概要
ユルゲン・クリンスマン(Jürgen Klinsmann、1964年7月30日生)は、ゲッピンゲン出身の元サッカー選手。ポジションはFW。ドイツでは1990年から通算26試合7得点を記録している。クラブでは公式戦通算620試合284得点(1981-82 シーズン以降)。クラブ・代表で通算14個のタイトルを獲得、個人賞は24回。
ユルゲン・クリンスマン(', 1964年7月30日 - )は、西ドイツ・バーデン=ヴュルテンベルク州ゲッピンゲン出身の元サッカー選手、現サッカー監督。ポジションはセンターフォワード。バロンドールの投票では1988年と1989年に8位、1990年に6位、1994年に6位、1995年にはジョージ・ウェアに次いで第2位にランク、1996年は5位に入っている。
2011年から2016年までアメリカ合衆国代表監督を務めた。2006年に開催されたFIFAワールドカップドイツ大会ではドイツ代表監督を務めた。ライフキネティックを取り入れたことでも知られる 。2023年から2024年まで韓国代表の監督を務めたことで知られている。
クラブ経歴
クラブ経歴
1978年に西ドイツのクラブチーム・SVシュトゥットガルター・キッカーズに入団してキャリアをスタート。1984年にVfBシュトゥットガルトへ移籍し、1987-88シーズンには得点王を獲得。
1989年にはセリエA・インテル・ミラノへ移籍し、3シーズンプレーした。1989年8月23日、コッパ・イタリアのスペツィア戦で移籍後初ゴール、9月13日ボローニャ戦でセリエA初ゴールを決め、11月5日のエラス・ヴェローナ戦でセリエA移籍後初のハットトリックを達成した。初年度は13ゴール、1990-91シーズンには開幕のカリアリ戦でハットトリックを達成するなど、二年目は14ゴールを記録、UEFAカップの優勝にも貢献したが、1991-92シーズンはミラノダービーではゴールを決めたが、リーグ戦では7得点、チームは8位に終わった。インテルでは通算123試合40ゴールの成績を残した。
1992-93シーズンからプレーしたASモナコでは、20節のAJオセール戦で4得点を挙げるなど、リーグ戦で20ゴールを記録、1993-94シーズンにはチャンピオンズリーグで準決勝まで進出するなどの活躍を見せた。
1994-95シーズン前にはジェノアも獲得に乗り出していたが、トッテナムに移籍、8月20日のシェフィールド・ウェンズディ戦で移籍後初ゴール、リーグ戦21ゴールを挙げ、FWA年間最優秀選手賞にも選ばれたがが、この年限りで母国へ帰還。
1995年に母国バイエルン・ミュンヘンに移籍して2シーズンを過ごした。1995-96シーズンのリーグ戦ではチームトップの16ゴールを記録し、UEFAカップでは、SLベンフィカ戦の第1戦でハットトリックを達成、FCジロンダン・ボルドーとの決勝第2戦でも得点を挙げるなど、12試合で15ゴールを決めて優勝に大きく貢献。1995年度バロンドールの投票では第2位となった。
1996-97シーズンは、2月15日のザンクトパウリ戦でブンデスリーガ100ゴールを達成。チームトップの15ゴールを記録し、自身初のリーグ優勝を果たした。
1997-98シーズン、パルマ・カルチョ1913、エヴァートンFC、トッテナムがオファーを出していたが、移籍したロベルト・マンチーニに代わる経験豊富な選手を求めていた、UCサンプドリアへの移籍を選択した。11月までの5試合は無得点、6試合のボローニャ戦で初得点を決めた。シーズン途中にセサル・ルイス・メノッティ監督が解任され、ボシュコフが新監督に就任したが、ボシュコフには冷遇されるなど、折り合いが悪く、シーズン前半のみで退団。シーズン途中トッテナムに復帰、5月2日ウインブルドン戦で4ゴールを、シーズン最終戦また自身のプロクラブでのラストゲームとなったサウサンプトン戦でゴールを決めるなど、15試合9得点を記録。同シーズン限りでプロとしての現役を引退。2003年からはアメリカのアマチュアクラブのオレンジカントリー・ブルースターズでプレーし現役を引退した。
代表経歴
代表経歴
1987年12月12日のブラジル戦で代表デビュー、ロイターのゴールをアシストした。1988年4月27日のスイス戦で代表初ゴールを決めた。
1988年ソウルオリンピックでは銅メダル獲得に貢献し、同年の欧州選手権にも出場、デンマーク戦で得点を挙げた。
1990年、ワールドカップ・イタリア大会ではグループリーグで2ゴール、ラウンド16のオランダ戦で1ゴール、準々決勝のチェコスロバキア戦ではPKを奪取するなど、優勝に貢献した。
1992年のUEFA EURO '92では、グループリーグのオランダ戦で1得点を挙げたが、決勝のデンマーク戦でも得点は無く、1得点を挙げたのみに終わった。
1994年、ワールドカップ・アメリカ大会ではグループリーグの、ボリビア戦、スペイン戦、韓国と3試合でいずれもゴールを挙げ、ラウンド16のベルギー戦でも1ゴールと4ゴールを挙げた。
1996年、UEFA欧州選手権1996では4試合で3ゴールを挙げて優勝に貢献した。
1998年、ワールドカップ・フランス大会でも合計3ゴールを決めている、ラウンド16でのメキシコ戦でのゴールが代表での最後のゴールとなった。通算成績は108試合47得点。
監督経歴
指導者として
代表引退後はコーチライセンスを取得して、2004年にルディ・フェラー辞任を受けてドイツ代表監督に就任した。監督就任後若手選手の積極的な起用やそれまでマンツーマンがベースだったドイツ代表に4-4-2のゾーンを持ち込んだものの、なかなか結果を出せず、親善試合でも苦戦が続いた。このため、後述するように母国を留守にしていることも相まってドイツ国民から批判を受けることが多かったが、地元開催のFIFAワールドカップ・ドイツ大会で下馬評を覆す試合内容、成績を収めたため評価は好転。3位決定戦ではポルトガルを3-1で破って3位に導いた。大会終了後監督を辞任すると発表、退任後はドイツの有料テレビで解説者を務めていた。
2008年1月、2007-08シーズン終了後にオットマー・ヒッツフェルトの後任としてバイエルン・ミュンヘンの監督に就任することを発表。チームの大胆な改革を進めてきたが、2009年4月27日、リーグ戦の成績不振やチャンピオンズリーグの惨敗を理由にバイエルン・ミュンヘンの監督を解任された。
2011年7月29日、アメリカ代表監督に就任した。ドイツ代表、バイエルン同様、アメリカ代表でも大胆な改革を進めていき、ボブ・ブラッドリー政権で主将を務めたカルロス・ボカネグラや同政権のエースだったランドン・ドノバン(2013年7月に復帰)といった重鎮に見切りをつけ、クリント・デンプシー、ジョジー・アルティドール、ティム・ハワードといった同政権の主力をベースにしつつも、ファビアン・ジョンソンやアロン・ヨーハンソンなど、欧州のクラブシーンで活躍する二重国籍者を勧誘して、次々とアメリカ代表デビューさせた。ジャーメイン・ジョーンズやクリス・ウォンドロウスキなどクリンスマン就任前の二重国籍者も加え、陣容も戦術も大きく変化させた。2013年のCONCACAFゴールドカップでは優勝に導き、2014 FIFAワールドカップの出場にも導いた。
2014 FIFAワールドカップでは、これまで3大会連続出場したランドン・ドノバンを最終メンバーから外した。1次リーグで母国ドイツ代表と対戦し0-1で敗れたものの、グループ2位を確保し決勝トーナメント進出を果たした(1回戦でベルギー代表に延長負け)。
2016年11月、2018 FIFAワールドカップ・北中米カリブ海5次予選のメキシコ代表戦、コスタリカ代表戦で連敗した事がきっかけとなり、2016年11月21日、アメリカ代表監督を解任された。
2019年11月27日、ヘルタ・ベルリンの監督に就任したことが発表された。しかし、就任後もチームの流れを変えることが出来ず、首脳陣との方向性の違いなども発覚してしまい、2020年2月11日に辞任に追い込まれた。
2024年2月16日、アジア杯準決勝敗退などの成績を受け、韓国代表の監督を解任された。在任中は9勝5分3敗という成績だった 。
個人成績
数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。
クラブ
| クラブ | シーズン | 年齢 | ディビジョン | リーグ | 国内カップ1 | リーグカップ2 | 大陸大会3 | シーズン通算 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 1981-82 | 17 | 2.ブンデスリーガ | 6 | 1 | 0 | 0 | — | — | — | — | 6 | 1 | |
| 1982-83 | 18 | 2.ブンデスリーガ | 20 | 2 | 2 | 1 | — | — | — | — | 22 | 3 | |
| 1983-84 | 19 | 2.ブンデスリーガ | 35 | 19 | 2 | 2 | — | — | — | — | 37 | 21 | |
| 通算 | 61 | 22 | 4 | 3 | — | — | — | — | 65 | 25 | |||
| 1984-85 | 20 | ブンデスリーガ | 32 | 15 | 4 | 2 | — | — | 2 | 0 | 38 | 17 | |
| 1985-86 | 21 | ブンデスリーガ | 33 | 16 | 6 | 4 | — | — | — | — | 39 | 20 | |
| 1986-87 | 22 | ブンデスリーガ | 32 | 16 | 1 | 2 | — | — | 4 | 1 | 37 | 19 | |
| 1987-88 | 23 | ブンデスリーガ | 34 | 19 | 1 | 0 | — | — | — | — | 35 | 19 | |
| 1988-89 | 24 | ブンデスリーガ | 25 | 13 | 4 | 2 | — | — | 8 | 4 | 37 | 19 | |
| 通算 | 156 | 79 | 16 | 10 | — | — | 14 | 5 | 186 | 94 | |||
| 1989-90 | 25 | セリエA | 31 | 13 | 4 | 2 | — | — | 2 | 0 | 37 | 15 | |
| 1990-91 | 26 | セリエA | 33 | 14 | 4 | 0 | — | — | 12 | 3 | 49 | 17 | |
| 1991-92 | 27 | セリエA | 31 | 7 | 5 | 1 | — | — | 1 | 0 | 37 | 8 | |
| 通算 | 95 | 34 | 13 | 3 | — | — | 15 | 3 | 123 | 40 | |||
| 1992-93 | 28 | ディヴィジョン1 | 35 | 20 | 2 | 0 | — | — | 4 | 0 | 41 | 20 | |
| 1993-94 | 29 | ディヴィジョン1 | 30 | 10 | 3 | 2 | — | — | 10 | 4 | 43 | 16 | |
| 通算 | 65 | 30 | 5 | 2 | — | — | 14 | 4 | 84 | 36 | |||
| 1994-95 | 30 | プレミアリーグ | 41 | 20 | 6 | 5 | 3 | 4 | — | — | 50 | 29 | |
| 1995-96 | 31 | ブンデスリーガ | 32 | 16 | 1 | 0 | — | — | 12 | 15 | 45 | 31 | |
| 1996-97 | 32 | ブンデスリーガ | 33 | 15 | 4 | 2 | — | — | 2 | 0 | 39 | 17 | |
| 通算 | 65 | 31 | 5 | 2 | — | — | 14 | 15 | 84 | 48 | |||
| サンプドリア | 1997-98 | 33 | セリエA | 8 | 2 | 1 | 0 | — | — | 1 | 0 | 10 | 2 |
| 1997-98 | 33 | プレミアリーグ | 15 | 9 | 3 | 0 | 0 | 0 | — | — | 18 | 9 | |
| キャリア通算 | 506 | 227 | 53 | 25 | 3 | 4 | 58 | 27 | 620 | 284 | |||
1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. リーグカップ(EFLカップ、JリーグYBCルヴァンカップなど) 3. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
代表
ドイツ としての年別成績です。親善試合を含みます。
| 年 | 年齢 | 出場 | 得点 | 得点グラフ |
|---|---|---|---|---|
| 1990 | 25 | 3 | 2 | |
| 1991 | 26 | 4 | 0 | |
| 1992 | 27 | 13 | 2 | |
| 1993 | 28 | 10 | 6 | |
| 1994 | 29 | 14 | 11 | |
| 1995 | 30 | 9 | 6 | |
| 1996 | 31 | 14 | 7 | |
| 1997 | 32 | 7 | 2 | |
| 1998 | 33 | 8 | 4 | |
| 通算 | 26 | 7 | ||
年代別代表(西ドイツ)の出場は「経歴」の表に記載しています。年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
監督成績
在任別・通算
英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1378165046)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。
| 在任期間 | 年齢 | チーム | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2004.07〜2006.07 | 39 | 34 | 20 | 8 | 6 | 58.8% | |
| 2008.07〜2009.04 | 43 | 44 | 25 | 9 | 10 | 56.8% | |
| 2011.07〜2016.11 | 46 | 98 | 55 | 16 | 27 | 56.1% | |
| 2019.11〜2020.02 | 55 | 10 | 3 | 3 | 4 | 30.0% | |
| 2023.02〜2024.02 | 58 | 18 | 8 | 7 | 3 | 44.4% | |
| 通算 | 204 | 111 | 43 | 50 | 54.4% | ||
所属チーム
クラブ
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1981〜1984 | 16 | |
| 1984〜1989 | 19 | |
| 1989〜1992 | 24 | |
| 1992〜1994 | 27 | |
| 1994〜1995 | 29 | |
| 1995〜1997 | 30 | |
| 1997〜1998 | 32 | |
| 1997〜1998 | 32 | |
| 2003 | 38 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
代表
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1980〜1981 | 15 | 西ドイツ U-16 |
| 1984〜1985 | 19 | |
| 1987〜1988 | 22 | |
| 1987〜1990 | 22 | |
| 1990〜1998 | 25 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
監督
| 在任 | 年齢 | チーム | 役職 |
|---|---|---|---|
| 2004〜2006 | 39 | 監督 | |
| 2008〜2009 | 43 | 監督 | |
| 2011〜2016 | 46 | 監督 | |
| 2019〜2020 | 54 | 監督 | |
| 2023〜2024 | 58 | 監督 |
移籍金・年俸・市場価値の推移
移籍履歴
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1984 | 19 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 1989 | 24 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 1992 | 27 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 1994 | 29 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 1995 | 30 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 1997 | 32 | サンプドリア | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | |
| 1997 | 32 | サンプドリア | 期限付き移籍 | — | 期間・移籍金は未確認 | |
| 2003 | 38 | サンプドリア | オレンジ・カウンティ | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
人物相関
所属履歴と出場記録から機械的に算出しています。個人の交友関係についての評価は含みません。
指導を受けた監督
本人の在籍期間と監督の在任期間の重なりから算出しています。取得元(API-Football)に在任期間の登録がある監督だけが対象で、古い年代の監督は登録が無いため出ていません。
| 監督 | クラブ・代表 | 在任 |
|---|---|---|
| アーセン・ヴェンゲル | 1987年7月〜1995年6月 |
タイトル
クラブ
シュトゥットガルト(選手)
- DFBポカール準優勝:1回(1985-86)
- UEFAカップ準優勝:1回(1988-89)
インテル(選手)
- スーペルコッパ・イタリアーナ:1回(1989)
- UEFAカップ:1回(1990-91)
バイエルン(選手)
- ブンデスリーガ:1回(1996-97)
- UEFAカップ:1回(1995-96)
その他
- FIFAワールドカップ:1回(1990)
- UEFA欧州選手権:2回(1996, 1992)
個人
- キッカー誌 ブンデスリーガ シーズンベストイレブン:1回(1987-88)
- プレミアリーグ月間最優秀選手:1回(1994)
- FWA年間最優秀選手:1回(1994-95)
- PFA チーム・オブ・ザ・イヤー:1回(1994-95)
- ESM チーム・オブ・ザ・イヤー:1回(1994-95)
- バロンドール 2位:1回(1995)
- FIFA 100(偉大な選手100人)
英語の記録名しか確認できないもの(20件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
獲得メダル
代表チームで獲得したメダルです(金3・銀1・銅3)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。
| FIFAワールドカップ | 金 1990 イタリア銅 2006 ドイツ |
|---|---|
| UEFA欧州選手権 | 金 1996 イングランド銀 1992 スウェーデン |
| オリンピック | 銅 1988 ソウル |
| FIFAコンフェデレーションズカップ | 銅 2005 ドイツ |
| CONCACAFゴールドカップ | 金 2013 アメリカ |
出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「ユルゲン・クリンスマン」(版 109896522)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
出典
- Wikidata、2026年10月26日 取得 https://www.wikidata.org/
- Wikipedia(日本語版)「ユルゲン・クリンスマン」、版 ID 109896522、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%B3
- Wikipedia(英語版)、版 ID 1378165046、2026年10月14日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/J%C3%BCrgen_Klinsmann
※ 出典は媒体名・日付・URL を文字で記載しています(外部サイトへのリンクは行いません)。出典が確認できない数値はページに載せません。
関連項目
- シュトゥットガルター・キッカーズ
- シュトゥットガルト
- インテル
- モナコ
- トッテナム
- バイエルン・ミュンヘン
- サンプドリア
- オレンジ・カウンティ
- ドイツ
- FCバイエルン・ミュンヘン
- アメリカ合衆国
- ヘルタ・ベルリン
- 韓国
- 西ドイツ
- 西ドイツ U-16
- 西ドイツ U-21
- 西ドイツ U-23
- DFBポカール準優勝
- UEFAカップ準優勝
- スーペルコッパ・イタリアーナ
掲載写真は Wikidata API および Wikimedia Commons API を通じて、ライセンス(CC BY-SA / パブリックドメイン等)と作者表示の要件を確認したうえで掲載します。