「監督になり、出だしの段階でとても気に入っている」
「(特定の監督をモデルにするのではなく)自分がどこにいるか、どんな選手たちを抱えているかによる。最終的にどのシステムにするのかは選手だから。」
「スタートするのは3-4-3と5-2-3。相手やチームの状態も関係する。」
出典:Yahoo!ニュース 2026年10月5日
SOCCERPEDIA / 選手ページ / スペインのサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日
アンドレス・イニエスタ(Andrés Iniesta、1984年5月11日生)は、スペイン出身の元サッカー選手。ポジションはMF(ミッドフィールダー)、所属はGulf United FC、背番号は8。スペインでは2006年から通算131試合13得点を記録している。クラブでは公式戦通算885試合93得点(2000-01 シーズン以降)。クラブ・代表で通算35個のタイトルを獲得、個人賞は50回(UEFAチーム・オブ・ザ・イヤー 6回、ESM チーム・オブ・ザ・イヤー 2回)。
アンドレス・イニエスタ・ルハン(、、1984年5月11日 - )は、スペイン・カスティーリャ・ラ・マンチャ州アルバセーテ県フエンテアルビージャ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。元スペイン代表。
FCバルセロナの育成組織であるラ・マシアの最高傑作の1人と称され、スペイン人史上最高の選手の1人、あるいは史上最高のミッドフィールダーの1人と広く考えられている。
バルセロナでは2002年から2018年までプレーし、2015-16シーズンからは3シーズンにわたってキャプテンを務めた。スペイン人選手最多となる9度のラ・リーガ優勝と4度のUEFAチャンピオンズリーグ優勝を含む33のタイトルを獲得。
2018年からはJリーグのヴィッセル神戸に移籍し、2019年にはクラブ史上初タイトルとなる天皇杯優勝に貢献、2019年からは同クラブの第14代キャプテンを務めた。
スペイン代表ではU-16、U-19、U-21チームでプレーし、2006年にフル代表デビューを果たした。スペインが優勝したUEFA EURO 2008では全試合に出場。2010 FIFAワールドカップでは、オランダとの決勝戦で決勝ゴールを挙げスペインの初優勝に貢献。UEFA EURO 2012でもイタリアとの決勝戦でマン・オブ・ザ・マッチに選ばれるなどスペインの連覇に貢献し、大会MVPにも選出。
2009年のバロンドール投票では4位、2010年では2位、2011年では4位。2020年に選出されたサッカー歴代ベストイレブンであるバロンドール・ドリームチームでは攻撃的ミットフィルダーの枠でジーコやロベルト・バッジョらを抑え6位にランクイン(同ポジジョンからはペレとディエゴ・マラドーナが選出) 。
8歳のときに地元アルバセテ・バロンピエの下部組織に入団した。12歳の時に出場した全国大会では惚れ惚れする程のドリブル能力と視野の広さを見せ、様々なクラブから注目を集めた。レアル・マドリードの下部組織に入団する予定だったが、両親の意向で取りやめられ、両親とFCバルセロナの下部組織寮(ラ・マシア)を見学して好印象を持ったことからFCバルセロナに入団した。
MFセスク・ファブレガス同様、入団当初は守備的ミッドフィールダーだったが、ボディバランス、精密なコントロール、ボールキープの技術などが評価されて攻撃的ミッドフィールダーに転向した。シャイな性格であり、ラ・マシアではしばしばホームシックにかかった。
U-15チームではキャプテンを務め、1999年のナイキ・プレミア・カップ決勝ではロスタイムに決勝点を挙げて優勝に貢献し、大会最優秀選手に選ばれた。イニエスタにトロフィーを手渡したのは、当時トップチームでキャプテンを務めていたMFジョゼップ・グアルディオラであり、グアルディオラは「今まで見た中で最高の選手」と記した写真をイニエスタに贈った。グアルディオラはクラブの若手有望株だったMFシャビ・エルナンデスに「じきにお前は俺を引退に追い込むだろうが、あの坊や(イニエスタ)が俺たちふたりを引退に追い込むかもしれないぞ」と語りかけたのはこの大会時であったと伝えられている。
2002年10月、監督のルイ・ファン・ハールによってトップチームに招集され、10月29日のUEFAチャンピオンズリーグ、クラブ・ブルッヘ戦でデビューした。そのままトップチームに定着すると、デビュー直後から良質なプレーを見せ、スペインメディアからはMFフアン・ロマン・リケルメに取って代わる存在だと報じられた。トップチーム昇格後に家族のために地元に建てた家は青とえんじ色に塗られ、観光名所になっている。
2011-12シーズンの最初の活躍はスーペルコパ・デ・エスパーニャでのレアル・マドリードとの対戦で、2011年8月17日にバルセロナのホームで行われた第2戦で先制ゴールを決めた。試合はバルセロナが3-2で勝利し、2試合合計5-3で制した。同年10月19日に行われたUEFAチャンピオンズリーグのグループリーグのFCヴィクトリア・プルゼニ戦ではメッシとの華麗なパス交換から先制ゴールを決めた。2012年3月24日に行われたリーガ・エスパニョーラ第30節のRCDマジョルカ戦で2-0で勝利したことにより、出場したリーガ・エスパニョーラでの試合の無敗記録をそれまでの最長だったエミリオ・ブトラゲーニョの50試合を抜いて51試合と更新し、最終的に第35節のレアル・マドリード戦で1-2で敗れるまで、55試合無敗(47勝8分)のリーグ新記録を打ち立てた。同年4月3日に行われたUEFAチャンピオンズリーグの決勝トーナメントの準々決勝ACミラン戦の第2戦では後半8分にゴールを挙げ、チームは3-1で勝利し、2試合合計3-1で準決勝に進出した。準決勝のチェルシー戦では第2戦でゴールを挙げたが、2試合合計2-3でバルセロナの敗退が決まった。この年の活躍でFIFAバロンドールの最終候補3名に選出され、最終的に3位になった。
2012-13シーズン、リーガ・エスパニョーラ第13節のレバンテ戦で1ゴール3アシストを記録し、チームを4-0の勝利に導いた。このシーズンでは最終的にリーグトップの16アシストを記録した。
2013年12月23日、2015年までとなっていたバルセロナとの契約を3年延長し、2018年6月までとする新契約にサインした。
2017-18シーズンは新たに監督に就任したエルネスト・バルベルデのプレー時間の管理により、出場した試合では常に好パフォーマンスを披露した。10月5日、バルセロナと契約を延長し、クラブ史上初の生涯契約を結んだことが発表された。
生涯契約を結んだイニエスタだったが、2018年に入り退団報道が過熱。チャンピオンズリーグのチェルシー戦、第2戦の試合後のインタビューにおいて自身の去就について、「4月末までには決断する」と述べた。2017-18シーズンのチャンピオンズリーグのローマ戦敗退後、記者から「これが最後のCLになるか」と質問され、非常に落胆した様子で「その可能性もある」と答えた。4月14日のバレンシア戦後、自身の去就について既に決断していることを明らかにした。退団が確実視される中で迎えたコパ・デル・レイ決勝、セビージャ戦ではリオネル・メッシのアシストから1ゴールを記録するなど素晴らしいパフォーマンスを見せ、チームの4年連続30回目のコパ・デル・レイ制覇に大きく貢献。交代時には両クラブのサポーターからスタンディングオベーションを受け、ベンチでは涙を浮かべていた。2018年4月27日、会見を開き、同シーズン限りでのバルセロナ退団を発表した。涙ながらに「これがバルサでのラストシーズン」「バルサは僕にすべてを与えてくれた」「さよならを言うのは、本当に本当につらい」などと述べ、クラブやチームメイト、家族、そしてファンに感謝の言葉を述べた。退団発表に際し、チームメイトを始めビジャ、セスク、ペドロ、ダビド・シルバ、フェルナンド・トーレス、カシージャス、セルヒオ・ラモス、フアン・マタ、ネイマール、マスチェラーノ、ジダン、ベッカム、ピルロそして各クラブ(エスパニョール、ビルバオ、エイバル、セビージャ、ラス・パルマス、ビジャレアル、ベティスなど)、ラ・リーガ公式などから称賛や別れを惜しむ言葉が寄せられた。バルセロナで最後の試合であるレアル・ソシエダ戦では、カンプ・ノウは「INFINIT INIESTA」というコレオでイニエスタを迎えた。この試合でも好プレーを披露し、バルセロナの勝利(1-0)に貢献した。試合後にはイニエスタへの感謝を示す大規模なセレモニーが行われ、選手やファンが彼との別れを惜しんだ。セレモニーでは「素晴らしい22年間だった。僕にとって世界最高であるクラブのエンブレムを身に着けてプレーできたのは誇りであり喜びだ。子供の頃ここにやって来て以来、ずっと受け続けてきた愛情とリスペクトに感謝したい。みんなのことは永遠に僕の心の中に残る」と述べた。その後、再び静寂のカンプ・ノウに素足で戻りピッチに腰を下ろし、22年間過ごしたクラブとの別れを人知れず惜しんだ。
2018年5月頃から、複数のメディアがイニエスタのJリーグ・ヴィッセル神戸への移籍の可能性について報道する。5月18日早朝にスポーツ報知が日本の大手メディアで初めて「イニエスタ、神戸入団合意」と報じ、5月23日にはNHKをはじめとする複数の新聞社・放送局が一斉にこのニュースを伝えた。翌5月24日、イニエスタが自身のTwitterとInstagramのアカウントで、楽天会長兼社長およびヴィッセル神戸オーナーの三木谷浩史はTwitterアカウントで神戸移籍を示唆するコメントと共に両者の2ショット写真を投稿。同日午後に記者会見と神戸・バルセロナ両クラブからのリリースで、神戸への移籍が正式に発表された。東京都内で行われた記者会見では、日本入りに同行した三木谷と壇上で抱き合った後、入団契約書にサインを交わした。契約期間は2021年までの契約であるとイニエスタ自身はコメントを残している。
同会見でのフォトセッションにおいて、用意された自身のネームと共に背番号8番が入った神戸のユニフォームを掲げ撮影に臨んでいたが、同背番号は2018シーズンにおいては三田啓貴が既に着用しており、Jリーグの当時の規則ではシーズン中の同一選手の背番号変更が認められていなかった為、三田を移籍させる、あるいは一旦契約解除の手続きをとった上で再度選手登録を行う等の手段を取らない限り、同シーズン中にイニエスタを背番号8番で選手登録するのは不可能であった。翌25日、三木谷が三田が背番号を譲る意思を示した事、それに対しイニエスタが三田に直接電話で感謝の言葉を述べた事をTwitterにて明かした。Jリーグ側もクラブからの相談を受けて規約改定に前向きな姿勢を示していた。30日、Jリーグよりユニフォーム要項の改定が発表され、同一選手のシーズン中の背番号変更が可能となった。これを受けて、同日にイニエスタの背番号決定と三田の背番号変更(8番→7番)がクラブより発表され、バルセロナ時代に引き続き、背番号8を着用することが正式に決定した。
7月22日、第17節・湘南ベルマーレ戦の後半13分に渡邉千真との交代によりJリーグ初出場を果たした。Jリーグ2戦目となった柏レイソル戦にスタメン出場した後、7月28日に家族と再来日するためにスペインに一時帰国。その後、行われる予定だったアウェーでのセレッソ大阪戦とFC東京戦の2試合はイニエスタの効果もありチケットが完売。突然の帰国発表だった事もあり、イニエスタ目当てでチケットを買ったファンから不満の声も出て、試合以外でも話題を集める結果となった。なお、イニエスタのチーム合流は、元々7月を予定していなかったが、本人の「1日でも早く神戸に来て、選手と一緒にボールを蹴りたい」という申し出があったため、W杯終了後に休みを削って、前倒しでJリーグデビューを果たしている。イニエスタは予定通り8月5日に家族と再来日している。
Jリーグ3試合目となる8月11日の第21節・ジュビロ磐田戦の前半15分に、中盤のルーカス・ポドルスキからのパスに反応すると、ターンでDF大井健太郎、GKクシシュトフ・カミンスキーを相次いで躱してボールをゴールへと流し込み、Jリーグ初得点をマークした。
2019年4月23日、ポドルスキの後任として神戸のキャプテンに就任した。5月頃からは、下半身の筋肉系の違和感で欠場が続いた。6月15日に行われたFC東京戦で6試合ぶりの先発復帰を果たし、その試合でシーズン初ゴールを決めてチームの勝利に貢献した。第17節の名古屋グランパス戦では移籍後初のリーグ戦複数得点となる2ゴールを決めた。同年にはJリーグベストイレブンに選出された。なお、この年のベストイレブンは、優勝した横浜F・マリノスから4名、準優勝したFC東京から6名が選出され、この2チーム以外に所属する選手はイニエスタのみだった。また、スペイン国籍を有する選手としてJリーグ史上初の受賞となった。
12月21日、天皇杯準決勝、清水エスパルス戦では先制ゴールを決め、更に古橋亨梧のゴールをアシストして決勝進出に貢献すると、翌年1月1日、天皇杯決勝戦でもキャプテンとして先発出場し、クラブ初のタイトル獲得に貢献した。
2020年2月8日、ゼロックススーパーカップの横浜F・マリノス戦ではドウグラスの先制点をアシスト。チームとして初出場となったAFCチャンピオンズリーグでは、グループリーグ初戦のジョホール・ダルル・タクジムFC戦で2アシストの活躍で勝利に貢献、第3節の広州恒大淘宝足球倶楽部戦では前半に1アシストを決めると、後半には同大会での初ゴールを決め、チームを同大会初出場にして決勝トーナメント進出に導いた。トーナメント1戦目の上海海港足球倶楽部戦でも得点を決めるも怪我で途中交代。準々決勝の水原三星ブルーウィングス戦では、試合に出れるコンディションではなかったが、自ら出場を志願し怪我を押して延長戦から途中出場。試合はPK戦までもつれ込み、第1キッカーとしてPKを成功させ、準決勝進出に貢献。しかし、この試合で怪我を悪化させ、長期離脱の見込みとなった。大会終了後にスペインに帰国して検査した結果、右大腿直筋近位部腱断裂で全治4カ月の重傷と分かり手術する事となった。
2021年シーズンは前年から続く怪我の影響で欠場が続いていたが、5月1日に行われたJ1第12節のサンフレッチェ広島戦にて途中出場で復帰を果たした。自身の誕生日である5月11日に記者会見を開き、神戸と2年間の契約延長を発表した。この会見で「現役生活をここで最後まで続けたい。選手としてだけでなく、常に関わり続けたい」と神戸で引退する意思を示し、引退後もクラブの発展に貢献したいと話した。また、神戸オーナーの三木谷が「(コロナ禍で)経済的にも大変厳しい状況にある中、かなり歩み寄りをしていただいた」と説明。推定年俸32億5000万円から約4割の大減俸、推定20億円で更改したとみられている。6月13日、ルヴァンカッププレーオフ第2戦の浦和戦で強烈な弾道のFKでシーズン初ゴールを決めたが、試合は2-2で引き分け、準々決勝には進出出来なかった。10月にはリーグ戦3試合3得点1アシストを記録し、J1リーグ月間MVPに選出された。この年チームはACL圏内で神戸のJ1最高順位となるリーグ3位で終え、自身も3年連続でJリーグ優秀選手賞、Jリーグでは2度目となるベストイレブンに選出された。
3月6日に行われたJ1第3節のサンフレッチェ広島戦でチームメイト山口蛍の折り返しに右足で合わせシーズン初ゴールを挙げた。3月15日に行われたAFCチャンピオンズリーグプレーオフステージ・メルボルン・ビクトリーFC戦では延長を含む115分間プレーし、先制点を挙げて本戦進出に貢献した。4月10日に行われたJ1第8節セレッソ大阪戦では前半45分のみで交代。この交代について、ミゲル・アンヘル・ロティーナ監督は「本人から交代を要求された。疲れを感じており、感覚がよくなかった」と説明した。その後集中開催されたACLのグループステージを欠場したが、5月14日に行われた第13節のサガン鳥栖戦で1ゴール1アシストを決め、チームはリーグ戦初勝利を挙げた。リーグ中断期間の7月17日に、家庭の事情により一時帰国。30日の柏レイソル戦に出場を見込んでいたものの、再来日が遅れたため欠場した。8月1日に再来日し、3日に行われたルヴァンカップ準々決勝第1戦のアビスパ福岡戦に後半15分から出場。8月6日のJ1第24節のセレッソ大阪戦ではフル出場した。8月18日に行われたACLラウンド16の横浜F・マリノス戦ではベンチ入りしたものの出場機会なく試合を終えたことについて、吉田孝行監督は試合後の会見で「試合に出られる状況ではあったが、試合展開で今日の出番はなかった」と説明した が、8月6日のリーグ戦を最後に怪我のため戦列を離れた。10月11日に、吉田孝行監督は取材に対し「月末の試合で順調にいけば戻ってくる」と話し、シーズン中の復帰の見通しを明らかにした。10月29日に行われたJ1第33節の川崎フロンターレ戦後半29分に途中出場。8月6日のセレッソ大阪戦以来、約3ヶ月ぶりの出場となった。11月5日に行われたJ1第34節の横浜F・マリノス戦後のファイナルセレモニーで「目標としてきたことに対して、今シーズンは戦う事が出来なかった。その点に関しては選手含め全員に責任があると思っています。今年の経験は来シーズンに同じ過ちを犯さないために学んでいかなければいけない」とチームを代表して挨拶を行った。同日、永井秀樹SDより契約を残す2023年シーズンのクラブへの残留が明言された。
契約最終年となるシーズンは、足を痛めて2月からメンバー外が続いた。その期間中に妻の出産立会いで3月に一時帰国し、同月14日にチームに再合流した。3月26日に行われたルヴァンカップ第2節の横浜FC戦でシーズン初出場を果たした。しかし、昨シーズン終盤からのイニエスタ離脱中の戦術が確立されたこともあり、メンバー入りする試合でも出場機会が来ず、メンバーから外れることもあった。そうした中で5月に入り、一部メディアからクラブを退団するのではないかという報道もなされた。6月6日に国立競技場で古巣FCバルセロナとのクラブ親善試合を行うとの決定があり退団や現役引退など様々な噂がSNSで話題となった。5月25日、公式サイトよりイニエスタに関する会見が行われることが発表され、会見で7月1日開催のJ1第19節の北海道コンサドーレ札幌戦を最後にクラブを退団することを発表した。会見では「ずっとここで引退する姿を想像してきた。だが物事は希望通りいかないもの。まだまだプレーを続けたい思いはあります。数カ月間も激しいトレーニングを重ね、チームに貢献するための準備はできている感覚でやってきた。しかしそれぞれの歩む道が分かれ始め、監督の優先順位も違うところにあると感じ始めました。それが自分に与えられた現実であり、リスペクトをもって現実を受け入れた」「5年前、FCバルセロナをやめて、家族とともにわが家から遠く離れた地で新たな冒険を始めるという人生の中で最も重要な決断の一つをした。スペインの外での初めての生活。思い返すと大きな喜びと誇りが湧き上がる最高の決断だった」とコメントした。
神戸でのラストマッチとなった7月1日の北海道コンサドーレ札幌戦は、イニエスタ効果もありチケットは完売。満員のスタジアムでシーズン初スタメンで試合に出場。キャプテンマークを巻いて57分間プレーした。試合終了後に退団セレモニーが行われ、「私たちはまた日本に戻ってきますし、ここは自分たちにとって我が家のようなところです」と言葉を残してチームを離れた。
イニエスタ退団後の同年11月25日に神戸がリーグ初優勝を達成。試合後の優勝セレモニーでは、動画でお祝いメッセージを送った。
2023年8月9日、UAE1部のエミレーツ・クラブに移籍したことを発表した。背番号はFCバルセロナ・ヴィッセル神戸時代と同じ「8」。
2024月6月1日に行われた最終節アル・バテー戦で2-3の敗戦。未消化のアル・アイン戦を残しているものの、残留圏の12位ホール・ファカンを逆転することが不可能となり、エミレーツ・クラブは2部降格が決まった。イニエスタにとっては初の降格経験となった。
2026年6月1日、UAE2部のガルフ・ユナイテッドの監督に就任し指導者デビューを果たした。
2003-04シーズンは主にFWロナウジーニョの控えとしてリーグ戦11試合に出場し、4月10日のバジャドリード戦でラ・リーガ初ゴールを決めた。2004-05シーズンはリーグ戦38試合中37試合に出場したが、その大半は途中出場だった。2005-06シーズン前半戦は途中出場が中心だったが、2005年12月上旬にシャビが靭帯を痛めて長期離脱したため、イニエスタがその代役を任され、先発出場回数が増加したことでより高いレベルの選手へ成長した。監督、フランク・ライカールトの下でラ・リーガとUEFAチャンピオンズリーグの2冠達成に貢献した。
2006年8月22日のジョアン・ガンペール杯、バイエルン・ミュンヘン戦ではゲームキャプテンを任され、勝利してトロフィーを掲げた。UEFAチャンピオンズリーグ、レフスキ・ソフィア戦では今まで経験したことがなかった左ウイングのポジションで出場して2ゴールを決めた。決勝トーナメント1回戦のリヴァプール戦は普段通りセンターハーフとして出場したが、その後もしばしば3トップの一角としてプレーした。リーグ戦では自己最多タイの37試合に出場(28試合に先発出場)し、6得点3アシストを決めた。
2007年7月にはライバルのレアル・マドリードが移籍金として6000万ユーロの予算で彼の獲得を狙っていると噂されたが、「引退するまでFCバルセロナでプレーしたい」と述べて噂を一蹴した。同年夏にはASローマに移籍したFWリュドヴィク・ジュリが着けていた背番号8番を譲り受けた。2008年のFIFA最優秀選手賞の投票では37ポイントを獲得し、9位にランクインした。FCバルセロナの選手はFWリオネル・メッシ、FWサミュエル・エトー、シャビの3人も10位以内に入った。
ドン・バロン紙の選手採点では2006-07シーズンがリーグ5位、2007-08シーズンがリーグ4位 であり、この2シーズンを通じて最も安定した活躍を見せた選手であるとされた。
2008年9月24日、ロナウジーニョがACミランに移籍したことにより、DFカルレス・プジョル(第1キャプテン)、シャビ(第2キャプテン)、GKビクトル・バルデス(第3キャプテン)と一緒に新しいキャプテンの一人(第4キャプテン)に選ばれた。11月中旬に足を負傷し、完全に状態が回復するまで試合出場を控えたが、2009年1月3日のマジョルカ戦の後半途中に復帰し、その10分後にはカンプ・ノウの観客の前で重要な得点を決めて見せた。2009年2月5日、コパ・デル・レイのマヨルカ戦に出場し、公式戦を通じて250試合出場を達成した。ホームでのマラガ戦で再び負傷したが、UEFAチャンピオンズリーグ準々決勝、バイエルン・ミュンヘン戦第1戦で復帰し、4-0で快勝した。2009年5月6日、UEFAチャンピオンズリーグ準決勝、チェルシー戦第2戦では、後半ロスタイム3分過ぎにメッシからパスを受け、ペナルティエリア外からアウェーゴール差での勝ち抜けを決める重要な得点を叩き込んだ。バルセロナの枠内シュートはこの1本だけであった。決勝のマンチェスター・ユナイテッド戦ではエトーの先制点をアシストして優勝に貢献したが、試合前に腿を痛めていたにも関わらず無理を押して決勝に出場したことで怪我を悪化させた。この試合後には、ウェイン・ルーニーが「世界のベストプレーヤーはイニエスタ」と表現した。2008-09シーズンのプレーは高く評価され、カンプ・ノウのみならずアウェーゲームでスタンディング・オベーションを受けることもあった ほか、ドン・バロン紙の年間最優秀選手にも選ばれた。
2009年8月8日に親友であるダニエル・ハルケが急逝し、泣き崩れるほど悲しんだ。負傷の影響でプレシーズンのフィットネス・トレーニングには参加できず、頻発する怪我のためにシーズン前半戦は途中出場がほとんどだった。11月27日、クラブとの契約を1年延長して2015年までとし、契約解除金は1億5000万ユーロから2億ユーロに引き上げられた。FIFAクラブワールドカップ2009にも出場し準決勝のアトランテFC戦では相手DF2人の間を通す絶妙なスルーパスでペドロのゴールをアシストした。2009年のFIFA年間最優秀選手賞では134ポイントを獲得して5位に選ばれ、FIFAベストイレブンに選ばれた。同年のバロンドール投票では4位に選ばれた。チームは勝ち点99を獲得してリーグ優勝を果たしたが、練習中に怪我を再発させ、チームより一足早くシーズンを終えた。
2010-11シーズン開幕戦のエスタディオ・エル・サルディネーロでのラシン・サンタンデール戦で30mの距離からロングシュートを決めた。ラシン・サンタンデール戦とエスタディオ・ビセンテ・カルデロンでのアトレティコ・マドリード戦では、2010 FIFAワールドカップ決勝で優勝を決める得点をイニエスタが挙げたことに敬意を表し、アウェーファンから観客総立ちでの拍手を受けた。
2014-15シーズンはチーム内での役割の変化により、公式戦2ゴール、8アシストと個人成績では物足りないシーズンとなるも、変わらずチームの主力として活躍。チャンピオンズリーグ決勝のユヴェントス戦ではイヴァン・ラキティッチの先制点をアシストし、UEFAチャンピオンズリーグの決勝戦では最多となる3戦連続アシストを記録。決勝戦ではマン・オブ・ザ・マッチに選出され、これによってFIFAワールドカップ、UEFA欧州選手権と併せ、3つの国際大会の決勝でマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた史上初の選手となった。さらにチームはリーガ・エスパニョーラ、コパ・デル・レイ、チャンピオンズリーグの三冠を達成。チャンピオンズリーグの個人優勝回数はクラレンス・セードルフと並んで史上最多の4度目である。
2015-16シーズンはシャビの退団によりキャプテンに就任。2016年11月21日、レアル・マドリードとのエル・クラシコでは1ゴール1アシストを決めて敵地での4-0での大勝に貢献。交代時にはアウェーにも関わらず相手サポーターからスタンディングオベーションが贈られた。
2017年2月19日、リーガ・エスパニョーラ第23節のレガネス戦では通算400試合を達成した。バルセロナで400試合を達成したのはシャビに続いて史上2人目。
スペイン世代別代表に初めて選ばれたのは2001年で、同年のUEFA U-16欧州選手権と翌年のUEFA U-19欧州選手権で優勝を果たした。2003年にアラブ首長国連邦で行われたFIFAワールドユース選手権ではDFセルヒオ・ラモスやFWセルヒオ・ガルシアとともにプレーし、準優勝に貢献するとともにベストイレブンに選ばれた。U-21スペイン代表ではしばしばキャプテンも務めた。
2006年5月15日に発表された2006 FIFAワールドカップに出場するスペイン代表への選出は驚きをもって受け止められた。メンバー発表後の5月27日に行われたロシアとの親善試合の後半に途中出場してスペインA代表デビューを果たした。本大会では、グループリーグ突破が決まった後の3戦目のみに出場した。2006-07シーズンに代表のレギュラーポジションを獲得し、2007年2月7日、イングランド戦で63分に遠めの位置から放ったミドルシュートが代表初得点となった。
UEFA EURO 2008予選ではチームの中心的な役割を担い、シャビ、セスク・ファブレガス、MFダビド・シルバと組んだ中盤の4人はCuatro Jugones(クアトロ・フゴーネス、4人の創造者たち)とメディアに名づけられた。スウェーデン戦で1得点1アシストと大活躍し、アイスランド戦では終了間際にゴールを決めて本選出場の望みをつないだ。予選では主に中盤でプレーしたが、デンマーク戦に代表されるように左ウイングで起用されることもあった。
オーストリアとスイスで共催されたEURO本大会直前に食中毒を患って胃炎に悩まされ、グループリーグではコンディション不良からボールを失うこともたびたびあったが、控え選手にポジションは譲らなかった。グループリーグの初戦のスウェーデン戦と2戦目のロシア戦に出場し、ロシア戦ではFWダビド・ビジャの2点目をアシストする重要なパスを通した。3戦目のギリシャ戦は控え選手主体でチームを組んだため、イニエスタは出場しなかった。準々決勝のイタリア戦はPK戦の末に勝利したが、イニエスタはその前にベンチに下がっており、PKを蹴ることはなかった。準決勝のロシア戦にはフル出場し、決勝点を決めたシャビに質の高いクロスを放ち、技術委員会によるマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた。決勝のドイツ戦もフル出場し、1-0で勝利して44年ぶりの優勝を果たした。同じ中盤のシャビやMFマルコス・セナなど6人のチームメイトとともに大会ベストイレブンに選定された。
2009年のFIFAコンフェデレーションズカップ2009は腿の筋肉の負傷により出場を逃した。2010 FIFAワールドカップ欧州予選には6試合しか出場していないが、2009年10月10日のアルメニア戦で復帰し、2010年5月、2010 FIFAワールドカップ本大会に出場する23人に選ばれた。大会前の親善試合ポーランド戦では自ら交代を申し出たため足首の状態が心配されたが、グループリーグ第1戦のスイス戦には先発出場した。3戦目のチリ戦ではこの大会の節目となる100ゴール目を決め、マン・オブ・ザ・マッチに選出された。決勝のオランダ戦は0-0で延長戦に突入したが、延長後半11分に決勝ゴールを挙げ、ゴール後にはユニフォームを脱いでアンダーウェアに手書きした"DANI JARQUE SIEMPRE CON NOSOTROS"(ダニ・ハルケ、いつも僕らとともに)というメッセージを晒して(この行為は規定によりこの行為後にイエローカードを受けている)、2009年8月に心筋梗塞で急死した親友ダニエル・ハルケに優勝を捧げた。このアンダーウェアは同年11月にRCDエスパニョールの本拠地エスタディオ・コルネリャ=エル・プラットに寄贈された。イニエスタはこのアンダーウェアが寄贈される際に「このシャツはここにあるべきものだ。あの得点と共に、ハルケも人々の心に残り続けるだろう」と語った。 決勝のマン・オブ・ザ・マッチに選ばれ、スペインは初優勝を果たした。また大会の最優秀選手賞にノミネートされた。
ウクライナとポーランドで開催された第14回目のUEFA欧州選手権でもチームの主力として活躍。イタリアとの決勝を含む3試合でマン・オブ・ザマッチに選ばれる活躍を見せ、スペイン代表を2大会連続3回目の優勝に導いた。大会MVPに輝き、「この規格外の世代の一員でいられることを誇りに思う。トリプル制覇という歴史的な記録を達成できたことが僕にとって最高の栄誉だ」と述べた。
スペイン代表は決勝でブラジルに敗れ準優勝に終わるものの、イニエスタはシルバーボールを獲得した。
この大会でもグループリーグ全3試合にスタメンとして出場したが、チームは第一戦(対オランダ 1-5)、第二戦(対チリ 0-2)と敗戦。第三戦(対オーストリア 3-0)を待たずして早々に敗退が決まった。まさかのグループリーグ敗退であり、母国メディアや母国ファンから痛烈な批判が寄せられた。イニエスタはメディアによるスタメン選手評価で星一つを獲得、残りの10人は評価不能という散々なものであった。
グループリーグ第一戦のチェコ戦でピケのゴールをアシストし、勝利に貢献。第三戦、クロアチアに敗れるもののグループリーグ2位で決勝トーナメントへ駒を進めた。しかしラウンド16で前回大会で4-0と勝利していたイタリアと対戦するも敗戦(0-2)、史上初のEURO3連覇はならなかった。
2018 FIFAワールドカップでもグループリーグ3試合で先発出場したが、スペイン国内からは低調なパフォーマンスとの批判の声もあり、決勝トーナメント1回戦のロシア戦では先発から外れた。後半22分から途中出場したロシア戦にPK戦で敗れた試合後に代表引退を発表した。
ジョゼップ・グアルディオラ、イバン・デ・ラ・ペーニャ、シャビ・エルナンデスなど他のFCバルセロナ出身選手のように、創造性豊かなパス能力を持ち、洞察力、卓越したボールコントロール技術、プレーの流れを読む能力に優れている。
ラ・マシアの監督であったアルベルト・ベナイジェスは「彼はサッカー選手に必要なセンスの全てを兼ね備えている。特に優れているのは考えるスピード。また、ドリブルしながら相手をかわすことにかけては世界一だと思う。身体の接触があるプレーは基本的にダメだよ」と語った。元スペイン代表監督のビセンテ・デル・ボスケは「完璧な選手だ。攻撃も守備もでき、得点することだってできる」と表現している。FCバルセロナで彼を指導した経験のあるフランク・ライカールトは、「私は彼をウイング、セントラル・ミッドフィールダー、守備的ミッドフィールダー、ストライカーのすぐ後ろでプレーさせたことがあるが、どこでプレーさせても並はずれていた」と語っている。
スポーツライターの西部謙司は、「シンプルな最適解を叩き出せる達人」「(一つ一つのプレーにおいて)無理も無駄もない」「その判断や一挙手一投がサッカーと矛盾しない」ことから、「イニエスタはフットボールそのものである」と述べている。
遠藤保仁は「イニエスタのプレーについて感じるのは、攻撃に関わるプレーの質の高さですね。もちろん、パスの精度は言うまでもない。ボールをもらうときのタイミングとか、受ける場所とか、常に次のプレーをしやすいように考えてます。」「あとは動き出しの質が高い。僕とは違うタイプのパサーですが、見ていて感じるのは、次の人がプレーしやすいパスを出しています。スルーパスのアイディアもさまざま。時には敵だけでなく、味方でさえだまされます。パスの能力は、本当に高い。バルセロナの考え方をプレーで体現してきた選手ですから。」「パスだけでなく、ドリブルという選択肢を持っているのも強み。ドリブルでも緩急をつけてきます。パスばかり注目されがちですが、ゴールに至る過程の中でいろいろなプレーができる。」「パサーがあのようなドリブルを持っているメリットは、相手のプレスを一度はがせること。あのドリブルがあることで相手は後手に回るし、そのプレーで更に多くのスペースが生まれます。ドリブルで一人はがせる選手がいると、チームにとっては大きいんですよ。」と語る。
中村憲剛は「一番見てほしいプレーはトラップですね。ボールを止める技術。パススピードもすごいけれど、彼がボールを止めて蹴るだけで、ゲームのリズムやサッカーの質が上がるんです」「イニエスタのトラップというのは走っていて、そのまま足にくっついているかのよう。トラップをするので走っているのではなく、ボールがイニエスタのほうにくっついてくる。だからトップスピードのまま、ボールを扱えているのでしょうね。減速もしないし、慌てないから加速もしない。本当に無駄がないし、ボールと体が一体化されている」「もしかしたら、あのトラップはどんなプレーよりも体得するのが難しい技術かもしれないですね。彼の真骨頂だと思います。」「あとは攻撃の緩急のつけ方、メリハリですね。崩しにいくときと、いかないときの判断の仕方もそう。いかないときの判断の仕方もそう。いくと決めたときのゴール前への入り方や、崩しのアイディアのところ。自分だけではなく、味方を使ったり、人と絡んだりしながら入っていくセンスは抜群です。パスを出して動くとか、出して寄るとか、それでワンタッチ、ツータッチで崩していく。」と語る。
柏木陽介は「一番すごいと思うのは、トラップの置きどころが良いことです。自分がやりたい次のプレーをするための最適な場所に、常にボールを置くことができる選手だと感じます。」『相手とマッチアップしたとき、抜き去るドリブルに一瞬の速さがある。相手をかわすタイミングが速いから、トラップと同時にボールを持ち出して、「ここに行きたい」というスペースに入り込めます。あの速さは相当なレベルだし、相手との駆け引きのうまさも感じます。」「イニエスタは周りを見ていないようで、しっかり見えていて、味方に正確なパスを出せる。空間認知能力が優れているんだと思います。」と語る。
一次情報の発言のみ収録。1回の会見につき主要な発言を最大3つ引用し、他は解説で要約しています。
「監督になり、出だしの段階でとても気に入っている」
「(特定の監督をモデルにするのではなく)自分がどこにいるか、どんな選手たちを抱えているかによる。最終的にどのシステムにするのかは選手だから。」
「スタートするのは3-4-3と5-2-3。相手やチームの状態も関係する。」
出典:Yahoo!ニュース 2026年10月5日
「(イニエスタは)ほとんどボールを見ない。常に情報を入れられているので、人が動いたところにパスを出せる。」
「サッカーは瞬間、瞬間で変わる情報を、どのタイミングで首を振って得られるかが大事になるけど、(イニエスタは)常に見えている」
「(パスが)少し浮いてしまっても、その浮いたのを逆に利用してプレーしていた」
出典:Yahoo!ニュース 2026年10月2日
数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。
| クラブ | シーズン | 年齢 | ディビジョン | リーグ | 国内カップ1 | リーグカップ2 | 大陸大会3 | その他4 | シーズン通算 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 2000-01 | 16 | セグンダ・ディビシオンB | 10 | 0 | — | — | — | — | — | — | — | — | 10 | 0 | |
| 2001-02 | 17 | セグンダ・ディビシオンB | 25 | 2 | — | — | — | — | — | — | 5 | 0 | 30 | 2 | |
| 2002-03 | 18 | セグンダ・ディビシオンB | 14 | 3 | — | — | — | — | — | — | — | — | 14 | 3 | |
| 通算 | 49 | 5 | — | — | — | — | — | — | 5 | 0 | 54 | 5 | |||
| 2002-03 | 18 | ラ・リーガ | 6 | 0 | 0 | 0 | — | — | 3 | 0 | — | — | 9 | 0 | |
| 2003-04 | 19 | ラ・リーガ | 11 | 1 | 3 | 1 | — | — | 3 | 0 | — | — | 17 | 2 | |
| 2004-05 | 20 | ラ・リーガ | 37 | 2 | 1 | 0 | — | — | 8 | 0 | — | — | 46 | 2 | |
| 2005-06 | 21 | ラ・リーガ | 33 | 0 | 4 | 0 | — | — | 11 | 1 | 1 | 0 | 49 | 1 | |
| 2006-07 | 22 | ラ・リーガ | 37 | 6 | 6 | 1 | — | — | 8 | 2 | 5 | 0 | 56 | 9 | |
| 2007-08 | 23 | ラ・リーガ | 31 | 3 | 7 | 0 | — | — | 11 | 1 | — | — | 49 | 4 | |
| 2008-09 | 24 | ラ・リーガ | 26 | 4 | 6 | 0 | — | — | 11 | 1 | — | — | 43 | 5 | |
| 2009-10 | 25 | ラ・リーガ | 29 | 1 | 3 | 0 | — | — | 9 | 0 | 1 | 0 | 42 | 1 | |
| 2010-11 | 26 | ラ・リーガ | 34 | 8 | 5 | 0 | — | — | 10 | 1 | 1 | 0 | 50 | 9 | |
| 2011-12 | 27 | ラ・リーガ | 27 | 2 | 6 | 2 | — | — | 8 | 3 | 5 | 1 | 46 | 8 | |
| 2012-13 | 28 | ラ・リーガ | 31 | 3 | 5 | 2 | — | — | 10 | 1 | 2 | 0 | 48 | 6 | |
| 2013-14 | 29 | ラ・リーガ | 35 | 3 | 6 | 0 | — | — | 9 | 0 | 2 | 0 | 52 | 3 | |
| 2014-15 | 30 | ラ・リーガ | 24 | 0 | 7 | 3 | — | — | 11 | 0 | — | — | 42 | 3 | |
| 2015-16 | 31 | ラ・リーガ | 28 | 1 | 4 | 0 | — | — | 7 | 0 | 5 | 0 | 44 | 1 | |
| 2016-17 | 32 | ラ・リーガ | 23 | 0 | 5 | 0 | — | — | 8 | 1 | 1 | 0 | 37 | 1 | |
| 2017-18 | 33 | ラ・リーガ | 30 | 1 | 5 | 1 | — | — | 8 | 0 | 1 | 0 | 44 | 2 | |
| 通算 | 442 | 35 | 73 | 10 | — | — | 135 | 11 | 24 | 1 | 674 | 57 | |||
| 2018 | 33 | J1リーグ | 14 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | — | — | — | — | 15 | 3 | |
| 2019 | 34 | J1リーグ | 23 | 6 | 2 | 1 | 0 | 0 | — | — | — | — | 25 | 7 | |
| 2020 | 35 | J1リーグ | 26 | 4 | 0 | 0 | 1 | 0 | 6 | 2 | 1 | 0 | 34 | 6 | |
| 2021 | 36 | J1リーグ | 23 | 6 | 0 | 0 | 4 | 1 | — | — | — | — | 27 | 7 | |
| 2022 | 37 | J1リーグ | 24 | 2 | 1 | 0 | 1 | 0 | 1 | 1 | — | — | 27 | 3 | |
| 2023 | 38 | J1リーグ | 4 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | — | — | — | — | 6 | 0 | |
| 通算 | 114 | 21 | 4 | 1 | 8 | 1 | 7 | 3 | 1 | 0 | 134 | 26 | |||
| エミレーツ | 2023-24 | 39 | UAEプロリーグ | 20 | 5 | 1 | 0 | 2 | 0 | — | — | — | — | 23 | 5 |
| キャリア通算 | 625 | 66 | 78 | 11 | 10 | 1 | 142 | 14 | 30 | 1 | 885 | 93 | |||
1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. リーグカップ(EFLカップ、JリーグYBCルヴァンカップなど) 3. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 4. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
スペイン としての年別成績です。親善試合を含みます。
| 年 | 年齢 | 出場 | 得点 | 得点グラフ |
|---|---|---|---|---|
| 2006 | 21 | 8 | 0 | |
| 2007 | 22 | 12 | 4 | |
| 2008 | 23 | 14 | 1 | |
| 2009 | 24 | 5 | 0 | |
| 2010 | 25 | 15 | 3 | |
| 2011 | 26 | 9 | 1 | |
| 2012 | 27 | 14 | 1 | |
| 2013 | 28 | 17 | 0 | |
| 2014 | 29 | 8 | 1 | |
| 2015 | 30 | 5 | 1 | |
| 2016 | 31 | 8 | 0 | |
| 2017 | 32 | 8 | 1 | |
| 2018 | 33 | 8 | 0 | |
| 通算 | 131 | 13 | ||
年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1994〜1996 | 9 | |
| 1996〜2002 | 11 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 期間 | 年齢 | チーム | 出場 | 得点 |
|---|---|---|---|---|
| 1996〜2002 | 11 | — | — | |
| 2002〜2018 | 17 | 232 | 18 | |
| 2018〜2023 | 33 | 110 | 21 | |
| 2023〜2024 | 38 | エミレーツ | — | — |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は国内リーグ戦の合計で、カップ戦・大陸大会を含む内訳は「個人成績」の表にあります。
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 2000 | 15 | スペイン U-15 |
| 2000〜2001 | 15 | |
| 2001 | 16 | |
| 2001〜2002 | 16 | |
| 2003 | 18 | |
| 2003〜2006 | 18 | |
| 2004〜2005 | 19 | |
| 2006〜2018 | 21 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 在任 | 年齢 | チーム | 役職 |
|---|---|---|---|
| 2026〜 | 41 | 監督 |
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1996 | 11 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 2002 | 17 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 2018-07 | 34 | フリー移籍 | — | |||
| 2023-08 | 39 | エミレーツ | フリー移籍 | — |
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
日本語版 Wikipedia(経歴)・API-Football(移籍データ)。移籍の有無と移籍先は日本語版 Wikipedia の情報欄、日付・形態・移籍金は API-Football の掲載値。億円換算は ECB レート(2026-10-21 時点)
所属履歴と出場記録から機械的に算出しています。個人の交友関係についての評価は含みません。
同じクラブ・同じシーズンに両者とも出場記録がある選手を、シーズン数の多い順に並べています。取得元(API-Football)のシーズン名簿は 2010-11 シーズン以降しか無いため、それ以前に一緒にプレーしたシーズンは数に入りません。
| 選手 | クラブ | 期間 | シーズン | |
|---|---|---|---|---|
| セルジ・サンペール | 2014〜2023 | 10 | ||
| リオネル・メッシ | 2010〜2018 | 9 | ||
| セルジ・ロベルト | 2010〜2018 | 9 | ||
| セルヒオ・ブスケツ | 2010〜2018 | 9 | ||
| ジョルディ・アルバ | 2012〜2018 | 7 | ||
| ハファエウ・アルカンタラ・ド・ナシメント | 2011〜2018 | 7 | ||
| トーマス・フェルマーレン | 2014〜2021 | 7 | ||
| アドリアーノ・レイテ・リベイロ | 2010〜2015 | 6 | ||
| ダニ・アウヴェス | 2010〜2015 | 6 | ||
| マルク・バルトラ | 2010〜2015 | 6 | ||
| ペドロ・ロドリゲス・レデスマ | 2010〜2015 | 6 | ||
| ホルヘ・サンパオリ | 2014〜2018 | 5 | ||
| マルティン・モントヤ | 2010〜2014 | 5 | ||
| ネイマール | 2013〜2017 | 5 | ||
| シャビ・エルナンデス | 2010〜2014 | 5 | ||
| カルレス・プジョル | 2010〜2013 | 4 | ||
| ダビド・ビジャ | 2010〜2019 | 4 | ||
| ホセ・マヌエル・ピント・コロラド | 2010〜2013 | 4 | ||
| フランシスコ・アルカセル | 2016〜2023 | 4 | ||
| ビクトール・バルデス | 2010〜2013 | 4 |
本人の在籍期間と監督の在任期間の重なりから算出しています。取得元(API-Football)に在任期間の登録がある監督だけが対象で、古い年代の監督は登録が無いため出ていません。
| 監督 | クラブ・代表 | 在任 |
|---|---|---|
| ウド・ラテック | — | |
| セサル・ルイス・メノッティ | — | |
| ルイス・アラゴネス | 2004〜2008 | |
| ペップ・グアルディオラ | 2008年7月〜2012年6月 | |
| ビセンテ・デル・ボスケ | 2008年7月〜2016年7月 | |
| ヘラルド・マルティーノ | 2013年7月〜2014年5月 | |
| 林健太郎 | 2018年9月〜2018年9月 | |
| 吉田孝行 | 2022年6月〜 | |
| ルイス・デ・ラ・フエンテ | 2023年1月〜 |
日本語名を確認できない監督 15 人は掲載していません。
英語の記録名しか確認できないもの(21件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
代表チームで獲得したメダルです(金3・銀2)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。
| FIFAワールドカップ | 金 2010 南アフリカ |
|---|---|
| UEFA欧州選手権 | 金 2008 オーストリア・スイス金 2012 ポーランド・ウクライナ |
| FIFAコンフェデレーションズカップ | 銀 2013 ブラジル |
| FIFA U-20ワールドカップ | 銀 2003 |
出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。
英語の記録名しか確認できないもの(2件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「アンドレス・イニエスタ」(版 111009709)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
※ 出典は媒体名・日付・URL を文字で記載しています(外部サイトへのリンクは行いません)。出典が確認できない数値はページに載せません。
掲載写真は Wikidata API および Wikimedia Commons API を通じて、ライセンス(CC BY-SA / パブリックドメイン等)と作者表示の要件を確認したうえで掲載します。