フェルナンド・イエロ

SOCCERPEDIA / 選手・監督ページ / スペインのサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日


概要

スペインフェルナンド・イエロ(Fernando Hierro、1968年3月23日生)は、スペイン出身の元サッカー選手。ポジションはDF(ディフェンダー)、背番号は17。スペインでは1989年から通算89試合29得点を記録している。クラブでは公式戦通算722試合135得点(1987-88 シーズン以降)。クラブ・代表で通算18個のタイトルを獲得、個人賞は7回(ESM チーム・オブ・ザ・イヤー 2回)。

フェルナンド・ルイス・イエロ(Fernando Ruiz Hierro, 1968年3月23日 - )は、スペイン・ベレス=マラガ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。元スペイン代表。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック)、ミッドフィールダー(守備的ミッドフィールダー)。

競り合いや空中戦に強く、長きにわたってスペイン代表やレアル・マドリードの守備の要として活躍した。身長187cmと大型のディフェンダーであったが、フィジカルだけではなく繊細なテクニックも特徴的であった。フリーキックやペナルティーキックも得意で、スペイン代表での通算得点数はラウルに抜かれるまで歴代1位だったほか、1991-92シーズンはリーグ21得点を挙げてマノロに次ぐ得点ランク2位となった。また、スペイン代表やレアル・マドリードのキャプテンとして優れたリーダーシップが評価されていた。

兄のマヌエルもサッカー選手でセンターバックをしており、マラガCFやレアル・バリャドリードなどに所属してプリメーラ・ディビシオンで174試合に出場している。

クラブ経歴

クラブ経歴

1968年3月23日、マラガ県のベレス=マラガに生まれた。地元クラブのベレスでサッカーのキャリアをスタートし、1987-88シーズンにレアル・バリャドリードへ移籍して、1987年10月4日エスパニョール戦にてプリメーラ・ディビシオンにデビューした。

1989-90シーズンにレアル・マドリードへ移籍、DFやボランチとして、5度のリーグ優勝、3度のUEFAチャンピオンズリーグ、2度のインターコンチネンタルカップなど数々のタイトル獲得に貢献した。当初は背番号4を背負いセンターバックでプレーしたが、ミゲル・テンディーリョやナンド・ムニョスが4番を背負ったシーズンには背番号6でプレーすることもあった。

1997年から始まったUEFAクラブ・フットボール・アワードでは、初代の最優秀DFに選ばれた。1991-92シーズンには12月1日エスパニョール戦でハットトリック、4月19日のエスパニョール戦では4ゴールを決めるなど、自己最多の21ゴールを決めた。

マヌエル・サンチス・オンティジュエロが引退した2001年からはクラブでもキャプテンに就任し、強力なメンタリティでクラブの銀河系政策により集められた移籍組とチームの古株組をまとめあげ、チームの精神的支柱となった。更に、展開力に優れていたイエロは、DFラインから豪華なタレントを擁する前線にボールを供給する攻撃の起点の役割を果たした。また、非常に攻撃的なロベルト・カルロスの攻撃参加をフォローするためのDFライン形成やラインコントロールを担い、更に的確なポジショニングから強靭なフィジカルを活かしたマークで、クロード・マケレレ、イバン・エルゲラらと共に攻撃偏重のチームの守備を支えた。2002年3月のレアル・サラゴサ戦においてはハットトリックを達成した。しかし守備陣への低待遇への不満からクラブ側と衝突を繰り返した事や年齢的な衰えから、2002-03シーズン終了後には契約更新のオファーはなかった(同じく守備要員であったマケレレも程なくして移籍している)。そのため、シーズン終了後、契約満了に伴いカタールのアル・ラーヤンSCへ移籍した。

2004-05シーズンにはイングランド・プレミアリーグのボルトン・ワンダラーズFCへ移籍し、再びプレーの場をヨーロッパへと移した。そしてシーズン終了をもって引退を宣言した。最終所属クラブとなったボルトンでは、DFラインではなく、守備的ミッドフィールダーでプレー。既に36歳であったが、レギュラーとして高いパフォーマンスを披露した。イエロ本人の活躍はもちろんだが、UEFAカップの出場権を得たことで選手層の確保が必要だったこともあり、クラブは契約更新のオファーを出したが、イエロは引退を決意した。

代表経歴

代表経歴

1989年9月20日に行われたポーランドとの親善試合でスペイン代表デビューし、その後もFIFAワールドカップ4大会で招集された。イタリアW杯では出場機会は無かった。

1993年、ワールドカップ アメリカ大会予選では最終節を前に、アイルランドが勝ち点17、デンマークが勝ち点16、スペインが13であったが、予選最終節のデンマーク戦で決勝ゴールを決め、この結果、デンマークに逆転でワールドカップ出場を決めた。アメリカW杯ではラウンド16のスイス戦で1得点、フランスW杯ではグループリーグ初戦のナイジェリア戦では1ゴール1アシスト、第3戦のブルガリア戦では1ゴール2アシストを決めたが、グループリーグで敗退した。

1998年にアンドニ・スビサレッタからキャプテンを引き継ぎ、日韓W杯ではグループリーグ初戦のスロベニア戦、パラグアイ戦でモゴールを決め、準々決勝まで進出、PK戦の末に韓国に敗れ、その試合が代表最後の試合となった。大会後スペイン代表としては唯一の大会オールスターチームに選出された。

スペイン代表として、通算89キャップ29ゴールの記録を残した。89キャップはスペイン代表における当時のフィールドプレイヤー最多出場数、29ゴールは当時の最多得点数となる。

監督経歴

引退後

スポーツ関連のマーケティング会社を経て、2007年9月にスペインサッカー連盟(RFEF)初のスポーツディレクターに就任した。スポーツディレクターとしてスペイン代表のUEFA欧州選手権2008、2010 FIFAワールドカップの優勝に尽力した。RFEFより2014年までの契約延長のオファーを受けていたイエロのもとには、レアル・マドリードからもホルヘ・バルダーノの後任として入閣のオファーが届いた。最終的にはRFEF及びレアル・マドリードからのオファーを断り、2011年6月に契約満了となった。

2011年7月、故郷のクラブであるマラガCFのジェネラル・マネージャーに就任した。だが、2012年5月、就任から1年足らずで退団した。

2014年7月、レアル・マドリード・カスティージャの監督に就任したジネディーヌ・ジダンの後任としてレアル・マドリードのトップチームの副監督に就任した。これにより2002-03シーズンに退団して以来のマドリー復帰となった。

2016年6月、セグンダ・ディビシオンのレアル・オビエドの監督就任が発表された。契約期間は1年間でさらに1年間の延長オプション付き。

2018年6月13日、レアル・マドリードの監督に就任し代表監督を解任されたフレン・ロペテギの後任として2018 FIFAワールドカップのスペイン代表監督に就任した。グループリーグを1勝2分の1位で通過したものの、決勝トーナメントラウンド16で開催国ロシアにPK戦で敗れ敗退。7月8日に辞任が発表された。在任はわずか25日間であった。また、スポーツディレクターを退任することも合わせて発表された。

2024年6月4日、サウジ・プロリーグのアル・ナスルのスポーツディレクターに就任した。

個人成績

数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。

クラブ

クラブシーズン年齢ディビジョンリーグ国内カップ1リーグカップ2大陸大会3その他4シーズン通算
出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点
バリャドリード1987-8819ラ・リーガ29120——————311
1988-8920ラ・リーガ29260——————352
通算58380——————663
スペインレアル・マドリード1989-9021ラ・リーガ37750——40——467
1990-9122ラ・リーガ35710——5120438
1991-9223ラ・リーガ372173——92——5326
1992-9324ラ・リーガ331360——65——4518
1993-9425ラ・リーガ341030——41314412
1994-9526ラ・リーガ33720——50——407
1995-9627ラ・リーガ31720——5121409
1996-9728ラ・リーガ39662——————458
1997-9829ラ・リーガ28310——10310406
1998-9930ラ・リーガ28631——7120408
1999-2000—ラ・リーガ20520——10141367
2000-0132ラ・リーガ29510——12110436
2001-0233ラ・リーガ30530——14020495
2002-0334ラ・リーガ25011——10020381
通算439102437——10116193602128
カタールアル・ラーヤン2003-0435カタール・スターズリーグ19300——————193
イングランドボルトン・ワンダラーズ2004-0536プレミアリーグ2914020————351
キャリア通算5451095572010116193722135

1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. リーグカップ(EFLカップ、JリーグYBCルヴァンカップなど) 3. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 4. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

代表

スペイン としての年別成績です。親善試合を含みます。

年年齢出場得点得点グラフ
19892020
19902111
19912240
19922363
19932462
199425132
19952673
19962792
19972862
19982973
19993065
20003192
20013272
20023362
通算8929

年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

監督成績

在任別・通算

英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1364285636)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。

在任期間年齢チーム試合勝分敗勝率
2016.06〜2017.0648スペインレアル・オビエド4317101639.5%
2018.06〜2018.0750スペインスペイン代表413025.0%
通算4718131638.3%

所属チーム

ユース

期間年齢チーム
1980〜198411ベレス=マラガ
198415スペインマラガ
1985〜198716ベレス=マラガ

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

クラブ

期間年齢チーム
1987〜198918スペインバリャドリード
1989〜200320スペインレアル・マドリード
2003〜200434カタールアル・ラーヤン
2004〜200535イングランドボルトン・ワンダラーズ

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

代表

期間年齢チーム
1989〜199020スペインスペイン U-21
1989〜200220スペインスペイン

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

監督

在任年齢チーム役職
2014〜201545スペインレアル・マドリード(アシスタントコーチ)監督
2016〜201747スペインレアル・オビエド監督
2018〜201849スペインスペイン監督

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
198415ベレス=マラガスペインマラガ移籍—下部組織への移籍
形態・移籍金は未確認
198516スペインマラガベレス=マラガ移籍—下部組織への移籍
形態・移籍金は未確認
198718ベレス=マラガバリャドリード移籍—形態・移籍金は未確認
198920バリャドリードスペインレアル・マドリード移籍—形態・移籍金は未確認
200334スペインレアル・マドリードカタールアル・ラーヤン移籍—形態・移籍金は未確認
200435カタールアル・ラーヤンイングランドボルトン・ワンダラーズ移籍—形態・移籍金は未確認

※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認

人物相関

所属履歴と出場記録から機械的に算出しています。個人の交友関係についての評価は含みません。

指導を受けた監督

本人の在籍期間と監督の在任期間の重なりから算出しています。取得元(API-Football)に在任期間の登録がある監督だけが対象で、古い年代の監督は登録が無いため出ていません。

監督クラブ・代表在任
フース・ヒディンクスペインレアル・マドリード1998年7月〜1999年3月
ビセンテ・デル・ボスケスペインレアル・マドリード1999年11月〜2003年6月

タイトル

クラブ

レアル・マドリード

個人

英語の記録名しか確認できないもの(5件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「フェルナンド・イエロ」(版 110943277)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. Wikidata、2026年10月26日 取得 https://www.wikidata.org/
  2. Wikipedia(日本語版)「フェルナンド・イエロ」、版 ID 110943277、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%AD
  3. Wikipedia(英語版)、版 ID 1364285636、2026年10月14日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Fernando_Hierro

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