オズワルド・アルディレス

SOCCERPEDIA / 選手・監督ページ / アルゼンチンのサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日


概要

アルゼンチンオズワルド・アルディレス(Osvaldo Ardiles、1952年8月3日生)は、ベル・ビジェ出身の元サッカー選手。ポジションはMF。アルゼンチンでは1975年から通算51試合8得点を記録している。クラブ・代表で通算11個のタイトルを獲得、個人賞は10回。

オズワルド・アルディレス(, 1952年8月3日 - )は、アルゼンチン出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションは攻撃的ミッドフィールダー。愛称は「オジー」。弁護士資格を持つ事でも知られる。

クラブ経歴

選手時代

アルゼンチンで開催された1978 FIFAワールドカップで優勝したアルゼンチン代表の主力としてダニエル・パサレラ、マリオ・ケンペスらとともにチームを牽引、6試合に出場して、1次リーグのフランス戦、2次リーグのポーランド戦でアシストを決めるなど、地元開催のワールドカップで同国の初優勝に貢献、大会最優秀MFに選出された。1982 FIFAワールドカップでも全5試合にフル出場、ハンガリー戦で1得点を挙げた。また当時の代表は「エース以外の背番号はアルファベット順につける」という慣習があった為、『背番号1を付けたフィールドプレイヤー』としても有名であった。

1978年のワールドカップ後に、リカルド・ビジャとともに、ふたり合わせて75万ポンドの大金でイングランドのトッテナム・ホットスパーに移籍、トッテナムで約10シーズンプレーした 。1979年にジャパンカップ1979でトッテナムの一員として日本を訪れ、日本との対戦で1得点、決勝のダンディー・ユナイテッドとの対戦では決勝点を決めて優勝を果たした。1980-81シーズンにはFAカップ獲得に貢献、1981-82シーズンのFAカップでも準決勝のレスターシティ戦で1ゴールを挙げるなど、決勝進出に貢献。 同年、イングランドとアルゼンチンの間にフォークランド紛争が発生したため、混乱を避けるためにフランスのパリ・サンジェルマンにレンタル移籍した。トッテナムでは1984年にUEFAカップ優勝に貢献。その後クイーンズ・パーク・レンジャーズやアメリカで短期間プレーした後、現役を引退した。2008年トッテナムの殿堂入りを果たす。

代表経歴

代表での出場記録とメダルから組み立てた説明です。

1975年にアルゼンチンでの出場記録が始まり、1982年までに通算51試合8得点を記録した。

代表で獲得したメダルはFIFAワールドカップ金(1978 アルゼンチン)。

監督経歴

監督時代

1990年、イングランド2部のスウィンドン・タウンの監督に就任した。1部昇格を決めたものの、クラブの不正経理の疑いで昇格は取り消された。ニューカッスル・ユナイテッドの監督は1年も経たずに解雇されたが、ウェスト・ブロムウィッチでは1部昇格を果たした。そして1993年、混乱が続いていた古巣トッテナム・ホットスパーの監督に就任した。ドイツ代表のユルゲン・クリンスマンやルーマニア代表のゲオルゲ・ポペスクらを獲得したが、チーム状態は良くならなかった。成績は残せなかったが、ファンに愛された監督だった。

メキシコを経て、1996年には清水エスパルスの監督として来日。その年のナビスコカップでチーム初のタイトル獲得に貢献した。1998年は、ファーストステージでは、優勝争いに加わり2位に終わる。セカンドステージでは、5位に終わる。リーグ戦終了後、天皇杯を前に解任された。1999年は、クロアチアのNKディナモ・ザグレブの監督に就任したが、1999年の夏に成績不振を理由に解任される。

2000年には横浜F・マリノスの監督に就任し、その年の第1ステージで優勝。2ndステージでは、調子が上がらず5位に終わる。チャンピオンシップでは、鹿島アントラーズに敗北。翌2001年に成績不振に陥り、また外国人選手の補強を巡ってフロントと対立し解任された。

横浜F・マリノスを去ったあと、アル・イテハドの監督に就任したが、成績不振で解任された。

2003年には東京ヴェルディ1969の監督に就任。2004年度天皇杯で、東京Vに8年ぶり(東京移転後は初めて)のタイトルをもたらした。しかし2005年シーズンに大量失点試合が響き、7月成績不振の責任を取って解任された。

2012年、J2・FC町田ゼルビアの監督に就任したが、2012シーズンのJ2で最下位となりJFLへの降格が決定。同年11月17日、監督を解任された。

個人成績

数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。

クラブ

クラブシーズン年齢ディビジョンリーグ大陸大会1シーズン通算
出場得点出場得点出場得点
インスティトゥート・コルドバ197320アルゼンチン・プリメーラ・ディビシオン143————
アルゼンチンベルグラーノ197421アルゼンチン・プリメーラ・ディビシオン162————
アルゼンチンウラカン197522アルゼンチン・プリメーラ・ディビシオン160————
197623アルゼンチン・プリメーラ・ディビシオン417————
197724アルゼンチン・プリメーラ・ディビシオン524————
197825アルゼンチン・プリメーラ・ディビシオン——————
通算10911————
イングランドトッテナム・ホットスパー1978-79251部リーグ383————
1979-80261部リーグ403————
1980-81271部リーグ365————
1981-82281部リーグ262————
1982-83291部リーグ20————
1983-84301部リーグ90————
1984-85311部リーグ112————
1985-86321部リーグ231————
1986-87331部リーグ250————
1987-88341部リーグ280————
通算23816————
フランスパリ・サンジェルマン1982-8329ディヴィジョン11413———
セントジョージFC*198532ナショナル・サッカーリーグ10————
イングランドブラックバーン・ローヴァーズ1987-88342部リーグ50————
イングランドクイーンズ・パーク・レンジャーズ1988-89351部リーグ80————
アメリカフォートローダーデール・ストライカーズ198936アメリカン・サッカーリーグ*51————
イングランドスウィンドン・タウン1989-90362部リーグ20————
1990-91372部リーグ00————
通算20————
キャリア通算41234————

1. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

代表

アルゼンチン としての年別成績です。親善試合を含みます。

年年齢出場得点得点グラフ
19752284
19762391
197724110
197825122
19792610
19812820
19822981
通算518

年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

監督成績

在任別・通算

英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1379004591)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。

在任期間年齢チーム試合勝分敗勝率
——イングランドスウィンドン・タウン9532333033.7%
——イングランドニューカッスル5212182223.1%
——イギリスウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFC5530111454.5%
——イングランドトッテナム・ホットスパー5617142530.4%
——メキシコCDグアダラハラ1977536.8%
——日本清水エスパルス1247274558.1%
——GNKディナモ・ザグレブ1995547.4%
——日本横浜F・マリノス402121752.5%
——アルゼンチンラシン・クルブ5925161842.4%
——日本東京ヴェルディ6722202532.8%
——イスラエルベイタル・エルサレムFC732242.9%
——アルゼンチンCAウラカン1254341.7%
——日本FC町田ゼルビア427112416.7%
通算64225715023540.0%

所属チーム

ユース

期間年齢チーム
——インスティトゥート・コルドバ

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

クラブ

期間年齢チーム
197320インスティトゥート・コルドバ
197421アルゼンチンベルグラーノ
1975〜197822アルゼンチンウラカン
1978〜198825イングランドトッテナム・ホットスパー
1982〜198329フランスパリ・サンジェルマン
198532オーストラリアセントジョージFC
198835イングランドブラックバーン・ローヴァーズ
198936イングランドクイーンズ・パーク・レンジャーズ
198936アメリカフォートローダーデール・ストライカーズ
1989〜199136イギリススウィンドン・タウン

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

代表

期間年齢チーム
1975〜198222アルゼンチンアルゼンチン

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

監督

在任年齢チーム役職
1989〜199136イギリススウィンドン・タウン監督
1991〜199238イングランドニューカッスル・ユナイテッド監督
1992〜199339イングランドウェスト・ブロムウィッチ・アルビオン監督
1993〜199440イングランドトッテナム・ホットスパー監督
1995〜199542メキシコグアダラハラ監督
1996〜199843日本清水エスパルス監督
1999〜199946クロアチアクロアチア・ザグレブ監督
2000〜200147日本横浜F・マリノス監督
2001〜200148サウジアラビアアル・イテハド監督
2002〜200349アルゼンチンラシン・クルブ監督
2003〜200550日本東京ヴェルディ監督
2006〜200653イスラエルベイタル・エルサレム監督
2007〜200754アルゼンチンウラカン監督
2008〜200855パラグアイセロ・ポルテーニョ監督
2012〜201259日本町田ゼルビア監督

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
197421インスティトゥート・コルドバアルゼンチンベルグラーノ移籍—形態・移籍金は未確認
197522アルゼンチンベルグラーノアルゼンチンウラカン移籍—形態・移籍金は未確認
197825アルゼンチンウラカンイングランドトッテナム・ホットスパー移籍—形態・移籍金は未確認
198229イングランドトッテナム・ホットスパーフランスパリ・サンジェルマン期限付き移籍—期間・移籍金は未確認
198532イングランドトッテナム・ホットスパーセントジョージFC期限付き移籍—期間・移籍金は未確認
198835イングランドトッテナム・ホットスパーイングランドブラックバーン・ローヴァーズ移籍—形態・移籍金は未確認
198936イングランドブラックバーン・ローヴァーズイングランドクイーンズ・パーク・レンジャーズ移籍—形態・移籍金は未確認
198936イングランドクイーンズ・パーク・レンジャーズアメリカフォートローダーデール・ストライカーズ移籍—形態・移籍金は未確認
198936アメリカフォートローダーデール・ストライカーズイングランドスウィンドン・タウン移籍—形態・移籍金は未確認

※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認

タイトル

クラブ

CAウラカン(選手)

トッテナム(選手)

アルゼンチン代表(選手)

清水エスパルス(監督)

東京ヴェルディ(監督)

個人

英語の記録名しか確認できないもの(10件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

獲得メダル

代表チームで獲得したメダルです(金1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。

FIFAワールドカップ金 1978 アルゼンチン

出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「オズワルド・アルディレス」(版 109675628)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. Wikidata、2026年10月25日 取得 https://www.wikidata.org/
  2. Wikipedia(日本語版)「オズワルド・アルディレス」、版 ID 109675628、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%BA%E3%83%AF%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%AC%E3%82%B9
  3. Wikipedia(英語版)、版 ID 1379004591、2026年10月14日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Osvaldo_Ardiles

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