概要
マリオ・ケンペス(Mario Kempes、1954年7月15日生)は、ベル・ビジェ出身の元サッカー選手。ポジションはFW。アルゼンチンでは1973年から通算43試合20得点を記録している。クラブでは公式戦通算638試合347得点(1973 シーズン以降)。クラブ・代表で通算8個のタイトルを獲得、個人賞は18回(アルゼンチン・プリメーラ・ディビシオン 得点王 2回、ピチーチ賞 2回)。
マリオ・アルベルト・ケンペス(Mario Alberto Kempes, 1954年7月15日 - )は、アルゼンチン・コルドバ州出身の元サッカー選手、サッカー指導者。元アルゼンチン代表。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。トップ下(シャドー)やインサイドハーフの位置で起用された場合もストライカーや点取り屋としてプレーしていた。
クラブ経歴
選手時代 ― クラブ
父親のマリオもサッカー選手であった。7歳の時にジュニアチームでサッカーを始め、14歳の時に地元のタジェレス・デ・コルドバの下部組織に加わった。1971年、インスティトゥートACコルドバからデビューし、オズワルド・アルディレスなどとともにプレー。1974年にCAロサリオ・セントラルに移籍し、同年にはプリメーラ・ディビシオンで25得点を挙げて得点王に輝いた。セントラルでは105試合で85得点を記録して傑出したゴールスコアラーとしての地位を確立した。
1976年にリーガ・エスパニョーラのバレンシアCFに移籍し、1976-77シーズン(24得点)と1977-78シーズン(28得点)には2シーズン連続でピチーチ賞(得点王)のタイトルを獲得した。スペインでの活躍や1978 FIFAワールドカップでの活躍などから、1978年にはベネズエラのエル・ムンド誌が選出する南米年間最優秀選手賞を受賞した。1978-79シーズンにはコパ・デル・レイで優勝し、1979-80シーズンにはUEFAカップウィナーズカップで優勝。1980年にはUEFAチャンピオンズカップ王者のノッティンガム・フォレストFC(イングランド)を破ってUEFAスーパーカップのタイトルも獲得した。
1981年には母国のCAリーベル・プレートに移籍したが、再びスペインに戻ってバレンシアとエルクレスCFでプレー。30代となってからはオーストリアン・ブンデスリーガのクラブに在籍した。1992年にいったん現役引退したが、1995年に現役復帰して1996年までプレーした。
その後
1999年にはワールドサッカー誌によって20世紀の偉大なサッカー選手100人の73位に選出された。2004年3月にはペレによってFIFA 100に選出された。現在はスペインのESPN Deportesでサッカー解説者やコメンテーターとして活動している。テレビゲームのFIFA 13・南米版ではフェルナンド・パローモやシーロ・プロクーナとともに推薦文を書いている。またバロンドールが60周年を迎えた2016年、フランス・フットボールはヨーロッパの選手だけが受賞資格のあった1995年度以前の賞の再評価を発表した。この期間中の39回のバロンドールのうち12回は南米の選手に授与されたはずだとして、ペレ、ディエゴ・マラドーナ、ガリンシャ、ロマーリオと共に遡及的に受賞価値のある選手として認められた。 ただし、元の受賞者は変更されなかった。
72歳となったケンペスは2026年7月19日、アメリカ合衆国・ニューヨーク都市圏のメットライフ・スタジアムで開催された2026 FIFAワールドカップ・決勝に出席した。キックオフ前のFIFAワールドカップトロフィーのお披露目の場面で元スペイン代表のアンドレス・イニエスタと共に登場し、大観衆の前でトロフィーを掲げた。この試合の全米視聴者数はスーパーボウルを除く21世紀のスポーツ中継として最多を記録し、歴代のワールドシリーズやNBAファイナルを大きく上回った。また収容人数8万人以上の巨大スタジアムが満員となる一方、平均チケット価格は1万2751ドル(約206万円)に跳ね上がり、2024年のスーパーボウルを上回るスポーツ史上最も高額な試合にもなっている。
代表経歴
選手時代 ― 代表
アルゼンチン代表としては43試合に出場して20得点し、1974 FIFAワールドカップ、1978 FIFAワールドカップ、1982 FIFAワールドカップの3回のFIFAワールドカップに出場した。
1973年9月23日、ボリビア戦でアルゼンチン代表デビュー。20歳だった1974年には西ドイツで開催された1974 FIFAワールドカップに出場したが、6試合出場無得点であった。
1978年にはセサル・ルイス・メノッティ監督によって母国開催の1978 FIFAワールドカップのメンバーに選出されたが、アルゼンチン国外でプレーする選手はケンペス(スペインのバレンシア所属)ただひとりであった。メノッティ監督は、メンバー発表の際にケンペスを「彼は屈強で、技術があり、スペースを作るのが巧みで、強烈なシュートを放てる。違いを生み出せる選手であり、センターフォワードのポジションでプレーできる」と表現した。
イタリア、フランス、ハンガリーと同組となった1次リーグでは無得点に終わったが、ブラジル、ポーランド、ペルーと同組となった2次リーグでは、ポーランド戦とペルー戦でそれぞれ2得点し、首位で決勝に進出。ポーランド戦では手を使って失点を阻止し、ポーランドにPKが与えられたが、ウバルド・フィジョールがPKをセーブして失点を免れた。
決勝のオランダ戦 (3-1) は前半に先制点を挙げ、試合は延長にもつれ込んだが、105分に持ち前のドリブルから決めた得点が決勝点となった。この大会では6得点を挙げて得点王と大会最優秀選手賞を受賞し、アルゼンチンの初優勝に大きく貢献した。
1982年にスペインで開催された1982 FIFAワールドカップでは5試合に出場したが、大会後は代表に選出されることもなくなった。
監督経歴
指導者時代
1993年には、古巣バレンシアCFでエクトル・ヌニェス監督のアシスタントコーチを務め、1996年にはリーガ・インドネシアので選手兼任監督を務めた。初めて常勤の監督に就任したのはアルバニア・サッカーリーグのSKルシューナである。短期間の采配期間ではあったが、アルバニアのサッカー史上初の外国人監督となったほか、アルバニアで初めて外国人選手と契約した監督となり、先駆者として名を残した。
1997年にはベネズエラの監督に就任。1999年にはボリビアのザ・ストロンゲストの監督となり、2000年には同じボリビアのクルブ・ブルーミングの指揮を執った。
個人成績
数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。
クラブ
| クラブ | シーズン | 年齢 | ディビジョン | リーグ | 国内カップ1 | 大陸大会2 | その他3 | シーズン通算 | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
| 1973 | 18 | プリメーラ・ディビシオン | 13 | 11 | — | — | — | — | — | — | 13 | 11 | |
| 1974 | 19 | プリメーラ・ディビシオン | 36 | 30 | — | — | 7 | 3 | — | — | 43 | 33 | |
| 1975 | 20 | プリメーラ・ディビシオン | 49 | 38 | — | — | 9 | 5 | — | — | 58 | 43 | |
| 1976 | 21 | プリメーラ・ディビシオン | 22 | 21 | — | — | — | — | — | — | 22 | 21 | |
| 通算 | 107 | 89 | — | — | 16 | 8 | — | — | 123 | 97 | |||
| 1976-77 | 22 | ラ・リーガ | 34 | 24 | 0 | 0 | — | — | — | — | 34 | 24 | |
| 1977-78 | 23 | ラ・リーガ | 34 | 28 | 12 | 11 | — | — | — | — | 46 | 39 | |
| 1978-79 | 24 | ラ・リーガ | 30 | 15 | 10 | 3 | 6 | 3 | — | — | 46 | 21 | |
| 1979-80 | 25 | ラ・リーガ | 32 | 22 | 2 | 2 | 9 | 9 | — | — | 43 | 33 | |
| 1980-81 | 26 | ラ・リーガ | 12 | 9 | 1 | 0 | 5 | 2 | — | — | 18 | 11 | |
| 通算 | 142 | 95 | 25 | 16 | 20 | 14 | — | — | 187 | 125 | |||
| 1981 | 26 | プリメーラ・ディビシオン | 29 | 15 | — | — | 4 | 1 | — | — | 33 | 16 | |
| 1982 | 27 | プリメーラ・ディビシオン | 0 | 0 | — | — | — | — | — | — | 0 | 0 | |
| 通算 | 29 | 15 | — | — | 4 | 1 | — | — | 33 | 16 | |||
| 1982-83 | 28 | ラ・リーガ | 27 | 13 | 1 | 0 | 8 | 0 | 2 | 0 | 38 | 13 | |
| 1983-84 | 29 | ラ・リーガ | 15 | 8 | 4 | 3 | 0 | 0 | 2 | 0 | 21 | 11 | |
| 通算 | 42 | 21 | 5 | 3 | 8 | 0 | 4 | 0 | 59 | 24 | |||
| 1984-85 | 30 | ラ・リーガ | 17 | 1 | 2 | 0 | — | — | — | — | 19 | 1 | |
| 1985-86 | 31 | ラ・リーガ | 21 | 9 | 2 | 1 | — | — | — | — | 23 | 10 | |
| 通算 | 38 | 10 | 4 | 1 | — | — | — | — | 42 | 11 | |||
| 1986-87 | 32 | オーストリア・ブンデスリーガ | 20 | 7 | — | — | — | — | — | — | 20 | 7 | |
| ザンクト・ペルテン | 1987-88 | 33 | オーストリア・ファーストリーグ* | 32 | 10 | — | — | — | — | — | — | 32 | 10 |
| 1988-89 | 34 | オーストリア・ブンデスリーガ | 29 | 9 | — | — | — | — | — | — | 29 | 9 | |
| 1989-90 | 35 | オーストリア・ブンデスリーガ | 35 | 15 | — | — | — | — | — | — | 35 | 15 | |
| 通算 | 96 | 34 | — | — | — | — | — | — | 96 | 34 | |||
| クレムザー | 1990-91 | 36 | オーストリア・ブンデスリーガ | 21 | 5 | — | — | — | — | — | — | 21 | 5 |
| 1991-92 | 37 | オーストリア・ブンデスリーガ | 18 | 2 | — | — | — | — | — | — | 18 | 2 | |
| 通算 | 39 | 7 | — | — | — | — | — | — | 39 | 7 | |||
| フェルナンデス・ビアル | 1995 | 40 | プリメーラB* | 11 | 5 | — | — | — | — | — | — | 11 | 5 |
| 1996 | 41 | リーガ・インドネシア* | 15 | 10 | — | — | — | — | — | — | 15 | 10 | |
| キャリア通算 | 552 | 304 | 34 | 20 | 48 | 23 | 4 | 0 | 638 | 347 | |||
1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 3. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
代表
アルゼンチン としての年別成績です。親善試合を含みます。
| 年 | 年齢 | 出場 | 得点 | 得点グラフ |
|---|---|---|---|---|
| 1973 | 18 | 1 | 0 | |
| 1974 | 19 | 10 | 4 | |
| 1975 | 20 | 4 | 3 | |
| 1976 | 21 | 9 | 7 | |
| 1977 | 22 | 0 | 0 | |
| 1978 | 23 | 7 | 6 | |
| 1979 | 24 | 0 | 0 | |
| 1980 | 25 | 0 | 0 | |
| 1981 | 26 | 3 | 0 | |
| 1982 | 27 | 9 | 0 | |
| 通算 | 43 | 20 | ||
年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。
所属チーム
ユース
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| — | — |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
クラブ
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1970〜1973 | 15 | |
| 1974〜1976 | 19 | |
| 1977〜1981 | 22 | |
| 1981〜1982 | 26 | |
| 1982〜1984 | 27 | |
| 1984〜1986 | 29 | |
| 1986〜1987 | 31 | |
| 1987〜1990 | 32 | ザンクト・ペルテン |
| 1990〜1992 | 35 | |
| 1995 | 40 | |
| 1999 | 44 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
代表
| 期間 | 年齢 | チーム |
|---|---|---|
| 1973〜1982 | 18 |
「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。
監督
| 在任 | 年齢 | チーム | 役職 |
|---|---|---|---|
| 1996〜1996 | 41 | 監督 | |
| 1996〜1996 | 41 | 監督 | |
| 1997〜1998 | 42 | 監督 | |
| 1999〜1999 | 44 | 監督 | |
| 2000〜2000 | 45 | 監督 | |
| 2000〜2001 | 45 | 監督 | |
| 2001〜2002 | 46 | 監督 | |
| 2002〜2002 | 47 | 監督 |
移籍金・年俸・市場価値の推移
移籍履歴
掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。
| 時期 | 年齢 | 移籍元 | 移籍先 | 形態 | 移籍金 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1974 | 19 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 1977 | 22 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 1981 | 26 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 1982 | 27 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 1984 | 29 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 1986 | 31 | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | ||
| 1987 | 32 | ザンクト・ペルテン | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 | |
| 1990 | 35 | ザンクト・ペルテン | クレムザー | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
| 1995 | 40 | クレムザー | フェルナンデス・ビアル | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
| 1999 | 44 | フェルナンデス・ビアル | ペリタ・ジャヤ | 移籍 | — | 形態・移籍金は未確認 |
※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。
出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認
タイトル
クラブ
ロサリオ・セントラル
- プリメーラ・ディビシオン準優勝:2回(1974, 1976)
バレンシア
- コパ・デル・レイ:1回(1978-79)
- UEFAカップウィナーズカップ:1回(1979-80)
- UEFAスーパーカップ:1回(1980)
リーベル・プレート
- プリメーラ・ディビシオン:1回(1981)
代表
アルゼンチン代表
- FIFAワールドカップ:1回(1978)
個人
- アルゼンチン・プリメーラ・ディビシオン 得点王:2回(1974, 1976)
- ピチーチ賞:2回(1977, 1978)
- FIFAワールドカップ ゴールデンブーツ:1回(1978)
- FIFAワールドカップ ゴールデンボール:1回(1978)
- バロンドール:1回(1978)
- オンズドール:1回(1978)
- FIFA 100(偉大な選手100人):1回(2004)
- ゴールデンフット賞:1回(2007)
英語の記録名しか確認できないもの(9件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。
獲得メダル
代表チームで獲得したメダルです(金1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。
| FIFAワールドカップ | 金 1978 アルゼンチン |
|---|
出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。
本文の一部は、ウィキペディア日本語版「マリオ・ケンペス」(版 110430683)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。
出典
- RSSSF、2026年9月13日 取得 https://rsssf.org/miscellaneous/onze-awards.html
- Wikidata、2026年10月26日 取得 https://www.wikidata.org/
- Wikipedia(日本語版)「マリオ・ケンペス」、版 ID 110430683、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%82%B9
- Wikipedia(英語版)、版 ID 1370299198、2026年10月14日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Mario_Kempes
※ 出典は媒体名・日付・URL を文字で記載しています(外部サイトへのリンクは行いません)。出典が確認できない数値はページに載せません。
関連項目
- インスティトゥート
- ロサリオ・セントラル
- バレンシア
- リーベル・プレート
- エルクレス
- ファースト・ヴィエナ
- ザンクト・ペルテン
- クレムザー
- フェルナンデス・ビアル
- マドゥラ・ユナイテッドFC
- ペリタ・ジャヤ
- ルシュニャ
- ミネロス・デ・グアヤナ
- ザ・ストロンゲスト
- ブルーミング
- インデペンディエンテ・ペトロレロ
- カザラーノ・カルチョ
- CDサン・フェルナンド
- アルゼンチン
- プリメーラ・ディビシオン準優勝
掲載写真は Wikidata API および Wikimedia Commons API を通じて、ライセンス(CC BY-SA / パブリックドメイン等)と作者表示の要件を確認したうえで掲載します。