「間違いなく。私はまだ見ていないが、妥当だったと聞いている」
「今後に向けて学ぶべきことだ」
「取り組み、改善していかなければならない。こうしたことについては(金曜日に)話したと思う。」
出典:Goal.com 日本語版 2026年10月25日
SOCCERPEDIA / 選手・監督ページ / スペインのサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日
シャビ・アロンソ(Xabi Alonso、1981年11月25日生)は、スペイン出身の元サッカー選手。ポジションはMF(ミッドフィールダー)、所属はチェルシー。スペインでは2003年から通算114試合16得点を記録している。クラブでは公式戦通算701試合44得点(1999-2000 シーズン以降)。クラブ・代表で通算24個のタイトルを獲得、個人賞は16回(FIFA FIFProワールドイレブン 6回)。
シャビエル・アロンソ・オラーノ (Xabier Alonso Olano, , ; 1981年11月25日 - ) は、スペイン・バスク州ギプスコア県トロサ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。元スペイン代表。
元スペイン代表でもある父のペリコ・アロンソは80年代にリーガ2連覇を達成したレアル・ソシエダのスター選手で、兄のミケル・アロンソもレアル・ソシエダに所属したサッカー選手である。
幼少期に6年間バルセロナ で過ごした後、サン・セバスティアンへと移った。サン・セバスティアンのビーチ、ラ・コンチャでミケル・アルテタらと遊ぶうちにテクニックを身に付けた。
サン・セバスティアンの育成の名門で才能を見せ、レアル・ソシエダの下部組織へと入団。1997年にレンタル先のエイバルでデビュー。2部リーグでのプレーだったが多くの出場機会を与えられプレーメーカーとしての能力を磨くと、再びレンタルでエイバルに放出された2001-02シーズンを機にレギュラーの座を確保した。2001年11月17日のデポルティーボ・ラ・コルーニャ戦でプロ初ゴールを決めた。
2002-03シーズン開幕当初、2部降格候補の一角でしかなかったレアルの中で、アロンソは期待の一若手に過ぎなかったが、レイノー・ドヌエ監督の下ラ・レアルは大躍進。アロンソは非常に正確なパスで攻撃を自由自在に操り、4月13日、第29節のレアル・マドリード戦でゴールを決めて勝利するなど、終わってみればシーズンを2位で終える成功を収め、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得する原動力となった。そして、その年のドン・バロン・アワード・最優秀スペイン人選手に選ばれた。
翌の2003-04シーズンは、リーガ・エスパニョーラとチャンピオンズリーグに並行して出場するという「二足のわらじ」が足枷となり、リーガでは2002-03シーズンと比べると明らかに見劣りする12位という結果に終わったが、チャンピオンズリーグではチームをベスト16に引き上げる原動力になった。
レアル・マドリードやリヴァプールFCなど、数々のクラブが彼を獲得しようと動いた。本人は残留の意を表していたが、クラブ側の都合で放出されることが決定し、ラファエル・ベニテスが指揮を執ることとなったリヴァプールに1600万ユーロ で移籍する決意をする。アロンソ本人は、過去バレンシアで2度のリーグ優勝や1度のUEFAカップ制覇を遂げたベニテス監督の下で指導を受けたかったという。
移籍1年目の2004-05シーズン、ボルトン・ワンダラーズFC戦にてプレミアリーグデビューを果たすと、1-0で破れはしたもののアロンソはパスの技術をメディアから賞賛された。フラム戦では、2得点を奪われた状態で折り返した後半から途中出場すると、フリーキックからリヴァプールでの初ゴールを記録。その試合、リヴァプールは後半4得点を挙げて逆転勝利した。また11月28日のアーセナルFC戦においても、ペナルティエリア外から右足を振りぬき、ゴールに突き刺さる見事な先制ゴールを決め勝利に貢献した。元日のチェルシーFC戦でフランク・ランパードにタックルを受け、左足首を骨折した。全治5カ月で戦線離脱を余儀なくされるが、驚異的な回復力を見せシーズン終盤に復帰。チャンピオンズリーグでは決勝に出場し、決勝のACミラン戦ではPKのこぼれ球を押し込む同点ゴールを挙げ、チームの逆転優勝に貢献した。
2005-06シーズン、1月7日に行われたFAカップ3回戦、ルートン・タウンFC戦では、ロングシュートで2ゴールを挙げたが、自陣から60ヤード強のロングシュートを決めたゴールは。この試合、アロンソが自陣からゴールを決めることに200スターリング・ポンドを賭けていたリヴァプールファンがこのゴールで25,000ポンドを得た。ウェストハム・ユナイテッドFCとのFAカップ決勝でもフリーキックからスティーヴン・ジェラードの同点ゴールをアシストし、タイトル獲得に貢献。また、2006-07シーズン、9月20日、第2節のニューカッスル・ユナイテッドFC戦でも70ヤードのロングシュートを記録、このゴールはBBCから「常軌を逸した」と表現され、インデペンデント紙からはクラブ史に残るゴールの一つと評された。
2007-08シーズン初めは、怪我によるジェラードの不在のため、本来の位置よりも前のポジションでプレー。6-0で勝利したダービー戦では2ゴールを挙げた。ポーツマス戦で軽傷を負ってしまい、更にその後のトレーニングで悪化。6週間の離脱を余儀なくされた。2007年の終わりに怪我から復帰したが、その後の数ヶ月間はハビエル・マスチェラーノ、ルーカス・レイヴァらとの激しいポジション争いが続いた。2008年1月12日、ミドルズブラFCとの試合でリヴァプール100試合出場を達成した。
2008年の夏の移籍市場では、中盤の補強を進めるユヴェントスFCが強い興味を示し、また、ベニテスがアストン・ヴィラのギャレス・バリー獲得のための移籍資金捻出のため放出の意向を示し、移籍間近とも言われたが、リヴァプールに残留した。
2008-09シーズン、夏の市場でチームが自身を放出をしようとしたことに対し、10月26日、スタンフォード・ブリッジでのチェルシーFC戦では決勝ゴールを挙げてチェルシーの過去4年間(86試合)のホーム無敗記録を破るなど、中心的存在として活躍し、マンチェスター・ユナイテッドとの熾烈な優勝争いを演じる原動力となった。
前年同様に2009年夏の移籍市場では移籍が騒がれ、特に銀河系軍団の再構築を目標としているレアル・マドリード会長のフロレンティーノ・ペレスや、前年の夏同様ユヴェントス、そして莫大な資金力をバックに持つマンチェスター・シティFCが強い興味を示した。これに対しベニテス監督は移籍の可能性を否定していたが、アロンソは移籍を直訴し、8月に移籍金推定3000万ユーロでレアル・マドリードへ移籍。クラブにはすぐに馴染み、スペイン・マルカにてリーガ・エスパニョーラのベストイレブンに選ばれる、シャビ・エルナンデス、ハビ・マルティネスらと共にスペインプロリーグ機構の選ぶLFPアワード、最優秀MFにノミネートされるなどの活躍を見せた。また、いくつかのスペインの報道機関やサポーターからはLa Barba Roja (赤髭)というニックネームもつけられた。
副キャプテンであるグティがベシクタシュJKへ移籍したことにより、2010-11シーズンから背番号は22番から代表でも付けている14番に変更になった。ジョゼ・モウリーニョからは不在がチームに大きな影響を与える選手と評価された。チャンピオンズリーググループリーグアヤックス・アムステルダム戦で、4-0でリードした後半終了間際にアロンソとセルヒオ・ラモスが相次いで遅延行為で退場となった。退場の直前にイェジー・ドゥデクがイケル・カシージャスに耳打ちをしていたシーンも流され、トーナメント前に累積警告を消化するため故意に反則を犯した疑いがあるとしてUEFAの調査が入ることとなった。そして、アロンソ自身には2万ユーロの罰金が科せられた。2011年、2010 FIFAワールドカップで優勝したことなどを評価され、地元からタンボール・デ・オロ(金の太鼓)を受賞した。W杯後のシーズンであったもののキャリア最多となる公式戦52試合に出場し、スペインでの自身初タイトルとなったコパ・デル・レイ優勝にも貢献した。
2011-12シーズンのリーグ開幕前、ホームエスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウにFCバルセロナを迎えた2011年のスーペルコパ・デ・エスパーニャでは同点ゴールを記録した。2011年9月21日のラシン・サンタンデール戦で、レアル・マドリード100試合出場を達成。2011-12シーズンには、キャリア初のリーグ優勝を経験した。
2013-14シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは優勝に大きく寄与したが、準決勝のバイエルン・ミュンヘン戦第2試合でイエローカードを受けたことにより、累積警告によって決勝に出場することは出来なかった。
2014年8月、ドイツ・ブンデスリーガのFCバイエルン・ミュンヘンへ完全移籍した。2014年9月27日、リーグ戦第6節の1.FCケルン戦で206回のボールタッチを記録。同僚のチアゴがもっている185回のブンデスリーガ記録を更新した。第8節のヴェルダー・ブレーメン戦にてFKから直接ゴールを決め、これがブンデスリーガ初ゴールとなった。同シーズンのブンデスリーガ優勝に重要な役割を果たし、リーグの年間ベストイレブンに選ばれた。
2015-16シーズンから背番号を3番から14番に変更。2015年12月18日にバイエルン・ミュンヘンとの契約を2017年まで延長したことを発表した。2016-17シーズンの開幕戦ブレーメン戦で前半9分にボレーでゴールを決めた。第3節のインゴルシュタット戦でゴールを決め、12月21日のライプツィヒ戦でもゴールを決めたが、このゴールが現役最後のゴールとなった。
2017年3月9日、自身のTwitterアカウントとクラブの公式サイトで「フットボールを生き、フットボールを愛した。美しいゲームよ、さらば。(Lived it, Loved it, Farewell Beatutiful Game.) 」との言葉とともに現役引退を発表した。2017年5月13日のライプツィヒ戦で通算700試合出場を達成した。現役最後の試合となった5月20日、ブンデスリーガ最終節のフライブルク戦で先発出場、ロッベンの先制点をアシストして勝利に貢献、82分にスタンディングオベーションを受け、リベリーとの交代でピッチを後にした。
かつてリヴァプールで共にプレーしたスティーヴン・ジェラードはアロンソの引退にビデオメッセージで「引退に際して心からのお祝いの言葉を送りたい。君は素晴らしいキャリアを過ごしたし、すごいプレーヤーだった。僕のキャリアの中で、最も楽しめる中盤のパートナーだった。一緒にプレーした選手で君よりパスが上手な選手はいなかった」 「色々な人が称賛しているが、君はそれに値することを成し遂げた。僕は君のW杯でのメダル。それにスペインやドイツでのタイトル獲得をうらやましく思う。でも君は全くもってふさわしい活躍をしたね。君が(リバプールを)去った時、僕の心は折れたよ。しかし、このクラブは君に特別な場所をいつでも用意する。いつでも訪問を歓迎する」と述べた。
スペインのU-21チームで活躍し、2003年4月に代表監督を務めるイニャキ・サエスからエクアドルとの親善試合に招集され先発出場、71分までプレーした(試合は4-0で勝利)。ポルトガルで行われたEURO2004に参加、2試合に出場した。ウクライナ戦で初先発したが、当時、リーガ・エスパニョーラ最高のドブレ・ピボーテとも言われていたバレンシアの双頭、ルベン・バラハとダビド・アルベルダからレギュラーの座を奪うことはできなかった。2006 FIFAワールドカップに向けたメンバーにも招集され、グループリーグの初戦ウクライナ戦では代表初得点を記録、第2戦のチュニジア戦ではフル出場、ラウンド16のフランス戦でも先発フル出場したが、敗れた。
EURO2008ではスペイン代表の中盤のポジションには「クアトロ・フゴーネス」と称されるシャビ・エルナンデス、イニエスタ、セスク・ファブレガス、ダビド・シルバら優秀なMFが多くいるためレギュラーを掴めていなかったが、彼らにない守備力を生かしスーパーサブとしてスペインの優勝に貢献した。グループリーグ最終戦となるギリシャ戦ではマン・オブ・ザ・マッチにも選ばれた。
大会後、監督がビセンテ・デル・ボスケへ交代してからは、広い視野と展開力を買われ、中盤司令塔のポジションでレギュラーに定着。2010 FIFAワールドカップにおいても全試合に先発出場した。決勝のオランダ戦では、28分にナイジェル・デ・ヨングからタックルを受けて負傷。しかし、その後も87分にセスク・ファブレガスと交代するまで試合に出続けた。その試合は両チーム合わせて14枚(内スペイン5枚)ものイエローカードが出る荒れた試合となり、またオランダの元選手であるヨハン・クライフもラフプレーの多い母国代表を批判した。試合後、デ・ヨングのタックルについてアロンソは「これまでに受けたタックルの中でも最悪のものの一つ」と語った。
EURO2012でもすべての試合に先発出場、大会優秀選手の一人に選ばれる活躍で優勝に貢献した。過去国際大会で6度対戦して一度も勝利したことのなかったフランスとの準々決勝では2得点を記録し、自身の代表通算100試合目を祝った。
2014 FIFAワールドカップではグループリーグの3試合に出場、オランダ戦でPKによるゴールを決めたが、そのオランダ戦とチリ戦で敗北し、チームは最終節のオーストラリア戦でようやく初勝利したが、決勝トーナメントにも進めなかった。クラブでのプレーに専念するため大会後にスペイン代表を引退した。
現役引退後の2017年9月に指導者の道を歩むことを表明、休養の後、マドリードに在住しながらUEFAのコーチングコースを履修した。2018年に監督ライセンスを取得、1年間の育成年代での指導が義務づけられていることから、2018年8月、古巣レアル・マドリードのインファンティルA(U-14カテゴリー)の監督に就任した。その際には自身のTwitterアカウントにて「Back in the game.」とコメントしている。アロンソが指揮したU-14チームは2018-19シーズンにリーグ戦無敗優勝を達成、レアル・マドリード側もフベニールA(U-18カテゴリー)への昇格をオファーしていたが、2019年6月1日に古巣レアル・ソシエダBの監督就任が発表された。
レアル・ソシエダBを率いて2シーズン目には、チームを半世紀ぶりのセグンダ・ディビシオンに昇格に導いた。 しかし、2部では思うような結果が出せず、最終的にリーグ戦を20位で終えて3部に降格。2022年5月31日、アロンソは自身のTwitterとInstagramにてソシエダBを去ることを発表した。なお、彼のソシエダBでの3シーズンでの成績は、98試合を指揮し40勝23分35敗だった。
2022年10月、ソシエダBの監督を退任しフリーとなっていたアロンソは、当時降格圏内にいたレバークーゼンの監督に就任することを発表された。アロンソにとってトップチームを率いるのはこれが初めてだったものの、アロンソはチームを立て直してリーグ戦6位、この年のELではベスト4に導いた。低迷していたチームを立て直した手腕が評価され、アロンソにはプレミアリーグのトッテナムなどが関心を示していたが、2023年8月4日にレバークーゼンとの契約を2026年夏まで延長した。
2023-24シーズンは破竹の勢いで勝利を積み重ね、第6節に首位に立って以降一度も首位を渡すことなく、リーグ戦開幕29戦無敗というブンデスリーガ新記録を樹立。リヴァプール、バイエルンなどが関心を示すも2024年3月に2024-25シーズンも指揮を取ることを明言した。 5月9日、ヨーロッパリーグ準決勝第2戦でASローマと2-2で引き分けたことで、1963年から1965年にかけてSLベンフィカが記録していた48試合無敗を更新するヨーロッパ新記録の49試合無敗記録に導いた。 18日、最終節のアウクスブルク戦を2-1で制したことで、ブンデスリーガ史上初のリーグ戦無敗優勝(28勝6分け)とクラブ史上初のブンデスリーガ優勝を果たした。これにより、アロンソはレバークーゼンを率いて2年目でありながら、21世紀以降アーセナルとユヴェントスしか成し遂げていないリーグ戦無敗優勝に輝いた。
一方、ヨーロッパリーグ決勝ではアタランタBCに0-3で敗れ、無敗記録は「51」でストップしたものの、25日に行われたDFBポカール決勝ではカイザースラウテルンを1-0で下したことで優勝を果たし、アロンソは国内2冠を成し遂げた。
2024-2025シーズンは、引き続きアロンソも留任し、無敗優勝を遂げた前シーズンのメンバーも軒並み残留したことからリーグ連覇も期待され、2024年8月に行われたDFLスーパーカップでは、PK戦の末、VfBシュトゥットガルトを破ってシーズン初タイトルを獲得。しかし対戦相手の研究も進んだことからリーグ戦第2節の対RBライプツィヒ戦に敗れ、前シーズンから続いていたリーグ戦無敗記録も途切れた。その後、リーグ戦では勝ちきれない試合が多くなり、最終的にバイエルンの後塵を拝することになり、チャンピオンズリーグでもベスト16でそのバイエルンに敗れ、2024-2025シーズンの獲得タイトルはDFLスーパーカップのみに終わった。
レアル・マドリードは、2024-2025シーズン無冠に終わったことで、カルロ・アンチェロッティの退任が決定しており、後任はレバークーゼンで無敗優勝を成し遂げたアロンソを高く評価し、かつて選手・指導者双方で在籍経験があってクラブの内部事情にも精通していることからもアロンソ招聘に動いていた。いずれ古巣での指揮を望んでいたアロンソもこれを快諾し、2025年5月25日、レアル・マドリードの監督就任を発表した。契約期間は3年間。
2026年1月11日に行われたスーペルコパ・デ・エスパーニャ決勝でのエル・クラシコでは3-2と惜敗。同年1月13日、双方合意の上でレアル・マドリードの監督を退任した。
2026年5月17日、イングランド・プレミアリーグのチェルシーFCの新監督に就任することが発表された。契約期間は2030年6月30日までの4年間となっている。
中盤底のポジションで、広い視野とレンジが広く精度の高いパスで守備と攻撃を繋ぐ役割を担う。ピッチ上での状況判断に優れており、パスのアイディアも豊富である。アロンソはユース時代、強いキックを習得するために練習後も壁にボールを蹴っていた。ジョゼ・モウリーニョからは「ジョゼップ・グアルディオラに似ている」と絶賛され、「ピッチ上の指揮官」と評された。フランツ・ベッケンバウアーからも、「インテリジェンスがあり、完璧に試合を支配することのできる選手。デットマール・クラマーの教え(オフ・ザ・ボールの動き)を完璧にこなすことができる」と評価されている。
シャビやアンドレス・イニエスタらFCバルセロナの選手が中心となった当時のスペイン代表のパスサッカーの中で決して引けを取らない技術を持ち、さらに183センチの体格からなるフィジカルとディフェンス能力も備えていることからチームに守備力をプラスできる存在だった。
一次情報の発言のみ収録。1回の会見につき主要な発言を最大3つ引用し、他は解説で要約しています。
「間違いなく。私はまだ見ていないが、妥当だったと聞いている」
「今後に向けて学ぶべきことだ」
「取り組み、改善していかなければならない。こうしたことについては(金曜日に)話したと思う。」
出典:Goal.com 日本語版 2026年10月25日
「チェルシーとのつながりはなかった。でもここにある可能性を考えれば、いくつかのことは変えられるし、一緒に歩みを始められると思った。」
「このクラブはそう遠くない過去にチャンピオンズリーグとプレミアリーグを制しているし、またそこに戻りたい。ただ、それが今すぐ実現すると考えるほど愚かではない。」
「まだ7試合だが、我々は何を目指すのか明確な方向性を持っている。この点については何の心配もない。」
出典:Sky Sports Football 2026年10月23日
「それこそ我々が望んでいることであり、彼自身も望んでいることだ。単に今5ゴールを決めたということだけの話ではない。」
「このリーグでトップストライカーになりたいなら、毎試合で影響を与える準備ができていなければならない。彼はそれを実現しているし、我々は彼にそれを続けてもらう必要がある。」
「彼はボックス内にいたがり、ボックス周辺でもチームを助けたがっている。非常に完成度が高い。」
出典:Goal.com 2026年10月17日
「ワオ、正直、彼の復帰が待ち遠しかった。モイがピッチにいると、すべてがあるべき場所に収まって見えるからね。」
「彼はとても重要な存在で、ずっとチームにいてほしい。本当にいい知らせだった。」
「私たちはあらゆることに時間を使えた。その時間は適切に使えたよ。」
出典:BBC Sport Football 2026年10月14日
「私にとって、あのエリアを強くすることは根本的に重要だ。」
「彼がいれば、中盤はより良くなる。中盤が良くなればチームはより完成度が高くなるし、それは土台にすべきものだと思う。」
「我々は彼をあらゆる役割のために獲得した。今日のように素晴らしいゴールを2つ決めてくれるなら、私たちはとても嬉しい。」
出典:Sky Sports Football 2026年10月16日
数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。
| クラブ | シーズン | 年齢 | ディビジョン | リーグ | 国内カップ1 | リーグカップ2 | 大陸大会3 | その他4 | シーズン通算 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 1999-2000 | — | ラ・リーガ | 0 | 0 | 1 | 0 | — | — | — | — | — | — | 1 | 0 | |
| 2000-01 | 18 | ラ・リーガ | 18 | 0 | 0 | 0 | — | — | — | — | — | — | 18 | 0 | |
| 2001-02 | 19 | ラ・リーガ | 29 | 3 | 0 | 0 | — | — | — | — | — | — | 29 | 3 | |
| 2002-03 | 20 | ラ・リーガ | 33 | 3 | 1 | 0 | — | — | — | — | — | — | 34 | 3 | |
| 2003-04 | 21 | ラ・リーガ | 34 | 3 | 0 | 0 | — | — | 8 | 1 | — | — | 42 | 4 | |
| 通算 | 114 | 9 | 2 | 0 | — | — | 8 | 1 | — | — | 124 | 10 | |||
| エイバル | 2000-01 | 18 | セグンダ・ディビシオン | 14 | 0 | 0 | 0 | — | — | — | — | — | — | 14 | 0 |
| 2004-05 | 22 | プレミアリーグ | 24 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 8 | 1 | — | — | 32 | 3 | |
| 2005-06 | 23 | プレミアリーグ | 35 | 3 | 5 | 2 | 0 | 0 | 11 | 0 | 2 | 0 | 53 | 5 | |
| 2006-07 | 24 | プレミアリーグ | 32 | 4 | 1 | 0 | 2 | 0 | 15 | 0 | 1 | 0 | 51 | 4 | |
| 2007-08 | 25 | プレミアリーグ | 19 | 2 | 3 | 0 | 1 | 0 | 4 | 0 | — | — | 27 | 2 | |
| 2008-09 | 26 | プレミアリーグ | 33 | 4 | 3 | 0 | 1 | 0 | 10 | 1 | — | — | 47 | 5 | |
| 通算 | 143 | 15 | 12 | 2 | 4 | 0 | 48 | 2 | 3 | 0 | 210 | 19 | |||
| 2009-10 | 27 | ラ・リーガ | 34 | 3 | 0 | 0 | — | — | 7 | 0 | — | — | 41 | 3 | |
| 2010-11 | 28 | ラ・リーガ | 34 | 0 | 7 | 1 | — | — | 11 | 0 | — | — | 52 | 1 | |
| 2011-12 | 29 | ラ・リーガ | 36 | 1 | 4 | 0 | — | — | 10 | 0 | 2 | 1 | 52 | 2 | |
| 2012-13 | 30 | ラ・リーガ | 28 | 0 | 7 | 0 | — | — | 10 | 0 | 2 | 0 | 47 | 0 | |
| 2013-14 | 31 | ラ・リーガ | 26 | 0 | 7 | 0 | — | — | 9 | 0 | 0 | 0 | 42 | 0 | |
| 2014-15 | 32 | ラ・リーガ | 0 | 0 | — | — | — | — | — | — | 2 | 0 | 2 | 0 | |
| 通算 | 158 | 4 | 25 | 1 | — | — | 47 | 0 | 6 | 1 | 236 | 6 | |||
| 2014-15 | 32 | ブンデスリーガ | 26 | 2 | 4 | 0 | — | — | 10 | 2 | — | — | 40 | 4 | |
| 2015-16 | 33 | ブンデスリーガ | 26 | 0 | 4 | 1 | — | — | 8 | 1 | 1 | 0 | 39 | 2 | |
| 2016-17 | 34 | ブンデスリーガ | 27 | 3 | 3 | 0 | — | — | 7 | 0 | 1 | 0 | 38 | 3 | |
| 通算 | 79 | 5 | 11 | 1 | — | — | 25 | 3 | 2 | 0 | 117 | 9 | |||
| キャリア通算 | 508 | 33 | 50 | 4 | 4 | 0 | 128 | 6 | 11 | 1 | 701 | 44 | |||
1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. リーグカップ(EFLカップ、JリーグYBCルヴァンカップなど) 3. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 4. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
スペイン としての年別成績です。親善試合を含みます。
| 年 | 年齢 | 出場 | 得点 | 得点グラフ |
|---|---|---|---|---|
| 2003 | 21 | 5 | 0 | |
| 2004 | 22 | 11 | 0 | |
| 2005 | 23 | 6 | 0 | |
| 2006 | 24 | 11 | 1 | |
| 2007 | 25 | 6 | 0 | |
| 2008 | 26 | 14 | 2 | |
| 2009 | 27 | 12 | 4 | |
| 2010 | 28 | 16 | 2 | |
| 2011 | 29 | 11 | 3 | |
| 2012 | 30 | 14 | 3 | |
| 2013 | 31 | 3 | 0 | |
| 2014 | 32 | 5 | 1 | |
| 通算 | 114 | 16 | ||
年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1379539589)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。
| 在任期間 | 年齢 | チーム | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2019.06〜2022.05 | 37 | 98 | 40 | 23 | 35 | 40.8% | |
| 2022.10〜2025.05 | 40 | 140 | 88 | 33 | 19 | 62.9% | |
| 2025.06〜2026.01 | 43 | 34 | 24 | 4 | 6 | 70.6% | |
| 2026.07〜現在 | 44 | 8 | 5 | 1 | 2 | 62.5% | |
| 通算 | 280 | 157 | 61 | 62 | 56.1% | ||
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| — | — | |
| — | — |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 期間 | 年齢 | チーム | 出場 | 得点 |
|---|---|---|---|---|
| 1999〜2000 | 17 | — | — | |
| 1999〜2004 | 17 | — | — | |
| 2000〜2001 | 18 | — | — | |
| 2004〜2009 | 22 | — | — | |
| 2009〜2014 | 27 | 124 | 1 | |
| 2014〜2017 | 32 | 52 | 2 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は国内リーグ戦の合計で、カップ戦・大陸大会を含む内訳は「個人成績」の表にあります。
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 2000 | 18 | |
| 2002〜2003 | 20 | |
| 2003〜2014 | 21 | |
| 2005〜2014 | 23 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 在任 | 年齢 | チーム | 役職 |
|---|---|---|---|
| 2018〜2019 | 36 | レアル・マドリードU-14 | 監督 |
| 2019〜2022 | 37 | 監督 | |
| 2022〜2025 | 40 | 監督 | |
| 2025〜2026 | 43 | 監督 | |
| 2026〜 | 44 | 監督 |
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 2000-07 | 18 | エイバル | 期限付き移籍 | — | ||
| 2004-08 | 22 | 完全移籍 | — | |||
| 2009-08 | 27 | 完全移籍 | — | |||
| 2014-08 | 32 | 完全移籍 | — |
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)・API-Football(移籍データ)。移籍の有無と移籍先は日本語版 Wikipedia の情報欄、日付・形態・移籍金は API-Football の掲載値。億円換算は ECB レート(2026-10-21 時点)
所属履歴と出場記録から機械的に算出しています。個人の交友関係についての評価は含みません。
同じクラブ・同じシーズンに両者とも出場記録がある選手を、シーズン数の多い順に並べています。取得元(API-Football)のシーズン名簿は 2010-11 シーズン以降しか無いため、それ以前に一緒にプレーしたシーズンは数に入りません。
| 選手 | クラブ | 期間 | シーズン | |
|---|---|---|---|---|
| クリスティアーノ・ロナウド | 2010〜2014 | 5 | ||
| イケル・カシージャス | 2010〜2014 | 5 | ||
| カリム・ベンゼマ | 2010〜2014 | 5 | ||
| マルセロ・ヴィエイラ・ダ・シウヴァ・ジュニオル | 2010〜2014 | 5 | ||
| ナチョ・フェルナンデス・イグレシアス | 2010〜2014 | 5 | ||
| ぺぺ | 2010〜2014 | 5 | ||
| セルヒオ・ラモス | 2010〜2014 | 5 | ||
| アンヘル・ディ・マリア | 2010〜2014 | 5 | ||
| アルバロ・アルベロア | 2010〜2014 | 5 | ||
| アルバロ・モラタ | 2010〜2014 | 5 | ||
| アリエン・ロッベン | 2014〜2017 | 4 | ||
| ファビオ・コエントラン | 2011〜2014 | 4 | ||
| ハビ・マルティネス | 2014〜2017 | 4 | ||
| ヘセ・ロドリゲス | 2011〜2014 | 4 | ||
| ファン・ベルナト | 2014〜2017 | 4 | ||
| マヌエル・ノイアー | 2014〜2017 | 4 | ||
| ロベルト・レヴァンドフスキ | 2014〜2017 | 4 | ||
| ハファエウ・アルカンタラ・ド・ナシメント | 2014〜2017 | 4 | ||
| トーマス・ミュラー | 2014〜2017 | 4 | ||
| ティアゴ・アルカンタラ | 2014〜2017 | 4 |
本人の在籍期間と監督の在任期間の重なりから算出しています。取得元(API-Football)に在任期間の登録がある監督だけが対象で、古い年代の監督は登録が無いため出ていません。
| 監督 | クラブ・代表 | 在任 |
|---|---|---|
| ルイス・アラゴネス | 2004〜2008 | |
| ラファエル・ベニテス | 2004年7月〜2010年6月 | |
| ビセンテ・デル・ボスケ | 2008年7月〜2016年7月 | |
| ジョゼ・モウリーニョ | 2010年7月〜2013年6月 | |
| ルイス・デ・ラ・フエンテ | 2023年1月〜 |
日本語名を確認できない監督 7 人は掲載していません。
英語の記録名しか確認できないもの(10件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
代表チームで獲得したメダルです(金3・銅1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。
| FIFAワールドカップ | 金 2010 南アフリカ |
|---|---|
| UEFA欧州選手権 | 金 2008 オーストリア・スイス金 2012 ポーランド・ウクライナ |
| FIFAコンフェデレーションズカップ | 銅 2009 南アフリカ |
出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「シャビ・アロンソ」(版 111105642)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
※ 出典は媒体名・日付・URL を文字で記載しています(外部サイトへのリンクは行いません)。出典が確認できない数値はページに載せません。
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