マリオ・ケンペス

SOCCERPEDIA / 選手・監督ページ / アルゼンチンのサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日


概要

アルゼンチンマリオ・ケンペス(Mario Kempes、1954年7月15日生)は、ベル・ビジェ出身の元サッカー選手。ポジションはFW。アルゼンチンでは1973年から通算43試合20得点を記録している。クラブでは公式戦通算638試合347得点(1973 シーズン以降)。クラブ・代表で通算8個のタイトルを獲得、個人賞は18回(アルゼンチン・プリメーラ・ディビシオン 得点王 2回、ピチーチ賞 2回)。

マリオ・アルベルト・ケンペス(Mario Alberto Kempes, 1954年7月15日 - )は、アルゼンチン・コルドバ州出身の元サッカー選手、サッカー指導者。元アルゼンチン代表。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。トップ下(シャドー)やインサイドハーフの位置で起用された場合もストライカーや点取り屋としてプレーしていた。

クラブ経歴

選手時代 ― クラブ

父親のマリオもサッカー選手であった。7歳の時にジュニアチームでサッカーを始め、14歳の時に地元のタジェレス・デ・コルドバの下部組織に加わった。1971年、インスティトゥートACコルドバからデビューし、オズワルド・アルディレスなどとともにプレー。1974年にCAロサリオ・セントラルに移籍し、同年にはプリメーラ・ディビシオンで25得点を挙げて得点王に輝いた。セントラルでは105試合で85得点を記録して傑出したゴールスコアラーとしての地位を確立した。

1976年にリーガ・エスパニョーラのバレンシアCFに移籍し、1976-77シーズン(24得点)と1977-78シーズン(28得点)には2シーズン連続でピチーチ賞(得点王)のタイトルを獲得した。スペインでの活躍や1978 FIFAワールドカップでの活躍などから、1978年にはベネズエラのエル・ムンド誌が選出する南米年間最優秀選手賞を受賞した。1978-79シーズンにはコパ・デル・レイで優勝し、1979-80シーズンにはUEFAカップウィナーズカップで優勝。1980年にはUEFAチャンピオンズカップ王者のノッティンガム・フォレストFC(イングランド)を破ってUEFAスーパーカップのタイトルも獲得した。

1981年には母国のCAリーベル・プレートに移籍したが、再びスペインに戻ってバレンシアとエルクレスCFでプレー。30代となってからはオーストリアン・ブンデスリーガのクラブに在籍した。1992年にいったん現役引退したが、1995年に現役復帰して1996年までプレーした。

その後

1999年にはワールドサッカー誌によって20世紀の偉大なサッカー選手100人の73位に選出された。2004年3月にはペレによってFIFA 100に選出された。現在はスペインのESPN Deportesでサッカー解説者やコメンテーターとして活動している。テレビゲームのFIFA 13・南米版ではフェルナンド・パローモやシーロ・プロクーナとともに推薦文を書いている。またバロンドールが60周年を迎えた2016年、フランス・フットボールはヨーロッパの選手だけが受賞資格のあった1995年度以前の賞の再評価を発表した。この期間中の39回のバロンドールのうち12回は南米の選手に授与されたはずだとして、ペレ、ディエゴ・マラドーナ、ガリンシャ、ロマーリオと共に遡及的に受賞価値のある選手として認められた。 ただし、元の受賞者は変更されなかった。

72歳となったケンペスは2026年7月19日、アメリカ合衆国・ニューヨーク都市圏のメットライフ・スタジアムで開催された2026 FIFAワールドカップ・決勝に出席した。キックオフ前のFIFAワールドカップトロフィーのお披露目の場面で元スペイン代表のアンドレス・イニエスタと共に登場し、大観衆の前でトロフィーを掲げた。この試合の全米視聴者数はスーパーボウルを除く21世紀のスポーツ中継として最多を記録し、歴代のワールドシリーズやNBAファイナルを大きく上回った。また収容人数8万人以上の巨大スタジアムが満員となる一方、平均チケット価格は1万2751ドル(約206万円)に跳ね上がり、2024年のスーパーボウルを上回るスポーツ史上最も高額な試合にもなっている。

代表経歴

選手時代 ― 代表

アルゼンチン代表としては43試合に出場して20得点し、1974 FIFAワールドカップ、1978 FIFAワールドカップ、1982 FIFAワールドカップの3回のFIFAワールドカップに出場した。

1973年9月23日、ボリビア戦でアルゼンチン代表デビュー。20歳だった1974年には西ドイツで開催された1974 FIFAワールドカップに出場したが、6試合出場無得点であった。

1978年にはセサル・ルイス・メノッティ監督によって母国開催の1978 FIFAワールドカップのメンバーに選出されたが、アルゼンチン国外でプレーする選手はケンペス(スペインのバレンシア所属)ただひとりであった。メノッティ監督は、メンバー発表の際にケンペスを「彼は屈強で、技術があり、スペースを作るのが巧みで、強烈なシュートを放てる。違いを生み出せる選手であり、センターフォワードのポジションでプレーできる」と表現した。

イタリア、フランス、ハンガリーと同組となった1次リーグでは無得点に終わったが、ブラジル、ポーランド、ペルーと同組となった2次リーグでは、ポーランド戦とペルー戦でそれぞれ2得点し、首位で決勝に進出。ポーランド戦では手を使って失点を阻止し、ポーランドにPKが与えられたが、ウバルド・フィジョールがPKをセーブして失点を免れた。

決勝のオランダ戦 (3-1) は前半に先制点を挙げ、試合は延長にもつれ込んだが、105分に持ち前のドリブルから決めた得点が決勝点となった。この大会では6得点を挙げて得点王と大会最優秀選手賞を受賞し、アルゼンチンの初優勝に大きく貢献した。

1982年にスペインで開催された1982 FIFAワールドカップでは5試合に出場したが、大会後は代表に選出されることもなくなった。

監督経歴

指導者時代

1993年には、古巣バレンシアCFでエクトル・ヌニェス監督のアシスタントコーチを務め、1996年にはリーガ・インドネシアので選手兼任監督を務めた。初めて常勤の監督に就任したのはアルバニア・サッカーリーグのSKルシューナである。短期間の采配期間ではあったが、アルバニアのサッカー史上初の外国人監督となったほか、アルバニアで初めて外国人選手と契約した監督となり、先駆者として名を残した。

1997年にはベネズエラの監督に就任。1999年にはボリビアのザ・ストロンゲストの監督となり、2000年には同じボリビアのクルブ・ブルーミングの指揮を執った。

個人成績

数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。

クラブ

クラブシーズン年齢ディビジョンリーグ国内カップ1大陸大会2その他3シーズン通算
出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点
アルゼンチンインスティトゥート197318プリメーラ・ディビシオン1311——————1311
アルゼンチンロサリオ・セントラル197419プリメーラ・ディビシオン3630——73——4333
197520プリメーラ・ディビシオン4938——95——5843
197621プリメーラ・ディビシオン2221——————2221
通算10789——168——12397
スペインバレンシア1976-7722ラ・リーガ342400————3424
1977-7823ラ・リーガ34281211————4639
1978-7924ラ・リーガ301510363——4621
1979-8025ラ・リーガ32222299——4333
1980-8126ラ・リーガ1291052——1811
通算1429525162014——187125
アルゼンチンリーベル・プレート198126プリメーラ・ディビシオン2915——41——3316
198227プリメーラ・ディビシオン00——————00
通算2915——41——3316
スペインバレンシア1982-8328ラ・リーガ27131080203813
1983-8429ラ・リーガ1584300202111
通算42215380405924
スペインエルクレス1984-8530ラ・リーガ17120————191
1985-8631ラ・リーガ21921————2310
通算381041————4211
オーストリアファースト・ヴィエナ1986-8732オーストリア・ブンデスリーガ207——————207
ザンクト・ペルテン1987-8833オーストリア・ファーストリーグ*3210——————3210
1988-8934オーストリア・ブンデスリーガ299——————299
1989-9035オーストリア・ブンデスリーガ3515——————3515
通算9634——————9634
クレムザー1990-9136オーストリア・ブンデスリーガ215——————215
1991-9237オーストリア・ブンデスリーガ182——————182
通算397——————397
フェルナンデス・ビアル199540プリメーラB*115——————115
インドネシアマドゥラ・ユナイテッドFC199641リーガ・インドネシア*1510——————1510
キャリア通算5523043420482340638347

1. 国内カップ戦(コパ・デル・レイ、FAカップ、天皇杯など) 2. 大陸大会(UEFAチャンピオンズリーグ、AFCチャンピオンズリーグなど) 3. 国内スーパーカップ・国際大会・プレーオフなど(UEFAスーパーカップ、FIFAクラブワールドカップ、リーグスカップ等) 年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

代表

アルゼンチン としての年別成績です。親善試合を含みます。

年年齢出場得点得点グラフ
19731810
197419104
19752043
19762197
19772200
19782376
19792400
19802500
19812630
19822790
通算4320

年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

所属チーム

ユース

期間年齢チーム
——アルゼンチンインスティトゥート

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

クラブ

期間年齢チーム
1970〜197315アルゼンチンインスティトゥート
1974〜197619アルゼンチンロサリオ・セントラル
1977〜198122スペインバレンシア
1981〜198226アルゼンチンリーベル・プレート
1982〜198427スペインバレンシア
1984〜198629スペインエルクレス
1986〜198731オーストリアファースト・ヴィエナ
1987〜199032ザンクト・ペルテン
1990〜199235オーストリアクレムザー
199540チリフェルナンデス・ビアル
199944インドネシアペリタ・ジャヤ

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

代表

期間年齢チーム
1973〜198218アルゼンチンアルゼンチン

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

監督

在任年齢チーム役職
1996〜199641インドネシアペリタ・ジャヤ監督
1996〜199641アルバニアルシュニャ監督
1997〜199842ベネズエラミネロス・デ・グアヤナ監督
1999〜199944ボリビアザ・ストロンゲスト監督
2000〜200045ボリビアブルーミング監督
2000〜200145ボリビアインデペンディエンテ・ペトロレロ監督
2001〜200246イタリアカザラーノ・カルチョ監督
2002〜200247スペインCDサン・フェルナンド監督

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
197419アルゼンチンインスティトゥートアルゼンチンロサリオ・セントラル移籍—形態・移籍金は未確認
197722アルゼンチンロサリオ・セントラルスペインバレンシア移籍—形態・移籍金は未確認
198126スペインバレンシアアルゼンチンリーベル・プレート移籍—形態・移籍金は未確認
198227アルゼンチンリーベル・プレートスペインバレンシア移籍—形態・移籍金は未確認
198429スペインバレンシアスペインエルクレス移籍—形態・移籍金は未確認
198631スペインエルクレスオーストリアファースト・ヴィエナ移籍—形態・移籍金は未確認
198732オーストリアファースト・ヴィエナザンクト・ペルテン移籍—形態・移籍金は未確認
199035ザンクト・ペルテンクレムザー移籍—形態・移籍金は未確認
199540クレムザーフェルナンデス・ビアル移籍—形態・移籍金は未確認
199944フェルナンデス・ビアルペリタ・ジャヤ移籍—形態・移籍金は未確認

※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認

タイトル

クラブ

ロサリオ・セントラル

バレンシア

リーベル・プレート

代表

アルゼンチン代表

個人

英語の記録名しか確認できないもの(9件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

獲得メダル

代表チームで獲得したメダルです(金1)。当サイトの大会結果データとも照合し、食い違いがあれば掲載しません。

FIFAワールドカップ金 1978 アルゼンチン

出典は英語版 Wikipedia の「メダル獲得記録(Medal record)」節(記事名・版 ID・取得日は「出典」節に記載)。W杯は当サイトの大会結果データでも一致を確認しています。

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「マリオ・ケンペス」(版 110430683)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. RSSSF、2026年9月13日 取得 https://rsssf.org/miscellaneous/onze-awards.html
  2. Wikidata、2026年10月26日 取得 https://www.wikidata.org/
  3. Wikipedia(日本語版)「マリオ・ケンペス」、版 ID 110430683、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%82%B9
  4. Wikipedia(英語版)、版 ID 1370299198、2026年10月14日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Mario_Kempes

※ 出典は媒体名・日付・URL を文字で記載しています(外部サイトへのリンクは行いません)。出典が確認できない数値はページに載せません。

掲載写真は Wikidata API および Wikimedia Commons API を通じて、ライセンス(CC BY-SA / パブリックドメイン等)と作者表示の要件を確認したうえで掲載します。