概要
四方田修平(Shuhei Yomoda、1973年3月14日生)は、日本出身のサッカー監督。2026から大分トリニータの監督を務めている。これまでに4クラブを指揮した。
四方田 修平(よもだ しゅうへい、1973年3月14日 - )は、千葉県千葉市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
クラブ経歴
幼少期
サッカーを始めたのは横浜市で小学校に入学してからで、千葉県へ引っ越すまで約1年半プレーした。幼稚園時代から小学校2年生の途中までは岡野雅行と同級生として過ごし、同じサッカークラブに所属していた。千葉県へ引っ越した後は、地元にサッカーチームがなかったため野球を始めたが、小学校5年の時から再び部活動でサッカーに復帰した。
北海道コンサドーレ札幌
1999年、コンサドーレ札幌監督に就任した岡田武史の誘いを受け、2002年からコンサドーレ札幌ユースU-18コーチを務め、2004年に同クラブのユースU-18監督に就任。U-18監督としては、2010年までプリンスリーグ北海道で優勝6回。2011年にプレミアリーグ・イースト優勝、2012年に同準優勝。また2005年高円宮杯準優勝、2012年Jユースカップ優勝を導いた。U-18監督として指導した選手のうち、2016年までに32名がプロサッカー選手となった。
2015年にJFA 公認S級コーチのライセンスを取得。7月24日にイヴィッツァ・バルバリッチの後任としてコンサドーレ札幌のトップチーム監督への就任が発表された。最終順位は10位。
2016年は好調で、一時は2位と勝ち点10以上をつけた。10月に入りチームの調子が悪くなったが、負ければ自動昇格圏陥落もあり得た11月12日のアウェー千葉戦をアディショナルタイム弾で逆転勝ち。金沢との最終戦を0-0で終え、9年ぶりのJ2優勝と5年ぶりのJ1復帰を果たした。
J1残留を目標に掲げた2017年は、ホームでは勝ち点を積み上げられるものの、アウェイでなかなか勝つことが出来ない状況が続き、更に5月から6月にかけて6連敗を喫して、残留争いに巻き込まれる。しかし、徐々に調子を取り戻し、第30節のFC東京戦でアウェイ戦初勝利を収めると、第32節の清水戦の勝利で、見事J1残留を成し遂げた。第33節・第34節でも勝利し、3連勝で最終順位を11位でシーズンを締めくくった。11月30日に前浦和監督のミハイロ・ペトロヴィッチ氏が翌シーズンの監督に就任することが発表され、四方田の去就について噂されたが、コーチに就任することを受諾。12月2日のシーズン最終戦後に発表した。
横浜FC
2021年12月10日、横浜FCの監督に就任した。 2022年シーズン、J2リーグで2位を確保し、J1リーグへの自動昇格を達成。 2023年5月度、月間優秀監督賞を受賞。2023年は1年でのJ2降格を喫してしまったが2024年も続投。チームは2024年をJ2・2位で終え、1年でのJ1復帰を果たした。J1定着を目指した2025年であったが、苦戦を強いられ、2025年7月23日、契約解除のため監督を退任。チームはここまで19位と低迷し、直近のリーグ戦は6連敗だった。
大分トリニータ
2025年12月1日、2026年J2・J3百年構想リーグより大分トリニータの監督に就任することが発表された。
百年構想リーグでは開幕3連勝スタートを飾ったが、その後失速しWEST-Bで7位、全体順位では27位に終わった。
代表経歴
高校、大学、日本代表スタッフ
習志野市立習志野高等学校を卒業後、順天堂大学へ入学して蹴球部に所属。この頃から将来の指導者を目指し始めた。筑波大学大学院へ進学してコーチ学を学び、1996年から1998年まで筑波大学蹴球部コーチを務めた。筑波大学大学院では田嶋幸三研究室に所属し、論文『サッカーにおけるスライディングタックルに関する研究』を発表。
1996年から1998年までサッカー日本代表チームのスカウティングスタッフも務め、1998年のワールドカップでは岡田武史監督の下、スカウティング担当として日本代表に同行した。
監督成績
在任別・通算
英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1330942803)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。
| 在任期間 | 年齢 | チーム | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| — | — | 102 | 49 | 19 | 34 | 48.0% | |
| — | — | 129 | 57 | 32 | 40 | 44.2% | |
| 通算 | 221 | 96 | 51 | 74 | 43.4% | ||
所属チーム
ユース(選手時代)
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1989〜1991 | 15 | |
| 1992〜1995 | 18 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
監督
移籍金・年俸・市場価値の推移
移籍履歴
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1992 | 18 | 習志野市立習志野高等学校 | 順天堂大学 | 移籍 | — | 下部組織への移籍 形態・移籍金は未確認 |
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「四方田修平」(版 110767137)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
出典
- Wikipedia(日本語版)「四方田修平」、版 ID 110767137、2026年10月11日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E6%96%B9%E7%94%B0%E4%BF%AE%E5%B9%B3
- Wikipedia(英語版)、版 ID 1330942803、2026年10月11日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Shuhei_Yomoda
※ 出典は媒体名・日付・URL を文字で記載しています(外部サイトへのリンクは行いません)。出典が確認できない数値はページに載せません。
関連項目
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