アンドリー・シェフチェンコ

SOCCERPEDIA / 選手・監督ページ / ウクライナのサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日


概要

ウクライナアンドリー・シェフチェンコ(Andriy Shevchenko、1976年9月29日生)は、ウクライナ・ドヴィルキウシチナ出身の元サッカー選手。ポジションはFW。ウクライナでは1995年から通算111試合48得点を記録している。クラブでは公式戦通算705試合343得点(1992-93 シーズン以降)。クラブ・代表で通算21個のタイトルを獲得、個人賞は53回(ESM チーム・オブ・ザ・イヤー 3回、UEFAチャンピオンズリーグ 得点王 2回)。

アンドリー・ムィコラーヨヴィチ・シェフチェンコまたはアンドレイ・ニコラーエヴィチ・シェフチェンコ(, ラテン文字表記:, 1976年9月29日 - )は、ウクライナSSR・キーウ州ドヴィルキウシュチナ村出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはFW(CF、LWG)。2024年1月からウクライナサッカー連盟の会長を務める。

史上最高のストライカーの1人、あるいはウクライナ史上最高の選手とみなされ、ディモナ・キーウやACミラン、ウクライナ代表で活躍し、ウクライナをヨーロッパのサッカー強豪国のひとつに押し上げた。

愛称はシェバ。ヘブライ語で数字の7を意味するため、本人も背番号は7番(もしくは7の入る数字)にこだわりがある。トップスピードから矢のようにゴールを奪うスタイルから「ウクライナの矢」とも称される。

2004年にバロンドールを受賞。UEFAチャンピオンズリーグにおいて歴代10位タイとなる147試合に出場し、歴代5位の67得点を記録した。そのほか、ミラノダービーでは歴代最多得点となる14得点を挙げている。

クラブ経歴

ディナモ・キーウ時代

6歳でウクライナのディナモ・キーウのサッカースクールに入団。9歳の時、チョルノービリ原子力発電所事故で罹災し一家で避難、幼年期を育った土地を離れて移住。1992年にディナモ・キーウユースに昇格、1994年にトップチームでデビューを果たす。最初のクラブであるディナモ・キーウではチームを5年連続リーグタイトルに導き、自身は116試合で60得点した。

シェフチェンコが国際的な注目を集めたきっかけは1997-98シーズンのUEFAチャンピオンズリーグにおける大活躍である。特にFCバルセロナとアウェーのカンプ・ノウで対戦した試合では、バルセロナの圧倒的優位という下馬評の中、シェフチェンコのハットトリックを含む0-4でディナモ・キーウが圧勝という番狂わせの立役者となった。シェフチェンコは次シーズンのチャンピオンズリーグでも大活躍し、10得点を挙げて1998-99シーズンのCL得点王を獲得。ディナモ・キーウをCLベスト4に押し上げる原動力となった。

ACミラン時代

1999-00シーズンからは推定移籍金2600万ユーロでACミランに移籍をした。開幕戦のレッチェとの対戦でゴールを挙げ、5節のラツィオとの対戦では3得点、移籍初年度から高い順応性を見せた彼は、鋭い突破力と高い決定力で32試合で24得点を挙げていきなりセリエA得点王を獲得。ミランにおいてグンナー・ノルダールに次いで2人目、セリエA全体では6人目となる移籍初年度に得点王に輝いた外国人選手となった。また、シェフチェンコは1999年、2000年と2年連続でヨーロッパ年間最優秀選手の最終候補3名に名を連ねた。

2002-03シーズンは開幕前に負傷して開幕からの数試合を欠場するなど、大幅に得点が減少したが、チャンピオンズリーグ準決勝のインテルとの第2戦ではチームを決勝進出に導く得点を決め、決勝ではユベントスを破り優勝を果たした。2003-04シーズンには再び24得点を挙げて得点王となるなど完全復活を果たし、ACミランのスクデット獲得に貢献した。この年、ポルトガルのデコとブラジルのロナウジーニョを抑えてヨーロッパ年間最優秀選手を受賞した。ウクライナ人でこの名誉を授かったのは、オレグ・ブロヒン(1975年)、イーゴル・ベラノフ(1986年)に次いで3人目である。2004-05シーズン、チャンピオンズリーグ決勝まで進出したが、決勝のリヴァプールとの対戦ではクレスポの得点をお膳立てしたが、PK戦でデュデクにPKを止められて敗戦した。

2006年2月8日、FCトレヴィーゾ戦で得点を挙げたことにより、ノルダールに次ぐクラブ史上2番目の得点数を記録した選手となった。最終的に、7年間で296試合に出場して173得点を記録した。

チェルシー時代

2005-06シーズン終了後、ACミランからの退団とFAプレミアリーグへの移籍を表明。5月31日、4500万ユーロ(約63億円)の移籍金、年俸900万ユーロ(約13億円)の4年契約でチェルシーFCへ移籍した。しかし、プレミアリーグのサッカーやチェルシーの戦術に馴染めなかったためか、本来の実力を発揮したとは言えないパフォーマンスであった。ディディエ・ドログバは、巨額な移籍金に見合った働きをするために利己的なプレーをしていると批判した。

2008年1月にニコラ・アネルカが加入してからは更に出場の機会がなくなっていき、リザーブチームの試合に出場することもあった。

ACミラン復帰

その後もなかなかチームに馴染めず出場機会が限られていたため何度も古巣ミラン復帰の噂がされていたが、2008年夏、得点力不足や前線のメンバーの負傷が相次ぐなど前線に問題をかかえていた古巣ミランがレンタル移籍での獲得を希望する。交渉は難航するが8月23日、レンタル移籍で両クラブ間が合意に達し、2シーズンぶりの復帰となった。背番号は、すでにパトが背番号7番を背負っていたため、自身が1976年生まれであること、かつ彼の好む「7」という数字が入っていることから76番となった。しかしリーグ戦では1得点も奪えず、レンタル期間は終了。2009-10シーズンの開幕はチェルシーで迎えることとなった。

ディナモ・キーウ復帰

2009年8月29日、10年ぶりに古巣ディナモ・キーウへ復帰することが発表された。2年契約で背番号は7番。2009-10シーズンからキャプテンに就任したアルテム・ミレフスキーのサポート役として、シェフチェンコは副キャプテンに就任。11月4日のチャンピオンズリーグ・インテル戦では華麗なボレーシュートを決めてみせた。

引退後

現役引退後は、政治家への転身を表明し、同年10月に行われたウクライナ最高議会選挙にウクライナ社会民主党から出馬したが、落選。その後、ウクライナ代表のスタッフ入りも報じられたが、趣味のゴルフでプロゴルファーへの転身も目指し、2013年から複数のツアーに参加したが、すべて予選落ちし大成できなかった。2015年にUEFAのプロライセンスを修得、2016年2月16日、母国ウクライナ代表のコーチ就任が発表された。その後、UEFA EURO 2016グループリーグ敗退で引責辞任したミハイロ・フォメンコ監督の後任として同年7月15日に代表監督就任が発表された。監督として臨んだ2018 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選では最終節でプレーオフ出場となる2位を争う直接のライバルのクロアチア代表に敗れ、予選グループリーグ3位で本大会出場を逃した。UEFA EURO 2020予選は10戦無敗でグループBを首位通過。EURO2020本戦では、グループCを3位で通過して決勝トーナメントに進出し、準々決勝まで駒を進めた。

代表経歴

代表経歴

ウクライナ代表としては111試合に出場して48得点を記録。同国の最多得点記録を保持している。

2006年のワールドカップにおいては、ヨーロッパ予選で6得点を挙げる活躍を見せ、ウクライナ史上初となる本大会出場へと導いた。本大会グループリーグでもチュニジア代表戦での決勝点となるPKを決めるなどし、初出場ながらベスト8まで駒を進めた。

ウクライナがポーランドと共催するUEFA EURO 2012を最後に現役から引退することを大会前に発表。サッカー界から退いた後は、ゴルファーへ転向を果たす計画であり、ゴルフが112年ぶりに正式競技に復活した2016年のリオデジャネイロ五輪への出場を目指す構えだという。そうして臨んだEURO2012ではグループリーグ初戦のスウェーデン戦では、後半7分にスウェーデンのエースであるイブラヒモビッチに先制点を許すも、3分後にヤルモレンコのクロスをヘッドで合わせて同点とし、その7分後にはコーナキックをまたしても頭で合わせて、勝ち越し点を挙げた。こうして2得点を挙げ、ウクライナのEURO初勝利に貢献した。しかし、フランス、イングランドには敗れ、グループリーグ敗退に終わり、大会終了後の2012年7月27日に現役引退した。

プレースタイル

選手としての特徴

スピード、テクニック、体力、得点感覚という、フォワードとして必要な才能を全て兼ね備えたことから世界最高と謳われ、特にそのスピードから「ウクライナの矢」と呼ばれた。

人物像

エピソード

・少年時代からのミラニスタであり、14歳の頃に1990 FIFAワールドカップを観戦しにイタリアのミラノにあるサン・シーロに来ていたシェフチェンコは「いつかロッソネロのユニフォームを着てプレーしたい」という夢があった。

個人成績

数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。

クラブ

クラブシーズン年齢ディビジョンリーグ国内カップ1リーグカップ2大陸大会3その他4シーズン通算
出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点
ディナモ・キーウⅡ1992-9315ウクライナ1部リーグ60————————60
1993-9416ウクライナ1部リーグ311210——————3212
1994-9517ウクライナ1部リーグ13445——————179
1996-9719ウクライナ1部リーグ10————————10
通算511655——————5621
ウクライナディナモ・キーウ1994-9517ヴィシチャ・リーハ17141——21——233
1995-9618ヴィシチャ・リーハ311651——22——3819
1996-9719ヴィシチャ・リーハ206————————206
1997-9820ヴィシチャ・リーハ231988——106——4133
1998-9921ヴィシチャ・リーハ261845——1410——4433
通算117602115——2819——16694
イタリアミラン1999-2000—セリエA322444——61104329
2000-0123セリエA342431——149——5134
2001-0224セリエA291430——63——3817
2002-0325セリエA24541——114——3910
2003-0426セリエA322410——94314529
2004-0527セリエA291700——106134026
2005-0628セリエA281900——129——4028
通算208127156——683654296173
イングランドチェルシー2006-0729プレミアリーグ3046343103115114
2007-0830プレミアリーグ17510225100258
2009-1032プレミアリーグ100000000010
通算4897365154117722
イタリアミラン2008-0931セリエA18011——71——262
ウクライナディナモ・キーウ2009-1032ウクライナ・プレミアリーグ21720——61——298
2010-1133ウクライナ・プレミアリーグ181021——125——3216
2011-1234ウクライナ・プレミアリーグ16610——5000226
通算552351——236008330
キャリア通算4982355431651416765705343

1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. リーグカップ(EFLカップ、JリーグYBCルヴァンカップなど) 3. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 4. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

代表

ウクライナ としての年別成績です。親善試合を含みます。

年年齢出場得点得点グラフ
19951820
19961921
19972084
19982161
19992292
20002355
20012476
20022530
20032683
20042764
20052862
20062995
20073083
20083173
20093284
20103362
20113451
20123562
通算11148

年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

監督成績

在任別・通算

英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1380559508)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。

在任期間年齢チーム試合勝分敗勝率
2016.07〜2021.0839ウクライナウクライナ代表5225131448.1%
2021.11〜2022.0145イタリアジェノア111379.1%
通算6326162141.3%

所属チーム

ユース

期間年齢チーム
1986〜19939ウクライナディナモ・キーウ

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

クラブ

期間年齢チーム
1993〜199616ウクライナディナモ・キーウⅡ
1994〜199917ウクライナディナモ・キーウ
1999〜200622イタリアミラン
2006〜200929イングランドチェルシー
2008〜200931イタリアミラン
2009〜201232ウクライナディナモ・キーウ

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

代表

期間年齢チーム
1994〜199517ウクライナウクライナ U-19
1994〜199517ウクライナウクライナ U-21
1995〜201218ウクライナウクライナ

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

監督

在任年齢チーム役職
2016〜202139ウクライナウクライナ監督
2021〜202244イタリアジェノア監督

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
199922ウクライナディナモ・キーウイタリアミラン移籍—形態・移籍金は未確認
200629イタリアミランイングランドチェルシー移籍—形態・移籍金は未確認
200831イングランドチェルシーイタリアミラン期限付き移籍—期間・移籍金は未確認
200932イングランドチェルシーウクライナディナモ・キーウ移籍—形態・移籍金は未確認

※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認

人物相関

所属履歴と出場記録から機械的に算出しています。個人の交友関係についての評価は含みません。

共にプレーした選手

同じクラブ・同じシーズンに両者とも出場記録がある選手を、シーズン数の多い順に並べています。取得元(API-Football)のシーズン名簿は 2010-11 シーズン以降しか無いため、それ以前に一緒にプレーしたシーズンは数に入りません。

選手クラブ期間シーズン 
ハリー・ケインイングランドトッテナム2013〜20208
ベン・デイヴィスイングランドトッテナム2014〜20207
エリック・ダイアーイングランドトッテナム2014〜20207
スラヴィシャ・ストヤノヴィッチイングランドトッテナム2013〜20197
ソン・フンミンイングランドトッテナム2015〜20206
ヨアヒム・レーヴイングランドトッテナム2016〜20194
フアン・フォイスイングランドトッテナム2017〜20204
ルーカス・ロドリゲス・モウラ・ダ・シルヴァイングランドトッテナム2017〜20204
ヘスス・ナバススペインセビージャ2021〜20233
ジョアン・ジョルダンスペインセビージャ2021〜20233
フアン・ルイス・サンチェス・ベラスコスペインセビージャ2021〜20233
ナビル・ベンタレブイングランドトッテナム2013〜20153
ネマニャ・グデリスペインセビージャ2021〜20233
ヘスス・フェルナンデス・サエススペインセビージャ2021〜20233
ユセフ・エン=ネシリスペインセビージャ2021〜20233
オリベル・トーレススペインセビージャ2021〜20233
アドリア・ペドロサスペインセビージャ2022〜20232
ボグダン・ロボンツイタリアASローマ2011〜20122
ダニエレ・デ・ロッシイタリアASローマ2011〜20122
フランチェスコ・トッティイタリアASローマ2011〜20122

指導を受けた監督

本人の在籍期間と監督の在任期間の重なりから算出しています。取得元(API-Football)に在任期間の登録がある監督だけが対象で、古い年代の監督は登録が無いため出ていません。

監督クラブ・代表在任
ジョゼ・モウリーニョイングランドチェルシー2004年7月〜2007年9月
ルイス・フェリペ・スコラーリイングランドチェルシー2008年7月〜2009年2月
フース・ヒディンクイングランドチェルシー2009年2月〜2009年6月

タイトル

クラブ

ディナモ・キエフ

ACミラン

チェルシー

個人

英語の記録名しか確認できないもの(34件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「アンドリー・シェフチェンコ」(版 111010439)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. API-Football(移籍データ)、2026年10月22日 取得 https://www.api-football.com/
  2. Wikidata、2026年10月25日 取得 https://www.wikidata.org/
  3. Wikipedia(日本語版)「アンドリー・シェフチェンコ」、版 ID 111010439、2026年9月17日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%95%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%B3
  4. Wikipedia(英語版)、版 ID 1380559508、2026年10月19日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Andriy_Shevchenko

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