「クバラは戦士だ。彼はこれまでも、今も、そしてこれからも私たちにとって非常に重要な選手だ。」
「彼は今まで以上に強くなって戻ってくる。そのことに疑いはない。」
「シーズン開幕からずっと、私たちはどんな怪我にも対処できると言ってきた。」
出典:Goal.com 2026年10月25日
SOCCERPEDIA / 選手・監督ページ / スペインのサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日
ルイス・エンリケ(Luis Enrique、1970年5月8日生)は、スペイン・ヒホン出身の元サッカー選手。ポジションはMF、所属はパリ・サンジェルマン。スペインでは1991年から通算62試合12得点を記録している。クラブでは公式戦通算585試合149得点(1989-90 シーズン以降)。クラブ・代表で通算35個のタイトルを獲得、個人賞は15回(IFFHS世界最優秀クラブ監督 2回)。
ルイス・エンリケことルイス・エンリケ・マルティネス・ガルシア(Luis Enrique Martínez García、1970年5月8日 - )は、スペイン・ヒホン出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはMF。2023年よりリーグ・アン・パリ・サンジェルマンFCの監督を務めている。
1989年に地元のスポルティング・ヒホンでプロデビュー。1991年にレアル・マドリードに移籍すると、中盤のダイナモとして機能し、リーグ優勝に貢献した。1996年、起用法などを巡って首脳陣と対立し、ライバルチームのFCバルセロナに移籍した。
、1996-97シーズンは主に右サイドのポジションで17得点を挙げた。同シーズンは2位に終わったが、1997-98シーズンからはリーガ・エスパニョーラ2連覇の原動力として活躍し、バルセロナでの晩年はキャプテンも務めた。エル・クラシコで何度もゴールを決め、。プロ生活を通じてリーグ戦通算400試合に出場して102得点を挙げ、2004年8月10日、34歳の時に現役引退を発表した。同年にはペレが選ぶ『偉大なサッカー選手100人』(FIFA100)に選出された。
1991年、ルーマニア戦でスペインA代表デビューし、1992年にはバルセロナオリンピックでは主力選手として活躍して金メダルを獲得した。
W杯には、スペイン代表として3大会連続で出場した。 1994年、アメリカで開催された1994 FIFAワールドカップに出場し、準々決勝のイタリア戦ではマウロ・タソッティの肘打ちを顔面に受けて流血した。タソッティはイエローカードさえも受けなかったが、試合後に8試合の出場停止処分を受け、その後はイタリア代表として試合に出場することがなかった。1998 FIFAワールドカップ、2002 FIFAワールドカップにも出場したが、最高成績はベスト8に留まった。
UEFA欧州選手権2008準々決勝でスペインがイタリアと対戦した際、ルイス・エンリケは「リベンジの機会だ」と叫んだとされている。ACミランのアシスタントコーチをしていたタソッティはマルカ紙に「あの肘打ちは故意ではなかったのに現在でも話題にされるのにはうんざりしている」と語っている。
2018年7月に2年契約でスペイン代表の監督に就任。7試合で指揮を執っていたが、2019年3月26日に行われたEURO2020予選マルタ戦は「個人的な理由」でチームを離脱していた。6月に行われたEURO予選の2試合も不在で、代わりにロベルト・モレノ副監督が指揮。同月19日にスペインサッカー連盟(RFEF)を通じて辞任を発表した。
2019年8月29日、自身のツイッターにて、娘のシャナが9歳で骨肉腫によって5カ月間の闘病の末に逝去したと公表した。11月19日、スペイン代表監督に再任。
2022年12月1日、ワールドカップ・カタール大会・グループEにて行われた日本対スペイン戦、日本がスペイン相手に2-1で金星を挙げた試合のスペイン監督がエンリケであった。
2022年12月5日、ワールドカップカタール大会・決勝トーナメント1回戦・モロッコ戦の前日会見で「W杯までにクラブで少なくとも1000回はPKの練習をしてきてくれ」「PKは宝くじじゃない。練習すればするほど、PKのやり方は向上する」等と発言しトーナメントで生じるPK論争について一石を投じた。しかし翌日の試合のPK戦では一回も成功することができずに敗退しベスト16にとどまることとなり、12月8日にスペインサッカー連盟(RFEF)は大会終了を待たずしてエンリケの退任を発表した。
現役引退後はサーフィンの練習のためにオーストラリアに移住した。2005年にはニューヨークシティマラソンに出場し、2006年にはアムステルダムマラソン、2007年にはフィレンツェ・マラソン、2008年にはサハラマラソン(約230kmを走るウルトラマラソン)で完走を果たした。また、2007年にはフランクフルト・トライアスロンに参加して完走している。2008年7月にはクラーゲンフルト・トライアスロンに参加する予定だったが、FCバルセロナ・アトレティック監督就任に伴い中止した。
2008年6月18日、FCバルセロナ・アトレティックの監督としてバルセロナに復帰し、「家に戻ってきた。ここで現役生活を終え、ここで指導者の道を歩み始める」と語った。就任当時のFCバルセロナBはセグンダ・ディビシオンB(3部)に属していたが、2シーズン目の2009-10シーズンにセグンダ・ディビシオン(2部)昇格を決めた。2010-11シーズンは、本来ならばプリメーラ・ディビシオン(1部)昇格プレーオフに参加できる3位にチームを躍進させた。
2011年6月10日、2年契約でASローマ監督に就任した。 就任当初はヨーロッパリーグ予選で敗退するなどいいところがなく、徐々に盛り返したものの、チャンピオンズリーグどころかヨーロッパリーグにも出られない7位という成績に終わった。2012年5月、ローマがルイス・エンリケのわずか1年での辞任を発表した。
2013年6月8日、セルタ・デ・ビーゴの監督に就任。前年は降格圏ギリギリの17位と低迷していたチームを立て直し、8位にまでチームを押し上げた。
2014年8月、FCバルセロナの監督に就任。シーズン序盤からローテーションを積極的に採用し、開幕戦ではカンテラーノのムニル・エル・ハダディを先発でトップチームデビューさせた。9月21日のレバンテ戦では史上初の無失点での開幕4連勝を達成。10月4日の第7節ラーヨ・バジェカーノ戦にて開幕無失点記録を更新。2015年1月4日のレアル・ソシエダ戦ではチーム合流の遅れたメッシとネイマールをベンチスタートさせたが、チームは0-1で敗戦し大きな批判を浴びた。一時はメッシとの確執も噂されたものの、1月11日のアトレティコ・マドリード戦では昨シーズン、6度の対戦で1度も勝利を挙げていない相手に3-1で完勝し、以降は公式戦11連勝を記録するなどチームの立て直しに成功。シーズン終盤にはライバルクラブが軒並み負傷者の続出によって調子を落とす中、ローテーションの効果もあり万全のコンディションを維持。4月21日のチャンピオンズリーグ、PSG戦では就任50試合で42勝(勝率84%)とクラブ史上最高の成績を記録した。リーグでは最終節を残してリーガ・エスパニョーラ優勝を達成。コパ・デル・レイではアスレティック・ビルバオとの決勝を制してトーナメント9試合での全勝優勝を達成した。さらにチャンピオンズリーグでは決勝でユヴェントスを下して優勝を果たし、就任初年で3冠を達成した。シーズン勝率は60試合50勝4分6敗で83%を記録し、就任初年にて50勝を達成した史上初の監督となった。
2015年6月9日、バルセロナとの契約を2017年まで延長した。11月21日のレアル・マドリードとのエル・クラシコでは敵地で4-0の大勝を果たしている。2月にはバルセロナでの公式戦通算100試合を指揮し、80勝11分9敗(282得点72失点)という過去最高の成績を記録した。3月3日のラーヨ・バジェカーノ戦ではリーグ史上最多となる35戦無敗を達成し、最終的に39戦無敗記録を樹立した。その後はクラシコでの敗戦をきっかけに一時調子を落とすものの、リーガ・エスパニョーラ、コパ・デル・レイ連覇を達成した。
2016-17シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャで優勝し3年目にして全タイトルを制覇した。8月28日のアスレティック・ビルバオ戦にて史上最速(126試合)で公式戦100勝を達成した監督となった。2017年3月1日、シーズン終了後の退任を表明。チャンピオンズリーグのPSG戦では第2戦で4点差をひっくり返す歴史的な逆転勝利を挙げた。リーグ連覇は逃したものの国王杯では無傷の3連覇を達成し、3年で9タイトル、勝率は史上最高の76.2%を記録した。
2024-25シーズンは、チャンピオンズリーグのリーグフェーズで降格の危機に陥るも、デンベレのCFコンバートやクヴァラツヘリアの補強、ドゥエの起用等で1月23日のシティ戦を境に調子を上げ、プレーオフ圏内に入ることができた。プレーオフでは同国対決のブレスト戦で、合計スコア10-0と圧倒的な力の差を見せつけた。トーナメントでは初戦で優勝候補のリヴァプールとあたり、ホームで迎え撃つも相手GKのアリソンが何度も好セーブを見せたためシュートは全てゴールには入らず、1-0で敗色濃厚となった。しかしアウェイでは、デンベレの同点ゴールによりPK戦までもつれ込み、ドンナルンマが2回止めたこともあり、1-1(p.4-2)でリヴァプールを撃破した。その後の試合も順調に進み、インテルをCL決勝史上初の5点差で下し、クラブ史上初のビッグイヤーを掲げた。同シーズンで国内リーグ戦・カップ戦でも優勝を果たしたため、エンリケはジョゼップ・グアルディオラに次いで史上2番目に異なるクラブで3冠を成し遂げた監督となった。
欧州チャンピオンリーグで最も早く50勝を記録した監督である。77試合で50勝を達成しており、それまでのジョゼップ・グアルディオラの記録(80試合で50勝)を3試合早く上回った。
中央と右サイドの攻撃的MFでトップ下、インサイドハーフ、右サイドMFを主戦場としており、ボールコントロールの高さとゴールに対する鋭い洞察力を持ち合わせていた。サッカーに対する能力と理解も高く、6番(守備的MF、アンカー)、両WG、センターFW、右サイドバック、時にはセンターバックとしても度々起用されていた。
一次情報の発言のみ収録。1回の会見につき主要な発言を最大3つ引用し、他は解説で要約しています。
「クバラは戦士だ。彼はこれまでも、今も、そしてこれからも私たちにとって非常に重要な選手だ。」
「彼は今まで以上に強くなって戻ってくる。そのことに疑いはない。」
「シーズン開幕からずっと、私たちはどんな怪我にも対処できると言ってきた。」
出典:Goal.com 2026年10月25日
「予想していた。非常に拮抗した試合だった。」
「前半はうまく試合をコントロールできたが、後半は10分か15分、苦しい時間があった」
「前線の選手たちは守備で素晴らしい仕事をした。敵陣でのボール奪回では我々が上回っていた」
出典:Goal.com 日本語版 2026年10月21日
「監督は勝者のメンタリティを失わないよう、毎日気を配ってくれている。僕たちは全力を尽くしているし、これからも勝利を重ねていけることを願っている。」
出典:Goal.com 2026年10月21日
「とても単純なことだ。彼にボールを持たせてはならない、持たれれば脅威になるからだ。」
「ラミンを守る最善の方法は、バルサにボールを持たせないことだ。」
「ラミン・ヤマルはラミン・ヤマルでありたいのだ。彼をメッシや他の誰かと比べることはできない。」
出典:Goal.com 2026年10月19日
「彼のチームのサッカーのアイデンティティには、バルセロナ本来のスタイルに通じるものがある。」
「PSGの成功はルイス・エンリケとともに訪れたし、彼が自らの個性を与えたからこそチームは勝利を収めた。その功績は、彼の獲得に賭けたナーセル・アル=ケライフィや、ルイス・カンポスにも帰される。」
出典:Goal.com 2026年10月19日
「彼のチームは素晴らしいサッカーをするし、彼は世界最高の監督の一人だ。」
「彼らのプレーの強度、チームが仕掛けるプレス、選手同士のポジションの入れ替え、システムの柔軟性がとても気に入っている。」
「彼らはこのレベルで際立っていて、素晴らしい仕事ぶりだ。」
出典:Goal.com 2026年10月19日
「彼は今季とても良いスタートを切った。どこでもプレーできるし、チームに馴染んでくれて嬉しい。」
「ゴール数やアシスト数にはあまり注目していない。何よりも、素晴らしいパフォーマンスを続けていることが分かる。」
「単純なことだ。たくさん走って、魅力的なサッカーをしなければならない。」
出典:Goal.com 2026年10月17日
「前半は相手のプレスをかいくぐり、この結果に値した。前半に3-0という大差でハーフタイムを迎えるのは好きではない。」
「後半のあるとき、ラファエル・ポルに言ったんだ。今日はフランスリーグ序盤に足りなかった運を全部手にした、あの頃は相手が打つたびにゴールを決めていた、とね。」
「今日はある種のバランスが生まれた。今日はどちらの結果も公平とは言えなかっただろう。」
出典:Goal.com 2026年10月15日
「クヴァラは超一流の選手だ。重要な局面でそれを示してきた。」
「彼は機械ではなく人間だ。好調な時期もあれば、あまり良くない時期があるのは普通のことで、心配することは何もない。」
「夏の新戦力にはとても満足している。特に練習で見る限りそうだ。」
出典:GOAL 2026年10月9日
「監督からは本当に多くのことを学んだ。メンタル面も、肉体面も大きく成長したと思うし、サッカーに対する理解もかなり深まったと思う。」
「もう自分も監督になれるくらい」
出典:Yahoo!ニュース 2026年9月28日
「私はハキミを全面的に信頼しているが、彼は次の代表戦には出場できない。」
「私たちは彼の健康状態を把握するためにモロッコ代表と連絡を取っているし、代表でプレーすることが選手にとってどれほど重要かも分かっている。」
「彼が代表に合流できることはうれしく思うが、私たちは何のリスクも冒さない。私たちが何より望むのは、選手が可能な限り最高の健康状態でいることだからだ。」
出典:africasoccer 2026年9月21日
数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。
| クラブ | シーズン | 年齢 | ディビジョン | リーグ | 国内カップ1 | 大陸大会2 | その他3 | シーズン通算 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| スポルティング・ヒホンB | 1989-90 | 19 | セグンダ・ディビシオンB | 27 | 5 | — | — | — | — | — | — | 27 | 5 |
| 1989-90 | 19 | ラ・リーガ | 1 | 0 | — | — | — | — | — | — | 1 | 0 | |
| 1990-91 | 20 | ラ・リーガ | 35 | 15 | 9 | 3 | — | — | — | — | 44 | 18 | |
| 通算 | 36 | 15 | 9 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 45 | 18 | |||
| 1991-92 | 21 | ラ・リーガ | 29 | 4 | 6 | 1 | 6 | 0 | — | — | 41 | 5 | |
| 1992-93 | 22 | ラ・リーガ | 34 | 2 | 6 | 0 | 8 | 1 | — | — | 48 | 3 | |
| 1993-94 | 23 | ラ・リーガ | 28 | 2 | 4 | 1 | 6 | 0 | 2 | 0 | 40 | 3 | |
| 1994-95 | 24 | ラ・リーガ | 35 | 4 | 2 | 0 | 6 | 0 | — | — | 43 | 4 | |
| 1995-96 | 25 | ラ・リーガ | 31 | 3 | 0 | 0 | 8 | 0 | 2 | 0 | 41 | 3 | |
| 通算 | 157 | 15 | 18 | 2 | 34 | 1 | 4 | 0 | 213 | 18 | |||
| 1996-97 | 26 | ラ・リーガ | 35 | 17 | 7 | 1 | 7 | 0 | 2 | 0 | 51 | 18 | |
| 1997-98 | 27 | ラ・リーガ | 34 | 18 | 6 | 3 | 6 | 4 | 1 | 0 | 47 | 25 | |
| 1998-99 | 28 | ラ・リーガ | 26 | 11 | 3 | 0 | 3 | 1 | 2 | 0 | 34 | 12 | |
| 1999-2000 | — | ラ・リーガ | 19 | 3 | 5 | 3 | 7 | 6 | 2 | 0 | 33 | 12 | |
| 2000-01 | 30 | ラ・リーガ | 28 | 9 | 4 | 1 | 9 | 6 | — | — | 41 | 16 | |
| 2001-02 | 31 | ラ・リーガ | 23 | 4 | 0 | 0 | 15 | 6 | — | — | 38 | 10 | |
| 2002-03 | 32 | ラ・リーガ | 18 | 8 | 0 | 0 | 8 | 2 | — | — | 26 | 10 | |
| 2003-04 | 33 | ラ・リーガ | 24 | 3 | 1 | 0 | 5 | 2 | — | — | 30 | 5 | |
| 通算 | 207 | 73 | 26 | 8 | 60 | 27 | 7 | 0 | 300 | 108 | |||
| キャリア通算 | 427 | 108 | 53 | 13 | 94 | 28 | 11 | 0 | 585 | 149 | |||
1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 3. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
スペイン としての年別成績です。親善試合を含みます。
| 年 | 年齢 | 出場 | 得点 | 得点グラフ |
|---|---|---|---|---|
| 1991 | 20 | 1 | 0 | |
| 1992 | 21 | 0 | 0 | |
| 1993 | 22 | 2 | 0 | |
| 1994 | 23 | 9 | 3 | |
| 1995 | 24 | 8 | 0 | |
| 1996 | 25 | 9 | 2 | |
| 1997 | 26 | 4 | 2 | |
| 1998 | 27 | 8 | 1 | |
| 1999 | 28 | 8 | 4 | |
| 2000 | 29 | 3 | 0 | |
| 2001 | 30 | 5 | 0 | |
| 2002 | 31 | 5 | 0 | |
| 通算 | 62 | 12 | ||
年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1380280227)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。
| 在任期間 | 年齢 | チーム | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2008.05〜2011.06 | 37 | 124 | 59 | 40 | 25 | 47.6% | |
| 2011.06〜2012.05 | 41 | 42 | 17 | 9 | 16 | 40.5% | |
| 2013.06〜2014.05 | 43 | 40 | 15 | 7 | 18 | 37.5% | |
| 2014.05〜2017.05 | 43 | 181 | 138 | 22 | 21 | 76.2% | |
| 2018.07〜2019.03 | 48 | 8 | 6 | 0 | 2 | 75.0% | |
| 2019.11〜2022.12 | 49 | 39 | 20 | 14 | 5 | 51.3% | |
| 2023.07〜現在 | 53 | 182 | 121 | 34 | 27 | 66.5% | |
| 通算 | 616 | 376 | 126 | 114 | 61.0% | ||
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1981〜1988 | 10 | |
| 1984〜1988 | 13 | ラ・ブラーニャ |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1988〜1990 | 17 | |
| 1989〜1991 | 18 | |
| 1991〜1996 | 20 | |
| 1996〜2004 | 25 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1990〜1991 | 19 | |
| 1991〜1992 | 20 | |
| 1991〜2002 | 20 | |
| 1999〜2000 | 28 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 在任 | 年齢 | チーム | 役職 |
|---|---|---|---|
| 2008〜2011 | 37 | 監督 | |
| 2011〜2012 | 40 | 監督 | |
| 2013〜2014 | 42 | 監督 | |
| 2014〜2017 | 43 | 監督 | |
| 2018〜2022 | 47 | 監督 | |
| 2023〜 | 52 | 監督 |
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1984 | 13 | スポルティング・ヒホン | ラ・ブラーニャ | 期限付き移籍 | — | 期間・移籍金は未確認 |
| 1991 | 20 | スポルティング・ヒホン | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | |
| 1996 | 25 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
報道・公開資料に載った年俸を、その媒体・日付とともに掲載しています(当サイトの推定ではありません)。基本給・ボーナス・肖像権収入の扱いは情報源により異なります。出典が確認できない値は掲載しません。
| 時期 | 年齢 | 所属 | 年俸 (報道値) | 備考 | 出典 |
|---|---|---|---|---|---|
| 2026-27 | 56 | 22.2億円 €12m(監督ページ掲載の年間基本給(Gross per year)€12M。契約は2025/27で2026-27を含む。L'Équipe報道に基づく。最大€3M/年の成功ボーナスは含まない。)/1ユーロ=185円で換算 | SalaryLeaks |
年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
所属履歴と出場記録から機械的に算出しています。個人の交友関係についての評価は含みません。
同じクラブ・同じシーズンに両者とも出場記録がある選手を、シーズン数の多い順に並べています。取得元(API-Football)のシーズン名簿は 2010-11 シーズン以降しか無いため、それ以前に一緒にプレーしたシーズンは数に入りません。
| 選手 | クラブ | 期間 | シーズン | |
|---|---|---|---|---|
| ダニエレ・パデッリ | 2013〜2020 | 5 | ||
| ダウベルト・エンリケ | 2017〜2021 | 5 | ||
| フェデリコ・ディマルコ | 2014〜2022 | 5 | ||
| ラウタロ・マルティネス | 2018〜2022 | 5 | ||
| アレッサンドロ・バストーニ | 2019〜2022 | 4 | ||
| アンドレア・ピナモンティ | 2016〜2021 | 4 | ||
| ジョアン・マリオ | 2016〜2019 | 4 | ||
| フアン・ギリェルメ・ヌネス・ジェズス | 2013〜2016 | 4 | ||
| ルシアン・アグメ | 2019〜2022 | 4 | ||
| ニコロ・バレッラ | 2019〜2022 | 4 | ||
| ロメル・ルカク | 2019〜2022 | 4 | ||
| ボルハ・バレロ | 2017〜2019 | 3 | ||
| ジョフレイ・コンドグビア | 2015〜2017 | 3 | ||
| アンデルソン・エルナネス・デ・カルヴァーリョ・アンドラーデ・リマ | 2013〜2015 | 3 | ||
| マテオ・コヴァチッチ | 2013〜2015 | 3 | ||
| アンドレア・カルボーニ | 2023〜2024 | 2 | ||
| デンゼル・ダンフリース | 2021〜2022 | 2 | ||
| ダニエル・マルディーニ | 2023〜2024 | 2 | ||
| ダニー・モタ | 2023〜2024 | 2 | ||
| エディン・ジェコ | 2021〜2022 | 2 |
英語の記録名しか確認できないもの(8件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
代表チームで獲得したメダルです(金1・銀1・銅1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。
| オリンピック | 金 1992 バルセロナ |
|---|---|
| UEFA欧州選手権 | 銀 2021銅 2020 |
出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「ルイス・エンリケ」(版 110072822)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
※ 出典は媒体名・日付・URL を文字で記載しています(外部サイトへのリンクは行いません)。出典が確認できない数値はページに載せません。
掲載写真は Wikidata API および Wikimedia Commons API を通じて、ライセンス(CC BY-SA / パブリックドメイン等)と作者表示の要件を確認したうえで掲載します。