秋田豊

SOCCERPEDIA / 選手・監督ページ / 日本のサッカー選手 / 最終更新:2026年9月1日


概要

日本秋田豊(Yutaka Akita、1970年8月6日生)は、名古屋市出身の元サッカー選手。ポジションはDF。日本では1995年から通算44試合4得点を記録している。個人賞は6回。

秋田 豊(あきた ゆたか、1970年8月6日 - )は、愛知県名古屋市中村区出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者、実業家。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。元日本代表。

1998年、2002年のワールドカップ日本代表メンバー。2022年10月から2024年11月まで、いわてアスリートクラブの代表取締役オーナー兼代表取締役社長を務めた。

クラブ経歴

選手経歴

小学生時代は野球、中学生時代は夏に野球、冬にサッカーをしていた。中学生時代にはフォワード、センターバックを経験。愛知高等学校から愛知学院大学に特待生で進学した。

1993年に鹿島アントラーズに加入。当初はジーコの推薦で右サイドバックとしてレギュラーに定着し、以降はセンターバックとして活躍。9つのタイトル獲得に貢献した。

サッカー日本代表にも選出され、1998 FIFAワールドカップ・アジア予選が始まった段階ではセンターバックの3番手という立場だったため、4バックが基本のチームでサブメンバーだった。しかし加茂周監督がセンターバックを1枚増やした3バックを導入するとスタメンで出場し、対人や空中戦での強さを見せ評価を急上昇させると、岡田武史体制になり4バックに移行後もレギュラーに定着。ヘディングで2得点するなど、攻撃においてもセットプレイで大きな武器ともなった。1998 FIFAワールドカップ本大会ではアルゼンチンのバティストゥータ、クロアチアのシューケルなど相手のエースのマークを任される。

フィリップ・トルシエ体制では1998年秋の立ち上げ当初こそ招集されるも、まもなく構想から外され招集外となるが、本大会メンバーにまさかのサプライズ選出され、2002 FIFAワールドカップに出場。大会開催期間中の試合の解説の仕事を引き受けていた中での選出であった。メンバー発表時もテレビの前で鹿島のチームメイトであり、この年に代表初選出であった小笠原満男だけを注目して見ていたという。トルシエ曰く「試合には出ないがチームを纏めるためにベテランが必要」と語っており、実際大会前のテストマッチ1試合の後半途中から出場したのみで、本大会ではフィールドプレイヤーとして唯一出場機会がなかった。

代表監督がジーコに変わると立ち上げ当初はレギュラーストッパーとして招集されるが、バックラインの総入れ替えを断行されて以来、呼ばれることはなかった。

2003年のリーグ終了後戦力外通告を受け、名古屋グランパスエイトに移籍。移籍1年目の2004年はレギュラーとして活躍。以降は増川隆洋の加入や年齢もあって控えに回ることが多くなった。

2006年シーズン終了後に名古屋から戦力外通告を受け、この年J2に降格した京都サンガF.C.へ移籍。出場機会は多くなかったが、リーグ戦3位で進出したJ1・J2入れ替え戦では既に引退を発表した中で2戦ともベンチ入りし、2戦目にはこのまま引き分けなら昇格という場面で後半ロスタイムに出場し、クラブのJ1への昇格を経験した。

シーズン終了後、FC琉球の総監督に就任したフィリップ・トルシエから現役復帰のオファーがあったが、これを固辞。現役引退を表明し、2008年シーズンより京都のトップチームコーチに就任することが決定した。

経営者時代

現役引退後は実業家としても活動しており、サンクト・ジャパンの代表取締役社長としてトレーニング器具の販売を手掛けている。

2022年10月、いわてグルージャ盛岡を運営する「株式会社いわてアスリートクラブ」の社長に就任。また大株主のNOVAホールディングスから株式33.4%を譲り受け、同社のオーナーとなった。

2024年11月25日、いわてアスリートクラブの保有株をNOVAホールディングスに譲渡し、代表取締役社長兼オーナーから退任した。

その他

2015年、本田圭佑がプロデュースを行うSOLTILO FCユースとジュニアユースのスーパーアドバイザーに就任。

eSports関連の活動も行っている。N高等学校サッカー部の特別顧問に就任し、2018年アジア競技大会のeSports(ウイニングイレブン 2018)競技に日本代表として出場した選手の指導を行い、2018年9月には元チームメイトの岡山哲也とともに、eSportsの選手育成を行う「eスポーツジャパン」を発足させ、アジア大会や五輪への出場を目標に選手の指導を行うことを発表した。

代表経歴

代表での出場記録とメダルから組み立てた説明です。

1995年に日本での出場記録が始まり、2003年までに通算44試合4得点を記録した。

監督経歴

指導者経歴

2009年2月1日には、茨城県立カシマサッカースタジアムにて鹿島アントラーズ対ジュビロ磐田を対戦カードとして引退試合が行われる。同年11月30日には、監督職に必要なS級ライセンスを取得。

2010年7月、成績不振により解任された加藤久の後任として、コーチから京都の監督に昇格した。当初は2011年までの1年半契約となっており、チームがJ2に降格しても続投する方針だったが、就任後2勝3分14敗という不振から2011年度の契約更新を撤回され、わずか半年で解任となった。

2012年、東京ヴェルディトップチームのコーチに就任。11月、東京Vとの契約を解除し、FC町田ゼルビアの監督に就任した。2013年シーズンは前半戦で3位につけるも、天皇杯のシード権を逃し、6月25日に解任された。

町田監督退任後の2013年8月23日、ジュビロ磐田がコーチ就任のオファーを出したと一部スポーツ紙で報じられたが、その日のうちに磐田側から完全否定された。

2020年よりいわてグルージャ盛岡の監督に就任すると発表され、2021年にJ3リーグで2位フィニッシュ、初のJ2昇格に導いた。2022年の東北ダービー・ブラウブリッツ秋田戦では、秋田の顔が印刷されたお面が配布され話題を呼んだ。監督としては2022年シーズン終了後に退任した。

指導者時代(第2期)

2025年、新たにJリーグに参入した高知ユナイテッドSCの監督に就任した。同年9月23日、退任が発表された(詳細は後述)。

2026年、九州女子サッカーリーグ2部・琉球デイゴスのスーパーバイザーに就任した。

高知監督時代のパワーハラスメント

2025年6月29日、秋田が当面の間休養することを高知ユナイテッドSCが発表した。選手・スタッフが秋田の指導にパワーハラスメントがあったと申し立てたことによるものであり、秋田自身は申し立てに至ったことを謝罪しつつも、その内容には一部事実と異なるものがあるとも主張、特別調査委員会による調査にて自身の見解を伝える意向を示した。

2025年9月19日、高知市内で記者会見を開き、同日付で監督を辞任する考えを明らかにした。理由として、パワハラ疑惑による引責ではなく、休養から3か月弱音信不通になっていたという山本志穂美社長の不義理、騒動が収束しなかったことへの不信感を挙げた。同月20日、クラブは秋田によるパワハラ5件を認定した調査結果を発表した。同月23日、クラブが秋田の監督退任を発表した。

2025年10月7日、Jリーグは上記のパワハラに関する処分を発表した。管理監督義務違反があったとして、クラブには罰金100万円とけん責の処分が下された。その一方、既に監督を退任しJリーグの関係者ではない秋田については、Jリーグの懲罰権が及ばなくなったとして、「けん責」相当に該当することが通知された。

2026年2月5日、日本サッカー協会(JFA)は秋田を厳重注意とし、研修を受講させることを発表した。

個人成績

数値は英語版 Wikipedia の Career statisticsです。当サイトによる補完・推計は行っていません。記録が無い項目は「—」です(0 ではありません)。

クラブ

クラブシーズン年齢ディビジョンリーグシーズン通算
出場得点出場得点
日本鹿島アントラーズ199322———453
199423———394
199524———540
199625———230
199726———286
199827———373
199928———363
200029———392
200130———373
200231———425
200332—30402
名古屋グランパスエイト200433———350
200534———211
200635———162
日本京都サンガF.C.200736———140

年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

代表

日本 としての年別成績です。親善試合を含みます。

年年齢出場得点得点グラフ
19952421
19962520
199726162
199827100
19992870
20002900
20013000
20023130
20033241
通算444

年齢はその期間の開始時点の満年齢です(シーズン表記は欧州リーグ=8月、単年表記は3月を起点に計算)。

監督成績

在任別・通算

英語版 Wikipedia の Managerial statistics の値です(Wikipedia(英語版)、revid 1365657346)。勝率は勝利数÷試合数。当サイトによる補完・推計は行っていません。

在任期間年齢チーム試合勝分敗勝率
——日本京都サンガ20231510.0%
——日本FC町田ゼルビア1794452.9%
——日本いわてグルージャ盛岡10435244533.7%
〜現在—日本高知ユナイテッドSC10010.0%
通算14246316532.4%

所属チーム

ユース

期間年齢チーム
1986〜198815日本愛知高校
1989〜199218日本愛知学院大学

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

クラブ

期間年齢チーム
1993〜200322日本鹿島アントラーズ
2004〜200633日本名古屋グランパスエイト
200736日本京都サンガF.C.

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

代表

期間年齢チーム
1995〜200324日本日本

「期間」の出典は成績が記録されているシーズンの範囲(API-Football。取得元に古いシーズンの登録が無い場合、実際の加入年より後になります)。出場・得点は取得元に記録がないため掲載していません。

監督

在任年齢チーム役職
2010〜201039日本京都サンガF.C.監督
2013〜201342日本FC町田ゼルビア監督
2020〜202249日本いわてグルージャ盛岡監督
2025〜202554日本高知ユナイテッドSC監督

移籍金・年俸・市場価値の推移

移籍履歴

掲載しているのは公表された実際の移籍金です(市場価値は別表)。金額が非公表・不明の場合は「—」と表記します(0 円ではありません)。

時期年齢移籍元移籍先形態移籍金備考
198918愛知高校愛知学院大学移籍—下部組織への移籍
形態・移籍金は未確認
199322愛知学院大学日本鹿島アントラーズ移籍—形態・移籍金は未確認
200433日本鹿島アントラーズ名古屋グランパスエイト移籍—形態・移籍金は未確認
200736名古屋グランパスエイト日本京都サンガF.C.移籍—形態・移籍金は未確認

※ 移籍金が公表された移籍はありません(フリー移籍・期限付き移籍・非公表)。

出典: 日本語版 Wikipedia(経歴)。日本語版 Wikipedia の情報欄の在籍の切り替わりから作成。形態・移籍金は出典で未確認

タイトル

個人

英語の記録名しか確認できないもの(2件)は、日本語名を確認できるまで掲載していません。

本文の一部は、ウィキペディア日本語版「秋田豊」(版 110792224)の記述を https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0/deed.ja(CC BY-SA 4.0)のもとで転載・編集したものです。当該部分は同ライセンスで再利用できます。成績・タイトル等の数値は各表の出典に基づきます。

出典

  1. Wikidata、2026年10月25日 取得 https://www.wikidata.org/
  2. Wikipedia(日本語版)「秋田豊」、版 ID 110792224、2026年10月14日 取得 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E7%94%B0%E8%B1%8A
  3. Wikipedia(英語版)、版 ID 1365657346、2026年10月14日 取得 https://en.wikipedia.org/wiki/Yutaka_Akita

※ 出典は媒体名・日付・URL を文字で記載しています(外部サイトへのリンクは行いません)。出典が確認できない数値はページに載せません。

掲載写真は Wikidata API および Wikimedia Commons API を通じて、ライセンス(CC BY-SA / パブリックドメイン等)と作者表示の要件を確認したうえで掲載します。