西野朗

SOCCERPEDIA / 監督ページ / 日本のサッカー監督 / 最終更新:2026年9月1日


概要

日本西野朗(Akira Nishino、1955年4月7日生)は、日本出身のサッカー監督。これまでに9クラブを指揮した。日本では1977年から通算12試合1得点を記録している。

西野 朗(にしの あきら、1955年4月7日 - )は、埼玉県浦和市(現:さいたま市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。

現役時代のポジションは主にミッドフィールダー(MF)で元日本代表。元日本代表監督、元タイ代表監督。2018 FIFAワールドカップでは日本代表を率いた。

クラブ経歴

選手時代

地元である大宮サッカー場に来る日本代表選手に憧れるサッカー少年だった。三菱ダイヤモンド・サッカー(テレビ東京)の視聴者プレゼントに応募し、シューズをもらった経験があるという。

さいたま市立原山中学校を卒業後、1970年埼玉県立浦和西高等学校に入学。全国高等学校サッカー選手権大会ではベスト8進出。

1974年、早稲田大学教育学部に入学。ア式蹴球部に所属し、在学中に日本代表に選出された。

1977年の夏、日本代表の選手がドイツのいくつかのクラブチームの練習に参加する分散合宿が行われ、西ドイツのヘネス・バイスバイラーが、日本代表監督を務めた二宮寛と交流があったことから優秀な日本人選手を3人紹介するよう要請し、日本人初のプロ選手の候補として当時バイスバイラーが監督をしていたブンデスリーガ・1FCケルンのテストを奥寺康彦、金田喜稔と西野の3人で受けたとスカパー!のYouTube公式チャンネル動画で明らかにされている。この時、西野ら3人はそれがプロテストだとは知らされずに通常のトレーニングであると思いテストを受けていたという。最終的には奥寺と同じポジションのベルギー人の選手が退団することになり、奥寺がプロ第1号になったが、「選手として総合的には西野が最も良かった」と二宮は話している。また、奥寺は西野よりもフィジカルが優れていたと二宮は話した。

1978年に日立製作所へ入社。人事部の女子採用係に配属され新人ながら求人票配りに行かされると、大学サッカーで人気選手だったこともあり女子が殺到したという。同社サッカー部加入以降はプレーに精彩を欠き伸び悩む。その後、復活を果たし1985年に日本サッカーリーグタイ記録の8試合連続得点をあげベストイレブンにも選出された。また、現役晩年にはセンターバックを務めることもあった。しかし、天才肌のMFである一方で淡白な部分があり、日立加入初年である1978年を最後に日本代表には呼ばれず、1990年に現役を引退した。

代表経歴

指導者時代 ― U-20日本代表〜アトランタ五輪

1994年に、アトランタオリンピック出場を目指すU-23日本代表監督に就任。日本が銅メダルを獲得した1968年のメキシコ大会 以来28年ぶりとなる本大会出場と、その本大会でのブラジル戦での勝利(マイアミの奇跡)で名を挙げる。

指導者時代 ― サッカー日本代表監督

2018年4月7日、ヴァイッド・ハリルホジッチが突如として日本代表監督を解任され、その2日後の4月9日に後任として西野が代表監督に就任することがJFAより発表された。任期は2018年4月9日から2018年ロシアW杯までの約2か月間で、岡田武史以来2人目のワールドカップで指揮を執る日本人監督となった。また、西野は日本代表監督就任に伴い、同年4月7日までに、JFA理事、JFA技術委員長、Jリーグの理事を辞任している。

代表監督としての最初の指揮は同年5月30日に横浜国際総合競技場で行われたガーナ代表とのワールドカップロシア大会前の国内最後の親善試合だったが、長谷部をスイーパーに置く3バックを試すも機能せず0-2で敗れ、初陣を勝利で飾ることはできなかった。翌5月31日にワールドカップロシア大会に臨む23人のメンバーを発表した。同年6月8日にスイスのルガーノで行われたスイス代表との親善試合ではフォーメーションを4バックに戻したが、光明が見えないまま0-2で敗れ就任後2連敗となった。迎えた本大会前最後のテストマッチは、6月12日にオーストリアのインスブルックでパラグアイ代表と行われた。この試合で西野は出場メンバーをサブに総入れ替えして臨むと、乾や香川や柴崎らが躍動。4-2で勝利し、就任後3戦目にして初勝利を挙げると、この試合結果を受け、本大会でのスタメンを半数入れ替える事を決断する。

指導者時代 ― サッカータイ代表

2019年7月1日、タイ代表監督とU-23タイ代表監督の就任がタイ側より発表された。翌日に帰国した西野は、「タイ代表監督就任報道は事実と違います」と語り、報道を否定した が、7月17日に報道通りタイ代表監督とU-23タイ代表監督に就任することを発表した。

2021年6月、2022 FIFAワールドカップアジア二次予選敗退(勝ち点9で第4位。三次予選には上位2チームのみが出場出来る)により、契約期間を半年残して7月29日に解任された。

監督経歴

指導者時代 ― 柏レイソル

1997年にニカノール監督のサポート役としてヘッドコーチとしてレイソルに復帰。シーズン終了後にニカノール監督がヴェルディ川崎へ移籍した為、後任として1998年に柏レイソルの監督に就任した。1998年は、ベンチーニョも復帰しストイチコフも加入したが、勝ちきれずチームは低迷した。1999年にはリーグ戦は、ファーストステージとセカンドステージは4位に入り、年間順位は3位となり、天皇杯はベスト4まで進出した。その年のナビスコカップは、鹿島と死闘の末優勝に導き、クラブ・西野自身にとって初のタイトルを獲得した。2000年はタイトルこそ獲得出来なかったが、2ndステージは鹿島アントラーズと最後まで優勝争いを繰り広げ、2位というクラブ史上最高の成績を残し(年間獲得勝ち点は1位であった)、自身初となるJリーグ最優秀監督に選ばれた。しかし、翌2001年には、柳想鐵を横浜F・マリノスから獲得し優勝を狙ったが、洪明甫の怪我と黄善洪の不調もあって優勝争いに加わることができず1stステージは6位に終わった。1stステージ終了後に成績不振を理由に解任された。

指導者時代 ― ガンバ大阪

2002年よりガンバ大阪の監督に就任。Jリーグ開幕以降タイトルと無縁だったクラブを上位陣に押し上げ、就任4年目の2005年にG大阪と自身にとっても初となるJ1リーグ優勝を達成し(2005年J1最終節)、2度目のJリーグ最優秀監督賞を受賞。2006年は終盤まで、浦和と優勝争いを展開するも、最終節での直接対決で敗れリーグ連覇を逃す。2007年にはナビスコカップ優勝を達成しJリーグカップ史上初の2クラブによる優勝監督、3月3日の大宮戦で、Jリーグの監督として史上初となるJ1通算150勝を達成(内訳:柏 67勝、G大阪 83勝)。

2008年にはAFCチャンピオンズリーグを制し、AFCからアジア最優秀監督に選ばれ、FIFAクラブワールドカップ2008準々決勝のアデレード・ユナイテッドFC戦では、日本人監督としてFIFA主催の公式大会で初めて勝利を挙げた。更に、天皇杯優勝を達成し、国内3大タイトルの全てを制覇した。またこの年、Jリーグクラブの監督在任最長期間記録(トニーニョ・セレーゾ 鹿島監督)を更新した。

2009年12月5日の千葉戦で、J1通算200勝を達成。さらに、この年の天皇杯を制し、天皇杯連覇を達成した。

2010年は開幕前からケガ人が相次いだ影響などにより、前半戦は絶不調に陥るが、後半戦は持ち直し、リーグ2位に押し上げる。しかし、天皇杯3連覇を逃し、2006年以来4年ぶりにシーズン無冠に終わった。就任10年目で迎えた2011年も無冠に終わりガンバから同年限りで契約満了(事実上の解任)を通告された。

指導者時代 ― ヴィッセル神戸

2012年5月19日、成績不振により解任された和田昌裕の後任としてヴィッセル神戸の監督に就任。しかし、同年11月8日成績不振により解任。尚、2012年の残り試合は、コーチの安達亮が指揮を執ることになった。

指導者時代 ― 名古屋グランパス

2014年シーズンから名古屋グランパスの監督に就任。2シーズン指揮を執ったが好成績を残せず、内容を含めチームは停滞。2015年10月、契約期間満了により退任(事実上の解任)。

指導者時代 ― 日本サッカー協会

2016年3月、日本サッカー協会(JFA)の理事に就任し、降格処分となった霜田正浩技術委員長の後任として技術委員長に就任。

2018年3月28日、日本代表が欧州での親善試合を1分1敗で終えた後、ヴァイッド・ハリルホジッチ監督の続投を明言した。

指導者時代 ― = ワールドカップロシア大会 =

2018年6月19日にサランスクのモルドヴィア・アリーナで行われたワールドカップロシア大会グループH初戦でコロンビア代表を2-1で下し、日本代表にとって2010年の南アフリカ大会以来となるワールドカップでの白星をもたらした。また、この勝利はアジア勢がワールドカップにおいて初めて南米のチームから挙げた白星であった。グループステージ第2戦(6月24日、エカテリンブルク・アリーナ)はセネガル代表と対戦し、2-2の引き分けで勝ち点1を獲得した。6人の先発を変更して挑んだ第3戦(6月28日、ヴォルゴグラード・アリーナ)のポーランド戦では59分に先制点を許し0-1とされたが、同時刻に行われていたグループHのもう1つの試合でコロンビアがセネガルを1-0でリードしているという戦況を確認しながら、試合終盤に後方でのパス回しを指示した。試合はそのままポーランドに0-1で敗れ、最終的にセネガルと勝ち点4で並んだが、定められた規定によりフェアプレーポイントの差でグループ2位での16強進出が決まった。決勝トーナメントラウンド16(7月2日、ロストフ・アリーナ)で、ベルギーと対戦。0-0で迎えた後半に2点を先取したものの追いつかれ、後半アディショナルタイム終了間際のゴールで逆転を許し2-3で敗戦。日本代表初となるベスト8進出を逃した。

大会終了後の7月5日、日本代表帰国時の記者会見の最後で、同席した田嶋幸三日本サッカー協会会長が、「西野さんとは『今大会の結果がどうであれ、これが最後』と約束し、慰留することはしませんでした。7月末を持って日本代表の監督を退任します。また違った形で日本サッカーに貢献し、サポートしていただければと思います」と西野の日本代表監督退任を明言した。

個人成績

数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。

代表

日本 としての年別成績です。親善試合を含みます。

年年齢出場得点得点グラフ
19772140
19782281
通算121

年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

監督成績

在任別・通算

英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1361652236)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。

在任期間年齢チーム試合勝分敗勝率
1994.01〜1996.1238日本日本代表 U-2310010.0%
1996.07〜1996.0841日本日本代表320166.7%
1998.02〜2001.0742日本柏レイソル1297864560.5%
2002.02〜2012.0146日本ガンバ大阪4612478712753.6%
2012.05〜2012.1157日本ヴィッセル神戸23671026.1%
2014.02〜2016.0158日本名古屋グランパス8736193241.4%
2018.04〜2018.0762日本日本代表721428.6%
2019.07〜2021.0764タイタイ代表942344.4%
2019.07〜2021.0764タイタイ代表1125418.2%
通算73137712722751.6%

所属チーム

ユース(選手時代)

期間年齢チーム
1971〜197315日本浦和西高校
1974〜197718日本早稲田大学

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

クラブ(選手時代)

期間年齢チーム
1978〜199022日本日立製作所

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

代表(選手時代)

期間年齢チーム
1974〜197818日本日本

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

監督

在任年齢チーム役職
1991〜199235日本日本 U-20監督
1994〜199638日本日本 U-23監督
1998〜200142日本柏レイソル監督
2002〜201146日本ガンバ大阪監督
2012〜201256日本ヴィッセル神戸監督
2014〜201558日本名古屋グランパス監督
2018〜201862日本日本監督
2019〜202163タイタイ監督
2019〜202163タイタイ U-23監督

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
197418浦和西高校早稲田大学移籍—下部組織への移籍
形態・移籍金は未確認
197822早稲田大学日立製作所移籍—形態・移籍金は未確認

※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「西野朗」(版 110964094)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. Wikidata、2026年10月25日 取得 https://www.wikidata.org/
  2. Wikipedia(日本語版)「西野朗」、版 ID 110964094、2026年10月11日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%87%8E%E6%9C%97
  3. Wikipedia(英語版)、版 ID 1361652236、2026年10月11日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Akira_Nishino_%28footballer%29

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