「私は、今もまだバイエルンの守備の仕方についてよく分からない。1失点目の場面では多くの人々がオフサイドについて大騒ぎしていたが、そもそもボールに対してバイエルンの選手は誰もアタックしに行っていなかった。」
「引いて守っている状況ではなく、ミドルプレスを仕掛けている時にケインがディフェンスライン付近にいたらどうなる?私はサッカー界の教皇ではないし、他の人がやりたいようにやっても全く構わない。」
出典:Yahoo!ニュース 2026年10月21日
SOCCERPEDIA / 監督ページ / ドイツのサッカー監督 / 最終更新:2026年9月1日
ユルゲン・クロップ(Jürgen Klopp、1967年6月16日生)は、ドイツ出身のサッカー監督。2026からドイツの監督を務めている。これまでに4クラブを指揮した。クラブ・代表で通算21個のタイトルを獲得、個人賞は32回(プレミアリーグ月間最優秀監督 10回、LMA 年間最優秀監督 2回)。
ユルゲン・ノルベルト・クロップ(Jürgen Norbert Klopp、1967年6月16日 - )は、西ドイツ・シュトゥットガルト出身のサッカー指導者、元サッカー選手。ドイツ代表監督。現役時代のポジションはフォワード、ディフェンダー。
サッカーにおけるプレスディフェンスからカウンターアタックに繋げる戦術「ゲーゲンプレス」を考案し、実践した第一人者。
ブンデスリーガの監督を歴任し、ボルシア・ドルトムントではリーグを連覇。2024年までプレミアリーグ・リヴァプールの監督を務め、プレミアリーグ優勝やUEFAチャンピオンズリーグ優勝を果たした。
イングランドにおける主要タイトル(プレミアリーグ、UEFAチャンピオンズリーグ、FAカップ、EFLカップ)を一つのクラブで全て制覇した3人の監督の内の1人(他はアレックス・ファーガソンとジョゼップ・グアルディオラ)である。
フォワードの選手としてキャリアを始めたが、1995年からディフェンダーとしてプレイするようになった。1990年から2001年まで1.FSVマインツ05に所属し、現役引退した。本人曰く「どこにでもいるような普通の選手だった」と後のインタビューで振り返った。
後述するレッドブル・グループの役職を経て、2026年夏よりドイツ代表監督に4年契約で就任。同8月から始動し、UEFAネーションズリーグが初戦となる。
2001年にマインツ05の監督に就任すると、財政的に小規模なクラブを2004年にブンデスリーガ1部昇格に導き、初の1部挑戦となった翌2004-05シーズンにはマインツは11位でリーグ戦を終え1部残留と健闘をみせた。マインツでは、モハメド・ジダン、レオン・アンドレアセン、マヌエル・フリードリヒらを育成した。2006-07シーズンは降格となり、2007-08シーズンは2部4位となり昇格を逃した。
2008-09シーズンより、低迷の続くボルシア・ドルトムントの監督に就任。前半戦はUEFAカップでウディネーゼ・カルチョに敗退するなど苦戦したものの、後半はチームがかみ合い快進撃を演出。ドルトムントにおいても、ネルソン・バルデスの復活やネヴェン・スボティッチのブレイクを助けるなど、優れた指導力を発揮している。最終節で6位となり、ヨーロッパカップ戦への出場権を獲得出来なかったが、終盤にリーグ戦7連勝を達成するなど、古豪復活に向けて基盤を固めた。
2009-10シーズン以降、ケヴィン・グロスクロイツ、ヌリ・シャヒン、マッツ・フンメルス、マリオ・ゲッツェ、ロベルト・レヴァンドフスキらの若手を次々とブレイクさせる。
2010-11シーズンにおいては夏の移籍で獲得した香川真司が即チームにフィットし、ドルトムントはリーグ前半戦終了時点でブンテスリーガ史上第2位となる勝ち点43を達成。後半に入っても勢いは止まらず、チームは2001-02シーズン以来の優勝を果たした。また、FCバイエルン・ミュンヘンがリーグ優勝をほとんどの年で重ねていたブンデスリーガにおけるバイエルンの支配構造に風穴を開けた。
2015年10月8日、プレミアリーグの名門リヴァプールFCの監督に就任。プレミアリーグではフェリックス・マガトに次ぐリーグ史上2人目のドイツ人監督となる。就任初年度は、フットボールリーグカップ、UEFAヨーロッパリーグと2つの大会で決勝進出を果たしたが、共にタイトル獲得はならなかった。
2016-17シーズンはプレミアリーグで4位となり、プレーオフからの出場ながらUEFAチャンピオンズリーグ出場権獲得に成功した。
2017-18シーズンに、モハメド・サラー、アレックス・オックスレイド=チェンバレン、シーズン途中にフィルジル・ファン・ダイクを獲得。UEFAチャンピオンズリーグでは、準々決勝ではマンチェスター・シティFCを、準決勝ではASローマを破り、チームを2007年以来の決勝に導いた。決勝ではレアル・マドリードに1-3で敗れた。
2019年5月8日、UEFAチャンピオンズリーグ準決勝FCバルセロナ戦にて第1戦を0-3と大敗しながらも、ホームでの第2戦で主力であるモハメド・サラーやロベルト・フィルミーノ等の選手が怪我等で欠場した中、ディヴォック・オリジ、ジョルジニオ・ワイナルドゥム、トレント・アレクサンダー=アーノルドらの活躍により4-0と大逆転勝利を収め2年連続決勝出場を果たすと、決勝では後半途中に怪我上がりのフィルミーノに代えてオリジを投入し、そのオリジが試合を決定付けるゴールを決める采配を的中させるなど、トッテナムを2-0で破りチームに14年ぶりのチャンピオンズリーグ優勝をもたらし、自身も3度目のチャンピオンズリーグ決勝にして初めての優勝を果たした。一方リーグ戦では僅か1敗という好成績を残したがマンチェスター・シティに勝ち点1差で及ばずリーグ優勝を逃した。
2019-20シーズンは開幕から順調に勝ち点を獲得し、12月4日のエヴァートンFC戦でプレミアリーグ通算100勝を達成した。監督就任から159試合での100勝はリヴァプール史上最速であり、プレミアリーグとしてもジョゼップ・グアルディオラの134試合、ジョゼ・モウリーニョの143試合に続く歴代3位であった。また同試合において32試合無敗のクラブ新記録も達成した。
12月10日に行われたUEFAチャンピオンズリーグのRBザルツブルク戦に勝利し決勝トーナメント進出を決め、2日後の13日には契約を2024年まで延長したことがクラブ公式サイトより発表された。FIFAクラブワールドカップでは準決勝でCFモンテレイを2-1、決勝でCRフラメンゴを1-0で破り、前身のインターコンチネンタルカップを含め初のクラブワールドカップ優勝に導いた。そして引き続き国内リーグで快進撃を続け、2位に大差をつけてのプレミアリーグ初優勝を達成。前身リーグから数えて30年ぶりの快挙を成し遂げた。2020年8月15日、2019-20シーズンの最優秀監督に選出された。この受賞はリヴァプールの監督としてもドイツ人監督としても初となる。
2020-21シーズン、2020年11月22日、レスター・シティ戦に勝利し、クラブ新記録となるホームゲーム64戦無敗記録を達成した。
2022年4月28日、2024年までの契約を2年延長し、2026年まで指揮を取ることに合意した。フットボールリーグカップ、FAカップの決勝ではチェルシーを破り優勝を果たしたが、リーグ戦ではマンチェスター・シティの勝ち点1差で優勝を逃し、チャンピオンズリーグでも決勝に進出したが、レアル・マドリードに0-1で惜敗し、国内2冠のみに終わった。個人としては、優勝監督であるグアルディオラを抑え、プレミアリーグ最優秀監督賞を受賞した。
2023年1月21日チェルシー戦にて、記念すべき監督キャリア1000試合目を記録した。
ボルシア・ドルトムント時代に実践したカウンター戦術「ゲーゲンプレス」を考案した第一人者でもある。本人は、スペインのFCバルセロナが2000年代に駆使していた守備戦術を参考にし、マインツ監督時代から模索し始めて独自に構築したものと明かしている。また、現役時代に携わった師ヴォルフガング・フランク監督がプレッシング戦術の推進者であり、自身の素地に大きな影響を及ぼしていた。
ドルトムントで同戦術が最も機能し始めた2010年からの2シーズンは、ブンデスリーガを連覇。出場したUEFAチャンピオンズリーグでも、格上と評されていたレアル・マドリードなどの強豪を撃破し、2013年に決勝進出している。
ドルトムントについては「(香川がマンチェスターユナイテッドに移籍する)1年前にはヌリ・シャヒンがチームを去った。レアル・マドリードが世界的な強豪クラブだからだ。選手がもう少し待ってくれれば、ドルトムントを世界有数のビッグクラブへ発展させることもできるのに」と話した。
次に就任したリヴァプールFCにおいても同戦術を浸透させ、2017-18シーズンのUEFAチャンピオンズリーグで準優勝。翌2018-19シーズンにも決勝に進出し優勝。そして2019-20シーズン、クラブの悲願であるプレミアリーグ初優勝を達成した。
香川真司については「ミヒャエル・ツォルク(当時のスポーツディレクター)とスヴェン・ミスリンタート(当時のチーフスカウト)が持ってきた日本の2部リーグでのプレー映像(2007年~2009年)を見て獲得を決めたけど、100%の確信はなかった。」「でも彼の最初のトレーニングを観たあと、スーパープレイヤーを獲得した!とコーチと抱き合って喜んだんだ。」「シンジとともに働けたのは素晴らしいことだったんだ。彼のことが大好きだ。シンジに会うまで、私は日本のフットボールについて知識がなかったね」と話した。また、マンチェスター・ユナイテッドで慣れない左サイドで起用され、加入2年目のデイヴィッド・モイーズ指揮下で出番を失った事について「シンジカガワは世界最高の選手の一人なのに、マンチェスター・ユナイテッドでは20分しか出場しないんだ。しかも左サイドで!」「心が痛むんだ。本当に涙が出る。真司にとって最適なポジションは中盤の中央なんだ。私が見た中でも、最高レベルのゴールへの嗅覚を持った攻撃的MFなんだ」と話した。
2024年現在、香川真司、南野拓実ら日本人選手を獲得した年度は必ず主要大会で優勝している。また、リーグ戦の優勝は彼らが在籍した年度のみ達成している。遠藤航を獲得した際にも主要大会であるカップ戦で優勝した。
一次情報の発言のみ収録。1回の会見につき主要な発言を最大3つ引用し、他は解説で要約しています。
「私は、今もまだバイエルンの守備の仕方についてよく分からない。1失点目の場面では多くの人々がオフサイドについて大騒ぎしていたが、そもそもボールに対してバイエルンの選手は誰もアタックしに行っていなかった。」
「引いて守っている状況ではなく、ミドルプレスを仕掛けている時にケインがディフェンスライン付近にいたらどうなる?私はサッカー界の教皇ではないし、他の人がやりたいようにやっても全く構わない。」
出典:Yahoo!ニュース 2026年10月21日
「我々は戦術面で多くの取り組みをしてきましたが、我々が求めることの多くは、バンバにとっては本能的に自然にできることです。彼はプレスのスイッチを入れ、素晴らしいフットボーラーで、技術も高い。」
出典:Bundesliga 2026年9月26日
「彼らの診断結果が今夜中に出ることを願っている。もちろん、今の状況は決して良くはない。」
出典:マイナビニュース 2026年9月25日
英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1378508617)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。
| 在任期間 | 年齢 | チーム | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2001.02〜2008.06 | 34 | 270 | 109 | 78 | 83 | 40.4% | |
| 2008.07〜2015.06 | 41 | 319 | 180 | 69 | 70 | 56.4% | |
| 2015.10〜2024.05 | 48 | 491 | 299 | 109 | 83 | 60.9% | |
| 2026.08〜現在 | 59 | 4 | 1 | 2 | 1 | 25.0% | |
| 通算 | 1084 | 589 | 258 | 237 | 54.3% | ||
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1972〜1983 | 4 | グラッテン |
| 1983〜1986 | 15 | TuSエルゲンツィンゲン |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1986〜1987 | 18 | TuSエルゲンツィンゲン |
| 1987 | 19 | 1.FCプフォルツハイム |
| 1987〜1988 | 19 | |
| 1988〜1989 | 20 | ヴィクトリア・ジンドリンゲン |
| 1989〜1990 | 21 | |
| 1990〜2001 | 22 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 在任 | 年齢 | チーム | 役職 |
|---|---|---|---|
| 2001〜2008 | 33 | 監督 | |
| 2008〜2015 | 40 | 監督 | |
| 2015〜2024 | 47 | 監督 | |
| 2026〜 | 58 | 監督 |
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1983 | 15 | グラッテン | TuSエルゲンツィンゲン | 移籍 | — | 下部組織への移籍 形態・移籍金は未確認 |
| 1987 | 19 | TuSエルゲンツィンゲン | 1.FCプフォルツハイム | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
| 1987 | 19 | 1.FCプフォルツハイム | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | |
| 1988 | 20 | ヴィクトリア・ジンドリンゲン | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | |
| 1989 | 21 | ヴィクトリア・ジンドリンゲン | ロート=ヴァイス・フランクフルト | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
| 1990 | 22 | ロート=ヴァイス・フランクフルト | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
英語の記録名しか確認できないもの(14件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「ユルゲン・クロップ」(版 110993660)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
※ 出典は媒体名・日付・URL を文字で記載しています(外部サイトへのリンクは行いません)。出典が確認できない数値はページに載せません。
掲載写真は Wikidata API および Wikimedia Commons API を通じて、ライセンス(CC BY-SA / パブリックドメイン等)と作者表示の要件を確認したうえで掲載します。