「女子選手が男性用のスパイクを履いている状況があるが、これは普通ではない。」
出典:Goal.com 2026年10月24日
SOCCERPEDIA / 選手・監督ページ / フランスのサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日
ティエリ・アンリ(Thierry Henry、1977年8月17日生)は、フランス出身の元サッカー選手。ポジションはFW(フォワード)。フランスでは1997年から通算123試合51得点を記録している。クラブでは公式戦通算813試合366得点(1994-95 シーズン以降)。クラブ・代表で通算26個のタイトルを獲得、個人賞は80回(PFA チーム・オブ・ザ・イヤー 6回、UEFAチーム・オブ・ザ・イヤー 5回)。
ティエリ・アンリ(Thierry Henry, 1977年8月17日 - )は、フランス・エソンヌ県レ・ジュリス出身の元プロサッカー選手、現サッカー指導者。元フランス代表。現役時代のポジションはフォワード。
サッカー史上最高の選手の1人であるとみなされており、プレミアリーグ歴代最多となる4度の得点王受賞をはじめ、FWA(Football Writers' Association、サッカーライター協会)の投票によるFWA年間最優秀選手賞を3度受賞、PFA年間最優秀選手賞を2度受賞、UEFAチーム・オブ・ザ・イヤーを同賞最多の5度受賞と数々の個人タイトルを獲得し、プレミアリーグにおける1シーズン歴代最多タイである20アシストの記録を誇る。
父親はグアドループでプロサッカー選手をしていたが、生活の安定を求めてフランス本土に渡り、パリ郊外でティエリを育てた。6歳の時に地元のクラブであるレ・ジュリス・フットボールに入団し、クラブでの練習のない日は厳格な父親による英才教育を受けた。なお、このクラブからはパトリス・エヴラもプロサッカー選手に育った。12歳から15歳の間は色々なクラブを転々としたが、クレールフォンテーヌ(INF、フランスサッカー学院)に入学して英才教育を受けた。なお、一度は入学試験に落とされたが、辞退者が出たために入学を許可されたという経歴を持つ。
本人が語るところによると、INF卒業後にヴェルサイユに1シーズンだけ在籍しており、22試合に出場し76得点を記録しているとのこと。この時にモナコのスカウトが視察した試合で7得点を決め、16歳の時に父アントワーヌが仮契約書にサインしASモナコに入団。
モナコの下部組織での活躍により、当時トップチームの指揮官であったアーセン・ベンゲルに抜擢され、1994年8月31日にニース戦でリーグ・アンデビュー。1994-95シーズンは8試合に出場し3得点の成績を残した。なお、この当時のアンリのポジションはセンターフォワードではなくウイングであった。1995-96シーズンは母国で開催された欧州U-19選手権のメンバー入りも果たす。1996-97シーズンには36試合に出場し9得点でチームのリーグ優勝に貢献し、UEFAカップでも初得点を記録。リーグ・アン年間最優秀若手選手にも選出される。
1998-99シーズン途中に監督ジャン・ティガナとの衝突が原因でセリエAのユヴェントスに移籍。モナコでは起用法を巡ってのすれ違いから退団を決めたが、移籍先のユヴェントスでも不慣れな左ウイングバックでの出場を余儀なくされ、実力をほとんど発揮できずに3得点でシーズンを終える。その頃に、モナコでアンリをトップチームに抜擢したアーセン・ベンゲルから「もし、イタリアでうまくいかなければ、私がまた獲得する」と促されており、その言葉を追うように1999年8月3日にベンゲルが指揮を執るプレミアリーグのアーセナルに入団。この件にはアーセナルがニコラ・アネルカをレアル・マドリードに約45億円で移籍させた背景もあり、アンリ獲得のためにアーセナル側が積んだ金額はアネルカの移籍で得た収入の約半分である。
ニュータイプのフォワードを構想していたベンゲルは、アンリをウイングからセンターフォワードにコンバートする。移籍初年度こそ新境地のポジションに戸惑いも見せるも、翌2000-01シーズンからは実力を遺憾なく発揮し、得点数こそ昨シーズンと同じながら敵陣のタッチライン際を快足をもって突破していくシーンは観戦者に強烈な印象を与えた。2001-02シーズンには24得点で得点王に輝き、チームは勝ち点87ポイント得失点差43でプレミアリーグ移行後2度目のリーグ優勝を果たす。またFAカップも優勝し、二冠を達成。
2002-03シーズンは優勝を逃し、アンリ自身も得点王を逃したが、得点数は昨シーズンと同じ24得点を記録し、PFA年間最優秀選手賞、FWA年間最優秀選手賞を受賞。チームの総得点数はリーグ最多の85得点と全体として高いパフォーマンスを誇った。またFAカップ2連覇。このシーズンに20アシストでアシスト王になったが、このアシスト数は2023-24シーズン終了時点でプレミアリーグにおける1シーズンのアシスト歴代最多タイ記録である。
2003-04シーズン、チームは26勝12引き分け勝ち点90ポイントと無敗優勝を成し遂げ、アンリは30得点で得点王に返り咲く。2年連続でPFA年間最優秀選手賞、FWA年間最優秀選手賞を受賞。この時期のアーセナルはしばしば「The Invincibles(無敵)」と讃えられ、アンリの他にパトリック・ヴィエラやロベール・ピレス、シーズン途中に移籍したシルヴァン・ヴィルトールといったフランス人選手が主力として顔を揃えていた。また、これらに監督アーセン・ベンゲルを含めて「フレンチ・コネクション」と呼ばれた。2003年のバロンドールではパベル・ネドベドに次いで2位となった。
2004-05シーズン、アンリは25得点を記録し2年連続で得点王に輝き、更に3年連続でFWA年間最優秀選手賞を受賞。チームは無敗記録を49試合にまで伸ばし、1977-78シーズンにノッティンガム・フォレストが達成した42試合無敗記録を27年ぶりに更新。49試合ぶりの黒星はマンチェスター・ユナイテッドに喫した。アーセナルは勝ち点83ポイント得失点差51で2位。またFAカップ王者に1年ぶりに返り咲く。
2005-06シーズン、3年間アーセナルの主将を務めたパトリック・ヴィエラがユヴェントスに移籍し、アンリはゲームキャプテンを任せられる。アンリ自身は27得点を記録し得点王を3年連続で受賞するも、チームは4位でシーズンを終え2連覇を果たしたチェルシーとの勝ち点差は24ポイント。一方で、欧州フットボール界の七不思議とまでいわれ勝てない時期が続いたUEFAチャンピオンズリーグでは連続無失点試合の記録を更新し、決勝でバルセロナに敗れるも準優勝と健闘した。
2006-07シーズンは怪我で大半の試合を欠場し、得点王連続記録もここで途絶える。チームの大黒柱の代役を務めたとは言い難いが、アンリのポジションにはエマニュエル・アデバヨールやロビン・ファン・ペルシーといった新鋭の台頭も見られ、チームの急速な世代交代により栄華を極めた時代の選手はアンリ以外はほとんど退団していた。2007年6月、2,400万ユーロでバルセロナへの移籍が決まる。
リーガ・エスパニョーラ2007-08シーズン、当時3トップを形成していたロナウジーニョ、サミュエル・エトー、リオネル・メッシと自身を合わせた組み合わせは“ファンタスティック4”と呼ばれ注目されたが、スペインサッカーのスペースの少ないゆったりしたスタイルに戸惑い、また左ウイングのような役割に徹することで終始低調なプレーが続き30試合12得点でシーズンを終える。
2008-09シーズン、新たに監督に就任したジョゼップ・グアルディオラのチーム再編に伴い、ロナウジーニョ、デコが退団。より強健なチーム作りの中で当初はやサミュエル・エトー、アンドレス・イニエスタの控えに甘んじていたものの、次第に復調の兆しを見せ、守備に奔走する姿勢もみせるなか19得点を記録。チームは第36節アウェーでのマジョルカ戦後に3シーズンぶりのリーグ優勝を決め、最終成績は27勝6分5敗、勝ち点87ポイント得失点差70。またUEFAチャンピオンズリーグではグループリーグからの12試合で3得点をあげ、決勝戦でマンチェスター・ユナイテッドを破り優勝。アンリは5得点を記録。更にコパ・デル・レイも優勝し、スペインのクラブ史上初の三冠を達成した。
復調の兆しを見せた昨シーズンとはうってかわり、2009-10シーズンは終始単調なプレーを繰り返し、ベンチを暖める場面が増えた。若手のペドロ・ロドリゲスの活躍の影に潜んでいたが、終盤戦にセンターフォワードでの起用が多くなると、やや調子を取り戻した。
2009-10シーズン終了後、バルセロナとの契約を解除した。2010年7月14日、特別指定選手制度 (Designated Player Rule) を用いてメジャーリーグ・サッカーのニューヨーク・レッドブルズへ移籍した。7月31日、ヒューストン・ダイナモ戦でMLSデビューを果たし、フアン・パブロ・アンヘルの2ゴールを両方アシストした。8月28日、サンノゼ・アースクエイクス戦でMLS初ゴールを挙げた。レッドブルズはMLS東カンファレンスでコロンバス・クルーを勝ち点1差で上回り、MLSカップ・プレーオフに進出したが、準々決勝でアースクエイクスに2-3で敗れた。2011シーズンは、レッドブルズはMLS10位で、MLSカップ・プレーオフの準々決勝で敗れた。
2012年1月6日、シーズンオフを利用して古巣のアーセナルに2か月間レンタルで復帰した。アフリカネイションズカップ2012への参加のためチームを離れたジェルヴィーニョとマルアーヌ・シャマフの穴を埋めるためであった。背番号は12番。背番号14番は、アンリが退団後にセオ・ウォルコットが着用していた。1月9日のFAカップ3回戦リーズ・ユナイテッド戦に途中出場し、アレクサンドル・ソングのアシストから得点を決めた。期限付きで在籍した期間の7試合で2得点。特にイングランドでのラストマッチとなったサンダーランド戦では後半ロスタイムにアンドレイ・アルシャヴィンのクロスにボレーで合わせ、勝ち点3をもたらした。
2012年2月17日、レッドブルズに復帰した。アンリの基本給は500万ドルであり、MLS最高額であった。ロサンゼルス・ギャラクシーのデビッド・ベッカムが減給したことで、アンリが最高額となった。2013年、アンリの基本給は、ロビー・キーンの400万ドルを下回り、375万ドルとなった。しかし、ボーナスを含めた給与では、キーンの432万ドルを上回る435万ドルだった。
2012年3月31日、モントリオール・インパクト戦でレッドブルズでの初めてのハットトリックを達成した。2012年3月のMLS月間MVPに選出された。
2013年10月27日、レッドブル・アリーナでのシカゴ・ファイアー戦で1得点1アシストを記録して、5-2での勝利し、チームはサポーターズ・シールドを獲得した。ニューヨーク・レッドブルズの17年間で初のタイトルであった。
2014年7月12日、コロンバス・クルー戦で3アシストを記録した。そのアシストにより、アマド・ゲバラとタブ・ラモスを上回りレッドブルズでの最多アシストを記録した選手となった。
フランス代表としてのアンリの経歴は15歳の時にまで遡り、早くからその才能を世界の舞台で輝かせている。本格的な国際大会の初陣としては母国で開催された欧州U-19選手権で、決勝の対スペイン戦では決勝弾を決める活躍で優勝に貢献した。またマレーシアで開催されたワールドユースにもメンバー入りし、後のA代表の主力となるニコラ・アネルカ、ダビド・トレゼゲと3トップを形成している。
1998年フランスW杯のフランス代表メンバーに選出され、決勝のブラジル戦以外の6試合に出場。通算3得点に終わるも、フランスはグループリーグを全勝で勝ち上がり勢いそのままにW杯初優勝。新世代の台頭を予感させるジネディーヌ・ジダンやリリアン・テュラムの存在が光る大会となった。その2年後にベルギーとオランダで共催されたEURO2000のメンバーにも名を列ね、3得点を記録。フランスは今大会でも優勝を果たし、史上初となるW杯と欧州選手権を立て続けに優勝した国となった。
2002年にフランス代表の中心選手として日韓W杯に挑むもグループリーグで敗退。アンリはグループリーグ2戦目となったウルグアイ戦でレッドカードで退場となってしまい、そのまま3戦目のデンマーク戦にも出場できず戦犯とされる事態に発展した。同大会のフランス代表はロベール・ピレスが右膝の靭帯断裂で代表に招集されなかったことや、ジダンの左腿の肉離れによる欠場といったことが敗退要因として挙がったが、それでも世界有数の選手を揃えた優勝候補国であることは変りなく、大会早々に大波乱という話題を振りまいて姿を消した。
自国開催となったFIFAコンフェデレーションズカップ2003では2大会連続優勝。この大会ではジブリル・シセと2トップを組むことが多かったが、先発と控えを作らないというチーム方針で全試合には出場していない。日本戦は控えに回ったが、アンリコールを繰り返す大歓声に応える形で後半35分に途中出場。チェイシングを仕掛ける中田英寿を反転して突破し、小笠原満男のスライディングを読んでかわすなど実力の片鱗を見せつけた。
2004年6月にポルトガルで開催されたEURO2004では、フランスはBグループ首位で決勝トーナメント進出を決めるも試合内容は前回王者とは思えないほど精彩を欠いており、とりわけ前々から囁かれていたアンリの代表不調はここにきても変わることはなく、決勝トーナメント一回戦で今大会の王者となるギリシャに敗退。フランスは2大会連続欧州王者とはならなかった。
ジダンが引退表明をして臨んだ2006年ドイツW杯では3得点を決めチームの準優勝に貢献。準々決勝のブラジル戦で決めたゴールはジダンのアシストによるもので、1997年のA代表デビュー以来ジダンから受けた最初で最後のアシストとなった。
EURO2008予選ではチーム最多の6得点を記録し、ミシェル・プラティニが持つフランス代表の最多得点記録を更新。しかし、本大会ではオランダ戦の1得点だけにとどまり、チームもグループリーグで敗退。なお、このアンリの1得点が大会のフランス唯一の得点である。
EURO2008終了後の最初の試合となったスウェーデンとの親善試合でフランス代表のキャプテンに任命された。
2010年南アフリカW杯欧州予選プレーオフ(対アイルランド)では延長戦で、チームを4大会連続本大会出場に導くウィリアム・ギャラスの決勝点をアシストしたが、その際、ゴールラインの方に流れたボールを自身の左手で止めるような形で当たっていたのが確認され、物議を醸した。アンリ自身も「決してわざとではないが、確かに手に当たった」と認めている 。本大会出場のメンバーに選出された事により、登録選手の中で唯一1998年大会の優勝を知る者となった。しかし大会直前まで自身のコンディションが上がらず、また当時キャリアの絶頂期にあったフランク・リベリーを本職では無い右サイド、アンリを左サイドに置く布陣が中々機能しなかった。そこでレイモン・ドメネク監督は本大会でアンリを先発から外し、リベリーを本職の左サイドに回す決断をした。これに伴い、キャプテンもパトリス・エヴラに交代となった。結果的に自身はグループA初戦のウルグアイ戦と3戦目の南アフリカ戦に途中出場するに留まり、無得点に終わった。チームとしてもニコラ・アネルカの代表離脱騒動の影響もあり、1分2敗のグループ最下位で大会を後にした。
註1 フランスサッカー連盟は2000年8月16日に行われたFIFA選抜戦を国際Aマッチとして認めている。
2014年12月15日、自身のFacebookで現役引退を表明。引退後はSky Sportsの解説者を務めることを明かした。その後、解説者を務める傍ら、古巣アーセナルで指導者としての経験を積み、2016年3月にUEFAの指導者ライセンスAを修得、アーセナルのU-18チームのコーチを務めていたが、同年6月に辞任を発表した。辞任理由については、トップチームのベンゲル監督より解説業を辞職し、指導者に専念するよう要請を受けた結果と報じられている。2016年8月26日に、ベルギーサッカー協会はベルギー代表のアシスタント・コーチに就任すると発表した。
2018年10月13日、古巣ASモナコの監督に就任した。契約期間は3年間。アーセナル時代のチームメイトセスク・ファブレガスを獲得するなど、低迷に苦しむチームの立て直しを図る。しかし、就任12試合で2勝にとどまるなど、低空飛行から脱することが出来ず、2019年1月24日に解任された。
2021年5月30日より再度ベルギー代表のアシスタントコーチを務め、2022年カタールW杯終了後の2023年2月に退任。
一次情報の発言のみ収録。1回の会見につき主要な発言を最大3つ引用し、他は解説で要約しています。
「女子選手が男性用のスパイクを履いている状況があるが、これは普通ではない。」
出典:Goal.com 2026年10月24日
「センターフォワードがゴールキックを蹴るのは見たことがない。」
「彼はサッカーをプレーしているのではなく、サッカーを考えているんだ!」
出典:Goal.com 2026年10月22日
「ロンドンは私の故郷であり、この街とそのサッカー文化、情熱的なファンとは深いつながりがあります。同僚で友人のケイトとここで授賞式の司会を務めるのは理想的な選択で、世界のサッカー界最高の才能を称える特別な夜になると期待しています。」
出典:Goal.com 2026年10月19日
「あんな発言をする選手は、チームから外すべき」
「これまでにも、何らかの理由で移籍を実現させるために、そうした行動を取る選手を見てきた。しかし、私は相手に対して思うことがあるなら、本人と直接向き合って伝えるべきだと考えている。」
出典:Yahoo!ニュース 2026年10月15日
数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。
| クラブ | シーズン | 年齢 | ディビジョン | リーグ | 国内カップ1 | リーグカップ2 | 大陸大会3 | その他4 | シーズン通算 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 1994-95 | 16 | シャンピオナ・ド・フランス・アマチュア | 19 | 6 | — | — | — | — | — | — | — | — | 19 | 6 | |
| 1994-95 | 16 | ディヴィジョン1 | 8 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | — | — | 8 | 3 | |
| 1995-96 | 17 | ディヴィジョン1 | 18 | 3 | 0 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | — | — | 22 | 3 | |
| 1996-97 | 18 | ディヴィジョン1 | 36 | 9 | 1 | 0 | 2 | 0 | 9 | 1 | — | — | 48 | 10 | |
| 1997-98 | 19 | ディヴィジョン1 | 30 | 4 | 4 | 0 | 1 | 0 | 9 | 7 | — | — | 44 | 11 | |
| 1998-99 | 20 | ディヴィジョン1 | 13 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 | — | — | 19 | 1 | |
| 通算 | 105 | 20 | 5 | 0 | 7 | 0 | 24 | 8 | — | — | 141 | 28 | |||
| 1998-99 | 20 | セリエA | 16 | 3 | 1 | 0 | — | — | 0 | 0 | 2 | 0 | 19 | 3 | |
| 1999-2000 | — | セリエA | 0 | 0 | 0 | 0 | — | — | 1 | 0 | — | — | 1 | 0 | |
| 通算 | 16 | 3 | 1 | 0 | — | — | 1 | 0 | 2 | 0 | 20 | 3 | |||
| 1999-2000 | — | プレミアリーグ | 31 | 17 | 3 | 0 | 2 | 1 | 12 | 8 | — | — | 48 | 26 | |
| 2000-01 | 22 | プレミアリーグ | 35 | 17 | 4 | 1 | 0 | 0 | 14 | 4 | — | — | 53 | 22 | |
| 2001-02 | 23 | プレミアリーグ | 33 | 24 | 5 | 1 | 0 | 0 | 11 | 7 | — | — | 49 | 32 | |
| 2002-03 | 24 | プレミアリーグ | 37 | 24 | 5 | 1 | 0 | 0 | 12 | 7 | 1 | 0 | 55 | 32 | |
| 2003-04 | 25 | プレミアリーグ | 37 | 30 | 3 | 3 | 0 | 0 | 10 | 5 | 1 | 1 | 51 | 39 | |
| 2004-05 | 26 | プレミアリーグ | 32 | 25 | 1 | 0 | 0 | 0 | 8 | 5 | 1 | 0 | 42 | 30 | |
| 2005-06 | 27 | プレミアリーグ | 32 | 27 | 0 | 0 | 1 | 1 | 11 | 5 | 1 | 0 | 45 | 33 | |
| 2006-07 | 28 | プレミアリーグ | 17 | 10 | 3 | 1 | 0 | 0 | 7 | 1 | — | — | 27 | 12 | |
| 通算 | 254 | 174 | 24 | 7 | 3 | 2 | 85 | 42 | 4 | 1 | 370 | 226 | |||
| 2007-08 | 29 | ラ・リーガ | 30 | 12 | 7 | 4 | — | — | 10 | 3 | — | — | 47 | 19 | |
| 2008-09 | 30 | ラ・リーガ | 29 | 19 | 1 | 1 | — | — | 12 | 6 | — | — | 42 | 26 | |
| 2009-10 | 31 | ラ・リーガ | 21 | 4 | 1 | 0 | — | — | 6 | 0 | 4 | 0 | 32 | 4 | |
| 通算 | 80 | 35 | 9 | 5 | — | — | 28 | 9 | 4 | 0 | 121 | 49 | |||
| 2010 | 32 | メジャーリーグサッカー | 11 | 2 | 0 | 0 | — | — | — | — | 1 | 0 | 12 | 2 | |
| 2011 | 33 | メジャーリーグサッカー | 26 | 14 | 0 | 0 | — | — | — | — | 3 | 1 | 29 | 15 | |
| 2012 | 34 | メジャーリーグサッカー | 25 | 15 | 0 | 0 | — | — | — | — | 2 | 0 | 27 | 15 | |
| 2013 | 35 | メジャーリーグサッカー | 30 | 10 | 0 | 0 | — | — | — | — | 2 | 0 | 32 | 10 | |
| 2014 | 36 | メジャーリーグサッカー | 30 | 10 | 0 | 0 | — | — | 0 | 0 | 5 | 0 | 35 | 10 | |
| 通算 | 122 | 51 | 0 | 0 | — | — | 0 | 0 | 13 | 1 | 135 | 52 | |||
| 2011-12 | 33 | プレミアリーグ | 4 | 1 | 2 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | — | — | 7 | 2 | |
| キャリア通算 | 600 | 290 | 41 | 13 | 10 | 2 | 139 | 59 | 23 | 2 | 813 | 366 | |||
1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. リーグカップ(EFLカップ、JリーグYBCルヴァンカップなど) 3. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 4. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
フランス としての年別成績です。親善試合を含みます。
| 年 | 年齢 | 出場 | 得点 | 得点グラフ |
|---|---|---|---|---|
| 1997 | 19 | 1 | 0 | |
| 1998 | 20 | 10 | 3 | |
| 1999 | 21 | 0 | 0 | |
| 2000 | 22 | 14 | 5 | |
| 2001 | 23 | 7 | 3 | |
| 2002 | 24 | 10 | 3 | |
| 2003 | 25 | 14 | 11 | |
| 2004 | 26 | 13 | 3 | |
| 2005 | 27 | 6 | 3 | |
| 2006 | 28 | 16 | 8 | |
| 2007 | 29 | 6 | 5 | |
| 2008 | 30 | 11 | 4 | |
| 2009 | 31 | 9 | 3 | |
| 2010 | 32 | 6 | 0 | |
| 通算 | 123 | 51 | ||
年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1377514133)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。
| 在任期間 | 年齢 | チーム | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2018.10〜2019.01 | 41 | 20 | 4 | 5 | 11 | 20.0% | |
| 2019.11〜2021.02 | 42 | 29 | 9 | 4 | 16 | 31.0% | |
| 2023.08〜2024.08 | 45 | 6 | 4 | 0 | 2 | 66.7% | |
| 2024.03〜2024.08 | 46 | 11 | 8 | 2 | 1 | 72.7% | |
| 通算 | 66 | 25 | 11 | 30 | 37.9% | ||
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1983〜1989 | 5 | レ・ジュリス |
| 1989〜1990 | 11 | パレゾー |
| 1990〜1992 | 12 | ヴィリー=シャティヨン |
| 1992 | 14 | |
| 1992〜1993 | 14 | |
| 1993〜1994 | 15 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 期間 | 年齢 | チーム | 出場 | 得点 |
|---|---|---|---|---|
| 1994〜1995 | 16 | — | — | |
| 1994〜1999 | 16 | — | — | |
| 1999 | 21 | — | — | |
| 1999〜2007 | 21 | — | — | |
| 2007〜2010 | 29 | — | — | |
| 2010〜2014 | 32 | 27 | 15 | |
| 2012 | 34 | 4 | 2 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は国内リーグ戦の合計で、カップ戦・大陸大会を含む内訳は「個人成績」の表にあります。
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1992〜1993 | 14 | フランス U-15 |
| 1993〜1994 | 15 | |
| 1994〜1995 | 16 | |
| 1996〜1997 | 18 | |
| 1996〜1997 | 18 | |
| 1997 | 19 | |
| 1997〜2010 | 19 | |
| 1998〜1999 | 20 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 在任 | 年齢 | チーム | 役職 |
|---|---|---|---|
| 2018〜2019 | 40 | 監督 | |
| 2019〜2021 | 41 | 監督 | |
| 2023〜2024 | 45 | 監督 | |
| 2024〜2024 | 46 | 監督 |
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1993 | 15 | ヴェルサイユ | 移籍 | — | 下部組織への移籍 形態・移籍金は未確認 | |
| 1999 | 21 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 1999 | 21 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 2007 | 29 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 2010 | 32 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 2012 | 34 | 期限付き移籍 | — | 期間・移籍金は未確認 |
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
所属履歴と出場記録から機械的に算出しています。個人の交友関係についての評価は含みません。
同じクラブ・同じシーズンに両者とも出場記録がある選手を、シーズン数の多い順に並べています。取得元(API-Football)のシーズン名簿は 2010-11 シーズン以降しか無いため、それ以前に一緒にプレーしたシーズンは数に入りません。
| 選手 | クラブ | 期間 | シーズン | |
|---|---|---|---|---|
| アレクサンドル・ソング | 2011 | 1 | ||
| イグナシ・ミケル | 2011 | 1 | ||
| ローラン・コシールニー | 2011 | 1 | ||
| エリック・テン・ハフ | 2011 | 1 | ||
| サミル・ナスリ | 2011 | 1 |
本人の在籍期間と監督の在任期間の重なりから算出しています。取得元(API-Football)に在任期間の登録がある監督だけが対象で、古い年代の監督は登録が無いため出ていません。
| 監督 | クラブ・代表 | 在任 |
|---|---|---|
| アーセン・ヴェンゲル | 1987年7月〜1995年6月 | |
| マルチェロ・リッピ | 1994年7月〜1999年2月 | |
| アーセン・ヴェンゲル | 1996年9月〜2018年5月 |
日本語名を確認できない監督 8 人は掲載していません。
英語の記録名しか確認できないもの(31件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
代表チームで獲得したメダルです(金3・銀1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。
| FIFAワールドカップ | 金 1998 フランス |
|---|---|
| UEFA欧州選手権 | 金 2000 ベルギー・オランダ |
| FIFAコンフェデレーションズカップ | 金 2003 フランス |
| オリンピック | 銀 2024 パリ |
出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「ティエリ・アンリ」(版 110678460)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
※ 出典は媒体名・日付・URL を文字で記載しています(外部サイトへのリンクは行いません)。出典が確認できない数値はページに載せません。
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