オレグ・ブロヒン

SOCCERPEDIA / 選手・監督ページ / ソビエト連邦のサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日


概要

ソビエト連邦オレグ・ブロヒン(Oleh Blokhin、1952年11月5日生)は、キーウ出身の元サッカー選手。ポジションはFW。ソ連代表では1972年から通算112試合42得点を記録している。クラブでは公式戦通算652試合283得点(1969 シーズン以降)。クラブ・代表で通算24個のタイトルを獲得、個人賞は44回。

オレグ・ブロヒン(、1952年11月5日 - )は、ウクライナ出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW、元ウクライナ代表監督。

伝説的なゴールキーパーであるレフ・ヤシンと並ぶソ連を代表したスタープレイヤー。ソ連の100m走記録を持っていた母親の血を受け継ぎ、その俊足と得点能力からウクライナの矢と呼ばれた。なお、後に同じウクライナ出身FWであるアンドリー・シェフチェンコがこの愛称を受け継いでいる。

クラブ経歴

経歴

ユース時代からディナモ・キーウで育ち、1969年にトップでのキャリアをスタート。名将ヴァレリー・ロバノフスキー監督のもと、8度のソ連リーグ優勝と、2度のUEFAカップ優勝の原動力になる。1972年から4年連続リーグ得点王に輝き、1975年にはフランツ・ベッケンバウアー、ヨハン・クライフを抑え、バロンドール(欧州最優秀選手)を受賞した。ソ連リーグで彼が記録した431試合出場と211得点はともにリーグ記録である。

1990年に現役を引退。引退後は監督としてギリシャのクラブを渡り歩いた。2003年9月にウクライナ代表監督に就任したが、2004年4月13日キーウ郊外で自動車事故に合い病院に運ばれた。

2005年3月、ワールドカップ欧州予選での好成績にもかかわらず、代表監督と政治活動の両立が難しいことを理由にウクライナ代表監督を辞任したが、発表から1週間あまりで続投が決まり、引き続き指揮を執っている。

2006年ドイツW杯決勝トーナメント1回戦ウクライナ対スイス戦のPK戦前に、決着の瞬間を見ることを拒否し、PK戦の采配を選手に丸投げしてロッカー室にこもってしまったというエピソードがある。尚試合はウクライナがPK戦を制した。

2007年、EURO2008の予選敗退の責任を取り、代表監督を辞任した。同年12月14日、FCモスクワの監督に就任。しかし、2008年シーズンは、16チーム中9位で終え、成績不振を理由に解任される。

2011年にウクライナ代表監督に復帰したが、自国開催のEURO2012でグループリーグ敗退に終わり、大会後の2012年9月に退任し、ディナモ・キーウの監督に就任した。

代表経歴

代表での出場記録とメダルから組み立てた説明です。

1972年にソ連代表での出場記録が始まり、1988年までに通算112試合42得点を記録した。

代表で獲得したメダルはオリンピック銅(1972 ミュンヘン)、オリンピック銅(1976 モントリオール)。

個人成績

数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。

クラブ

クラブシーズン年齢ディビジョンリーグ国内カップ1大陸大会2シーズン通算
出場得点出場得点出場得点出場得点
ウクライナディナモ・キーウ196916———————10
197017—10————10
197118———————10
197219—2061——3515
197320—8451——4223
197421—4395——4228
197522———85——3623
197623—1082——2810
197724—3220103519
197825—8440——3817
197926—6141——3419
198027—7320——4222
198128—7361104323
198229—3040——3110
198330—1020——3410
198431—62————3612
198532—2195——4018
198633—5585103712
198734—312010265
通算6729792640582266
ヴォルヴァーツ・シュタイアー1987-8834———————135
1988-8935—11————295
通算11————4210
キプロスアリス・リマソール1989-9036—62————287
キャリア通算7432792640652283

1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

代表

ソ連代表 としての年別成績です。親善試合を含みます。

年年齢出場得点得点グラフ
19721998
197320101
19742130
19752272
197623124
197724104
197825106
19792651
19802721
19812865
19822992
19833095
19843131
19853240
198633112
19873410
19883510
通算11242

年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

監督成績

在任別・通算

英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1377756659)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。

在任期間年齢チーム試合勝分敗勝率
——ギリシャオリンピアコス9656271358.3%
——ギリシャPAOKテッサロニキ4019111047.5%
——ギリシャイオニコス8229183535.4%
——ギリシャPAOKテッサロニキ512220.0%
——ギリシャAEKアテネ24164466.7%
——ギリシャイオニコス7123183032.4%
——ウクライナウクライナ代表4421121147.7%
——ロシアFCモスクワ3613121136.1%
——ウクライナウクライナ代表1873838.9%
——ウクライナディナモ・キエフ6136101559.0%
——通算47722111713946.3%

所属チーム

ユース

期間年齢チーム
1962〜19699ウクライナディナモ・キーウ

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

クラブ

期間年齢チーム
1969〜198816ウクライナディナモ・キーウ
1988〜198935オーストリアヴォルヴァーツ・シュタイアー
1989〜199036キプロスアリス・リマソール

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

代表

期間年齢チーム
1972〜198819ソビエト連邦ソビエト連邦

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

監督

在任年齢チーム役職
1990〜199337ギリシャオリンピアコス監督
1993〜199440ギリシャPAOKテッサロニキ監督
1994〜199741ギリシャイオニコス監督
1998〜199845ギリシャPAOKテッサロニキ監督
1998〜199945ギリシャAEKアテネ監督
1999〜200246ギリシャイオニコス監督
2003〜200750ウクライナウクライナ代表監督
2007〜200854ロシアモスクワ監督
2011〜201258ウクライナウクライナ代表監督
2012〜201459ウクライナディナモ・キーウ監督

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
198835ウクライナディナモ・キーウヴォルヴァーツ・シュタイアー移籍—形態・移籍金は未確認
198936ヴォルヴァーツ・シュタイアーキプロスアリス・リマソール移籍—形態・移籍金は未確認

※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認

タイトル

クラブ

ディナモ・キエフ

個人

英語の記録名しか確認できないもの(27件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

獲得メダル

代表チームで獲得したメダルです(銅2)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。

オリンピック銅 1972 ミュンヘン銅 1976 モントリオール

出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。

英語の記録名しか確認できないもの(1件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「オレグ・ブロヒン」(版 109989264)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. Wikidata、2026年10月25日 取得 https://www.wikidata.org/
  2. Wikipedia(日本語版)「オレグ・ブロヒン」、版 ID 109989264、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AC%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%92%E3%83%B3
  3. Wikipedia(英語版)、版 ID 1377756659、2026年10月21日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Oleg_Blokhin

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