ロマーリオ

SOCCERPEDIA / 選手ページ / ブラジルのサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日


概要

ブラジルロマーリオ(Romário、1966年1月29日生)は、リオデジャネイロ出身の元サッカー選手。ポジションはFW。ブラジルでは1987年から通算70試合55得点を記録している。クラブでは公式戦通算893試合690得点(1985 シーズン以降)。クラブ・代表で通算25個のタイトルを獲得、個人賞は69回(FIFA最優秀選手 2回)。

ロマーリオ・ジ・ソウザ・ファリア(、1966年1月29日 - )は、ブラジル・リオデジャネイロ出身のサッカー選手。政治家。ポジションはフォワード。1980年代後半から1990年代を代表するストライカーの一人。

ブラジル上院議員を務めていたが、2024年4月18日、58歳にして現役復帰した。息子との共演を望んでおり、リーグ戦の出場はしないとしている。

日本では一般的にロマーリオと多く表記されるが、彼の母語であるブラジルポルトガル語では、冒頭の Ro はホと読む場合も多い(地域・年齢などで異なる)。そのため現地リオの発音にしたがってホマーリオなどと表記される場合もある。

クラブ経歴

クラブ経歴

リオデジャネイロで塗装職人の長男として誕生、名前の由来は著名なテレビ番組の登場人物に由来している。ジャカレジーニョ地区で育つが、小児喘息持ちで体の弱い子供であった。9歳の時にエストレリーニャというクラブに入り、13歳でヴァスコ・ダ・ガマからも注目されたが、余りに背が小さいことが災いして獲得は見送られた。その後入団した2部のオラーリでの活躍でヴァスコ入団を果たした。

1988-89シーズンPSVに移籍すると、シーズン中3度ハットトリックを決め、同シーズン12月11日開催のインターコンチネンタルカップ、ナショナル戦でもゴールを決め、在籍中は2度UEFAチャンピオンズリーグで得点王になるなど頭角を現した。

1993-94シーズンよりスペイン・FCバルセロナに移籍、再びロナルド・クーマンとチームメートとなった。「ここではフリスト・ストイチコフとは良好な関係を築いた。9月5日デビュー戦となったレアル・ソシエダ戦でハットトリックを達成した。数試合連続で得点できないこともあったが、10月30日のアトレティコ・マドリード戦、1994年1月の対レアル・マドリード戦、2月19日のオサスナ戦、3月12日のアトレティコ・マドリード戦でもハットトリックを達成するなど出場33試合で30ゴールという決定力を発揮して得点王を獲得、リーグ最終節のセビージャ戦では決勝ゴールを決めて、この結果首位のデポルティーボが引き分けたため、逆転でリーグ優勝を果たした。「30ゴールを決めて見せる」と公約を掲げ、最終的に入団時に宣言したシーズン30ゴールを達成した。しかしチャンピオンズリーグでは10試合2ゴールと振るわず、決勝ではACミランに0-4と敗れた。1994-95シーズンは不調でベンチに座ることもありシーズン途中にバルセロナを退団し、フラメンゴに移籍した。

フラメンゴでプレーしていた1998年初頭、ブラジル国内では、ヴェルディ川崎からの高額オファーに本人も移籍に前向きで、同年のワールドカップ終了後に移籍するのではないかと報じられていた。また、2001年にはヴェルディが川崎から東京に移転するにあたり、観客を呼べるスター選手として獲得に動き、本人も1年限定でのプレーという形で前向きに検討していたとされるが、東京への移転に多額の費用が必要であったことから、本格的な交渉が始まる寸前にヴェルディの親会社からヴェルディフロントに獲得NGが言い渡され、移籍は消滅した。

2000年にはクラブ世界選手権を皮切りに5つの大会で得点王となり、ブラジルサッカー界の混乱が生み出した過密日程もあり、代表戦を含めて公式戦73試合で72ゴールという成績を残した。

2004年にフルミネンセFCを解雇されたが、その後に自らがデビューしたCRヴァスコ・ダ・ガマに移籍。2005年ブラジル全国選手権セリエAで22得点を決め、得点王に輝いた。2005年末までの現役続行の予定だったが、米国下位リーグのマイアミFCに移籍し、現役を続けることになった。マイアミでは19得点を上げ、リーグの得点王になる活躍を見せた。その後、オーストラリアAリーグのアデレード・ユナイテッドFCに、リーグ戦4試合限定の「ゲストプレーヤー」として移籍することが決定。前所属のマイアミFCとの親善試合なども契約に含まれている。

2007年から再び古巣のヴァスコ・ダ・ガマに復帰。1年間の内に2度移籍をしてはいけないというFIFAの規定によってFIFA側はその移籍を正式には認めていなかったが、ヴァスコ・ダ・ガマは「アデレード・ユナイテッド在籍は『招待』であり『移籍』ではない」と言う主張を掲げチームに帯同させ、試合にも出場させている。ちなみにその復帰初戦では、10分間でハットトリックを達成している。

なお、ロマーリオは、ペレに次ぐ世界2人目(アルツール・フリーデンライヒを含めれば3人目)の1,000ゴールをマークしている。1,000ゴール目は2007年5月20日の全国リーグ・スポルチ・レシフェ戦でのペナルティーキック。1,000ゴール達成で引退するのではという噂もあったが、その後もプレーを続けて、さらにゴールを重ねた。

これまで幾度となく引退をほのめかしその度に発言を撤回しプレーし続けてきたが、2008年4月、プロキャリアでの911ゴールを収録したオフィシャルDVDの発売記念会見の場で「これは公式のアナウンスである。私はもうプレーしない」と、これまでの引退宣言とは一線を画し正式に引退する意思がある事を表明した。自身がプレーしたヴァスコ・ダ・ガマ、フルミネンセ、フラメンゴによる3クラブ共催の試合がエスタジオ・ド・マラカナンで予定されており、この試合で現役を引退することが伝えられた。

しかし、2009年11月にはリオデジャネイロ州選手権2部のアメリカFCで、試合に出場した。

代表経歴

代表経歴

1987年5月23日のアイルランド戦で代表デビューを飾るとレギュラーの座を掴み、1988年にオリンピックブラジル代表としてソウルオリンピック準優勝、1989年にはコパ・アメリカ優勝に貢献した。

しかし1990年のワールドカップ・イタリア大会ではカレカ、ミューレルらのライバルにポジションを奪われ、1次リーグ最終戦のスコットランド戦、1試合出場に終わった。

ワールドカップ・アメリカ大会予選中、レギュラーとしてプレー出来ないならと代表招集を拒否していたが、ミューレルが負傷したことで、代表に複帰し、ワールドカップへの出場をかけて行われた、南米予選最終戦のウルグアイ戦で2ゴールを決めて本大会出場に貢献、本大会ではグループリーグで3ゴールを決め、準々決勝のオランダ戦では先制ゴール、準決勝のスウェーデン戦で決勝ゴールを決めるなど、フリスト・ストイチコフに1点差で得点王のタイトルを逃したが、5得点を上げてブラジルの4度目の優勝に貢献。同大会のMVPと同年のFIFA最優秀選手に選出された。

1998年のワールドカップ・フランス大会は直前の怪我のために出場が叶わず、ブラジル代表は決勝でエース・ロナウドの不調が響きフランスに0-3で敗れ準優勝に終わった。

2002年の日韓共催ワールドカップでは地区予選で第八節のボリビア戦で3得点、第九節のベネズエラ戦で4得点を挙げるなど、リバウドと共にチーム最多の8得点だったが、本大会のメンバー選考でルイス・フェリペ・スコラーリ監督の構想から外れた。

2004年、ブラジル代表からの引退を表明。ホルヘ・カンポスと合同で代表引退試合を行った。

2005年、前年すでに代表引退試合を行っているにもかかわらず、1試合限りで代表に復帰した。試合前の宣言通り、有終の美となるゴールを決めて代表から引退した。

個人成績

数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。

クラブ

クラブシーズン年齢ディビジョンリーグ国内カップ1大陸大会2その他3シーズン通算
出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点
ヴァスコ・ダ・ガマ19851902111——00——2811
19862092520——————4829
19872182416——————4124
19882202416——————2416
通算9463——————14180
オランダPSVアイントホーフェン1988-892219——5422313426
1989-902323——3246——2731
1990-912425——3520——3030
1991-92259——102010199
1992-932622——3397103932
通算——1514191551149128
スペインバルセロナ1993-942730——20102204732
1994-95284——0053——187
通算——20155206539
ブラジルフラメンゴ199529821265142——4637
199630019265100643331
通算405210242647968
スペインバレンシア1996-97304——0000——54
1997-98311——11————72
通算——1100——126
ブラジルフラメンゴ199731318188700673635
1998321411104634214035
1999331215167778635446
通算4444192010121411130116
ヴァスコ・ダ・ガマ20003420171921141410127166
200135216110095633940
20023604875——14132526
通算27389618163531135132
ブラジルフルミネンセ200236160000————2616
20033713450000——2518
20043859622————2413
通算131122————7547
アル・サッド*2002-03360——00————30
ヴァスコ・ダ・ガマ2005392210731————4330
20064001061300——119
通算201344————5439
マイアミFC20064019——10————2619
オーストラリアアデレード・ユナイテッド2006-07401————00——41
ヴァスコ・ダ・ガマ20074139103210——1915
アメリカ-RJ200943—10——————10
キャリア通算248231665167506247893690

1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 3. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

代表

ブラジル としての年別成績です。親善試合を含みます。

年年齢出場得点得点グラフ
19872064
19882172
198922114
19902310
19912400
19922520
19932612
1994271010
19952800
19962900
1997301719
19983173
19993200
20003327
20013453
20023500
20033600
20043700
20053811
通算7055

年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

所属チーム

ユース

期間年齢チーム
1979〜198012ブラジルオラリア
1981〜198514ブラジルヴァスコ・ダ・ガマ

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

クラブ

期間年齢チーム
1985〜198818ブラジルヴァスコ・ダ・ガマ
1988〜199321オランダPSVアイントホーフェン
1993〜199526スペインバルセロナ
1995〜199628ブラジルフラメンゴ
1996〜199829スペインバレンシア
199730ブラジルフラメンゴ
1998〜199931ブラジルフラメンゴ
2000〜200233ブラジルヴァスコ・ダ・ガマ
2002〜200435ブラジルフルミネンセ
200336カタールアル・サッド
2005〜200638ブラジルヴァスコ・ダ・ガマ
200639アメリカマイアミFC
200639オーストラリアアデレード・ユナイテッド
200740ブラジルヴァスコ・ダ・ガマ
200942ブラジルアメリカ-RJ

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

代表

期間年齢チーム
198518ブラジルブラジル U-20
1987〜200520ブラジルブラジル
198821ブラジルブラジル U-23
198821ブラジルブラジル・オリンピック

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

監督

在任年齢チーム役職
2007〜200840ブラジルヴァスコ・ダ・ガマ監督

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
198822ヴァスコ・ダ・ガマオランダPSVアイントホーフェン移籍—形態・移籍金は未確認
199327オランダPSVアイントホーフェンスペインバルセロナ移籍—形態・移籍金は未確認
199529スペインバルセロナブラジルフラメンゴ移籍—形態・移籍金は未確認
199630ブラジルフラメンゴスペインバレンシア移籍—形態・移籍金は未確認
199731スペインバレンシアブラジルフラメンゴ期限付き移籍—期間・移籍金は未確認
199832スペインバレンシアブラジルフラメンゴ移籍—形態・移籍金は未確認
200034ブラジルフラメンゴヴァスコ・ダ・ガマ移籍—形態・移籍金は未確認
200236ヴァスコ・ダ・ガマブラジルフルミネンセ移籍—形態・移籍金は未確認
200337ブラジルフルミネンセカタールアル・サッド期限付き移籍—期間・移籍金は未確認
200539ブラジルフルミネンセヴァスコ・ダ・ガマ移籍—形態・移籍金は未確認
200640ヴァスコ・ダ・ガママイアミFC移籍—形態・移籍金は未確認
200640マイアミFCオーストラリアアデレード・ユナイテッド移籍—形態・移籍金は未確認
200741オーストラリアアデレード・ユナイテッドヴァスコ・ダ・ガマ移籍—形態・移籍金は未確認
200943ヴァスコ・ダ・ガマアメリカ-RJ移籍—形態・移籍金は未確認

※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認

人物相関

所属履歴と出場記録から機械的に算出しています。個人の交友関係についての評価は含みません。

指導を受けた監督

本人の在籍期間と監督の在任期間の重なりから算出しています。取得元(API-Football)に在任期間の登録がある監督だけが対象で、古い年代の監督は登録が無いため出ていません。

監督クラブ・代表在任
フース・ヒディンクオランダPSVアイントホーフェン1987年3月〜1990年6月
クラウディオ・ラニエリスペインバレンシア1997年7月〜1999年6月

タイトル

クラブ

バスコ・ダ・ガマ

その他

FCバルセロナ

ブラジル代表

個人

英語の記録名しか確認できないもの(43件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

獲得メダル

代表チームで獲得したメダルです(金5・銀1・銅1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。

FIFAワールドカップ金 1994 アメリカ
FIFAコンフェデレーションズカップ金 1997 サウジアラビア
コパ・アメリカ金 1989 ブラジル金 1997 ボリビア
オリンピック銀 1988 ソウル
CONCACAFゴールドカップ銅 1998 アメリカ
南米U-20選手権金 1985 パラグアイ

出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「ロマーリオ」(版 110057318)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. RSSSF、2026年9月13日 取得 https://rsssf.org/miscellaneous/onze-awards.html
  2. Wikidata、2026年10月25日 取得 https://www.wikidata.org/
  3. Wikipedia(日本語版)「ロマーリオ」、版 ID 110057318、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%AA
  4. Wikipedia(英語版)、版 ID 1379955029、2026年10月14日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Rom%C3%A1rio

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