稲本潤一

SOCCERPEDIA / 選手ページ / 日本のサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日


概要

日本稲本潤一(Junichi Inamoto、1979年9月18日生)は、日本・大阪出身の元サッカー選手。ポジションはMF(ミッドフィールダー)。日本では2000年から通算82試合5得点を記録している。クラブでは公式戦通算549試合33得点(1997 シーズン以降)。クラブ・代表で通算6個のタイトルを獲得、個人賞は1回。

稲本 潤一(いなもと じゅんいち、1979年9月18日 - )は、鹿児島県姶良郡湧水町生まれ、大阪府堺市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー、ディフェンダー。元日本代表。

2002年、2006年、2010年と3大会連続でFIFAワールドカップに出場。2002年大会では2得点を挙げ、日本代表初のベスト16に貢献した。

クラブ経歴

経歴

生後まもなく鹿児島県から大阪府に転居。6歳の時に堺市の青英学園幼稚園でサッカーボールに触れる。堺市立深井西小学校へ入学するも同校のサッカー部は5年生からであったため、稲本の才能を惜しんだ周囲が青英学園SCに参加出来るよう取り計らった。周囲の勧めもあり「プロになる近道」との理由でガンバ大阪ジュニアユースに加入、当時の指導者であった上野山信行によりボランチにコンバート。

ガンバ大阪時代

向陽台高等学校に在籍。1997年、ガンバ大阪の下部組織からトップチームであるガンバ大阪に昇格し、当時最年少の17歳6か月でJリーグ初出場。17歳7か月でJリーグ初得点。

1999年、FIFAワールドユースで準優勝を果たし、シドニーオリンピック・サッカー日本代表、A代表にも招集されてアジアカップやコンフェデレーションズカップに出場。

海外時代

2001年、以前Jリーグで監督をしていたアーセン・ベンゲルに見込まれて、イングランドプレミアリーグのアーセナルFCに期限付き移籍。

2002年、日韓W杯代表に選出され、W杯初出場。第1戦のベルギー戦では一時逆転となったゴールを決めて日本のW杯初勝ち点に貢献。第2戦のロシア戦では決勝点を決め、日本のW杯初勝利、決勝トーナメント進出に貢献した。

W杯後、出場機会を求めてプレミアリーグのフラムFCに期限付き移籍した。この年はW杯での活躍などからバロンドールにノミネートされた(日本人としては中田英寿に次ぎ2人目)。UEFAカップ出場権を争うインタートトカップ決勝のボローニャFC戦で、欧州では日本人初のハットトリックを達成。リーグ戦でも当初は活躍したが、怪我もあって徐々に出場機会を失った。1度の期限付き期間延長を経て、2004年のイングランド戦で左足を骨折する重傷を負った事で交渉が決裂し解雇される。その後ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン、カーディフ・シティに期限付き移籍する。

2006年6月、ドイツW杯に招集される。第2戦のクロアチア戦の後半に途中出場。第3戦のブラジル戦、稲本からの左サイドへのグラウンダーのパスによるサイドチェンジは玉田圭司のゴールの起点となった。チームは2敗1分でグループリーグ突破はならなかった。2006-07シーズンはトルコ1部リーグのガラタサライSKに移籍。UEFAチャンピオンズリーグ本大会に出場し、1得点を記録する。2007-08シーズンも残留する予定であったが、監督退任に伴い、退団。

2007年5月、同期の高原直泰が当時所属していたドイツのブンデスリーガ、アイントラハト・フランクフルトへ2年契約で移籍。移籍会見翌日にキリンカップのための日本代表合宿に合流し、オシムジャパン初招集となる。

2009年6月、フランス1部リーグのスタッド・レンヌに移籍。2009年9月9日の親善試合・ガーナ戦では岡崎慎司の同点ゴールをアシストし、自身6年半ぶりの代表での得点となる決勝点を挙げる活躍を見せた。レンヌでは当初は出番があったが、退場をきっかけにヤン・エムヴィラにポジションを奪われるなど若手の台頭もあり、出場機会に恵まれずベンチを暖める日が続いた。翌年の南アフリカW杯を視野に国内復帰を模索し、2010年1月12日、レンヌより川崎フロンターレへの完全移籍が発表された。

川崎フロンターレ時代

Jリーグ復帰を受け、日本代表の岡田武史監督より2010年の1月25日から行われた代表合宿に追加招集され、また東アジア選手権にも出場した。2010年5月には南アフリカW杯の日本代表メンバーに選出され、自身3度目のW杯出場となった。本大会ではグループリーグでのカメルーン戦とデンマーク戦に途中出場した。

2012年のシーズン途中に風間八宏が監督に就任してから、ボールポゼッションを重視する同監督の戦術もあり、本職のボランチ以外にもセンターバックとして起用された(4月28日J1第8節広島戦)。公式戦起用はこの1試合のみで、その後はボランチに戻ったが、2014年より本格的にセンターバックに挑戦することになり、ポジションも正式にDF登録となった。12月4日に契約満了が発表された。

北海道コンサドーレ札幌時代

12月20日、北海道コンサドーレ札幌へ完全移籍することが発表された。2015年シーズンはレギュラーで活躍するも無得点でシーズンを終える。

2016年4月23日に行われたセレッソ大阪戦で移籍後初ゴールを挙げた。2014年に川崎時代に挙げてから748日ぶりの得点となった。しかし、6月4日に行われたジェフユナイテッド千葉戦に先発出場した際に右ひざ前十字じん帯断裂で負傷交代。全治8カ月の大怪我となった。

2017年9月23日に行われたアルビレックス新潟戦で476日ぶりの公式戦復帰を果たした。

2018年シーズンは、昨季リーグ11位だったチームが4位でリーグ戦を終えるなどチームが躍進する中でなかなか試合に絡めず、シーズン終了後に契約満了が発表された。

SC相模原時代

2019年1月23日、J3・SC相模原に完全移籍することが発表された。6月15日、第12節のガンバ大阪U-23戦で移籍後初ゴールを決めた。この得点でJ3リーグ戦最年長得点記録を39歳8か月28日に更新した。2021年シーズン終了後に契約満了し退団。

南葛SC時代

2024年12月4日、現役引退を発表。「指導者としてA級、S級とライセンスを取得していきたい。最終的には監督になりたいなと思っています。」と意向を表明した。

指導者として

2026年より川崎フロンターレの2代目リレーションズ オーガナイザー(FRO)に就任。

代表経歴

代表での出場記録とメダルから組み立てた説明です。

2000年に日本での出場記録が始まり、2010年までに通算83試合5得点を記録した。

代表で獲得したメダルはAFCアジアカップ金(2000 レバノン)、FIFAコンフェデレーションズカップ銀(2001 日韓)。

個人成績

数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。

クラブ

クラブシーズン年齢ディビジョンリーグ国内カップ1リーグカップ2大陸大会3シーズン通算
出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点
日本ガンバ大阪199717J1リーグ2733060——363
199818J1リーグ2861040——336
199919J1リーグ2212000——241
200020J1リーグ2842041——345
200121J1リーグ1320030——162
通算1181680171——14317
イギリスアーセナルFC2001-0221プレミアリーグ0000202040
イギリスフラムFC2002-0322プレミアリーグ1922020104336
2003-0423プレミアリーグ2222110——253
通算4144130104589
イングランドウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン2004-0524プレミアリーグ300000——30
2005-0625プレミアリーグ2202021——261
2006-0726チャンピオンシップ300000——30
通算2802021——321
カーディフ・シティ*2004-0524チャンピオンシップ1402000——160
トルコガラタサライSK2006-0726スュペル・リグ*25030——51331
ドイツアイントラハト・フランクフルト2007-0827ブンデスリーガ24020————260
2008-0928ブンデスリーガ19010————200
通算43030————460
フランススタッド・レンヌ2009-1029リーグ・アン500000——50
日本川崎フロンターレ201030J1リーグ280204050390
201131J1リーグ1221010——142
201232J1リーグ2001030——240
201333J1リーグ25030100——360
201434J1リーグ141101030191
通算99380200801353
日本北海道コンサドーレ札幌201535J2リーグ31010————320
201636J2リーグ8100————81
201737J1リーグ600000——60
201838J1リーグ201050——80
通算4712050——540
日本SC相模原201939J3リーグ9100————91
202040J3リーグ1000————10
202141J2リーグ9020————110
日本南葛SC202242関東サッカーリーグ*2000————20
キャリア通算4412534149225554933

1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. リーグカップ(EFLカップ、JリーグYBCルヴァンカップなど) 3. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

代表

日本 としての年別成績です。親善試合を含みます。

年年齢出場得点得点グラフ
200020140
200121111
200222112
200323101
20042460
200525100
20062640
20072730
20082820
20092941
20103080
通算825

年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

所属チーム

ユース

期間年齢チーム
1992〜199712日本ガンバ大阪

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

クラブ

期間年齢チーム出場得点
1997〜200417日本ガンバ大阪——
2001〜200221イングランドアーセナルFC——
2002〜200422イングランドフラムFC——
2004〜200624イングランドウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン——
2004〜200524ウェールズカーディフ・シティFC——
2006〜200726トルコガラタサライSK——
2007〜200927ドイツアイントラハト・フランクフルト——
2009〜201029フランススタッド・レンヌ——
2010〜201430日本川崎フロンターレ591
2015〜201835日本北海道コンサドーレ札幌451
2019〜202139日本SC相模原——
2022〜202442日本南葛SC——

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は国内リーグ戦の合計で、カップ戦・大陸大会を含む内訳は「個人成績」の表にあります。

代表

期間年齢チーム
199515日本日本 U-17
199919日本日本 U-20
200020日本日本 U-23
2000〜201020日本日本

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
200121日本ガンバ大阪イギリスアーセナルFC期限付き移籍—期間・移籍金は未確認
200222日本ガンバ大阪イギリスフラムFC期限付き移籍—期間・移籍金は未確認
200424日本ガンバ大阪イングランドウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン移籍—形態・移籍金は未確認
200424イングランドウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンイギリスカーディフ・シティFC期限付き移籍—期間・移籍金は未確認
200626イングランドウェスト・ブロムウィッチ・アルビオントルコガラタサライSK移籍—形態・移籍金は未確認
200727トルコガラタサライSKドイツアイントラハト・フランクフルト移籍—形態・移籍金は未確認
200929ドイツアイントラハト・フランクフルトフランススタッド・レンヌ移籍—形態・移籍金は未確認
201030フランススタッド・レンヌ日本川崎フロンターレ移籍—形態・移籍金は未確認
2015-0135日本川崎フロンターレ日本北海道コンサドーレ札幌完全移籍—移籍金は非公表・不明
2019-0139日本北海道コンサドーレ札幌日本SC相模原フリー移籍—
202242日本SC相模原日本南葛SC移籍—形態・移籍金は未確認

※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
日本語版 Wikipedia(経歴)・API-Football(移籍データ)。移籍の有無と移籍先は日本語版 Wikipedia の情報欄、日付・形態・移籍金は API-Football の掲載値。億円換算は ECB レート(2026-10-21 時点)

人物相関

所属履歴と出場記録から機械的に算出しています。個人の交友関係についての評価は含みません。

共にプレーした選手

同じクラブ・同じシーズンに両者とも出場記録がある選手を、シーズン数の多い順に並べています。取得元(API-Football)のシーズン名簿は 2010-11 シーズン以降しか無いため、それ以前に一緒にプレーしたシーズンは数に入りません。

選手クラブ期間シーズン 
具聖潤日本北海道コンサドーレ札幌2015〜20184
中村憲剛日本川崎フロンターレ2012〜20143
井川祐輔日本川崎フロンターレ2012〜20143
チャナティップ・ソングラシン日本北海道コンサドーレ札幌2017〜20182
古田寛幸日本北海道コンサドーレ札幌20151

指導を受けた監督

本人の在籍期間と監督の在任期間の重なりから算出しています。取得元(API-Football)に在任期間の登録がある監督だけが対象で、古い年代の監督は登録が無いため出ていません。

監督クラブ・代表在任
西野朗日本ガンバ大阪2002年2月〜2012年1月
トニー・モウブレイイングランドウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン2006年10月〜2009年6月
岡田武史日本日本代表2007年12月〜2010年7月
四方田修平日本北海道コンサドーレ札幌2015年7月〜2017年12月
西野朗日本日本代表2018年4月〜2018年7月
森保一日本日本代表2018年8月〜

日本語名を確認できない監督 7 人は掲載していません。

タイトル

クラブ

その他

日本代表 U-20

英語の記録名しか確認できないもの(5件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

獲得メダル

代表チームで獲得したメダルです(金1・銀1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。

AFCアジアカップ金 2000 レバノン
FIFAコンフェデレーションズカップ銀 2001 日韓

出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「稲本潤一」(版 110305749)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. API-Football(移籍データ)、2026年10月22日 取得 https://www.api-football.com/
  2. API-Football(選手・監督データ)、2026年10月25日 取得 https://www.api-football.com/
  3. Wikidata、2026年10月25日 取得 https://www.wikidata.org/
  4. Wikipedia(日本語版)「稲本潤一」、版 ID 110305749、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E6%9C%AC%E6%BD%A4%E4%B8%80
  5. Wikipedia(英語版)、版 ID 1354876135、2026年10月14日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Junichi_Inamoto

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