リバウド

SOCCERPEDIA / 選手ページ / ブラジルのサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日


概要

ブラジルリバウド(Rivaldo、1972年4月19日生)は、ブラジル出身の元サッカー選手。ポジションはMF(ミッドフィールダー)。ブラジルでは1993年から通算74試合35得点を記録している。クラブでは公式戦通算813試合384得点(1991 シーズン以降)。クラブ・代表で通算28個のタイトルを獲得、個人賞は29回(ESM チーム・オブ・ザ・イヤー 2回、FIFA最優秀選手 2回)。

リバウド・ヴィトール・ボルバ・フェレイラ(, 1972年4月19日 - )は、ブラジル・レシフェ出身の元サッカー選手。元ブラジル代表。

2002 FIFAワールドカップではロナウド、ロナウジーニョと共に3Rと呼ばれる攻撃陣を結成し、ブラジルの5回目の優勝に貢献した。

他の表記としては、リバルド、リヴァウド、リヴァルド、ヒバウド、ヒバルド、ヒヴァウド、ヒヴァルドなどがある。

クラブ経歴

クラブ経歴

SEパルメイラスでの活躍を経て1996年、当時ヴェルディ川崎から500万ドルのオファーがきていたが、スペインのデポルティーボ・ラ・コルーニャに移籍。初年度にも関わらず46試合で21得点という好成績を残し、移籍したロナウドの後釜としてFCバルセロナへと移籍した。

バルセロナでは1997-98、1998-99シーズンでのリーグ連覇に貢献し、1998-99シーズンにはバロンドールとFIFA最優秀選手賞を受賞。2000-2001シーズンから背番号が「11」から「10」になり、スター選手であるルイス・フィーゴがライバル関係にあるレアル・マドリードへ移籍したため、リバウドがエースとなった。また2001-02シーズンでは、パトリック・クライファート、ハビエル・サビオラと共にトリデンテ(三叉の矛)とよばれるトリオの中心として、強烈な攻撃を披露していた、しかし、このシーズンのリバウドは怪我が多く、試合数得点数ともに加入以来最低の成績であった。

ルイ・ファン・ハール監督との折り合いが悪く、2002-03シーズンからファン・ハールがバルセロナの監督を再び就任することになると、2002年にACミランへ移籍した。だが、イタリアのプレースタイルに馴染めず、更に自身の離婚問題でコンディションを崩し出場機会に恵まれず、2003年に退団した。

その後ギリシャのオリンピアコスFCに移籍。リーグの得点王になるなど中心選手としてリーグ3連覇に貢献したが、2006-07シーズンオフに契約交渉が決裂し退団。ブラジルに帰国する予定であったが、家族がギリシャに残ることを希望したため、退団して2週間後にオリンピアコスのライバルであるAEKアテネFCと2年契約を結ぶ。しかし、またもチームと軋轢が生じ、2008年8月29日、ウズベキスタンリーグ1部のFCブニョドコルと2年契約を結んだことがAEKアテネより発表された。その後、クラブでは2連覇に貢献し、特に2009年シーズンにはリーグ得点王にも輝いた。

2010年8月にブニョドコルとの契約を解除して退団した。その後、自身のツィッター上において、2011年にリバウド自身が会長を務めるモジミリンECで現役生活を再開することを発表した。しかし、2011年1月23日にサンパウロFCへのレンタル移籍が発表された。それからと契約を結んだ。そして2012-13シーズンからは、ADサンカエターノと1年契約で移籍し、2013年2月9日、移籍後初ゴールをあげた。

2014年3月15日、自身のインスタグラム内で現役引退を発表したが、2015年6月ブラジル2部で最下位に低迷するモジミリンECを救うために現役復帰を表明、7月7日ナウチコ戦で現役復帰後7月14日のマカエ戦では息子のリバウドJr (ヒバウド・ジュニオール、リバウジーニョとも) と親子揃って先発出場し、ともに得点をあげた。翌8月に再び現役引退を発表。

バレンシア戦でのハットトリック

バルセロナ所属時の2000-01シーズンリーガ最終節、勝利した方が翌シーズンのチャンピオンズリーグ出場(4位)となるバレンシアCF戦で、リバウドはチームの全得点となるハットトリックを記録し勝利に導いた。1点目は前半3分、バレンシアの壁を僅かに掠めてネットに突き刺さったフリーキック。2点目は前半ロスタイムに、得意の強烈な低い弾道のミドルシュートでゴールを奪った。

そして3点目は、2対2の同点のまま、後半43分と残り時間はわずかとなり、引き分けならバレンシアがチャンピオンズリーグに出場するという状況であった。ペナルティエリア外にいたリバウドは、後方からのフランク・デ・ブールの浮き球のパスを「ゴールを背にしたまま胸でトラップすると、左足のオーバーヘッドキックを放ち」それを一挙動で行った。ゴールキーパーのサンティアゴ・カニサレスは、アウトカーブがかかったこのシュートを止められず、ゴール右下隅に突き刺さった。

スタンドで観戦していた当時のジョアン・ガスパール会長が珍しく狂喜乱舞し、試合が終了するとカンプ・ノウの観客は興奮のあまりピッチに崩れ込んだ。ルイス・エンリケに「あれはキャプテン翼でしか表現できないプレーだよ」、メディアからも「キャプテン翼は実在した」と評された。2001年から『キャプテン翼 ROAD TO 2002』が連載されるとリバウドをモデルにしたFCバルセロナとブラジル代表の10番・リバウールが登場し、上記のゴールシーンもリバウールの必殺技「ハイジャンピングボレー」として誌上で再現されている。

代表経歴

代表経歴

ブラジル代表としては1993年12月16日のメキシコ戦で代表デビューを飾る。1996年アトランタオリンピックのブラジル五輪代表にオーバーエイジとして出場し銅メダルを獲得。しかし準決勝のナイジェリア戦において2点リードの後半22分から出場するとその後逆転負けを喫するのだが、リバウドは精彩を欠いた上、3失点ですべてがリバウドのボールロストからの失点だったため、戦犯とされた。この時のブラジル代表監督はフル代表と五輪代表の両方をマリオ・ザガロが兼務していたため、五輪後しばらくはフル代表にも召集されなくなった時期があった。しかしその後すぐに代表復帰を果たし、ジュニーニョ・パウリスタやレオナルドら候補を押さえ背番号10を託され1998 FIFAワールドカップに出場。準々決勝のデンマーク戦で当時世界最高のゴールキーパーと言われていたピーター・シュマイケルから2得点を奪うなど計3得点をあげたものの、優勝を逃した事もありブラジル国民を納得させることが出来なかった。

1999年のコパ・アメリカではロナウドとともに得点王になりMVPにも輝くと、2001年に行われた2002 FIFAワールドカップ南米予選では同国は苦戦を続けたが、10月7日のチリ戦で1得点を上げ本大会出場に貢献した。 本大会では5得点を決め決勝でも2得点に絡む活躍を見せ、代表で活躍出来ないと言われていた批判を一蹴し、ロナウド、ロナウジーニョ、カフー、ロベルト・カルロスらとともに5度目の優勝に大きく貢献した。

個人成績

数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。

クラブ

クラブシーズン年齢ディビジョンリーグ国内カップ1大陸大会2その他3シーズン通算
出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点
ブラジルサンタクルス199118—————188——188
1992191————————91
通算————188——279
モジミリン199219—————279443113
ブラジルコリンチャンス1993202————149——2211
199421—10————1121
通算10——149112412
ブラジルパルメイラス19942114————————2914
1995227——952419——4931
199623—20——3222——3422
通算20955641——11267
スペインデポルティーボ・ラ・コルーニャ1996-97242151——————4622
スペインバルセロナ1997-9825197860——415128
1998-9926243263——204829
1999-002712511410————5023
2000-012823521311————5336
2001-02298——136————3314
通算20135230——61235130
イタリアミラン2002-0330531132————388
2003-0431———10——1020
通算31142——10408
ブラジルクルゼイロ200431———3072——102
ギリシャオリンピアコス2004-0532122291————3415
2005-063372262————3011
2006-073417——60————3117
通算44213————9543
ギリシャAEKアテネ2007-083512——83————4315
2008-0936———10————10
通算——93————4415
ウズベキスタンブニョドコル20083571042————179
200936201191————4022
20103763352————1911
通算54185————7642
ブラジルサンパウロ2011385403191——467
カブスコルプ20123911————————2111
ブラジルサンカエターノ201340020——102——192
モジミリン2014410————40——80
2015421————————41
通算————40——121
キャリア通算46231294914572126813384

1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 3. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

代表

ブラジル としての年別成績です。親善試合を含みます。

年年齢出場得点得点グラフ
19932011
19942110
19952251
19962322
19972441
199825125
199926138
200027118
20012883
200229105
20033071
通算7435

年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

所属チーム

ユース

期間年齢チーム
1989〜199016パウリスターノ
199118ブラジルサンタクルス

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

クラブ

期間年齢チーム出場得点
1991〜199218ブラジルサンタクルス——
1992〜199419ブラジルモジミリン——
1993〜199420ブラジルコリンチャンス——
1994〜199621ブラジルパルメイラス——
1996〜199723スペインデポルティーボ・ラ・コルーニャ——
1997〜200224スペインバルセロナ——
2002〜200429イタリアミラン——
200431ブラジルクルゼイロ——
2004〜200731ギリシャオリンピアコス——
2007〜200834ギリシャAEKアテネ——
2008〜201035ウズベキスタンブニョドコル——
2010〜201137ブラジルモジミリン——
201138ブラジルサンパウロ305
201239アンゴラカブスコルプ——
201340ブラジルサンカエターノ70
201441ブラジルモジミリン——

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は国内リーグ戦の合計で、カップ戦・大陸大会を含む内訳は「個人成績」の表にあります。

代表

期間年齢チーム
1992〜199319ブラジルブラジル U-20
1993〜200320ブラジルブラジル
199623ブラジルブラジル・オリンピック

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
199118パウリスターノブラジルサンタクルス移籍—下部組織への移籍
形態・移籍金は未確認
199219ブラジルサンタクルスモジミリン移籍—形態・移籍金は未確認
199320モジミリンブラジルコリンチャンス期限付き移籍—期間・移籍金は未確認
199421モジミリンブラジルパルメイラス移籍—形態・移籍金は未確認
199623ブラジルパルメイラススペインデポルティーボ・ラ・コルーニャ移籍—形態・移籍金は未確認
199724スペインデポルティーボ・ラ・コルーニャスペインバルセロナ移籍—形態・移籍金は未確認
200229スペインバルセロナイタリアミラン移籍—形態・移籍金は未確認
200431ギリシャオリンピアコスブラジルクルゼイロ期限付き移籍—期間・移籍金は未確認
200431イタリアミランギリシャオリンピアコス移籍—形態・移籍金は未確認
200734ギリシャオリンピアコスギリシャAEKアテネ移籍—形態・移籍金は未確認
200835ギリシャAEKアテネウズベキスタンブニョドコル移籍—形態・移籍金は未確認
201037ウズベキスタンブニョドコルモジミリン移籍—形態・移籍金は未確認
201138モジミリンブラジルサンパウロ期限付き移籍—期間・移籍金は未確認
201239モジミリンカブスコルプ移籍—形態・移籍金は未確認
201340カブスコルプブラジルサンカエターノ移籍—形態・移籍金は未確認
201441ブラジルサンカエターノモジミリン移籍—形態・移籍金は未確認

※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認

人物相関

所属履歴と出場記録から機械的に算出しています。個人の交友関係についての評価は含みません。

共にプレーした選手

同じクラブ・同じシーズンに両者とも出場記録がある選手を、シーズン数の多い順に並べています。取得元(API-Football)のシーズン名簿は 2010-11 シーズン以降しか無いため、それ以前に一緒にプレーしたシーズンは数に入りません。

選手クラブ期間シーズン 
カルロス・エンリケ・ジョゼ・フランシスコ・ヴェナンシオ・カジミーロブラジルサンパウロ20111

指導を受けた監督

本人の在籍期間と監督の在任期間の重なりから算出しています。取得元(API-Football)に在任期間の登録がある監督だけが対象で、古い年代の監督は登録が無いため出ていません。

監督クラブ・代表在任
ルイス・フェリペ・スコラーリウズベキスタンブニョドコル2009年6月〜2010年5月

タイトル

クラブ

FCバルセロナ

ミラン

ブラジル代表

個人

英語の記録名しか確認できないもの(23件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

獲得メダル

代表チームで獲得したメダルです(金3・銀1・銅1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。

FIFAワールドカップ金 2002 日韓銀 1998 フランス
FIFAコンフェデレーションズカップ金 1997 サウジアラビア
コパ・アメリカ金 1999 パラグアイ
オリンピック銅 1996 アトランタ

出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「リバウド」(版 110764571)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. API-Football(選手・監督データ)、2026年10月25日 取得 https://www.api-football.com/
  2. RSSSF、2026年9月13日 取得 https://rsssf.org/miscellaneous/onze-awards.html
  3. Wikidata、2026年10月25日 取得 https://www.wikidata.org/
  4. Wikipedia(日本語版)「リバウド」、版 ID 110764571、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%90%E3%82%A6%E3%83%89
  5. Wikipedia(英語版)、版 ID 1380540255、2026年10月21日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Rivaldo

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