概要
岡野雅行(Masayuki Okano、1972年7月25日生)は、日本出身の元サッカー選手。ポジションはMF(ミッドフィールダー)。日本では1995年から通算25試合2得点を記録している。クラブでは公式戦通算505試合54得点(1994 シーズン以降)。クラブ・代表で通算7個のタイトルを獲得、個人賞は2回。
岡野 雅行(おかの まさゆき、1972年7月25日 - )は、神奈川県横浜市港北区出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー、フォワード。元日本代表。
人並み外れた俊足は「爆発的なスピード」と称され、長髪を振り乱しながら駆け回る姿や、足元の技術が拙いとされていることなどから「野人」の愛称で親しまれた。祖父は書家で文化功労者の手島右卿、叔父は崇教真光総裁の岡田晃弥。
クラブ経歴
プロ入りまで
横浜市立駒林小学校、横浜市立日吉台西中学校卒。卒業後にブラジルへのサッカー留学を熱望するが家族に反対され親戚の勧めで松江市の全寮制の松江日本大学高等学校(現:立正大学淞南高等学校)へ進学。島根県は高校数が少ないため全国高校サッカー選手権大会に出場しやすいと考えての選択であったが、同校は生徒の更生を重視する学校であり、入学式には全国から集まった生徒が特攻服やリーゼント姿で参列する環境であった。1時間目は1時間の直立不動を求められる「不動の姿勢」、2時間目は作業服で校舎裏の山を削る作業が行われるなど、過酷な学校生活であった。親には心配をかけないよう「最高に良い学校」と嘘をついて涙を流すこともあったが、「逃げたら終わり」との思いで耐え抜いた。 また、当初存在すると聞いていたサッカー部は存在せず、部員は岡野1人であったため、自ら部を立ち上げて生徒たちを集めた。 初試合は0-22で大敗したものの、部員の努力により1年後には島根県大会ベスト4まで躍進。高校最後の全国高校サッカー選手権島根県大会ではPK戦の末に敗退し、最後のキッカーとしてPKを外した岡野に対し、部員からは「お前で良かった。俺らは絶対に外せなかった」と声をかけられた。 なお、同校サッカー部は2001年の立正大学淞南高等学校への改称後も選手権の常連校となり、2010年には全国ベスト4に入っている。
その後、スポーツ推薦により日本大学へ進学し、当時2部であったサッカー部に入部。ただしスポーツ推薦ではあったもののサッカー推薦ではなかったために、日大入学=サッカー部入部というわけではなかった。高校時代の禁欲的な学校生活(親元を離れた全寮制、高校二年次までは男子校、怖い教師・先輩・校則・寮則が支配する校風等)の反動から、「体育会サッカー部に入れないなら、サッカーサークルで楽しい学生生活を・・・」と考えていたところ、「体育会サッカー部2名募集。入部テスト実施」のポスターを見て一念発起して応募した。高校サッカー名門校出身者、全国大会出場経験者がひしめく中、それらを押しのけて見事、入部テストに合格した。しかしあくまで雑用専門部員としての部員募集であった。そのために洗濯係専任、その他雑用・サッカー部寮の生活係を一手に引き受けるだけで大学にも満足に通えないような生活を送る日々であった。しかし1年時の天皇杯予選でコーチの長島裕明により抜擢されたことをきっかけに頭角を現す。
それまでは前線へボールを供給するミッドフィールダー的プレースタイルであったが、ある日、陸上部の選手とトレーニングをしたとき、大きなバスケットシューズを履きながらも、100m走で10.7秒を記録し、陸上部の選手を上回った。以降、俊足を活かしたプレースタイルへ変更する事になる。その100m走の記録が、俊足プレイヤーとして名高いクラウディオ・カニーヒアと同タイムだったことから、「自分も同じようなプレーができるのではないか」と考え、ビデオを見てカニーヒアのプレーを研究した。後に髪を伸ばしたり背番号7を付けるのもカニーヒアを意識したものであった。
なお、この予選では後に鹿島アントラーズとなる前身チームの住友金属蹴球団との試合でジーコと対戦している。結果は日大4-5住金(前半 日大3-0住金、後半 日大1-5住金)で住友金属の勝利。ジーコはベンチスタートだったが、前半終了した時点で格下であるはずの大学チームに3点も負けている状況に住金が慌て、後半開始直後からジーコを投入したとのこと。
夜は居酒屋でアルバイトしながら練習し、1993年の天皇杯関東大会の対筑波大学戦では「試合があるのを忘れて朝まで飲んでいた」岡野だったが、大岩剛、望月重良、藤田俊哉を擁した強豪相手に五人抜きのゴールを含む2得点を挙げて、勝利し、Jリーグの6クラブ(鹿島、柏レイソル、ガンバ大阪、浦和レッズなど)から声が掛かるようになる。中でも浦和が「一番熱心だった」といい、「大学を辞めてでも来てくれ」という熱意に動かされたため、日大を3年で中退して浦和入りした。
クラブ経歴
1994年に浦和に加入し、1年目からJリーグで35試合に出場、3ゴールを記録。1996年にはPKを任されるなど、キャリアハイとなる11ゴールをあげ、同年のJリーグベストイレブンとこの年より新設されたJリーグフェアプレー個人賞を受賞した。
1999年には、浦和在籍のままオランダのアヤックスに練習参加し、6月に帰国した。
2001年はチッタ監督の信頼を得られず、5節FC東京戦からはほぼベンチ外に追いやられた。2001年9月よりヴィッセル神戸に期限付き移籍、2002年12月に完全移籍が発表された。
2004年に浦和に完全移籍。2007年元日の天皇杯決勝では、途中交代で出場し、永井雄一郎の決勝点をアシストし、浦和の天皇杯連覇に貢献した。2008年、10月26日のアルビレックス新潟戦で後半ロスタイムから出場し、史上34人目のJ1通算300試合を達成。しかし、クラブが若返りを押し進めた ことから、共に長年浦和を支えてきた内舘秀樹と同じく11月26日に契約終了が発表され、浦和を離れることとなった。
2009年2月、香港リーグ1部の天水圍飛馬(TSWペガサス)に移籍。2月7日の香港リーグデビュー戦で初ゴールを挙げた。同年6月にリーグのシーズン終了をもって天水圍飛馬を退団。同年7月31日、ガイナーレ鳥取に移籍することが同クラブから発表された。
引退後
2013年シーズンを最後に現役を引退し、ガイナーレ鳥取のゼネラルマネージャーに就任した。2014年末、Jリーグ功労選手賞を受賞。
2015年2月15日、ガイナーレ鳥取の選手がお世話になった食堂「はしや」の女将の義娘、内間智美(内間安路の妻)が2013年12月に発症した肛門管癌の治療費を募る内間さんを支援する会の発起人を務める。
2017年12月11日放送の『激レアさんを連れてきた。』(テレビ朝日系)に「サッカー経験ゼロのヤンキー達を集めてサッカー部を作り強豪チームにする、という『ROOKIES』(ルーキーズ)」ばりの体験をしたのに、その話をあまりしていない」激レアさんとして出演し、サッカー部の無かった全寮制高校でヤンキーだらけのサッカー部を立ち上げ県内有数の強豪チームとなった松江日本大学高等学校時代のエピソードを披露して反響を呼び、実話を基に『激アツ!! ヤンキーサッカー部』として竜星涼主演で翌2018年9月にテレビドラマ化された。
2024年12月23日、ガイナーレ鳥取代表取締役GMを退任し、南葛SC事業本部長に就任。
代表経歴
代表
1995年1月に開催されたキング・ファハド・カップ(インターコンチネンタルカップ)の日本代表メンバーに選出されたが、同大会では試合出場はなく、同年9月20日のパラグアイ代表戦にて代表初出場。1996年8月25日のウルグアイ代表戦にて初ゴールを記録。
1997年、1998 FIFAワールドカップ・アジア予選にも参加するが、最終予選では出場はないまま迎えたアジア第3代表決定戦(イラン代表戦)に、延長戦の開始から出場。GKと1対1など決定機を数度逃すも決勝ゴールデンゴールを決め、日本代表をワールドカップ初出場に導いた事で、一躍時の人となった。なお、本試合での活躍を受け、1998年1月に浦和レッズ筆頭株主の三菱自動車工業より、岡野本人が希望した車種であるパジェロエボリューションが贈呈された。岡野は試合中のウォーミングアップ時までVゴール方式を理解しておらず、本田泰人に「お前さぁ...」と呆れられたという。それまで出場機会が得られず、岡田監督に試合に出すよう直訴していたものの、試合がドーハの悲劇を予感させる不穏な展開、雰囲気になったため「関わるのはやめよう」と考え始めた。そんな中で岡田から交代を命じられピッチに立った。ゴールキーパーと一対一の決定機でシュートを打たずにパスカットされた際には、中田英寿をはじめとするチームメイトから落胆され、ゴール裏のサポーターからも怒号を飛ばされた。「岡田さんだけは味方でいてくれる」と岡田の方を見るが、「岡野殺すぞー!」と同じように怒号を飛ばされてしまう。だが、エンドを変える際にチームメイト達が励ましの言葉をかけてくれたことで緊張が解け、Vゴールに繋がったという。
1998年、1998 FIFAワールドカップ日本代表に選出。グループリーグ第2戦・クロアチア戦の後半16分から途中出場した。
個人成績
数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。
クラブ
| クラブ | シーズン | 年齢 | ディビジョン | リーグ | 国内カップ1 | リーグカップ2 | シーズン通算 | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 1994 | 21 | 3 | 3 | 0 | 2 | 0 | — | — | 40 | 3 | |
| 1995 | 22 | 5 | 3 | 0 | — | — | — | — | 47 | 5 | |
| 1996 | 23 | 11 | 3 | 2 | 13 | 2 | — | — | 46 | 15 | |
| 1997 | 24 | 4 | 2 | 1 | 0 | 0 | — | — | 25 | 5 | |
| 1998 | 25 | 7 | 2 | 1 | 0 | 0 | — | — | 36 | 8 | |
| 1999 | 26 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | — | — | 15 | 0 | |
| 2000 | 27 | 6 | 4 | 1 | 2 | 0 | — | — | 32 | 7 | |
| 2001 | 28 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | — | — | 9 | 0 | |
| 通算 | 17 | 5 | 22 | 2 | 0 | 0 | 250 | 43 | |||
| 2001 | 28 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | — | — | 13 | 3 | |
| 2002 | 29 | 1 | 1 | 0 | 5 | 0 | — | — | 30 | 1 | |
| 2003 | 30 | 0 | 2 | 0 | 6 | 1 | — | — | 31 | 1 | |
| 通算 | 5 | 0 | 11 | 1 | 0 | 0 | 74 | 5 | |||
| 2004 | 31 | 1 | 2 | 0 | 8 | 2 | — | — | 25 | 3 | |
| 2005 | 32 | 1 | 4 | 0 | 7 | 0 | — | — | 31 | 1 | |
| 2006 | 33 | 0 | 2 | 0 | 6 | 0 | — | — | 16 | 0 | |
| 2007 | 34 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 6 | 0 | 19 | 0 | |
| 2008 | 35 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 7 | 0 | |
| 通算 | 9 | 0 | 25 | 2 | 6 | 0 | 98 | 4 | |||
| 天水圍飛馬 | 2008/09 | — | 1 | 4 | 0 | 1 | 0 | — | — | 14 | 1 |
| 2009 | 36 | 1 | 1 | 0 | — | — | — | — | 8 | 1 | |
| 2010 | 37 | 0 | 0 | 0 | — | — | — | — | 16 | 0 | |
| 2011 | 38 | 0 | 1 | 0 | — | — | — | — | 14 | 0 | |
| 2012 | 39 | 0 | 0 | 0 | — | — | — | — | 20 | 0 | |
| 2013 | 40 | 0 | 1 | 0 | — | — | — | — | 11 | 0 | |
| 通算 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 69 | 1 | |||
| キャリア通算 | 38 | 5 | 59 | 5 | 6 | 0 | 505 | 54 | |||
1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. リーグカップ(EFLカップ、JリーグYBCルヴァンカップなど) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
代表
日本 としての年別成績です。親善試合を含みます。
| 年 | 年齢 | 出場 | 得点 | 得点グラフ |
|---|---|---|---|---|
| 1995 | 22 | 3 | 0 | |
| 1996 | 23 | 11 | 1 | |
| 1997 | 24 | 5 | 1 | |
| 1998 | 25 | 5 | 0 | |
| 1999 | 26 | 1 | 0 | |
| 通算 | 25 | 2 | ||
年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
所属チーム
ユース
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1988〜1990 | 15 | |
| 1991〜1993 | 18 | 日本大学 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
クラブ
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
代表
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1995〜1999 | 22 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
移籍金・年俸・市場価値の推移
移籍履歴
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1991 | 18 | 松江日本大学高等学校 | 日本大学 | 移籍 | — | 下部組織への移籍 形態・移籍金は未確認 |
| 1994 | 21 | 日本大学 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | |
| 2001 | 28 | 期限付き移籍 | — | 期間・移籍金は未確認 | ||
| 2003 | 30 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 2004 | 31 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 2009 | 36 | 天水圍飛馬 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | |
| 2009 | 36 | 天水圍飛馬 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
人物相関
所属履歴と出場記録から機械的に算出しています。個人の交友関係についての評価は含みません。
共にプレーした選手
同じクラブ・同じシーズンに両者とも出場記録がある選手を、シーズン数の多い順に並べています。取得元(API-Football)のシーズン名簿は 2010-11 シーズン以降しか無いため、それ以前に一緒にプレーしたシーズンは数に入りません。
| 選手 | クラブ | 期間 | シーズン | |
|---|---|---|---|---|
| 小針清允 | 2012〜2013 | 2 |
タイトル
クラブ
浦和レッズ
- AFCチャンピオンズリーグ:1回(2007)
- J1リーグ:1回(2006)
- 天皇杯:2回(2005, 2006)
- 富士フイルム スーパーカップ:1回(2006)
ガイナーレ鳥取
- 日本フットボールリーグ:1回(2010)
個人
- Jリーグ ベストイレブン:1回(1996)
英語の記録名しか確認できないもの(2件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「岡野雅行 (サッカー選手)」(版 111217455)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
出典
- API-Football(選手・監督データ)、2026年10月26日 取得 https://www.api-football.com/
- Wikidata、2026年10月26日 取得 https://www.wikidata.org/
- Wikipedia(日本語版)「岡野雅行 (サッカー選手)」、版 ID 111217455、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E9%87%8E%E9%9B%85%E8%A1%8C_%28%E3%82%B5%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E9%81%B8%E6%89%8B%29
- Wikipedia(英語版)、版 ID 1376167898、2026年10月14日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Masayuki_Okano
※ 出典は媒体名・日付・URL を文字で記載しています(外部サイトへのリンクは行いません)。出典が確認できない数値はページに載せません。
関連項目
掲載写真は Wikidata API および Wikimedia Commons API を通じて、ライセンス(CC BY-SA / パブリックドメイン等)と作者表示の要件を確認したうえで掲載します。