「失点するまでの前半はそんなに悪くなかった」
「強度が下がるということは言い訳にならないと思うし、やっぱりみんなでもう一度やっていかなきゃいけない」
「強度を保てない」
出典:FOOTBALL ZONE 2026年10月24日
SOCCERPEDIA / 監督ページ / 日本のサッカー監督 / 最終更新:2026年9月1日
吉田孝行(Takayuki Yoshida、1977年3月14日生)は、日本出身のサッカー監督。2026から清水エスパルスの監督を務めている。これまでに3クラブを指揮した。
吉田 孝行(よしだ たかゆき、1977年3月14日 - )は、兵庫県川西市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード、ミッドフィールダー。2026シーズンからJリーグ・清水エスパルスの監督を務める。現役時代は主に大分トリニータやヴィッセル神戸などでプレーした。
滝川第二高等学校時代には日本で開催された1993 FIFA U-17世界選手権に中田英寿、宮本恒靖、松田直樹と共に出場。高校卒業後、横浜フリューゲルスに入団。当時の横浜F監督であったアントニオ・カルロス・シルバやオタシリオが積極的に若手を起用していたこともあり、1年目から試合出場のチャンスを得る。横浜F時代は95試合に出場し、21得点を挙げた。
1998年に横浜マリノスとの合併によるチーム消滅に伴い、横浜F・マリノスに移籍。なお、横浜F最後の試合となった1999年元日の天皇杯決勝で試合を決める得点を挙げている。横浜FMでは出番に恵まれず、2000年途中に大分トリニータに移籍。J1昇格に貢献し、2005年にはキャプテンに就任した。
大分で中心選手として活躍していたが、古巣の横浜FMからオファーを受け2006年に完全移籍で6年ぶりに復帰。開幕戦では前年まで右サイドのレギュラーだった田中隼磨からスタメンの座を奪った。4月29日の広島戦では、復帰後初ゴールとなる決勝ゴールを後半ロスタイムに決めて勝利に貢献した。その後、田中の復調でベンチスタートに定着したが、運動量と攻撃力を生かし、逆に後半守備を固めるためのスーパーサブとしてチームに貢献した。
2007年は、当初は出場機会は少なかったものの、4-3-3から4-1-3-2へのシステム変更に際し、山瀬幸宏と共にスタメンに定着した。
しかし、若返りを図るチームの方針を受け2007年シーズン最終戦が行なわれた12月1日にチームから正式に戦力外通告を受け退団。12月26日に地元であるヴィッセル神戸への加入が発表された。神戸では当初ほとんど途中出場だったが27節以降は先発として出場し活躍。2009年はシャドーストライカーとしてプレーする機会が多く、8月には3得点を挙げた。2010年はシーズン途中は起用されない時期もあったが、シーズン終盤には欠かせない存在になるまでに復活し、最終節は2得点を挙げ、J1残留に貢献した。
2011年からキャプテンを務め、J1では自己最多9得点を挙げた。生年月日が全く同じであり、親交も深かった松田の死去後初の試合であった第20節の浦和戦では2ゴールを挙げ、喪章を掲げ松田の背番号3を示すポーズを取った。現役最後の試合では、得点を決めた直後に松田の現役時代のトレードマークであった背番号3の入ったヘアバンドを取出し、ゴールを喜んだ。
2013年10月24日にクラブのホームページにて当期限りでの現役引退を発表した。11月24日、ホーム最終戦のロアッソ熊本戦では現役最後となる3点目を決めた。シーズン後、ヴィッセル神戸アンバサダーに就任した。2014年末、Jリーグ功労選手賞を受賞。
2017年8月16日、ネルシーニョの監督解任に伴い監督に就任。当初は暫定的指揮の予定であったが、翌年も引き続き監督を務めることとなった。クラブとしてACL出場圏獲得を目標に掲げた2018年は夏に前FCバルセロナのアンドレス・イニエスタが加入し、一時リーグ戦4位まで浮上を果たしたが、その後は3連敗を喫し第26節終了時点で10勝6分10敗、ACL出場圏内の3位・FC東京と勝ち点6差となっていた。9月17日、コーチングスタッフの配置転換により監督から退き強化部へ異動。一部メディアからは事実上の解任であると報じられた。
2019年4月、家庭の事情で退任したフアン・マヌエル・リージョの後任として暫定的にヴィッセル神戸の監督に復帰。トルステン・フィンクの監督就任に伴い同年6月に退任しクラブを離れた。
2020年よりV・ファーレン長崎のコーチに就任。2020年12月21日、2021シーズンの監督に就任。同年5月に監督を退任(事実上の解任)、同トップチームのアシスタントコーチへ配置転換される。同年12月、契約満了によりチームを離れた。
2022年6月29日、契約解除されたミゲル・アンヘル・ロティーナの後任として、2019年以来3度目となるヴィッセル神戸の監督に就任。就任したJ1第18節終了時点で2勝5分11敗とJ1残留圏内とも勝ち点8差つくなどダントツの最下位に沈んでいたチームを立て直し、シーズン終盤にはリーグ5連勝を記録するなど怒涛の追い上げで勝ち点を積み上げ、リーグ2試合を残してJ1残留を決めた。
2023年もヴィッセル神戸を指揮。オフに目立った補強がなかったことで下馬評は高くなかったが、「競争と共存」をテーマにかかげ、イニエスタでさえも特別扱いしない徹底した選手起用を貫き、大迫勇也のポストプレーと、強度の高いハイプレスからのショートカウンターを軸とした攻守にバランスの取れたサッカーで序盤から首位を走るなど手腕を発揮し、クラブを初のJ1リーグ優勝に導いた。シーズン終了後には自身初となるJ1優勝監督賞を受賞した。
2024年も続投し、序盤から上位につけ、スタメン組とベンチ組との差が課題とも指摘されていたが、ターンオーバーなどをうまくこなし、その課題を克服。その結果リーグ戦だけでなく、カップ戦でも勝ち進み、天皇杯において神戸に2度目となる優勝をもたらした。その勢いのまま、最終節までもつれたリーグ戦も制し、国内2冠、J1連覇という偉業を成し遂げた。
2025年はリーグ戦三連覇を逃し、三大タイトルも逃したものの順位は5位と奮闘した。同年限りで退任。
一次情報の発言のみ収録。1回の会見につき主要な発言を最大3つ引用し、他は解説で要約しています。
「失点するまでの前半はそんなに悪くなかった」
「強度が下がるということは言い訳にならないと思うし、やっぱりみんなでもう一度やっていかなきゃいけない」
「強度を保てない」
出典:FOOTBALL ZONE 2026年10月24日
「前半は競り合いに負け、出足も相手の方が早かった。3、4点入れられてもおかしくなかった」
出典:北國新聞 2026年9月29日
英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1364432958)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。
| 在任期間 | 年齢 | チーム | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2017.08〜2018.09 | 40 | 54 | 21 | 13 | 20 | 38.9% | |
| 2019.04〜2019.06 | 42 | 10 | 1 | 1 | 8 | 10.0% | |
| 2021.02〜2021.05 | 43 | 11 | 4 | 2 | 5 | 36.4% | |
| 2022.06〜2026.01 | 45 | 176 | 98 | 34 | 44 | 55.7% | |
| 2026.02〜現在 | 48 | 0 | 0 | 0 | 0 | — | |
| 通算 | 251 | 124 | 50 | 77 | 49.4% | ||
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1989 | 11 | 上牧町立上牧中学校 |
| 1990〜1991 | 12 | |
| 1992〜1994 | 14 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1995〜1998 | 17 | |
| 1999〜2000 | 21 | |
| 2000〜2005 | 22 | |
| 2006〜2007 | 28 | |
| 2008〜2013 | 30 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1993〜1994 | 15 | |
| 1996〜1997 | 18 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 在任 | 年齢 | チーム | 役職 |
|---|---|---|---|
| 2017〜2018 | 39 | 監督 | |
| 2019〜2019 | 41 | 監督 | |
| 2021〜2021 | 43 | 監督 | |
| 2022〜2025 | 44 | 監督 | |
| 2026〜 | 48 | 監督 |
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1995 | 17 | 滝川第二高等学校 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | |
| 1999 | 21 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 2000 | 22 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 2006 | 28 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 2008 | 30 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
所属履歴と出場記録から機械的に算出しています。個人の交友関係についての評価は含みません。
本人の在籍期間と監督の在任期間の重なりから算出しています。取得元(API-Football)に在任期間の登録がある監督だけが対象で、古い年代の監督は登録が無いため出ていません。
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「吉田孝行」(版 110050989)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
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