カルレス・プジョル

SOCCERPEDIA / 選手ページ / スペインのサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日


概要

スペインカルレス・プジョル(Carles Puyol、1978年4月13日生)は、スペイン出身の元サッカー選手。ポジションはDF(ディフェンダー)。スペインでは2000年から通算100試合3得点を記録している。クラブでは公式戦通算683試合24得点(1995-96 シーズン以降)。クラブ・代表で通算21個のタイトルを獲得、個人賞は26回(UEFAチーム・オブ・ザ・イヤー 6回、ESM チーム・オブ・ザ・イヤー 4回)。

カルレス・プジョル・サフォルカーダ(Carles Puyol Saforcada IPA:[ˈkaɾləs puˈjol i səfuɾˈkaðə], 1978年4月13日 - )は、スペインカタルーニャ州ラ・ポブラ・デ・セグール出身の元サッカー選手。ポジションはDF(センターバック、右サイドバック)。

FCバルセロナの下部組織出身であり、1999年にトップチームに昇格、2004年にはキャプテンに就任し、2013-14シーズンを最後にFCバルセロナのフランチャイズ・プレイヤーとして現役を引退した。この間、5度のリーガ・エスパニョーラ優勝、3度のUEFAチャンピオンズリーグ優勝など数々のチームタイトル、6度のUEFAチーム・オブ・ザ・イヤー、3度のFIFAチーム・オブ・ザ・イヤーなど、いくつもの個人タイトルも獲得した。

また、スペイン代表として、2000年にシドニーオリンピック、2002年と2006年と2010年にFIFAワールドカップ、2004年と2008年にUEFA欧州選手権に出場した。UEFA EURO 2008ではスペイン代表の44年ぶりの優勝に貢献し、2010 FIFAワールドカップではスペイン代表の初優勝に貢献した。

クラブ経歴

プロデビュー前

カタルーニャ州リェイダ県のラ・ポブラ・デ・セグールに生まれ、地元のクラブでサッカーを始めた。最初はゴールキーパーだったが、肩の怪我を機にフォワードに転向した。プジョルは少年時代を「両親はサッカー選手としての将来に懐疑的で、勉強を頑張るように言われた」と語っている。1995年、17歳の時にFCバルセロナの下部組織であるラ・マシアに入寮し、守備的ミッドフィールダーに転向した。1996年頃にはセグンダ・ディビシオン(2部)の数クラブからレンタル移籍のオファーがあったが、FCバルセロナを離れたくなかったために拒否した。サイドハーフとしてプレーした時期もあったが、1997年のFCバルセロナB昇格後は右サイドバックとしてプレーした。

FCバルセロナ

1999年、ルイス・ファン・ハール監督によってトップチームに招集され、10月2日のバリャドリード戦(アウェー、2-0)でプリメーラ・ディビシオン(1部)デビューした。2000年10月、本拠地カンプ・ノウで行われたレアル・マドリードとのエル・クラシコでは、FCバルセロナからライバルのレアル・マドリードへ移籍したルイス・フィーゴとマッチアップし、フィーゴの突破を許さなかった。2002年には欧州サッカー連盟 (UEFA) によってUEFAチーム・オブ・ザ・イヤー(右サイドバック)に選ばれた。2002年10月23日、チャンピオンズリーグのロコモティフ・モスクワ戦にて、相手のシュートをバルセロナの紋章が縫い込まれている右胸の部分に当てて弾き出し、このプレーは伝説のように語り継がれている。2003年夏にシーズンオフ、FCバルセロナは財政危機に陥っており、イングランドのマンチェスター・ユナイテッドがプジョル獲得に興味を示したが、移籍は実現せず、この2年後には契約を5年延長した。2003年夏にフランク・デ・ブールが退団し、本格的にセンターバックに転向した。2003-04シーズン終了後、ルイス・エンリケの現役引退に伴ってキャプテンに就任した。2004-05シーズンと2005-06シーズンには2シーズン連続でリーグ優勝を果たし、2005-06シーズンには14シーズンぶり2度目のUEFAチャンピオンズリーグ制覇を成し遂げた。2005年と2006年には2年連続でUEFAチーム・オブ・ザ・イヤー(センターバック)に選ばれ、2006年にはUEFAクラブ最優秀ディフェンダーに選ばれた。

2006年11月3日、父親が農作業中の事故によって死去した。翌日のデポルティーボ・ラ・コルーニャ戦において、プジョルに代わってゲームキャプテンを務めゴールを挙げたロナウジーニョはキャプテンマークにキスし、プジョルにゴールを捧げた。また、ライバルのエスパニョールの選手達は、リーグ戦でプジョル一家への励ましのメッセージが入ったTシャツを着て入場し、ライバル関係を超えてプジョルの心中を労った。2008年には2年ぶりにUEFAチーム・オブ・ザ・イヤー(センターバック)に選ばれた。

2008年9月16日、UEFAチャンピオンズリーグのスポルティングCP戦で公式戦通算400試合出場を達成した。2008-09シーズンは負傷に悩まされたが、28試合に出場してリーグ優勝に貢献し、2009年5月2日のエル・クラシコ (6-2) でシーズン唯一の得点を挙げた。同シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ決勝では右サイドバックのダニエウ・アウヴェスが累積警告により出場できず、プジョルが右サイドバックとして出場した。2009年にはUEFAスーパーカップ、スーペルコパ・デ・エスパーニャ、FIFAクラブワールドカップなどにも勝利し、6冠を達成した。

2014年3月4日、度重なる怪我の影響で2013-14シーズン限りでの退団を表明した。5月31日、アンドニ・スビサレッタSDのサポート役としてのフロント入りを発表した。 因みに、彼の着けていた背番号5はプジョル本人の指名でセルヒオ・ブスケツに引き継がれた。

2015年1月、アンドニ・スビサレッタSDの契約解消が決まり、自身もクラブを離れることをSNSで発表した。

代表経歴

代表経歴

2000年11月15日、オランダ戦でスペイン代表デビューし、それ以来レギュラーとして出場し続けている。2002年4月17日、ベルファストで行われた北アイルランドとの親善試合 (5-0) で代表初得点を挙げた。

2007年6月20日、南アフリカで行われた親善試合で左膝靭帯を断裂し、翌日には手術を受けたが、全治3ヶ月と発表された。UEFA EURO 2008では守備陣の要としてチームを支え、5試合で2点しか許さなかった。決勝でドイツに勝利して優勝し、センターバックのコンビを組んだカルロス・マルチェナと共に大会ベストイレブンに選ばれた。2008年10月11日、2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選のエストニア戦 (0-3) で代表2得点目を挙げた。2009年のコンフェデレーションズカップでは5試合中3試合に先発出場し、キャプテンのイケル・カシージャスが欠場したグループリーグ最終戦では代わりにキャプテンを務めた。スペイン代表は3位に終わったが、4人のチームメイトと共に大会ベストイレブンに選ばれた。

2010 FIFAワールドカップではジェラール・ピケとセンターバックのコンビを組んで全ての試合に先発出場し、準々決勝のパラグアイ戦で84分に途中交代した以外は試合終了までプレーした。準決勝のドイツ戦では73分にシャビ・エルナンデスが蹴ったコーナーキックをヘディングで合わせ、決勝進出を確信する決勝点を決めた。代表での1得点目と2得点目は大差が付いた段階での得点であり、初めての勝利に直結する得点であった。決勝ではオランダを1-0で下し、初優勝を果たした。7試合で2点しか許さず、GKイケル・カシージャスも含めた守備陣は抜群の安定感を誇った。2010年8月1日、少なくともあと2年間はスペイン代表でのプレーを続けることを発表した。

プレースタイル

プレースタイル

チームへの献身性、頑強さ、闘志溢れるファイトが持ち味のディフェンダーである。プレースタイルは怪我をも恐れぬという意味でハードだったが、それはファウルを前提としない、クリーンなハードプレーであった。ハードなプレースタイルが故にフェイスガードを付けてプレーすることがあり、リーガ・エスパニョーラでフェイスガードを付けてプレーした最初の選手でもある。FCバルセロナのチーフドクターによれば、「彼の長所は素早い反応と爆発的な強度」である。FCバルセロナのファンは彼を「岩壁」(The Wall) という愛称で呼んでいる。プジョルと一緒にプレーしたこともあるミゲル・アンヘル・ナダルは「カルラスは優れたポジショニングのセンスを持ち、とりわけFCバルセロナの選手としての誇りを持っている」と語った。リーダーシップと生真面目さで知られており、失言や暴言を吐くことはなく、チームの全体練習が終わった後も個人練習を続けることがある。2010年、「僕はロマーリオのテクニックも、マルク・オーフェルマルスの速さも、パトリック・クライファートの力強さも持っていないが、他の選手より懸命に働く。頭が良くなくても何度も復習を重ねて最終的に試験に合格する学生が好きだ」と述べた 。彼はしばしば「FCバルセロナの心臓」と表現される。チームメイトのジェラール・ピケは「もし残り時間が少ない中で3-0で勝っていても、大声で味方に指示を続けるのが彼だ」と語った。

人物像

性格

謙虚な性格であるとされている。カタルーニャ主義者だが原理主義者ではなく、政治的なアピールは最小限にし、他者への尊重などを言葉ではなく行動で示し続けた。

2006年、自身の生活について「静かな生活だよ。繁華街にあるナイトクラブには1回も行ったことがないんだ。外出するときは友人たちとレストランに行く時だ」と答えた 。2009年、Goal.comに対して「頻繁に外出するのは好きじゃない。でも繋がりを絶つのは良いことだよ。家で本を読んでいるのが好きだね」と答えた。

趣味

ヨガとピラティス・メソッドを取り入れており、彼の友人によるとチベット仏教とその文化に興味を持っているようである。2007年にはダライ・ラマに謁見している。音楽ではナパーム・デス(Napalm Death)が好みである。Crackoviaというテレビ番組で、ケサ (Queca) と名付けたヤギを飼っていることを明かした。このヤギは、プジョル自身がカーリーヘアーであるためプレゼントされたものである。

髪

初めてトップチームで練習した19歳の時、ルイス・ファン・ハール監督に「美容院に行くお金がないのかい?」と髪を切ることを提案されたが、「いえ、今は髪を切りたくないのです」と切り返した。

個人成績

数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。

クラブ

クラブシーズン年齢ディビジョンリーグ大陸大会1その他2シーズン通算
出場得点出場得点出場得点出場得点
スペインバルセロナC1995-96170——————10
スペインバルセロナB1996-97181——————11
1997-98193——————423
1998-99—2——————382
1999-2000—0——————80
通算——————896
スペインバルセロナ1999-2000—0508000370
2000-012202050——240
2001-0223210150——512
2002-0324000140——460
2003-042504070——380
2004-052601080——450
2005-062713012020521
2006-07282709140552
2007-0829070101——471
2008-0930160110——451
2009-103112010040481
2010-11321208000271
2011-12333729020445
2012-13341514000222
2013-14351611000122
通算584131212059318
キャリア通算584131212068324

1. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 2. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

代表

スペイン としての年別成績です。親善試合を含みます。

年年齢出場得点得点グラフ
20002110
20012240
200223101
20032480
200425100
200526100
200627100
20072850
200829141
20093080
201031141
20113240
20123310
20133410
通算1003

年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

所属チーム

ユース

期間年齢チーム
1995〜199616スペインバルセロナ

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

クラブ

期間年齢チーム出場得点
1996〜199717スペインバルセロナC——
1997〜199918スペインバルセロナB——
1999〜201420スペインバルセロナ434

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は国内リーグ戦の合計で、カップ戦・大陸大会を含む内訳は「個人成績」の表にあります。

代表

期間年齢チーム
199516スペインスペイン U-18
200021スペインスペイン U-21
200021スペインスペイン・オリンピック
2000〜201221スペインスペイン
2001〜201222スペインカタルーニャ

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
199617スペインバルセロナスペインバルセロナC移籍—形態・移籍金は未確認
199718スペインバルセロナCスペインバルセロナB移籍—形態・移籍金は未確認
199920スペインバルセロナBスペインバルセロナ移籍—形態・移籍金は未確認

※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認

人物相関

所属履歴と出場記録から機械的に算出しています。個人の交友関係についての評価は含みません。

共にプレーした選手

同じクラブ・同じシーズンに両者とも出場記録がある選手を、シーズン数の多い順に並べています。取得元(API-Football)のシーズン名簿は 2010-11 シーズン以降しか無いため、それ以前に一緒にプレーしたシーズンは数に入りません。

選手クラブ期間シーズン 
アドリアーノ・レイテ・リベイロスペインFCバルセロナ2010〜20134
アンドレス・イニエスタスペインFCバルセロナ2010〜20134
ダニ・アウヴェススペインFCバルセロナ2010〜20134
ホセ・マヌエル・ピント・コロラドスペインFCバルセロナ2010〜20134
リオネル・メッシスペインFCバルセロナ2010〜20134
マルク・バルトラスペインFCバルセロナ2010〜20134
マルティン・モントヤスペインFCバルセロナ2010〜20134
ペドロ・ロドリゲス・レデスマスペインFCバルセロナ2010〜20134
セルジ・ロベルトスペインFCバルセロナ2010〜20134
セルヒオ・ブスケツスペインFCバルセロナ2010〜20134
ビクトール・バルデススペインFCバルセロナ2010〜20134
シャビ・エルナンデススペインFCバルセロナ2010〜20134
セスク・ファブレガススペインFCバルセロナ2011〜20133
クリスティアン・テージョスペインFCバルセロナ2011〜20133
ダビド・ビジャスペインFCバルセロナ2010〜20123
ティアゴ・アルカンタラスペインFCバルセロナ2010〜20123
アレクサンドル・ソングスペインFCバルセロナ2012〜20132
ジョルディ・アルバスペインFCバルセロナ2012〜20132
ハファエウ・アルカンタラ・ド・ナシメントスペインFCバルセロナ2011〜20122
セイドゥ・ケイタスペインFCバルセロナ2010〜20112

指導を受けた監督

本人の在籍期間と監督の在任期間の重なりから算出しています。取得元(API-Football)に在任期間の登録がある監督だけが対象で、古い年代の監督は登録が無いため出ていません。

監督クラブ・代表在任
ウド・ラテックスペインFCバルセロナ—
セサル・ルイス・メノッティスペインFCバルセロナ—
ルイス・アラゴネススペインスペイン代表2004〜2008
ペップ・グアルディオラスペインFCバルセロナ2008年7月〜2012年6月
ビセンテ・デル・ボスケスペインスペイン代表2008年7月〜2016年7月
ヘラルド・マルティーノスペインFCバルセロナ2013年7月〜2014年5月
ルイス・デ・ラ・フエンテスペインスペイン代表2023年1月〜

日本語名を確認できない監督 7 人は掲載していません。

タイトル

クラブ

FCバルセロナ

代表

スペイン代表

個人

英語の記録名しか確認できないもの(12件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

獲得メダル

代表チームで獲得したメダルです(金2・銀1・銅1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。

FIFAワールドカップ金 2010 南アフリカ
UEFA欧州選手権金 2008 オーストリア・スイス
オリンピック銀 2000 シドニー
FIFAコンフェデレーションズカップ銅 2009 南アフリカ

出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「カルレス・プジョル」(版 108170541)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. API-Football(選手・監督データ)、2026年10月25日 取得 https://www.api-football.com/
  2. Wikidata、2026年10月25日 取得 https://www.wikidata.org/
  3. Wikipedia(日本語版)「カルレス・プジョル」、版 ID 108170541、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%97%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%AB
  4. Wikipedia(英語版)、版 ID 1375495925、2026年10月14日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Carles_Puyol

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