概要
石﨑信弘(Nobuhiro Ishizaki、1958年3月14日生)は、日本出身のサッカー監督。2026から松本山雅FCの監督を務めている。これまでに13クラブを指揮した。クラブでは公式戦通算38試合1得点(1988-89 シーズン以降)。
石﨑 信弘(いしざき のぶひろ、1958年3月14日 - )は、広島県広島市中区出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現松本山雅FC監督。
クラブ経歴
選手時代
実家は旧広島市民球場の近くで、身近なスポーツは野球だったが、広島市立広瀬小学校4年生のときに友達の誘いでサッカーを始める。ポジションは中学生の時から常にディフェンダーだった。県立広島工業高校時代は河内勝幸、金田喜稔、楚輪博、木村和司、猿沢茂、室野哲雄らと共に全国高校選手権ベスト4を経験した。指導者として手本は高校時代の松田輝幸監督という。
その後東京農業大学を経て1980年に日本サッカーリーグ (JSL) 2部の東芝に加入。チームではいわゆる「ストッパー」の役割を任され、ハードなディフェンスで JSL2部時代には5年連続ベストイレブンに選ばれるなど活躍する。JSL1部に昇格した1988年からは選手兼コーチに就任。1991年に一旦コーチ兼主務となるがシーズン序盤に選手として追加登録される。1992年はコーチに専念していたが、他のコーチ陣と反りが合わないため監督の高橋武夫に選手復帰を懇願し、1993年に再び選手としてプレーしてから現役を引退した。
引退後は東芝のパソコン液晶モニター生産管理部門で1年間社業に専念したのちに退社。
監督経歴
指導者時代 ― NEC山形→モンテディオ山形 (1995-1998)
選手生活の晩年には既にコーチ稼業にも踏み出していたが、引退から2年後の1995年にジャパンフットボールリーグ(旧JFL)のNEC山形(1996年以降はモンテディオ山形)の監督に就任(元々はコーチとしての就任要請だったが、直前に監督への就任を要請されている。#監督就任のきっかけ参照)。
4シーズン指揮を取った中で1998年には優勝争いの末、山形をリーグ3位にまで押し上げる結果を残した。
指導者時代 ― 大分トリニータ (1999-2001)
1999年、大分トリニータの監督に就任。この年の大分は最終節を前に2位に浮上。勝てば自力でJ1昇格を決めることが出来たが、ホームでの最終節で古巣の山形に引き分け、2位と勝ち点1差の3位の成績でJ1昇格を逃す。
翌年の2000年も再び優勝を争ったが最終節でに逃げ切られ、またも勝ち点1差で3位となり昇格を逃す。
指導者時代 ― 川崎フロンターレ (2001-2003)
2001年7月、J2に降格し低迷する川崎フロンターレの監督に就任。リーグ戦では7位の成績でシーズンを終えたがその年の第81回天皇杯ではベスト4の成績を残した。
2002年には川崎を4位に押し上げ、2003年には最終節まで昇格争いに絡みながら、と勝ち点差1の年間3位でシーズンを終えた。同年の第83回天皇杯を最後に川崎監督を退任した。
指導者時代 ― 清水エスパルス (2004)
2004年、清水エスパルスのヘッドコーチとして初めてJ1に関わることとなった。第3節ガンバ大阪戦に0-4で敗れた後、クラブ側から石崎に対してもっと自分の色を出してほしいという要望があり、それ以降は監督のアントニーニョに代わって石崎がチームの戦術面を担うようになった。選手起用や試合中の指揮権についてはなおアントニーニョ側にあり、事実上の両頭体制となったが、アントニーニョとプレッシングサッカーを志向する石崎のあいだにはサッカー観に隔たりがあり、チーム運営はちぐはぐなものになった。
同年7月にはアントニーニョの辞任に伴って監督に昇任。石崎は翌シーズンも引き続き指揮を執ることが内々に決まっていたが、それが地元紙にスクープされるとサポーターたちから不満が噴出し、結局クラブOBの長谷川健太を新監督に据えるために、石崎は身を引くことになった。
指導者時代 ― 東京ヴェルディ (2005)
2005年には東京ヴェルディ1969のコーチに就任したが、オズワルド・アルディレス監督が成績不振(前半戦終了時点で17位と低迷)の責任を取って7月19日に解任されたことを受け、3試合ではあるが急遽監督代行に就任した。親善試合では、スター選手を集め、当時銀河系軍団と呼ばれていたレアル・マドリードを3-0で破った。その後、クラブがバドンを新監督にすると再びコーチとして補佐したが、東京VのJ2降格を阻止できず、このシーズン限りで解任された。
指導者時代 ― 柏レイソル (2006-2008)
2006年には柏レイソルの監督に就任。初のJ2降格に際し主力選手が多数流出し崩壊しかけていたチームを再生させた。彼の指導を受けた山根巌、岡山一成を獲得し、若手の底上げを図りながらチームをまとめ、J2では突出した資金力とフランサやディエゴなどの選手の存在により、終盤まで優勝争いに絡む。ヴィッセル神戸とのマッチレースとなった2位争いでは石崎が「神戸の結果次第という状況だが、それは考えずに自分たちのやり方を貫く」 と語ったとおり、最終節の湘南ベルマーレ戦で勝利し、石崎自身にとって「4度目の正直」となるJ1昇格を経験した。
2007年は引き続き柏の監督を務め、李忠成や菅沼実など若い選手を起用した。フランサや移籍してきた古賀正紘や太田圭輔の活躍もあり、シーズン前半戦は優勝争いを演じ、年間8位の成績でシーズンを終えた。
柏での指揮が3年目になった2008年は、一時3位となるなど好調であったが、その後失速して32節まで残留争いに巻き込まれ、2008年限りで柏の監督を退任(事実上の解任)となった。退任決定後、第88回天皇杯準優勝に導いた。
指導者時代 ― コンサドーレ札幌 (2009-2012)
2009年よりコンサドーレ札幌(現:北海道コンサドーレ札幌)の監督に就任。同年度は通算21勝16分14敗の成績を残し、年間6位の成績でシーズンを終えた。
2010年は、内村圭宏、近藤祐介、中山雅史、藤山竜仁、李漢宰を補強したが、昨季のレギュラーである西大伍、ダニルソンの放出によりワールドカップでの中断前での成績は19チーム中12位、最終順位は13位となった。
2011年度は、石川直樹、西嶋弘之、藤田征也、上里一将などの主力の移籍により厳しい序盤戦となり、折り返しの17節時点では20チーム中10位であったが、砂川誠に加え河合竜二、李昊乗、ジオゴなどの新戦力が活躍を見せた他、若手も数多く台頭を見せて快進撃を展開、最終的に3位となりJ1復帰を決めた。
2012年は、守備の要であった山下達也が移籍したが、オーストラリア代表ジェイド・ノース、元五輪代表候補の前田俊介、山本真希、髙柳一誠など実績のある選手を獲得。またシーズン中にはユースから5名の選手を昇格させるなどして シーズンに臨んだ。開幕戦こそジュビロ磐田と互角の戦いを見せて引き分けたものの、その後は「失点後に緊張が途切れ、次々得点される負けパターン」 にはまってしまい最下位に低迷、怪我人も続出した。シーズン途中に外国人3名を補強し一時は浮上の兆しを見せたもののチーム状況の改善には至らず、9月29日の第27節の敗戦で7節を残して降格が決定し、J1降格最速記録を塗り替えてしまった。石崎は同シーズンの終了を以って退任することが2012年10月5日に発表された。
指導者時代 ― 杭州緑城 (2013)
2013年2月、岡田武史がトップチームの監督を務める中国・杭州緑城のU-18チーム監督就任が発表された。同年11月、岡田武史とともに退任。
指導者時代 ― モンテディオ山形 (2014-2016)
2013年11月27日、2014年シーズンからモンテディオ山形の監督に就任(16年ぶりの復帰)すると発表された。前半戦はなかなか連勝できず一時は17位まで順位を落とすが、フォーメーションを3-4-3に変更後チームの状態は上がり、シーズン6位で終えた。J1昇格プレーオフでは4位ジュビロ磐田・3位を破って優勝、4年ぶりのJ1復帰を果たした。天皇杯でもクラブ初の準優勝に導き、監督個人としては2008年の柏時代以来2度目の準優勝となった。
2015年は、前半こそ3-4-3のフォーメーションがはまりJ1でも上位チームとも対戦でも互角以上の戦いを見せたが、18試合勝利なしなど勝ちきれない試合も多くあり、チーム得点24点(リーグワースト)など得点力不足にも泣き、わずか4勝に終わりJ1最下位で1年でJ2に降格となった。また再び決勝進出を目指した天皇杯は4回戦で敗れた。
2016年は、J1復帰を目指して挑んだシーズンだったが、開幕8試合勝利など、なかなか勝てず一時は最下位に転落した。その後は順位を上げたがシーズンを通して安定した戦い方が出来ず、チーム史上最低の14位でシーズンを終えた。Jリーグ史上初600試合指揮を達成。なお16シーズン限りで山形の監督を退任すると発表された。
指導者時代 ― テゲバジャーロ宮崎 (2017-2018)
2017年1月5日、テゲバジャーロ宮崎の監督に就任すると発表された。同年、九州サッカーリーグで優勝し、全国地域サッカーチャンピオンズリーグ2017で1次ラウンド首位、決勝ラウンド2位で第20回日本フットボールリーグへの昇格を果たす。しかしJFLでは最下位に低迷、2018年6月21日、監督を退任した。
指導者時代 ― 藤枝MYFC(2018-2020)
2018年7月27日、藤枝MYFCの監督に就任すると発表された。2019年にはチームを3位へ導き、同年のJリーグアウォーズにおいてJ3優秀監督賞を受賞した。
指導者時代 ― カターレ富山(2021-2022)
2020年12月23日、カターレ富山の監督に就任。2021年シーズンはチームを歴代最高順位まで押し上げたものの、2022年9月19日、富山の監督を退任した。プレスリリースでは退任理由として、J2復帰が難しくなったことに加え、サッカーの内容に見る課題に改善が見られないことを挙げており、事実上は解任と見られている。
指導者時代 ― ヴァンラーレ八戸(2023-2025)
2022年11月26日、ヴァンラーレ八戸の監督への就任が発表された。就任3年目の2025年は、リーグ最少失点の堅い守備をベースに、チームは第22節で首位に立つなど好調で、11月29日のJ3最終節FC琉球OKINAWA戦で八戸をJ2初昇格に導いた。12月6日、同シーズン限りでの退任が発表された。
監督就任のきっかけ
監督としてのキャリアのスタートとなった1995年のNEC山形の監督就任はある意味突発的とも言えるものであった。石崎と東農大サッカー部の同期にあたる長澤和明がNEC山形の監督に就任することが内定しており、その長澤の要請により石崎のコーチ就任が内定していた。しかし当時8歳の長澤の長女(後に女優となる長澤まさみ)が「静岡を離れたくない」と山形への転居を嫌がったため、長澤はNEC山形監督への就任を辞退した(その直後に長澤はL・リーグの鈴与清水FCラブリーレディースの監督に就任している)。そのため、NEC山形は長澤の代役として石崎に監督就任を要請し、石崎がこれを受諾して監督を務めることになった。
また、2006年の柏レイソルの監督就任も偶然のタイミングによるものだった。東京Vのコーチを解任された後、某Jリーグクラブのサテライト監督の就任が決まっていた石崎は、最終交渉を夕方に控えていた日の午前中、夫人と映画館に居たところに石崎の携帯に柏からの電話がかかってきたという。最初は無視したもの2度目は「緊急の要件かな!?」と思い電話に出たところ、監督就任要請の電話であり、このオファーで急転、柏の監督就任が決まった。石崎本人は後に「おかげで映画の一番いいシーンは見られんかった」との発言を残している。
人物像
エピソード
石崎は13つのJリーグクラブで指揮を執って選手との信頼関係を築き、さらにはネットユーザーを含めたサッカーファン(サポーター)とも親近感を持って接しているため、エピソードが多く存在する。
選手・サポーターとの交流
柏では選手から「石さん」の愛称で親しまれ、「親父のような存在」として多大な信頼も得た。
普段から広島弁を多用し、札幌時代にはチームの“共通語”として広めてしまうほど。自流の広島風お好み焼きが得意料理で、所属クラブ内でバーベキューなどがあると必ずお好み焼きを焼いている。選手からも好評なようで、2008年には『石さんレシピ広島風お好み焼き』が日立柏サッカー場での柏主催試合で販売されている。売れ行きは好調で、石崎は退任後の2009年も引き続き販売された。山形復帰後の2015年のファン感謝祭でも200人分のお好み焼きをファンに振る舞った。
2003年に川崎フロンターレのJ1昇格を勝ち点1差で逃したため辞任したが、その後に行われた第83回天皇杯ではホームグラウンド・等々力陸上競技場で最後の試合となる2回戦(国見高校戦)終了後にサポーターの前で挨拶をした際、その終了後にグラウンド内に大量に進入したサポーターらによって胴上げをされた。
どのチームでもホーム最終戦でのサポーターへの挨拶は欠かしていないという。2008年の柏監督退任前のホーム最終戦(日立柏サッカー場)後の挨拶では、感極まったのかすぐには言葉が出ず、「私は選手を鍛えることができます。ただ、選手を育てるのはサポーターの皆さんです。2006年に昇格できたのも、サポーターの皆さんの支えがあったからでした」とサポーターへの感謝の意を伝え、最後に「レイソル、マジ最高っ!!!!」の言葉で締めくくっている。
北海道コンサドーレ札幌の「赤と黒の縦縞」ユニフォーム
かつて東芝サッカー部のユニフォームは赤であったが、1990年代初めにACミランにあやかり「赤と黒の縦縞」に変更となったのは、当時主将だった石崎のアイデアによるものだという。その石崎が2009年から、東芝を前身とするコンサドーレ札幌(当時)の指揮を取ることになった。監督就任後の記者会見では「1993年まで選手をやって、94年からチームを離れて指導者になったわけですが、赤と黒のユニフォームがずっと心の中にありました」と語り、その年のキックオフイベントでは「石崎が赤黒の元に帰って参りました!!!」とファン・サポーターに向けてコメントしている。
石崎の発案によって誕生した「赤と黒の縦縞」は、やがて北海道コンサドーレ札幌の象徴となり、今でもユニフォームの基本デザインに採用されている。また、「東芝サッカー部」の唯一の名残でもある。
個人成績
数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。
クラブ
| クラブ | シーズン | 年齢 | ディビジョン | シーズン通算 | |
|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | ||||
| 1988-89 | 30 | — | 22 | 1 | |
| 1990-91 | 32 | — | 11 | 0 | |
| 1991-92 | 33 | — | 5 | 0 | |
年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
監督成績
在任別・通算
英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1332026100)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。
| 在任期間 | 年齢 | チーム | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| — | — | 87 | 53 | 6 | 28 | 60.9% | |
| — | — | 112 | 59 | 25 | 28 | 52.7% | |
| — | — | 15 | 4 | 1 | 10 | 26.7% | |
| — | — | 1 | 0 | 0 | 1 | 0.0% | |
| — | — | 116 | 54 | 22 | 40 | 46.6% | |
| — | — | 159 | 57 | 36 | 66 | 35.8% | |
| — | — | 118 | 33 | 36 | 49 | 28.0% | |
| — | — | 100 | 42 | 20 | 38 | 42.0% | |
| — | — | 62 | 32 | 10 | 20 | 51.6% | |
| 〜現在 | — | 0 | 0 | 0 | 0 | — | |
| 通算 | 770 | 334 | 156 | 280 | 43.4% | ||
所属チーム
ユース(選手時代)
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1973〜1975 | 14 | |
| 1976〜1979 | 17 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
クラブ(選手時代)
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1980〜1991 | 21 | |
| 1993 | 34 | 東芝 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
監督
| 在任 | 年齢 | チーム | 役職 |
|---|---|---|---|
| 1995〜1998 | 36 | 監督 | |
| 1999〜2001 | 40 | 監督 | |
| 2001〜2003 | 42 | 監督 | |
| 2004〜2004 | 45 | 監督 | |
| 2005〜2005 | 46 | 監督 | |
| 2006〜2008 | 47 | 監督 | |
| 2009〜2012 | 50 | コンサドーレ札幌 | 監督 |
| 2014〜2016 | 55 | 監督 | |
| 2017〜2018 | 58 | 監督 | |
| 2018〜2020 | 59 | 監督 | |
| 2021〜2022 | 62 | 監督 | |
| 2023〜2025 | 64 | 監督 | |
| 2026〜 | 67 | 監督 |
移籍金・年俸・市場価値の推移
移籍履歴
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1976 | 17 | 広島工業高校 | 東京農業大学 | 移籍 | — | 下部組織への移籍 形態・移籍金は未確認 |
| 1980 | 21 | 東京農業大学 | 東芝 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「石﨑信弘」(版 110753996)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
出典
- Wikidata、2026年10月26日 取得 https://www.wikidata.org/
- Wikipedia(日本語版)「石﨑信弘」、版 ID 110753996、2026年10月11日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%EF%A8%91%E4%BF%A1%E5%BC%98
- Wikipedia(英語版)、版 ID 1332026100、2026年10月11日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Nobuhiro_Ishizaki
※ 出典は媒体名・日付・URL を文字で記載しています(外部サイトへのリンクは行いません)。出典が確認できない数値はページに載せません。
関連項目
- 北海道コンサドーレ札幌
- 東芝
- NEC山形/モンテディオ山形
- 大分トリニータ
- 川崎フロンターレ
- 清水エスパルス
- 東京ヴェルディ1969 (代行)
- 柏レイソル
- コンサドーレ札幌
- モンテディオ山形
- テゲバジャーロ宮崎
- 藤枝MYFC
- カターレ富山
- ヴァンラーレ八戸
- 松本山雅FC
掲載写真は Wikidata API および Wikimedia Commons API を通じて、ライセンス(CC BY-SA / パブリックドメイン等)と作者表示の要件を確認したうえで掲載します。