エミリオ・ブトラゲーニョ

SOCCERPEDIA / 選手ページ / スペイン王国のサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日


概要

スペインエミリオ・ブトラゲーニョ(Emilio Butragueño、1963年7月22日生)は、マドリード出身の元サッカー選手。ポジションはFW。クラブでは公式戦通算633試合239得点(1981-82 シーズン以降)。クラブ・代表で通算19個のタイトルを獲得、個人賞は9回(ブラボー賞 2回)。

エミリオ・ブトラゲーニョ・サントス(、 1963年7月22日 - )は、スペイン・マドリード州マドリード出身のサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。元スペイン代表。現在はレアル・マドリードの役員を務める。

愛称は「エル・ブイトレ」(ハゲワシの意)で、1980年代後半のキンタ・デル・ブイトレと呼ばれたレアル・マドリードの黄金期の中心人物であり、2004年にはFIFAとペレが選ぶ「偉大なサッカー選手100人」であるFIFA100にも選ばれた。

クラブ経歴

クラブ経歴

1963年7月22日に、スペインの首都マドリードで生まれる。幼少期は、両親が経営する香水店の手伝いをしながら、週末には家族や友人とサッカーを楽しんでいる程度であった。

15歳の頃、学校のサッカーで活躍したことをきっかけにアトレティコ・マドリードのトライアルを受けることを勧められる。アトレティコ・マドリードとの契約をする直前、レアル・マドリードのジュニアチームの監督をしていた家族の友人に、テストをするため結論を伸ばすよう説得された。そして、テストの結果レアル・マドリードと練習生の契約を結んだ。その後、練習試合をたまたま見に来ていたルイス・モロウニーは、リカルド・ガジェゴを探しだして「前線でプレーしているあの変な選手は誰だ?どこで見つけてきたんだ?彼は天才だよ」と叫んだという。

1980年にレアル・マドリードとアマチュア契約を交わす。その翌シーズンからはカスティージャCFでプレーするようになり、1983-84シーズンには2部リーグ優勝を経験する。そのシーズンにブトラゲーニョはリーグ21得点を記録し、ヘセ・ロドリゲスが2012-13シーズンに22得点を挙げて更新するまでカスティージャにおけるリーグ最多得点となった。その後、アルフレッド・ディ・ステファノによって1984-85シーズンにカディスCF戦でトップチームデビューを飾る。2-0でリードを許した状態でサンティリャーナとの交代で後半から出場したブトラゲーニョは、デビュー戦で2ゴール1アシストを記録しチームの逆転勝利に貢献した。キンタ・デル・ブイトレの5人の中では、マヌエル・サンチス・オンティジュエロ、マルティン・バスケス、ミゲル・パルデサに次いで4番目のデビューであった。1984-85シーズン、UEFAカップ、ラウンド16のRSCアンデルレヒト戦でプロ初のハットトリックを決め、リーグ第30節のレアル・ムルシア戦でリーグ戦での初ハットトリックを決めた。1985年からは加入したウーゴ・サンチェス強力なツートップを形成、キンタ・デル・ブイトレの中心としてリーガ5連覇など数々のタイトル獲得に貢献。個人としても1985年、1986年と2年連続でブラヴォー賞に選ばれた。黄金期の一角を担うとともに1985年、1986年と2年連続で1位こそ逃したものの、バロンドール投票で3位を獲得した。

レアル・マドリードではフアニートが出場している試合は背番号8番などを着用していたが、フアニートの移籍後は背番号7番を継ぎ、その後フアニートと並ぶ背番号7のアイコンの一人となった。

1990-91シーズンには19得点を挙げてリーガ得点王を獲得した。1992-93シーズンのコパ・デルレイ決勝のレアル・サラゴサ戦では決勝ゴールを挙げて優勝を果たした。

1994-95シーズン途中、17歳でデビューを飾ったラウル・ゴンサレスにポジションを奪われる形となり、1995年は8試合にしか出場できずラシン・サンタンデール戦で挙げた1ゴールに止まった。その年の6月15日、エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウで行われたASローマとの親善試合を最後にレアル・マドリードを去った。レアル・マドリードでは通算462試合171ゴールの成績を残した

その後はメキシコのアトレティコ・セラヤへと移籍、3年間プレーした後、1998年に現役を引退した。

現役引退後は古巣レアル・マドリードにフロント入りし、かつてのチームメイトであるホルヘ・バルダーノの後任としてスポーツディレクターに就任し強化担当を務めていたが、2006年に会長の交代により退団した。2009年にフロレンティーノ・ペレスが会長に復帰したことによりブトラゲーニョも再び役員に復帰、現在はクラブの渉外ディレクター兼レアル・マドリード・ウニベルシダ・エウロペア大学スクールのゼネラルマネージャー職にある。

代表経歴

代表経歴

1984年のヨーロッパ選手権で代表入りしたが、出場機会は無く、10月17日のウェールズ戦で代表デビューを果たした。1986年のメキシコW杯では北アイルランド戦で1得点、デンマーク戦では4得点を挙げるなど活躍を見せた。ワールドカップでの1試合4得点は、イングランドW杯の準々決勝にてエウゼビオが北朝鮮代表を相手に決めて以来の快挙である。最終的に5得点を記録しディエゴ・マラドーナ、カレカらと並んでシルバーボールに輝いた。1988年のヨーロッパ選手権にも出場、大会後からは主将を務めた。

1990年イタリアW杯にも主将として出場。1992年11月18日のアメリカW杯大会予選、アイルランド戦を最後に代表には招集されなかった。通算69試合26ゴールの成績を残した。

個人成績

数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。

クラブ

クラブシーズン年齢ディビジョンリーグ国内カップ1リーグカップ2大陸大会3その他4シーズン通算
出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点
カスティージャCF1981-8218セグンダ・ディビシオン630000————63
1982-8319セグンダ・ディビシオン38134030————4513
1983-8420セグンダ・ディビシオン212110300————3124
通算65371433000438240
スペインレアル・マドリード1983-8420ラ・リーガ1040022————126
1984-8521ラ・リーガ29100020114——4214
1985-8622ラ・リーガ31106200122——4914
1986-8723ラ・リーガ351133——75——4519
1987-8824ラ・リーガ321230——82——4314
1988-8925ラ・リーガ331552——84214822
1989-9026ラ・リーガ321062——22——4014
1990-9127ラ・リーガ351920——44224325
1991-9228ラ・リーガ351464——91——5019
1992-9329ラ・リーガ34931——61——4311
1993-9430ラ・リーガ27821——42——3311
1994-9531ラ・リーガ8100——40——121
通算341123361542752743460170
メキシコアトレティコ・セラヤ1995-9632リーガMX3417————————3417
1996-9733リーガMX262————————262
1997-9834リーガMX3110————————3110
通算9129————————9129
キャリア通算497189501872752743633239

1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. リーグカップ(EFLカップ、JリーグYBCルヴァンカップなど) 3. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 4. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

所属チーム

ユース

期間年齢チーム
1981〜198217スペインレアル・マドリード

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

クラブ

期間年齢チーム
1982〜198418スペインカスティージャCF
1984〜199520スペインレアル・マドリード
1995〜199831メキシコアトレティコ・セラヤ

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

代表

期間年齢チーム
1983〜198419スペイン U-21
1984〜199420スペインスペイン

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
199531スペインレアル・マドリードメキシコアトレティコ・セラヤ移籍—形態・移籍金は未確認

※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認

タイトル

クラブ

レアル・マドリード・カスティージャ

レアル・マドリード

代表

スペイン代表

個人

英語の記録名しか確認できないもの(6件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

獲得メダル

代表チームで獲得したメダルです(銀1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。

UEFA欧州選手権銀 1984 フランス

出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「エミリオ・ブトラゲーニョ」(版 110749892)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. Wikidata、2026年10月26日 取得 https://www.wikidata.org/
  2. Wikipedia(日本語版)「エミリオ・ブトラゲーニョ」、版 ID 110749892、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%A7
  3. Wikipedia(英語版)、版 ID 1361950583、2026年10月14日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Emilio_Butrague%C3%B1o

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