中村憲剛

SOCCERPEDIA / 選手・監督ページ / 日本のサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日


概要

日本中村憲剛(Kengo Nakamura、1980年10月31日生)は、日本出身の元サッカー選手。ポジションはMF(ミッドフィールダー)。日本では2006年から通算68試合6得点を記録している。クラブでは公式戦通算678試合104得点(2003 シーズン以降)。クラブ・代表で通算7個のタイトルを獲得、個人賞は11回(Jリーグ ベストイレブン 8回)。

中村 憲剛(なかむら けんご、1980年10月31日 - )は、東京都小平市生まれ、小金井市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー(主にトップ下、ボランチ)。元日本代表。

クラブ経歴

プロ入り前

小学1年生でサッカーを始め、府中市の府ロクサッカー少年団に所属。少年団の先輩に澤穂希、後輩に保坂一成がいる。5年生時に全日本少年サッカー大会でベスト16。6年生時に8回東京都少年選抜サッカー大会では開会式で選手宣誓を務め、飯尾和也、高橋泰、星大輔らと共に大会優秀選手10名に選ばれた。

小金井市立第二中学校、東京都立久留米高等学校を卒業後、中央大学文学部文学科英米文学専攻に進学。2年時にレギュラーを掴む。3年時は、関東大学リーグ1部で最下位に終わり2部降格。4年時は主将として2部優勝を果たし1部復帰。後に結婚する夫人は、苦楽を共にしたサッカー部マネージャーであった。

川崎フロンターレ

2003年、テスト生として参加していた川崎フロンターレに正式入団。開幕戦となるサンフレッチェ広島戦で初出場、4月9日のモンテディオ山形戦ではプロ入り後初得点を挙げた。

入団当初はいわゆるトップ下と呼ばれる攻撃的ミッドフィールダーだったが、2004年に関塚隆監督の提案でボランチへコンバートした。2004年のJリーグ ディビジョン2で優勝し、J1に昇格した。

2006年、イビチャ・オシムが就任後、A代表に初選出。10月4日のガーナ戦で初出場、10月11日のインド戦で代表初得点。日本代表メンバーに定着。クラブ史上初のJリーグベストイレブンに谷口博之と共に選出され、以降4年連続でベストイレブンを受賞している。

2010年2月23日、AFCチャンピオンズリーグ2010の城南一和戦で下顎骨骨折するも、南アフリカワールドカップ最終メンバーに選出。決勝トーナメント第一戦のパラグアイ戦に出場した。

同年オランダのPSVからオファーを受けたが、「練習参加から拾ってもらった身。何も残さないままいなくなれない」、とチームに残留した。

2011年10月11日の2014 FIFAワールドカップ・アジア3次予選のタジキスタン戦では約1年ぶりに先発出場すると、1得点3アシスト。

2012年、キャプテンとして全34試合に出場し5得点、リーグ最多の13アシスト。

2013年、加入した大久保嘉人とレナトと共に川崎の攻撃の中心となった。リーグ戦で29試合7得点を記録。アジアチャンピオンズリーグへの出場権獲得した。

2014年、5月12日の2014 FIFAワールドカップ日本代表予備登録メンバーに選出された。

2016年、7月9日の名古屋グランパス戦においてイ・スンヒからタックルを受け負傷退場。中村は右足関節捻挫、長母趾伸筋挫傷、長趾伸筋挫傷の怪我を負うも 最終的には9ゴール11アシスト。歴代最年長の36歳でJリーグ年間最優秀選手賞を獲得した。

2017年から、3年間務めてきた川崎の主将を小林悠に譲った。10月14日、第29節のベガルタ仙台戦でJ1リーグ通算400試合の出場を達成。第34節の大宮アルディージャ戦では3得点の起点となり、チームの勝利に貢献。クラブ初のJ1優勝に貢献した 同年史上最年長となる36歳50日でのJリーグ年間最優秀選手賞受賞がギネス世界記録に認定された。

2018年シーズン、5月20日、清水エスパルス戦で2得点を挙げて勝利に貢献した。また、この日で通算419試合出場し、大卒では藤田俊哉に並ぶ出場記録となった。

2019年シーズン、クラブ初のルヴァンカップ優勝。11月2日に行われた広島戦で左膝前十字靭帯損傷の重傷を負った。

2020年シーズン、第13節の清水エスパルス戦で、約10ヶ月振りに公式戦への出場を果たし、シーズン初得点を決めた。10月31日、40歳の誕生日にホームでの多摩川クラシコにて自身初となるバースデーゴールを決め勝利。J1での40代選手のゴールは史上6人目で、バースデーゴールとしては最年長記録であった。翌日の11月1日、同シーズン限りで現役を引退することを表明した。12月16日のホーム最終節浦和レッズ戦に出場し小林のゴールをアシストした。翌年1月1日に行われた天皇杯決勝・G大阪戦では出場出番は無かったもののチームは勝利し、同大会クラブ初優勝を果たした。J1リーグでの通算471試合出場は歴代13位(2022年時点)。

代表経歴

代表での出場記録とメダルから組み立てた説明です。

2006年に日本での出場記録が始まり、2013年までに通算68試合6得点を記録した。

監督経歴

現役引退後

2021年1月、川崎フロンターレのFrontale Relations Organizer(フロンターレ リレーションズ オーガナイザー、FRO)に就任した。同年4月8日には日本サッカー協会のロールモデルコーチに就任し、U-17日本代表のコーチを担当した。並行してDAZN、NHK BS(2023年11月まではNHK BS1)Jリーグ中継解説者や、NHK総合「サンデースポーツ」サッカーコメンテーター(2022年4月から)を担当している。

発言集

一次情報の発言のみ収録。1回の会見につき主要な発言を最大3つ引用し、他は解説で要約しています。

2026-27シーズン(3件)
2026年10月11日本人コメント中村憲剛(本人)/公式インタビュー
中村憲剛が子ども向けの親子向けメディア『Questionary』に寄稿した記事。7歳男子からの「うれしくても涙が出る?」という質問に対する回答。2017年の川崎フロンターレJ1初優勝時の感動を語り、15年間の優勝できなかった期間の苦労やチームメイト・サポーター・去っていった選手たちの思いなど、様々な感情が一気に涙となって出たことを説明。あわせて、夢を叶えるには苦しい練習も当然こなし、その過程で「どれだけそのスポーツが好きか」が常に試されることの重要性を述べている。
「どれだけそれが好きか」

出典:AERA dot. (アエラドット) 2026年10月11日

2026年9月25日本人コメント中村憲剛(本人)/公式インタビュー
川崎フロンターレのヘッドコーチを務める中村憲剛が、元日での現役引退を表明した小林悠FW(39)に対してコメントを発表。現役時代に盟友として黄金時代を共に支えた小林を称賛し、その多面性と気持ちの強さを高く評価した。また小林がFW育成への意欲を示していることに対し、点を取ってきた選手だからこその説得力があると後押ししつつ、チームとしてのミッションである天皇杯優勝での有終の美を期待している。
「ゴールに関しては誰よりも自己中心的だけど、バランスもあって人に取らせることもできる。裏抜けもポストプレーも守備もできる。」
「向いていると思う。点を取った人しか教えられない。」
「チームが悠の思いをくんで、そこまで持って行けるかどうか。優勝しないといけない理由がどこのチームよりも大きいと思う。」

出典:毎日新聞 2026年9月25日

2026年9月22日本人コメント中村憲剛(本人)/本人SNS
2026年9月23日、中村憲剛が自身のインスタグラムを更新し、同じ川崎フロンターレのレジェンドFW小林悠の引退表明に対してエールを送った。2020年に現役を引退した中村が、かつてボランチとストライカーとして共闘した小林の現役最後の3ヶ月間を応援するメッセージ。川崎フロンターレ一筋でプレーしてきた両選手の長年の信頼関係を示す発言となった。
「最後まで悠らしく」

出典:毎日新聞 2026年9月22日

個人成績

数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。

クラブ

クラブシーズン年齢ディビジョンリーグ大陸大会1その他2シーズン通算
出場得点出場得点出場得点出場得点
日本川崎フロンターレ2003222——————376
2004230——————445
200524162————385
2006251103————4614
20072603073——447
200827010————364
20092803093——457
20102903130——345
201130020————334
201231020————375
201332052————369
20143302082——405
201534060————422
201635020——10389
20173604091——477
2018370202010406
2019380203010282
202039000————132

1. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 2. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

代表

日本 としての年別成績です。親善試合を含みます。

年年齢出場得点得点グラフ
20062531
200726130
200827132
200928122
201029110
20113041
20123170
20133250
通算686

年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

所属チーム

ユース

期間年齢チーム
1996〜199815日本東京都立久留米高等学校
1999〜200218日本中央大学

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

クラブ

期間年齢チーム出場得点
2003〜202022日本川崎フロンターレ22337

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は国内リーグ戦の合計で、カップ戦・大陸大会を含む内訳は「個人成績」の表にあります。

代表

期間年齢チーム
2006〜201325日本日本

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
199918東京都立久留米高等学校中央大学移籍—下部組織への移籍
形態・移籍金は未確認
200322中央大学日本川崎フロンターレ移籍—形態・移籍金は未確認

※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認

人物相関

所属履歴と出場記録から機械的に算出しています。個人の交友関係についての評価は含みません。

共にプレーした選手

同じクラブ・同じシーズンに両者とも出場記録がある選手を、シーズン数の多い順に並べています。取得元(API-Football)のシーズン名簿は 2010-11 シーズン以降しか無いため、それ以前に一緒にプレーしたシーズンは数に入りません。

指導を受けた監督

本人の在籍期間と監督の在任期間の重なりから算出しています。取得元(API-Football)に在任期間の登録がある監督だけが対象で、古い年代の監督は登録が無いため出ていません。

監督クラブ・代表在任
岡田武史日本日本代表2007年12月〜2010年7月
鬼木達日本川崎フロンターレ2017年1月〜2025年1月
西野朗日本日本代表2018年4月〜2018年7月
森保一日本日本代表2018年8月〜

日本語名を確認できない監督 5 人は掲載していません。

タイトル

クラブ

川崎フロンターレ

個人

英語の記録名しか確認できないもの(3件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「中村憲剛」(版 110523813)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. AERA dot. (アエラドット)、2026年10月11日、2026年10月14日 取得 https://dot.asahi.com/aerakids/articles/-/289295
  2. API-Football(選手・監督データ)、2026年10月25日 取得 https://www.api-football.com/
  3. Wikipedia(日本語版)「中村憲剛」、版 ID 110523813、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E6%86%B2%E5%89%9B
  4. Wikipedia(英語版)、版 ID 1343960464、2026年10月14日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Kengo_Nakamura
  5. 毎日新聞、2026年9月22日、2026年10月14日 取得 https://mainichi.jp/articles/20260923/spp/sp0/002/245000c
  6. 毎日新聞、2026年9月25日、2026年10月14日 取得 https://mainichi.jp/articles/20260926/spp/sp0/002/140000c

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