「結局のところ、パフォーマンスが決めるものであり、そして代表監督が決める。」
出典:Goal.com 2026年10月22日
SOCCERPEDIA / 選手・監督ページ / ドイツのサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日
ルディ・フェラー(Rudi Völler、1960年4月13日生)は、ハーナウ出身の元サッカー選手。ポジションはFW、所属はドイツU-19代表。西ドイツ/ ドイツでは1982年から通算90試合47得点を記録している。クラブでは公式戦通算673試合318得点(1977-78 シーズン以降)。クラブ・代表で通算7個のタイトルを獲得、個人賞は11回(キッカー誌 ブンデスリーガ シーズンベストイレブン 4回)。
ルディ・フェラー(Rudi Völler, 1960年4月13日 - )は、ドイツ(旧西ドイツ)出身の元サッカー選手。キャリア通算では、375得点をあげた。現在はドイツ代表でスポーツディレクターを務める。
1977年、地元のクラブ・オッフェンバッハでキャリアをスタート。その後、1977年、17歳の時、2部のキッカーズ・オッフェンバッハでプロデビューを果たした。1980-81シーズン、1部の1860ミュンヘンへ移籍、この年9点をあげたが、チームは2部降格となった。1981-82シーズン、2部で37試合37得点で2部得点王のタイトルを獲得したが、チームは1部再昇格を果たせなかった。
1982-83シーズン、オットー・レーハーゲルが活躍に注目し、ヴェルダー・ブレーメンに移籍。奥寺康彦とチームメートとなった。このシーズンチームは、得失点差でハンブルガーに次いでリーグ2位、31試合23得点で得点王に輝くとともに、西ドイツ年間最優秀選手にも選出。キャリア最高のシーズンを過ごした。1985年11月23日のバイエルン戦でクラウス・アウゲンターラーから悪質なファールを受けて大怪我を負い、半年間の離脱を強いられた。複帰すると、それまでのスピードが失われた代わりに、ヘディングが上達するなど、怪我前とは別のタイプの選手となっていた。 チームはリーグ最終戦まで首位を走っていたが、最終節でバイエルンに得失点差で逆転され、優勝を逃した。1986-87シーズンまで在籍、174試合119得点の成績を残した。
1987-88シーズン、セリエA・ASローマに移籍、初年度は怪我で僅か5得点と、活躍出来なかった。1988-89シーズン以降は、3シーズン連続で二桁得点を決め、自身の価値を証明した。ファンたちからヴォラ・テデスコ(フライイングジャーマン)というニックネーを付けられ、ファンたちから愛された。1990-91シーズンのUEFAカップではラウンド16のボルドー戦、準々決勝のアンデルレヒト戦でそれぞれハットトリックを決めるなど、同シーズンの大会最多得点となる10ゴールを決め、チームの同大会の決勝進出に貢献(決勝ではインテルに敗れた。)、同シーズンのコッパ・イタリア決勝のサンプドリア戦では、第1戦、第2戦共にPKを決めて優勝を果たすなどチームに貢献した。1992-93シーズンからヴヤディン・ボシュコヴが監督に就任することになり、クラウディオ・カニーヒアの獲得が決まると、外国人枠の関係もあり、来期のスタメンを保証されない状態になることが解ると、チームを離れることを決めた。公式戦通算198試合68ゴールの成績を残した。2014年にチームの殿堂入りを果たした。
1992-93シーズンにはパパンの後釜としてマルセイユに移籍、リーグでは開幕戦となったトゥールーズ戦でのゴール、トゥーロン・ヴァール戦でのハットトリックを含め18ゴールを決め、リーグ優勝に貢献(後に取り消しされた。)更にUEFAチャンピオンズリーグではゴールこそ2ゴールであったが、6アシストを決めて決勝進出に貢献、決勝でACミランを破り優勝を果たした。同年にはヴェルディ川崎入りが決定したとの報道もあった。
1994-95からバイエル・レバークーゼンに移籍、ラストシーズンは32試合10ゴールの成績を残し、ブンデスリーガ1部では232試合132ゴール、2部では111試合55ゴールの成績を残した。
ドイツU-21代表としては、10得点を挙げた。また、1982年のUEFA U-21欧州選手権で決勝に進出した。
1982年11月17日にUEFA欧州選手権1984予選、北アイルランド戦でフル代表デビュー。1983年3月30日、同予選のアルバニア戦で初得点を記録した。1984年のUEFA欧州選手権1984ではルーマニア戦で2得点を決めた。
1986 FIFAワールドカップでは3ゴールを決め準優勝に貢献(準決勝のフランス戦で1ゴール、決勝のアルゼンチン戦では後半開始から出場し1ゴール1アシストを決めたが、2-3と敗れた。)、1988年のUEFA欧州選手権1988では、スペイン戦で2得点を決めた。
1990年ワールドカップイタリア大会ではグループリーグで3ゴールを決めるも、決勝トーナメント1回戦でオランダと対戦すると、この試合でオランダのフランク・ライカールトと諍いを起こし、退場処分となった。決勝のアルゼンチン戦ではPKを奪取、これをブレーメが決め1-0で勝利)。1992年、欧州選手権では、グループリーグ初戦のCIS戦で怪我を負い、チームから離脱した。
1994年ワールドカップアメリカ大会では直前に代表へ復帰し、ラウンド16のベルギー戦で2得点をあげて、準々決勝に進出したが、ブルガリアに敗れ、この試合が代表最後の試合となった。
指導者としては2000年からドイツ代表監督を務め、日韓W杯では準優勝をおさめたが、EURO2004でグループリーグ敗退と振るわず、その責任を取って辞任した。直後に古巣ASローマの監督に就任したものの、成績不振もあって開幕からわずか1ヶ月で辞任。その後はレバークーゼンに戻りスポーツディレクターに就任、2022年まで務めた。
2023年1月、ドイツ代表のスポーツディレクターに就任した。ドイツ代表監督のハンジ・フリックが2023年9月10日に解任されたことを受けて、同年9月12日のフランスとの国際親善試合で1試合限定の暫定監督を務めた。
一次情報の発言のみ収録。1回の会見につき主要な発言を最大3つ引用し、他は解説で要約しています。
「結局のところ、パフォーマンスが決めるものであり、そして代表監督が決める。」
出典:Goal.com 2026年10月22日
「彼がヘディングが上手いのは事実だ。ああいうゴールを決めるなら、もちろん検討してもいいだろう。」
「ユルゲン・クロップは、これからの数試合を見ているはずだ。」
出典:Goal.com 2026年10月19日
「ヘディングができるのは確かだ。あのようなゴールを決めるのなら、呼ばない理由はないだろう?」
「忘れてはいけない。話しているのは2年後の欧州選手権のことだ。」
出典:Goal.com 日本語版 2026年10月19日
「勝負になるのは11月だ。その時にユルゲンの絞り込まれたメンバーが分かる。」
「プロサッカーではそういうものだ。選ばれないこともあるし、それを受け入れて自分を証明しなければならない」
出典:GOAL 2026年9月29日
数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。
| クラブ | シーズン | 年齢 | ディビジョン | リーグ | 国内カップ1 | 大陸大会2 | その他3 | シーズン通算 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 1977-78 | 17 | 2.ブンデスリーガ | 6 | 1 | — | — | — | — | — | — | 6 | 1 | |
| 1978-79 | 18 | 2.ブンデスリーガ | 29 | 11 | 1 | 2 | — | — | — | — | 30 | 13 | |
| 1979-80 | 19 | 2.ブンデスリーガ | 38 | 7 | 5 | 2 | — | — | — | — | 43 | 9 | |
| 通算 | 73 | 19 | 6 | 4 | — | — | — | — | 79 | 23 | |||
| 1980-81 | 20 | ブンデスリーガ | 33 | 9 | 2 | 1 | — | — | — | — | 35 | 10 | |
| 1981-82 | 21 | 2.ブンデスリーガ | 37 | 37 | 2 | 2 | — | — | — | — | 39 | 39 | |
| 通算 | 70 | 46 | 4 | 3 | — | — | — | — | 74 | 49 | |||
| 1982-83 | 22 | ブンデスリーガ | 31 | 23 | 1 | 2 | 8 | 11 | — | — | 40 | 36 | |
| 1983-84 | 23 | ブンデスリーガ | 31 | 18 | 4 | 1 | 9 | 2 | — | — | 44 | 21 | |
| 1984-85 | 24 | ブンデスリーガ | 32 | 25 | 4 | 1 | 2 | 0 | — | — | 38 | 26 | |
| 1985-86 | 25 | ブンデスリーガ | 13 | 9 | 1 | 1 | 6 | 4 | — | — | 20 | 14 | |
| 1986-87 | 26 | ブンデスリーガ | 30 | 22 | 1 | 0 | 1 | 0 | — | — | 32 | 22 | |
| 通算 | 137 | 97 | 11 | 5 | 26 | 17 | — | — | 174 | 119 | |||
| 1987-88 | 27 | セリエA | 21 | 3 | 7 | 2 | — | — | — | — | 28 | 5 | |
| 1988-89 | 28 | セリエA | 29 | 10 | 7 | 3 | 6 | 2 | 1 | 0 | 43 | 15 | |
| 1989-90 | 29 | セリエA | 32 | 14 | 6 | 2 | — | — | — | — | 38 | 16 | |
| 1990-91 | 30 | セリエA | 30 | 11 | 10 | 4 | 12 | 10 | — | — | 52 | 25 | |
| 1991-92 | 31 | セリエA | 30 | 7 | 2 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 36 | 7 | |
| 通算 | 142 | 45 | 32 | 11 | 22 | 12 | 2 | 0 | 198 | 68 | |||
| 1992-93 | 32 | ディヴィジョン1 | 33 | 18 | 3 | 2 | 8 | 2 | — | — | 44 | 22 | |
| 1993-94 | 33 | ディヴィジョン1 | 25 | 6 | 4 | 0 | — | — | — | — | 29 | 6 | |
| 通算 | 58 | 24 | 7 | 2 | 8 | 2 | — | — | 73 | 28 | |||
| バイヤー・レバークーゼン | 1994-95 | 34 | ブンデスリーガ | 30 | 16 | 1 | 0 | 3 | 0 | — | — | 34 | 16 |
| 1995-96 | 35 | ブンデスリーガ | 32 | 10 | 5 | 2 | 4 | 3 | — | — | 41 | 15 | |
| 通算 | 62 | 26 | 6 | 2 | 7 | 3 | — | — | 75 | 31 | |||
| キャリア通算 | 542 | 257 | 66 | 27 | 63 | 34 | 2 | 0 | 673 | 318 | |||
1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 3. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
西ドイツ/ ドイツ としての年別成績です。親善試合を含みます。
| 年 | 年齢 | 出場 | 得点 | 得点グラフ |
|---|---|---|---|---|
| 1982 | 21 | 1 | 0 | |
| 1983 | 22 | 10 | 7 | |
| 1984 | 23 | 10 | 4 | |
| 1985 | 24 | 8 | 4 | |
| 1986 | 25 | 10 | 7 | |
| 1987 | 26 | 6 | 3 | |
| 1988 | 27 | 10 | 4 | |
| 1989 | 28 | 5 | 3 | |
| 1990 | 29 | 13 | 8 | |
| 1991 | 30 | 6 | 2 | |
| 1992 | 31 | 6 | 2 | |
| 1993 | 32 | 0 | 0 | |
| 1994 | 33 | 5 | 3 | |
| 通算 | 90 | 47 | ||
年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1379277320)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。
| 在任期間 | 年齢 | チーム | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2000.07〜2004.06 | 40 | 53 | 29 | 11 | 13 | 54.7% | |
| 2000.10〜2000.11 | 40 | 12 | 7 | 3 | 2 | 58.3% | |
| 2004.08〜2004.09 | 44 | 6 | 1 | 1 | 4 | 16.7% | |
| 2005.09〜2005.10 | 45 | 5 | 2 | 1 | 2 | 40.0% | |
| 2023.09〜2023.09 | 63 | 1 | 1 | 0 | 0 | 100.0% | |
| 通算 | 77 | 40 | 16 | 21 | 51.9% | ||
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1966〜1975 | 5 | TSV 1860ハーナウ |
| 1975〜1977 | 14 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1977〜1980 | 16 | |
| 1980〜1982 | 19 | |
| 1982〜1987 | 21 | |
| 1987〜1992 | 26 | |
| 1992〜1994 | 31 | |
| 1994〜1996 | 33 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1979〜1982 | 18 | |
| 1980 | 19 | |
| 1982〜1994 | 21 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
| 在任 | 年齢 | チーム | 役職 |
|---|---|---|---|
| 2000〜2004 | 39 | 監督 | |
| 2004〜2004 | 43 | 監督 | |
| 2005〜2005 | 44 | 監督 | |
| 2005〜2022 | 44 | 監督 | |
| 2023〜 | 62 | 監督 |
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1980 | 19 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 1982 | 21 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 1987 | 26 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 1992 | 31 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 1994 | 33 | バイヤー・レバークーゼン | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
英語の記録名しか確認できないもの(7件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
代表チームで獲得したメダルです(金1・銀1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。
| FIFAワールドカップ | 金 1990 イタリア銀 1986 メキシコ |
|---|
出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「ルディ・フェラー」(版 110759889)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
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