概要
ロベルト・カルロス(Roberto Carlos、1973年4月10日生)は、ブラジル出身の元サッカー選手。ポジションはDF(ディフェンダー)。ブラジル代表では1992年から通算125試合10得点を記録している。クラブでは公式戦通算985試合117得点(1991 シーズン以降)。クラブ・代表で通算29個のタイトルを獲得、個人賞は37回(ESM チーム・オブ・ザ・イヤー 7回、UEFAチーム・オブ・ザ・イヤー 2回)。
ロベルト・カルロス・ダ・シウバ・ローシャ(, 1973年4月10日 - )は、ブラジル・サンパウロ州出身の元サッカー選手、サッカー指導者。元ブラジル代表。現役時代のポジションはディフェンダー(左サイドバック)、ミッドフィールダー(左ウイングバック)。
歴代でも世界最高の左サイドバックとされる1人であり 、果敢な攻撃参加によりサイドバックの概念を変えた選手。1996年から2007年までスペイン1部リーグのレアル・マドリードに所属し、「銀河系軍団」と称されるスタープレーヤー軍団の一員として、黄金期を支えた。その強力なキックは悪魔の左足と呼ばれる。日本ではロベカルの愛称で親しまれている。
クラブ経歴
クラブ経歴
地元のクラブであるウニオン・サンジョアンでキャリアをスタートさせ、1993年にパルメイラスへ移籍。直ちに頭角を現しジーニョやエバイールらと共に1993年、1994年のブラジル全国選手権連覇に貢献した。
1995年の夏にイタリアのインテルへ移籍。開幕のヴィチェンツァ戦でいきなり直接FKをたたき込み、リーグ2節のパルマ戦でも浮き球で得点を決めるなど、個人とては好スタートを切ったが、監督がビアンキからロイ・ホジソンに代わると、本来の左サイドバックではなく、左サイドの中盤で起用され、持ち味を出せずに終わった。チームはリーグ7位に終わり、ホジソンは来期から左サイドの中盤にアレッサンドロ・ピストーネを起用することを決めたため、放出されることとなった。
イタリアサッカーに順応できなかったロベルト・カルロスに対し、スペイン1部リーグレアル・マドリードのファビオ・カペッロ監督が獲得を試み、レアル・マドリードに加入するように説得を行った。1996-97シーズンから、スペインのレアル・マドリードへ移籍。その際の移籍金はわずか360万ユーロであった。11シーズン在籍し、通算512試合出場65得点を記録、リーグ通算370試合出場46得点を左サイドバックのポジションで記録した。
UEFAチャンピオンズリーグ 1997-98決勝では、ミヤトビッチの決勝点に繋がる高速クロスを入れるなど優勝に貢献、UEFAチャンピオンズリーグ 2001-02、バイエル・レバークーゼン戦においては、決勝点となるジネディーヌ・ジダンのボレーシュートをアシストした。
2003年にフェルナンド・イエロ、クロード・マケレレという守備的な選手が移籍し、攻守のバランスが崩壊してからは彼の評価は無難なものになったが、それでも攻撃面では高いパフォーマンスを維持し続けた。2005年、ブラジル人FWロビーニョの入団後はクラブのEU外国籍の選手枠を空ける為にスペイン国籍を取得した。更にアルフレッド・ディ・ステファノを抜いてレアル・マドリードで最も多くの試合に出場した外国人選手となった。
2006年のドイツ・ワールドカップ終了後にブラジル代表を引退。以降はクラブチームでの活動に専念している。2007年冬の移籍市場でマルセロ、同夏の移籍市場でガブリエル・エインセ、ロイストン・ドレンテと左サイドバックでプレーできる選手が加入。入れ替わるように2007-08シーズンからは同郷のジーコが監督を務めていたスュペル・リグのフェネルバフチェへ移籍し、2年契約を結んだ。フェネルバフチェでの初試合でベシクタシュを下し、TFFスュペル・クパを獲得した。2007-08シーズン終盤で怪我をしてしまい、フェネルバフチェはガラタサライとの優勝争いから脱落してしまう。
2010年1月、ブラジルのコリンチャンスへ移籍し2年契約を結び、ブラジル代表やレアル・マドリードで共にプレーしたロナウドとチームメイトとなった。
2011年2月にコリンチャンスとの契約を解除し、ロシアのアンジ・マハチカラに移籍した(2年半契約、年俸500万~650万ユーロ)。守備的MFでのポジションでプレーし、3月8日以降はキャプテンも任された。2011年9月、所属するFCアンジ・マハチカラの監督解任に伴い、選手兼任コーチに就任。2012年、現役引退を表明した。
代表経歴
代表経歴
ブラジル代表には1992年2月26日に行われたアメリカ合衆国代表との国際親善試合でデビューして以来、125試合出場24得点を記録した。また、ブラジル五輪代表として1996年のアトランタオリンピックにも出場して銅メダル獲得に貢献。日本においてマイアミの奇跡と呼ばれている試合にもスターティングメンバーとして出場していた。
1998 FIFAワールドカップフランス大会では7試合全試合に出場した。2002 FIFAワールドカップ南米予選ではパラグアイ代表のゴールキーパーホセ・ルイス・チラベルトから顔に唾を吐きかけられた。チラベルトはこの件で国際サッカー連盟から3試合出場停止処分を受けたが、この行為に至った経緯に人種差別発言があったことを示していた。本大会ではグループリーグのコスタリカ戦を除く6試合に出場。グループリーグの中国戦ではフリーキックから得点を決める等、ブラジルの5度目の世界制覇に貢献した(当時のフォーメーションは 3-5-2 でポジションはウイングバック)。
2006年のFIFAワールドカップドイツ大会の準々決勝のフランス戦の敗退を最後に代表から引退した。その後、コリンチャンスへ移籍した2010年1月、ヘジ・グローボで2010年ワールドカップへの出場希望を述べた。
監督経歴
引退後
スィヴァススポルでの1年目は5位と好成績を収めたが、2年目は降格圏に低迷し、2014年12月21日に辞任した。
2015年1月、トルコリーグのアクヒサル・ベレディイエスポルの監督に就任。同年7月にインド・スーパーリーグのデリー・ディナモスFCで選手兼任監督として現役復帰することが発表された。2015年のシーズン終了後に退任。
2016年1月、同じインド・スーパーリーグのムンバイ・シティFCの監督就任も噂されたが、レアル・マドリードのアジア大使兼下部組織のコーチ、レアル・マドリードTVの解説者として約9年ぶりに古巣復帰を果たした。
2026年、ポルトガルで開催された「ポルトガル・フットボール・サミット」の討論会に参加。この中で、家族や元代理人とのトラブルにより、現役時代に築いた資産の99%を失ったこと、知人らの助けを得て財政面と家庭生活を立て直したことを明らかにしたうえで、若い選手たちに対して警鐘を鳴らした。
プレースタイル
プレースタイル
filho do vento(風小僧)の異名を持つ快速を活かし、ラウル・ゴンサレスから「DFの仮面を被ったFWだ」と評された攻撃的サイドバック。レアル・マドリード時代の2005-06シーズンのフィットネステストで、当時32歳にして持久走のタイムがチームトップであり、100m走も10秒9と唯一の10秒台でトップであった。短距離、中距離、長距離のどの走力においてもトップレベルであることから、1人のスプリンターとして「究極のアスリート」と呼ばれることがある。
ドリブルやパスも非常に上手く、アウトサイドに引っ掛けたスライス系のシュートを得意としている。独特の長い助走から「悪魔の左足」と評される左足から繰り出す強烈なフリーキックを代名詞としており、時速140kmを超えるシュートは「凶器の弾丸」と呼ばれている。有名なゴールには1997年6月3日、トゥルノワ・ド・フランス(フランスW杯の前年に行われた仏独自のプレW杯親善大会で、仏、イングランド、イタリア、ブラジルが出場。現在はコンフェデ杯がプレW杯公式大会)フランス戦でのフリーキックなどが挙げられる。ゴール前約35mの地点から、長い助走から左足で放たれたシュートは、ボールが一旦右に行った後、左方向に鋭くカーブして、ゴールポストに当たり、入った。仏代表GKバルテズは一歩も動けなかった。このフリーキックは秒速30m程度と推定され、回転数が少ないことからボールの中心近くからインステップ気味のアウトサイドキックで蹴ったものと思われる。フランスの物理学者たちは、まるで物理学を無視するかのようなこのフリーキックを一丸となって解明しようとし、2010年、遂に数学的に解明した(35m程度のゴールまでの十分な距離があることと十分な力でボールを蹴ること、この2条件を満たすことが出来れば、このらせん形の軌道を実現出来ると証明)。
そのプレースタイルは、かつて3度FIFAワールドカップに出場した元ブラジル代表のブランコに最も影響を受けたとされており、ロベルト・カルロス本人も歴代最高のサイドバックとしてブランコの名前を挙げている。
個人成績
数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。
クラブ
| クラブ | シーズン | 年齢 | ディビジョン | リーグ | 国内カップ1 | 大陸大会2 | その他3 | シーズン通算 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 1991 | 17 | — | 24 | 1 | — | — | — | — | — | — | 24 | 1 | |
| 1992 | 18 | 3 | 21 | 1 | — | — | — | — | — | — | 42 | 4 | |
| 通算 | 45 | 2 | — | — | — | — | — | — | 66 | 5 | |||
| 1993 | 19 | 1 | 32 | 5 | 0 | 0 | 5 | 0 | 8 | 0 | 65 | 6 | |
| 1994 | 20 | 2 | 27 | 0 | 3 | 0 | 6 | 1 | — | — | 60 | 3 | |
| 1995 | 21 | 0 | 23 | 3 | 4 | 1 | 10 | 3 | — | — | 37 | 7 | |
| 通算 | 82 | 8 | 12 | 1 | 16 | 4 | 8 | 0 | 162 | 16 | |||
| 1995-96 | 22 | 5 | — | — | 2 | 1 | 2 | 1 | — | — | 34 | 7 | |
| 1996-97 | 23 | 5 | — | — | 5 | 0 | — | — | — | — | 42 | 5 | |
| 1997-98 | 24 | 4 | — | — | 1 | 1 | 9 | 2 | 2 | 0 | 47 | 7 | |
| 1998-99 | 25 | 5 | — | — | 4 | 0 | 8 | 0 | 2 | 0 | 49 | 5 | |
| 1999-2000 | — | 4 | — | — | 3 | 0 | 17 | 4 | 3 | 0 | 58 | 8 | |
| 2000-01 | 27 | 5 | — | — | 0 | 0 | 14 | 4 | 2 | 1 | 52 | 10 | |
| 2001-02 | 28 | 3 | — | — | 6 | 1 | 13 | 2 | 2 | 0 | 52 | 5 | |
| 2002-03 | 29 | 5 | — | — | 1 | 0 | 15 | 1 | 2 | 1 | 55 | 7 | |
| 2003-04 | 30 | 5 | — | — | 7 | 1 | 8 | 2 | 2 | 0 | 49 | 9 | |
| 2004-05 | 31 | 3 | — | — | 2 | 0 | 10 | 1 | — | — | 46 | 4 | |
| 2005-06 | 32 | 5 | — | — | 3 | 1 | 7 | 0 | — | — | 45 | 6 | |
| 2006-07 | 33 | 3 | — | — | 1 | 0 | 8 | 0 | — | — | 32 | 3 | |
| 通算 | — | — | 33 | 4 | 109 | 16 | 15 | 2 | 527 | 69 | |||
| 2007-08 | 34 | 2 | — | — | 3 | 0 | 9 | 0 | 1 | 0 | 35 | 2 | |
| 2008-09 | 35 | 4 | — | — | 8 | 2 | 10 | 1 | — | — | 50 | 7 | |
| 2009-10 | 36 | 0 | — | — | 0 | 0 | 8 | 1 | — | — | 19 | 1 | |
| 通算 | — | — | 11 | 2 | 27 | 2 | 1 | 0 | 104 | 10 | |||
| 2010 | 36 | 1 | 14 | 3 | — | — | 8 | 0 | — | — | 57 | 4 | |
| 2011 | 37 | 0 | 3 | 1 | — | — | 1 | 0 | — | — | 4 | 1 | |
| 通算 | 17 | 4 | — | — | 9 | 0 | — | — | 61 | 5 | |||
| 2011-12 | 38 | 4 | — | — | 3 | 1 | — | — | — | — | 28 | 5 | |
| オディシャFC | 2015 | 41 | 0 | — | — | — | — | — | — | — | — | 3 | 0 |
| キャリア通算 | 144 | 14 | 61 | 9 | 163 | 23 | 24 | 2 | 985 | 117 | |||
1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 3. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
代表
ブラジル代表 としての年別成績です。親善試合を含みます。
| 年 | 年齢 | 出場 | 得点 | 得点グラフ |
|---|---|---|---|---|
| 1992 | 18 | 7 | 0 | |
| 1993 | 19 | 5 | 0 | |
| 1994 | 20 | 7 | 0 | |
| 1995 | 21 | 13 | 1 | |
| 1996 | 22 | 4 | 0 | |
| 1997 | 23 | 18 | 1 | |
| 1998 | 24 | 10 | 0 | |
| 1999 | 25 | 13 | 2 | |
| 2000 | 26 | 9 | 0 | |
| 2001 | 27 | 7 | 1 | |
| 2002 | 28 | 11 | 1 | |
| 2003 | 29 | 5 | 1 | |
| 2004 | 30 | 12 | 0 | |
| 2005 | 31 | 9 | 3 | |
| 2006 | 32 | 6 | 0 | |
| 通算 | 125 | 10 | ||
年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
監督成績
在任別・通算
英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1376298119)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。
| 在任期間 | 年齢 | チーム | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2013.06〜2014.12 | 40 | 59 | 23 | 9 | 27 | 39.0% | |
| 2015.01〜2015.06 | 41 | 20 | 5 | 7 | 8 | 25.0% | |
| 2015.07〜2015.12 | 42 | 16 | 7 | 4 | 5 | 43.8% | |
| 通算 | 95 | 35 | 20 | 40 | 36.8% | ||
所属チーム
ユース
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1988〜1991 | 14 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
クラブ
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1991〜1993 | 17 | |
| 1992〜1993 | 18 | アトレティコ・ミネイロ |
| 1993〜1995 | 19 | |
| 1995〜1996 | 21 | |
| 1996〜2007 | 22 | |
| 2007〜2009 | 33 | |
| 2010〜2011 | 36 | |
| 2011〜2012 | 37 | |
| 2015〜2016 | 41 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
代表
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1991 | 17 | |
| 1992〜2006 | 18 | |
| 1996 | 22 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
監督
| 在任 | 年齢 | チーム | 役職 |
|---|---|---|---|
| 2012〜2012 | 38 | 監督 | |
| 2013〜2014 | 39 | 監督 | |
| 2015〜2015 | 41 | 監督 | |
| 2015〜2015 | 41 | 監督 |
移籍金・年俸・市場価値の推移
移籍履歴
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1992 | 18 | ウニアン・サン・ジョアン・エスポルテ・クルベ* | クルービ・アトレチコ・ミネイロ* | 期限付き移籍 | — | 期間・移籍金は未確認 |
| 1993 | 19 | ウニアン・サン・ジョアン・エスポルテ・クルベ* | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | |
| 1995 | 21 | インテル・ミラノ* | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | |
| 1996 | 22 | インテル・ミラノ* | レアル・マドリード* | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
| 2007 | 33 | レアル・マドリード* | フェネルバフチェ* | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
| 2010 | 36 | フェネルバフチェ* | コリンチャンス* | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
| 2011 | 37 | コリンチャンス* | FCアンジ・マハチカラ* | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
| 2015 | 41 | FCアンジ・マハチカラ* | デリー・ダイナモスFC* | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
人物相関
所属履歴と出場記録から機械的に算出しています。個人の交友関係についての評価は含みません。
指導を受けた監督
本人の在籍期間と監督の在任期間の重なりから算出しています。取得元(API-Football)に在任期間の登録がある監督だけが対象で、古い年代の監督は登録が無いため出ていません。
| 監督 | クラブ・代表 | 在任 |
|---|---|---|
| フース・ヒディンク | 1998年7月〜1999年3月 | |
| ビセンテ・デル・ボスケ | 1999年11月〜2003年6月 | |
| ルイス・フェリペ・スコラーリ | 2001年7月〜2002年7月 | |
| カルロス・アルベルト・パレイラ | 2003年1月〜2006年7月 | |
| ルイス・アラゴネス | 2008〜2009 |
日本語名を確認できない監督 1 人は掲載していません。
タイトル
クラブ
レアル・マドリード
- ラ・リーガ:4回(1996-97, 2000-01, 2002-03, 2006-07)
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ:3回(1997, 2001, 2003)
- UEFAチャンピオンズリーグ:3回(1997-98, 1999-2000, 2001-02)
- UEFAスーパーカップ:1回(2002)
- インターコンチネンタルカップ:2回(1998, 2002)
ブラジル代表
- FIFAワールドカップ:2回(2002, 1998)
- コパ・アメリカ:3回(1997, 1999, 1995)
個人
- FIFA最優秀選手:1回(1997)
- ESM チーム・オブ・ザ・イヤー:7回(1996-97, 1997-98, 1999-00, 2000-01, 2001-02, 2002-03, 2003-04)
- トロフェオEFE:1回(1997-98)
- UEFAチーム・オブ・ザ・イヤー:2回(2002, 2003)
- バロンドール:1回(2002)
- ゴールデンフット賞:1回(2008)
- スポーツ・イラストレイテッド誌 10年間ベストイレブン:1回(2009)
- FIFA 100(偉大な選手100人)
- IFFHS 歴代ドリームチームB:1回(2021)
- IFFHS 南米歴代ベストイレブン:1回(2021)
英語の記録名しか確認できないもの(18件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
獲得メダル
代表チームで獲得したメダルです(金4・銀3・銅1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。
| FIFAワールドカップ | 金 2002 日韓銀 1998 フランス |
|---|---|
| FIFAコンフェデレーションズカップ | 金 1997 サウジアラビア銀 1999 メキシコ |
| コパ・アメリカ | 金 1997 ボリビア金 1999 パラグアイ銀 1995 ウルグアイ |
| オリンピック | 銅 1996 アトランタ |
出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。
英語の記録名しか確認できないもの(1件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「ロベルト・カルロス」(版 111187636)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
出典
- Wikidata、2026年10月26日 取得 https://www.wikidata.org/
- Wikipedia(日本語版)「ロベルト・カルロス」、版 ID 111187636、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%AD%E3%82%B9
- Wikipedia(英語版)、版 ID 1376298119、2026年10月14日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Roberto_Carlos
※ 出典は媒体名・日付・URL を文字で記載しています(外部サイトへのリンクは行いません)。出典が確認できない数値はページに載せません。
関連項目
- ウニオン・サンジョアンEC
- パルメイラス
- インテル
- レアル・マドリード
- フェネルバフチェSK
- コリンチャンス
- FCアンジ・マハチカラ
- オディシャFC
- アトレティコ・ミネイロ
- スィヴァススポル
- アクヒサル・ベレディイェスポル
- ブラジル代表
- ブラジルU-20代表
- U-23サッカーブラジル代表
- ラ・リーガ
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ
- UEFAチャンピオンズリーグ
- UEFAスーパーカップ
- インターコンチネンタルカップ
- FIFAワールドカップ
掲載写真は Wikidata API および Wikimedia Commons API を通じて、ライセンス(CC BY-SA / パブリックドメイン等)と作者表示の要件を確認したうえで掲載します。