エウゼビオ

SOCCERPEDIA / 選手ページ / ポルトガルのサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日


概要

ポルトガルエウゼビオ(Eusébio、1942年1月25日 - 2014年1月5日)は、マプト出身の元サッカー選手。ポジションはFW。ポルトガルでは1961年から通算64試合41得点を記録している。クラブでは公式戦通算577試合582得点(1957 シーズン以降)。クラブ・代表で通算35個のタイトルを獲得、個人賞は58回(バロンドール 11回、FIFA選抜(FIFA XI) 2回)。

エウゼビオ・ダ・シルヴァ・フェレイラ(、1942年1月25日 - 2014年1月5日)は、ポルトガル領東アフリカ(現:モザンビーク)のロウレンソ・マルケス(現:マプト)出身のサッカー選手。ポジションはFW。1965年度、バロンドール受賞。

現役当時、日本のマスコミ等では「オイセビオ」と表記されていた。これは当時の日本代表コーチのデットマール・クラマーがスペルの「Eusébio」をドイツ語読みで「オイセビオ」と読んだのが由来とされる。SLベンフィカはエウゼビオの功績を称え、毎年夏にエウゼビオ・カップという親善大会を開催している。

クラブ経歴

経歴

1942年、ポルトガル領東アフリカ (現:モザンビーク) で生まれ、1957-60年までロウレンソ・マルケス(現:マプト)にあるスポルティング・ロウレンソ・マルケスに所属。1960年、ジョゼ・カルロス・バウエルに見出され、SLベンフィカのスカウトによってにポルトガルへ連れて来られ、直後に契約。ベンフィカでのデビュー戦はペレ擁するサントスFCとの試合だったが、いきなりハットトリックを達成した。

ベンフィカ在籍中の15シーズンでリーグ優勝10回、カップ優勝5回、得点王7回(1963-64、64-65、65-66、66-67、67-68、69-70、72-73)、ゴールデンブーツを1969-70(42得点)、72-73(40得点)の2度獲得、UEFAチャンピオンズカップ(UEFAチャンピオンズリーグは除く)での48得点は、アルフレッド・ディ・ステファノに次いで2番目の得点数となっている。1965年にはバロンドールも受賞した。

1962年のUEFAチャンピオンズカップ決勝でベンフィカは、エウゼビオの挙げた2得点を含む5点を記録し、5-3でレアル・マドリードを下して優勝した。翌年のUEFAチャンピオンズカップでもベンフィカは決勝まで勝ち進み、エウゼビオは前半18分に先制点を決めるも、後半にジョゼ・アルタフィーニが2得点を挙げて最終的に1-2でACミランの前に敗れた。

1961年10月8日にはルクセンブルク戦でポルトガル代表デビューを果たす。1966年イングランドワールドカップ準々決勝・北朝鮮戦ではサッカー史に残る驚愕のプレーをやってのける。前半24分までに0-3とリードされるが前半27分、42分に得点を決め、後半56分に同点ゴール、直後の59分にはPKを決め1人で4連続得点を叩き出し試合をひっくり返してしまった。試合は更に1点を追加したポルトガルが5-3で大逆転勝利を収めた。最終順位は3位、自身も6試合出場9得点で得点王になった。

1975年のロードアイランド・オーシャニアーズ(USA)への移籍を皮切りに北アメリカのクラブを渡り歩き、1978年に現役を引退した。

2014年1月5日、心不全のため死去。エウゼビオの死に、ポルトガルサッカー界だけでなくアニーバル・カヴァコ・シルヴァ大統領やペドロ・パッソス・コエーリョ首相らも追悼のコメントを残した。

代表経歴

代表での出場記録とメダルから組み立てた説明です。

1961年にポルトガルでの出場記録が始まり、1973年までに通算64試合41得点を記録した。

代表で獲得したメダルはFIFAワールドカップ銅(1966 イングランド)。

人物像

人物

黒豹(The Black Panther)または黒い真珠(The Black Pearl)の愛称で呼ばれた1960年代から1970年代を代表するフォワード。同時代にプレーしたペレとも並び称された選手で、現役通算727試合に出場し715得点を記録した。ポルトガル代表通算64試合41得点。2005年にペドロ・パウレタに抜かれるまで代表最多得点記録だった。また、国際サッカー歴史統計連盟(IFFHS)には20世紀で最も偉大な選手の9位に選ばれるなど、最も偉大なサッカー選手の1人とみなされている。

陸上のスプリントでも通用すると言われるほどの爆発的な加速力を誇り、屈強で柔軟な身体から放たれる強烈なシュートでゴールを量産した。シュートの際、軸足をボールの前に大きく踏み出すエウゼビオのシュートフォームは釜本邦茂に強い影響を与えた。

人格的にも非常に優れた人物で、試合終了後には相手選手を称える事を忘れず、他の選手からも愛された選手であった。

個人成績

数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。

クラブ

クラブシーズン年齢ディビジョンリーグ国内カップ1大陸大会2その他3シーズン通算
出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点
スポルティング・ロウレンソ・マルケス195715モサンボラ49——————49
195816モサンボラ711——————711
195917モサンボラ1121——————1121
196018モサンボラ2036——————2036
通算4277——————4277
ポルトガルベンフィカ1960-6118プリメイラ・ディヴィザン111100——22
1961-6219プリメイラ・ディヴィザン171271165113129
1962-6320プリメイラ・ディヴィザン24236876213938
1963-6421プリメイラ・ディヴィザン192861434——2846
1964-6522プリメイラ・ディヴィザン202871199——3648
1965-6623プリメイラ・ディヴィザン23252557——3037
1966-6724プリメイラ・ディヴィザン26313744——3342
1967-6825プリメイラ・ディヴィザン24422296——3550
1968-6926プリメイラ・ディヴィザン211091851——3529
1969-7027プリメイラ・ディヴィザン22212144——2826
1970-7128プリメイラ・ディヴィザン22197937——3235
1971-7229プリメイラ・ディヴィザン24195881——3728
1972-7330プリメイラ・ディヴィザン28401042——3342
1973-7431プリメイラ・ディヴィザン21163241——2819
1974-7532プリメイラ・ディヴィザン920040——132
通算3013176197755732440473
アメリカボストン・ミニットメン197533北米サッカーリーグ72————1082
メキシコモンテレイ1975-7633リーガMX101——————101
カナダトロント・メトロス・クロアチア197634北米サッカーリーグ2116————422518
ポルトガルベイラ・マル1976-7734プリメイラ・ディヴィザン123——————123
アメリカラスベガス・クイックシルバー197735北米サッカーリーグ172——————172
ポルトガルウニオン・トマール1977-78—セグンダ・ディヴィザン93——————93
アメリカニュージャージー・アメリカンズ197836アメリカン・サッカーリーグ92——————92
197937アメリカン・サッカーリーグ——————————
通算92——————92
バッファロー・ステイリオンズ1979-8037メジャー・インドア・サッカーリーグ51——————51
キャリア通算4334246197755784577582

1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 3. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

代表

ポルトガル としての年別成績です。親善試合を含みます。

年年齢出場得点得点グラフ
19611821
19621952
19632010
19642164
19652277
1966231212
19672463
19682521
19692642
19702710
19712852
19722994
19733043
通算6441

年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

所属チーム

ユース

期間年齢チーム
——モザンビークスポルティング・ロウレンソ・マルケス

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

クラブ

期間年齢チーム
1957〜196014モザンビークスポルティング・ロウレンソ・マルケス
1961〜197518ポルトガルベンフィカ
197532アメリカボストン・ミニットメン
197532メキシコモンテレイ
1975〜197632カナダトロント・メトロス・クロアチア
197633ポルトガルベイラ・マル
1976〜197733アメリカラスベガス・クイックシルバー
1977〜197834ポルトガルウニオン・トマール
1978〜197935アメリカニュージャージー・アメリカンズ
1979〜198036アメリカバッファロー・ステイリオンズ

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

代表

期間年齢チーム
1961〜197318ポルトガルポルトガル

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
196119スポルティング・ロウレンソ・マルケスポルトガルベンフィカ移籍—形態・移籍金は未確認
197533ポルトガルベンフィカアメリカボストン・ミニットメン移籍—形態・移籍金は未確認
197533アメリカボストン・ミニットメンメキシコモンテレイ移籍—形態・移籍金は未確認
197533メキシコモンテレイカナダトロント・メトロス・クロアチア移籍—形態・移籍金は未確認
197634カナダトロント・メトロス・クロアチアポルトガルベイラ・マル移籍—形態・移籍金は未確認
197634ポルトガルベイラ・マルアメリカラスベガス・クイックシルバー移籍—形態・移籍金は未確認
197735アメリカラスベガス・クイックシルバーポルトガルウニオン・トマール移籍—形態・移籍金は未確認
197836ポルトガルウニオン・トマールアメリカニュージャージー・アメリカンズ移籍—形態・移籍金は未確認
197937アメリカニュージャージー・アメリカンズバッファロー・ステイリオンズ移籍—形態・移籍金は未確認

※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認

タイトル

クラブ

ベンフィカ

トロント・メトロス・クロアチア

個人

英語の記録名しか確認できないもの(29件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

獲得メダル

代表チームで獲得したメダルです(銅1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。

FIFAワールドカップ銅 1966 イングランド

出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「エウゼビオ」(版 110056029)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. Wikidata、2026年10月26日 取得 https://www.wikidata.org/
  2. Wikipedia(日本語版)「エウゼビオ」、版 ID 110056029、2026年9月17日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A6%E3%82%BC%E3%83%93%E3%82%AA
  3. Wikipedia(英語版)、版 ID 1379903996、2026年10月19日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Eus%C3%A9bio

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