吉田孝行

SOCCERPEDIA / 監督ページ / 日本のサッカー監督 / 最終更新:2026年9月1日


概要

日本吉田孝行(Takayuki Yoshida、1977年3月14日生)は、日本出身のサッカー監督。2026から清水エスパルスの監督を務めている。これまでに3クラブを指揮した。

吉田 孝行(よしだ たかゆき、1977年3月14日 - )は、兵庫県川西市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード、ミッドフィールダー。2026シーズンからJリーグ・清水エスパルスの監督を務める。現役時代は主に大分トリニータやヴィッセル神戸などでプレーした。

クラブ経歴

現役時代

滝川第二高等学校時代には日本で開催された1993 FIFA U-17世界選手権に中田英寿、宮本恒靖、松田直樹と共に出場。高校卒業後、横浜フリューゲルスに入団。当時の横浜F監督であったアントニオ・カルロス・シルバやオタシリオが積極的に若手を起用していたこともあり、1年目から試合出場のチャンスを得る。横浜F時代は95試合に出場し、21得点を挙げた。

1998年に横浜マリノスとの合併によるチーム消滅に伴い、横浜F・マリノスに移籍。なお、横浜F最後の試合となった1999年元日の天皇杯決勝で試合を決める得点を挙げている。横浜FMでは出番に恵まれず、2000年途中に大分トリニータに移籍。J1昇格に貢献し、2005年にはキャプテンに就任した。

大分で中心選手として活躍していたが、古巣の横浜FMからオファーを受け2006年に完全移籍で6年ぶりに復帰。開幕戦では前年まで右サイドのレギュラーだった田中隼磨からスタメンの座を奪った。4月29日の広島戦では、復帰後初ゴールとなる決勝ゴールを後半ロスタイムに決めて勝利に貢献した。その後、田中の復調でベンチスタートに定着したが、運動量と攻撃力を生かし、逆に後半守備を固めるためのスーパーサブとしてチームに貢献した。

2007年は、当初は出場機会は少なかったものの、4-3-3から4-1-3-2へのシステム変更に際し、山瀬幸宏と共にスタメンに定着した。

しかし、若返りを図るチームの方針を受け2007年シーズン最終戦が行なわれた12月1日にチームから正式に戦力外通告を受け退団。12月26日に地元であるヴィッセル神戸への加入が発表された。神戸では当初ほとんど途中出場だったが27節以降は先発として出場し活躍。2009年はシャドーストライカーとしてプレーする機会が多く、8月には3得点を挙げた。2010年はシーズン途中は起用されない時期もあったが、シーズン終盤には欠かせない存在になるまでに復活し、最終節は2得点を挙げ、J1残留に貢献した。

2011年からキャプテンを務め、J1では自己最多9得点を挙げた。生年月日が全く同じであり、親交も深かった松田の死去後初の試合であった第20節の浦和戦では2ゴールを挙げ、喪章を掲げ松田の背番号3を示すポーズを取った。現役最後の試合では、得点を決めた直後に松田の現役時代のトレードマークであった背番号3の入ったヘアバンドを取出し、ゴールを喜んだ。

2013年10月24日にクラブのホームページにて当期限りでの現役引退を発表した。11月24日、ホーム最終戦のロアッソ熊本戦では現役最後となる3点目を決めた。シーズン後、ヴィッセル神戸アンバサダーに就任した。2014年末、Jリーグ功労選手賞を受賞。

監督経歴

引退後 ― ヴィッセル神戸監督(第1次)

2017年8月16日、ネルシーニョの監督解任に伴い監督に就任。当初は暫定的指揮の予定であったが、翌年も引き続き監督を務めることとなった。クラブとしてACL出場圏獲得を目標に掲げた2018年は夏に前FCバルセロナのアンドレス・イニエスタが加入し、一時リーグ戦4位まで浮上を果たしたが、その後は3連敗を喫し第26節終了時点で10勝6分10敗、ACL出場圏内の3位・FC東京と勝ち点6差となっていた。9月17日、コーチングスタッフの配置転換により監督から退き強化部へ異動。一部メディアからは事実上の解任であると報じられた。

引退後 ― ヴィッセル神戸監督(第2次)

2019年4月、家庭の事情で退任したフアン・マヌエル・リージョの後任として暫定的にヴィッセル神戸の監督に復帰。トルステン・フィンクの監督就任に伴い同年6月に退任しクラブを離れた。

引退後 ― V・ファーレン長崎コーチ・監督

2020年よりV・ファーレン長崎のコーチに就任。2020年12月21日、2021シーズンの監督に就任。同年5月に監督を退任(事実上の解任)、同トップチームのアシスタントコーチへ配置転換される。同年12月、契約満了によりチームを離れた。

引退後 ― ヴィッセル神戸監督(第3次)

2022年6月29日、契約解除されたミゲル・アンヘル・ロティーナの後任として、2019年以来3度目となるヴィッセル神戸の監督に就任。就任したJ1第18節終了時点で2勝5分11敗とJ1残留圏内とも勝ち点8差つくなどダントツの最下位に沈んでいたチームを立て直し、シーズン終盤にはリーグ5連勝を記録するなど怒涛の追い上げで勝ち点を積み上げ、リーグ2試合を残してJ1残留を決めた。

2023年もヴィッセル神戸を指揮。オフに目立った補強がなかったことで下馬評は高くなかったが、「競争と共存」をテーマにかかげ、イニエスタでさえも特別扱いしない徹底した選手起用を貫き、大迫勇也のポストプレーと、強度の高いハイプレスからのショートカウンターを軸とした攻守にバランスの取れたサッカーで序盤から首位を走るなど手腕を発揮し、クラブを初のJ1リーグ優勝に導いた。シーズン終了後には自身初となるJ1優勝監督賞を受賞した。

2024年も続投し、序盤から上位につけ、スタメン組とベンチ組との差が課題とも指摘されていたが、ターンオーバーなどをうまくこなし、その課題を克服。その結果リーグ戦だけでなく、カップ戦でも勝ち進み、天皇杯において神戸に2度目となる優勝をもたらした。その勢いのまま、最終節までもつれたリーグ戦も制し、国内2冠、J1連覇という偉業を成し遂げた。

2025年はリーグ戦三連覇を逃し、三大タイトルも逃したものの順位は5位と奮闘した。同年限りで退任。

発言集

一次情報の発言のみ収録。1回の会見につき主要な発言を最大3つ引用し、他は解説で要約しています。

2026-27シーズン(2件)
2026年10月24日本人コメント吉田孝行(監督)/試合後会見
清水エスパルスがサンフレッチェ広島にアウェーで0-4で敗れた試合後の監督コメント。前節の町田ゼルビア戦での0-5敗戦に続き、2試合で9失点を喫した状況での発言。吉田監督は、初期段階での守備は悪くなかったとしつつも、試合進行に伴う強度低下が敗因だと分析。ただし強度低下を言い訳にせず、怪我人の多さという実情を明かしながらも、プロとしての責任を果たすしかないという覚悟を示した。
「失点するまでの前半はそんなに悪くなかった」
「強度が下がるということは言い訳にならないと思うし、やっぱりみんなでもう一度やっていかなきゃいけない」
「強度を保てない」

出典:FOOTBALL ZONE 2026年10月24日

2026年9月29日本人コメント吉田孝行(本人)/試合後会見
2026年9月29日、ルヴァン杯1次ラウンド2回戦でJ3ツエーゲン金沢に2-0で勝利した清水エスパルスの監督・吉田孝行(現ヴィッセル神戸)の試合後会見での発言。金沢が前半に積極的な攻撃で10本のシュートを放つなか、清水は守備の競り合いで劣勢に立たされていたことを認めつつ、後半の猛攻で試合を制した状況を説明している。
「前半は競り合いに負け、出足も相手の方が早かった。3、4点入れられてもおかしくなかった」

出典:北國新聞 2026年9月29日

監督成績

在任別・通算

英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1364432958)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。

在任期間年齢チーム試合勝分敗勝率
2017.08〜2018.0940日本ヴィッセル神戸5421132038.9%
2019.04〜2019.0642日本ヴィッセル神戸1011810.0%
2021.02〜2021.0543日本V・ファーレン長崎1142536.4%
2022.06〜2026.0145日本ヴィッセル神戸17698344455.7%
2026.02〜現在48日本清水エスパルス0000—
通算251124507749.4%

所属チーム

ユース(選手時代)

期間年齢チーム
198911上牧町立上牧中学校
1990〜199112日本川西市立東谷中学校
1992〜199414日本滝川第二高等学校

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

クラブ(選手時代)

期間年齢チーム
1995〜199817日本横浜フリューゲルス
1999〜200021日本横浜F・マリノス
2000〜200522日本大分トリニータ
2006〜200728日本横浜F・マリノス
2008〜201330日本ヴィッセル神戸

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

代表(選手時代)

期間年齢チーム
1993〜199415日本日本 U-17
1996〜199718日本日本 U-20

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

監督

在任年齢チーム役職
2017〜201839日本ヴィッセル神戸監督
2019〜201941日本ヴィッセル神戸監督
2021〜202143日本V・ファーレン長崎監督
2022〜202544日本ヴィッセル神戸監督
2026〜48日本清水エスパルス監督

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
199517滝川第二高等学校日本横浜フリューゲルス移籍—形態・移籍金は未確認
199921日本横浜フリューゲルス日本横浜F・マリノス移籍—形態・移籍金は未確認
200022日本横浜F・マリノス日本大分トリニータ移籍—形態・移籍金は未確認
200628日本大分トリニータ日本横浜F・マリノス移籍—形態・移籍金は未確認
200830日本横浜F・マリノス日本ヴィッセル神戸移籍—形態・移籍金は未確認

※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認

人物相関

所属履歴と出場記録から機械的に算出しています。個人の交友関係についての評価は含みません。

指導を受けた監督

本人の在籍期間と監督の在任期間の重なりから算出しています。取得元(API-Football)に在任期間の登録がある監督だけが対象で、古い年代の監督は登録が無いため出ていません。

監督クラブ・代表在任
西野朗日本ヴィッセル神戸2012年5月〜2012年11月
安達亮日本ヴィッセル神戸2012年11月〜2014年12月

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「吉田孝行」(版 110050989)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. FOOTBALL ZONE、2026年10月24日、2026年10月24日 取得 https://www.football-zone.net/archives/680684
  2. Wikidata、2026年10月25日 取得 https://www.wikidata.org/
  3. Wikipedia(日本語版)「吉田孝行」、版 ID 110050989、2026年10月11日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E5%AD%9D%E8%A1%8C
  4. Wikipedia(英語版)、版 ID 1364432958、2026年10月11日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Takayuki_Yoshida
  5. 北國新聞、2026年9月29日、2026年10月12日 取得 https://www.hokkoku.co.jp/articles/-/2244306

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