「とても賢い選手だ。センターバック、右サイドバック、左サイドバックと、実にさまざまな意外な位置でボールを受けている」
「そうするのは、反転して相手ゴールを向けば、素晴らしいパスを出せるからだ。視野、パスの幅、ゴール前での決定力。」
「MFとして言わせてもらうと、彼は世界最高のMFやセンターバックに匹敵するパスを出せるセンターフォワードだ。とにかく優れていて、プレーに弱点がない」
出典:Goal.com 日本語版 2026年10月22日
SOCCERPEDIA / 選手・監督ページ / イングランドのサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日
スティーヴン・ジェラード(Steven Gerrard、1980年5月30日生)は、イングランド出身の元サッカー選手。ポジションはMF(ミッドフィールダー)。イングランドでは2000年から通算114試合21得点を記録している。クラブでは公式戦通算749試合190得点(1998-99 シーズン以降)。クラブ・代表で通算15個のタイトルを獲得、個人賞は60回(プレミアリーグ月間最優秀選手 6回、FIFA FIFProワールドイレブン 3回)。
スティーヴン・ジョージ・ジェラード(Steven George Gerrard MBE, 1980年5月30日 - )は、イングランド・マージーサイド州ウィストン出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。元イングランド代表。現役時代のポジションはミッドフィールダー。
幼少の頃からリヴァプールFCのアカデミー(下部組織)で才能を磨き、1998-99シーズン、11月29日にブラックバーン戦で僅かな出場時間ながらトップチームデビューを飾る。デビュー当初は右サイドバックとしてプレー。その後、ポジションをセンターハーフにコンバートされる。1999-00シーズン、12月5日のシェフィールド・ウェンズデイ戦にて初ゴールを決めた。
2000-01シーズン、リヴァプールのレギュラーとして活躍。ジェラール・ウリエ監督の下、UEFAカップ、FAカップ、リーグカップの三冠達成に貢献した。リーグカップの決勝マンチェスター・ユナイテッド戦では先制点を決めて優勝に貢献、またUEFAカップ決勝のアラベス戦では、リヴァプールの2点目を決め優勝に貢献した。
2002-03シーズン、2003年5月11日のプレミアリーグ最終節チェルシー戦では、勝った方が4位でUEFAチャンピオンズリーグ出場権獲得という状況の試合であったにも関わらず試合中にレッドカードを貰い、1-2で敗れて5位に終わりチャンピオンズリーグ出場を逃した。
2003-04シーズン途中にサミ・ヒーピアからキャプテンを引き継ぐと秘めたるポテンシャルが一気に開花。同シーズンもチャンピオンズリーグ出場権を争う位置にいたが、シーズン終盤の大活躍によって最終節を待たずして4位を決め、前年の汚名を返上。シーズン後にエースのマイケル・オーウェンがレアル・マドリードへ移籍し、一時はジェラード自身にもチェルシー移籍の話が持ち上がったが、記者会見で残留を明言した。
2004-05シーズン、UEFAチャンピオンズリーグにおいて、グループステージで敗退すればチェルシーへの移籍が決まりかけていたが、グループステージ突破には2点差以上の勝利が義務付けられた最終戦のオリンピアコス戦で、試合終了間際にミドルシュートを決め3-1とし、逆転でチームを決勝トーナメントへ導く。決勝トーナメントでは得点こそなかったものの、チームを決勝戦へと進出させた。決勝のACミラン戦では3-0のビハインドを覆す逆転優勝のきっかけとなるヘディングシュートを決め、その後チームは同点に追いつき、PK戦の末ミランを下し、リヴァプールに5回目となるチャンピオンズカップトロフィーをもたらした。これらの活躍によりUEFA年間最優秀選手を受賞。また、このシーズン終了時に再びチェルシーへの移籍が報道されたが、チームへの残留を決めた。
2005-06シーズン、チャンピオンズリーグ予備予選のTNS戦第1戦ではハットトリック。2戦でも2得点の活躍を見せた。2005年末には、日本開催のFIFAクラブワールドカップ準決勝サプリサ戦では強烈なボレーシュートでゴールを決めたが、決勝でサンパウロに敗れ、リヴァプールは準優勝に終わった。FAカップ決勝のウェストハム戦では、同点弾を含む2ゴールを挙げる活躍を見せ、チームにFAカップをもたらした。初のPFA年間最優秀選手賞を受賞。
2006-07シーズンは2年ぶりとなるUEFAチャンピオンズリーグ決勝進出に貢献したが、決勝では2年前と同じ相手ACミランに1-2と敗れた。
2007-08シーズン、FAカップ3回戦のルートン・タウン戦でハットトリックを達成した。チャンピオンズリーグではグループステージ、10月24日のベシクタシュ戦からラウンド16、インテル戦のファーストレグまで5試合連続ゴールを決め、準決勝まで進出したが、チェルシーに延長戦の末、2戦合計で3-4と競り負け、3度目の決勝進出を逃した。
2008-09シーズン、UEFAチャンピオンズリーグのPSV戦において、自身100ゴール目となるフリーキックを決めた。2009年3月22日、アストン・ヴィラ戦で、プレミアリーグでは初のハットトリックを達成した。ポジションを少し上げたことにより得点力が増し、自身キャリアハイの16ゴールをマーク。リーグ得点ランクは3位となり、チーム得点王となった。
2009-10シーズン、チームの不振により、ジェラード自身も度重なるケガに悩まされた。春先になりチームと共に調子を上げたものの及ばず、リヴァプールは7位に終わった。
2010-11シーズン、UEFAカップ、グループステージ11月4日、ナポリ戦でハットトリックを達成した。
2011-12シーズン、カーディフ・シティを決勝で破り、リーグカップの獲得に貢献した。また3月13日のリーグ戦、エヴァートン戦でハットトリックを達成した。
2013-14シーズン、2013年10月19日のニューカッスル戦でPKを決めてプレミアリーグ通算100ゴールを達成した。シーズン中、13ゴール13アシストを記録、ルイス・スアレス、ダニエル・スターリッジと共にプレミアリーグ発足後リヴァプールは初の優勝にあと一歩で手が届くところまでチームを導いたが、最終盤のチェルシー戦でジェラード自身のスリップから決勝点を献上し、2位に転落し優勝を逃したが、優勝争いの原動力となる活躍でPFA年間ベストイレブンに選出された。
2014-15シーズン、2015年1月2日、2014-15シーズン終了後にリヴァプールを退団すると発表。翌日にメジャーリーグサッカーのクラブに加入することを明らかにした。2015年2月4日、FAカップ4回戦のボルトン戦に出場し、イアン・キャラハン、ジェイミー・キャラガーに次いでクラブ史上3人目となる通算700試合出場を達成した。4月25日のウェスト・ブロム戦でリーグ戦500試合出場を達成。第35節のQPR、第36節のチェルシー戦で連続ゴールを記録。最終節のストーク戦では1-6と大敗したが、ジェラードは70分にプレミアリーグでのラストゴールを決めた。
2015年1月7日、メジャーリーグサッカーのロサンゼルス・ギャラクシーに7月から加入することが発表された。ロサンゼルス・ギャラクシーでも背番号は8番であることも発表された。7月3日、ロサンゼルス・スタブハブ・センターに到着。メディカルチェックを受けた。同年7月7日より公式にLAギャラクシーでの練習を開始し、同日10:00には入団記者会見も開催される。また新天地でのデビューに向けて意気込みを語った。2015年7月18日、サンノゼ・アースクエイクス戦にてデビューすると、その試合でゴールを決めただけでなく2つのアシストも決めた。
2016年11月6日、MLSカップのプレーオフ準々決勝、コロラド・ラピッズ戦第2戦でPK戦の末チームは敗れ、11月15日、同年シーズンをもってLAギャラクシーを退団することが発表された。2016年11月24日、現役引退を表明した。ラストシーズンのレギュラーシーズンでは怪我で21試合の出場ながら11アシストを決めた。
2000年5月31日のウクライナとの親善試合で代表デビュー、同年の2000年6月UEFA EURO 2000に出場した。
2002年、日韓ワールドカップ、スヴェン=ゴラン・エリクソン監督のプラン上、キープレーヤーであったが、同年のイプスウィッチ戦で負傷、手術を受け、出場出来なかった。
2006年、ドイツワールドカップに出場、グループリーグ第1戦のトリニダード・トバゴ、第3戦のスウェーデン戦でゴールを挙げる活躍をしたが、準々決勝のポルトガル戦のPK戦ではPKを失敗、イングランドも敗退した。
2010年、南アフリカワールドカップに出場、大会直前の練習で代表主将のリオ・ファーディナンドが負傷離脱したため、副主将であるジェラードが主将を務め、1次リーグ初戦アメリカ戦で先制ゴールを決めたが、その直後にGKのロバート・グリーンがアメリカ代表デンプシーのシュートをトンネルでこぼしてしまい同点のまま試合は終了した。グリーンは自身のミスについて「僕のせいだ。」と語っていたがジェラードは「彼の失点はボールが影響した。あんなボールじゃなかったらグリーンはミスをしなかった。」大会で使用されたジャブラニを酷評しつつリーンを擁護した。その後も優勝候補に挙げられながらも、決勝トーナメント1回戦では、ランパードのミドルシュートからのゴールが認められなかった誤審も影響し1-4とドイツ代表に敗れた。
2012年、UEFA EURO 2012に出場、グループリーグの3試合でいずれもアシストを決め、決勝トーナメント進出に貢献したが、準々決勝でイタリアにPKの末敗れた。2012年11月15日のスウェーデン代表との試合で代表キャップ数100を達成した。
2014年、ブラジルワールドカップ出場。2大会連続で主将を務めたが、グループリーグで敗退、大会後の同年7月に代表引退を表明した。
2017年1月20日、古巣リヴァプールのアカデミーコーチに就任した。2017年4月27日、2017-18シーズンよりアカデミーのU-18カテゴリーの監督に就任することが発表された。
2018年5月4日、スコットランドのレンジャーズFCの監督に就任することが発表された。2020-21シーズン、ライバルチームであるセルティックのリーグ9連覇を阻み、スコティッシュ・プレミアシップ優勝を成し遂げ、これが監督としての初タイトルとなった。
2021年11月11日、レンジャーズとの契約を解除し、の後任としてアストン・ヴィラFC監督に就任。2022年10月20日に解任された。
一次情報の発言のみ収録。1回の会見につき主要な発言を最大3つ引用し、他は解説で要約しています。
「とても賢い選手だ。センターバック、右サイドバック、左サイドバックと、実にさまざまな意外な位置でボールを受けている」
「そうするのは、反転して相手ゴールを向けば、素晴らしいパスを出せるからだ。視野、パスの幅、ゴール前での決定力。」
「MFとして言わせてもらうと、彼は世界最高のMFやセンターバックに匹敵するパスを出せるセンターフォワードだ。とにかく優れていて、プレーに弱点がない」
出典:Goal.com 日本語版 2026年10月22日
「彼を見限るな。」
出典:The Guardian Football 2026年10月21日
「私は彼(イラオラ)を後押しし、チャンスを与えたい。何より、彼にはリヴァプールの監督になる資格があったと思う」
「ボーンマスでの彼は素晴らしかった。あのチームで成し遂げたこと、彼の哲学やプレースタイル、手にした結果、そして見せたサッカー。」
「昨シーズンとエキティケの負傷を受け、9番の選手は実質的に[アレクサンデル]・イサクしかいなかった。ガクポを引き留めることは不可欠だった。」
出典:Goal.com 日本語版 2026年10月14日
数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。
| クラブ | シーズン | 年齢 | ディビジョン | リーグ | 国内カップ1 | リーグカップ2 | 大陸大会3 | その他4 | シーズン通算 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 1998-99 | 18 | プレミアリーグ | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | — | — | 13 | 0 | |
| 1999-2000 | — | プレミアリーグ | 29 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | — | — | — | — | 31 | 1 | |
| 2000-01 | 20 | プレミアリーグ | 33 | 7 | 4 | 1 | 4 | 0 | 9 | 2 | — | — | 50 | 10 | |
| 2001-02 | 21 | プレミアリーグ | 28 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 14 | 1 | 1 | 0 | 45 | 4 | |
| 2002-03 | 22 | プレミアリーグ | 34 | 5 | 2 | 0 | 6 | 2 | 11 | 0 | 1 | 0 | 54 | 7 | |
| 2003-04 | 23 | プレミアリーグ | 34 | 4 | 3 | 0 | 2 | 0 | 8 | 2 | — | — | 47 | 6 | |
| 2004-05 | 24 | プレミアリーグ | 30 | 7 | 0 | 0 | 3 | 2 | 10 | 4 | — | — | 43 | 13 | |
| 2005-06 | 25 | プレミアリーグ | 32 | 10 | 6 | 4 | 1 | 1 | 12 | 7 | 2 | 1 | 53 | 23 | |
| 2006-07 | 26 | プレミアリーグ | 36 | 7 | 1 | 0 | 1 | 1 | 12 | 3 | 1 | 0 | 51 | 11 | |
| 2007-08 | 27 | プレミアリーグ | 34 | 11 | 3 | 3 | 2 | 1 | 13 | 6 | — | — | 52 | 21 | |
| 2008-09 | 28 | プレミアリーグ | 31 | 16 | 3 | 1 | 0 | 0 | 10 | 7 | — | — | 44 | 24 | |
| 2009-10 | 29 | プレミアリーグ | 33 | 9 | 2 | 1 | 1 | 0 | 13 | 2 | — | — | 49 | 12 | |
| 2010-11 | 30 | プレミアリーグ | 21 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 4 | — | — | 24 | 8 | |
| 2011-12 | 31 | プレミアリーグ | 18 | 5 | 6 | 2 | 4 | 2 | — | — | — | — | 28 | 9 | |
| 2012-13 | 32 | プレミアリーグ | 36 | 9 | 1 | 0 | 1 | 0 | 8 | 1 | — | — | 46 | 10 | |
| 2013-14 | 33 | プレミアリーグ | 34 | 13 | 3 | 1 | 2 | 0 | — | — | — | — | 39 | 14 | |
| 2014-15 | 34 | プレミアリーグ | 29 | 9 | 3 | 2 | 3 | 0 | 6 | 2 | — | — | 41 | 13 | |
| 通算 | 504 | 120 | 42 | 15 | 30 | 9 | 129 | 41 | 5 | 1 | 710 | 186 | |||
| 2015 | 34 | メジャーリーグサッカー | 13 | 2 | 1 | 0 | — | — | 0 | 0 | 1 | 0 | 15 | 2 | |
| 2016 | 35 | メジャーリーグサッカー | 21 | 3 | 0 | 0 | — | — | 2 | 0 | 1 | 0 | 24 | 3 | |
| 通算 | 34 | 5 | 1 | 0 | — | — | 2 | 0 | 2 | 0 | 39 | 5 | |||
| キャリア通算 | 538 | 125 | 43 | 14 | 30 | 9 | 131 | 41 | 7 | 1 | 749 | 190 | |||
1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. リーグカップ(EFLカップ、JリーグYBCルヴァンカップなど) 3. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 4. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
イングランド としての年別成績です。親善試合を含みます。
| 年 | 年齢 | 出場 | 得点 | 得点グラフ |
|---|---|---|---|---|
| 2000 | 19 | 2 | 0 | |
| 2001 | 20 | 6 | 1 | |
| 2002 | 21 | 5 | 1 | |
| 2003 | 22 | 8 | 1 | |
| 2004 | 23 | 10 | 2 | |
| 2005 | 24 | 8 | 1 | |
| 2006 | 25 | 13 | 4 | |
| 2007 | 26 | 11 | 2 | |
| 2008 | 27 | 7 | 2 | |
| 2009 | 28 | 7 | 2 | |
| 2010 | 29 | 12 | 3 | |
| 2011 | 30 | 0 | 0 | |
| 2012 | 31 | 11 | 0 | |
| 2013 | 32 | 8 | 2 | |
| 2014 | 33 | 6 | 0 | |
| 通算 | 114 | 21 | ||
年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1377860469)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。
| 在任期間 | 年齢 | チーム | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2018.06〜2021.11 | 38 | 193 | 125 | 42 | 26 | 64.8% | |
| 2021.11〜2022.10 | 41 | 40 | 13 | 8 | 19 | 32.5% | |
| 2023.07〜2025.01 | 43 | 59 | 23 | 16 | 20 | 39.0% | |
| 通算 | 292 | 161 | 66 | 65 | 55.1% | ||
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1989〜1998 | 8 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1998〜2015 | 17 | |
| 2015〜2016 | 34 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1996〜1997 | 15 | イングランド U-16 |
| 1998 | 17 | イングランド U-18 |
| 1999〜2000 | 18 | |
| 2000〜2014 | 19 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 2015 | 34 | フリー移籍 | — |
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 英語版 Wikipedia(クラブのシーズン記事)。移籍金・形態は英語版 Wikipedia の各クラブのシーズン記事の移籍の表による。億円換算は ECB レート(2026-10-21 時点)
所属履歴と出場記録から機械的に算出しています。個人の交友関係についての評価は含みません。
同じクラブ・同じシーズンに両者とも出場記録がある選手を、シーズン数の多い順に並べています。取得元(API-Football)のシーズン名簿は 2010-11 シーズン以降しか無いため、それ以前に一緒にプレーしたシーズンは数に入りません。
| 選手 | クラブ | 期間 | シーズン | |
|---|---|---|---|---|
| ジョン・フラナガン | 2010〜2017 | 6 | ||
| ルーカス・レイヴァ | 2010〜2017 | 6 | ||
| ダニエル・アッゲル | 2010〜2014 | 5 | ||
| ジョーダン・ヘンダーソン | 2011〜2017 | 5 | ||
| ダニエル・スタリッジ | 2012〜2017 | 4 | ||
| フィリペ・コウチーニョ | 2012〜2017 | 4 | ||
| アルベルト・モレノ・ペレス | 2014〜2017 | 2 | ||
| イアゴ・アスパス | 2013〜2014 | 2 | ||
| ヘスス・フェルナンデス・サエス | 2012〜2014 | 2 | ||
| アンドリュー・ロバートソン | 2017 | 1 | ||
| アルベルト・アクイラーニ | 2010 | 1 | ||
| ドミニク・ソランケ | 2017 | 1 | ||
| フェルナンド・トーレス | 2010 | 1 | ||
| 高木琢也 | 2017 | 1 | ||
| ハリー・ウィルソン | 2017 | 1 | ||
| ジョー・ゴメス | 2017 | 1 | ||
| ハビエル・マンキージョ・ガイタン | 2014 | 1 | ||
| カミル・グラバラ | 2017 | 1 |
本人の在籍期間と監督の在任期間の重なりから算出しています。取得元(API-Football)に在任期間の登録がある監督だけが対象で、古い年代の監督は登録が無いため出ていません。
| 監督 | クラブ・代表 | 在任 |
|---|---|---|
| トーマス・トゥヘル | 2025年1月〜 |
日本語名を確認できない監督 8 人は掲載していません。
英語の記録名しか確認できないもの(25件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「スティーヴン・ジェラード」(版 110903424)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
※ 出典は媒体名・日付・URL を文字で記載しています(外部サイトへのリンクは行いません)。出典が確認できない数値はページに載せません。
掲載写真は Wikidata API および Wikimedia Commons API を通じて、ライセンス(CC BY-SA / パブリックドメイン等)と作者表示の要件を確認したうえで掲載します。