概要
リリアン・テュラム(Lilian Thuram、1972年1月1日生)は、ポワンタピートル出身の元サッカー選手。ポジションはDF。フランスでは1994年から通算142試合2得点を記録している。クラブでは公式戦通算683試合13得点(1990-91 シーズン以降)。クラブ・代表で通算12個のタイトルを獲得、個人賞は20回(オンズ・ド・オンズ 8回、ESM チーム・オブ・ザ・イヤー 2回)。
リュディー・リリアン・テュラム=ユリアン(Ruddy Lilian Thuram-Ulien, 1972年1月1日 - )は、フランス・グアドループ・ポワンタピートル出身の元サッカー選手。元フランス代表。ポジションはディフェンダー。ウーゴ・ロリスに記録更新されるまでは同国代表の歴代最多出場記録保持者(142試合)であった。
クラブ経歴
経歴
1972年1月1日、グアドループの漁業の拠点となるグランド・テール島の港町ポワンタピートルに生まれた。ちなみにテュラムの誕生は新年を迎えてわずか20秒後のことで、72年に生まれた最初の子供としてメディアが取材に訪れ、新聞記事に掲載されたという。幼少期はピアノにも親しみ、夢はカトリックの神父になることであった。
1981年、フランス本土パリ郊外にあるフォンテーヌブローに移り住み、サッカーを始める。
クラブ経歴
1988年、フランスのASモナコにスカウトされた。1990年に同クラブでプロデビュー。当時の監督アーセン・ベンゲルの指導の下、次第に身体能力の高さと1対1の場面での勝負強さが注目され始めた。
1996年にセリエA・パルマACへ移籍し活躍。イタリア代表GKジャンルイジ・ブッフォンとDFファビオ・カンナヴァーロとのトリオは世界最高の守備トリオと呼ばれた。
2001年、同僚ジャンルイジ・ブッフォンとともにユヴェントスFCへ移籍し、2001-02シーズンと2002-03シーズンの連覇を果たす。2004年、パルマでコンビを組んだファビオ・カンナバーロが加入し、パルマ時代のトリオ再結成となった。2004-05シーズン、2005-06シーズンと連覇を果たすものの、2006年、カルチョーポリにおける審判買収でユヴェントスが降格した。本人は現役引退も視野に入れていたようだが、最終的に同僚ジャンルカ・ザンブロッタとともにFCバルセロナへ移籍した。
EURO2008後、パリ・サンジェルマン移籍が確実視されていたが、メディカルチェックにて心臓の奇形が発覚した。再検査を行った結果、最初の診断は誤りで、彼の心臓は正常であったことがわかったが、彼の実兄はかつてバスケットボールの試合中に心臓発作で亡くなっており、テュラムにも同じことが起こるのではと常日頃から心配していた母親を安心させるため、現役引退を2008年8月1日に正式に表明した。
引退後
2009年2月、2008年12月にニコラ・サルコジ大統領から内閣入りの話を持ちかけられ、長時間にわたる会談を行ったが、断っていたことを明らかにした。
代表経歴
代表経歴
1998年のフランスW杯では、グループリーグを通じて7試合2失点(グループリーグ最終戦を前に決勝トーナメント進出が決まっていたフランス代表は、最終戦であるデンマーク戦はサブメンバー中心でテュラムも出場せず、実質6試合1失点)という強固な守備陣の一翼を担い、W杯初優勝を果たした。特に、準決勝のクロアチア戦において自らのミスにより先制された後、2得点を挙げてチームを決勝に導いた。この時の2得点は自身の代表での唯一の得点となった。2000年にオランダ・ベルギーで開催されたEURO2000でも守備の要として、優勝に貢献した。
2005年、ドイツW杯欧州予選に苦しむフランス代表の救世主として、モンペリエで行われた国際親善試合コートジボワール戦にてジネディーヌ・ジダン、クロード・マケレレと共に代表復帰した。自身は負傷交代したものの、チームは3-0で勝利。その後、苦しんでいたフランス代表は息を吹き返し、予選を1位で通過した。2006年、ドイツW杯グループリーグ・トーゴ戦において、かつての盟友マルセル・デサイーの持つ代表出場記録を塗り替え、歴代1位となった。チームは決勝で敗れたものの、守備の要として全試合に出場した。
スイス・オーストリア共催で開かれたEURO2008の初戦、ルーマニア戦に出場した事によりEURO出場試合数を15とし、歴代1位となった。大会を最後にフランス代表からの引退を発表。代表出場142試合はウーゴ・ロリスに次いで歴代2位であり長らく最多出場記録を保持していた。
個人成績
数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。
クラブ
| クラブ | シーズン | 年齢 | ディビジョン | リーグ | 国内カップ1 | 大陸大会2 | その他3 | シーズン通算 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 1990-91 | 18 | ディヴィジョン1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | — | — | 1 | 0 | |
| 1991-92 | 19 | ディヴィジョン1 | 19 | 0 | 4 | 0 | 4 | 0 | — | — | 27 | 0 | |
| 1992-93 | 20 | ディヴィジョン1 | 37 | 0 | 2 | 0 | 4 | 0 | — | — | 43 | 0 | |
| 1993-94 | 21 | ディヴィジョン1 | 25 | 1 | 3 | 1 | 8 | 1 | — | — | 36 | 3 | |
| 1994-95 | 22 | ディヴィジョン1 | 37 | 2 | 2 | 0 | — | — | 3 | 1 | 42 | 3 | |
| 1995-96 | 23 | ディヴィジョン1 | 36 | 5 | 3 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | 44 | 5 | |
| 通算 | 155 | 8 | 14 | 1 | 18 | 1 | 6 | 1 | 193 | 11 | |||
| 1996-97 | 24 | セリエA | 34 | 1 | 1 | 0 | 2 | 0 | — | — | 37 | 1 | |
| 1997-98 | 25 | セリエA | 32 | 0 | 6 | 0 | 8 | 0 | — | — | 46 | 0 | |
| 1998-99 | 26 | セリエA | 34 | 0 | 8 | 0 | 11 | 0 | — | — | 53 | 0 | |
| 1999-2000 | — | セリエA | 33 | 0 | 2 | 0 | 10 | 0 | 2 | 0 | 47 | 0 | |
| 2000-01 | 28 | セリエA | 30 | 0 | 8 | 0 | 7 | 0 | — | — | 45 | 0 | |
| 通算 | 163 | 1 | 25 | 0 | 38 | 0 | 2 | 0 | 228 | 1 | |||
| 2001-02 | 29 | セリエA | 30 | 0 | 3 | 0 | 8 | 0 | — | — | 41 | 0 | |
| 2002-03 | 30 | セリエA | 27 | 1 | 0 | 0 | 15 | 0 | 1 | 0 | 43 | 1 | |
| 2003-04 | 31 | セリエA | 23 | 0 | 4 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 32 | 0 | |
| 2004-05 | 32 | セリエA | 37 | 0 | 1 | 0 | 11 | 0 | — | — | 49 | 0 | |
| 2005-06 | 33 | セリエA | 27 | 0 | 4 | 0 | 8 | 0 | 0 | 0 | 39 | 0 | |
| 通算 | 144 | 1 | 12 | 0 | 47 | 0 | 1 | 0 | 204 | 1 | |||
| 2006-07 | 34 | ラ・リーガ | 23 | 0 | 2 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 30 | 0 | |
| 2007-08 | 35 | ラ・リーガ | 18 | 0 | 4 | 0 | 6 | 0 | — | — | 28 | 0 | |
| 通算 | 41 | 0 | 6 | 0 | 10 | 0 | 1 | 0 | 58 | 0 | |||
| キャリア通算 | 503 | 10 | 57 | 1 | 113 | 1 | 10 | 1 | 683 | 13 | |||
1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 3. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
代表
フランス としての年別成績です。親善試合を含みます。
| 年 | 年齢 | 出場 | 得点 | 得点グラフ |
|---|---|---|---|---|
| 1994 | 22 | 1 | 0 | |
| 1995 | 23 | 5 | 0 | |
| 1996 | 24 | 13 | 0 | |
| 1997 | 25 | 8 | 0 | |
| 1998 | 26 | 16 | 2 | |
| 1999 | 27 | 9 | 0 | |
| 2000 | 28 | 14 | 0 | |
| 2001 | 29 | 4 | 0 | |
| 2002 | 30 | 12 | 0 | |
| 2003 | 31 | 12 | 0 | |
| 2004 | 32 | 9 | 0 | |
| 2005 | 33 | 7 | 0 | |
| 2006 | 34 | 16 | 0 | |
| 2007 | 35 | 10 | 0 | |
| 2008 | 36 | 6 | 0 | |
| 通算 | 142 | 2 | ||
年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
所属チーム
ユース
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1981〜1982 | 9 | |
| 1983〜1984 | 11 | |
| 1985〜1988 | 13 | FCムラン |
| 1989〜1990 | 17 | |
| 1990〜1991 | 18 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
クラブ
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
代表
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1992〜1994 | 20 | |
| 1994〜2008 | 22 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
移籍金・年俸・市場価値の推移
移籍履歴
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1989 | 17 | FCムラン | 移籍 | — | 下部組織への移籍 形態・移籍金は未確認 | |
| 1990 | 18 | 移籍 | — | 下部組織への移籍 形態・移籍金は未確認 | ||
| 1996 | 24 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 2001 | 29 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 2006 | 34 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
人物相関
所属履歴と出場記録から機械的に算出しています。個人の交友関係についての評価は含みません。
指導を受けた監督
本人の在籍期間と監督の在任期間の重なりから算出しています。取得元(API-Football)に在任期間の登録がある監督だけが対象で、古い年代の監督は登録が無いため出ていません。
| 監督 | クラブ・代表 | 在任 |
|---|---|---|
| アーセン・ヴェンゲル | 1987年7月〜1995年6月 | |
| マルチェロ・リッピ | 2001年7月〜2004年6月 |
タイトル
クラブ
モナコ
- クープ・ドゥ・フランス:1回(1990-91)
パルマ
- コッパ・イタリア:1回(1998-99)
- スーペルコッパ・イタリアーナ:1回(1999)
- UEFAカップ:1回(1998-99)
ユヴェントス
- セリエA:2回(2001-02, 2002-03)
- スーペルコッパ・イタリアーナ:1回(2002)
FCバルセロナ
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ:1回(2006)
代表
フランス代表
- FIFAワールドカップ:2回(1998, 2006)
- UEFA欧州選手権:1回(2000)
個人
- オンズ・ド・オンズ:8回(1996, 1997, 1998, 1999, 2000, 2001, 2003, 2006)
- フランス年間最優秀選手(フランス・フットボール誌):1回(1997)
- グエリン・ドーロ:1回(1997)
- FIFAワールドカップ ブロンズボール:1回(1998)
- ESM チーム・オブ・ザ・イヤー:2回(1998-99, 2002-03)
- FIFA 100(偉大な選手100人):1回(2004)
- UNFP 20周年記念ベストイレブン:1回(2011)
英語の記録名しか確認できないもの(5件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
獲得メダル
代表チームで獲得したメダルです(金3・銀1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。
| FIFAワールドカップ | 金 1998銀 2006 |
|---|---|
| UEFA欧州選手権 | 金 2000 |
| FIFAコンフェデレーションズカップ | 金 2003 |
出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「リリアン・テュラム」(版 110463247)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
出典
- Wikidata、2026年10月25日 取得 https://www.wikidata.org/
- Wikipedia(日本語版)「リリアン・テュラム」、版 ID 110463247、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%86%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%83%A0
- Wikipedia(英語版)、版 ID 1378653819、2026年10月14日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Lilian_Thuram
※ 出典は媒体名・日付・URL を文字で記載しています(外部サイトへのリンクは行いません)。出典が確認できない数値はページに載せません。
関連項目
- モナコ
- パルマ
- ユヴェントス
- バルセロナ
- フランス
- フランス U-21
- クープ・ドゥ・フランス
- コッパ・イタリア
- スーペルコッパ・イタリアーナ
- UEFAカップ
- セリエA
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ
- FIFAワールドカップ
- UEFA欧州選手権
- FIFAコンフェデレーションズカップ
- オンズ・ド・オンズ
- ESM チーム・オブ・ザ・イヤー
- フランス年間最優秀選手(フランス・フットボール誌)
掲載写真は Wikidata API および Wikimedia Commons API を通じて、ライセンス(CC BY-SA / パブリックドメイン等)と作者表示の要件を確認したうえで掲載します。