概要
オットー・レーハーゲル(Otto Rehhagel、1938年8月9日生)は、ドイツ出身のサッカー監督。これまでに10クラブ・1の代表を指揮した。Wikidata に登録されている受賞は2種・2件。登録漏れがあるため実際の受賞回数より少ない場合がある。
オットー・レーハーゲル(Otto Rehhagel、1938年8月9日 - )は、ドイツのサッカー指導者、元サッカー選手。
クラブ経歴
経歴
ドイツ西部ノルトライン=ヴェストファーレン州の工業都市エッセンで生まれる。第二次世界大戦後に父親を亡くしギムナジウム卒業後はペンキ職人見習いを務めていた。一方で地元のサッカークラブのTuSヘレネ・アルテネッセンやロートヴァイス・エッセンでディフェンダーとしてプレーを続け、1960年には西ドイツ五輪代表に選出され、一定の評価を得た。1963年にブンデスリーガが創設されるとヘルタ・ベルリンとプロ契約を結びレギュラーとして活躍。1965年にカイザースラウテルンに移籍した後、膝の怪我のため1972年に現役を引退した。ブンデスリーガ通算201試合に出場22得点を記録した。
選手キャリアの晩年に差し掛かった頃から指導者を目指してドイツ体育大学ケルンサッカー指導者養成コースで学び1970年にライセンスを取得。1974-75シーズンにキッカーズ・オッフェンバッハの監督に就任したのを皮切りに監督として数クラブの指揮を執ったが、ボルシア・ドルトムント時代の1977-78シーズンのボルシア・メンヒェングラートバッハ戦では0-12と大敗を喫するなど多くの結果を残す事は出来ずにいた。
1981年にヴェルダー・ブレーメンの監督に就任。有能な若手選手やベテラン選手を集めて常に優勝を争えるチームへと育て上げた。1995年に監督を退任するまでの14シーズンの長きに渡って指揮を執り、ブンデスリーガ優勝2回(1987-88シーズン、1994-95シーズン)、UEFAカップウィナーズカップ優勝1回(1991-92シーズン)を成し遂げるなど監督としての評価を高めていった。
ブレーメンで成功を収めたレーハーゲルは1995年にバイエルン・ミュンヘンの監督に就任したが、レーハーゲルの志向する「個人がチームの為に戦う」スタイルは、ローター・マテウスやユルゲン・クリンスマンらのスター選手を数多く擁するバイエルンでは発揮できず、UEFAカップ決勝直前にクラブ首脳陣との対立もあって監督を退任した。
1996年、1.FCカイザースラウテルンの監督に就任。当時2部リーグに降格していたチームを1部に復帰させると1997-98シーズンにはブンデスリーガ2部から昇格したばかりのクラブを優勝させるという離れ業もなし遂げるなど、2000年まで指揮を執った。レーハーゲルは選手と監督を通じて唯一ブンデスリーガにおいて1,000試合以上に携わっており、通算387勝205分228敗はいずれも最多記録である。
2001年よりギリシャ代表監督に就任。UEFA欧州選手権2004予選では初戦のスペイン戦と第2戦のウクライナ戦で連敗する苦しいスタートとなったが、ここから6連勝して予選を突破し1980年大会以来となる本大会出場を果たした。
2004年の本大会前も下馬評は低かったが代表チームをまとめ上げ、マンツーマンディフェンスと後方にスイーパーを置く堅固な守備からのカウンター攻撃で開催国のポルトガルや前回優勝国のフランスといった強豪国を次々と破り同国を初優勝に導いた。この手腕は評価され、ドイツサッカー連盟(DFB)から年俸250万ユーロでドイツ代表監督就任を打診され、副会長のフランツ・ベッケンバウアーが直接説得にあたったが、「3年間かけて欧州王者に育てたチームを離れるわけにはいかない」と、この申し出を断った。
その後は2006 FIFAワールドカップへの出場やUEFA欧州選手権2008の連覇は逃したが、2010 FIFAワールドカップ欧州予選ではプレーオフの末に3度目の本大会出場を果たした。
2010 FIFAワールドカップでは71歳10ヶ月でチームの指揮をとったが、これは全32チーム中最年長であった。2010年6月17日に行われたグループリーグ第2戦のナイジェリア戦でギリシャワールドカップ初勝利をもたらすと共に、ワールドカップで勝利を上げた最高齢監督にもなった。しかし1勝2敗勝ち点3の成績でグループリーグ敗退が決まると、監督を辞任した 。ギリシャ代表監督としての通算成績は106試合で53勝23分け30敗。
2012年2月19日にブンデスリーガのヘルタ・ベルリンの監督にシーズン限りの契約で就任した。チームは入れ替え戦に廻り敗れたため、契約通り退任することとなった。
監督成績
在任別・通算
英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1378155826)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。
| 在任期間 | 年齢 | チーム | 試合 | 勝 | 分 | 敗 | 勝率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1972.07〜1973.06 | 33 | 30 | 7 | 10 | 13 | 23.3% | |
| 1974.04〜1975.12 | 35 | 60 | 23 | 10 | 27 | 38.3% | |
| 1976.02〜1976.06 | 37 | 13 | 4 | 5 | 4 | 30.8% | |
| 1976.07〜1978.04 | 37 | 74 | 29 | 16 | 29 | 39.2% | |
| 1978.10〜1979.10 | 40 | 37 | 15 | 9 | 13 | 40.5% | |
| 1979.10〜1980.12 | 41 | 53 | 26 | 9 | 18 | 49.1% | |
| 1981.04〜1995.06 | 42 | 609 | 322 | 156 | 131 | 52.9% | |
| 1995.07〜1996.04 | 56 | 42 | 27 | 5 | 10 | 64.3% | |
| 1996.07〜2000.10 | 57 | 174 | 87 | 38 | 49 | 50.0% | |
| 2001.08〜2010.06 | 62 | 106 | 52 | 22 | 32 | 49.1% | |
| 2012.02〜2012.06 | 73 | 14 | 3 | 3 | 8 | 21.4% | |
| 通算 | 1225 | 606 | 278 | 341 | 49.5% | ||
所属チーム
ユース(選手時代)
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1948〜1957 | 9 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
クラブ(選手時代)
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1957〜1960 | 18 | |
| 1960〜1963 | 21 | |
| 1963〜1965 | 24 | |
| 1965〜1972 | 26 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
代表(選手時代)
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1960 | 21 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
監督
| 在任 | 年齢 | チーム | 役職 |
|---|---|---|---|
| 1972〜1972 | 33 | FVロッケンハウゼン* | 監督 |
| 1972〜1973 | 33 | 監督 | |
| 1974〜1975 | 35 | 監督 | |
| 1976〜1976 | 37 | 監督 | |
| 1976〜1978 | 37 | 監督 | |
| 1978〜1979 | 39 | 監督 | |
| 1979〜1980 | 40 | 監督 | |
| 1981〜1995 | 42 | 監督 | |
| 1995〜1996 | 56 | 監督 | |
| 1996〜2000 | 57 | 監督 | |
| 2001〜2010 | 62 | 監督 | |
| 2012〜2012 | 73 | 監督 |
移籍金・年俸・市場価値の推移
移籍履歴
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1960 | 21 | ロート・ヴァイス・エッセン* | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | |
| 1963 | 24 | ロート・ヴァイス・エッセン* | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | |
| 1965 | 26 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
タイトル
Wikidata に登録されている受賞を、受賞年とともにまとめています。当サイトが独自に集計した数ではなく、登録されている分の件数です(登録漏れがあるため、実際の受賞回数より少ない場合があります)。
- ドイツ連邦共和国功労勲章一等功労十字章:1回(2005)
- ノルトライン=ヴェストファーレン州の功労勲章:1回(2018)
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「オットー・レーハーゲル」(版 110160605)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
出典
- Wikidata、2026年10月26日 取得 https://www.wikidata.org/
- Wikipedia(日本語版)「オットー・レーハーゲル」、版 ID 110160605、2026年10月11日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%AB
- Wikipedia(英語版)、版 ID 1378155826、2026年10月11日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Otto_Rehhagel
※ 出典は媒体名・日付・URL を文字で記載しています(外部サイトへのリンクは行いません)。出典が確認できない数値はページに載せません。
関連項目
- TuSヘレーネ・アルテネッセン*
- ロートヴァイス・エッセン
- ヘルタ・ベルリン
- 1.FCカイザースラウテルン
- FVロッケンハウゼン*
- 1.FCザールブリュッケン
- キッカーズ・オッフェンバッハ
- ブレーメン
- ドルトムント
- アルミニア・ビーレフェルト
- フォルトゥナ・デュッセルドルフ
- バイエルン・ミュンヘン
- ギリシャ代表
掲載写真は Wikidata API および Wikimedia Commons API を通じて、ライセンス(CC BY-SA / パブリックドメイン等)と作者表示の要件を確認したうえで掲載します。