「すべてのファンに、私がここにいることを知ってほしい。これまで以上に。」
「私はこれまでもこれからも、私のクラブ、オーナー、会長、フェラン、選手たち、スタッフ、エンツォ、そして私たちのかけがえのないサポーターの味方だ。」
「はっきり言っておく。私たちは一緒にこれを乗り越える。」
出典:The Guardian Football 2026年10月8日
SOCCERPEDIA / 監督ページ / スペインのサッカー監督 / 最終更新:2026年9月1日
ペップ・グアルディオラ(Pep Guardiola、1971年1月18日生)は、スペイン・サンペドー出身のサッカー監督。これまでに4クラブを指揮した。スペインでは1992年から通算47試合5得点を記録している。クラブでは公式戦通算524試合28得点(1988-89 シーズン以降)。クラブ・代表で通算63個のタイトルを獲得、個人賞は54回(プレミアリーグ月間最優秀監督 13回、プレミアリーグ年間最優秀監督 5回)。
スペイン・カタルーニャ州サンパドー出身。FCバルセロナの下部組織ラ・マシアで育ち、ヨハン・クライフ監督の下でトップチームに定着。20歳でリーガとUEFAチャンピオンズカップの優勝を経験し、クライフの「ドリームチーム」の中軸として12シーズンでリーグ優勝6回を含む16のタイトルを獲得した。その後ブレシア・ASローマ、カタールのアル・アハリ、メキシコのドラドス・デ・シナロアでプレーし、2006年に現役を引退した。
指導者としてはFCバルセロナBを1年で昇格させた後、2008年にトップチームの監督に就任。就任1年目でスペインサッカー史上初の主要タイトル3冠を達成した。バイエルン・ミュンヘンを経て2016年から2026年までマンチェスター・シティを率い、2022-23シーズンにはプレミアリーグ・FAカップ・UEFAチャンピオンズリーグの3冠、2023-24シーズンにはイングランド初のトップリーグ4連覇を達成。異なる2か国で主要タイトル3冠を成し遂げた史上初の監督である。2026年5月のFAカップ決勝を最後にシティを離れた。
カンプ・ノウから100メートルほどの学校に通い、13歳でラ・マシアに入寮。1990年にトップチームデビューを果たし、1991-92シーズンにレギュラーとなってリーガとUEFAチャンピオンズカップの優勝に貢献した。1992年には欧州の最優秀若手選手に贈られるブラヴォー賞を受賞。クライフ体制のリーグ4連覇、ボビー・ロブソン体制の1996-97シーズンの国内外3冠、ルイ・ファン・ハール体制のリーグ優勝と、監督が替わっても中盤の軸としての役割は変わらなかった。ふくらはぎや膝の怪我でシーズンの多くを欠場した年もある。
2001年に17年間過ごしたクラブを離れることを決め、6月のセルティック戦がラストマッチとなった。バルセロナでは12シーズンで479試合に出場し、16のタイトルを獲得。後のスペイン代表の中盤を担ったシャビ・アンドレス・イニエスタ・セスク・ファブレガスらにとって少年時代のアイドルだった。
2001年、英・伊の複数のビッグクラブの関心を受けながら、ロベルト・バッジョと共にプレーすることを理由にセリエAのブレシアを選び、その後ASローマでもプレーした。2001年11月にはドーピング検査で陽性反応が出て4か月の出場停止処分を受け、2005年には有罪判決を受けたが、一貫して無実を主張し、2007年10月にブレシア高等裁判所で無罪判決を得た。2009年にイタリアオリンピック委員会の上訴で問題が再燃したものの、同年9月に無罪が確定している。
イタリアでの挑戦の後はカタールのアル・アハリ・ドーハへ移り、欧州トップクラブのオファーを断って中東でプレー。2006年、メキシコのドラドス・デ・シナロアを率いていたフアン・マヌエル・リージョの誘いで半年間プレーした後、同年11月に現役引退を表明した。
1992年、U-23スペイン代表のキャプテンとしてバルセロナオリンピックに出場し金メダルを獲得。同年10月、1994 FIFAワールドカップ予選の北アイルランド戦でA代表デビューした。1994年のW杯本大会ではボリビア戦でPKを決めたが出場は2試合にとどまり、その後は度重なる怪我で1998年・2002年のW杯を欠場。2000年のUEFA欧州選手権では準々決勝に進んだ。2001年11月のメキシコ戦が代表ラストマッチとなった。カタルーニャ代表としても1995年から2005年に7試合に出場している。
引退後は指導者の道を選び、2007-08シーズンにFCバルセロナBの監督として復帰。1年で4部から3部へ昇格させた。2008年5月、フランク・ライカールトの後任としてトップチームの監督に就任。就任会見でロナウジーニョ・デコらの構想外を明言し、遅刻に罰金を課すなど規律面から改革を進め、下部組織出身の選手を重用した。1年目の2008-09シーズンにリーガ・コパ・デル・レイ・UEFAチャンピオンズリーグを制し、スペインサッカー史上初の3冠を達成。2009年にはスーペルコパ、UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップも制し、1年間で6タイトルを獲得した。
2009-10シーズンは勝ち点99の欧州新記録でリーグ連覇、2010-11シーズンはリーグ3連覇と2度目のCL優勝。2011-12シーズン終了後、「バルサの監督は信じられないほどのエネルギーを要求される」と心身の消耗を理由に退任した。4シーズンで獲得可能だった19タイトルのうち14を獲得し、後任にはアシスタントのティト・ビラノバが就いた。
2013年6月にバイエルン・ミュンヘンの監督に就任。初年度にUEFAスーパーカップとFIFAクラブワールドカップを制し、ブンデスリーガでは7試合を残しての史上最速優勝、DFBポカールも制して2冠を達成した。2014-15シーズンは4-3-3を基本に3バックの選択肢を増やし、リーグ連覇。ただしUEFAチャンピオンズリーグでは2シーズン続けて準決勝で敗退した。
2016-17シーズンからマンチェスター・シティを指揮。ポゼッションを基盤にサイドバックを中盤に取り込む「偽サイドバック」の戦術で開幕5連勝を飾ったが、守備の不安定さから初年度は3位に終わった。2017-18シーズンは戦術理解が深まり、プレミアリーグ史上最多の15連勝、史上初の勝ち点100・106得点で優勝。2018-19シーズンはリーグ連覇に加えFAカップ・カラバオカップも制し、プレミア史上初の国内3冠を達成した。
2022-23シーズンにはプレミアリーグ・FAカップ・UEFAチャンピオンズリーグの3冠を達成し、これは1998-99シーズンのマンチェスター・ユナイテッド以来のトレブル。2023-24シーズンにはイングランド初のトップリーグ4連覇を果たした。
2024-25シーズンはコミュニティ・シールドを制し開幕9試合無敗で始まったが、11月以降に13試合で1勝という低迷を経験し、監督就任後初めて4連敗を喫した。2024年11月に2027年までの契約延長に署名したものの、UEFAチャンピオンズリーグではプレーオフでレアル・マドリードに敗れ、FAカップ決勝でもクリスタル・パレスに敗れて、2016-17シーズン以来初めて主要タイトルなしでシーズンを終えた(リーグ3位)。
2025年10月にプレミアリーグ通算250勝を史上最速の349試合で達成し、11月には監督として通算1,000試合目を迎えた。2026年5月のFAカップ決勝でチェルシーを下してシティでの20個目のタイトルを獲得し、直後にクラブが2025-26シーズン終了時の退任を発表。10シーズンにわたるシティでの指揮を終えた。
選手時代は主に守備的MFとして最終ラインの前に位置し、技術と正確な配球でゲームのテンポを支配する「深い位置のプレーメーカー」だった。スピードやドリブル、空中戦、体格といった要素に恵まれてはいなかったが、視野の広さ、ボールコントロール、パスレンジ、ポジショニング、そして判断の速さが際立ち、プレッシャーの中でもボールを失わず、短いパスの連続でテンポを作るか、長いパスで局面を変えることができた。クライフの流動的な3-4-3ではセンターバックの位置まで下がることもあった。バルセロナとスペイン代表で主将を務めたリーダーシップも特徴で、怪我の多さも知られていた。
監督としての土台は、ヨハン・クライフのもとで学んだトータルフットボールの系譜にあるポゼッション志向のサッカーである。ボールを保持して主導権を握り、相手守備をボールに向けて走らせ続けることを狙う一方、ボールを失った直後には選手が集団で相手を追い込み、相手陣内の高い位置で素早く奪い返す。10年間アシスタントを務めたドメネク・トレントは、この哲学を「最終ラインからのビルドアップ」「パスと動きで相手を外して攻める」「高い位置のプレスで素早く奪う」の3要素に整理している。
ハイプレスが一般化すると、それに対抗する手段としてGKと最終ラインの足元の技術を重視した。バルセロナのビクトル・バルデス、バイエルンのマヌエル・ノイアーはスイーパー・キーパーとして前に出て相手のカウンターを潰し、シティのエデルソンは相手が前から来た時に正確なロングボールで最前線に1対1を作った。相手がそれを警戒して最終ラインを下げれば、中盤にスペースが生まれる。選手時代にメキシコで指導を受けたフアン・マヌエル・リージョやマルセロ・ビエルサからも学び、戦術は常に進化させると本人が語っている。
陣形は柔軟で、試合中に複数の形を使い分ける。バルセロナでは逆足のウインガーと高い位置を取るサイドバックを置いた4-3-3を基本に、時に3-4-3も採用。3-4-3ではセルヒオ・ブスケツ(バルセロナ)やシャビ・アロンソ(バイエルン)が最終ラインに下がる役割を担い、これは自身がクライフの下で務めた役割に近い。バイエルンではサイドバックのフィリップ・ラームやヨシュア・キミッヒを中盤で起用し、バルセロナではリオネル・メッシを偽の9番として中央に置いて中盤の数的優位を作った。シティでは2022-23シーズンの3冠時に3-2-2-3の現代版を用い、センターバックのジョン・ストーンズを守備と組み立てを兼ねる中盤の役割で使い、偽サイドバックを内側に絞らせる一方で、エルリング・ハーランドを純粋なストライカーとして使う、より直線的で肉体的なスタイルも取り入れた。
守備面では、カウンターを受けそうな局面でファウルで止めることも戦術の一部とされ、選手時代の寄稿では「ボールを持ち続けること自体が守備である」という考えを示していた。ドイツ・イングランドでは各国の特性に合わせて調整したが、根本は「カタルーニャで受けたサッカー教育」にあると述べ、ゲーゲンプレスとは異なる系統だと位置づけている。スペイン代表のティキ・タカと同一視されることには本人が否定的である。シャビ、ルイス・エンリケ、シャビ・アロンソ、エリク・テン・ハーグ、ミケル・アルテタら、教え子やスタッフから多くの監督が育っている。
幼い頃はベルント・シュスターのユニフォームをいつも着ていたと語るほどのファンで、カンプ・ノウの近くで育った。18歳から交際していた女性との間に一男二女がおり、2014年5月に挙式した。2020年4月、母ドロールスが新型コロナウイルスによる疾患で82歳で亡くなったことをクラブが発表している。
バルセロナ退団時の記者会見では「長い旅だった。私はとても幸せで、誇りを持っている」と語り、監督退任時には「人生はサッカーだけじゃない」と家族との時間を選んだ。
バルセロナの監督を退いた後は1年間ニューヨークのマンハッタンで暮らし、バイエルンの監督就任に備えて毎日4〜5時間ドイツ語を学んだ。2023年にはテレビドラマ『テッド・ラッソ』にカメオ出演しており、番組のファンだと伝えられている。弟のペレ・グアルディオラはサッカー選手の代理人。
一次情報の発言のみ収録。1回の会見につき主要な発言を最大3つ引用し、他は解説で要約しています。
「すべてのファンに、私がここにいることを知ってほしい。これまで以上に。」
「私はこれまでもこれからも、私のクラブ、オーナー、会長、フェラン、選手たち、スタッフ、エンツォ、そして私たちのかけがえのないサポーターの味方だ。」
「はっきり言っておく。私たちは一緒にこれを乗り越える。」
出典:The Guardian Football 2026年10月8日
「世界中のマンチェスター・シティのファン一人ひとりに、私がここにいること、これまで以上にここにいることを知ってほしい。」
「私は、これまでもこれからも、私のクラブ、オーナー、会長のフェラン、選手たち、スタッフ、エンツォ、そして唯一無二のサポーターの味方だ。」
「はっきり言っておく。私たちは皆でこれを乗り越える。」
出典:BBC Sport Football 2026年9月30日
「ペップは試合をこなすことでリズムが生まれるという哲学を持っていた。ハンジはまったく別物だ。」
出典:マイナビニュース 2026年9月25日
「最初に思ったのは、私たちはすでに有罪扱いされているということです。私たちが潔白であると完全に確信しています。」
「個人的には、こうなってうれしいです。私たちには自分たちを弁護する機会がありますし、優秀な弁護士がいると思います。」
「万が一潔白でなかった場合は、プレミアリーグの裁定を受け入れます。しかしUEFAのときと同じ状況で私たちが潔白だった場合、私たちが受けた損害の回復や補償はどうなるのでしょうか。」
出典:BBC Sport Football 2026年10月8日
数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。
| クラブ | シーズン | 年齢 | ディビジョン | リーグ | 国内カップ1 | 大陸大会2 | その他3 | シーズン通算 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 1988-89 | 17 | セグンダ・ディビシオンB | 8 | 1 | 0 | 0 | — | — | — | — | 8 | 1 | |
| 1989-90 | 18 | セグンダ・ディビシオンB | 11 | 0 | 0 | 0 | — | — | — | — | 11 | 0 | |
| 1990-91 | 19 | セグンダ・ディビシオンB | 33 | 3 | — | — | — | — | 6 | 0 | 39 | 3 | |
| 1991-92 | 20 | セグンダ・ディビシオン | 9 | 2 | — | — | — | — | — | — | 9 | 2 | |
| 通算 | 53 | 5 | 0 | 0 | — | — | 6 | 0 | 59 | 5 | |||
| 1990-91 | 19 | ラ・リーガ | 4 | 0 | 0 | 0 | — | — | — | — | 4 | 0 | |
| 1991-92 | 20 | ラ・リーガ | 26 | 0 | 0 | 0 | 11 | 0 | 2 | 0 | 39 | 0 | |
| 1992-93 | 21 | ラ・リーガ | 28 | 0 | 3 | 1 | 5 | 0 | 3 | 0 | 39 | 1 | |
| 1993-94 | 22 | ラ・リーガ | 34 | 0 | 3 | 0 | 9 | 0 | 2 | 0 | 48 | 0 | |
| 1994-95 | 23 | ラ・リーガ | 24 | 2 | 2 | 0 | 6 | 0 | 2 | 0 | 34 | 2 | |
| 1995-96 | 24 | ラ・リーガ | 32 | 1 | 7 | 0 | 8 | 1 | — | — | 47 | 2 | |
| 1996-97 | 25 | ラ・リーガ | 38 | 0 | 6 | 0 | 7 | 1 | 2 | 0 | 53 | 1 | |
| 1997-98 | 26 | ラ・リーガ | 6 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 | 2 | 0 | 14 | 0 | |
| 1998-99 | 27 | ラ・リーガ | 22 | 1 | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 26 | 1 | |
| 1999-2000 | — | ラ・リーガ | 25 | 0 | 2 | 0 | 12 | 1 | 2 | 0 | 41 | 1 | |
| 2000-01 | 29 | ラ・リーガ | 24 | 2 | 6 | 1 | 7 | 0 | — | — | 37 | 3 | |
| 通算 | 263 | 6 | 33 | 2 | 71 | 3 | 15 | 0 | 382 | 11 | |||
| 2001-02 | 30 | セリエA | 11 | 2 | 0 | 0 | — | — | — | — | 11 | 2 | |
| ローマ | 2002-03 | 31 | セリエA | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | — | — | 5 | 0 |
| 2002-03 | 31 | セリエA | 13 | 1 | 0 | 0 | — | — | — | — | 13 | 1 | |
| 2003-04 | 32 | カタール・スターズリーグ | 18 | 2 | — | 0 | — | — | — | — | 18 | 2 | |
| 2004-05 | 33 | カタール・スターズリーグ | 18 | 3 | — | 1 | — | 1 | — | — | 18 | 5 | |
| 通算 | 36 | 5 | — | 1 | — | 1 | — | — | 36 | 7 | |||
| ドラドス | 2005-06 | 34 | リーガMX | 10 | 1 | — | — | — | — | — | — | 10 | 1 |
| キャリア通算 | 398 | 21 | 33 | 3 | 72 | 4 | 21 | 0 | 524 | 28 | |||
1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 3. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
スペイン としての年別成績です。親善試合を含みます。
| 年 | 年齢 | 出場 | 得点 | 得点グラフ |
|---|---|---|---|---|
| 1992 | 20 | 2 | 1 | |
| 1993 | 21 | 5 | 0 | |
| 1994 | 22 | 7 | 1 | |
| 1995 | 23 | 0 | 0 | |
| 1996 | 24 | 5 | 1 | |
| 1997 | 25 | 4 | 1 | |
| 1998 | 26 | 0 | 0 | |
| 1999 | 27 | 9 | 0 | |
| 2000 | 28 | 8 | 1 | |
| 2001 | 29 | 7 | 0 | |
| 通算 | 47 | 5 | ||
年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
監督としてのシーズン別成績。数値・結果は日本語版 Wikipedia の表の値です(Wikipedia(日本語版)、revid 110847414)。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い欄は「—」です。
| クラブ | シーズン | 年齢 | リーグ | リーグ戦 | 国内カップ | リーグカップ | 国内SC | UEFA CL | UEFA SC | FIFA CWC | |||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 試 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 | 点 | 順位 | ||||||||||
| 2008-09 | 37 | プリメーラ・ディビシオン | 38 | 27 | 6 | 5 | 105 | 35 | 87 | 1位 | 優勝 | — | — | 優勝 | — | — | |
| 2009-10 | 38 | プリメーラ・ディビシオン | 38 | 31 | 6 | 1 | 98 | 24 | 99 | 1位 | ベスト16 | — | 優勝 | 準決勝敗退 | 優勝 | 優勝 | |
| 2010-11 | 39 | プリメーラ・ディビシオン | 38 | 30 | 6 | 2 | 95 | 21 | 96 | 1位 | 準優勝 | — | 優勝 | 優勝 | — | — | |
| 2011-12 | 40 | プリメーラ・ディビシオン | 38 | 28 | 7 | 3 | 114 | 29 | 91 | 2位 | 優勝 | — | 優勝 | 準決勝敗退 | 優勝 | 優勝 | |
| 2013-14 | 42 | ブンデスリーガ | 34 | 29 | 3 | 2 | 94 | 23 | 90 | 1位 | 優勝 | — | 準優勝 | 準決勝敗退 | 優勝 | 優勝 | |
| 2014-15 | 43 | ブンデスリーガ | 34 | 25 | 4 | 5 | 80 | 18 | 79 | 1位 | 準決勝敗退 | — | 準優勝 | 準決勝敗退 | — | — | |
| 2015-16 | 44 | ブンデスリーガ | 34 | 28 | 4 | 2 | 80 | 17 | 88 | 1位 | 優勝 | — | 準優勝 | 準決勝敗退 | — | — | |
| 2016-17 | 45 | プレミアリーグ | 38 | 23 | 9 | 6 | 80 | 39 | 78 | 3位 | 準決勝敗退 | 4回戦敗退 | — | ベスト16 | — | — | |
| 2017-18 | 46 | プレミアリーグ | 38 | 32 | 4 | 2 | 106 | 27 | 100 | 1位 | 5回戦敗退 | 優勝 | — | 準々決勝敗退 | — | — | |
| 2018-19 | 47 | プレミアリーグ | 38 | 32 | 2 | 4 | 95 | 23 | 98 | 1位 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 準々決勝敗退 | — | — | |
| 2019-20 | 48 | プレミアリーグ | 38 | 26 | 3 | 9 | 102 | 35 | 81 | 2位 | 準決勝敗退 | 優勝 | 優勝 | 準々決勝敗退 | — | — | |
| 2020-21 | 49 | プレミアリーグ | 38 | 27 | 5 | 6 | 83 | 32 | 86 | 1位 | 準決勝敗退 | 優勝 | — | 準優勝 | — | | | |
| 2021-22 | 50 | プレミアリーグ | 38 | 29 | 6 | 3 | 99 | 26 | 93 | 1位 | 準決勝敗退 | 4回戦敗退 | 準優勝 | 準決勝敗退 | — | — | |
| 2022-23 | 51 | プレミアリーグ | 38 | 28 | 5 | 5 | 94 | 33 | 89 | 1位 | 優勝 | 準々決勝敗退 | 準優勝 | 優勝 | | | | | |
| 2023-24 | 52 | プレミアリーグ | 38 | 28 | 7 | 3 | 96 | 34 | 91 | 1位 | 準優勝 | 3回戦敗退 | 準優勝 | 準々決勝敗退 | 優勝 | 優勝 | |
| 2024-25 | 53 | プレミアリーグ | 38 | 21 | 8 | 9 | 72 | 44 | 71 | 3位 | 準優勝 | 4回戦敗退 | 優勝 | KPP敗退 | — | ベスト16 | |
| 2025-26 | 54 | プレミアリーグ | 38 | 23 | 9 | 6 | 77 | 35 | 78 | 2位 | 優勝 | 優勝 | — | ベスト16 | — | — | |
英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1380708377)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。
| 在任期間 | 年齢 | チーム | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2007.06〜2008.06 | 36 | 42 | 28 | 9 | 5 | 66.7% | |
| 2008.07〜2012.06 | 37 | 247 | 179 | 47 | 21 | 72.5% | |
| 2013.06〜2016.06 | 42 | 161 | 121 | 21 | 19 | 75.2% | |
| 2016.07〜2026.05 | 45 | 593 | 416 | 87 | 90 | 70.2% | |
| 通算 | 1043 | 744 | 164 | 135 | 71.3% | ||
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1983〜1990 | 11 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1988〜1989 | 16 | |
| 1990〜1992 | 18 | |
| 1990〜2001 | 18 | |
| 2001〜2002 | 29 | |
| 2002〜2003 | 30 | |
| 2003 | 31 | |
| 2003〜2005 | 31 | |
| 2005〜2006 | 33 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1991 | 19 | |
| 1991〜1992 | 19 | |
| 1992 | 20 | |
| 1992〜2001 | 20 | |
| 1995〜2005 | 23 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 在任 | 年齢 | チーム | 役職 |
|---|---|---|---|
| 2007〜2008 | 35 | 監督 | |
| 2008〜2012 | 36 | 監督 | |
| 2013〜2016 | 41 | 監督 | |
| 2016〜2026 | 44 | 監督 |
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1988 | 17 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 1990 | 19 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 1990 | 19 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 2001 | 30 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 2002 | 31 | ローマ | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | |
| 2003 | 32 | ローマ | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | |
| 2003 | 32 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 2005 | 34 | ドラドス | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
英語の記録名しか確認できないもの(1件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
代表チームで獲得したメダルです(金1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。
| オリンピック | 金 1992 バルセロナ |
|---|
出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。
※ 出典は媒体名・日付・URL を文字で記載しています(外部サイトへのリンクは行いません)。出典が確認できない数値はページに載せません。
掲載写真は Wikidata API および Wikimedia Commons API を通じて、ライセンス(CC BY-SA / パブリックドメイン等)と作者表示の要件を確認したうえで掲載します。