユナイテッド

2016年7月2日、ドルトムントのハンス=ヨアヒム・ヴァッケ会長はムヒタリアンのマンチェスター・ユナイテッド移籍について、来夏に契約満了で放出することを避けるためには致し方ないことだと述べた。それから4日後に4年間の契約を結び、移籍金額は2700万から3000万ポンドと報じられ 、契約には1年間の延長オプションが付いた。背番号は22番。

マンチェスター・ユナイテッド ― 2016-17シーズン

2016年7月15日に行われ、2-0で勝利したプレシーズンマッチのウィガン・アスレティック戦でユナイテッドデビューを飾り、8月7日に行われたFAコミュニティ・シールドのレスター・シティ戦で公式戦デビューを果たした。8月14日に行われたボーンマス戦にフアン・マタと75分から交代で出場し、プレミアリーグでプレイした初めてのアルメニア人選手となった。9月10日に行われたマンチェスター・ダービーにおいて初めてスターティングメンバーに名を連ねたが、ハーフタイムに交代となった。UEFAヨーロッパリーグ 2016-17決勝ではゴールを決め、チームの優勝に貢献した。

マンチェスター・ユナイテッド ― 2017-18シーズン

開幕戦のウェストハム・ユナイテッドFC戦と第2節のスウォンジー・シティ戦では2試合で4アシストの活躍を見せた。

アーセナルFC ― 2017-18シーズン

2018年1月22日、アレクシス・サンチェスとのトレードでアーセナルFCへの移籍が決定。背番号はアレクシス・サンチェスが着用していた7番。かつてトマス・ロシツキーやロベール・ピレスが着用していた番号でもある。

アーセナルFC ― 2018-19シーズン

2018-19シーズンのUEFAヨーロッパリーグの決勝に進出したが、ムヒタリアンの母国アルメニアと決勝戦の開催地アゼルバイジャンは国交を断絶していることから、ムヒタリアンはチームに帯同せず決勝戦を欠場した。

ASローマ

2019年9月2日、ASローマに1年間のローンで移籍した。ローン料は300万ユーロで最大10万ユーロのボーナスが付随している。9月15日、セリエA第4節のサッスオーロ戦で移籍後初出場を果たすと、この試合で移籍後初ゴールを挙げた。

2020年8月31日、所属元のアーセナルとの契約解消に合意し、ローマに完全移籍したことが発表された。同シーズンはリーグ3位タイとなる10アシストを決めてチームに貢献した。2021-22シーズン、負傷による離脱から復帰し、UEFAヨーロッパカンファレンスリーグ決勝のフェイエノールト戦に先発したが、再度負傷して途中交代を強いられたが、チームは優勝を果たした。

インテル・ミラノ

2022年6月20日、インテル・ミラノのCEOであるジュゼッペ・マロッタはムヒタリアンの加入が近いことをラジオで発言。 同年7月1日、インテル・ミラノへの移籍が正式に発表された。

インテル・ミラノ ― 2022-23シーズン

インテル加入1年目の2022-23シーズンはマルセロ・ブロゾヴィッチが怪我で離脱してから、そのポジションにハカン・チャルハノールが入ったことで出場機会を大きく増やし、公式戦49試合に出場して5ゴール2アシストを記録した。UEFAチャンピオンズリーグでも、準決勝のACミラン戦でゴールを決めるなど、チームの準優勝に貢献した。

インテル・ミラノ ― 2023-24シーズン

2023-24シーズンは、同じ中盤でダヴィデ・フラッテージ、デイヴィ・クラーセンらが加入するも、3-5-2の左インサイドハーフとしてシーズンを通してスタメンを譲らず、公式戦46試合で2ゴール9アシストを記録した。リーグ戦では、第4節のACミラン戦で2ゴール1アシストを決めるなどしチームの優勝に貢献した。

シーズン途中の2023年12月31日、インテルとの契約を2026年6月まで延長したと発表した。

代表経歴

代表経歴

アルメニア代表として各年代で代表招集を受け、2007年1月14日にパナマとの親善試合でA代表デビューを果たした。以来、定期的に招集され、2009年3月28日のエストニア戦で代表初得点を挙げ、UEFA EURO 2012予選のグループBではチーム最多の6得点を挙げたようにチームの得点源としても活躍しており、2013年10月15日の2014 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選でのイタリア戦 (1-3)戦において、を抜き代表史上最多得点記録となる12得点目を記録した。同予選では、主将を務めているロマン・ベレゾフスキーの負傷による不在だった2013年9月10日のデンマーク戦 (0-1)の際に代理を務めている。

プレースタイル

プレースタイル

ポジションはミッドフィールダーだが、フォワードやセカンドトップ気味のトップ下を務めることができる。また、センターハーフとしてもプレー出来ることから、ペースやスキル、強力なシュートを武器に得点を量産する姿に、元スコットランド代表のにフランク・ランパードと比較された。

FCピュニク・エレバンの下部組織を経て、同クラブのトップチーム、メタルルフ・ドネツク、FCシャフタール・ドネツクでプレー。2009年から合計5回を受賞した。2011-12シーズンにウクライナ・プレミアリーグ得点王でチームの優勝に貢献したことで、ファンからチームの最優秀選手に選出されるだけにとどまらず、にも輝いた。また、その活躍に2012年にはEuropean Football Yearbook 2012-13でUEFAのトップ100として紹介され、アルメニア人選手として初のを受賞した。同賞は、2013年に再度選出されている。

個人成績

数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。

クラブ

クラブシーズン年齢ディビジョンリーグ国内カップ1リーグカップ2大陸大会3その他4シーズン通算
出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点
ピュニク*200617アルメニア・プレミアリーグ*12100——————121
200718アルメニア・プレミアリーグ*241200——40——2812
200819アルメニア・プレミアリーグ*24653——20——319
200920アルメニア・プレミアリーグ*101162——————1613
通算7030115——60——8735
メタルルフ・ドネツク2009-1020ウクライナ・プレミアリーグ29921——64——3714
2010-1121ウクライナ・プレミアリーグ8300——————83
通算371221——64——4517
ウクライナシャフタール・ドネツク2010-1121ウクライナ・プレミアリーグ17331——70——274
2011-1222ウクライナ・プレミアリーグ261041——60103711
2012-1323ウクライナ・プレミアリーグ292542——82104229
通算7238114——2122010644
ドイツボルシア・ドルトムント2013-1424ブンデスリーガ31952——102004613
2014-1525ブンデスリーガ28361——7011425
2015-1626ブンデスリーガ311165——157——5223
通算9023178——3291114041
イギリスマンチェスター・ユナイテッド2016-1727プレミアリーグ2443120116104111
2017-1828プレミアリーグ15110104110222
通算3954130157206313
イングランドアーセナル2017-1828プレミアリーグ112————61——173
2018-1929プレミアリーグ2560030110——386
2019-2030プレミアリーグ30————————30
通算3980030171——599
ローマ*2019-2030セリエA22900——50——279
ローマ2020-2131セリエA341311——111——4615
2021-2232セリエA31520——110——445
通算872731——271——11729
インテル・ミラノ2022-2333セリエA31340——13210495
2023-2434セリエA36210——7020462
2024-2535セリエA32120——13060531
2025-2636セリエA30440——4010394
2026-2737セリエA3000——100040
通算13210110——38210019112
キャリア通算55715359196016226151808199

1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. リーグカップ(EFLカップ、JリーグYBCルヴァンカップなど) 3. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 4. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

代表

アルメニア としての年別成績です。親善試合を含みます。

年年齢出場得点得点グラフ
20071720
20081850
20091971
20102053
20112184
20122282
20132382
20142474
20152560
20162653
20172796
201828101
20192963
20203021
20213172
通算9532

年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

所属チーム

ユース

期間年齢チーム
1995〜20065アルメニアピュニク・エレバン

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

クラブ

期間年齢チーム出場得点
2006〜200916アルメニアピュニク・エレバン——
2009〜201019ウクライナメタルルフ・ドネツク——
2010〜201320ウクライナシャフタール・ドネツク5535
2013〜201623ドイツボルシア・ドルトムント9023
2016〜201826イングランドマンチェスター・ユナイテッド395
2018〜202028イングランドアーセナル398
2019〜202029イタリアローマ5622
2020〜202230イタリアローマ315
2022〜32イタリアインテル・ミラノ1026

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は国内リーグ戦の合計で、カップ戦・大陸大会を含む内訳は「個人成績」の表にあります。

代表

期間年齢チーム
200616アルメニアアルメニア U-17
2006〜200716アルメニア U-19
2006〜201016アルメニアアルメニア U-21
2007〜202217アルメニア

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
2009-0720アルメニアピュニク・エレバンメタルルフ・ドネツク完全移籍6200万円
€ 350K
2010-0821メタルルフ・ドネツクウクライナシャフタール・ドネツク完全移籍10.5億円
€ 5.9M
2013-0724ウクライナシャフタール・ドネツクドイツボルシア・ドルトムント完全移籍48.8億円
€ 27.5M
2016-0727ドイツボルシア・ドルトムントイギリスマンチェスター・ユナイテッド完全移籍74.5億円
€ 42M
2018-0128イギリスマンチェスター・ユナイテッドイングランドアーセナル完全移籍—交換移籍
2019-0930イングランドアーセナルローマ期限付き移籍—
2020-0931イングランドアーセナルローマフリー移籍—
2022-0733ローマインテル・ミラノフリー移籍—

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)・API-Football(移籍データ)。移籍の有無と移籍先は日本語版 Wikipedia の情報欄、日付・形態・移籍金は API-Football の掲載値。億円換算は ECB レート(2026-10-21 時点)

人物相関

所属履歴と出場記録から機械的に算出しています。個人の交友関係についての評価は含みません。

共にプレーした選手

同じクラブ・同じシーズンに両者とも出場記録がある選手を、シーズン数の多い順に並べています。取得元(API-Football)のシーズン名簿は 2010-11 シーズン以降しか無いため、それ以前に一緒にプレーしたシーズンは数に入りません。

指導を受けた監督

本人の在籍期間と監督の在任期間の重なりから算出しています。取得元(API-Football)に在任期間の登録がある監督だけが対象で、古い年代の監督は登録が無いため出ていません。

監督クラブ・代表在任
アーセン・ヴェンゲルイングランドアーセナル1996年9月〜2018年5月
ユルゲン・クロップドイツドルトムント2008年7月〜2015年7月
トーマス・トゥヘルドイツドルトムント2015年7月〜2017年5月
ジョゼ・モウリーニョイングランドマンチェスター・U2016年5月〜2018年12月
ウナイ・エメリイングランドアーセナル2018年5月〜2019年11月
パウロ・フォンセカイタリアASローマ2019年6月〜2021年6月
フレドリック・ユングベリイングランドアーセナル2019年11月〜2019年12月
ミケル・アルテタイングランドアーセナル2019年12月〜
ジョゼ・モウリーニョイタリアASローマ2021年7月〜2024年1月

日本語名を確認できない監督 4 人は掲載していません。

タイトル

クラブ

シャフタール・ドネツク

マンチェスター・ユナイテッド

インテル

個人

英語の記録名しか確認できないもの(20件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「ヘンリク・ムヒタリアン」(版 110397776)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. API-Football(移籍データ)、2026年10月22日 取得 https://www.api-football.com/
  2. API-Football(選手・監督データ)、2026年10月25日 取得 https://www.api-football.com/
  3. Wikidata、2026年10月25日 取得 https://www.wikidata.org/
  4. Wikipedia(日本語版)「ヘンリク・ムヒタリアン」、版 ID 110397776、2026年10月21日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%92%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3
  5. Wikipedia(英語版)、版 ID 1380758133、2026年10月21日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Henrikh_Mkhitaryan

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