中澤佑二

SOCCERPEDIA / 選手ページ / 日本のサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日


概要

日本中澤佑二(Yuji Nakazawa、1978年2月25日生)は、日本出身の元サッカー選手。ポジションはDF(ディフェンダー)。日本代表では1999年から通算110試合17得点を記録している。クラブでは公式戦通算715試合43得点(1999 シーズン以降)。クラブ・代表で通算5個のタイトルを獲得、個人賞は10回。

中澤 佑二(なかざわ ゆうじ、1978年〈昭和53年〉2月25日 - )は、埼玉県吉川市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック)。元日本代表。

恵まれた体格と勝負強さを持ち味とし、日本代表でも長年中心選手として活躍しており、出場数は歴代4位の110試合を記録している。また、2010 FIFAワールドカップの開幕前までキャプテンを務めていた(開幕時より長谷部誠に変更)。Jリーグでは、2012年9月29日の大宮アルディージャ戦から、フィールドプレーヤーとしてはトップの199試合に連続出場。さらに2013年7月6日の大分トリニータ戦から2018年8月15日の名古屋グランパス戦まで178試合連続フル出場という記録を持つ。

現在、横浜国立大学女子ラクロス部のヘッドコーチを務める。ラクロスのA級指導者ライセンスを取得。日本代表のコーチを目指している。実の娘、中澤こころ、中澤ねがい姉妹が高校から始めたラクロスの練習に、高校の部活指導で協力し始めたことがきっかけ。姉妹は日本代表チームに選抜。ロサンゼルス五輪を目指している。

クラブ経歴

プロ入り前

サッカーを始めたのは小学校6年生とプロ選手の中では遅めだった。埼玉県立三郷工業技術高等学校はサッカーの名門校ではなかったために、卒業後Jリーグに売り込む価値を上げるべくブラジルへサッカー留学を計画する。ブラジルのサッカークラブ・アメリカFCに加入し、次第に練習試合などにも起用されるようになった。チームメイトにはジウベルト・シウバなどがいた。一年後にビザ更新の為日本に帰国したところクラブから必要書類が届かずブラジルでのプレーを断念した。

母校のサッカー部で在校生に混じって練習を続ける。Jリーグの各クラブへ売り込みをかけたが横浜・マリノスではブラジルから帰国後1週間の練習にも参加し入団を認められた。1998年にヴェルディ川崎のユースチームとの練習試合で得点を挙げる活躍を見せ、これをきっかけに「ブラジル色が強いから」とヴェルディを選んだ。練習生契約での加入が決まる。練習生契約では給料は支払われず、必要費用をクラブに支払って練習に参加する。認められればプロと一緒に練習が出来るが、クラブからは交通費など金銭補助は一切無く自腹での練習参加の身となり、地元の埼玉県吉川市からヴェルディの練習場がある東京都稲城市まで(交通費は往復で約1800円)片道2時間かけて練習に参加していた。この時の待遇と経験は本人にとっても屈辱だったようで、プロの練習を横目に単調な反復の基礎体力練習に明け暮れ、練習に付き合ってくれたトレーナーと共に嘆息していた。

ヴェルディ川崎 / 東京ヴェルディ1969

1999年からプロ契約がきまった。同年のシーズン、3月13日、第2節のセレッソ大阪戦で初先発初出場を果たし、レギュラーポジションを獲得、同年の4月10日、第6節の名古屋グランパスエイト戦でプロ初ゴールとなる決勝点を決めるなど、Jリーグ新人王に輝き、シドニー五輪をめざすトルシエ率いるU-23サッカー日本代表に招集され本大会にも出場した。

横浜マリノス / 横浜F・マリノス

2002年に横浜F・マリノスに移籍し、チーム初の2連覇(2003年、2004年)と3ステージ連続優勝(2003年1st、2ndステージ完全制覇、2004年1stステージ)。2004年度にはJリーグMVPを受賞した。2006年のオールスターゲームでは、当時の日本代表GK川口能活から直接フリーキックを決め、DFとして初めてMVPを受賞した。本人のインタビューによれば、直接フリーキックでのゴールは初めてとのこと。 2013年から3年連続リーグ戦全試合出場、2015年10月ヴィッセル神戸戦にてJ1通算500試合出場を達成した。

2017年5月27日、J1リーグ第13節の清水エスパルス戦に出場し、J1通算550試合出場の記録を達成した。6月25日、第16節のヴィッセル神戸戦で、フィールドプレーヤーでは阿部勇樹に並ぶ139試合連続、さらに17節の大宮アルディージャ戦でFP歴代1位となる140試合連続フル出場を果たした。

以前から「40歳になったら現役を退く」ことを度々表明していたが、2017年12月11日、チームとの契約更改終了後に、その方針通り翌2018年限りで引退する意向を改めて明らかにした。

2018年4月8日、第6節の川崎フロンターレ戦でシーズン初ゴールにしてシーズン唯一のゴールを決めた(現役最後のゴールとなった)。8月19日、第23節の鹿島アントラーズ戦で6年ぶりのベンチ外となり、フィールドプレイヤーでは最多となる2013年7月6日の大分トリニータ戦から続く連続フル出場記録を178試合でストップした。ベンチ外の理由は、アンジェ・ポステコグルー監督が中澤の疲労を考慮したため。その後、試合に出場することはなかったが、12月1日に行われた最終節のセレッソ大阪戦に約3ヶ月半ぶりに途中から試合に出場し、この試合キャプテンだった扇原貴宏からキャプテンマークを受け取りピッチに立った。

2019年1月8日、引退を発表。横浜FMからは、契約延長のオファーを受けていたが、左膝の怪我の影響もありメディアで度々公言していた通り40歳での引退となった。

同年10月24日に開催されたJリーグ理事会において同年開催のJリーグアウォーズでJリーグ功労選手賞の授与が決定した。

代表経歴

代表経歴

A代表を兼務するフィリップ・トルシエの下、U-23代表に選出され存在感を示すと、1999年9月8日に行なわれたイランとの親善試合でフル代表デビューを果たす。翌2000年に行なわれたAFCアジアカップ2000予選のシンガポール戦で代表初得点を含む2得点。その後はシドニーオリンピックではレギュラーとして活躍し、AFCアジアカップ2000でも3試合に出場して優勝に貢献するなど、代表の常連となる。しかし2001年に入って怪我でコンフェデ杯を欠場すると、回復後もスランプに陥り、同ポジションの松田直樹の控えに甘んじることが増える。それでも2002 FIFAワールドカップ本大会のメンバー入りは有力と思われていたが、メンバー発表前最後の試合であるアウェイのノルウェー戦にフル出場(同年唯一のAキャップ)するも0-3で敗れると、秋田豊のサプライズ選出に押し出され落選。

その後しばらくの間招集されることはなかったが、2003年にマリノスを年間優勝に導く活躍から代表へと復帰を果たす。復帰してからしばらくは控えであったものの、ジーコ監督が本格的に3バックを導入した頃からレギュラーとして出場することが増え、AFCアジアカップ2004ではグループステージのタイ戦で決勝点を含む2得点、バーレーンとの準決勝では敗戦の危機を救う同点ゴールを決めるなど、玉田圭司と並んでチームトップタイの3得点を記録する活躍で優勝の原動力となり、大会ベストイレブンに選出された。その後もレギュラーとして出場を続け、2006 FIFAワールドカップ本大会ではグループステージ全3試合にフル出場し、ブラジル戦では累積警告で出場停止になった宮本恒靖の代わりに主将を務めたが、決勝トーナメント進出はならなかった。

ワールドカップ終了後に日本代表から引退することを発表し、2006年内は代表戦に出場しなかったものの、2007年2月千葉県内で行われる日本代表候補合宿のオシムジャパン体制でメンバーに初選出され、代表復帰を果たした。以降は代表監督が岡田武史に交代してからも不動のレギュラーとして君臨し、キャプテンも約2年間務める。2010 FIFAワールドカップでは大会直前にチームの悪い流れを変える手段のひとつとしてキャプテン交代はあったものの、田中マルクス闘莉王とともに鉄壁のセンターバックのコンビを組んでグループステージ3試合とノックアウトステージ1試合に先発出場し、日本代表の2大会ぶりとなる16強入りの原動力となった。大会終了後に公表されたFIFAの技術研究グループが作成した報告書では、空中戦の強さと視野の広さがあると評されている。彩の国功労賞を受賞。

日本代表では守備だけでなくセットプレーにおける得点源としても活躍し、通算得点数17は日本代表におけるDF登録の選手では史上最多記録である。

代表通算110試合で僅か警告5回、退場0回と、激しいプレーながらラフなプレーはほとんど無く、カードを提示されることは非常に少なかった。

発言集

一次情報の発言のみ収録。1回の会見につき主要な発言を最大3つ引用し、他は解説で要約しています。

2026-27シーズン(1件)
2026年9月15日本人コメント中澤佑二(本人)/公式インタビュー
読売新聞ポッドキャストに出演した中澤佑二が、元日本代表主将・井原正巳との対談で、ディフェンダーの立場からの思いを語った。井原のプレー評価として華麗な技術と諦めない姿勢を称賛し、同じDFとして失点に関わらず悪者扱いされる不公平さについて強く共感。当時のJリーグにアフリカの選手が少なかったことで対応力の発展が遅れたという構造的な課題も指摘している。
「井原さんは読みが鋭いのと華麗に止めているイメージが強いですが、最後まであきらめないですよね、絶対に」
「言ってください、井原さん(笑)。本当にそうなんですよ!」

出典:読売新聞 2026年9月15日

個人成績

数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。

クラブ

クラブシーズン年齢ディビジョンリーグその他1シーズン通算
出場得点出場得点出場得点
ヴェルディ川崎 / 東京ヴェルディ1999210————332
2000220————344
2001230————280
通算————956
横浜マリノス / 横浜F・マリノス2002240————291
2003252————386
20042602030331
20052704010363
2006280————281
2007290————402
2008300————395
2009310————363
2010321————241
2011330————431
2012340————413
2013350————452
20143615010393
2015370————400
2016380————453
2017390————361
2018400————251
通算1105062037
キャリア通算1105071543

1. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

代表

日本代表 としての年別成績です。親善試合を含みます。

年年齢出場得点得点グラフ
19992010
20002162
20012220
20022310
20032440
200425155
200526121
200627121
200728132
200829164
200930142
201031140
通算11017

年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

所属チーム

ユース

期間年齢チーム
1993〜199514日本埼玉県立三郷工業技術高等学校
1996〜199717ブラジルアメリカFC

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

クラブ

期間年齢チーム出場得点
1999〜200120日本ヴェルディ川崎 / 東京ヴェルディ——
2002〜201823日本横浜マリノス / 横浜F・マリノス1699

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は国内リーグ戦の合計で、カップ戦・大陸大会を含む内訳は「個人成績」の表にあります。

代表

期間年齢チーム
1999〜200020日本日本 U-23
1999〜201020日本日本・オリンピック
1999〜201020日本日本

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
199618埼玉県立三郷工業技術高等学校ブラジルアメリカFC移籍—下部組織への移籍
形態・移籍金は未確認
199921ブラジルアメリカFCヴェルディ川崎 / 東京ヴェルディ移籍—形態・移籍金は未確認
200224ヴェルディ川崎 / 東京ヴェルディ横浜マリノス / 横浜F・マリノス移籍—形態・移籍金は未確認

※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認

人物相関

所属履歴と出場記録から機械的に算出しています。個人の交友関係についての評価は含みません。

共にプレーした選手

同じクラブ・同じシーズンに両者とも出場記録がある選手を、シーズン数の多い順に並べています。取得元(API-Football)のシーズン名簿は 2010-11 シーズン以降しか無いため、それ以前に一緒にプレーしたシーズンは数に入りません。

選手クラブ期間シーズン 
中町公祐日本横浜F・マリノス2012〜20187
中村俊輔日本横浜F・マリノス2012〜20165
天野純日本横浜F・マリノス2015〜20184
大黒将志日本横浜F・マリノス20121
久保建英日本横浜F・マリノス20181

指導を受けた監督

本人の在籍期間と監督の在任期間の重なりから算出しています。取得元(API-Football)に在任期間の登録がある監督だけが対象で、古い年代の監督は登録が無いため出ていません。

監督クラブ・代表在任
岡田武史日本日本代表2007年12月〜2010年7月
西野朗日本日本代表2018年4月〜2018年7月
森保一日本日本代表2018年8月〜

日本語名を確認できない監督 5 人は掲載していません。

タイトル

クラブ

横浜F・マリノス

英語の記録名しか確認できないもの(11件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

獲得メダル

代表チームで獲得したメダルです(金2)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。

AFCアジアカップ金 2000 レバノン金 2004 中国

出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「中澤佑二」(版 110931230)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. API-Football(選手・監督データ)、2026年10月25日 取得 https://www.api-football.com/
  2. Wikidata、2026年10月25日 取得 https://www.wikidata.org/
  3. Wikipedia(日本語版)「中澤佑二」、版 ID 110931230、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%BE%A4%E4%BD%91%E4%BA%8C
  4. Wikipedia(英語版)、版 ID 1347059676、2026年10月14日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Yuji_Nakazawa
  5. 読売新聞、2026年9月15日、2026年10月15日 取得 https://www.yomiuri.co.jp/podcast/pitchside/20260911-GYT1T00087/

※ 出典は媒体名・日付・URL を文字で記載しています(外部サイトへのリンクは行いません)。出典が確認できない数値はページに載せません。

掲載写真は Wikidata API および Wikimedia Commons API を通じて、ライセンス(CC BY-SA / パブリックドメイン等)と作者表示の要件を確認したうえで掲載します。