概要
ジュスト・フォンテーヌ(Just Fontaine、1933年8月18日 - 2023年2月28日)は、マラケシュ出身の元サッカー選手。ポジションはFW。フランスでは1953年から通算21試合30得点を記録している。クラブでは公式戦通算284試合258得点(1950-51 シーズン以降)。クラブ・代表で通算13個のタイトルを獲得、個人賞は8回。
ジュスト・ルイス・フォンテーヌ(Just Louis Fontaine、1933年8月18日 - 2023年3月1日)は、モロッコ出身、フランス国籍のサッカー選手および同国代表、指導者。ポジションはFW。 ワールドカップの1大会における最多得点記録保持者である(6試合/13得点)。
クラブ経歴
在籍期間と成績から組み立てた説明です。出典の無い評価は含みません。
1950-51〜1952-53にUSMカサブランカで3 シーズンを過ごした、公式戦通算48試合62得点、リーグはモロッコ・フットボールリーグ*。
1953-54〜1955-56にニースで3 シーズンを過ごした、公式戦通算84試合51得点、リーグはディヴィジョン1、1953にUSMカサブランカから移籍(移籍金は非公表)。
1956-57〜1961-62にスタッド・ランスで6 シーズンを過ごした、公式戦通算152試合145得点、リーグはディヴィジョン1、1956にニースから移籍(移籍金は非公表)。
代表経歴
代表での出場記録とメダルから組み立てた説明です。
1953年にフランスでの出場記録が始まり、1960年までに通算21試合30得点を記録した。
代表で獲得したメダルはFIFAワールドカップ銅(1958)、アフリカネイションズカップ銅(1980)。
人物像
人物
当時フランスの保護国だったモロッコのマラケシュでフランス人の父とスペイン人の母を持つ7人兄弟の1人として育つ。
1958年に開催されたFIFAワールドカップでフランス代表として6試合に出場したが、当初はスタメンではなく控え選手に過ぎなかった。ところが急遽スタメン入りするや6試合全てにゴールを決める活躍を見せ、2度のハットトリックを含む13得点を挙げて得点王となった。フランス代表は準決勝でペレを擁するブラジル代表に2-5で敗れたものの、3位決定戦では前回優勝国の西ドイツ代表に彼の4得点を含む6-3で勝利を収め、3位の座を確保した。この大会後はワールドカップに出場していない。
後に西ドイツのゲルト・ミュラーが2大会通算14得点、ブラジル代表のロナウドが3大会通算15得点、ドイツのミロスラフ・クローゼが4大会通算16得点を記録したことにより、彼の得点記録は通算ゴール数でこそ彼らに抜かれたものの、1大会最多得点のワールドカップレコードである13得点は現在も破られていない。またワールドカップ1大会での6試合連続得点も当時最長記録であった。のちに1970年大会でブラジル代表のジャイルジーニョが6試合連続得点を記録し、タイ記録となっている。
クラブレベルではスタッド・ランスを1958-59シーズンのUEFAチャンピオンズカップで準優勝に導いたが、度重なる負傷のため1962年のFIFAワールドカップには出場できず、大会直後の同年7月に28歳で現役を引退した。
引退後は指導者となり、1967年にはフランス代表の監督も務めたが、2試合連続敗戦の後更迭された。さらにパリ・サンジェルマンFC、トゥールーズFC、モロッコ代表の監督を務めた。
1999年、 『ワールドサッカー』誌の20世紀の偉大なサッカー選手100人で45位に選出された。
2003年にはUEFAジュビリーアウォーズにおいて、ミシェル・プラティニやジネディーヌ・ジダンらを抑えて、フランスの最優秀選手に選出されている。
個人成績
数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。
クラブ
| クラブ | シーズン | 年齢 | ディビジョン | リーグ | 国内カップ1 | 大陸大会2 | その他3 | シーズン通算 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| USMカサブランカ | 1950-51 | 16 | モロッコ・フットボールリーグ* | 16 | 23 | — | — | — | — | — | — | 16 | 23 |
| 1951-52 | 17 | モロッコ・フットボールリーグ* | 10 | 17 | — | — | — | — | — | — | 10 | 17 | |
| 1952-53 | 18 | モロッコ・フットボールリーグ* | 22 | 22 | — | — | — | — | — | — | 22 | 22 | |
| 通算 | 48 | 62 | — | — | — | — | — | — | 48 | 62 | |||
| 1953-54 | 19 | ディヴィジョン1 | 24 | 17 | 7 | 3 | — | — | — | — | 31 | 20 | |
| 1954-55 | 20 | ディヴィジョン1 | 28 | 20 | 4 | 2 | — | — | — | — | 32 | 22 | |
| 1955-56 | 21 | ディヴィジョン1 | 17 | 5 | 3 | 4 | — | — | 1 | 0 | 21 | 9 | |
| 通算 | 69 | 42 | 14 | 9 | — | — | 1 | 0 | 84 | 51 | |||
| 1956-57 | 22 | ディヴィジョン1 | 31 | 30 | 1 | 1 | — | — | — | — | 32 | 31 | |
| 1957-58 | 23 | ディヴィジョン1 | 26 | 34 | 6 | 5 | — | — | — | — | 32 | 39 | |
| 1958-59 | 24 | ディヴィジョン1 | 32 | 24 | 2 | 2 | 7 | 10 | 1 | 0 | 42 | 36 | |
| 1959-60 | 25 | ディヴィジョン1 | 28 | 28 | 2 | 2 | — | — | — | — | 30 | 30 | |
| 1960-61 | 26 | ディヴィジョン1 | 7 | 4 | 0 | 0 | 1 | 0 | — | — | 8 | 4 | |
| 1961-62 | 27 | ディヴィジョン1 | 7 | 2 | 1 | 3 | — | — | — | — | 8 | 5 | |
| 通算 | 131 | 122 | 12 | 13 | 8 | 10 | 1 | 0 | 152 | 145 | |||
| キャリア通算 | 248 | 226 | 26 | 22 | 8 | 10 | 2 | 0 | 284 | 258 | |||
1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 3. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
代表
フランス としての年別成績です。親善試合を含みます。
| 年 | 年齢 | 出場 | 得点 | 得点グラフ |
|---|---|---|---|---|
| 1953 | 19 | 1 | 3 | |
| 1954 | 20 | 0 | 0 | |
| 1955 | 21 | 0 | 0 | |
| 1956 | 22 | 1 | 0 | |
| 1957 | 23 | 1 | 0 | |
| 1958 | 24 | 12 | 18 | |
| 1959 | 25 | 4 | 7 | |
| 1960 | 26 | 2 | 2 | |
| 通算 | 21 | 30 | ||
年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
所属チーム
クラブ
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
代表
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1953〜1960 | 19 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
監督
| 在任 | 年齢 | チーム | 役職 |
|---|---|---|---|
| 1967〜1967 | 33 | 監督 | |
| 1968〜1969 | 34 | バニェール=ド=リュション | 監督 |
| 1973〜1976 | 39 | 監督 | |
| 1978〜1979 | 44 | 監督 | |
| 1979〜1981 | 45 | 監督 |
移籍金・年俸・市場価値の推移
移籍履歴
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
タイトル
クラブ
ニース(選手)
- ディヴィジョン1:1回(1955-56)
- クープ・ドゥ・フランス:1回(1953-54)
スタッド・ランス(選手)
- ディヴィジョン1:3回(1957-58, 1959-60, 1961-62)
- クープ・ドゥ・フランス:1回(1957-58)
- トロフェ・デ・シャンピオン:2回(1958, 1960)
- 欧州チャンピオンズカップ:1回(1958-59)
モロッコ代表(監督)
- レジオンドヌール勲章シュヴァリエ:1回(1984)
個人
- FIFAワールドカップ ゴールデンブーツ:1回(1958)
- ゴールデンフット賞:1回(2003)
- FIFA 100(偉大な選手100人):1回(2004)
英語の記録名しか確認できないもの(7件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
獲得メダル
代表チームで獲得したメダルです(銅2)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。
| FIFAワールドカップ | 銅 1958 |
|---|---|
| アフリカネイションズカップ | 銅 1980 |
出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「ジュスト・フォンテーヌ」(版 110093388)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
出典
- Wikidata、2026年10月25日 取得 https://www.wikidata.org/
- Wikipedia(日本語版)「ジュスト・フォンテーヌ」、版 ID 110093388、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%8C
- Wikipedia(英語版)、版 ID 1371571184、2026年10月22日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Just_Fontaine
※ 出典は媒体名・日付・URL を文字で記載しています(外部サイトへのリンクは行いません)。出典が確認できない数値はページに載せません。
関連項目
- USMカサブランカ
- ニース
- スタッド・ランス
- フランス
- バニェール=ド=リュション
- パリ・サンジェルマン
- トゥールーズ
- モロッコ
- ディヴィジョン1
- クープ・ドゥ・フランス
- トロフェ・デ・シャンピオン
- 欧州チャンピオンズカップ
- レジオンドヌール勲章シュヴァリエ
- FIFAワールドカップ
- アフリカネイションズカップ
- FIFAワールドカップ ゴールデンブーツ
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