ジョージ・ウェア

SOCCERPEDIA / 選手ページ / リベリアのサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日


概要

リベリアジョージ・ウェア(George Weah、1966年10月1日生)は、モンロビア出身の元サッカー選手。ポジションはFW。リベリアでは1986年から通算75試合18得点を記録している。クラブでは公式戦通算478試合193得点(1988-89 シーズン以降)。Wikidata に登録されている受賞は4種・4件。登録漏れがあるため実際の受賞回数より少ない場合がある。

ジョージ・マネー・オポング・ウェア(, 1966年10月1日 - )は、リベリア・モンロビア出身の政治家、元サッカー選手。リベリアの第25代大統領。サッカー選手として同国代表に14年間にわたって選出され、「リベリアの怪人」と称された。

バロンドールの規定が改定されて最初の年である1995年にFIFA最優秀選手賞と欧州最優秀選手賞を受賞。ゴールキーパーを含めたほとんどのポジションをこなす。高い身体能力とゴール決定力を誇り、ACミラン時代のラツィオ戦では一人スルーパスからゴールを決めたことも有名。また、96 - 97シーズンの開幕戦で自陣ペナルティエリア付近から約80メートルを相手ゴール前まで単独でドリブル突破した上でゴールを決めた際、翌日の地元紙は「サン・シーロにUFO出現」の見出しを掲げた。

2005年の総選挙よりリベリア政界に進出し、2018年1月22日より大統領に就任した。ジョセフ・ボアカイとの選挙での抗争で知られるポピュリストとして、主に若者からの人気は根強い。

クラブ経歴

経歴

モンロビア郊外のので14人兄弟の3番目として生まれる。幼い時に父を失い、祖母に育てられた彼の最初の夢はモンロビアのテレフォンオペレーターになることだった。

サッカー選手として

15歳の時に当時3部リーグ所属の地元のサッカークラブ、ヤング・サバイバーズと契約するとゴールキーパーとしてサッカーキャリアをスタートした。すぐに得点をすることへ楽しさを覚え、フォワードへ転向、30試合に出場し31得点を記録。チームを2部リーグに昇格させた。

その後1部リーグのクラブを経て、1986年にはリベリアで最高のチームであったへ移籍。このクラブではキャプテンを務め得点王も獲得して、カメルーンのスカウトの目にとまり1987年に国外デビューを果たした。

1シーズンカメルーンで過ごしたウェアは、その後フランスのASモナコへ移籍し、監督を務めていたアーセン・ヴェンゲルから、自らの子供の様に扱われ、成長を助けられた。1991年にクープ・ドゥ・フランスをもたらすと、翌年にはチームをカップ・ウィナーズカップの決勝に導いた。1992年に移籍したパリSGでもチームをリーグ優勝に導くと、1995年には再びクープ・ドゥ・フランスをチームにもたらした。また、1994-95シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは通算7得点を決め、チームを準決勝まで導いた。しかし、パリサンジェルマンファンから人種差別を受けることもあった。

1995年、アフリカ人として初のバロンドールを受賞し、同年にFIFA(国際サッカー連盟)選出の世界年間最優秀選手賞も受賞。最後に自身3度目(89年、94年、95年)となるアフリカ年間最優秀選手賞と、この年の個人タイトルを総なめにした。

1995-96シーズンACミランへ加入すると、リーグ開幕節のパドヴァ戦で初ゴールとフランコ・バレージへのアシストを決める公式戦デビューを果たした。このシーズン、得点だけでなくアシストも二桁以上を記する活躍、チームはリーグ制覇を果たした。1996-97シーズンの開幕戦となった、エラス・ヴェローナ戦では自陣からドリブルでゴールを決めるなど、多くの得点を決めた。驚異的な身体能力を誇り、「リベリアの怪人」と呼ばれた。1998-99シーズンにもリーグ優勝を果たしたが、その後は膝の怪我等も有り、1999-00シーズン途中にチェルシーFCに移籍。以降マンチェスター・シティFC、マルセイユ、アル・ジャジーラと渡り歩き2002-2003シーズンをもって現役引退した。

リベリア代表として75試合に出場したが、FIFAワールドカップの本大会に出場することはできなかった。特に2002年大会のアフリカ予選では1位と勝ち点1差で惜しくも出場を逃した。

内戦で傷ついた祖国リベリアの為にジョージ・ウェア基金を設立するなどしてリベリアのユニセフ親善大使も務めた(大統領立候補の際、規定により一時的に大使を辞めている)。

2008年1月、日本のバリエンテ郡山の総監督に就任した。しかし、来日は就任会見時の1度のみで、シーズン開幕後に訪日することはなかった。同クラブは不祥事のため2008年シーズンをもって運営会社が解散。ウェアも事実上退任した。

政治家として

サッカー選手引退後、アメリカのフロリダ州とニューヨークで妻子と共に暮らしていたが、に民主変革会議 (CDC)候補として立候補。その際の遊説は、自身がエリート層出身者では無いと貧困層に訴えるポピュリズムそのものだった。第1回目の選挙で最多得票を勝ち取ったものの過半数に満たなかったために、ウェアに次ぐ票を得たエレン・ジョンソン・サーリーフとの決選投票となり、他候補者との連合に成功したサーリーフに最終投票で敗北した。

2009年にアメリカからリベリアに帰国し、CDCのモンセラード郡の上院議員候補になるために政治活動を開始。で現職のサーリーフに再び挑む意向を発表した。実際にはCDCのがサーリーフに挑む事になり、タブマンは彼を副大統領候補に選んだ。結局はサーリーフが再選を果たしたが、政治家になる決意をさらに固めた。

にモンセラード郡から立候補し、12月20日の投開票でサーリーフの息子であるロバート・サーリーフを下し初当選。に出馬し、10月10日の第1回目投票では得票率39%で1位となり、12月26日の決選投票では61.5%を得票、ジョセフ・ボアカイを下し当選した。2018年1月22日に就任。副大統領は、シエラレオネ特別法廷で有罪となり収監中のチャールズ・テイラー (第22代大統領)の元妻であるであるが、テイラーの復権につながるとの懸念も出た。

代表経歴

代表での出場記録とメダルから組み立てた説明です。

1986年にリベリアでの出場記録が始まり、2018年までに通算75試合18得点を記録した。

人物像

人物

ウェアはキリスト教プロテスタントの家で生まれているが、彼は1997年にイスラム教に改宗し、名前も「ウスマン(Ousman)」と言うイスラム名で呼ばれ、10年間イスラム教徒としてイスラム教を学んだ。しかし、再びプロテスタンティズム精神を求め、彼が当時在住していたフランスで2007年に「自分はもうイスラム教徒ではない」と語り、イスラム教徒をやめ、元のプロテスタントに戻った。彼はキリスト教徒とイスラム教徒が平和になる事を願っており、彼らは一人だと言う。2017年10月に彼はナイジェリアでナイジェリアの著名なキリスト教伝道師の預言者の主催の集会に出席した。そこにはリベリア国民愛国戦線元指導者のプリンス・ジョンソンがおり、一緒に並んでジョシュアと握手を交わしている。なおジョンソンはリベリア内戦の時、敵対していたサミュエル・ドウ(第21代大統領)を捕らえ殺害したが、その後、ナイジェリアに亡命し、キリスト教に目覚め、牧師となっており、2007年にジョシュアの仲介でジョンソンはドウの残された家族と和解している。2017年の大統領選でジョンソンはウェアを支持しており、ジョシュア仲介のナイジェリアでのジョンソンとの出会いが彼の2017年の大統領選への立候補に重要な影響を与えたと言われている。

フランス語が流暢に話せサッカー選手としてフランスのリーグに所属し長らくフランスに住んでいた事もある縁から、フランスの市民権も持っている。

個人成績

数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。

クラブ

クラブシーズン年齢ディビジョンリーグ国内カップ1リーグカップ2大陸大会3その他4シーズン通算
出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点
フランスモナコ1988-8921ディヴィジョン12314101——52——3817
1989-9022ディヴィジョン117500——73——248
1990-9123ディヴィジョン1291065——53——4018
1991-9224ディヴィジョン1341841——94——4723
通算10347207——2612——14966
フランスパリ・サンジェルマン1992-9325ディヴィジョン1301462——97——4523
1993-9426ディヴィジョン1321132——51——4014
1994-9527ディヴィジョン13475231118——5318
通算9632146312516——13855
イタリアミラン1995-9628セリエA261131——63——3515
1996-9729セリエA281320——53103616
1997-9830セリエA241083——————3213
1998-9931セリエA26841——————309
1999-2000—セリエA10420——1110145
通算11446195——1272014758
イングランドチェルシー1999-2000—プレミアリーグ11342——————155
イングランドマンチェスター・シティ2000-0133プレミアリーグ71——23————94
フランスマルセイユ2000-0133ディヴィジョン119510——————205
キャリア通算350134582054633520478193

1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. リーグカップ(EFLカップ、JリーグYBCルヴァンカップなど) 3. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 4. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

代表

リベリア としての年別成績です。親善試合を含みます。

年年齢出場得点得点グラフ
19861940
19872096
19882141
19892251
19922510
19932620
19942731
19952850
19962961
19973082
19983130
19993231
20003371
200134113
20023531
20185110
通算7518

年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

所属チーム

クラブ

期間年齢チーム
1981〜198414リベリアヤング・サバイバーズ
1984〜198517リベリアボング・レンジ・ユナイテッド
1985〜198618マイティ・バロール
1986〜198719リベリアインヴィンシブル・イレブン
198720コートジボワールアフリカ・スポール
1987〜198820カメルーントネール・ヤウンデ
1988〜199221フランスモナコ
1992〜199525フランスパリ・サンジェルマン
1995〜200028イタリアミラン
200033イングランドチェルシー
200033イングランドマンチェスター・シティ
2000〜200133フランスマルセイユ
2001〜200334UAEアル・ジャジーラ

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

代表

期間年齢チーム
1986〜200219リベリアリベリア

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
198417リベリアヤング・サバイバーズリベリアボング・レンジ・ユナイテッド移籍—形態・移籍金は未確認
198518リベリアボング・レンジ・ユナイテッドマイティ・バロール移籍—形態・移籍金は未確認
198619マイティ・バロールリベリアインヴィンシブル・イレブン移籍—形態・移籍金は未確認
198720リベリアインヴィンシブル・イレブンアフリカ・スポール移籍—形態・移籍金は未確認
198720アフリカ・スポールカメルーントネール・ヤウンデ移籍—形態・移籍金は未確認
198821カメルーントネール・ヤウンデフランスモナコ移籍—形態・移籍金は未確認
199225フランスモナコフランスパリ・サンジェルマン移籍—形態・移籍金は未確認
199528フランスパリ・サンジェルマンイタリアミラン移籍—形態・移籍金は未確認
200033イタリアミランイングランドチェルシー移籍—形態・移籍金は未確認
200033フランスマルセイユイングランドマンチェスター・シティ期限付き移籍—期間・移籍金は未確認
200033イングランドチェルシーフランスマルセイユ移籍—形態・移籍金は未確認
200134フランスマルセイユアル・ジャジーラ移籍—形態・移籍金は未確認

※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認

人物相関

所属履歴と出場記録から機械的に算出しています。個人の交友関係についての評価は含みません。

指導を受けた監督

本人の在籍期間と監督の在任期間の重なりから算出しています。取得元(API-Football)に在任期間の登録がある監督だけが対象で、古い年代の監督は登録が無いため出ていません。

監督クラブ・代表在任
アーセン・ヴェンゲルフランスモナコ1987年7月〜1995年6月
クラウディオ・ラニエリイングランドチェルシー2000年9月〜2004年6月

タイトル

Wikidata に登録されている受賞を、受賞年とともにまとめています。当サイトが独自に集計した数ではなく、登録されている分の件数です(登録漏れがあるため、実際の受賞回数より少ない場合があります)。

受賞年が登録されていない賞(2件)

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「ジョージ・ウェア」(版 109384035)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. RSSSF、2026年9月13日 取得 https://rsssf.org/miscellaneous/onze-awards.html
  2. Wikidata、2026年10月25日 取得 https://www.wikidata.org/
  3. Wikipedia(日本語版)「ジョージ・ウェア」、版 ID 109384035、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A2
  4. Wikipedia(英語版)、版 ID 1379092755、2026年10月21日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/George_Weah

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