大黒将志

SOCCERPEDIA / 選手・監督ページ / 日本のサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日


概要

日本大黒将志(Masashi Oguro、1980年5月4日生)は、日本・大阪出身の元サッカー選手。ポジションはFW(フォワード)、所属は奈良クラブ。日本では2005年から通算22試合5得点を記録している。クラブでは公式戦通算545試合209得点(1999 シーズン以降)。

大黒 将志(おおぐろ まさし、1980年5月4日 - )は、大阪府豊中市出身の元プロサッカー選手。J3リーグ・奈良クラブの監督。現役時代のポジションはフォワード(FW)である。元日本代表。

クラブ経歴

ユース時代

5歳の時に 兄の影響でサッカーを始める。小学1年次より豊中SSに所属し、3年次からは元日本代表FWの釜本邦茂が代表を務めていた釜本FC(ガンバ大阪ジュニアの前身)でもプレー。4年次からは、釜本FCより移管されたG大阪ジュニアでのプレーに専念。

中学校入学と同時にG大阪ジュニアユースに昇格。当時はセレクションが無く、100人以上の選手を抱える大所帯だったが、Aチーム(1軍)入りを続け、中学卒業後はG大阪ユースに昇格。ユースチーム所属時にはFWとMFでプレー。高校3年次にFWとして定着し、ユース同期である二川孝広とともにクラブユース選手権を制した。その後に開催された高円宮杯全日本U-18選手権では決勝戦で藤枝東高校に敗れ、準優勝となった。

ガンバ大阪時代

1999年、ガンバ大阪トップチームに昇格。同年3月、市原戦でJリーグ初出場。2000年3月のV川崎戦でJリーグ初得点。FWの選手層が厚かったことからMF(ウイングバックなど)で起用されることもあった。

コンサドーレ札幌時代

2001年、試合出場経験を積むために自ら志願してコンサドーレ札幌に期限付き移籍。ポジションを奪うことは出来なかったものの、監督・岡田武史の下で練習に取り組む姿勢を改め、手応えを掴む1年となった。

ガンバ大阪復帰

2002年、G大阪に復帰した。復帰当初は中盤の攻撃的なポジションで起用されていたが、本来のポジションであるFWで勝負をさせてほしいと監督の西野朗に直訴。2004年にFWとしての才能が開花し、Jリーグ得点ランク2位、日本人選手最多となる20得点を挙げ、同年のJリーグベストイレブンに選出された。

2005年はアラウージョ、フェルナンジーニョと組んでG大阪の攻撃の核としてフル回転。リーグ6位の16得点を上げ、G大阪のJリーグ初優勝に貢献した。

グルノーブル時代

2006年1月には当時日本企業のインデックス社がオーナーであったフランスのクラブチーム「グルノーブル・フット38」(フランスリーグ2部所属)へ完全移籍。思うように味方からのパスが出ないもどかしさを抱えながら 5試合のフル出場を含め19試合6得点(2005-06に17試合5得点、2006-07に2試合1得点)、のちにフランス代表とし活躍するオリヴィエ・ジルーなどとチームを牽引した。

トリノ時代

2006年8月、ヨーロッパの移籍期限間近である8月31日にセリエAのトリノFCへの移籍が決定。大黒自身の以前からの夢であったセリエAへの移籍が実現したが、練習試合で得点を重ねてアピールするも、公式戦ではFWでのプレー機会に恵まれなかったこともあって 無得点に終わり、イタリアでの挑戦は消化不良に終わった。

Jリーグ復帰後

2008年6月30日、東京ヴェルディに完全移籍で加入することが発表され日本復帰。退団したエースFWフッキの穴埋めを期待されたが、チームにフィットするのに時間を要したこともあり、チームは低迷し、J2に降格。翌2009年も東京Vに残留し、J2を舞台に21得点を挙げたが「(攻撃は)1人じゃ厳しい」と孤軍奮闘は否めず、チームの親会社変更など雑音も多くJ1昇格はならなかった。2010年、東京Vの経営難により移籍を余儀なくされたが、東京Vとは2011年末までの契約を結んでおり 完全移籍では高額の移籍金が発生するため、J2・横浜FCに期限付き移籍。2度のハットトリックを達成するなど 16試合で12得点を挙げ、前年に続き活躍を見せた。

ワールドカップ開催によるJリーグ中断期間中の同年6月に、J1・FC東京に期限付き移籍(保有権は東京Vのまま)。FC東京ではチームの主力となり、同僚の羽生直剛は「エゴイスティックなタイプかと思ったが、周囲を活かしてくれるのでやりやすい」とNHKのサッカー中継のインタビューでコメントしている。8月に開催されたスルガ銀行チャンピオンシップ2010では、対戦相手のLDUキト監督のエドガルド・バウサに特に注意すべき選手として警戒されていたが、試合終了間際に同点ゴールを決め、クラブのタイトル獲得に貢献した。しかし9月半ばの監督交代以後はフル出場の機会を一度も得られず、翌年の戦力構想外となり、移籍期間満了により退団。

2011年、横浜F・マリノスに完全移籍。2005年以来となるJ1での二桁得点を達成するなど、全公式戦合計で17得点をマーク。翌2012年はリーグ開幕戦で得点をマークし好スタートを切ったがその後は得点を伸ばせず、後半戦からは出場機会も減少した。2013年、当初は横浜FMに登録されていた が、2月に札幌在籍時にも指導を受けた岡田が監督を務める中国サッカー・スーパーリーグの杭州緑城に期限付き移籍

2014年1月、横浜FMとの契約満了により杭州緑城に完全移籍。同月、京都サンガF.C.への期限付き移籍が発表された。その後シーズン途中に完全移籍に移行。同年リーグ戦42試合に出場し26得点を挙げJ2得点王となった。翌2015年、自身の動き出しに合うパサーの不在や新監督の石丸清隆による守備重視の方針には不満を露にしたが チーム最多得点となる16得点を挙げた。2016年2月にモンテディオ山形に期限付き移籍。同クラブテクニカルダイレクターの石井肇とは札幌及び横浜FM在籍時以来となる3度目の共闘となった。二転三転する戦術や 負傷の頻発に苦しめられながらも、同年のチーム最多得点を記録。移籍期間満了により同年限りで山形を退団し、京都へ復帰した。

2018年、栃木SCに期限付き移籍。契約上出場できなかった京都戦を除き、全試合に出場。8月18日、J2第29節・アビスパ福岡戦でJ2リーグ史上初となる通算100得点を達成 すると同時に、2015年以来3シーズンぶりとなるリーグ戦二桁得点も達成した。2019年からは栃木へ完全移籍した。2020年は開幕時より選手登録されないまま栃木との契約を継続していたが、6月26日に契約解除が発表された。

代表経歴

代表経歴

ガンバ大阪での活躍が認められ、2005年には得点力不足と嘆かれていたジーコ率いる日本代表に初選出。代表として2戦目となった2月9日のアジア最終予選・対北朝鮮戦で後半残り10分から途中出場し、後半ロスタイムに値千金の 決勝点を挙げた。この試合のテレビ中継の瞬間最高視聴率が57.7%(関東地区)を記録したこともあり、その知名度が瞬く間に急上昇した。以下、本人のコメント「次の日から、やたら声を掛けられるようになって。Jリーグで20ゴールしても誰も気付かなかったのに、日本代表は1点取っただけでこんなに有名になるんだ、と驚きました。僕自身は変わらなかったですけど。」その後、ワールドカップ本大会出場を決定させた北朝鮮戦や、同年開催のコンフェデレーションズカップにおいてのギリシャ戦とブラジル戦でも途中出場から貴重な得点を挙げるなど、この年の代表チーム最多となる5得点を挙げた。一方で海外組の不参加だった東アジア選手権など、先発起用された試合ではなかなか結果を出せず、この流れからジーコは、翌年のドイツW杯ではあくまでもスーパーサブ(ジョーカー)として起用した。

2006年5月、2006 FIFAワールドカップ日本代表に選出、グループリーグ3試合に全て途中出場した。しかし、出場時間は短く(オーストラリア戦1分、クロアチア戦5分、ブラジル戦24分)、無得点。

監督経歴

指導者時代

2021年1月10日、現役を引退して、G大阪のアカデミーコーチに就任することが発表された。

2025年12月14日、来季よりJ2・J3百年構想リーグで戦う奈良クラブの監督に就任することが発表された。

人物像

エピソード

スポーツ選手・文化人のマネジメント会社であるサニーサイドアップに所属していた経験がある。またイタリア人の代理人ジョヴァンニ・ブランキーニと契約を結んでいたことがあり、トリノ移籍に際してはブランキーニが交渉を担当した。

UNO大使

UNO好きが知られるようになり、2005年には日本ウノ協会「UNO大使」に任命され、兵庫県伊丹市で開催された記念イベントに出席した。大黒はそのイベントの席上で2006 FIFAワールドカップ最終予選のアウェー北朝鮮戦の前夜にも代表でのチームメートと共にUNOを楽しんだことや、代表チームメートと仲良くなるのにUNOが役だったことを明かしている。2006年3月には、カード・パッケージをサッカー仕様のデザインにし、更に大黒自身が考案したオリジナルカードを追加した「大黒選手限定版」のUNOが発売された。

ガンバ大黒(だいこく)神社

大黒天と名前が同じ文字であることから「大黒様」「大黒神」と呼ばれる事も多く、また、G大阪のホームタウン・吹田市にあるガンバ大阪オフィシャルショップ内にはその大黒天にあやかった「ガンバ大黒(だいこく)神社」が2005年3月23日に建立された。大黒自身は2006年にG大阪を退団したが、北千里サティに大黒神社の大黒像が移籍後も残っている。

個人成績

数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。

クラブ

クラブシーズン年齢ディビジョンリーグ国内カップ1リーグカップ2シーズン通算
出場得点出場得点出場得点出場得点
日本ガンバ大阪199918—1100020130
200019—711020101
200221—61002182
200322—261020533313
200423—302026743930
200524—311622403718
通算111487822814064
コンサドーレ札幌200120—40002060
グルノーブル2005-0625—1750000175
2006-0726—21001031
通算1960010206
イタリアトリノFC2006-0726—7000——70
2007-0827—3010——40
通算1001000110
日本東京ヴェルディ200827—1420000142
200928—392100——3921
通算532300005323
日本横浜FC201029—161200——1612
日本FC東京201029—2272020267
日本横浜F・マリノス201130—281034533617
201231—2521031293
201332—00000000
通算531244846520
杭州緑城201332—24323——266
日本京都サンガF.C.201433—422621——4427
201534—401630——4316
201736—28610——296
通算11048610011649
日本モンテディオ山形201635—26911——2710
日本栃木SC201837—401200——4012
201938—————————
通算————————
キャリア通算48818022173512545209

1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. リーグカップ(EFLカップ、JリーグYBCルヴァンカップなど) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

代表

日本 としての年別成績です。親善試合を含みます。

年年齢出場得点得点グラフ
200524155
20062560
20072600
20082710
通算225

年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

所属チーム

ユース

期間年齢チーム
1993〜199812日本ガンバ大阪

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

クラブ

期間年齢チーム出場得点
1999〜200518日本ガンバ大阪——
200120コンサドーレ札幌——
200625フランスグルノーブル——
2006〜200825イタリアトリノFC——
2008〜201027日本東京ヴェルディ——
201029日本横浜FC——
201029日本FC東京——
2011〜201330日本横浜F・マリノス252
201332中国杭州緑城——
2014〜201833日本京都サンガF.C.11049
201635日本モンテディオ山形269
201837日本栃木SC4012
2019〜202038日本栃木SC——

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は国内リーグ戦の合計で、カップ戦・大陸大会を含む内訳は「個人成績」の表にあります。

代表

期間年齢チーム
2005〜200824日本日本

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

監督

在任年齢チーム役職
2026〜45日本奈良クラブ監督

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
200120日本ガンバ大阪コンサドーレ札幌期限付き移籍—期間・移籍金は未確認
200625日本ガンバ大阪グルノーブル移籍—形態・移籍金は未確認
200625グルノーブルイタリアトリノFC移籍—形態・移籍金は未確認
200827イタリアトリノFC日本東京ヴェルディ移籍—形態・移籍金は未確認
201029日本東京ヴェルディ日本横浜FC期限付き移籍—期間・移籍金は未確認
201029日本東京ヴェルディ日本FC東京期限付き移籍—期間・移籍金は未確認
201130日本東京ヴェルディ日本横浜F・マリノス移籍—形態・移籍金は未確認
201332日本横浜F・マリノス杭州緑城移籍—形態・移籍金は未確認
2015-0134杭州緑城日本京都サンガF.C.フリー移籍—
2016-0235日本京都サンガF.C.日本モンテディオ山形期限付き移籍—
2018-0237日本京都サンガF.C.日本栃木SC期限付き移籍—
2019-0238日本京都サンガF.C.日本栃木SCフリー移籍—

※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
日本語版 Wikipedia(経歴)・API-Football(移籍データ)。移籍の有無と移籍先は日本語版 Wikipedia の情報欄、日付・形態・移籍金は API-Football の掲載値。億円換算は ECB レート(2026-10-21 時点)

人物相関

所属履歴と出場記録から機械的に算出しています。個人の交友関係についての評価は含みません。

共にプレーした選手

同じクラブ・同じシーズンに両者とも出場記録がある選手を、シーズン数の多い順に並べています。取得元(API-Football)のシーズン名簿は 2010-11 シーズン以降しか無いため、それ以前に一緒にプレーしたシーズンは数に入りません。

選手クラブ期間シーズン 
石櫃洋祐日本京都サンガ2014〜20173
田森大己日本京都サンガ2014〜20152
磐瀬剛日本京都サンガ2014〜20152
ヘニキ・ルイス・ジ・アンドラージ日本栃木SC2018〜20192
中町公祐日本横浜F・マリノス20121

指導を受けた監督

本人の在籍期間と監督の在任期間の重なりから算出しています。取得元(API-Football)に在任期間の登録がある監督だけが対象で、古い年代の監督は登録が無いため出ていません。

監督クラブ・代表在任
西野朗日本ガンバ大阪2002年2月〜2012年1月
石﨑信弘日本モンテディオ山形2014年1月〜2016年12月
田坂和昭日本栃木SC2019〜2021

日本語名を確認できない監督 1 人は掲載していません。

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「大黒将志」(版 111145265)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. API-Football(移籍データ)、2026年10月22日 取得 https://www.api-football.com/
  2. API-Football(選手・監督データ)、2026年10月25日 取得 https://www.api-football.com/
  3. Wikidata、2026年10月25日 取得 https://www.wikidata.org/
  4. Wikipedia(日本語版)「大黒将志」、版 ID 111145265、2026年10月11日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%BB%92%E5%B0%86%E5%BF%97
  5. Wikipedia(英語版)、版 ID 1352620471、2026年10月11日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Masashi_Oguro

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