タイロン・ミングス

SOCCERPEDIA / 選手ページ / イングランドのサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日


概要

イングランドタイロン・ミングス(Tyrone Mings、1993年3月13日生)は、イングランド出身のサッカー選手。ポジションはDF(ディフェンダー)、2019年からアストン・ヴィラ(プレミアリーグ)に所属、背番号は5。イングランドでは2019年から通算18試合2得点を記録している。クラブでは公式戦通算348試合12得点(2010-11 シーズン以降)。クラブ・代表で通算5個のタイトルを獲得、個人賞は1回。

タイロン・デオン・ミングス(Tyrone Deon Mings, 1993年3月13日 - )は、イングランド・バース出身のサッカー選手。アストン・ヴィラFC所属。元イングランド代表。ポジションは、ディフェンダー。

クラブ経歴

クラブ経歴

ミングスはで元ノンリーグのストライカーであるアディ・ミングスを父の元でサマセット州バースで生まれた。2001年、8歳のときにサウサンプトンに加入したが、育成予算削減のため2009年に放出された。サウサンプトン退団後はサマセット州のミルフィールド・スクールに奨学生として2年間在籍した。卒業後、イーストリーのトライアルを受けたが、契約には至らなかった。

イェート・タウン

2010年7月、グロスターシャー州のノンリーグクラブ、イェート・タウンと契約し在籍中に2得点を記録している。

チッペナム・タウン

2012年夏、一度はサッカーを辞めることを考えたが、最終的に自身が育った町を代表するサザンリーグ・プレミアディビジョンのチッペンハム・タウンと契約。ノンリーグでのキャリアと並行して、バーテンダーや住宅ローンアドバイザーとして働いていた。

イプスウィッチ・タウン

2012年12月、短期間のトライアルを経て移籍金1万ポンドでイプスウィッチ・タウンと契約した。あわせて、イプスウィッチがチッペナムとプレシーズンマッチを行う契約も含まれていた。2013年5月4日、2012–13シーズン最終節のバーンリー戦でデビューを果たした。

2013–14シーズンは、アーロン・クレスウェルの控え左サイドバックとしてスタートしたが、クレスウェルが出場停止だったため開幕戦には先発出場。2014年1月4日には、FAカップのプレストン・ノースエンド戦で、本来の左サイドバックではなく右サイドバックとして先発出場した。同シーズンは18試合に出場し、先発6試合、途中出場12試合だった。

2014年7月にクレスウェルがウェストハム・ユナイテッドへ移籍したことにより、ミングスは背番号を3に変更。これを受け、以前の背番号15のシャツを購入していたファン2人に対し、新しいシャツを購入することを申し出た。2014年夏の移籍期限日には、クリスタル・パレスから300万ポンドのオファーを受けたが、イプスウィッチはこれを拒否した。2014年9月20日、新たに3年契約を結んだ。

2014–15シーズンは2–1勝利した開幕戦のフラム戦から左サイドバックのレギュラーとして出場し、シーズンを通して主力として活躍した。2014年10月10日、9月度チャンピオンシップ月間最優秀選手に選ばれた。2015年2月24日、4–2で勝利したバーミンガム・シティ戦でクラブ初ゴールを記録した。このシーズンは公式戦44試合に出場し1得点を挙げ、チームのチャンピオンシップ・プレーオフ進出に貢献した。

ボーンマス

2015年6月26日、プレミアリーグに昇格したAFCボーンマスと4年契約を結んだ。移籍金は推定800万ポンド。

8月29日のレスター・シティFC戦で移籍後初出場。しかし出場わずか6分で膝を負傷してしまった。9月3日に全治9ヶ月~12ヶ月と発表された。2017年1月7日のFAカップ3回戦・ミルウォールFC戦で5ヶ月ぶりに復帰。

2017年3月8日、マンチェスター・ユナイテッドFC戦でズラタン・イブラヒモヴィッチを踏みつけたとしてフットボール・アソシエーションから5試合の出場停止処分を科された。

アストン・ヴィラ(ローン)

2019年1月31日、シーズン終了までの期間でアストン・ヴィラFCにローン移籍した。その後2月2日のレディングFC戦でデビュー。この試合で相手FWネルソン・オリヴェイラの顔を踏みつけてしまい、試合後に謝罪している。主審のジェフ・エルトリンガムはこの場面を見ており、事故的なものと判断したため、事後処分は行われなかった。2月8日にはシェフィールド・ユナイテッド戦でゴールを決めた。当時のヴィラは不調が続いていたものの、ミングスは際立ったパフォーマンスを見せ、ボーンマスから来たばかりにもかかわらず、すぐにファンのお気に入りとなった。その後、ジャック・グリーリッシュの復帰とともにチームは10連勝を記録し、ブラックバーン戦で決勝ゴールを挙げた。2019年5月27日、チャンピオンシップ・プレーオフ決勝でダービー・カウンティを2–1で破り、プレミアリーグ昇格に貢献した。リーグ戦では15試合に出場し、怪我人が続出したチームの守備を支えた。

アストン・ヴィラ(完全移籍)

2019年7月8日、アストン・ヴィラFCに完全移籍。移籍金は推定2000万ポンド、最大で2500万ポンドになると見られている。英国政府がスポーツ再開を発表し、プレミアリーグが「プロジェクト・リスタート」の一環として6月17日からの再開を発表した後、ミングスは、選手たちは最後にしか意見を聞かれず、「ゲームの中の単なる商品」として扱われていると主張した。

2021年8月14日、キャプテンであったジャック・グリーリッシュの退団を受け、2020-21シーズン後半、グリーリッシュの負傷離脱中に暫定キャプテンを務めていたこともあり、アストン・ヴィラの新キャプテンに指名された。

2022年7月27日、当時、アストン・ヴィラの監督を務めていたスティーヴン・ジェラードは、翌シーズンに向けてミングスからキャプテンシーを外し、ジョン・マッギンを新キャプテンに任命する決定を下したことが発表された。 ジェラードは、この決定によってミングスがキャプテンとしての重圧から解放され、自身のプレーに集中できるようになると説明した。 一方ミングスは、この判断に問題はなく、アストン・ヴィラにとって最善のことを望んでいるだけだとコメントした。

2023年8月12日、2023-24シーズン開幕戦のアウェイで行われたニューカッスル・ユナイテッド戦で、ミングスは深刻な膝の負傷を負い、担架でピッチを後にすることとなった。

2024年10月5日、420日間の離脱を経て、ミングスはプレミアリーグ2のニューカッスル戦で、オーバーエイジ選手としてアストン・ヴィラU-21で実戦復帰し、前半45分間プレーした。10月30日には、EFLカップのクリスタル・パレス戦でトップチームに復帰した。

11月6日、チャンピオンズリーグでのデビューとなったクラブ・ブルッヘ戦において、ミングスはゴールキックの流れから自陣ペナルティエリア内で誤ってボールを手で拾い、PKを献上してしまい0-1敗戦。監督のウナイ・エメリはこれを「私のキャリアで目撃した中で最大のミスだ」と表現した。

2025年6月4日、契約延長にサインし、2027年までクラブに残ることが決まった。

2025年11月1日、0-2敗北したリヴァプール戦で途中出場した直後にハムストリングを負傷し、2か月の離脱を余儀なくされた。この負傷により、アストン・ヴィラのUEFAヨーロッパリーグ登録メンバーから外れ、代わってロス・バークリーが登録された。

11月には、ウナイ・エメリ監督が、ミングスが再びキャプテン候補に戻ったことを発表し、主将ジョン・マッギン、副主将エズリ・コンサに次ぐバックアップの位置づけになると述べた。

代表経歴

代表歴

イングランド代表と、父方の祖父母がバルバドス出身であるため、バルバドス代表としての出場資格も有していた。なお、父親のアディは、現役時代にバルバドス代表からの招集を辞退している。

2019年8月、当時26歳だったミングスは、ブルガリアおよびコソボとのUEFA EURO 2020予選に臨むイングランド代表メンバーに選出され、初めて代表招集を受けた。

同年10月、6-0で勝利したブルガリアとのアウェイ戦でフル出場し、イングランド代表としての初キャップを獲得した。この試合では、ブルガリアのサポーターによる人種差別的なチャントが問題となり、ミングスがそれを主将のハリー・ケインに報告し、ケインが主審に伝えた。これによりUEFAの標準プロトコルが発動され、チャントは大きく収束した。

2021年6月、ミングスはUEFA EURO 2020本大会に臨むイングランド代表メンバーに選出された。

6月13日、ウェンブリーで行われた大会初戦のクロアチア戦に先発出場し、1-0のクリーンシートでの勝利に貢献した。続く6月18日のスコットランド戦でも先発し、0-0の引き分けで再び無失点に抑えた。6月22日のグループ最終戦1-0で勝利したチェコ戦では後半途中から出場し、イングランドはグループDを首位で突破し、決勝トーナメント進出を決めた。決勝でイタリアにPK戦の末敗れた後、マーカス・ラッシュフォード、ジェイドン・サンチョ、ブカヨ・サカの3選手がPKを失敗したことを受け、オンライン上で人種差別的な中傷を受けた。内務大臣プリティ・パテルは、この件について「嫌悪感を覚える」とツイートした。これに対しミングスはツイッターで、パテルが以前、キックオフ前に膝をつく反人種差別のメッセージを「ジェスチャー政治」と非難し、サポーターにはそれをブーイングする権利があると述べていたことを挙げ、彼女が人種差別的行動を助長していたと非難した。

ミングスのツイート全文は次の通りで「大会の始まりに、私たちの反人種差別メッセージを『ジェスチャー政治』と呼んで火に油を注いでおきながら、私たちがまさに反対運動をしていることが実際に起きたときに、嫌悪感を装う資格はあなたにはない。」

2021年11月15日、2022年FIFAワールドカップ予選の10-0の大勝を収めたアウェイサンマリノ戦で代表初ゴールを記録した。

人物像

人物

バルバドスにルーツを持つ。父親のアディ・ミングスはバース・シティFC、グロスター・シティAFCなどでプレーした元サッカー選手で、引退後はチェルシーFCでスカウトをしている。

幼少期にホームレスシェルターで母親と3姉妹と共に暮らしていた時期があったといい、「子供の頃、母は婚約者とあまり良くない関係で、俺たちはその男と住んでいたんだけど、ある時その家を出ることになった。どこにも行くところがない俺たちはホームレスのシェルターに1年ほど暮らすことになったよ。今でも当時のことを鮮明に覚えているけど、本当に恐ろしい場所で、共同の洗濯エリアやシャワールームは本当にひどかったよ。そこで暮らしていた人はみんな優しかったわけじゃないしね。小学生だった俺には最悪の経験だった」と幼少期を振り返っている。

2013年、イプスウィッチ・タウンのサポーターズクラブは、慈善活動に熱心なミングスを称賛している。

2013年のクリスマス当日、ホームレスの人々に食事を提供する活動を行った。また、2014-15シーズン開始時にイプスウィッチから背番号3のユニフォームを与えられた際には、すでに旧背番号が入ったユニフォームを購入していたファンの分を、新しい番号入りのものに交換した。

2019年、ミングスはイングランド・ブリストルを拠点とする、自身のユース向けサッカーアカデミー「ザ・タイロン・ミングス・アカデミー(The Tyrone Mings Academy)」を設立した。このアカデミーは6歳から16歳までの子どもたちを対象としている。

サッカー以外では、ミングスはボーンマスに拠点を置くインテリアデザイン会社において、事業上の関心(ビジネス投資)を持っている。

チームトレーニングに向かう際はJohn Legendのアルバム「Darkness and Light」を聴いている。

もし、サッカー選手になっていなかったら何になっているかという質問には「ヘッジファンドマネージャー」と答えている。

好きなアメリカ人ミュージシャンは?という質問には「クリス・ステイプルトン」と答えている。

個人成績

数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。

クラブ

クラブシーズン年齢ディビジョンリーグリーグカップ1大陸大会2その他3シーズン通算
出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点
イェイト・タウン*2010-1117100————20201
2011-1218110————10121
チッペナム・タウン*2012-1319000————30130
イングランドイプスウィッチ2012-1319000——————10
2013-142002000————180
2014-152112000——20441
通算5000——801083
イングランドボーンマス2015-162200010————20
2016-172301010————90
2017-182400010————50
2018-192500020————70
通算1050——00230
イングランドアストン・ヴィラ2018-19252——————30182
2019-202620030————362
2020-212720010————372
2021-222811000————371
2022-232910020————371
2023-24300000000——10
2024-25310201040——210
2025-26320000051——221
2026-273300010001080
通算308191402179
キャリア通算801309112034812

1. リーグカップ(EFLカップ、JリーグYBCルヴァンカップなど) 2. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 3. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

代表

イングランド としての年別成績です。親善試合を含みます。

年年齢出場得点得点グラフ
20192520
20202650
20212791
20222811
20232910
通算182

年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

所属チーム

ユース

期間年齢チーム
2001〜20097イングランドサウサンプトン
2009〜201115イギリスブリストル・ローヴァーズ

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

クラブ

期間年齢チーム出場得点
2011〜201217イギリスイェート——
201218イギリスチッペンハム——
2012〜201518イングランドイプスウィッチ591
2015〜201921イングランドボーンマス170
201925イングランドアストン・ヴィラ514
2019〜25イングランドアストン・ヴィラ1254

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は国内リーグ戦の合計で、カップ戦・大陸大会を含む内訳は「個人成績」の表にあります。

代表

期間年齢チーム
2019〜202425イングランドイングランド

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
200915イングランドサウサンプトンイギリスブリストル・ローヴァーズ移籍—下部組織への移籍
形態・移籍金は未確認
201117イギリスブリストル・ローヴァーズイェート移籍—形態・移籍金は未確認
201218イェートチッペンハム移籍—形態・移籍金は未確認
201218チッペンハムイングランドイプスウィッチ完全移籍200万円
£10,000
2015-0722イングランドイプスウィッチイングランドボーンマス完全移籍20億円
€ 11.3M
2019-0125イングランドアストン・ヴィライングランドアストン・ヴィラ期限付き移籍—
2019-0726イングランドボーンマスイングランドアストン・ヴィラ完全移籍39.5億円
€ 22.3M

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
英語版 Wikipedia(クラブのシーズン記事)。移籍金・形態は英語版 Wikipedia の各クラブのシーズン記事の移籍の表による。億円換算は ECB レート(2026-10-21 時点)
日本語版 Wikipedia(経歴)・API-Football(移籍データ)。移籍の有無と移籍先は日本語版 Wikipedia の情報欄、日付・形態・移籍金は API-Football の掲載値。億円換算は ECB レート(2026-10-21 時点)

人物相関

所属履歴と出場記録から機械的に算出しています。個人の交友関係についての評価は含みません。

共にプレーした選手

同じクラブ・同じシーズンに両者とも出場記録がある選手を、シーズン数の多い順に並べています。取得元(API-Football)のシーズン名簿は 2010-11 シーズン以降しか無いため、それ以前に一緒にプレーしたシーズンは数に入りません。

指導を受けた監督

本人の在籍期間と監督の在任期間の重なりから算出しています。取得元(API-Football)に在任期間の登録がある監督だけが対象で、古い年代の監督は登録が無いため出ていません。

監督クラブ・代表在任
ウナイ・エメリイングランドアストン・ヴィラ2022年11月〜
トーマス・トゥヘルイングランドイングランド代表2025年1月〜

日本語名を確認できない監督 10 人は掲載していません。

タイトル

クラブ

アストン・ヴィラ

イングランド代表

英語の記録名しか確認できないもの(4件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

獲得メダル

代表チームで獲得したメダルです(銀1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。

UEFA欧州選手権銀 2020

出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「タイロン・ミングス」(版 111124017)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. API-Football(移籍データ)、2026年10月22日 取得 https://www.api-football.com/
  2. API-Football(選手・監督データ)、2026年10月25日 取得 https://www.api-football.com/
  3. Wikidata、2026年10月25日 取得 https://www.wikidata.org/
  4. Wikipedia(日本語版)「タイロン・ミングス」、版 ID 111124017、2026年10月18日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%82%B9
  5. Wikipedia(英語版)、版 ID 1380762595、2026年10月18日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Tyrone_Mings

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